Abraham the Jew ユダヤ人アブラハム (c.1362-c.1460)
☆ エジプトの砂漠で術士アブラメリンと出会い、神聖魔術を伝えられたとされるドイツ系ユダヤ人。まずもって架空の人物。
1362年頃、ドイツにて出生。魔術師の父の下で幼少時より修行を開始する。以後、様々な師匠に学ぶが誰にも満足出来ず、諸国行脚の旅に出る。オーストリア、ハンガリー、ギリシャと流れてコンスタンチノープルに入り、続いてアラビア、パレスチナと放浪している。最終的にはエジプトにたどりついて本物の魔術師アブラメリンに出会う幸運に恵まれる。 現在の西洋魔術界に於いて、もっとも効果のある魔術体系として名高いアブラメリン魔術を直伝され、帰国後は錬金術にも手を出して巨万の富を得る。結婚もして、二男三女をもうけ、各国の王侯貴族から招待されては魔法を披露してまた儲け、100歳近くまで生きて大往生を遂げる。
以上が『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』の第一部に記されたユダヤ人アブラハムの生涯であり、いわば狂言回し役にしてアブラメリン魔術の「使用前・使用後」宣伝マンであろう。各国を放浪の末、真理を発見して大魔術師になるというパターンはクリスチャン・ローゼンクロイツにも一脈通じるものがあるといえる。
Adam, Hieronymous ヒエロニムス・アダム
☆ 法王ホノリウスが全世界の魔法使いに召集をかけた時に、ミラノ公国から馳せ参じた魔法使い。ホノリウスの目的は世界中の魔法を一冊の本にまとめることにあったが、アダムは召集の後に法王の写本を一部盗みだし、自家薬籠中のものとしたとされている。俗に『ヒエロニムス・アダムの書』と呼ばれる“おまじない”本の来歴として語られる伝説である。
Adler, Margot マーゴ・アドラー(1946-)
☆ 現在の米国に於いて魔女宗にもっとも 詳しいジャーナリスト。本人も魔女。
1946年4月16日、アーカンサス州リトル・ロックにて出生。彼女はあのアドラー(精神分析の権威)の孫である。 ニューヨークにて成長。無神論と不可知論が支配的な家庭に育つが、 少女時代にギリシャ・ローマ神話に親しみ、後のペイガニズムの素地を養う。カリフォルニア大学バークレー校卒業後、マスメディアの政治記者として活躍していて、環境保全運動に傾斜、続いて自然崇拝としての魔女宗に興味を持つようになり、1973年に正式にガードナー系魔女となる。
ジャーナリストとしての職業意識も手伝ってか、全米と英国の魔女関係者たちに片端からインタヴユーしてまわり、多様を極める魔女たちやペイガンたちの分類に挑戦、その成果を一冊の書物にまとめて評判を取った。
AE 本名George W[illiam] Russell (1867-1935)
☆詩人、随筆家、ジャーナリスト、社会思想家、画家、神秘主義者と、あらゆる顔を持つアイルランド文芸復興の中心人物の一人。
1867年、アイルランド北部アーマにて出生。幼少時より「ヴィジョン」を経験することが多かったという。1880年前後から神智学に興味を抱き始め、1885年には当時の学友イェイツとともに「ヘルメス協会」をダブリンに設立。後に神智学協会に加入している。 生来の幻視的体質にもかかわらず、AE は良質な判断力とバランス感覚の持ち主であり、神智学運動に於いても、文芸運動に於いても、メンバーのまとめ役兼相談役として、中心的存在となっている。後進を育てることにも長けており、このあたりが彼の名を後世に残すこととなった。 1905-23年は雑誌 The Irish Homestead の編集長として、1924年から6年間は Irish Statesman の編集長として 当時のあらゆる文化や政治状況に健筆をふるう。特に農政を専門をとした活動に従事する。
AEの神秘傾向は直観的なもので、眼前に浮かぶ「ヴィジョン」を詩と絵画に置換して異界の美を保存することを目的としていたが、肝心の詩も絵画も今一つの技巧と洗練に欠けていた。このため、芸術家としての評価は、同世代にイェイツがいたせいもあるが、はっきりいって低い。
阿格里帕·冯·内特斯海姆(Agrippa von Nettesheim)
1486年-1535年
文艺复兴时期德国的哲学家和卡巴拉学者。亨利·科尼利厄斯·阿格里帕·冯·内特斯海姆(Henry Cornelius Agrippa von Nettesheim)于1486年9月14日出生在德国科隆附近的一个贵族家庭。他毕业于科隆大学,作为军人侍奉过德国皇帝麦克西米利安一世。
1509年,阿格里帕在德雷大学执教执教时因涉嫌异端思想而失业。此后他带着外交密令周游了英格兰、意大利,在各地作为医生勉强糊口,常因说人坏话而被处以不敬罪,也曾因欠债未还而被投入监狱。他一贫如洗,直至1535年客死于格勒诺布尔。
阿格里帕作为魔术师留下了很多传说,像是召唤恶魔、使死者苏生等。他也研究了魔术与恶魔崇拜、妖术的区别,介绍了融合卡巴拉思想和赫密斯哲学的宇宙相互对应论,指出了心灵力量、即人类精神力的存在。1501年,他撰写了为后世所广泛欢迎的魔法论文《神秘学》,被认为是理论主导型的魔术先驱者。
艾尔伯图斯·麦格努斯(Albertus Magnus)
约1200年-1280年
因为姓氏Magnus在拉丁语中有“大”的含义,也被称为大阿尔伯特。他出生于劳因根,据说本来生性愚钝,但在某日看到圣母玛利亚的灵视后突然智力觉醒,因此加入了道明会,在担任拉提斯本主教之前出人头地,潜心于科学的研究,舍弃主教职位隐居于科罗尼。后来,在巴黎大学作为神学教授获得了教鞭,这个时候他教了托马斯·阿奎纳斯。此后,直到他去世为止,一直进行着各种各样的研究和著作。 阿尔贝鲁图斯实际上被很多传说纠缠着,这大概是当时的科学研究者的宿命吧。作为华丽的东西,有在瞬间内消灭野地一面的雪呼唤了春天等。 在现在的魔术界,Alberutousu的名字是主要研究宝石和药草的效能的时候出来的程度。在他留下的庞大的著作群中,将那种记述摘录整理成书籍于16世纪出版,这些书籍至今仍作为所谓的《大阿尔贝尔》、《小阿尔贝尔》被流传至今。
1280年逝世,被葬于科隆道明会圣安德烈斯教堂的地下墓室中。
☆ ドミニコ会の修道士、ラティスボンの司教。哲学者にして神学者。錬金術師、魔法使い。大神学者トマス・アクィナスの師匠。
愚鈍な少年であったそうだが宗教的傾向が強く、ある日、聖母マリアのヴィジョンを見てから突如として知的能力に目覚める。ドミニコ会に入り、ラティスボンの司教をつとめるまでに出世するが、科学的研究にのめりこみ、司教職を捨ててコローニュに隠遁する。後年、パリ大学で神学教授として教鞭を取り、この時にトマス・アクィナスを教えている。以後、没年まで様々な研究や著述をなす。
アルベルトゥスには実に多くの伝説がつきまとっているが、これは当時の科学研究者の宿命であろう。派手なものとしては、野原一面の雪を一瞬の内に消して春を呼んだなどというのがある。 現在の魔術界では、アルベルトゥスの名前は主に宝石や薬草の効能を研究する際に出て来る程度である。彼が残した厖大な著作群の中から、その種の記述を抜粋してまとめた書物が16世紀に出版されており、これらがいわゆる『大アルベール』、『小アルベール』として今でも読み継がれている。
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