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異言现象

异言现象 glossolalia
异言是一种圣灵的恩赐,常见于基督新教的灵恩派,即五旬节教派。该词来自希腊语γλῶσσα(glõssa, 舌头·言语)+λαλιά(laliá, 声音·发话);在新教中被译为"说方言",在天主教中被译为"舌音"。glossolalia主要用于宗教领域,而xenoglossia主要用于超心理学领域,后者指操控一种从未学过的外语或一种意义不明的复杂语言的能力。

《新约》中有四处明确提到方言。 这四处经文是:

(1)《使徒行传》2:1-13 公元33年五旬节,12位门徒获得圣灵的恩赐以方言​说话

  "五旬节到了、门徒都聚集在一处。忽然从天上有响声下来、好像一阵大风吹过、充满了他们所坐的屋子。又有舌头如火焰显现、分开落在他们各人头上。他们就都被圣灵充满、按着圣灵所赐的口才、说起别国的话来。那时、有虔诚的犹太人从天下各国来、住在耶路撒冷。这声音一响、众人都来聚集、各人听见门徒用乡谈说话、就甚纳闷……彼此说、这是甚么意思呢。还有人讥诮说、他们无非是新酒灌满了。

(2)《使徒行传》10:44-47  彼得向聚集在哥尼流家里的外邦人传讲福音

  "彼得还说这话的时候,圣灵降在一切听道的人身上。那些奉割礼和彼得同来的信徒,见圣灵的恩赐也浇在外邦人身上,就都希奇;因听见他们说方言,称赞 神为大。于是彼得说:“这些人既受了圣灵,与我们一样,谁能禁止用水给他们施洗呢?"

(3)《使徒行传》19:1-7 保罗与施洗约翰的门徒会面,使他们口吐方言

  "…保罗经过了上边一带地方,就来到以弗所;在那里遇见几个门徒,问他们说:『你们信的时候受了圣灵没有?』他们回答说:『没有,也未曾听见有圣灵赐下来。』…保罗说:『约翰所行的是悔改的洗,告诉百姓当信那在他以后要来的,就是耶稣。』他们听见这话,就奉主耶稣的名受洗。保罗按手在他们头上,圣灵便降在他们身上,他们就说方言,又说预言。一共约有十二个人。"

(3) 《哥林多前书》12:1-14:40 保罗指出了方言的滥用,并规范了使用方式
  "…你们要追求爱,也要切慕属灵的恩赐,其中更要羡慕的,是作先知讲道。那说方言的,原不是对人说,乃是对神说。因为没有人听出来。然而他在心灵里,却是讲说各样的奥秘…"
  "…若有说方言的,只好两个人,至多三个人,且要轮流着说,也要一个人翻出来。若没有人翻,就当在会中闭口。只对自己和神说,就是了。至于作先知讲道的,只好两个人,或是三个人,其余的就当慎思明辨。若旁边坐着的得了启示,那先说话的就当闭口不言。因为你们都可以一个一个地作先知讲道,叫众人学道理,叫众人得劝勉…"

过往圣经学者剖析的中古世纪教会文献中,很少提到"说方言"的这项宗教行为。灵恩派学者认为,其一是作者在著作中常用"说预言"来代替"说方言";其二是在早期基督教屡受迫害,信徒不得不避免在文章中提及方言。传统福音派则认为,过往教会都没有任何说方言的文献,正好证明说方言是与基督徒无关重要的。事实是,方言已经停止超过最少1600年以上,今天的方言也如圣经提及过往的方言不太相同。
1886年,在美国田纳西州北卡罗莱纳州乔治亚州的山区里,有一小群脱离浸信会的基督徒持续举行聚会祷告,最后声称自己能口吐方言,这群人后来成为五旬节教派中最早的一支,称为"神教会"(Church of Go),此后,真耶稣教会五旬节会、 浸信会、 天主教、 圣公会、 循道会、 路德会长老会的信徒也接纳了这个观点。但即使在灵恩派里面,对"方言"亦有不同的说法。有人认为"方言"是赞美上帝的话,一般人在未经会"譒方言"的人作翻译之前,不应该听得明白。但亦有宗派认为,方言应该是其他人能够听得明白的语言,否则就没有存在的必要。

早期教会中的方言
埃里奈乌(Eirenaeus,140-203 年):提到方言和有预言恩赐的人的传言。
良(Tertullian,150 - 222 年):他加入了蒙丹派。 在驳斥异教徒马尔基翁时,他写到了自己对有方言天赋的人的看法。
约翰内斯-金口斯托莫斯(Johannes Chrysostomos,347-407 年):明确指出方言在他的时代已成为过去。
奥古斯丁(354-430 年):认为方言已经过时。
本杰明-欧文(Benjamin Irwin)从浸信会转入圣洁会后,接触到约翰-卫斯理的同工约瑟夫-弗莱彻(Joseph Fletcher)的著作,后者声称圣灵之火会带来第三种工作。 据说这第三次工作伴随着呼喊、啜泣、哭泣、舌头和狂喜状态。
1900 年 12 月 31 日,查尔斯-帕勒姆为圣经学校的女学生按手,她们说起了方言。
1906 年,在洛杉矶的阿苏萨街,接受过帕勒姆培训的威廉-西摩在一所房子里聚会时陷入狂喜,出现了方言现象。 他继续在阿苏萨街的卫理公会教堂聚会,这一现象在那里成为谣言并传播开来。 洛杉矶的一家报纸刊登了这一消息,并传遍全国,发展成为五旬节运动。

五旬节运动主要由卫理公会教堂的牧师巴雷特(T.B. Barrett)传播到世界各地。 然而,五旬节运动遭到了圣洁阵营的激烈反对。 反对的主要原因是五旬节派教会提倡 "方言",这是第三种成圣形式,与第二种成圣形式相对立。即使在五旬节派内部,对方言的理解也存在冲突。 由于这种冲突,1914 年后五旬节派阵营一分为二。 一方是神召会,他们认为成圣是由皈依完成的,而方言是圣灵灌注造成的现象。 另一方是神召会,他们主张通过接受方言即圣灵的洗礼来完成罪的完全洁净。
基督教方言的方法[编辑]
灵恩派和五旬节派学校目前教授的方法是在祷告时大声说出按手时想到的话语,相信这些话语来自上帝。 然而,福音派教会批评这种方法是人为的,与《圣经》中的超自然现象不同。[2]
超心理学中的方言[编辑]
参见 "真正的方言"。
在超心理学中,方言(吟诵性异口同声)分为两大类:一类是吟诵性异口同声,即无法与母语者直接交流;另一类是反应性异口同声,即可以与极少数说话者交流。 后者是更重要的研究对象,但科学、公正的研究方法尚未确立,也没有找到确凿的案例证明朗诵型异口语的存在。

真性異言 xenoglossia/xenoglossy

 

希: ξενογλωσσία   ξένος(xénos 「異国の、見知らぬ」)+ γλῶσσα(glõssa 「舌、言語」)+ -ία(-ía 女性抽象名詞語尾)=「異国の言語(聞き慣れない言葉)を話すこと」)の訳語で、学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象を指す、超心理学の用語。広義の「異言」に含まれるが、宗教的文脈で用いられる狭義の「異言」(グロソラリア、英: glossolalia)とははっきりと区別される。 超心理学の分野では、真性異言を朗唱型異言(recitative xenoglossy)と応答型異言(responsive xenoglossy)の2つに大別する。 朗唱型異言とは、知らないはずの言語を話したり書いたりすることはできるが、それを使って母語話者とコミュニケーションすることはできないという場合である。真性異言として報告されている多くの事例はこちらに属し、詳しく調べてみると、無意識のうちに記憶していたものが何かの拍子に出てきただけという場合が多い。 一方、応答型異言は、母語話者と意志の疎通ができるという場合であり、研究対象としてはこちらの方が重要である。科学的に調査された応答型異言の事例として、カナダの生化学者・精神医学者イアン・スティーヴンソン(Ian Pretyman Stevenson)が報告している3例と、イギリスの超心理学者メアリ・バーリントン(Mary Rose Barrington)らが報告している1例がある。スティーヴンソンによる3例のうち2例は退行催眠(前世療法)時に生じた事例、残りの1例とバーリントンらが報告している1例は、いわゆる憑依現象による事例である。

イェンセンの事例(退行催眠時の真性異言)

1955年から1956年にかけて、英語を母語とするアメリカ人の匿名女性に、夫の導入による催眠状態の中で、イェンセン(Jensen 。ただし姓であり、名ではない)という過去世の男性人格が登場した(ただし、慎重なスティーブンソンは、可能性が高いとしながらも真偽の判断は保留している[1])事例。女性はユダヤ系の両親の元で育ちフィラデルフィアで育っている。父親も母親もロシアオデッサ生まれの移民。両親をはじめこの女性の生育歴を見る限りスウェーデン語を学んだ形跡はないにも関わらず、退行催眠中に登場するイェンセンはスウェーデン語の母語話者と会話をすることができた(8回行われた退行催眠セッションの間に、6〜8回ほど母語話者と直接話をした)。イェンセンの話すスウェーデン語にはノルウェーなまりがあり、また自分の住んでいる場所をはじめいくつかの地名を明らかにしたが、現在の地図でどこに相当するのかは特定できなかった。

アメリカの言語学者セアラ・トマソン(Sarah Grey Thomason)による再調査では、イェンセンがスウェーデン語話者であることを、納得を以て断言することができなかった。対話の中で勉学に励んだと語っていたイェンセンの語彙は100語程度しか無く、しかもその内60語ほどは対話相手が先に用いた語であり、更にスティーヴンソンのコンサルタントの一人が指摘したように、英語との同族語を除いてしまえばイェンセンの純粋なスウェーデン語の語彙は31語程度に収まってしまう。また、イェンセンが複雑な文章を組み立てる事は無く、返答は一二語ほどで簡単に済ませてしまう。スティーヴンソンも認めるように、イェンセンのお粗末な発音は、筆記転写による正確な綴りで補われていた。しかしながらスティーヴンソンのコンサルタントのうち2人は彼のスウェーデン語のアクセントを賞讃し、またある1人は「7」の発音が母語話者のそれと比べて正確であると断じた。トマソンは、欺瞞を取り除こうとする先のスティーヴンソンの努力を認めている。しかしイェンセンのスウェーデン語能力は「店で何かを買うのに、代わりに支払うものは?」という質問に対して「私の妻」と答える程度のものであった[2]。後に言語学者ウィリアム・サマリン(Willam John Samarin)もトマソンの調査結果を追認している。

グレートヒェンの事例(退行催眠時の真性異言)[編集]

英語を母語とするアメリカ人女性ドローレス・ジェイ (Dolores Jay)が催眠状態にある時に登場した10代少女の人格で、母語話者とドイツ語で会話をすることができたという。ウェスト・バージニア州で生まれ育ったドローレスは、同州育ちでメソジスト牧師のキャロル・ジェイ(Carrol Jay)の妻。教区の信者の治療のために催眠を用いていたキャロルが妻に催眠をかけたところ、ドイツ語を話すグレートヒェン(Gretchen 。マルグレーテ愛称形)なる人格が出現した。スティーヴンソンは、グレートヒェンの話した内容を詳細に分析した[3]結果、彼女が19世紀最後の四半世紀をドイツで送ったと考えるのに十分な証拠があるとした。グレートヒェンがドイツ語を話したセッションは19回に及んでいる。セッションの間、彼女は1度だけドイツ語の辞書を引いたが、それ以前に206語もの単語が自然に彼女の口から出てきていた、とスティーヴンソンは指摘した。

トマソンによる再調査[4]によれば、欺瞞を示す証拠が認められた。実は、グレートヒェンはドイツ語で対話することができなかった。彼女の発言は相手の質問を抑揚を変えて繰り返すものが大半で、その他はほんの一二語程度の短い言葉のみであった。また、「ドイツ語の語彙はほんの僅かで、発音に難あり("German vocabulary is minute, and her pronunciation is spotty")」[2]。語彙は120語程度で、十分な意思疎通ができるレベルである400〜800語にも遠く及ばない。しかも、憶えている語彙も、英語と同語源でよく似た形の単語ばかりであった。

例えば、「眠りの後には何がある?(Was gibt es nach dem Schlafen?)」という質問に対する彼女の回答は「Schlafen ... Bettzimmer.」であった。おそらく英語の「bedroom」にあたる言葉を言おうとして、構成要素のそれぞれに対応するドイツ語の Bett と Zimmer を組み合わせたのだろうが、ドイツ語で寝室は Schafzimmer であり、Bettzimmer は宿泊施設の客室を指す。ちなみに、スティーヴンソンはこの回答を「正解」としていた。

ドイツ北東部の都市エーベルスヴァルデについては、存在しない市長の名を挙げるなど、確かな事が一つも言えなかった。またマルティン・ルター宗教的迫害についての彼女の発言には、スティーヴンソンでさえ疑いを持っていた。

シャラーダの事例(憑依現象による真性異言)[編集]

1973年インドで発生した事例で、マラーティー語を母語とする女性ウッタラ・フッダル(Uttara Huddar)がトランス状態になって登場した女性人格。シャラーダ(Sharada)はウッタラの母語であるマラーティー語は話さず、ベンガル語を流暢に話した。イェンセンやグレートヒェンは催眠中に登場した人格であるが、シャラーダは覚醒中に突然出現した(憑依現象)。スティーヴンソンが現地に赴きこの事例について調査[3]を始めたのは1975年のことだが、調査に区切りをつけた1980年にもまだシャラーダの出現は続いていた。

シャラーダは両親や親族の名前、自分に馴染みのある土地の名前など自分についてかなりのことを語り、またその多くは実在したが、シャラーダが生まれ育ったと考えられる家系を正確に突き止めることはできなかった。言語だけでなく、その立ち振る舞い、習慣など全てベンガル風で、明らかにマラータ族のウッタラとは異なっていた。たとえば、ウッタラより頻繁に食を断つ(断食する)、椅子にではなく床に坐る、夫の名前を聞かれた時に顔を赤らめる、ほとんどの時間を一人でベンガル語の宗教書などを読んで暮らす、など、ウッタラには見られない少し古風なベンガル女性の特徴を見せた。また、シャラーダの両親をはじめマラーティー語を話す人達に囲まれながら、マラーティー語を話そうとはせず、マラーティー語を粗野な言語だと軽蔑しているようであった。

シャラーダ人格が出現している時にはウッタラとしての人格は見られなくなり、ウッタラとしての人格が現れている時にはシャラーダ人格は登場しなかった。シャラーダが出現する時にはまるでウッタラの人格がどこかに押しやられ、シャラーダに乗っ取られるような感じであった。ウッタラに戻った時にはシャラーダとしての記憶はなく、シャラーダにはウッタラの記憶はなかった。

しかし、スティーヴンソンがシャラーダの音声記録をベンガル語を母語とする話者に聴かせたところ、その喋りが流暢かどうかでは意見が分かれた[3]。実は、ウッタラの故郷は人口比1%のベンガル語母語話者が住む街で、父娘共々ベンガル語には長らく深い関心があった。また、ウッタラはベンガル文学を翻訳書で読んだ事があり、ベンガル語の読み方教室にも通っていた事があった[3]

ルシアの事例(憑依現象による真性異言)[編集]

1933年、高い教育を受けた16歳のハンガリー少女、ファルツァーディ・イリス(Farczády Irisz)が自称41歳の労働者階級のルシア[要曖昧さ回避](Lúcia)というスペイン女性に身体を乗っ取られる(ように見える)事件が起きた。内気で教養あふれるイリスの性格は、がさつであまり上品とは言えない掃除婦の性格に変わり、イリスの母語であるハンガリー語はルシアの母語であるスペイン語に完全にとって代わられてしまった。この事件はマスコミでも広く報道され、よく知られるようになったが、次第に人々の関心は薄れ、忘れ去られてしまった。

70年後の2003年、メアリ・バーリントン、オーストリアのペーター・ムーラッツ(Peter Mulacz)、オランダのティートゥス・リーファス(Titus Rivas)ら3人の超心理学者がこの事件を再調査[5]し、ルシアと名乗る人格に相当する人物がスペインに実在するかどうかという点の確認と、86歳になったルシアの言語能力を調べた。大規模な調査にも関わらず、ルシア人格に相当する人物の特定はできなかったが、流暢なスペイン語を話すイリスの言語能力は再確認され、資料は心霊現象研究会 (SPR) の図書館に資料として保存されている。

ジョエル・ホイットンの事例(退行催眠による真性異言)[編集]

トロント大学医学部の精神科教授であるジョエル・ホイットンは、約30人の被験者を集め、退行催眠を用い彼らの記憶を探った。その結果、真性異言が現れたケースがあった。ある35歳の科学者が無意識に発した言語は古代スカンジナビア語であったことが言語学的に確認された。この被験者は、既に絶滅語となった紀元前メソポタミアのササニド・パーラディ語を無意識下で書くこともできた。[6]

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