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イスラム神秘主義


スーフィー(イスラム神秘主義)のルーミーの詩でした(ルーミーは詩と言うと怒るのかもしれませんが)。誘蛾灯(ゆうがとう)に引き寄せられる蛾のイメージは蠱惑的(こわくてき)です。かつては蠟燭(ろうそく)の炎に引き寄せられたのでしょうし(なぜ蛾が炎に飛び込むかと言えば、彼らは炎に飛び込んでいるつもりはなく、強い光を目印にして飛ぶためと言われます。太陽のようなほぼ無限遠点の存在を目印にして飛ぶためです。遠いはずの太陽が目前にあるために螺旋を描いて結果的に飛び込みます)スーフィー(イスラム神秘主義)ルーミーの「疑問」からです。

(引用開始)

きみが神の友ならば、炎は水である。

何百枚という蛾の羽を欲したまえ、

それらを、一晩に一組ずつ、燃やしてしまえるように。

蛾は光に向い、炎の中へと飛び込む、きみも炎を目指して、光に向いたまえ。

炎は、神が世界を焼きつくすためにあり、

水は世界を守るためにある。

いつのまにか、それら二つは互いに相手の姿を与えられた。きみが

持つ目には。

水の姿を持つものは燃え、炎の姿を持つものの

内部は大いなる救いである。


ルーミー「疑問」

(引用終了)


ちょっと意味がわかりづらいので、こんな変化球はどうでしょう。まずは先日のスクールの教科書(?)でもあったサイコパス本(ケヴィン・ダットン著)からこんな引用を。


(引用開始)

わたしは蛾に話しかけていた

この前の夕方のことだ

彼は電球に押し入って

われとわが身を

焼き焦がそうとしていた

(引用終了)


という生き急ぐ蛾との対話の詩です。「わたし」はちなみに主人公です。主人公のゴキブリです。長々と引用しようと思ったのですが、長いので次回に回します(長い引用は読まれないという統計があるので。嘘です)。詩を要約するのは冒涜であることは重々承知で、ざっくりと紹介すると、光に飛び込む蛾との対話です。電球だからまだいいけど、なんでろうそくの炎に飛び込むの?と聞きます。分別はないの?バカなの?と。蛾いわく、分別はある、分別はあるが使うのが嫌になると答えます。炎は美しい、近づきすぎれば命はない、でも、だからどうした。一瞬幸せを感じて、美とともに燃え尽きる。そのほうがましだ、と。


以下は小説「リプレイ」からの孫引きです(「リプレイ」という小説も輪廻転生を体感するためのガイドブックとして何度か紹介しました。輪廻転生自体は荒唐無稽でも、そのアイデアと感触は非常に使えます。なぜなら我々は毎秒毎秒輪廻転生している存在だからです。自我の永続性は記憶という情報の中にしかないフィクションです。


(引用開始)

集められた魂は目覚める

霊(アートマン)の知識の中に

それは無知の者には暗夜である。

無知の者は自らの感覚的な生命の中に目覚める

それを彼らは日光だと思う。

だが見者にとってそれは暗黒である。

(引用終了)


無駄に理解しようとせず、二項対立をサクサクと取りましょう。第一に、ここで明解なのは、無知の者に暗夜であるものは、聖者にとっては光であり、逆に無知の者に日光だと思うものは、聖者にとって暗黒であるという二項対立です。聖者は知識の中に目覚め、無知の者は自らの感覚的な生命の中に目覚めます。知識と感覚がここでは対置されています。


(引用開始)

万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である。(2章69節 p.42 「バガヴァット・ギーター」上村勝彦訳 岩波文庫)

(引用終了)


岩波訳は簡潔すぎて、意味がわかりづらいのですが、ここでも単純な二項対立を取ればOKです。1つ目で言えば、「無知の者 vs 見者」であり、岩波版で言えば「自己を制する聖者 vs その他」です。我々は当然ながら「自己を制する聖者」を目指し、見者を目指します。


岩波の解説を見るとこの章句は「愚者は器官により感官の対象を追求するが、聖者は器官を対象から収めて真理を追求する。このように愚者の活動と聖者の活動は正反対であるということを暗示している」(p.152 上村)とされています。愚者の活動と聖者のそれは正反対であり、器官により感官の対象を追求する愚者と、すべて感官をその対象から収めた聖者に別れるということです。


その前の章句が


それ故、勇者よ、すべて感官をその対象から収めた時、その人の知恵は確立する。(2章68節)


とあります。


逆に感官に従うならば、


実に動きまわる感官に従う意(こころ)は、人の智慧を奪う。風が水上の船を奪うように(2章67節)



ざっくり言ってしまえば瞑想せよってことです。そもそもこのクリシュナの回答はアルジュナの三昧についてを受けています。



二項対立を前提として、その二項対立はいつでも入れ替われるような対称性を兼ね備えていると考えると、ルーミーも少し理解できるかもしれません。


再掲します。


(引用開始)

きみが神の友ならば、炎は水である。

何百枚という蛾の羽を欲したまえ、

それらを、一晩に一組ずつ、燃やしてしまえるように。

蛾は光に向い、炎の中へと飛び込む、きみも炎を目指して、光に向いたまえ。

炎は、神が世界を焼きつくすためにあり、

水は世界を守るためにある。

いつのまにか、それら二つは互いに相手の姿を与えられた。きみが

持つ目には。

水の姿を持つものは燃え、炎の姿を持つものの

内部は大いなる救いである。


ルーミー「疑問」

(引用終了)


「蛾は光に向い、炎の中へと飛び込む、きみも炎を目指して、光に向いたまえ。」がポイントかと思いますが、長くなったのでここで終わります。余白が小さすぎるので。


ちなみに余談ながら、原爆の父であるオッペンハイマーがトリニティ実験で引いた「我は死なり、世界の破壊者なり」は岩波ではこのように書かれています。


(引用開始)

私は世界を滅亡させる巨大なるカーラ(時間)である。諸世界を回収する(帰滅させる)ために、ここに活動を開始した。(11章32節 バガヴァット・ギーター 岩波文庫p.98)

(引用終了)

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