飛鳥・奈良時代の日本庭園
中国大陸や朝鮮半島から高度な庭園文化が伝えられたとされています。
文献に残る最古の庭園は「日本書紀」(612年)に書かれており、路子工(みちこのたくみ)という百済(くだら)からの渡来人によって造られたとされます。路子工が島流しにされそうになったところ、庭園を作る能力があると訴え助命され、宮廷の南側に「呉橋」と「須弥山」を作ったそうです。
平安時代の日本庭園
平安時代には貴族の邸宅に、寝殿造庭園が生まれました。寝殿造とは、貴族が住んでいた屋敷のことで、建築物と共に造られた庭を寝殿造庭園と呼びます。
曲がりくねった川の縁に座り、流れてくる小舟が来るまでに歌を詠む「曲水の宴」という貴族の遊びが行われていました。
代表的な寝殿造庭園
神泉苑大覚寺 大沢池
平安時代の中期には、末法に入ると仏教が衰えるという「末法思想」が流行り、極楽浄土を庭に表現する「浄土式庭園」が作られるようになりました。
代表的な浄土式庭園
平城宮跡東院庭園平等院庭園毛越寺庭園
鎌倉時代の日本庭園
鎌倉時代になると、貴族・武士階級が住む邸宅は寝殿造りから書院造りへと変化し、浄土式庭園とは違う庭が求められるようになりました。
書院造りの発達により、「鑑賞式庭園」や「回遊式庭園」の様式が流行しはじめます。
中国大陸から禅宗が広がり、修行の場を兼ねた厳しい山岳の風景が好まれる傾向にありました。
蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)という中国からの渡来僧が、日本の庭に龍門瀑(りゅうもんばく)と呼ばれる滝の様式がもたらしました。
夢窓国師(むそうこくし)がこの龍門瀑を定着させ、西芳寺(苔寺)に枯山水を造りました。
代表的な庭園
永保寺西芳寺(苔寺)天龍寺恵林寺
室町時代の日本庭園
応仁の乱で京都が荒廃し、より狭い土地に低予算で造ることができる枯山水(かれさんすい)が脚光を浴びました。
枯山水(かれさんすい)とは、大海や渓谷、滝などの雄大な大自然の景観を一滴の水も用いないで表現する庭園様式です。枯山水には、「水」という要素がなく、砂や石によって水を表現しています。
書院造りの着座の位置から鑑賞する、鑑賞式の庭園が発展していきます。
代表的な庭園
金閣寺庭園大仙院庭園龍安寺庭園
安土桃山時代の日本庭園
戦国大名による権力象徴の「城郭庭園」が姿を表します。
また、千利休により、茶室に至るまでの道すがら心静かに入るための露地(茶庭)が確立されます。
代表的な庭園
三宝院庭園二条城二の丸庭園
江戸時代の日本庭園
広大な池泉庭園に、様々な作庭家が石組みや植栽を駆使し表現した大名庭園の全盛期です。
代表的な庭園
小石川後楽園浜離宮恩賜庭園
明治・昭和〜現代の日本庭園
西洋文明化とともに、西洋庭園のような公園が造られるようになりました。
代表的な庭園
無鄰菴庭園三渓園
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