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数秘学

Numerology

西洋占星術易学等と並ぶ占術の一つで、ピタゴラス式やカバラ等が有名である。 一般的な占術の方法は「命術」で、占う対象の生年月日西暦)や姓名などから、固有の計算式に基づいて運勢傾向や先天的な宿命を占う方法である。数秘術の創始者は一般的にピタゴラスの定理で有名なピタゴラスと言われている。彼は「数秘術の父」として知られているが、その数千年前のギリシャ中国エジプトローマでも数秘術が使われていた事を示す証拠が存在している。当時は、許された者にのみ、口頭でその情報が伝えられていたようである。ピタゴラスの後、その思想はプラトンに引き継がれ、数学の発展と共に成熟していく。さらに、西洋占星術やタロット等とも結びつき、ユダヤ教のカバラの書物によって補強され、ルネサンス期にはヨーロッパで隆盛を極めた。一般的に、生年月日や姓名を数字に置き換えて、ひと桁(11、22、33等は例外の場合有り)になるまで全ての数字を足し、最後に出た数字(数字根)の持つ意味から占う。誕生日からは誕生数が、姓名からは姓名数が導き出される。また、誕生日や姓名の一部だけ計算したり、誕生日と姓名の数を組み合わせたりする事もある(誕生数・姓名数は、違う用語が使用される事もある)。 日本人の場合、姓名をローマ字(ヘボン式)で表記し、そのアルファベットをさらに数字に置き換える事が多いようである。 誕生数は一生変わらない事から、持って生まれた性格や先天的な宿命等が占えるとし、姓名数は結婚等で姓が変わったりする際の運命や、呼び名(ニックネーム)の場合の運命等、表面的な事が占えるとする。 生年月日や、占いたい過去や未来の日付等の数字データ、もしくは姓名等、数字に置き換えられる一部の個人情報が必要になる。、

23エニグマ(23 enigma)

23という数が、特別かつ特殊な重要性を持つという思想である。23エニグマは、特に災害に関して大きな重要性を持つ。 23に関わる特殊な状況は、作家ウィリアム・S・バロウズによって言及されている。23年間にわたり無事故で同じ航路を辿っていると主張する、クラークという名前のフェリーの船長との会見の物語を、バロウズは伝えている。しかしながら、正にその日にそのフェリーは沈没した。その後にニューヨーク・マイアミ航路上の23便の墜落事故を耳にした時、クラークのフェリー事故について考えていた事をバロウズは書き記している。バロウズによれば、その便のパイロットの名前もまたクラークであった。バロウズはスクラップブックに数字の23にまつわる出来事の発生率の記録を集め始め、著作の中でそれらの記録について言及している。 更に、23エニグマは、ロバート・アントン・ウィルソンとロバート・シェイのイルミナティ三部作 The Illuminatus! Trilogy や、同様に『プリンキピア・ディスコルディア』 The Principia Discordia でも触れられている。これらの作品では、23とは運勢を代替する数であり、不和の女神エリスに捧げられた数字であり、明白に奇怪な数であると見做されている。『プリンキピア・ディスコルディア』はこの説明に際して、2+3=5としてロウ・オブ・ファイブズに言及している。 ある特定の数は、長い間特殊な一致性に関連付けられてきたが(13と17も同様に好まれている)、23エニグマは、正にアポフェニア(訳註:無作為あるいは無意味な情報の中から、規則性や関連性を見出す知覚作用)の一例と見做しうる。更にメディアや最新の出来事、日常生活の中で、非常に低い数である23は、頻繁に現れるという事実がある。23エニグマの信者が23の存在が「啓示」される過程の捜索を楽しんでいる一方で、懐疑論者は災害や偶然の一致において、23という数字が22や24よりも頻繁に現れない事を指摘している。地球の自転周期(恒星日)は23時間56分である。太陽日との4分の違いは、地球の公転のためである。ユリウス・カエサルは、暗殺された際に、23回突き刺された。勿論、23回以外の回数突き刺されて刺殺された著名人も存在する。テンプル騎士団には23人の総長が存在し、最後の1人がジャック・ド・モレーである。勿論、リーダーが23以外の人数存在した組織は数多い。

  • 人間のバイオリズムの長さは23日である。最初にバイオリズムを仮定した2人の医師ヘルマン・スヴォボダとヴィルヘルム・フリースは、人間の「身体リズム」は23日であると定義しているが、バイオリズムは非常に思弁的かつ主観的な研究分野に過ぎない。

  • 血液が全身を循環するのに要する時間は23秒である。血液は懸濁液であり、血液を構成する血球が全てが同じ速度で流れているわけではない。更に付け加えれば、血液が循環する際に唯一の経路など存在しない。これらの理由により、上の立証は困難かつ無意味である。

  • 人間の腕には、23の関節が存在する。これは確認されておらず、確認の結果も関節の定義に依存する

  • 古代エジプトシュメールの暦は、7月23日から始まる。明らかにどちらの暦も、シリウスが1年を通じて太陽と共に昇る日から計算されている。シリウスは、この時期に太陽と同じ緯度から昇る。

  • ウィリアム・シェイクスピアは、4月23日に生まれて4月23日に死んだ。そして、彼の最初のポートフォリオは1623年に発表された。シェイクスピアの最初の戯曲『タイタス・アンドロニカス』は、1594年1月23日に上演された。後の3点の事例は事実であるが、シェイクスピアの実際の生年月日は未確認のままである(詳細についてはシェイクスピアの記事を参照)。

  • 預言者ムハンマドは、23年間に渡っての啓示を授かり、それを伝え述べた。この数字はハディースの中に見られるが、これ以外の数字も多く伝えられている。

  • ビートルズのファーストアルバムA面の最初の曲は、23テイク収録された。これはおそらく、『プリーズ・プリーズ・ミー』の「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」であると思われるが、実際にもっとも繰り返し収録された曲は、「ラヴ・ミー・ドゥ」の15回である。

  • 獣の数字666は、2÷3の概数0.666として導かれる。「端数処理」を参照。確かに2÷3を切り捨てれば概数は0.666となるが、切り上げや四捨五入など他の端数処理を施した場合、概数は0.667となる。従って、この23エニグマは「2÷3を小数点第4位以下切捨てると0.666になる」というごく当たり前のことを、「概数」という単語を用いて巧みに飾り付けただけのものに過ぎない。

13 は、西洋において最も忌避される忌み数である。「13恐怖症」を、ギリシャ語からtriskaidekaphobia(tris「3」kai「&」deka「10」phobia「恐怖症」)という。 なお、日本においても忌避される忌み数であったとする説がある[1]。西洋では、多くの建物で13階を作ることが忌避される。12階の一つ上は、12A階もしくは12b階、12半階と呼んだり、13階を飛ばして14階にしたりする(中国など地域によっては14も忌み数とみなし、12階の次は15階とするケースも存在する)。これはアパートなどの部屋番号や、飛行機の座席番号などでも同様であり、空港には13番ゲートが存在しないこともある[2]。高層ビルでは、13階が機械室などに充当され、通常の利用者が13階を利用しないようにされる場合もある。ホテルでは、13階を従業員用の施設(更衣室・社員食堂など)に割り当て、客室用エレベーターが通過するという例も見られる。病院で13階や13番目にあたる病室やベッドの番号などを飛ばす事例がみられる。地名においても13番地を飛ばす場合もある。この他、Microsoft Officeなどソフトウェアのバージョン13を飛ばした製品[3]も存在する。 序数の13番に限らず、全部で13人、全13巻などの基数が13になることも同様に嫌われる。パーティーなどにおいて、14番目に来場した賓客を「13を免れた」として歓迎することがある。逆に14人だったのが1人欠けて13人になってしまった場合は、急いで別の人を招いたりもする。アニメーション等のメディア作品も同様で、茨姫の魔女13人を14人に変えるなど対処している。 第二次世界大戦中のアメリカ、ドイツ両陣営で、戦闘機開発において12に次ぐ新機体に付ける番号は、13を避けて14や100などを使っていた。 第二次世界大戦後にGHQに接収された巣鴨拘置所(現: サンシャイン60)に設置された絞首台が13段の階段を設けていたと伝えられ、「13階段」は日本で死刑執行を意味することの隠語になっている。ただし、歴史上の絞首台の段数はまちまちで、13段はあくまで西洋での刑場に多かった一例のようである。 日本でも、13は金気の生数4と成数9の和であるため、完全な金気を象徴する殺気の数である為に忌避されたとする説がある[1]。また、船や山小屋で13人が集まった際は顔の絵や藁人形で14人目を追加する習俗がある[1]。 十三塚や十三重塔などで死者を象徴する数として用いられたとする説がある最も有名な13にまつわる不吉な事故に、アポロ13号の事故がある。打ち上げ時刻をあえて中部標準時で13:13にするなど「迷信を打ち破る」という意味も込められていたが、科学の結晶が迷信のさらなる拡大に寄与してしまうという皮肉な結果をもたらした。それでも幸いなことに、大事故にもかかわらず全員が生還している良い側面もある。

 

「未知数」説[編集]

原初人間が身体で計算できた数は手指の10と両足の2、計12であり、それを上回る13は「不可能(未知)の数」であるから本能的に恐れたとする説。

「非調和な数」説[編集]

古代よりの必要性から時間方位などに六十進法が使われており、中でも60約数の一つである12はそれらを構成する基準の数として、12か月や12時間、12方位などのようにしばしば用いられてきた。生活に広く根付いた基数の12に対し、12より一つ多く素数である13は、その調和を乱すものとして不吉な数と考えられた。

「宗教的要因」説[編集]

北欧神話では、12人の神が祝宴を催していた時に、招かれざる13人目の客としてロキが乱入した。このロキがヘズをたぶらかしてバルドルを殺害させており、後に起こるラグナロク勃発の起因となった。キリスト教神話においては、サタンを13番目の天使であるとする設定があり、これは土着神話のキリスト教化の中で北欧神話の話を元に生まれたとされる。このことから、英語では13のことを「悪魔ダース」(devil's dozen)とも呼ぶ。

13という数は聖書でも特別な意味を持っている。イエスを裏切った弟子であるユダは、最後の晩餐で13番目の席についていたとされており、ユダが13番目の弟子であったする説もある。またキリスト教圏の俗信において、イエスが処刑されたのは金曜日であるとされており、13日の金曜日題材にしたアメリカ映画が大ヒットしたことで、世界中に知れ渡ることとなった。

これらの影響などから、13という数は「不吉の象徴」とされてきた[要出典]こともあり、現代では忌み数のひとつとなっている。

その一方で、13日の金曜日がイエスの処刑された日だと広く言われるようになったのは(少なくとも文書で言及されるようになったのは)近代以降である。また、古くに布教されたトルコエチオピアでは13を忌み数としないように、キリスト教圏全てで13日の金曜日や13という数が不吉とされているわけではない。

キリストの磔刑の日が13日の金曜日、ユダが13番目の弟子などは俗説で、聖書に処刑の日を特定できる記述はない。ユダが「12人の弟子の一人」であるとはっきり書かれており、13番目の弟子という説は成り立たない。ユダが抜けて替わりが入ったという記述もない。13という数に不吉なイメージを押し付けるため、近代になって不明とされてきた、イエス・キリストが処刑された日を13日としたという説もある。

13を吉とする文化

西洋では忌み数である13だが、中国の一部地域では「十三」と「実生」(実るという意)の発音が似ているため吉数としている。広東語ではそれぞれ sap6saam1, sat6saang1 である。また、仏教においては釈尊を守護する十三仏(これ自体は日本で考えられた)というものがあり吉数として捉えられている。中国で忌み数とされているのは次の番号である14である。アメリカ合衆国は建国時のの数が13(独立十三州)であるため、当初は建国に縁のある吉数とされていた。同国の1ドル紙幣の裏面や国章には、「13葉ついたオリーブの枝と13本のを掴む」や鷲の胸にある「13本の縦縞模様(ストライプ)が描かれた」、さらに「13の」、「13層のピラミッド」など13に因んだものがあしらわれている[5]。しかし、その後の13にまつわる凶事や様々な迷信等により現在では忌み数となっている。

ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーは13という数字を好んだ。これは自分と自分の母の名前の綴りが13字だからである。くし屋を「十三や」と呼ぶことがあるのは、くしの語呂合わせである数字の九四が「苦死」に通じて縁起がよくないためでもある。

獣の数字(けもののすうじ)は、『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』に記述されている。以下に引用すると、「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」(13章18節)になった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」(新共同訳聖書 ヨハネの黙示録13章16-18節) この数字「666」の意味については、古来、様々に解釈されてきた。 皇帝ネロ説 自由主義神学の高等批評による聖書学では、ローマ皇帝ネロを指すという説が最も支持を得ている。即ち、皇帝ネロ(Nero Caesar)のギリシア語表記(Νέρων Καίσαρ, Nerōn Kaisar)をヘブライ文字に置き換え(נרון קסר, Nrwn Ksr)、これを数値化し(ゲマトリア)、その和が「666」になるというもの。ヘブライ文字はギリシア文字のように、それぞれの文字が数値を持っており、これによって数記が可能である。この説は、直前の皇帝崇拝らしき記述とも、意味的に整合する(一説によれば、貨幣経済の比喩ともいわれる)。写本によっては、獣の数字は「666」でなく、「616」と記されているものもある(詳細は後述)。この場合は、ギリシア語風の「ネロン」ではなく、本来のラテン語発音の「ネロ」(נרו קסר Nrw Ksr)と発音を正したものと解釈できる。 ローマ教皇説 この数はローマ教皇(=ローマ司教)を指すとする説が、反カトリック教会の注意喚起として普及している。それによれば、「666」とはラテン語で「神の子の代理」を意味する"Vicarius Filii Dei"の、ローマ数字部分を足し合わせたものと一致する、という(V=5、C=100、I=1、L=50、D=500)。 ニーコン総主教 「666」は反キリスト(シヴァ=3つの目を現す為[要出典])を指すものとして捉えられてきたが、ロシア正教では1654年に総主教ニーコンによって行われた典礼改革に反発して破門された正教古儀式派(主流派正教会には「ラスコーリニキ(分離派の意)」と蔑称される)が1666年を反キリスト出現の年と解釈する動きが生じた。その根拠として、総主教ニコン(198)、彼を総主教に抜擢した皇帝アレクセイ(104)、ニコン配下のギリシャ人典礼校訂者アルセニウス(364)の3つの数字の和が「666」で獣の数字と一致する、という説が唱えられた。ちなみに古儀式派が破門されたのも高位聖職者会議の開かれた1666年から1667年の事である。 エホバの証人 また、エホバの証人は、6は7が象徴する完全さに達しない事を表すとし、さらに6が3回繰り返される事は凶兆を表すとし、獣は人間の諸政府を表すと捉える事から、この数字は「神の完全さの基準に達しない、この世の巨大な政治体制」[1]を指すと解釈している。 創世記 創世記と関連させると、神の創造の6日目に獣が創造され、人も同じ6日目に創造され獣を支配していることから、支配される獣と同カテゴリとしての人間を指し、この数字によって達成させられる相対的に大きな数字が「666」になる。ただし、対比する神の刻印には数字も名前もないので無限である。キリストのような奇跡を行うほどに、その大きさを誇る人間の偉業でさえも、神の前では有限であり、印を押させた獣は地中から生じた獣であることから、すべての土の器を持つ者に生じ得る活動であり、支配・管理そのものを目的とする組織を生じさせることが暗示されている(教会組織であっても創造主を意識しない人の力に依存した活動になれば、支配を目的とするようになるので、智恵により見分けることが求められている)。 感染危機管理説 バイオハザード(微生物危害)管理に用いるマークは当初視認性が高いという理由からの意匠発案であったが デザインとして666及びその上下反転999がデザインに盛り込まれているという(特異的なマークについての俗説)

近年、オクシリンコス・パピルスの解析が進み、その内の一つが獣の数字の節を含むヨハネ黙示録の写本であることがわかった(P.Oxy. 4499。聖書学では{\displaystyle {\mathfrak {P}}}115。{\displaystyle {\mathfrak {P}}}はパピルスの写本を意味する)。この写本は獣の数字を「616」と記している。この異読はエフラエム写本(C と略す)やエイレナイオスの著書を通じて、以前より知られていたが、当該写本が非常に古いものであったこともあり(3世紀~4世紀)、一部マスコミがセンセーショナルに報道し、広く知られることになった。

しかし、聖書学の本文批評は、彼らが伝えたような単純な解釈とは異なり、より古い写本の読みが常に正しいと考えるわけではない。なぜなら、現存する全てのテキストは、オリジナルではなく、写本だからである。ある比較的新しい小文字写本は、古い写本を写したもののため、非常に古い読みを伝えていたり、また、ある成立年代の古い大文字写本が、教義に合わせて色々と修正・加筆されていることもある。この異読は、エイレナイオスが伝えているように、2世紀にはすでに存在していたことが明らかであるため、たとえ現存最古であっても、3世紀~4世紀の写本が決定的な意味を持つことはない。

13章18節を含む写本では、{\displaystyle {\mathfrak {P}}}115と同時代、或いはそれより古いと推測される3世紀に書かれた{\displaystyle {\mathfrak {P}}}47があり、こちらは「666」としている。{\displaystyle {\mathfrak {P}}}115はアレクサンドリア写本(A と略す)と C に読みが近く、{\displaystyle {\mathfrak {P}}}47はシナイ写本(א と略す)に近い。ヨハネ黙示録においては、א よりも、A と C が本文(オリジナルの文)に近いと考える研究者もいるが[2]、この箇所では、肝心の A と C の読みが異なっている。「666」とするものは、ギリシア語大文字写本では{\displaystyle {\mathfrak {P}}}47, א, A, 051 があり、また小文字写本のほぼ全てがこれに従う。一方、「616」の異読は、{\displaystyle {\mathfrak {P}}}115, C の2写本のみがある。2世紀のエイレナイオスは「666」を本文と見なしており(『異端反駁』第5巻 30, 3)、これも「666」を支持される有力な根拠となっている。現時点では、「616」が本文であるとする研究者はごく一部に留まる。

なお、異読には「615」というものもある。

「666」の数字は「ヨハネの黙示録」が初出ではない。

列王記1: 10:14

ソロモンの歳入は金六百六十六キカル、

歴代誌2: 9:13

ソロモンの歳入は金六百六十六キカル、

エズラ書: 2:13

アドニカムの一族六百六十六人、

666恐怖症(666きょうふしょう、Hexakosioihexekontahexaphobia)とは、ヨハネの黙示録13章18節に出てくる詩に由来する恐怖症である[3]。この詩の中で、「666」という数字は、サタンや反キリストにつながる獣の数字とされている[4]。有名な例は、ナンシー・レーガンとロナルド・レーガン夫妻が1979年にロサンゼルスのベルエア地区に転居した際、「666 St. Cloud Road」という住所を「668 St. Cloud Road」に変えさせたということがある[5][6]。 この恐怖症は、『オーメン』等のホラー映画や『パルプ・フィクション』等の犯罪映画のモチーフとして使われることもある。 2003年には米ケンタッキー州にある神学校の電話の局番号が「666」であったため変更した[7]。 2006年6月6日(06/06/06)に子供が生まれることを懸念する女性もいた[8]。BBCニュース・オンラインのコラムは、666恐怖症の定義を2006年6月5日の「デイリーミニクイズ」の問題とし、翌6月6日、正解が88.8%だったことを公表した[9]。 また別の例は、オランダのキリスト教系財団Opwekkingである。彼らの歌集が、2007年5月に666番に達した時、彼らは「人々への配慮として」その番号を飛ばした[10]。また、この番号の曲がこの年の最後の曲であったため、ペンテコステの頃に新しい歌集を毎年出すことにし、歌集の表紙に666の番号を付けることにした。結果として、この歌集では、665番から667番に番号が飛ぶことになった。キリスト教の批評家は、このような排除を迷信であるとする[11]。

英語では、11や111のピンゾロがsnake eyes (蛇の目)と見なされ、忌み数とされ、獣の数字666よりも11や111が嫌われるようになった。また、1階では、110号室の隣を112号室とすることがある。それに対し、ヨーロッパの建物は、地上階(G階、もしくは0階)の上が2階になり、1階を作らないこともある。イタリアでは 17 が忌み数とされる。17 をローマ数字で書くと XVII となり、これを並べ替えると VIXI となる。ラテン語で vīxī は、vīvō 「私は生きている」の直説法完了にあたり、「私は生きることを終えた(私は死んでいる)」という意味になるからである。新約聖書『ヨハネの黙示録』において、「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は 666 である。」と記されている(13章18節)。これにより、忌み数とされる。

ヌクタウィーヤ(アラビア語: نقطوية‎, ラテン文字転写: Nuqṭawiyyah)

14世紀のイランにおいて、マフムード・パスィーハーニー(ペルシア語: محمود پسیخانی‎, ラテン文字転写: Mahmūd Pasīkhānī))により創始された宗教運動、教団、思想である。15世紀末のサファヴィー朝の興隆とともに信者を増やしたが[1]、16世紀末には度重なる弾圧を受けて衰微した[2]。ヌクタウィーヤ(ヌクタウィー派、教団)ははじめ、カーシャーン近くの村、アンジュダーン(英語版)に興った。アンジュダーンはイスマーイール派の一分派、ニザール派の本拠地であったことでも知られる。マフムード・パスィーハーニーはおそらくギーラーン出身、1397年にマフディーを自称し、新しい摂理を説いた[1]。ヌクタウィーヤはフルフィーヤ(英語版)(フルーフィー派、教団)から分派した教団である。パスィーハーニーは元々フルーフィー派に属していたが、傲慢が過ぎるということで追放された。パスィーハーニー存命中はほとんど影響力を持たなかったヌクタウィーヤであるが、サファヴィー朝の初代シャーハンシャー・イスマーイール1世代に急速に信者を増やした[1]。タフマースブ1世代にはシャー・タフマースブこそがマフディーであると宣言しようとした。タフマースブ1世自身はヌクタウィー教団の詩人、アブル=カースィム・アームリーを盲刑に処し[2]、アンジュダーンの教団コミュニティを皆殺しにして弾圧した[2]。アッバース1世(大王)は最初、クズルバシュへの対抗の意味合いからヌクタウィー派を利用しようとし、入信もしかけたが、のちに弾圧に転じた。教団の名前はアラビア語で「点」を意味するヌクタ(アラビア語: نقط‎, ラテン文字転写: Nuqṭa)に由来するとされるが、詳しいことはわかっていない[1]。パスィーハーニーは妻帯せず、弟子たちに独身を奨励した[3]。彼が言うには、独身者はワーヒド(wāḥid)の階級に到達したのであって、ワーヒドには聖数19の数的価値がある、という[3]。ヌクタウィー派の信者は19という数に、他の数よりも例外的に重要な意義を見出だした[3]。 彼らはまた、循環的な歴史観を持つが、これはイスマーイール派の名残である[3]。ヌクタウィー派の歴史観において、天地が存在する長さは全部で64,000年である[3]。これは16,000年ごとに4つの時代に分けられる[3]。4つの時代はさらに、それぞれ8,000年ごとに2節に分割される[3]。そして、この8,000年ごとにアラブ人の時代とペルシア人の時代が、交互に入れ替わるという循環史観を持っていた[3]。パスィーハーニーはアラブ人の時代がもうすぐに終わり、イランの栄光が復活すると説いた[1]。ペルシア人の時代がくれば、カスピ海沿岸のギーラーンとマーザンダラーンがマッカとマディーナに代わるだろうと民衆に訴えた[1]。ヌクタウィー派はその教義のほとんどをフルフィー派から借用している。フルフィー派の教祖ファドルッラーフ・アスタラバーディーは1394年に亡くなるが、生前パスィーハーニーとの間に個人的なつながりがあった。フルフィー派からの影響として顕著なものは、ペルシア文字の字母と音韻に数秘術的な意味を付与することへのこだわりがある。また、フルフィー派については、アスタラバーディーが自著『神の栄光の宣言』(ẓohūr-e kebrīāʾ)[注釈 2]で自らがマフディーであると宣言したと推測する説がある[4]。同じく、パスィーハーニーもマフディー宣言を行っただけでなく、再臨のイーサーであるとも主張した。バーブ(門)の名で知られるセイイェド・アリー・モハンマドの著作には、数字を文字で表すクロノグラムを説明したもの、カバラ的解釈法の解説、護符や占星術表に関するもの、数字を使った計算術などが多く含まれるが、その中のいくつかにはヌクタウィー教団のカバラ的象徴主義に類似するとみられる。なお、バーブ教も19という数を神聖視する。アリー・モハンマド・ナーゼム・アッ=シャリーアによると、バーブはマークー(英語版、ペルシア語版)で獄に繋がれている間にヌクタウィー派の思想を学び、それを『バヤーンの書(英語版、ペルシア語版)』で開示した思想の中に直接取り込んだという[3]。これに対して、セイイェディー(2008)は、ヌクタウィー派のいくつかの要素がバーブの著作に認められるのは確かだが、神の御業を直接、ペルシア文字の字母の中に見出だすヌクタウィー派と、バーブ教との間の隔たりは大きいと述べる。セイイェディー(2008)によれば、バーブ教では実際の字母ないし神聖文字そのものの問題については少ししか扱っておらず、その代わり、人類の操る神聖文字は神の表象であるという神秘的な世界観について扱っているのだ、という[5]。

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