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【日本火器】機関銃

★古川式斉射銃(代用機関銃)

 「日露戦争時」に機関銃不足に陥った「第四軍」の「古川工兵中佐」が考案した「代用機関銃」。構造は木枠の中に6丁の「三十年式歩兵銃」を設置して、木枠右側にあるレバーを後方へ引くことで、一斉射撃が出来るもので、再装填は手動で行われた。


★有筒式軽機関銃

 大正7年に制定された国軍の「軽機関銃」で、大正4年に「三年式重機関銃」を元にして製造された「軽量機関銃」の放熱作用を向上させるために、「放熱筒」の外部に「被筒」をかぶせたもの。給弾方式は、「三年式重機」に用いる「保弾板」をそのまま利用。 「10連(300発)」までの連続射撃は問題はなく、必要に応じては「20~25連(600~750発)」の連続射撃が可能、限界は「30連(600発)」。 

口  径   6.5ミリ

射撃速度  毎分230発前後


★無筒式軽機関銃

 大正7年に制定された国軍の「軽機関銃」で、「三年式重機関銃」を小型・軽量化させた軽機関銃。「有筒式軽機関銃」はその後、「給弾装置」等の各部の各種改良をうけて、「十一年式軽機関銃」の元である大正10年制定の「乙号軽機関銃」の母体となる。

 翌8年には、重量をより軽減させて重量8キロの「無筒式軽機関銃」が制定される。

 口径6.5ミリ、重量約11キロ。給弾方式-「保弾板」利用。


★一九一四年式露国機関銃

 大正10年5月にシベリア出兵時において、「第九師団-歩兵第七聯隊」が敵軍から大量に鹵獲した空冷式機関銃で、警備用資材として準制式兵器としたもの。「一九一四年式露国機関銃」の原形は米国コルト社製の「一八八五年式機関銃」で、米国で口径をロシア軍の小銃弾と同一に改造してロシア軍に納入それた機関銃である。給弾は「弾薬匣」よりズック製の250連発の「保弾帯」で行われ、連続射撃では1750発(「弾薬匣」7個分)で銃身を交換する。「弾薬匣」は1銃につき12匣が用意されている。


★九一式車載機関銃

 「十一年式軽機関銃」を戦車・装甲車搭載用に改良した機関銃。  「十一年式軽機関銃」より「銃床」を取り外し、「防弾器」と倍率1.5倍の「照準眼鏡」を取り付けたもので、給弾は当初は「装填架」を使用していたがのちに45発入りの「弾倉」が作られ使用された。  地上戦に使用する時は、「防弾器」と「照準眼鏡」をはずして「二脚」と「銃床」を取り付けて使用する。


★九七式車載重機関銃

 「戦車」・「装甲車」搭載のために開発された口径7.7ミリの機関銃。銃身を守るための「防弾器」と倍率1.5倍の「照準眼鏡」を装着して車両の「銃眼」に設置する以外にも、「二脚」を付けることで地上戦闘にも利用できる。給弾は二十発入の「弾倉」にて行われ、使用弾薬は「九二式重機関銃」で使用される「九二式実包」を用いる。


★九八式水冷重機関銃

 イギリスの「ビッカース水冷重機関銃」の機構を原形として開発・整備がなされた、国軍唯一の反動利用・水冷式の重機関銃。「九二式重機関銃」と同一の「脚」を装備し、弾薬も「九二式実包」を使用する。配備としては、「国境守備隊」と「ソ滿国境要塞地帯」に装備された。


★南部式教練軽機関銃

 1935年前後の戦時色の増加と共に、銃後における戦闘教育も盛んとなり、青年学校をはじめとする軍事教練の為に「中央工業(南部)」が作製した教練用の「軽機関銃」。弾薬に口径6.5ミリの「三八式空砲」を用いるフルオートタイプの教練軽機関銃であり、「弾倉」は15発・20発・30発の3種類がある。形式は下記写真のもののほかに「弾倉」が上部にあるものなどかなりのバージョンが存在する。大東亜決戦下では、内地の軍部隊でも教練時の戦況現示の為に「南部銃」の名称で広く使用されている。


★一式重機関銃

 「一式重機関銃」は、「九二式重機関銃」使用の「九二式実包」ではなくて、「九九式小銃」・「九九式軽機関銃」と同様の「九九式銃実包」を用いる重機関銃の制定により、使用弾丸の統一化を計るべくして開発された重機関銃である。「九二式機関銃」をベースとして、使用弾薬を「九九式銃実包」とするとともに重量を約20キロ軽減したほかは、改良点はない。少数が生産されて、大東亜戦争では実戦に参加している。

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