竹岡啓
「食屍鬼の女王」ニトクリスはラヴクラフトの「アウトサイダー」や「ファラオと共に幽閉されて」で言及されており、クトゥルー神話世界の住民として有名であるが、史実の彼女は第6王朝末期のエジプトを統治したとされている。マネトーの『エジプト史』(1)やトリノ王名表にはニトクリスの名前が載っているが、彼女に関する考古学的な証拠は他にない。ニトクリスは実在しなかったという説もある。
ニトクリスは金髪の美女だったと伝えられている。エウセビオスによるマネトーの引用では彼女は「いかなる男性よりも雄々しく、いかなる女性よりも美しかった」と称賛されており、この記述が今日のニトクリス像の形成に大きく寄与することになった。また、ニトクリスがナイル川の水で兄弟の仇を溺死させてから自害したことがヘロドトスの『歴史』に書いてある。ヘロドトスは『歴史』第2巻第100節(岩波文庫の上巻220ページ)で次のように述べている。
祭司たちは一巻の巻物を開き、それによってミン以後の330人の王の名を次々に挙げた。このおびただしい数に上る世代にわたって、18人はエチオピア人で、ただ一人だけ生粋のエジプト人の女性がおり、他はすべてエジプト人の男子である。この王位にあった女性の名は、奇しくもかのバビロンの女王と同じくニトクリスといった。 祭司たちの話では、この女王は兄弟の仇討をしたという。彼女の兄弟はエジプトの王であったが、エジプト人は彼を殺し王位をニトクリスに委ねたのであった。ところが彼女はその兄弟の仇を討つために、多数のエジプト人を騙し討ちにして殺したというのである。彼女は巨大な地下室を造り、表向きはその落成式を祝うと称し、内心実は別のことを企んでいた。エジプト人の中でも兄弟の殺害に共謀してもっとも罪の重いことのわかっていたものたちを招き、多数の客を歓待したのであるが、宴たけなわのとき秘密に作られた大きな管から河の水を流し込んだという。この女王に関する祭司たちの話はこれだけであるが、このほかにひとつだけ付け加えたのは、女王は事をし終えると、報復を免れるために、自ら灰の詰まった部屋に身を投じたとのことだった。(松平千秋訳)
灰とあるのは、実際には熾火だろう。焼身自殺したのではなく、一酸化炭素中毒によって死んだものと考えられる。
ダンセイニはこの物語を基にして戯曲「女王の敵」を書いた(2)。この戯曲では女王の名は明らかにされておらず、謀殺される者たちは女王の兄弟の仇ではなく単なる政敵ということになっているが、宴の最中にナイル川の水を流し込んで溺死させるという粗筋はニトクリスの逸話そのものである。ラヴクラフトは1919年にボストンでダンセイニ卿の講演を聴いたが、その時ダンセイニは「女王の敵」を朗読したということである。
「女王の敵」はヘロドトスの『歴史』に記されているニトクリスの故事に基づいた戯曲だろうとラヴクラフトは1919年11月9日付のラインハート=クライナー宛書簡で指摘しているが、これは厳密には正しくなかった。1917年2月4日付のニューヨーク=タイムズに掲載されたダンセイニ卿の手紙(3)では、次のように「女王の敵」のことが語られている。
いままでに上演されたことがある中では、これはすべてのテーマを自分で考えなかった唯一の戯曲です。劇の舞台となる国や、その国の王や女王や慣わしは普段はみんな私が考えているのですよ。ですが「女王の敵」のテーマは、とある御婦人に負っています。それも、着想を得て詩や戯曲を執筆する夢想家の女性ではありません。彼女はそれを実行したのです。彼女には敵を溺れさせる動機があったので、彼らを晩餐に招いて溺死させました。私が彼女について知っていることは、それだけです。
Patches of Sunlight によると、エジプトに旅行したダンセイニはニトクリス号という船でナイル川を下り、その時に女王ニトクリスの逸話を聞いたそうだ。殺された兄弟の復讐という女王の動機が「女王の敵」で明示されていないのが不思議だったのだが、そもそもダンセイニは知らなかったのだろうとS.T.ヨシは述べている。NYタイムズに掲載されたダンセイニの手紙を読む限り、確かに彼は詳細な調査を敢えて避け、自らの空想に任せて自在に執筆したようだ。ラヴクラフトがクライナー宛の手紙で指摘したのとは裏腹に、ダンセイニとヘロドトスは直接つながってはいなかったということになる。
ダンセイニは自らのエジプト旅行から戯曲の着想を得たが、貧乏なラヴクラフトはエジプトまで行けなかったので本の知識で埋め合わせた。結果的にラヴクラフトのほうがニトクリスのことに詳しかったのだが、彼が1921年に執筆した「アウトサイダー」ではニトクリスは大ピラミッドの下で「無名の饗宴」を繰り広げるということになっている。さらに大奇術師ハリー=フーディーニのために代作された「ファラオとともに幽閉されて」では「食屍鬼の女王」という凶悪な称号がニトクリスに与えられることになった。ラヴクラフトがニトクリスを禍々しく描写したのは「女王の敵」を踏まえたものであり、ダンセイニに対する彼の表敬なのだろうと私は推測している。「女王の敵」の女王は政敵を一網打尽に溺死させた後で「今夜はよく眠れそうじゃ」と嘯いており、そのおっかなさは食屍鬼の女王と呼ぶにふさわしい。
「ファラオとともに幽閉されて」の初出はウィアードテイルズの1924年5・6・7月合併号だが、その4年後の1928年8月号にはテネシー=ウィリアムズの「ニトクリスの復讐」(4)が掲載された。これはヘロドトスの『歴史』を忠実に踏まえた短編で、登場するニトクリスは苛烈な性格ではあるが、禍々しさは感じられない。また兄弟の敵討ちという動機が明示されているので「女王の敵」よりも読者が女王に感情移入しやすくなっているが、もちろんウィリアムズの描くニトクリスのほうが本来の姿に近い。
大瀧啓裕による「ニトクリスの復讐」の邦訳では、ニトクリスが討ったのは兄の敵だったということになっている。だが原文では「兄弟」となっており、兄としたのは大瀧氏による独自の判断であるように思われる。「兄の敵を討った妹」と「弟の敵を討った姉」では印象がいくらか異なるような気がするが、実際にどちらだったのかは不明だ。
ブライアン=ラムレイも「ニトクリスの鏡」でニトクリスを扱っているが、今日のクトゥルー神話におけるニトクリスを知る上ではむしろTRPGが注目に値する。詳しいことは「あなたの戸口に」と「見えざる支配者」をお読みいただきたいが、クトゥルー神話TRPGにおけるニトクリスは世界中の暗黒教団を統合し、その総帥となっている。このようにニトクリスの邪悪さが強調されるのはラヴクラフトの作品が原因だが、きっかけを作ったのはダンセイニなのだろう。
クトゥルー神話TRPGでは『ヨグ=ソトースの影』のアン=シャトレーヌがニトクリスの盟友ということになっている。ルルイエを浮上させる計画が失敗してフランスに逃げ帰ったシャトレーヌに力を貸したのがニトクリスだった。当時のシャトレーヌは長年の計画が水泡に帰し、銀の黄昏は幹部をあらかた失って壊滅し、野望も誇りも潰えた状態だったはずである。どん底から再起したシャトレーヌも立派ではあるが、窮状にあった彼女を部下ではなく盟友として遇したニトクリスも器が大きいといえるだろう。
すっかり悪役が定着してしまったニトクリスだが、知恵と勇気と美貌を兼ね備えた完璧な女王である彼女は悪役であってこそ真に輝けるのかもしれない。逆説的ながら、一番ふさわしい立ち位置をダンセイニのおかげで得ることができたのかもしれないと思う。
註
現在では散逸してしまっているが、輯本がある。ウィリアム=ギラン=ワデルによる英訳版をインターネット=アーカイブで閲覧することも可能。 https://archive.org/details/manethowithengli00maneuoft
『ダンセイニ戯曲集』(沖積舎)に邦訳あり。原文はインターネット=アーカイブで公開されている。 http://archive.org/details/queensenemies00duns
NYタイムズの公式サイトで閲覧可能。 http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9D07E2DD1538EE32A25757C0A9649C946696D6CF
『悪魔の夢 天使の溜息』(青心社)などに邦訳あり。原文はウィキソースで公開されている。 https://en.wikisource.org/wiki/The_Vengeance_of_Nitocris
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