泡をふく蜂の巣
膜翅目 アシナガバチ亜科
生息地 備後国三次(現在の広島県三次市)
出典 稲生物怪録絵巻参考文献谷川健一編「稲生物怪録絵巻」小学館
『稲生物怪録』第二十三日目の怪。 夜、突然天井に巨大な蜂の巣が掛かったと思うや、巣から赤や黄色の泡が吹き出すという怪。描かれた蜂の巣は、どうやらアシナガバチ類のもののようである。
イグニス・ニグランス(Igneus Nigrans:黒い炎)
生息地グアテマラ奥地
出典ポール・アンダースン監督「ブラックファイア」
グアテマラの古い種族が、聖なる墓所の番人として飼っていた凶暴なスズメバチ。ポール・アンダースン監督「ブラックファイア」に登場。群れをなし空を覆う様、また指されたときの激痛から「黒い炎」と呼ばれ、17世紀のコロナードという名の筆記者によってラテン語で「イグニス・ニグランス」と記載された。劇中では「イグナス・ネラス」と発音されているが、原義を考えればこちらが良かろう(あるいはニゲルNiger「黒い」)。
劇中はっきりと触れられてはいないが、どうやらこの猛毒のスズメバチは、人間の体腔内に巣を作る習性があるようだ。犠牲者の腹部を破って大群が飛び出す描写があり、奇妙な古巣を調べた主人公が内部に骨のような構造があるといっていることから推測される。この設定をうまく生かすことができればこの作品も面白いものになったであろう。
蟻祖明神(ありどおしみょうじん)
中国の広東は潮州に大馬蟻山という山がある。ここには蟻祖廟があり、蟻の神が奉ってあるという。清の呉震方「嶺南雑記」によれば、この廟には、方々の蟻塚から蟻たちが来朝してくるという。蟻の特性に付いて語る場合の常套であるが、その社会的生活形態を人間に見たてて、あるいは神に参拝する蟻を想定したのかもしれない。人間がなんらかのご利益を願って参るのではなく、蟻が来朝してくるというのがいかにも面白く、奇怪である。
大阪府泉佐野市長滝に蟻通明神という一風変わった名の社がある。祭神は大名持命。『延喜式』の神名帳にまでは遡らない社でであるが、蟻通に関する説話によって江戸時代には栄えたという。
この蟻通に関する説話には、二つのタイプが存在している。一つ目の、より古い説話は、『貫之集』に見えるもので、貫之が紀伊の国からの帰りに、愛馬が病に倒れる。付近の住人にそのあたりに祭られぬ神があり、時々害をなすという事を聞いた貫之は、歌を詠じ、これを祭ったという。この神が蟻通の神という。
またもう一方が『枕草子』に伝えられる説話で、有名である。老人は不用との考えから40才以上のものを捨てるように法を強いた帝の時代、唐の皇帝が日本を攻めようとして3つの難題を発した。これを屋敷の地下に親をかくまっていた孝行の中将が、その親の助言をもとに次々と解決し、唐の皇帝に進行を断念させるという説話で、その難題の一つに幾重にも曲がりくねった玉の穴に糸を通すというものがある。中将の年老いた両親は、長年の知恵を駆使して、腰に糸を巻きつけた蟻を蜜でおびき寄せて糸を通させるように助言したのである。この中将(その両親ともいう)は、死して後蟻通明神になった、と先の蟻通明神の縁起物語へと援用される。
この二つの説話は別個のものであるが(『枕草子』では両方が紹介されている)、特に後者はチベットの各地に残る難題説話やインドの仏典などに大元を求められ、中国にも孔子が二人の女にこのこと(蜜ではなく脂とされている)を教えられ、たとえ孔子でも知らないことがあるということを示す説話として残された比較的好まれた論題であるようだ(『祖庭事苑』によるが、年代的には『枕草子』の方が古い)。前の貫之による説話も、一時は流行したようで、田楽などにもされたようである。
《南越笔记》
粵土多蟻。《廣志》謂有飛蟻、木蟻,黑黃大小數種,善齧物。《嶺南雜記》云,新構房屋,不數月為其蝕壞傾圯者有之。《粵志》:潮人土人以蟻害稼,有蟻祖廟在大馬蟻山。歲五月,郡蟻來朝。有詠者云:「馬蟻山頭馬蟻朝,年年五月趁江潮。」蟻祖,主蟻之神。猶《周禮》翨氏、蟈氏之命其官也。《嶺表錄異》云:廣州多蟻,其窠如薄絮,囊連枝帶葉,彼人以布袋貯之,賣與養柑者以辟蠹。《雞肋編》謂之養柑蟻。
酒呑み雀蜂(さけのみすずめばち)
参考文献「グラフィックカラー 日本の民話9 近畿I 京都・滋賀」研秀出版 京都は丹波、山城地方の昔話に登場する蜂。蜂の報恩譚であるこの昔話は、こうである
昔、京の都に大層裕福な商人がいた。さまざまな物品を遠くの国まで持っていっては売り歩いていたが、それはもう大変な売れ行きで、中でも加茂の水を使った最高級の酒は人気商品であった。
ある時、その商人の蔵に、熊ん蜂(スズメバチの方言名)が巣を作った。しかも妙なことに、蔵にしまってある酒樽からうまそうに酒をなめる。商人は驚いたが、「なあに、蜂がなめる程度、かまうこともない。好きなだけ飲ませてやろう」と黙っておいた。
さて、商人がいつものように自慢の酒を馬やら牛車やらに積んで商いに出かけたところ、とある険しい峠道で、運悪く山賊の一団に行き会ってしまう。
相手は山賊、命あってのもの種と、商人と伴の者は慌てて石の陰に隠れた。置き去りの荷物は山賊たちが大喜びで、残らずどこかへ持ち去ってしまう。
商人は悔しさのあまり地団太を踏んだが、見ると、その袖口に一匹の熊ん蜂が止まっているではないか。「ああ、おまえ、いつも酒を呑ませてやっているじゃあないか。あの山賊どもをその毒の槍で痛めつけてくれやしないか。酒ならこれからもずうっと呑ませてやるから」
思わず口をついて出た独り言だったが、熊ん蜂は、ついと商人の袖口から飛び立って、山賊たちが行った方とは反対のほうに飛び去ってしまった。
暫くすると、散り散りになった供の者も全員無事に戻り、商人はとぼとぼとさびしい帰路についていたが、突如ブーンとものすごい唸りと共に、真っ黒い蜂の大群が都のほうから峠の向こうへ飛んでいくではないか。
「こりゃあ、あの熊ん蜂じゃあないだろうか。もしや都から一族郎党連れて、私の願いを聞いてくれるんじゃ」商人はそう思い立って、もといた峠道を引き返してみた。
熊ん蜂の行った方には、なにやら山賊の隠れ家らしきあばら家があり、はたしてその中では山賊と熊ん蜂の大乱闘が始まっているではないか。山賊たちのいくら腕が立とうが、相手は小さな熊ん蜂。刀をヒラリヒラリとかわしては、お尻の槍でぶすりとやるものだから、山賊たちは段々に数が減って、ついに最後の一人までもが倒された。
商人は手をたたいて喜んで、「さあ、おまえたち、先に戻って蔵の酒を好きなだけ飲むといい」と蜂たちに言うと、山賊に奪われた荷物をそっくりそのまま取り返して、意気揚々と都に戻っていったということだ。
基本的には普通のオオスズメバチであるが、酒を呑む点、酒売りの商人の恩に報いる点で、妖蟲的である。このような説話は報恩譚といい、昔話には動物の報恩を題材にした話が非常に多い。これはその中でも珍しい蟲の報恩の話である。
ミュルミドン(Myrmidon)
参考文献中村善也訳「変身物語(上)」岩波文庫
蟻男。出典は古く古代ローマの詩人オウィディウスの「変身物語」である。
ミュルミドンとは、アイギナというユピテル(ゼウス)の愛した女の名前の付いた国が、正体不明の疫病(嫉妬に狂ったユノー(ヘラ)の仕業と説明されている)で全滅に瀕したとき、その王アイアコスが父なるユピテルに祈り、得ることができた新しい民のことである。ミュルミドンがアイギナの民になるいきさつはおおむね次の通りである。
疫病に民を失い嘆き悲しむアイアコス王は、ユピテルに捧げられた立派な樫の木にたくさんの蟻が行列を作っているのを見て、それと同じ数の民を与えてほしいと願った。すると、夢の中に同じ樫の木と蟻の行列が現われ、しかも蟻は見る見るうちに大きくなって、やがてまったくの人間に姿を変える。夢から覚めたアイアコスはかえってやるせない気持ちになるのだが、夢に出てきた男たちが実際に王の元に訪れることでその苦悩は晴れる。
アイアコス王の命名であるミュルミドンは全員、姿形がそっくりなことを除けば人間そのもので、「勤倹を旨とし、労苦に堪え、貯えることに熱心で、その貯えたものを維持しようとする者たち」(中村善也訳「変身物語(上)」岩波文庫)である。原典では、けして蟻の姿をしているわけではないのである。
この話は、蟻を勤勉な存在とし、人の範たるとした典型的な話であり、イソップのそれはこの話を継承したものである。
ムリアン(Murian)
参考文献キャサリン・ブリッグス「妖精Who's Who」ちくま文庫
井村君江「妖精学入門」講談社現代新書
水木しげる「カラー版 妖精画談」岩波新書
天使の羽根といえば白い鳥、悪魔の羽根といえば黒い鳥かコウモリとイメージが固定化しているように、妖精といえば蝶や蛾といったムシの羽根がイメージされる。有名なシシリー・メアリー・バーカーの妖精もムシの羽根をつけている。おそらくは小さく可憐ということに着想しているのだろうが、ここにちょっと変わった妖精がいる。
ムリアンはイギリスのコーンウォール語で「蟻」を意味する。コーンウォールの人々が信じていた妖精は、変身する回数に制限があったらしく、能力を使うたびに小さくなっていくようだ。もっとも小さくなった状態の妖精が蟻で、それ以上変身しようとすると消えてしまう、そんな行きつく先がムリアンなのである。だから、コーンウォールの人々は、けして蟻を殺そうとはせず、蟻を殺すことは不吉なことだと考えていたようだ。
蟻というムシは、人間にされたり、労働者にされたり、果ては数字の3にまでされて(フランスの詩人ルナールの詩)実に忙しい。まさに何でもアリである。
ミュルメコレオ(Myllmecleon)
出典「聖書(ヨブ記)」ギリシア語版
参考文献荒俣宏「怪物の友-モンスター博物館」集英社
別名アントライオン。つまり「蟻ライオン」という意味である。「ミュルメコレオ」という名称も、正確には「ミュルメコ・レオン」(蟻ライオン)と発音する。上半身がライオンで、下半身は蟻という奇妙な姿をした幻獣・妖蟲である。
出典はギリシア語版の「ヨブ記」(第四章十一)である。ライオンの上半身は己の本能に従って肉を食べ続けるが、蟻の下半身がそれを受け付けず消化しない。食べ続けても痩せる一方で、飢えを満たせないミュルメコレオはどんどん狂暴になり、やがて餓死するという。どうやらこの組み合わせが完成した当時、蟻は草食だと思われていたようで、だからこそミュルメコレオは長生きすることができない。
キリスト教学者は、この生物を「欲望に動かされて身を滅ぼす悪徳」のシンボルと考えていたと、荒俣宏は述べている。いかにもキリスト教学者の好きそうな解釈であるが、もともとギリシア語版にのみしか見られないこの生物は誤訳が創造したものであろう。ちなみにヘブライ語の原典では「獲物を得ずして滅びるライオン」とされ、和訳においても「雄じしは獲物を得ずに滅び、雌じしの子は散らされる」となっている。
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常世蟲(とこよのむし)
「日本書紀」の皇極天皇三年の件にみえる、それを崇めると富と長寿を得ることができるという虫神。東国不尽川(ふじがわ)のほとりの大生部多(おおうべのおお)という者が祭り、村人はこぞってこれに従ったという。信徒たちは財をなげうって、歌い踊った。結局この新興宗教は、秦河勝(はたのかわかつ)によって征伐される。
当の虫神は、常に橘の木に生じ、長さは四寸(約12cm)、体色は緑で黒い斑点があるという。蚕に似ているというが、色々と論じられているように、アゲハチョウの一種であることは間違いなさそうである(例えば候補には、ナミアゲハ、クロアゲハ、モンキアゲハなどが挙げられている)。今ではミカン類の害虫とされている虫たちである。しかし、秦河勝が出張ったということから、ある種の蚕であったという説も魅力的である(秦氏は養蚕の専門知識を独占して栄えた渡来系の豪族なのである)。
常世神(常世虫)については、「日本書紀」はもちろんのこと、坂東眞砂子の「蟲」(角川ホラー文庫)がお勧めである。
オウド・ゴッギー(Aed Goggie)
参考文献キャサリン・ブリッグス「妖精Who's Who」ちくま文庫
井村君江「妖精学入門」講談社現代新書 小さな怪獣である子供に手を焼いた母親達は、沢山の怪人・怪物を作り上げて子供をしかりつけてきた。ヘビや幽霊といった単純なものから、ブギーマン、かますのおじさん、あまめはぎ・・・、最近では電車の中などで、「お兄さん」「お姉さん」「おばさん」「おじさん」などが同じ役割をなすりつけられたりしているのを見かける。こういった教育的機能を具えた妖蟲が、このオウド・ゴッギーである。
オウド・ゴッギーはイングランドの悪い妖精で、その名前は「ゴギー婆さん」という意味である。子供など簡単に食べてしまえるくらいの巨大な毛虫の姿をしており、果樹園や果物の木に棲んでいる。子供がそれを盗もうとしたり、まだ熟していない実を採ろうとしたり、悪戯で登ったりすると、家事で手を離せない母親達は「ゴギー婆さんに捕まってしまうぞ」と脅かすのである。
たとえどんな姿か説明しなくとも、想像力の豊かな子供にとっては、名前だけで恐怖の対象となるのである。なるほど、似たような役目を持つ存在には、なんとなく恐ろしげな、思わせぶりな名前がついている。
オウド・ゴッギーについていえば、完全に大人が頭の中で作り出した妖蟲というよりは、ケンモンガやドクガの幼虫のような毛虫で、果樹についているものをみて連想したと考えるのが自然だろう。ケンモンガなどは、日本語で、まさに化け物(ケンモン)の名を持っている、というのは冗談で、ケンモンは剣のような模様「剣紋」なのであるが。
参考文献キャサリン・ブリッグス「妖精Who's Who」ちくま文庫
井村君江「妖精学入門」講談社現代新書 小さな怪獣である子供に手を焼いた母親達は、沢山の怪人・怪物を作り上げて子供をしかりつけてきた。ヘビや幽霊といった単純なものから、ブギーマン、かますのおじさん、あまめはぎ・・・、最近では電車の中などで、「お兄さん」「お姉さん」「おばさん」「おじさん」などが同じ役割をなすりつけられたりしているのを見かける。こういった教育的機能を具えた妖蟲が、このオウド・ゴッギーである。
オウド・ゴッギーはイングランドの悪い妖精で、その名前は「ゴギー婆さん」という意味である。子供など簡単に食べてしまえるくらいの巨大な毛虫の姿をしており、果樹園や果物の木に棲んでいる。子供がそれを盗もうとしたり、まだ熟していない実を採ろうとしたり、悪戯で登ったりすると、家事で手を離せない母親達は「ゴギー婆さんに捕まってしまうぞ」と脅かすのである。
たとえどんな姿か説明しなくとも、想像力の豊かな子供にとっては、名前だけで恐怖の対象となるのである。なるほど、似たような役目を持つ存在には、なんとなく恐ろしげな、思わせぶりな名前がついている。
オウド・ゴッギーについていえば、完全に大人が頭の中で作り出した妖蟲というよりは、ケンモンガやドクガの幼虫のような毛虫で、果樹についているものをみて連想したと考えるのが自然だろう。ケンモンガなどは、日本語で、まさに化け物(ケンモン)の名を持っている、というのは冗談で、ケンモンは剣のような模様「剣紋」なのであるが。
オオコガネアゲハ(大黄金揚羽)
出典 香山滋「妖蝶記」
参考文献「夢見る妖虫たち」北宋社
中生代ジュラ紀に現在のゴビ砂漠の中央部ネメゲトウ盆地一帯に栄えた巨大なアゲハチョウ。黄金色に輝く翅に、碧い眼状紋を有し、開張は1フィート(30.48センチ)におよぶ。主な食草は、ネペンシス・ジガスというウツボカヅラの一種で、この捕虫嚢にたまった蜜を吸う。ゴジラの生みの親でもあり、博物学的知識の確かな香山滋の美しい叙情的小編「妖蝶記」に描かれた太古の生命である。
パピと名づけられたこの妖蝶は、妖精のような黄金色に煙る美しい少女の姿をとって、ネペンシス・ジガスを唯一人栽培している古生物学者曽根広志のもとに、はるばるやってくる。種最後の一匹であるパピは、少女の姿をとって、曽根に悦びを与え、安全な隠れ家であるネペンシス・ジガスのはえる温室を手に入れる。そして、そこで一族の忘れ形見である胎内の卵を産み落とそうとするのである。勝手な感想を申せば、幽玄で美しい物語りながら、その幕切れは実に後味の悪いものである。種を残すために人にまでメタモルフォーズしたパピは、美しく、高潔な妖蟲であった。
さて、ジュラ紀といえば、中生代の真中に位置する時代で、約2億~1億4千万年前である。ジュラ紀の代表的な昆虫といえば、原始的なセミ類やトンボ類があげられるだろう。チョウ類はといえば、新生代の暁新世~始新生(5千万~6千万年前)のものが化石として発見されているだけである。コバネガのような小型のガ類の化石は、レバノンにおいて、白亜紀初期(1億年前)の層から発見されており、チョウとガの分化はかろうじて中生代に起こったというのが定説である。そもそも我々に「アゲハ」ないし「チョウ」として視覚的に訴える昆虫は、顕花植物が裸子植物を追い抜いて優位にたつまでは、その出現は望むことはできそうにない。よって、曽根の口から出るメソパルパなる古代チョウ類も、妖蟲の類であろう。昆虫化石というものは、昆虫の身体がもろく、石化して残ることが難しいため、判定の難しいところであるが、現在最も古いと目されるアゲハチョウの化石は、コロラド州で発見された約4800万年前のものであるらしい。幻想的で美しい作品に対して、野暮に過ぎるが、気になる向きもありそうだったので、蛇足を弄させていただいた。
大きな蝶(おおきなちょう
生息地備後国三次(現在の広島県三次市)
参考文献谷川健一編「稲生物怪録絵巻」小学館 『稲生物怪録』第二十四日目の怪。
昼間、大きな蝶(武太夫自らが筆をとったという『三次実録物語』によると約120cm)が入ってきて、部屋の中を舞う内柱にぶつかって砕け散ったという。砕けた欠片はことごとく小さな蝶になって、群れ飛ぶさまは風に散る桜花の如くであったという。
大変幻想的なイメージである。この絵巻全体を通していえることであるが、非常に視覚的であり、怪談映画の題材としても優れたものがある。日本映画界もくだらないホラーばかりとっていないで、こういうところから題材を持ってくればいいのに、と関係ないことを書く。
チョウ(特に白いもの)は、魂の視覚化として扱われることが多く(他にはハエやヤマトタケルのような白い鳥)、このエピソードは霊的な側面から見ても面白いかもしれない。
カンセル・イングリセンシス(Cancer englisensis)
出典E・F・ベンスン「いも虫」参考文献「夢見る妖虫たち」北宋社 イギリスの作家E・F・ベンスンの短編小説「いも虫」に登場する癌の化身(病虫)。
重篤な癌患者の宿っていた、イタリアのある地方に建つカスカナ荘に発生した。
小さなものから、大きなもので1フィート(30.48センチ)以上もあり、不揃いのでこぼこしたこぶに覆われた身体は、くすんだ黄色を呈している。通常の肉肢ではなく、まるでカニの鋏のような足(癌の暗喩)を持っている。夢か現か、体は伸縮自在で、扉の隙間や鍵穴まで通り抜けることができる。これに取り付かれたものは、後に癌に冒されることになる。
カンセル・イングリセンシスという名前は、作中に登場するアーサー・イングリスという画家が、でたらめにつけたもので、“イングリスのカニ”とでもいったところか。やはり、なにか鱗翅類昆虫の幼虫であるらしく、繭を作るために糸を吐きながら頭胸部をゆらゆらさせる描写がある。
本作は、その不気味な着想もすばらしいが、本邦では、怪奇幻想小説翻訳の神様、故平井呈一の妙訳で逸品の名が高い。興味のある方は創元推理文庫『怪奇小説傑作集1』か、北宋社のすばらしいアンソロジー(これほどすばらしいテーマのアンソロジーはなかなかない)『夢見る妖虫たち』を参照されたい。
お菊虫(おきくむし)
参考文献竹原春泉「絵本百物語-桃山人夜話」国書刊行会
宮田登「妖怪の民俗学」岩波書店 お菊虫は、実は二種類が伝承されている。一つは播磨(兵庫県)のお菊虫、もう一つは大和(奈良県)のお菊虫である(お菊の伝説はもっと多い)。 播磨のお菊虫は、有名な「播州皿屋敷」の元になった話である。皿とは関係ないが、尼ヶ崎城主青山播磨守のところに仕えていたお菊が井戸に投げ込まれて殺され、あとを追って母親も自殺した。その後、「お菊井戸」と呼ばれるその井戸付近から、人が縛られているような形状で、目鼻があって、口のあたりが黄色い虫が発生したという。やがて蝶になって飛び去ったというが、これはどうやらアゲハチョウ、それもジャコウアゲハの蛹のようである。確かにジャコウアゲハの蛹は胸を絹糸で小枝などに固定した「帯蛹」と呼ばれるもので、人が後ろ手に縛られているような姿に似ている。
もう一つの、大和のお菊虫の話は、まったく内容を異にしている。大和は北葛城郡の櫛屋の娘お菊は、家が貧しく毎日があまりにつらいので、村の米倉に忍んで行き、米を盗もうとした。しかし、村の者に見つかり、突き殺されてしまう。そんなことがあってから、毎年春先になると、この地方から川下にかけて、ホタルのように光を放つ奇怪な虫がいちめんに現れるようになったという。その形は櫛のようで、上流に現れることは決してなく、櫛屋のお菊の怨念であると囁かれた。実際に何の虫であるかは不明で、架空の虫である公算が高いが、まったくモデルが無かったかというと、そんなことはないと思う。
何の虫か分からない大和のお菊虫はともかく、播磨のお菊虫はジャコウアゲハの幼虫であることが分かった。これはミカン等につく害虫で、その正体が怨念を抱く者であるとすると、その裏に農耕儀礼的な香りが漂ってくる。宮田登はその著書で、農耕儀礼と怨霊信仰が結びついたものと推測している。
蛇足ではあるが、ジャコウアゲハの成虫は、捕まえると麝香のような香りをだすことからそう呼ばれ、優美な黒い姿とその芳香から「山女郎」と呼ばれている。
右の画は、竹原春泉の手によるもので、一般に『桃山人夜話』としてしられる絵本『百物語』(国書刊行会から見やすく装丁されたものが発売されている)のものである。竹原春泉は、この絵に、「皿屋敷のことは犬うつ童だも知れヽばこヽにいはず」と書き添えており、その知名度のほどをうかがわせる。
モスマン(Mothman)
1960年代に目撃されるようになった怪生物。全身は黒い毛で覆われており、ガあるいはコウモリのような羽を持つ。身長は人間と同じ位だという。頭は胴体に埋没しており、不気味に輝く赤い目を備えている。この生物は、よろよろとよろめくような歩き方をするという。空を飛ぶときは音を立てず、滑空するというが、飛行時の目撃例を発見することはできなかった。また、その食糧が人間の血液であるとか、七色の光を放って登場するともいわれているようだが、何を根拠とする説なのか定かではない。この生物をはじめに目撃したのは、イギリスのケント州ソルトウッドの二組みの若い男女で、1963年11月16日のことであるという。この時は、着陸したUFOから降りてきたところを目撃されている。
その後、アメリカのウエストヴァージニア州で、1966年を皮ぎりにたびたび目撃されている。「モスマン」とは「蛾人間」という意味で、アメリカで目撃されたものにつけられたニックネームである。
蓑むし(みのむし)
別名蓑火。ミノモシ、ミノボシとも。新潟県のとくに信濃川の流域、福井県坂井郡、東北などにもみえる怪火。雨の降る晩に蓑を着て歩いていると、蓑の先にきらきら光る怪火がつくが、はらってもはらってもなくならないという。ついた人は必死だが、その連れにはまったく見えないという。福井県では大工と石屋にはつかないとしている。
ムシとはまったく関係ないが、その得体の知れない様をムシとしたのかもしれない。得体が知れないといえば、本物の蓑虫もかなりのものだったようで、「枕草子」には、蓑虫が鬼の子で、秋風が吹くと親を恋しがって「父よ、父よ」と鳴くなどと書かれている。蓑虫が鳴くわけがないので、これはおそらく木の上のカネタタキかなにかの鳴き声をミノムシの鳴き声としたものだろう。
タマゴアゲハ(卵揚羽)
出典筒井康隆「タマゴアゲハのいる里」参考文献「夢見る妖虫たち」北宋社
筒井康隆の、奇妙な味の小編「タマゴアゲハのいる里」に登場する正体不明の蝶。翅には、濃紺の地に鶏卵大の白い楕円形と、さらにその中にまるで卵の黄身のような黄色い円の眼状紋がある。詳しい大きさは描写されていないが、眼状紋が実物の玉子大というからかなりの大きさのようだ。この蝶を採った学生風の黒眼鏡の若者の連れである、ジーパンの女性の話から、どうやらこの蝶が国から保護を受けているらしいことがかろうじてわかる。
物語の終盤で、果たして主人公の夫婦が言う通り、蝶の鱗粉に幻覚性があるものか、この蝶がれっきとした妖蟲で、その通りのことが起こっているのかは定かではないが、翅の玉子模様が息づいて、黄色い部分に生命が宿る。
常元虫(じょうげんむし、つねもとむし)
生息地近江別保の里(現在の滋賀県)
これは、人の怨念が虫と化すという、妖蟲の中では一大勢力ともいえる一群に属する。
この怨念の主は、南蛇井源太左衛門(なんだいげんたざえもん)という、むかし蒲生家に仕えた侍である。それが天正の兵乱によって無頼漢となり、様々な悪行を重ねたという。後年、滋賀県(近江)の別保の里に落ち着いたが、やはり悪行は続け、人のすすめで出家をして名を常元と改め、やや真人間に戻ったと思ったところを、とうとう姦賊として召し捕られてしまったという。柿の木に縛られ、さらし者にされた後、斬罪に処されたが、その際悪口雑言撒き散らし、さらに人々の恨みをかったという。
常元の死骸は庄屋の藤吉に預けられ、藤吉は柿の木の根本にそれを埋葬した。が、数日してそこから怪しげな虫がおびただしく現れた。その虫は人が縛られたような姿をしていたという。その柿の木は西念寺と称する寺の戌亥の方角にあるという事がわかっており、その場所は常元屋敷と呼ばれ、不吉なことが起こるために誰も家屋敷を建てなかったという。
この虫の正体は、おそらくお菊虫と同様である。つまりアゲハチョウの蛹だ。だから常世神ともつながる存在ともいえよう。アゲハ類は蛹だけでなく幼虫も奇怪な姿をしているので、ことさら人々の目に留まったのであろう。
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レギオモンタヌスの蠅(FLY OF REGIOMONTANUS)
参考文献種村季弘『怪物の解剖学』河出書房新社
ドイツの天文学者(占星術師)のレギオモンタヌス、本名ヨハン・ミュラーが造ったとされる伝説的な自動人形の一つ。この鉄製の小昆虫は、ぶんぶん音をたてて飛び回り、持ち主の掌に戻ってきたと伝えられている。プトレマイオスの宇宙論を奉じ、地動説に真っ向から反対し、一方で迷信によって塗り固められた彗星を始めて科学的な研究対象とみなした、中世ヨーロッパを代表する天文学者が、真実自動人形の製作者であったか、その方面の知識には乏しいのでわからないが、種村季弘『怪物の解剖学』に収められたエッセイ「自動人形庭園」には、この蠅の他に、マクシミリアン皇帝がニュールンベルクに入場したのを出迎えるために人工の鷲を造ったということが紹介されている。
スロウェンワイトの悪魔の蠅(Slowenwite's Devilfly)
出典ヘイゼル・ヒールド「魂を喰う蠅」
医学博士トーマス・スロウェンワイトが、出世を妨げたヘンリー・ムーアを殺害するために、ウガンダで採集したツェツェバエを改良して作り上げた蠅。ベースになったツェツェバエはGlossina palpalisで、その外見はツェツェバエによく似ているが、スロウェンワイトの手によって、フェロシアン化第一鉄、カリウム塩によって、翅を青く染められている。通常のツェツェバエと同様、原虫トリパノソーマを媒介し、計画通りヘンリー・ムーアを睡眠病に陥れ殺害することに成功する。
改良ベースとなったこの蠅は、現地でも「悪魔の蠅」として恐れられており、妖蟲の本質としては、改良されたことよりも、スロウェンワイトがウガンダのムロロ湖で採集したということが重要である。なぜならば、件の土地には巨大な廃墟が存在し、伝説によると太古の昔には邪神ツァトグァ、クトゥルフ、「あの世からの漁夫」といた邪悪な存在が出現したらしいからである。その土地にいる「悪魔の蠅」には、これら人知を超えた存在の影響が今でも残っているという。現に、計画を見事成し遂げたスロウェンワイトは、まるでヘンリー・ムーア本人の魂を持ったように見える自らの改良種によって、非業の最期を遂げた。
アフリカトリパノソーマ症ともよばれる睡眠病は、ツェツェバエの刺咬によって鞭毛虫アフリカトリパノソーマが人体に侵入することによって引き起こされるトリパノソーマ症のひとつである。ツェツェバエはサハラ砂漠以南のアフリカに広く分布するイエバエに似たハエで、口吻は鋭く吸血に向いている。ツェツェ(tsetse)とはボツワナのセチュアナ語で、「牛を倒してしまう蠅」という意味で、牛の原虫症であるナバナ病の症状から来た名であるらしい。ヘイゼル・ヒールドの、この短編は、クトゥルフ神話体系の一部として脚色されてはいるものの、科学的にまずまず忠実なもので、リアリティを物語の援護武器としている。もちろんそればかりでなく、スロウェンワイトを追い詰めていくようなそぶりの復讐者の蠅の動きなど、怪奇小説的に優れた作品として演出している。
ベルゼブブ(Beelzebub)
「蝿の王」として知られる知名度の高い悪魔である。地獄の首領と目されている。悪魔の多様な呼称の一つとしても用いられている。その時には、ハエの王としての性格は介在しない。「マタイによる福音書12:24」にはベルゼブルが「悪霊のかしら」として表現されている。
そもそも、ベルゼブルとはシリア・カノン地方の豊穣神バアルであるといわれる。ペリシテ人の都市エクロンには病気に関する信託を行う神、バアル・ゼブル(Baal-Zebul)がいたという。この名称は「崇高なるバアル」あるいは「高い館の主」という意味を表し、いずれにしても、最高神クラスの神格であった。その名をヘブライ語に持ってきた時に、バアル・ゼブブ(Baal-Zebul)「ハエのバアル」と蔑称化したのである。
言語的な解釈を示せば、そういう事になろうが、それでは妖蟲にならない。何故バアル・ゼブルが「蝿の王」となったのか。一説に、バアル・ゼブルの神殿において捧げられた生け贄の、放置された死骸に蝿がたくさん集っていたことによるというものがある。また、蝿と容易に結び付けられる「腐敗」「死」というイメージから、容易に悪魔化、妖蟲化したのではないだろうか。現に、中世の暗黒期(あらゆる意味で)においてバアル・ゼブルは、「蝿の王」ベルゼブブとして大活躍することになる。
ベルゼブブがハエとして描かれたもっとも有名な図版はコラン・ド・プランシーによる「地獄の事典」においてである。翅に髑髏のマークのある巨大なハエ、その図版を、水木しげるのイラストとして見たことのある方も多いであろう。あのベルゼブブこそが、妖蟲化の完全体であるといえようか。また、妖蟲としてのベルゼブブとしては、映画「エクソシスト」(ウィリアム・フリードキン監督)の車に群がって来るハエという暗示的なシーンを上げることが出来る。荻野真の「孔雀王」にも「蝿の王」という一話がある(第1巻)。ゲームでは、「女神転生」「真・女神転生」シリーズにおいて、非常に重要な悪魔として繰り返し登場している。
さて、ものはついでなので、妖蟲として以外のベルゼブルについても少しだけ紹介しておこう。ミルトンの「失楽園」におけるベルゼブルは、威風堂々たる王者の姿をしており、威厳と亡国の王の悲哀を持っているという。また、その邪悪さと権力においては、サタンに次ぐほどであるという。これこそは地獄の君主としての姿である。
典型的な悪魔として描かれているものには、C・H・シュピースの「侏儒ペーター」があり、見事な金糸の織物で仕立てられた服を着て、宝石や真珠の首飾りをつけたユダヤ人として登場する。言葉巧みで、硫黄のような異臭を残して去るなど、悪魔の典型とも言える特性が与えられている。
異色な例としては、ジャック・カゾットの「悪魔の恋」のベエルゼビュートがあり、凄い形相で、大きな耳を持ったラクダの頭の大魔王として描かれる。こうなるとすでに名前だけが一人歩きをしているということだろう。聖書においても、特定の悪魔の名前を指すと同時に、悪魔全体の呼称としても使われているので、それも無理からぬ事かもしれない。
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アフイラーマジムン(家鴨の化け物)
参考文献金城朝永「琉球妖怪変化種目」『郷土研究』
千葉幹夫編「全国妖怪事典」小学館ライブラリー 名称は家鴨の化け物という意味。雑誌『郷土研究』第5号の3に掲載された琉球地方の妖怪に関する論考によると、ある農夫が道端でしきりと股の間をくぐろうとする怪しげな家鴨に会ったという。これは怪異のなせる技で、股の間をくぐられると不吉な事がおこるという。慌ててその家鴨に石をぶつけると、その身体はぱっと飛び散って無数のホタル(ジンジン)になったという。ホタルは農夫に付きまとってきたが、それも一番鳥の鳴き声と共に消えたという。
ホタルは人の魂として描かれるだけではなく、このような妖異の化身としても描かれた。それはその見方によっては不気味な光が、人々の心を不安にしたからかもしれない。それほど神秘的な光を、ホタルはもっているのである。家鴨とホタルの関係については浅学のため、寡聞にして知らない。
髪切虫(かみきりむし)
参考文献水木しげる「図説日本妖怪大全」講談社+α文庫 江戸時代、たびたび婦女子の髪が切り落とされるという怪事件が発生した。発生する時間は朝や夕方が多いようで、被害にあったのは主に下女などの若い女性だったそうである。例えば文化7年4月20日、江戸下谷の某家の下女は、朝玄関で頭が重くなったと思うとばさりと頭髪が落ちたという。落ちた髪には粘り気がついていて厭な臭いがしたらしい。その他の多くの例でも、気がつかないうちに髪が切られていたというのが多い。
この、現代であれば変質者の仕業、「通り魔的な都市型犯罪」とされてしまいそうな怪事件は、髪切虫という怪異の仕業とされた。この妖蟲は瓦の下に隠れていて、通りかかった女性にぱっと飛びついて髪を切り、またさっといなくなってしまう。よってその姿を見た者はいない云々。場所によってはお祓いまでしたそうである。
また、この怪は明治時代にも起こっており、この時は髪切虫の仕業とはされなかったものの、怪事件として新聞にまで載ったという。この事件もある家の召し使いが被害者で、現場は便所だという。便所に入ったとたんゾッとして、するうち髪が切り落とされたという。その召し使いは病気になってしまい、その便所に入る者はなくなったという。
上記二つの事件について、妖怪マンガの大家水木しげるは前者を「黒髪切」後者を「かみきり」として描きわけている。もしかすると、この絵のほうがよく知られているかもしれない。それにしても、髪というものは「神」に通じるともいわれ、何かと生命の象徴とされているところから、髪を切り落とす事件とはなんとも気味が悪い。生命の象徴、女の命などといわれる髪だからこそ、神秘的に怪異の仕業とされたのかもしれない。
川螢(かわぼたる)
参考文献水木しげる「図説日本妖怪大全」講談社+α文庫 千葉県印幡沼に現れる怪火。夏から秋にかけて、特に雨の降る夜に出現するといわれる。ネネコカッパを描いた「河童図」で有名な赤松宗旦の『利根川図志』に紹介された怪で、蹴鞠ほどの大きさの火が、螢火に似ていたためそう命名されたものと思われる。
舟に乗っていたものがこの怪火に会い、舟竿で叩いてみたところ、火は四方に飛び散り、舟一面がこれに覆われたという。そればかりでなく、同時に、今まで嗅いだこともないくらいの生臭さが広がった。火は熱はなく、ぬるぬるしていたという。
払っても払っても増えるだけで消えないとも言い、蓑むしに似ている。やはり大工や石屋にはつかないという。一説狸や鼬の仕業ともいうが、命名が螢の幽玄な光に見立てたものであるため、ここに取り上げた。
九郎兵衛の螢火(くろうべえのほたるび)
秋田県大曲地方の川目というところに現れたという螢の群飛。後世、螢の名所とされるに至ったが、それにはこんな訳があったという。
この川目に、九郎兵衛という男が住んでいたという。強盗、殺人、放火、何でもござれの大悪党であったが、とうとう捕まって、本人ははりつけ、その家族までもが生き埋めにされたという。
それからである、この土地に怪火が群れ飛ぶようになったのは。仏の慈悲が欲しい一念と説明されているが、ともかく人々は気味悪がって近づかなくなったという。ところが、その土地にある寺の、徳の高い僧は、九郎兵衛の一家を哀れに思って塚を建て、経を上げて仏の慈悲を乞うてやったという。すると無数の螢が経文を照らすかのように集まってきて、その後は怪火もでなくなったという。
仏教説話としてはありふれた話であるが、人の魂の化身である虫として螢を描いているのは、日本では珍しい例である。「鳴かぬ螢が身を焦がす」ではないが、情念の塊として、螢はもっと描かれてもよさそうなものであるのだが。
ヘプリ(Kheperi)
頭部がスカラベの男性、あるいはスカラベそのものの姿で表現される、エジプトの神である。天空の女神ヌトの息子とみなされる。
スカラベとはタマオシコガネ(鞘翅目コガネムシ科ダイコクコガネ亜科に属する。エジプトに生息するのはリンネが聖黄金虫と名づけたscarabaeus sacerである)のことで、『ファーブル昆虫記』に論じられていることから、フンコロガシの名で生息域でない日本でも比較的メジャーな甲虫である。このタマオシコガネは古代エジプト語でヘペレル (KHEPERER)といい、動詞ヘペル (KHEPER)は「生成」、「創造」、「再生」を意味する。その丸い体形、さらに糞球を転がす様から、古代エジプト人は太陽を転がす創造と復活の神と考えたのである。
タマオシコガネは糞球を地中深く埋め、ナイルの氾濫や降雨によってやわらかくなった外壁を破って生まれてくる。古代エジプト人の信仰も、太陽は地中深くから昇ってくるとされており、タマオシコガネにそのシンボルを与えたことは当然の営為である。このようなことから、ヘプリの持つ元素は土と水と火であった。
神として見た時のヘプリは、実に様々な側面を持つ。それは、生命を象徴するものが、古代エジプトには多く見出されていたからで、太陽をはじめ、牛や隼、蛇などの姿を与えられることもあった。ラーやアトゥムといった造物主と同一視されることも多い。個としてみたヘプリはアトゥム(太陽)に付き従って地下世界へ行き、アトゥム復活のための準備をするという。あるいは朝のラーの化身であるとも言う。
古代エジプトにおいて、スカラベの意匠は護符や装身具に好んで使われた。約1センチの小さなものから約10センチの大きなものまで、さらに材質も様々に、大量のスカラベが作られた。その胴部には所有者の名前、平癒祈願の病気の名前、神名などが刻まれていることが多い。また、大きなものになると歴史的な事件を刻んだものもあるようだ。また、もう一つの重要な役割はプシコスタジー(霊魂のための護符)であり、それは特に「ハート・スカラベ」と呼ばれて死者の心臓の上において埋葬される。この「ハート・スカラベ」には大きく広げた隼の翼がついている。
尸亀(しき)
石玉昆的武侠小説「三侠五義」の第5回に語られる妖蟲。毒の原料とされ、墓に葬られた死人が半ば腐敗した時、その生乾きの脳に寄生するという。蛍のように尾端で発光し、大きさは尺取虫と同じくらい。
ウバボタルの類とも思えるが、状況を考えるとシデムシの幼虫ではなかろうか。その形がウバボタルやツチボタルに類似しているため、発光すると連想されたのかもしれない。
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アペヤキ(火蝉)
北海道日高地方の、アイヌ伝承に現れるセミの妖蟲。アイヌ語で「アペ」は「火」を、「ヤキ」は「蝉」をそれぞれ意味する。つまり「アペヤキ」は「火蝉」という意味。文字どおり全身が赤く燃えている不思議な蝉で、この蝉がとまった木はことごとく焼け落ちてしまったという。だから、アイヌの人々はこの蝉を非常に恐れたということだ。まるで「燃える昆虫軍団」(1975年、監督ジーンノット・シュワーク)のような伝説である。
この伝承が報告されたのは大正13年のことで、当時日高国幌泉郡(現在の日高市庁幌泉郡。襟裳岬のあるあたり)に「アペヤキ」という土地があったらしい。「火蝉がいた所」という意味でそう名付けられたのだろう。
因みにアイヌ語の「ヤキ」であるが、これは一番始めになき始めるエゾハルゼミの泣き声を「ヤーキー」と聞いたところから来ている。それが後に蝉全般をさすようになったのである。
実盛虫(さねもりむし)
参考文献「日本 伝奇伝説大事典」角川書店 平安末期の武将斎藤別当実盛。この勇猛な老将が、無念のあまりに変じたという虫が実盛虫である。斎藤実盛は源氏、そしてのちには平氏の将として戦場を駆け、その最期は侮られないように、白髪を黒く染めていたという。それは死に臨む格好であり「その戦こそ我が最期」と決めて臨んでいたものらしい。その老将が、なぜ恨みの念を残したといわれるのだろうか。
これは農村の間に広がった伝説に関係がある。実盛の最期は、実は稲の株につまづいたせいだというのである。だから、実盛は稲に恨みを持っており、虫となってそれを食い荒らすのだという。害虫防除の儀礼である「虫送り」を、土地(西日本)によっては「サネモリ祭り」と呼ぶ。また、儀礼の際に用いられたわら人形を「サネモリサン」などと称したりした。
この虫は、稲の重要害虫であるウンカである。まるで甲冑を身に着けたような姿が、武将と結びついたものと思われる。柳田国男によれば、人の(特に戦死者の)魂が害虫に変じることが古来より論じられ、たまたま戦乱の世でないときに流布したウンカが、有名な武将に結びついたものであるという。害虫が神罰や怨念の所産だという信仰は多く、興味をそそる題材である。また、「お菊虫」その他に見られる御霊信仰的な色合いのあるものも、妖蟲の中では一大勢力のようである。
フュルゴール(Fulgore、Fulgorid)
参考文献ジャン=ポール・クレベール「動物シンボル事典」大修館書店 半翅目の昆虫(セミの仲間)は、その形態の多様さが目を引くが、その中でもとびきり変わったものがこのビワハゴロモの類である。中でも頭部が前方に張り出し、珍奇な形態を示すものがあり(ユカタンビワハゴロモなど)、それを特に「提灯持ち」英名でLantern fly(ランタン・フライ)という。その突起の形状がランタンに似ているため、そこが発光すると信じられていたようだ。一時はその光で新聞が読めるという話が流布していたという。もちろんそんな事実はない。
このフュルゴールにはもう一つの伝説が(おそらく現在でも)ある。この昆虫の産する国において、ワニのようなうなり声をたてる霊魂であり、不幸をもたらすとされるのである。その理由は件の突起物が、ちょうどワニのような形をしているからである。この種は開張150mmに及ぶものもおり、翅には眼状紋をはじめ美しい模様があるために、見方によっては不気味なことこの上ない。それが突然飛んできたりするのだから、霊魂と結び付けられるのも故無きことといえよう。
マルカム・オアンの大蜘蛛
出典フリッツ・ライバー『蜘蛛の館』
先天的な小男であるマルカム・オアンが、哀れんだ兄マーヴィンの成長ホルモンの研究の実験材料に自らなり、鼻持ちならない大男に変身を遂げる科学小説「蜘蛛の館」。SF界の巨匠フリッツ・ライバーが、パルプマガジン「ウィアード・テールズ」に寄せた小編である。
ここに、人体実験に写る前にさまざまな動物で実験が繰り返されたことがほのめかされ、その中でも、表題の通り、特に蜘蛛が重要な役割を持ってくる。大型犬ほどもある蜘蛛で、造網性であるが、主人のマルカムの命令によってははいかいして獲物を襲うこともする。牙には毒を持つが、それは獲物を新鮮なまま保存するためのもので、殺すことはない。巣は放射状で、非常に強力な粘着性を有しており、獣脂を使わなければ切り裂くこともかなわないという。
うぶ
参考文献千葉幹夫編『全国妖怪事典』小学館ライブラリー 佐渡に出現するという亡霊。その正体は死んだ赤子で、それも堕胎した子を山に捨てたりしたことから現れるものであるらしい。その形は大きなクモのようで、山道を歩いていると後ろから鳴き声をあげながら追いすがって来る。追いつかれると命を取られるというが、取り憑くのか食ってしまうのかははっきりとしない。
ウブとは、おそらく「産」だろう。産女(ウブメ)が死産した女の亡霊だとすると、このウブは赤子の方である。子供の無邪気さというか、ある意味非人間的な部分が、特にこの怪を恐怖で彩っているようだ。赤子であるから、ウブメに見られるような「大力を授ける」などの御利益的な話には発展しない。
このウブに追いかけられたならば、履いている草履の片方を脱いで肩越しに投げ、「これがおまえの母だ」と言ってやれば良いという。走って逃げながら巧くできるかどうか、暇な方は実験してみてはいかがか。
日本の妖怪に限らず(『山海経』をみると特に中国に多いような気がする)、赤子の鳴き声をあげる食人性の怪物は多いようだ。これが赤ん坊の非人間(あるいは脱人間)的な面によるものか(性を重視する伝承世界においては、赤ん坊や老人はその性別に関わらず、第3の性として分類されることがよく見られる)、赤ん坊だと人が油断するということか、判断に迷う所であるが、なんにせよ暗い中で聞こえる赤ん坊の声は、実に恐ろしく思える。
蜘蛛火(くもんび)
奈良県磯城郡纏向(まきむく)村(現在の桜井市)に出現したという怪火。数百の蜘蛛が一塊となって、火をはなち、尾を引きながら飛ぶという。万が一この火に当たることがあれば命はないといわれ、大変恐れられていたということである。これが飛ぶときにはうなり声を発するともいう。いついつ出ると決まっているわけではなく、出現はかなり不確定だったようだ。
説話には、これが静まったあとに、地面に焼け土が少々落ちていたともいい、あるいは隕石ではないかといわれている。出現の不確定性をあわせて考えると「そうかもしれない」と思わせられる。
しかし、この怪火の正体がなんであれ、その火の中に無数の蜘蛛を見たというのはなかなか面白い。蜘蛛専門妖蟲HP(リンクページから行けます)を開いていらっしゃる海松橿姫(みるかしひめさま)様より「奈良県磯城郡纏向(まきむく)蜘蛛ん火の話は、この地が古事記における土蜘蛛の里となっていることから、古代の反政府勢力の反乱を思い起こしてのちの世の支配勢力が「ぞっとした」という妖怪物の典型でしょう」との示唆を頂いた。
確かに、『古事記』中巻の神武天皇の時、久米歌の件に「其地(そこ)より幸行(いでま)して忍坂(おさか)の大室(おおむろ)に到りましし時、尾生いたる土雲八十健(やそたける)その室にありて待ちいなる」とある。つまり、「忍坂の大室(奈良県桜井市忍坂)にやってくると尾の生えた土蜘蛛というたくさんの猛者たちが、岩屋でうなり声を上げながら待ち構えていた」ということで、実盛虫と似た成立過程を持つ妖蟲のようだ。
土蜘蛛(つちぐも)
参考文献荻田安静『宿直草』
『風土記』
『平家物語』
寺島良安『和漢三才図会』
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』ほか 上代、日本各地に居たとされる先住民族の名称である。『風土記』をはじめとする文献には、朝廷側が彼らを討伐するという記事が多い。彼らに対する征服の完了はかなり古い事と思われ、確実な文献時代に入ると、ほとんど記述されなくなる。もっとも、完全に同化・絶滅したのかという事は、以下の記事でも示唆される如く、疑問の余地が残る。
中世になり、代わって現れるのが『土蜘蛛草紙』をはじめとする怪物としての土蜘蛛である。能の五番目物(作者不詳。『平家物語』剣巻にある頼光の武勇伝を典拠とするが、『平家物語』のそれは「山蜘蛛」であり、ここに『土蜘蛛草紙』からの影響も伺う事が出来る)や歌舞伎(能より取り入れられた)の『土蜘蛛』もその系譜で、そこでの土蜘蛛は糸をはいて人を絡めとり、害をなす妖蟲である。能・歌舞伎の『土蜘蛛』は紙テープを使った“蜘蛛の糸”(「千筋の糸」)で有名な、鬼狩人源頼光とその四天王を主人公としたもので、一般にも広く親しまれている。
先に記した『土蜘蛛草紙』は鎌倉後期に成立した絵巻物であるが、これも源頼光を主人公とした妖怪退治物で、御伽草子絵巻きの先駆的作品として価値が高い。また、江戸末期の浮世絵師歌川国芳(1797-1861)の作品(『源頼光公館土蜘蛛作妖怪図』『源頼光と四天王 土蜘蛛退治之図』)等、図像化される事が多い。特に江戸期以降の図像化の動きは、先に触れた能や歌舞伎の影響であり、当然これらは源頼光対土蜘蛛の構図で描かれている。喜多川歌麿の師として有名な江戸の妖怪絵師鳥山石燕(1712-1788)の『今昔画図続百鬼』(1779年)に描かれた土蜘蛛も、詞書き(「源頼光土蜘蛛を退治し給ひし事、児女のしる所也」)を見れば「源頼光物」に典拠があることが容易に理解できる。
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』(寺島良安、1712年頃)によると「[虫室]蟷(つちぐも)」とは、蜘蛛に似て土中に巣を作り網を張って下から蝿などを捕らえるものであるという。これはジグモの事で、確かにジグモは地方によってはツチグモと呼ばれたりするらしい。
●『宿直草』(延宝5年(1677年)に成立した荻田安静の怪談集)の土蜘蛛
ある男が神社にやってくると、拝殿の上から苦痛の声が聞こえるという。不思議に思って屋根に上がってみると、何とそこには一人の男を糸で縛って、首筋から血を吸う「[虫室]蟷(つちぐも)」(この字は『和漢三才図会』に共通である)が居たという。蜘蛛が逃げ去った後、糸を取って事情を聞くと、宿もなく、行くあてもない旅人である哀れな男は、同じくくたびれた座頭と共に、神社で夜を明かす事にしたそうである。話をする内、座頭はいい香りの香箱を取り出し、果たしていいものかどうか見てくれまいかと頼んできたという。そこで見極めようと、香箱を手にしたところ、箱はビッタリ手にくっついて、蹴りはずそうとした足までもとらわれてしまったという。実はそれは蜘蛛の糸であったのだ・・・。
更に詳細な土蜘蛛についての考察は海松橿姫殿の「帰ってきた土蜘蛛」を参照していただきたい。本學會では、妖蟲側に思いを寄せながらも、あくまで人の側に立った記述を旨としているが、こちらでは、妖蟲側からの熱い思いが伝わってくる事だろう。
恙虫(つつがむし)
参考文献 金竹原春泉『絵本百物語』 『日本伝奇伝説大事典』角川書店
”むかしつつが虫といふむし有て人をさし殺しかるとぞ。されば今の世にもさはりなき事をつつがなしといへり。下学などにも見ゆ。”
竹原春泉『絵本百物語』「恙むし」の項の詞書きである。『下学集』(古辞書の一つ。1444年成立。著者不明。)には斉明天皇の治世(西暦655~661年)に、石見(現在の島根県)は八上の奥に「つつが」という虫が発生したとある。これは夜人が寝静まると、家の中に侵入して生き血をすすり、多くの者を死に至らしめたという。天皇はある陰陽博士に命じて虫を封じさせたので、その害がなくなったという。この事をひいて無事なことを「つつがなし」と言うとある。 この説話の原典は、前漢時代の文学者東方朔(前154~前93)が記したという『神異経』であると思われ、そこには北方の辺境にいる”[獣恙]”という獣について述べられている。”恙”という字も見られ、これに噛まれると病気になるだとか、家に侵入したことがあって黄帝に成敗された等の記事がみられる。「つつがなし」の語源についてもここで同様の事が述べられている。もっともこの『神異経』、東方朔の著というのもどうやら根も葉もない噂のようで、どこまで信用して良いのかわからない。江戸時代最大の百科辞典『和漢三才図会』巻三十八の「[獣恙]」の項には、これを唐代の伝説として、その姿を「獅子に似ていて虎、豹及び人を食う」と記している。 さてこの恙虫であるが、生物学的にみると蛛形綱壁蝨類前気門亜目ツツガムシ科 Trombiculidae に属するダニの総称である。体長は幼虫で0.2ミリ~0.3ミリ吸血後は0.45ミリくらいになる。これらのダニは幼虫の時に脊椎動物に寄生し、皮膚炎やツツガムシ病(リケッチア症)を媒介するので恐れられる。日本でツツガムシ病リケッチアを媒介するものとして有名なのはフトゲツツガムシ Leptotrombidium pallidum (北海道にも分布)で、四季を通じて伝播の恐れがある。東北では特にアカツツガムシ L. akamushi の害が顕著で、これは夏季に集中している。特に後者は昔から有名で、酷い時には致死率が40%を超えたという。前者は謎の風土病とされていた類であり、発見は遅く、致死率も1%と低い。 恙虫はよく人を害したので、一種の祟り神として考えられ、多くの発生説話が伝えられている。それらはアカムシ(アカツツガムシ)の分布する東北の伝説であり、中でも新潟のものが多い。以下に数例を示す。
伊勢神宮の御祓箱を焼いて河に流したところその灰が毒虫に変じた。(新潟県魚野川)
天正年間、三条城主三条三衛門が長尾景虎に攻められた時、長岡にいた三条の娘は城に駆けつけようとした。信濃川を下ったが、乗っていた船の船頭が身の危険を感じ、ひき返そうとしたところ、娘は長尾景虎に恨みの言葉を吐いて入水し、恙虫となった。(新潟県信濃川中之島村)
横越島を荒らしまわった強盗を村人が捕らえ、毒虫の多い茅野に投げ込んで報復したところ、怨念が固まって恙の形となった。(新潟県中蒲原郡横越村)
信濃川の砂洲には動物の溺死体が安らかに眠っていたが、一帯を開墾したために腐敗の気が解き放たれ、動物たちの怒りとして虫の形を取った。(新潟県長岡市及び天神村)
こうして荒ぶる神となった虫はどうにか防除しなくてはならず、そのため恙虫よけの虫送りなどが行われるようになる。その神名は「赤虫大明神」「島虫神」「島神」「虫神」「虫堂」(新潟県)「毛木虱大明神」(山形県)「毛木虱大権現」(秋田県)など多岐に及ぶ。ちなみに「毛木虱(けだに)」とは、特に秋田県の雄物川流域での恙虫の呼び名で、人の顔をした毒虫であるという。
ケンコー(KENCO)
出典サンタル人の創世神話
参考文献西岡直樹「インド動物ものがたり」平凡社
ケンコーはベンガル語でミミズのこと。ヒンズー語ではケンクア(KENCUA)と呼ぶ。
サンタル人の創世神話には、ミミズが重要な役割で登場する。
世界がまだ広大な海であった時代、偉大な山の神マランブル(創造神)は、亀の背に水底の土を盛って大地を造ろうとした。水底に下りて土を持ってくる役に、カニ、エビ、ボアル魚が次々に挑むが、失敗してしまう(カニの頭、エビの腹がないのは、このとき水底の神に土の代金として取り上げられたからだという)。
困ったマランブルは、自らの鼻水からミミズを造り、天国の金工に作らせた金の筒に入れて水底に向かわせる。ミミズは金の筒で守られながら、土を食っては尻から亀の背中に土を排泄するというやり方でことを成し遂げ、大地を作り上げる手伝いをしたという。
今でこそ、ミミズが土を食って糞をすることが土壌を富ませる重要な営みであることが理解されているが、このように神話として描かれていることには感動を覚える。山の神の鼻(息吹の出る穴)から生まれることも象徴的である。
蚯蚓頭(みみずがしら)
生息地備後国三次(現在の広島県三次市)
参考文献『稲生物怪録絵巻』小学館
蚯蚓頭とは、『稲生物怪録』の第三十日目に現れた怪で、その姿から學會側で勝手に命名させてもらった。これは、炉の灰が舞いあがって変化した大入道の頭で、額に瘤があってそれがぶこぶこと動いている。その瘤が裂けてたくさんの蚯蚓が這い出し、平太郎に鳥もちの如く張り付いたという。豪胆な平太郎も、蚯蚓は大の苦手で、その苦手を見抜いた妖怪の仕業であるのだろう。
アルケニー(ARACHNE)
古代ローマの詩人オウィディウスによる「変身物語」に登場する。
アラクネはリュディアの機織り娘で、その腕はミネルヴァ女神と同等ともいわれていた。本人も顕示欲が強く、そう主張してやまなかった。事実、彼女の機織り物は、遠くから妖精達が見にくるほどのものだったという。
アラクネの言い分に、美の女神ミネルヴァは、人と神とは同等に考えることはできないと知らしめる目的で、機織りの勝負を持ち掛けた。それを受けてたったアラクネの織物は、ミネルヴァの予想を超えて、女神のものと一歩も譲るものではなかった。
ところが、彼女の織物が神々の淫行を描いたものであったために、怒ったミネルヴァ女神は、アラクネを蜘蛛の姿に変えてしまったという。
ここに描かれた蜘蛛は、「姿は醜いが美しい機を織るもの」として描かれている。その見方は、芸術に敏感だったギリシア・ローマらしいといえる。しかし一方で、そのぶら下がっている糸こそが、この傲慢ゆえに変身した哀れな娘の拘束縄であることが、ミネルヴァ女神の言葉からもわかる。
蜘蛛は、その網を張るという特性から、さまざまな神話において描かれている。芸術的な織物を作るという以外にも、例えばアイヌの伝説では、網を張る漁業の神とされたりしている。
アラクネの説話は、変身物語の中でも有名な話である。興味のある方は一読をお勧めする。不幸な娘の変身場面なども一読に値しよう。
蜻蛉の精(とんぼのせい)
アール・ヌーヴォー期の代表的な宝飾デザイナールネ・ラリック(1860~1945)のデザインしたコサージュブローチ。
この神秘的なまでの美しさは筆舌に尽くしがたい。1900年のパリ万博に出品され、絶賛されたというが、現在でもアール・ヌーヴォー展やラリック展ではその小さなオブジェの前に人の群れができるほど、我々を魅了してやまない。
アール・ヌーヴォー(フランス語で「新しい芸術」を意味する)といえば、波立つようなたおやかな曲線と曲面を特徴とする装飾様式で、このような宝飾品にとどまらず、家具調度や建築物、絵画と19世紀末から20世紀初頭にかけて一大ブームを形成し、現在でも数年置きにブーム(同じブームでも現在のそれのなんとちっぽけなことか)を巻き起こしている。巷間のブームはともかく、このムーブメントの芸術家たちに与えた影響は今日でも非常に大きいといわざるを得ない。そのアール・ヌーヴォー期を代表する人物の一人でもある“ガラスの錬金術師”エミール・ガレもまた、多くの蟲たちをあしらった調度を多数製作しており、妖蟲学徒にも見逃すことはできない。その中でもこの「蜻蛉の精」は、もっともも妖蟲的な作品であろう。
龍と人と蜻蛉が一体になったようなその優雅な姿。本来4枚ある翅は後翅が龍の力強い鉤爪となり、胸部は精霊の眠るような姿が浮かび上がる。翅のフォルムも蜻蛉というよりは印象化された蟲のそれで、繊細な翅脈と繰り返される眼状紋が織り成されている。日本的なデザインとしてのアール・ヌーヴォーの作品という印象は、そこにはない。抽象と具象のない交ぜになった、異形を超越したその美しさにただ打ちのめされるようである。
最後にこの「蜻蛉の精」が登場する作品を見つけたのであげておこう。細野不二彦の「ギャラリーフェイク」というコミックである。その7巻収録の「タイムリミット」(初出:週刊ビッグスピリッツ、1995)に、この「蜻蛉の精」を彫り物として背負った女組長が登場する。話の内容も、アール・ヌーヴォー期の作品(の贋作)のストーリーである。
クドラク(KUDLAK)
参考文献マシュー・バンソン著、松田和也訳「吸血鬼の事典」青土社 スラブ諸国に伝わる吸血鬼のことで、イストリア語方言の呼び名である。このクドラクは吸血鬼狩人クレスニクと宿敵関係にあり、どんな小さな村にもこの両者がすんでいるという。この両者は牛や豚と言った動物の姿で激しくぶつかり合うのだが、黒い方が例外なくクドラクであるという。クドラクは、その死後、呪術的に復活を阻止されない限りは、恐るべき存在としてたちかえり、人間に危害を加えるのである。
さて、そろそろ妖蟲の話題に転じよう。このクドラクおよびそれに類する吸血鬼たちは、バッタに変身できると信じられている。それは、吸血鬼が人間の生命力を枯渇させるように、バッタは大量に発生して農作物を食い荒らすからである。その災害を蝗害と言うが、これはクドラクが悪意から行っていると信じられたのである。
ちなみに、蝗というと日本人などは佃煮にするあの「イナゴ」を思い浮かべがちであるが、古くは「いなむし」と読み、稲の害虫全般を差している。特にバッタとは関係のないウンカやヨコバイを指していることが多い。しかし、現在は農作物を食い荒らすバッタ類に蝗の字を当て、「いなご」と読ませている。この明治政府が定めた誤解を生みやすい名称は、歴史的な慣用法を無視したものであり、一般に普及した誤用ともいえる。これは、現在も様々な訳書に誤訳を生む結果となっている(この項の参考文献である『吸血鬼の事典』も蝗の字に「イナゴ」とふりがながふってある)。
さて、クドラクの変身するバッタであるが、これも実際はトノサマバッタやワタリバッタといた大型のバッタのことで、あの小さな「イナゴ」のことではない。これらのバッタは生活環境内に同種の生存密度が稠密になってくると、体の形を孤独相から群集相(羽が大きく発達した移動のための形)に変化させ、大群となって蝗害をうむのである。その猛威はどんな地域・民族にも、神の怒りや怨霊・悪霊の仕業として映ったのである。クドラクの伝説もそんな例の一つである。
クドラクがことさらピックアップされることは少ないが、唯一、『女神転生デビルサマナー』シリーズで金子一馬氏がヴィジュアル化している。これは吸血鬼ハンター・クレスニク(ゲーム中はクルースニク)との対応関係から、ごく一般的な吸血鬼の姿として描かれている。
ペレシト(Pelesit)
参考文献マシュー・バンソン著、松田和也訳「吸血鬼の事典」青土社 マレーシアには「ポロング使い」という呪術師がいるという。ポロングとは「瓶の中の子鬼」というような意味で、使い魔的な悪霊をさす。そのポロングのペットとされるのがこのペレシトである。いたずらな吸血幽霊であり、通常はコオロギの姿をしているという。ポロング同様、ペレシトも呪術師に使役される。主に人に取りついて病気や死を引き起こすのがその役目で、ポロングと共に行動することが多いようだ。実際、ポロングとペレシトは明確に区別されていない節もある。
ペレシトは、女性になら容易に捕まえられるらしく、瓶の中でサフランライスや薬指の血で養われるという。してみると、ちょっとした呪術として、コオロギが用いられているということなのかもしれない。
ペレシトに対抗するためには3つの方法があり、一つはそれ自体を埋葬してしまうこと。二つ目は魔術師によるポロング使いの名を白状させる呪文。最後に護符である。護符がどんなものであるかは不明である。
残念ながら、マレーシアにおいてコオロギがどんなイメージを持つのか不明であるが、コオロギの鳴き声が不吉であるという信仰は各地にあり、意外と死のイメージを持つ虫なのである。
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