top of page

暦・干支

日本导入太阳历(公历)是在135年前左右。在以前,则是使用太阴太阳历(阴历)。

从稻荷山古坟与江田船山古坟出土的铁剑和大刀来看,可以看见残留着元嘉历的干支纪年与二十四节气字样。而这两座古坟,则是5世纪末雄略天皇(「獲加多支鹵大王」)治世年间产物。所以说,日本使用旧历至少已经长达了1400年。了解历法的变迁,对于了解神话传说有着极为重要的意义。

最早,历法通过朝鲜半岛、从中国传到了日本。据传,大和朝廷曾特地邀请僧人讲授历法与天文地理知识,在飞鸟时代的推古12年(604年)、由朝廷制定了日本最初的历发。在大化改新(645年)的律令制中规定,制作历法、天文、占卜的职能归属于中务省阴阳寮。故而,历法与占卜有着难以分割的关系。从平安时代开始,历法由贺茂氏继承,天文则由以安倍清明(921-1005)为祖先的安倍氏作为家传继承下来。 元嘉暦 (げんかれき)

中国南宋天文学家阿承天在元嘉年间编纂的历法。从445年使用到了到509年。传到百济后,一直使用到,661年。《日本书纪》的历法从五世纪中期开始与元嘉历的计算相符,持统四年(690年)十一月十一日记载中首次出现「初次使用元嘉历和仪凤历」的记载,此后一直使用到文武元年(697年)。采取“置閏法”,也就是 8年3次闰年、19年7次闰年的一九年闰法,二十四节气以正月的“雨水”为起点,用平朔的方法进行计算。


儀鳳暦(ぎほうれき)  由中国唐朝天文学家李淳风编撰,665年至728年间使用的历法。唐朝称之为“麟德历”。日本流传的时间恰逢唐朝仪凤年间,故而叫仪凤历。690年(持统四年)被命令与元嘉历并用,698年以后单独使用到763年(天平宝字七年)。用定朔的历法决定了朔望月和太阳年的长度。是最初在天文定数中使用共同分母的历法。

太陰太陽暦(たいいんたいようれき)   太阴历又被称为阴历,是被称呼为「阴历」,是以月亮盈缺周期与绕地球周期为标准测定的历法。它的一年有12个朔望月,分为大月30日、小月29日。和中国的农历其实有些许的差别,农历是在阴历基础上考虑太阳的公转,引入闰月的概念的历法。太阴太阳历自古由朝廷推行、在江户时代由幕府监督施行、并在明治时代被改为阳历(公历)之前一直持续使用着。

暦の普及 - 具注暦と仮名暦 (国立国会図書館)  陰陽寮が定める暦は「具注暦(ぐちゅうれき)」と呼ばれ、季節や年中行事、また毎日の吉凶などを示すさまざまな言葉が、すべて漢字で記入されていました。これらの記入事項は「暦注(れきちゅう)」と呼ばれています。また、「具注暦」は、「注」が具(つぶさ=詳細)に記入されているのでこの名があります。「具注暦」は、奈良時代から江戸時代まで使われましたが、特に平安時代の貴族は毎日暦に従って行動し、その余白に自分の日記 を記すことが多く、古代から中世にかけての歴史学の重要な史料となっています。かな文字の普及によって、「具注暦」を簡略化し、かな文字で書いた「仮名暦(かなごよみ)」が登場します。鎌倉時代末期からは手書きでなく印刷された暦も現れ、暦はより広く普及していきます。

 石神遺跡から出土したこの円盤状の木簡は、具注暦と呼ばれたカレンダーの一部です。干支の下には「建、除、満、平、定、執、破、危、成、収、開、閉」の順にめぐる「十二直」が規則正しく並びます。の下には、「九坎」(万事に凶)、「帰忌」(この日の帰宅は凶)、「血忌」(この日の出血は凶)、「天倉」(倉開きに吉)など、その日の吉凶が記されています。「上玄(弦)」(上弦の月)、「望」(満月)といった、月の満ち欠けも書かれています。以上のような情報を読み解くことによって、表面が持統3年(689)3月8日~ 14 日、裏面が同年4月13 日~ 19 日の暦であることがわかりました。日本最古の現存するカレンダーです。「元嘉暦」という、中国から百済を経由して日本に伝えられた最初の暦です。周囲が丸く削られているのは、廃棄後に木器として転用されたからです。もともとは、表面に3月、裏面に4月、それぞれ1ヵ月分の暦日を記した長方形の板であったと推定されます(復元図参照)。具注暦は天皇の名のもと政府が作る正式の暦で、官司や諸国にはその写しが頒布されました。本来は紙に書かれた巻物ですが、同時に多数の役人たちがみられるよう、板材に書き写すという工夫をしたのでしょう。  (飛鳥藤原宮跡発掘調査部 市 大樹)

易と暦 易とは、約五千年前の古代中国で、帝王伏犠(ふつき)が、天地自然の万象を見て創ったものといわれています。周易は文王・周公をへて、漢の武帝の時代に完成され、後漢では、五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)の中で易経は筆頭にあげられています。易経の中には、処世上の指針となる言葉が多いが、易は、その天の時を六十四卦という象(形相)で表し、その形相から現在の状態、将来の見込みを予知できるのが易です。 (相模国一之宮 寒川神社 HP)

国立国会図書館 蔵書検索案内 HP  国立国会図書館の蔵書目録(OPAC)で暦に関する資料を検索出来ます。

参考文献 (国立国会図書館)  「日本の暦」作成にあたり使用した主な参考文献を紹介しています。

リンク集 (国立国会図書館)  暦に関連する国内、国外のホームページを紹介しています。

۞ 天文

飛鳥時代から江戸時代以前の天文記録 (美星町 星のデータベース)  日本書紀によれば,620年に赤気(オーロラ)の記録,628年に日食の記録があり,この頃から天文現象に注意を払い始めたようである.天文現象が国の盛衰や吉凶と関係があるという考えから記録されたのであろう.以下に最古の天文現象の記録を中心に天文現象の記録を紹介する.なお,じょ明天皇の頃から天文現象の記録が多くなるが,これは第2回遣隋使の留学生である僧日文の帰国の影響であろう.

・常設展示 第七回・『すばる』 (1993/11/13~1994/1/10)

 ・常設展示 第十二回・『暦(1)具注暦と仮名暦』 (1995/3/9~1995/7/18)

 ・常設展示 第七回・『すばる』 (1993/11/13~1994/1/10)

 ・常設展示 第九回・『彗星(1)』 (1994/4/10~1994/8/2)

 ・常設展示 第十回・『彗星(2)』 (1994/8/2~1994/11/1)

・常設展示 第三十二回・中国の星座‐歩天歌を中心に‐ (2005/3/28~)

۞ 干支

◆「干支は十干(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)と十二支(子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥)の組み合わせによって構成される中国最古の暦表である。干支表は武丁期の頃と考えられる甲骨文字版に既に見られることから、おそらくその起源は更に古いものと推測される。干支表を構成する十干と十二支の起源については研究者が諸説を主張しており、未だに定説はない。しかし、商人が卜旬の中で十日を一旬としていたり、十進法を使用していたことなどから、十干はおそらくこの「十」という単位を重視した習俗に起因しているのではないかと考えられる。十二支については十干の「十」という数からその起源を推測するのと同じく「十二」という数に意味があるのではないかと思われる。「十二」という数はちょうど一年の月の数であり、卜辞には一月から十二月までの月数が見られ、また閏月としては十三月を使用しているので、この十二ヶ月の周期を本としているのではないかと推測したい」

(井上聡 古代中国陰陽五行の研究 p.52 翰林書房 1996年)

暦の中のことば (国立国会図書館)  暦には通常、月、日、曜日、休日などが書かれています。しかし、そのほかにも昔の暦から受け継がれてきたことばが見られます。ここでは、日めくりカレンダーに記されたことばについて、その成り立ちを紹介しています。

干支 (国立国会図書館)  暦注の多くは陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)という古代中国の思想や易から発生し、月日に当てられるようになったもので、その大きな柱となるものが干支です。  干支(えと)は、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせです。  十干はもともと、甲、乙、丙、丁…と、日を順に10日のまとまりで数えるための呼び名(符号)でした。10日ごとに、「一旬(いちじゅん)」と呼び、3つの旬(上旬、中旬、下旬)で一ヶ月になるため、広く使われていました。  古代中国では、万物はすべて「陰」と「陽」の2つの要素に分けられるとする「陰陽説(いんようせつ)」と、すべて「木」、「火」、「土」、「金」、「水」の5つの要素からなるとする「五行説(ごぎょうせつ)」という思想がありました。これらを組み合わせて「陰陽五行説」と言い、やがて陰陽五行説を「十干」に当てはめるようになりました。また、日本では、この「陰」と「陽」を「兄(え)」と「弟(と)」に見たて、「兄弟(えと)」と呼ぶようになりました。  一方、十二支は、もともと12ヶ月の順を表わす呼び名でしたが、やがてこれらに12種の動物を当てはめるようになったものです。

六十干支 (国立国会図書館)  干支の組み合わせ(十干と十二支の組み合わせ)は60通りあり、六十干支と呼びます。これが一巡すると還暦となります。例えば、「甲」と「子」を組み合わせた「甲子」は、「こうし」、「かっし」または「きのえね」と読みます。

方位 (国立国会図書館)  干支は、年、月、日、時間、方位などを示すためにも使われ、それらの吉凶を表わすようにもなりました。 例えば、方位は北から東回り(時計回り)に子、丑、寅…と十二等分します。すると北東、東南、南西、西北が表現できないため、中国では易の八卦(はっけ)に基づいた坎、艮、震、巽、離、坤、兌、乾を用いて表現していました。日本では、北東(艮)は十二方位の丑と寅の中間なので丑寅(うしとら)、同じように、東南(巽)は辰巳(たつみ)、南西(坤)は未申(ひつじさる)、西北(乾)は戌亥(いぬい)とも呼んでいました。

方位神 (国立国会図書館)  陰陽家は方位神(ほういじん)と呼ばれる方位の吉凶を司る神を祭り、例えば、今年はこの方向に嫁にいってはいけないなどと、暦上に記していました。方位神は現在でも一部の暦や占いなどで使用されています。

六曜 (国立国会図書館)  六曜(ろくよう)は14世紀ごろに中国から日本に伝えられましたが、広く行われるようになったのは幕末以降のことです。時代とともにその名称や順序も変遷していて、現在は、先勝(せんしょう、せんかち、さきかち)、友引ともびき、ゆういん)、先負(せんぷ、せんぶ、せんまけ、さきまけ)、仏滅ぶつめつ)、大安たいあん、だいあん)、赤口しゃっく、じゃっく、しゃっこう、じゃっこう、せきぐち)となっています(下線は現在多く用いられる読み)。例えば、1月、7月(旧暦)の1日(朔日)に先勝を当て、以後順に配当していきます。意味の解釈は様々で、どれが正しいという基準はありません。

選日 (国立国会図書館)  六曜が広まる前の暦にも、六曜と同じように日々の吉凶を示す選日(せんじつ)と呼ばれるものが書かれており、その多くは干支の組み合わせによって日々の吉凶を判断しています。  たとえば、「暦の中段」あるいは「十二直(じゅうにちょく)」と呼ばれるものや、「暦の下段」に記載されていた選日もあります。その他にも一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)、三隣亡(さんりんぼう)なども選日の一種です。これらの多くは現在ではあまり使われなくなっています。

中段 (国立国会図書館)  「暦の中段(ちゅうだん)」は、暦上に記載される位置から名づけられました。十二直(じゅうにちょく)とも呼ばれ、十二直の「直」は「当たる」という意味があり、よく当たる暦注と信じられていたと考えられます。(たつ)、(のぞく)、(みつ)、(たいら)、(さだん)、(とる)、(やぶる)、(あやぶ)、(なる)、(おさん)、(ひらく)、(とづ)の12種類があります。  古くから中国では、一定の位置にあって動かない北極星を中心に1日1回転する北斗七星に興味を示していました。そして、北斗七星のひしゃくの部分(斗柄、剣先星)が夕方どの方角を向いているかをその方位の十二支に当てはめて各月の名を決め、暦に記しました。これを月建(げっけん)といいます。冬至(旧暦11月)には、斗柄が真北(十二支の子の方角)を指す(建(おざ)す)ため、建子の月と名づけ、同じように、十二月は丑、正月は寅…という要領で各月を名づけました。  そして、その節月と同じ十二支を持つ最初の日を建とし、以後順に、除、満…と配していきます。例えば1月の月建は寅なので、1月節(立春)後の最初の寅の日が建となり、次の卯の日には除、辰の日には満…と順に配当します。原則として十二直は12のサイクルですが、毎月の節入りの日のみ、その前日と同じ十二直を配しています。  十二直の意味の解釈は時代によって少しづつ異なっています。現在ではほとんど使われることはなくなりましたが、建築や引越しの吉凶を見るために使われることもあります。

下段 (国立国会図書館)  暦の下段に書かれた吉凶を「暦の下段(げだん)」と呼びます。 天恩日(てんおんにち)、母倉日(ぼそうにち)、月徳日(げつとくにち)、天赦日(てんしゃにち)、大明日(だいみょうにち)、重日(じゅうにち、ちゅうにち)、復日(ふくにち、ふくび)、帰忌日(きこにち、きいみび)、血忌日(けこにち、ちこにち、ちいみび)、往亡日(おうもうにち)、五墓日(ごむにち)、凶会日(くえにち)、黒日(くろび)、大禍日(たいかにち)、狼籍日(ろうじゃくにち)、滅門日(めつもんにち)

その他の選日 (国立国会図書館) 八専(はっせん)、十方暮(じっぽうくれ)、三隣亡(さんりんぼう) 、天一天上(てんいちてんじょう)、一粒万倍日(いちりゅうまんばいにち)、不成就日(ふじょうじゅび)、大犯土・小犯土(おおづち・こづち)、三伏(さんぷく)、庚申(こうしん、かのえさる)、甲子(かっし、こうし、かし、きのえね)

二十四節気(にじゅうしせっき) (国立国会図書館)  二十四節気(にじゅうしせっき)は、今でも立春、春分、夏至など、季節を表す言葉として用いられています。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもので、「節(せつ)または節気(せっき)」と「気(中(ちゅう)または中気(ちゅうき)とも呼ばれる)」が交互にあります。太陰太陽暦(旧暦)の閏月を設ける基準となっており、中気のない月を閏月としていました。二十四節気は、その年によって1日程度前後することがあります。 立春(りっしゅん)、雨水(うすい)、啓蟄(けいちつ)、春分(しゅんぶん)、清明(せいめい)、穀雨(こくう) 立夏(りっか)、小満(しょうまん)、芒種(ぼうしゅ)、夏至(げし)、小暑(しょうしょ)、大暑(たいしょ) 秋 立秋(りっしゅう)、処暑(しょしょ)、白露(はくろ)、秋分(しゅうぶん)、寒露(かんろ)、霜降(そうこう) 立冬(りっとう)、小雪(しょうせつ)、大雪(たいせつ)、冬至(とうじ)、小寒(しょうかん)、大寒(だいかん)

雑節(ざっせつ) (国立国会図書館) 社日(しゃにち)、節分(せつぶん)、彼岸(ひがん)、土用(どよう)、八十八夜(はちじゅうはちや)、入梅(にゅうばい)、半夏生(はんげしょう)、二百十日(にひゃくとおか)、二百ニ十日(にひゃくはつか)

和風月名(わふうげつめい) (国立国会図書館)

在阴历中,人们使用被称为“和风月名”的月亮的日式名称。和风月名是配合旧历的季节和仪式而产生的,在现在的日历中也会使用,但是和现在的季节感也有1~2个月的偏差。 关于日式月名的由来众说纷纭,我来介绍一下具有代表性的月名。

睦月(むつき)1月、如月(きらぎ)2月、弥生(やい)3月、卯月(うづき)4月、皐月(さつき)5月、水无月(みなづき、みなつき)6月、文月(ふみづき、ふづき)7月、叶月(はづき、はつき)8月、长月(つき、なづき)9月、神无月10月,霜月(下月)11月,腊月(しわす)

 旧暦では、和風月名(わふうげつめい)と呼ばれる月の和風の呼び名を使用していました。和風月名は旧暦の季節や行事に合わせたもので、現在の暦でも使用されることがありますが、現在の季節感とは1~2ヶ月ほどのずれがあります。 和風月名の由来については諸説ありますが、代表的なものをご紹介します。 睦月(むつき)1月、如月(きさらぎ)2月、弥生(やよい)3月、卯月(うづき)4月、皐月(さつき)5月、水無月(みなづき、みなつき)6月、文月(ふみづき、ふづき)7月、葉月(はづき、はつき)8月、長月(ながつき、ながづき)9月、神無月(かんなづき)10月、霜月(しもつき)11月、師走(しわす)

Comments


bottom of page