占星術
占星术的起源可以追溯到公元前2.3千年左右的古代巴比伦。以天空的星星的运动为基础,产生了预知地上发生之事的想法。传到古希腊,发展成以个人生辰的星位为基础的占卜。在西方的神秘传统中,这个占星术中使用的许多象征、符号、想法等是学习的基础。自古以来,人们以各种各样的形式思念着天空中闪耀的星星。有的时候,作为经营农业的历法。有的时候作为编织出各种故事的神圣的场所。然后,有的时候,想在那里窥视自己的未来。古代的人们每天都在同一时间仰望夜空,发现随着季节的变化,星星也会一点点地移动其位置。而且,几乎所有的星星都在一年后回到了同一个位置。这些星星在天空中,是经常不改变配置的星星的意思,后来被称为恒星(Fixed Star)。然后,将自己想象的东西(人物、动物、物品、自然等)应用到这些星星不变的配置中。这就是所谓的星座(Constellation)。这些故事现在也成为了流传下来的各种神话。另外,在恒星中,也能发现格外明亮地闪耀着,每天进行着与恒星不同的移动的不可思议的星星。这个存在有时会前进,有时会逆行,表现出不规则的动作,因此被认为是与恒星不同的特别的存在。这些后来被称为planet(彷徨的东西),在日语中被称为困惑的星=行星,或者行星。看到这颗行星靠近或离开各种星球的地方,古代的人们直观地看到了自己的命运。可以说是原始占星术的开始。
黄道十二宮 占星術の発展
在开始进行占星术的初期,不存在像现在这样统一化的星座等想法,根据地域和时代的不同,对各种各样的星座和行星有看法。因此,占星术的姿态与现代也有很大的不同。理解了1年与太阳一起循环的古代的人们,在天球中太阳通过的道「黄道」也发现了。然后,把黄道用在灵性上有特别意义的“十二”这个数字来划分领域,分别赋予了意义。这被认为是黄道十二宫的开始。另外,经过漫长的岁月,行星在黄道附近进行着不可思议的运动,但在某个周期内其运动反复发生。这个黄道十二宫和星星和行星的关系被认为是在古代巴比伦时代附近。这个时代的占星术,主要是以国家为其占卜的对象,但之后,这个理论会传到古埃及和古希腊。而且,在希腊主义时代附近,占卜个人运势的现代占星术的基础性理论得到了发展。现在,一般说占星术,把1年分为12个期间,根据那个人的出生年月日对应的星座,那个人的今天和明天是怎样的运势?这样的看法很多。但是,这些都是面向一般人制作的,相当粗略的占卜方法。在进行正式的占星术的情况下,根据个人的出生年月日和出生时间、出生的土地,制作被称为天宫图(全息镜ホロスコープ)的行星的配置图。然后,根据从那里导出的那个人个人的行星的位置和角度等,探索那个人的运势和隐藏的素质等。
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錬金術
炼金术从古埃及文明的治金术发展而来。一般来说,这是一种将铅等普通金属变成价值高的金,充满欲望的不可能的技术。但是,从流传到现代的关于炼金术的记录来看,在那里不仅是物质上的东西,连精神上的自我也被提高到被“金”象征的状态,以高贵的灵性工作为目的,作为秘仪体系被写的情况也很多。炼金术,英语中被称为“Alchemy”的这个术,正如其语言所看到的那样,是在“Chem”=凯姆之地,埃及诞生的技术。后来发展到阿拉伯的这项技术,是现在化学的基础。炼金术的真正目的是将人类和自然的各种东西提高到“黄金象征”的“神的状态”。
錬金術の発祥
发祥地是以古代发现的各种金属加工技术为基础,用铅等被认为是卑属的金属制作金,是一种充满欲望的技术。但是,在神秘传统中,与这种想法有着相当不同的看法。这个炼金术(Alchemy)被认为是最初的人类亚当被逐出乐园时,被怜悯的天使拉齐尔(ラツィエル)授予的两个秘密的知识体系之一。那时,天使与另一个知识体系“卡巴拉”约定,只要完全掌握了这个智慧,人类就能从禁断之树果实的诅咒中解放出来,再次回到乐园。
另外,在另一个传说中也被认为是由半神半人“赫尔墨斯·特里斯梅吉斯”授予的一门“学问”。从这些传说中可以理解,炼金术原本是为了寻求物质上的金钱而不是有其目的的。其真正的目的是,将自然状态下不完全的东西用神秘的睿智的手法,提高到以“金”为象征的完全的东西·至高的状态。
錬金術の目的
炼金术师说所有的物质本来都有“神”的内在,有向完全的东西成长的性质。据说其成熟有两种方法。一是“自然”。如果所有的物质都正确地成长的话,本来即使什么都不做,不久就会变成完全的物质“金”的状态。人也是如此。然而,这项顺其自然的工作会受到这个世界上各种杂质的影响,在某些情况下会耗费无尽的时间。在人类等生物中,在达到完全阶段之前,会有寿命吧。因此,炼金术师们考虑通过神授予的“睿智技术”的介入,在短时间内完成这项工作。为此,为了制造出完全的物质,作为媒介的秘药是必要的。正因为如此,才被称为“贤者之石”或“艾丽克萨(Elixir)”。自古以来,各种各样的炼金术师们,根据比神更聪明的睿智,主张得到了这个秘药。然后,他在书中留下了贤者制作石头的方法。写着那个秘仪的炼金术书现在也流传着很多种类的东西。但是,在得到了这个秘药的炼金术师们之间,制作这个“贤者之石”的方法,被认为是对没有灵性觉醒的人们绝对不能告诉的最好的秘密。因此,现在流传下来的炼金术书,都是关于贤者的石头制作法,用寓意、象征、密码来写的。用这些秘密表现的贤者的石头的制作方法,现在还只是片断地被阐明。但是,在部分阐明的制作方法中,很多炼金术书都有共通的想法。
錬金術の理論
まず、錬金術師達の間では、不完全である物質を、叡智の技術によって完全にするためには、物質を形作っている構成を知らねばいけないと考えられた。この辺は諸説あるが、古来より伝わる四大元素の考えが基本的な理論として多く用いられることになる。物質は地・風・水・火の四大元素からなりたっているとの考え方が有力視されたのだ。そして、この四大元素に更に、それらを成り立たせている全ての源たる「第一原質」(プリマ・マテリア)=霊の元素、が秘められていると考えられる事となる。これは、もう一つの第五元素「精気」(キンタ・エッセンティア)とも考えられ、全てはこの第一原質から成り立っているとも考えられた。不完全な物質とは、この第一原質に加わった四大の要素のバランスが狂っているのである。そのため、錬金術師はまず物質を「哲学の卵」と呼ばれる密封された容器にいれ、「焼成」「溶解」「分離」などの複雑な工程を経て、極限まで第一原質に戻す作業をなした。「分離」まで工程を経た物質は、対極性を持つ根源的な存在へと至る。この世のあらゆる物質には対極性があるのだ。光と闇、男と女、始まりと終わり、善と悪、熱と冷、父と母、太陽と月。世界はあらゆるものが対立しあっている。錬金術においては第一原質のこれらの対立を「聖なる婚姻」により統合させ、新たな誕生を目指す。この統合によって生まれたものが「AZOTH」である。古い錬金術書では、この作業を太陽の王と月の王妃の合体によって生まれた子供として象徴する。AZOTHの言葉自体は全てのアルファベットの始まりの字A、英語やラテン語の最終文字Z、ギリシヤ語最終文字O、ヘブライ語最終文字Thの組み合わせから成り立った文字であり、始まりと終わりの統合を象徴する。そして、錬金術には重要な標語がある。「火とAZOTHを得るなら、汝は全てを得る」。錬金術師はこの対立の統合物から「賢者の石」を作る事を目指す。
この賢者の石の製造時には「水銀」「硫黄」の2つの要素が重要視される。また、これに「塩」とよばれる要素が加わると賢者の石の代表的な3原理と言われた。硫黄、水銀、塩、これらの要素は現代において、一般的にその名で呼ばれてる物質を、そのまま指すものでは無い。まず、ここで水銀とされるものは錬金術師の間では「あらゆる金属の母」と呼ばれる象徴的な存在を指す。それは物質の水銀が金属でありながら水のような性質を持ち、熱すると容易に気化する事から、通常の金属では対立すると見なされる要素が、その中に統合されていると考えられたためだ。また、その統合の要素から水銀は「両性具有者」の象徴としても用いられる。次に、硫黄は、物質のそれが激しく燃え上がる性質を持っているところから、象徴的水銀の変容の過程に欠かす事の出来ない火を提供する存在を、象徴的に硫黄と呼ぶようになった。そして塩は水銀と硫黄によって出来あがった物質を固定させ「賢者の石」に仕上げる存在の象徴である。ただし、錬金術書によっては、これらの意味としてでなく、先に解説した対立する要素として水銀と硫黄を用いている事もあるので、その点は注意されたし。賢者の石を作り出す作業では、「黒化」により得られた第一原質に、何回も火による加熱・冷却と浄化の作業が行われることとなる。その段階には黒化に「白化」「黄化」「赤化」を加えた4つの段階的方法があると言われる。これは、四大になぞらえた考え方だが、錬金術書によっては、段階に関する他の様々な考え方があったり、段階が4つであっても、それぞれの段階の中にも幾つもの複雑なプロセスが指示されていることもある。まず、哲学の卵において極限まで第一原質に戻され、聖なる婚姻によって統合された賢者の石の原料は破壊され、死が訪れる。これを終えた原料は湿った熱によって腐敗・黒くなり、墓場のような悪臭を放つ。これが「黒化」の段階である。次に白化において、原料は加熱されたり、冷却されたりと幾度にも渡る浄化が行われる。これらの行為によって、原料は洗浄され「白い石」になり成熟してゆくのだ。そして、白化の段階を終えた原料は、いよいよ黄化において成熟し黄金と化す。しかし、この段階に留まらず、なおもより完成を目指す錬金術師は、さらに赤化と呼ばれる工程を経て、増殖した原料を賢者の石と化すわけである(ちなみに錬金術書によっては黄化と赤化の順が逆になってる場合もあるので注意する事)。こうして出来上がった賢者の石は、それを使う事によって卑金属を完全なる金属である金へと進化させたり、それを人間の体内に取り入れる事によって、完全なる不老不死の体へと変化させる事が出来るという。
錬金術とユング心理学
その神秘的な理論で人々を魅了した錬金術も、18世紀に入り科学が発展し合理主義が世の中に広まると、いつしか人々から忘れ去られていった。しかし、近年になってこの忘れ去られた術に光を当てた人物がいる。そう、占星術と同様に心理学者C・G・ユングがその人である。彼は自身の心理学的研究において、この錬金術は物質を金に変換することにのみ目的があるのではない。その隠されたより重要な目的は、物質を金に変換する作業に人間の意識の象徴的な変容過程を見出し、人間のこころ(魂)をこそ、金に象徴される段階へと高める事がその目的であったのだとして、人々に改めて、その真の価値を問いかけたのだ。
カバラ
「カバラ」は、その発祥は元々はユダヤ教における聖書の神秘的解釈学であったとされる。ユダヤ教徒は、その聖典「旧約聖書」には、主がこの世界の創世に関わる様々な霊的秘密を隠していると考えた。その秘密を解き明かそうと、文字と数の関連性を元にした霊的な実践体系が発展したのが、カバラであったとされる。しかし、ルネサンスの時代の知識人達は、そのカバラの考え方にユダヤ教の枠組みを越えた価値を見いだした。そして、ユダヤ教の信仰を必要としない非ユダヤ教カバラ(クリスチャン・カバラ、ヘルメティック・カバラ、オカルト・カバラ、魔術カバラなどと呼ばれる)へと変化・発展させたのだった。この非ユダヤ教カバラが、現在の西洋神秘伝統の3つの秘儀体系の一つになっている。黄金の夜明け団の理論体系は西洋の秘教伝統の中でも、ユダヤ教に端を発した「カバラ」という教義、特にその中の「生命の樹」に関する概念を基本として構成されている。ここでは、学徒のために、その「カバラ」というものについての概略を示しておこう。ただし、先に注意しておくが、誤解しないで欲しいのは、この「カバラ」はユダヤ教の教義だからといって、学徒がユダヤ教を信仰しなければいけないという事はまったく無い。その教義の中に、現代の意識を探求する学徒にとって、とても有益な考え方が含まれているため、その考え方を参考にさせてもらうだけなのだ。この点、学徒はよく注意しながら学習を進めて行って欲しい。
カバラの発祥
カバラ(QBL)。この言葉は、元々ヘブライ語で「受ける」あるいは「口伝え」を意味するものだった。このカバラはそこから転じて、ユダヤ教で口伝で伝えられてきた秘密の知識体系(QBLH)を示す事となる。その発端は謎に包まれている。一説には、モーセと呼ばれる旧約聖書の聖者がシナイ山で神と対面した時、その一回目に律法(十戒)を授かり、2回目に律法の魂(メシュナ)を授かり、3回目に律法の魂の魂、即ちカバラを授かったといわれている。モーセは、そのカバラの知識を旧約聖書の初めの4書に封じ込め、後の世に伝えた。この意味ではカバラは、古来よりヘブライに伝わる教典・律法の書の秘められた解釈を受け伝えるための教えであるとされる。しかし、カバラの発祥には、もう一つの説もあり、その説では始めの人間アダムがエデンを去る時、それを憐れんだ天使ラツィエルから伝えられた2つの知識の一つがカバラである、という事になっている。ちなみにもう一つは先に学習した錬金術である。この説では、カバラとは人間が完全な人間になり楽園に戻るための鍵を含む知識体系だという事になる。また、後の世でもこの知識は度々、天使から人間に伝えられたといわれ、旧約聖書の有名な人物イサクには天使ラファエルが、モーゼには天使メタトロンが、そしてダヴィデには天使ミカエルが授けたと言う事になっている。この説は、ほぼ伝説的なものであり、真実では無いだろうが、カバラの重要さ、神秘さを表現する良い寓話になるだろう。
カバラの歴史
しかし、そんな古くから伝わると言う話のある「カバラ」だが、実際に表の世界にカバラという名前を伴って頻繁に現われるのは12世紀以降となる。それ以前はユダヤ教における聖書の神秘的解釈学、「ユダヤ神秘主義」といわれていた。この旧約聖書に秘められた知識を解き明かし、神秘学的に解釈しようとするユダヤ神秘主義の流れは、西暦2世紀頃からその姿を歴史上に現す。2世紀頃、ユダヤ人はローマ人により過酷な迫害を受けつつも、ユダヤ神秘主義の教師ともいえるラビにおいて優れた人物を、多く輩出する事となるのだ。その中でもラビ・アキバ、その弟子ラビ・シメオン・ベン・ヨハイなどは、今でも関係する宗教ではその名をよく知られた伝説的な人物である。これらの高名なラビ達の活躍もあり、その後3世紀から6世紀に渡ってユダヤ神秘主義の教義は華々しい発展を遂げる。
カバラの基本教典。イェツィラー、バヒル、ゾハール
この頃、世に出たユダヤ神秘主義の有名な教本に「イェツィラーの書」がある。この本の執筆者はラビ・アキバだったと言われるが、実質的には様々な人物、何人もの人の手を経て今の形が作られたと考えられている。この書には、AM統合神秘行でも後に詳しく学習することになる「生命の樹」という図形による概念の元となる「セフィロト」の言葉が使われたり、セフィロトとヘブライ22文字によってこの世界が形作られたという、重要な考えが示されている。この書の考え方を元に、ユダヤ教神秘主義はその霊的行法として「恍惚的な瞑想による神の世界の旅」、「天路遍歴」、「招魂によるトーラの宰相からの秘儀伝授」、「イエツィラーの書を原典とした文字の秘儀」等を発展させながら、民衆の通俗的な「魔術」と呼ばれる知識までも取り込み、12世紀以降の”カバラ”の体系へ移行していくことになるのだ。12世紀後半、「バヒルの書(光明の書)」が生まれ、現在のカバラとしての教義の大まかな概念が形作られる事となる。そして、13世紀後半スペイン北東部ユダヤ人居住区において、カバラ教義の中心となる「ゾハールの書」と呼ばれる書籍群が出現。この書により、カバラは以降長らくのユダヤ教においての中心的な教義へと発展していくことになる。
カバラの教師(ラビ)達
この頃、世に出た有名なカバリストには、まず盲目のラビ・イツハクが挙げられるだろう。彼は後世のカバラ研究家ゲルショム・ショーレムに、「人格として捉えることの出来る、最初のカバリスト」とまで呼ばれ、その生涯には様々な伝説がある。彼はセフィロトと世界創造の関係を生涯を通じて追求するという事を行なった。次にアブラハム・ベン・アブラフィア。彼は当時のローマ教皇ニコラス3世をユダヤ教に改宗させようとして、教皇から「火炙りの刑」にされかけたカバリストとしても有名である。彼はまた言語魔術的な瞑想法による、神の教えへの到達を目指した。そして、ラビ・モーシェ・デ・レオン。彼は「ゾハールの書」の真の執筆者ともいわれる。これらの人物の活躍もあって、カバラは教義の深遠さをより増していく。発展を遂げていたカバラだったが、中世の間までカバラは主にユダヤ人の間のみにて研究され、同じ旧約を源とした宗教でも、新約をその教義の主体とするキリスト教徒の間では、ほとんど研究されていなかった。それは、この頃のキリスト教徒にとっては異教や異教の言葉に関心が無かっただけでなく、キリスト教徒の教祖を殺したユダヤ人への憎悪のせいもあったと思われる。
ルネサンスでのユダヤ・カバラと非ユダヤ・カバラの分流
しかし、ルネッサンスの幕開けとともに、その様相は一変する。ルネッサンスのヒューマニストたちは、古代の芸術や学問に美を再発見し、異教徒の文献や古代語にとても興味を示しはじめた。それは、それまで教会の権威によって封じ込められていたゾロアスター、ヘルメス、プラトン等といった異教徒的な思想が、教会の行き詰まりに新たな思想を吹き込む活力として再生していく時代でもあったのだ。その時代の潮流と共に、それまではユダヤ人にのみ伝えられていた、カバラの教義がキリスト教徒の間でも注目を浴びるようになる。キリスト教徒がカバラに魅了された理由の一つには、旧約聖書を記したヘブライ語が”神の言語”であり、カバラが神の謎を解き明かす解読学とみなされた事もある。また、ユダヤ人は何度も滅亡の危機に瀕してきたが、他の古代民族が滅び去っても、ユダヤ人のみが生き残っているのは、その根本となる秘密知識のためだとキリスト教徒が考えた事もあった。そして、この時点でカバラは、唯一絶対の神との契約を厳守するユダヤ教のカバラ、ユダヤ教的カバラと、キリスト教徒などユダヤ教徒以外でも神を信じるなら全ての民が救われると考える、汎神論的な傾向を帯びたクリスチャン・カバラの大きな2つの流れを生み出す事になった。2つの教義の違いは様々なところに見出せるが、例えば、「イエス・キリスト」という人物の捉えかたにも大きな違いがあり、クリスチャン・カバラではイエス・キリストを世界の「救世主」と見做す事があるが、ユダヤ・カバラでは、イエスは数ある賢者の一人としてしか見ていない。あくまでも、ユダヤ・カバラは目にみえず人間には理解することも出来ない絶対神との個人的な崇拝と契約により、救いを得られるとするのに対し、キリスト教においては三位一体、キリストによる罪の肩代わりなどの、神の救いに対する緩やかな解釈が取り入れられた。もともとユダヤ・カバラ自体にも神秘的要素は多々あったが、クリスチャン・カバラの方がユダヤ教徒以外にも広まったため、クリスチャン・カバラの流れの方が後の秘教体系の伝統により深く関わる事になっていく事になる。
非ユダヤ・カバラ(クリスチャン・カバラから魔術カバラへ)
大きく2つの流れに別れたカバラであるが、ここでは以降、この統合神秘行学習で扱う事柄との関わりの深いクリスチャン・カバラ、そしてそこから更にキリスト教的信仰の枠組みにすらも捕らわれない概念へと変化したオカルト・カバラ、ヘルメティック・カバラ、あるいは魔術的カバラと呼ばれるカバラに関して説明を行っていく事にしよう。ユダヤ・カバラから変質・枝別れしたクリスチャン・カバラの発展初期においては、キリスト教徒でプラトン学者でもあるピコ・デラ・ミランドーラの活躍が注目される。彼はフラビウス・ミトリダーテス等のユダヤ人学者からカバラを学び、20代の時ローマで「哲学的カバラ思想と神学における結論」等の出版物を刊行し、キリストの神性を秘教体系やカバラ等の隠秘的な学説によって証明しようとしたが、正統的教会からはその思想を認められなかった。しかし、彼は以降もカバラのキリスト教圏の普及に努める。ルネサンスでは、それまで伝わっていたプラトンの異教的思想はカバラの叡智とも結び付けられた。それは「プラトンはギリシア語を話すモーセ」という、その分野では有名な言葉にも伺えるが、ドイツに生まれたアグリッパ・フォン・ネッテスハイムは、新プラトン派を研究するうちに、秘教体系にのめりこみ、さまざまな哲学・秘教体系・カバラを統一しようと尽力。その結果「隠秘哲学三書」という著作を世に発表。この本は以降の西欧の神秘思想に多大な影響を与える事となった。他にもこの時代には信仰と医学を結び付けようとしたパラケルスス、ペストの撲滅に貢献したすぐれた学者でもあったノストラダムス、天使の言葉といわれるエノク語を研究した優れた数学者ジョン・ディーなど、西欧の秘教伝統界ではその名を知らぬものは初心者と見做される人物が名を連ねる。18世紀においてはカバリスト・ファルク博士から教えを受けたと言われる、エマヌエル・スウェーデンボリや、動物磁気説を唱えたアントン・メスマーなどにより、近代西欧の秘教研究への基礎が発展する。
非ユダヤ・カバラの近代。黄金の夜明けへ
そして19世紀中頃、フランスの一人の人物の登場によって、西洋秘教伝統の学徒達に現在多く用いられている、オカルト・カバラあるいはヘルメティック・カバラと呼ばれる大系の研究への、大きな流れが興ることとなる。その人物の名はアルフォンス・ルイ・コンスタン。現在では本名をヘブライ語化したエリファス・レヴィとしての名の方がよく知られているだろう。彼はそれまで伝わっていた様々な秘教的知識から得られた知識を元に、1852年出版した著書「高等魔術の教理と祭儀」にて、この時代の秘教伝統家の研究を大きく啓蒙し、その復興の中心人物となった。そして、1888年イギリスに有名な「黄金の夜明け団」が誕生する事となる。この団の特筆すべき事は、その秘教教義の中心にカバラの「生命の樹」という図形から得られる概念を置き、その下にそれまで西洋に伝わっていた様々な秘教的知識を纏めた事にあるとされる。この方法により、西洋秘教伝統をキリスト教的枠組みにも捕らわれずに様々な形で研究できる、現代へと繋がる理論的大系が整ったといえよう。そして、このオカルト・カバラ、ヘルメティック・カバラの手法は、現在、様々な者達によって研究される、西欧神秘伝統の基礎的な理論大系となっている。
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