平将門の愛妾とされる伝説上の女性。桔梗の前の伝承は将門の鉄身伝説や七人将門の伝説との関連が深く、伝承は多く関東から東北地方まで広く分布する。 伝承地により内容が異なるが、『将門の寵姫のなかでもとりわけ寵愛が深かったが、俵藤太秀郷に内通して将門の秘密を伝えた故に将門は討たれ、自身も悲劇的な最期を遂げる』というのが大筋である。
伝説
桔梗の前は都の白拍子であったが上洛していた将門に見初められ、秀郷の謀で将門の妾となった。しかし将門の情にほだされ、秀郷に背いたため秀郷によって討たれた(茨城県取手市・竜禅寺伝)[3]。
将門の悲報に接した桔梗の前は朝日御殿の前にある沼に入水自殺をした。その後にその地は水田となるが祟りがある故に村で共同管理された(茨城県取手市)[4]。
桔梗の前の出生地とされ、将門死後に祟りを成したので鎮魂の為に胴体の宮を建立した(群馬県太田市只上町・只上神社伝)[5]。
将門が城峯山にこもり秀郷と戦ったとき、桔梗の前が敵に内通をしたので将門が怨み『桔梗絶えよ』と呪って死んだ(埼玉県秩父市城峯山)[6]。
乱を避けた桔梗の前が将門の敗死を知り自死した(千葉県市原市)[7]。
桔梗の前は秀郷の姉で弟の為に将門の下女となっていたが、将門滅亡の後にこの地に留まり、のちに入水自殺をし、その霊魂は鮫となって祟った。(千葉県船橋市)[7]。
桔梗の前の出自については、将門の娘(福島県伊達市桑折町)、秀郷の妹が間者になった(千葉県市川市)、将門の母(千葉県東金市)など異なる伝承も多く、また終焉についても、半田沼に身を投げて池の主の大蛇になった(福島県伊達郡桑折町)などがある[8]。
桔梗忌避
桔梗の前伝説の伝承地では咲かず桔梗の伝承をともなうものが多く、桔梗を植えない、あるいは桔梗の紋や文様を避ける風習を伝える地も多い[9]。
将門の寵姫悲話が桔梗と結びつく理由について、栃木県矢板市や静岡県の安部川付近では将門とかかわりのない桔梗伝説が伝わっている事から、古来より桔梗の花自体に何か悲劇を感じさせるものがあったためとする説がある。また『北相馬郡志』は茨城県取手市の伝承として桔梗が咲かないとあるのは、その地が薬用の桔梗の産地であったためとしている[10]。
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