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【大正】陆军-偕行社

1 創設から終戦まで

 明治10年(西暦1877)2月15日、当時約3000人に及んだ陸軍将校の一心同体を目指し、会合の場所として東京の九段上に集会所が設置されました。これが偕行社の創立であり、実に西南戦争の僅か前の出来事です。 後に各師団所在地にも偕行社が拡充されていきました。その結成は、現在の陸上自衛隊幹部の「修親会」や航空自衛隊幹部の「幹部連合会」と同じように、陸軍将校の修養研鑽と団結が主な目的でした。 「偕行」の意味は「共に軍に加わろう」ということで、詩経・無衣の篇・第3章(BC900~BC700)の次の漢詩から採用したものといわれています。    修我甲兵(鎧、打ち物、うちそろえ)    與子偕行(二人でいこう その時は)

   あに衣なしといわんや (着るものがないと言うものか)    なんじと裳を同じくし (君とズボンを共用してでも)    王ここに師を興さば  (王が軍を発起すれば)    我が甲兵をととのえて (自分の鎧と兵器を整えて)    なんじと偕に行かん  (君と一緒に行こう) 偕行社は、このように陸軍の部隊駐屯地外の集会所としてスタートし、将校たちの会費によって運営され、財団法人として発展してきました。 各地の偕行社は宿泊施設を備え軍装品(礼装等の制服類、軍刀、拳銃等々)などを販売し、自衛隊における共済組合のような機能も発揮し、更に大阪や広島の偕行社においては、附属中学校や小学校まで経営していた。 しかし、偕行社は敗戦によって解散を余儀なくされます。 


2 戦後の偕行社発足から現在まで

戦後、昭和26年(西暦1951)頃から、有志が集まって再建の動きが起こり、昭和27年8月に偕行会が発足、昭和32年(西暦1957)に、陸軍関係の戦争犠牲者の福祉増進と会員の親睦を目的とする財団法人として12月28日、現「偕行社」の設立が許可されました。

偕行社における戦争犠牲者とは、戦傷病者及び戦没者遺族等を指しています。主として遺族に対する授産・育英・結婚相談等を事業として実施してきましたが、戦後年数が経ち戦没者の子弟も熟年期に入り、偕行社は転換期を迎えつつあります。

社屋の場所には幾つかの変遷があり、昭和34年に靖國奉仕会(旧名称:国防婦人会)から土地・建物を寄贈されJR市ヶ谷駅の南側、千代田区五番町12番地に所在していました。 昭和63年にこの建物土地を売却し、現在の社屋(千代田区九段南4-3-7、翠ビルの2・3・4階を借用)へと移転しました。平成26年には2階部分を返還し、現在に至ります。





偕行社史(抄) 

明治10年の偕行社創設から現在までの歩みです。

偕行社史抄(明治10年から平成19年厚労省と防衛省の共同所管までの抜粋) 明治10年2月15日    偕行社開社式を挙行。  明治13年11月     九段坂に社屋落成。   明治21年7月      『偕行社記事』創刊。  昭和20年        終戦。偕行社解散。     昭和26年10月       各期連絡会発足。    昭和27年3月     『月刊市ケ谷』発行。            11月に機関誌名『偕行』と改題。                                明治神宮で第1回の偕行社総会。  昭和28年11月      初めての名簿発行。 昭和29年4月      全国組織を結成。

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