top of page

【模组考据】N川杀人事件的民俗背景

通过对蛇神-鰻-猿虎蛇-虚空蔵神使-岐阜信仰的考据,可以发现

(1)粥川当地的星宮神社和模组里的月宫神社只有一字之差 (2)鳗鱼被认为是神使,吃了会被作祟,所以有不吃鳗鱼的传统 (3)根据当地传说,都是以前有个英雄去退治怪物,鳗鱼告诉了他正确的道路 (4)退治怪物的英雄叫做藤原高光,和模组里的藤原旅馆感觉有联系的样子 (5)怪物,也就是猿虎蛇,本来就是岐阜本地的信仰 (5)美並村有乙姬传说,附近村里甚至有乙姫滝,直到现在也有不吃鳗鱼的习俗 (6)当地,乙姬被认为不是五色瑞龟,而是有着蛇身的海神


也就是说,N川高概率是以岐阜県美並村粥川为背景编写的模组……


++++++++++++++++++++++++++++++


高贺山周边残留着藤原高光退治妖怪的传说。


岐阜县洞户村有着被称为「猿虎蛇(さるとらへび)」的怪物,根据高贺当地的神社记载。


「700年,住在京城的人们目击到了夜晚有奇怪的光芒向岐阜飞去。于是便在高贺山的山麓建造了神坛,但是,此后却再也没有出现这种光。这便是高贺六神社的缘起。之后,当地出现了一种像牛一样的妖怪、给村民带来了灾害。受到了天皇敕命的藤原高光将其消灭后,在高贺山麓祭祀众神。之后,妖怪再次出没、高光再度退治。到了近世,妖怪第三次出现了,头如猿猴、身体如虎、尾巴似蛇。故而,猿虎蛇的传说一直流传至今……」(部分省略)



瓢箪に化けていたさるとらへびを高光が討ち取った、とされる。

高光が配下を連れて当地に到着し、最初にさるとらへびを見つけたのが現在の『金峰神社 (美濃市)』である。このことから地名を『形知』(現・片知)と名づけ、『形知の社』として創建したのが金峰神社の始まりと伝わる。

都から派遣された兵では山での戦いに不慣れであると考えた高光は、先ず『高賀山大本神宮大行事神社(現・高賀神社)』を再建し、現地民と共に七昼夜妖怪退治の祈願をした。その後、高賀山麓の六ヶ所に神社(高賀六社)をそれぞれ建立した。高賀神社での祈祷の日々に、高光は夢で「瓢箪を射よ」との神託を得た。



根据星宫神社记载,藤原高光最初来到高贺的时候迷了路,被名为「義貴星」的神灵施舍了粥,并且派遣了河里的鳗鱼告诉他正确的道路。故而此地名为粥川,在这条河里捕鳗鱼和吃鳗鱼都是禁止的。大正13年(1924年),“粥川鳗鱼栖息地”被指定为国家天然纪念物。另外,据说在粥川流域,残留着高光用过箭矢的“矢纳渊(矢納ヶ渕)”。

高光为了追求妖怪从高贺来到乙狩谷的时候,整个山被乌云包围着,无法前进。这时,高光把箭射向乌云,云朵就不见了,终于到达了瀑布。这个瀑布附近的洞是猴子蛇的栖居地。高光在这个瀑布做露宿的话,做了瀑布的神们赶走妖怪的梦。于是,在瀑布旁边建起了祠堂,据说是『泷神社』的开始。


高光,遵从神托到达『福别之丘』,从顶峰的沼泽旁边立的树形成了的葫芦中,发现特别大的东西用箭射了的地方,猴子蛇被讨伐了。 除此之外,菅谷还有高光换上草鞋的“草鞋是森林”,高贺山之神命令高贺山制作讨伐用的箭,制作箭柄的“矢作神社”。矢作神社里收藏着作为宝物用于消灭妖怪的箭、木车和狮子头。




高光が妖怪を追い求めて高賀から乙狩谷に来た時、山全体が黒雲に包まれて進めなくなってしまった。そのとき高光が矢を黒雲の中に放つと雲が無くなり、やがて滝にたどり着いた。この滝の近くの洞がさるとらへびの棲家であった。高光はこの滝で野宿をすると、滝の神々が妖怪を追い払う夢を見た。そこで滝のほとりに祠を建立したのが、『瀧神社』の始まりと伝わる。

高光は、神託に従って『ふくべヶ丘』に至り、頂上の沼のほとりに立つ木に成った瓢箪の中から、ひときわ大きなものを見つけて矢で射た所、さるとらへびが討伐された。

その他、菅谷には高光が草鞋を履き替えたとされる『草鞋が森』、高賀山の神が討伐のための矢を作るように命じ、矢柄を作ったとされる『矢作神社』がある。矢作神社には宝物として妖怪退治に使った矢、木鉾、獅子頭が所蔵されている。

Comments


bottom of page