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占星术

  夜观天象,会发现大多数星座都像太阳和月亮一样东升西落。天穹似乎围绕着一个固定的点——与北极星相邻的天之北极而旋转。但实际上,我们看到的天穹只是地球的一半,地球倾斜地悬浮在宇宙中、围绕着连接两极的一根轴线而旋转。如左图所示,地球的基本轴是标注为PP´的极轴,与此垂直的最大圆周就是赤道,它将地球分为南北两个半球。

 极点在地平线上的高度就是该地的纬度(l)。 垂直线OZ与两极的方向决定了该地的子午线平面,该子午线平面在南北方向切割地平线。这些基本要素,即地平线、天顶、两极、子午线、东西北南的方位基点,对每个特定的地方来说总是恒定不变的。 因此,它们被永久地固定在当地的天球上。第二天球以这个天球为中心,天空中的各种天体围绕它的极轴不断运动旋转。这种运动也被称为昼夜运动,其周期以恒星日表示(天球上的春分点通过某一点的子午线与它的下一次通过之间的时间),比我们日历上的正常日短四分钟左右。普通日是以太阳为基础的,而太阳在恒星中并不固定,正是太阳每天在某一星座上的轻微移动导致了四分钟的误差。 固定在天球上的恒星做昼夜运动,每颗恒星都在本地天球上画一个小的、总是相同的圆,这就是所谓的天体纬度。

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 極に近い星で、子午線のNとRの間を横切る星はけっして地平に沈むことがない。いわゆるその場所の北周極星である。これと対称の位置に、南極P´の周囲を巡る星が存在するが、こちらは永久に眼に見ることができない。これらの星の描く緯線が地平線の下側(永久に眼にできないSP´Qの椀型をした半球)にあるからである。逆にNRとSQの円の間に含まれる星はすべて、特定の場所ごとに地平から昇り、また地平に沈む。日周運動の運行で描く緯線が地平面で裁ち切られるからである。しかしその緯線は必ずしも等しくない二つの部分に切られる(直径の部分で二分される赤道は別にして)。つまり地平線より上方に位置し、昼の弧と呼ばれる緯線の弧は、その緯線がNRに近いだけより大きい部分(全円周中の割合でいって)を占めるのである(同様にSQに近いだけより短くなるのは言うをまたない)。地平線より下方に位置する夜の弧はその逆である。


 N-S=南北の方位.W=西.CIL=昼,星がLに昇り,Cへ沈むまでに描く天球緯線の弧.

  地平線上の天体が空に昇って沈むまで姿を見せている時間は、LICの角度によって測定される。両極に対して九〇度に位置し、したがって日周運動の運行が赤道を描く星は、一日のうち一二時間を空に昇っており、残りの一二時間は沈んだ状態である。天球赤道より北にある星は、二四時間のうち一二時間以上空に昇ったままである。南にあれば、一二時間以下ということになる。Sに近い子午線を横切る星は、ごくわずかの時間しか姿を見せない。観測の場所が定められれば、簡単な公式(1)によって、ある星の空に昇っている時間Dを、その赤道に対する距離AEに応じて知ることができる。
(1) cos D/2=-tanιtanδ
ι=場所の緯度=極の高度
δ=AE=星の赤緯
D=眼に見える時間(一五度につき一時間の割合)


太陽固有の運動
 ―― 太陽は星と同じ日周運動をともに行なうが、星とちがって天球に固定された状態のままではない。一年間で所定の星座を横切りながら、黄道と呼ばれる巨大な円を運行するのである。赤道面に対して二三度三〇分の傾きをもつ黄道面は、直径γγ´に沿って赤道面を切る。点γ(ガンマ)が春分点、γ´が秋分点である。太陽はこの黄道上を一日につき一度(おおよそ)の割合で日周運動とは逆方向に進む。この移動のために恒星日と常用日の不均衡が生じるのは前に触れたとおりである。ある一日、太陽がレグルス星〔獅子座のアルファ星〕と同じ時間に子午線を通過すると想定しよう。翌日には、レグルスが南中する時、太陽は子午線の東一度の位置にあり、四分後になって初めて子午線を通過するのである。さらに次の日になると、その遅れはレグルスに対すること八分になり、以下同じ比率で差が生じてゆく。ほかでもない、太陽が常用時と結びついたのは、太陽が日々人間の活動を規正するためである。
 黄道上を運行するこの太陽の固有運動は、また四季の循環の原因になり、同時に年を決定する。太陽が天の南半球を離れながら、点γを通過し(三月二一日)、さらに北半球に進むに従って、われわれの自然な昼を与えることになる、太陽が地平線上に存在している時間(1)はしだいに増して、ついにはわれわれの緯度で一六時間に達する。この間が春である。ついでこの時間は、太陽が赤道に立ち帰る間、一二時間まで減少するが、これが夏である。γ´を南へ通過した後は、秋と冬の短い(一二時間から八時間までの)昼となる。
(1) 時間が問題になるとき、フランス語のもつやっかいなまちがいやすさを、あらためて嘆かわしく思う。つまり、《jour》〔一日・昼〕という言葉は二四時間という一定した時間を意味すると同時に、夜nuitという言葉と対比して、《où il fait jour》〔夜が明けてからの〕時間のさまざまに異なった部分も意味する。同じように《heure》〔時(じ)・時間〕という言葉は、一日の二四分の一の時間を意味すると同時に、限定された瞬間un instantを意味する(今何時か? というように)(訳注)。

▣ 天球 Celestial sphere

是在天文学和导航上想出的一个与地球同球心,并有相同的自转轴,半径无限大的球。天空中所有的物体都可以当成投影在天球上的物件。地球的赤道和地理极点投射到天球上,就是天球赤道和天极。天球是位置天文学上很实用的工具。它以观察者所在的地球上的一点为中心,决定了星位。

▣ 天球 Celestial sphere

是在天文学和导航上想出的一个与地球同球心,并有相同的自转轴,半径无限大的球。天空中所有的物体都可以当成投影在天球上的物件。地球的赤道和地理极点投射到天球上,就是天球赤道和天极。天球是位置天文学上很实用的工具。它以观察者所在的地球上的一点为中心,决定了星位。

恒星時
 ―― 特定の時間、局所天球について、天球とそこにあるあらゆる天体の位置を明らかにしようと思えば、子午線に対する点γの位置、つまりEOγの角度の数値を知れば十分である。この一時間につき一五度一律に増す角度が恒星時の名で呼ばれ、0から24時まで数えられる。点γが特定の場所の子午線を通過する時、その場所の恒星時は0時である。この点γが、赤道や黄道や天球全体をPP´の周囲での回転運動に引きこむと想像してもかまわない(第3図参照)。局所天球に関する星をちりばめた空の布置は、したがってγの位置、つまり恒星時にもっぱら従うのである。
 在占星计算中,恒星时特别重要,它决定了天空的方位[一个用来描述太阳、月亮和行星在天球上的相对位置的术语,可以翻译为星相、星座相或星位]。其原因是,它决定了太阳、月亮和行星在天球上的位置。如果使用时钟或者户籍登记中记载的生辰,就必然会得出错误的结论。因此还需要大量的算术将太阳时转换为恒星时。

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  図は,十二宮帯域の中央を通り,点γおよびγ´の2つの分点で天球赤道を切る,いわゆる太陽の年間軌道である黄道を示す.日周運動は矢印の方向に運行する.太陽は1年間で矢印とは逆の方向に黄道をまわる.
 MCとFC,AscとOccの4点には占星術的な意味がある.それぞれ黄道と天の子午線,黄道と地平線の交叉する点である。さてここでいくつかの協定を想起しておこう。たとえば基本となる時間、あるいは世界時(T・U)とは、グリニジの常用時である。いっぽう地球は、東に向けて0から23までの番号をふられた二四の同一標準時地帯(それぞれが経度で一五度ずつになっている)に区分されている。0の地帯とは、グリニジの子午線がその中央を占める場合である。協定に従えば、xの番号をふられた地帯のあらゆる時計が示す時間は、T・U+x時ということになる。

補遺の部分で恒星時を求める詳しい例を掲げたが、もし約四分の誤差(占星術の場合、それに甘んじるが)を切り捨ててしまうなら、手続きは手っ取りばやい。
 1 まず検討される出来事の地方常用時をはっきりさせる。その上で、同一標準時地帯の中央との関係から、夏期時間の訂正および経度の訂正をこの公式の時間に施す。
 2 前の結果に、その日の0時における恒星時、これは変わることのない小さな一覧表(170ページ参照)でおおよそ与えられるが、を加える。

黄道帯
  黄道帯とは、太陽の軌道である黄道の両側にそれぞれ八度三〇分の幅で広がっている天球の球面帯である。おもだった惑星や月がこの帯域の中に在る。太陽が一二か月で黄道を一周することから、古代の人々はこの黄道帯を点γから始めて一二個の長方形をした仕切りに区分した。つまり太陽は各仕切りに順次一か月間ずつとどまるし、星は各仕切り内で是非もなくひとつの星座にまとめられ、初めの頃は星座の名称は、その長方形ないしそこに位置する星状を一様に示していたのである。次の表は、太陽が三月二一日から始めて運行する順序に従った一二個の長方形、すなわち黄道十二宮*である。これらに対応する星座の名前は大部分が動物である(獣帯の名前もそこに由来する)。天秤座だけが生命のないものである。また多くの長方形が美しい星に恵まれていない。つまり長方形の内に限られた星座には一目瞭然人目を引く星がないのである。たとえば白羊宮と天秤宮には三等星に達する星がそれぞれ二個しかないし、磨羯宮にはただ一個、巨蟹宮、双魚宮、宝瓶宮にいたってはひとつもないといったぐあいである。

黄道南侧

γ’

黄道北侧

γ

摩羯宫 水瓶宫 双鱼宫

天秤宫 天蝎宫 射手宫

巨蟹宫 狮子宫 处女宫

白羊宫 金牛宫 双子宫

*signe du Zodiaque Zodiaque,希腊语中意为"兽圈"。拉丁语化写作Zodiacus,意思更接近于"兽带"。但在占星术中,"兽带"一般指黄道十二宮。またsigneはラテン語のSignumに由来し、語源的には「前兆・しるし」などの意味を帯びている。これは十二に区分した各「宮」を指す。他に本書でも見出されるが、maison(家)という言葉がある。これはラテン語のDomus(ドムス)によるので、「家・宿・室」などと訳すのが適切であろう。

歳差
 ―― 今日われわれが知っている黄道十二宮は、紀元前たかだか三世紀の頃に最終的に確立されたと思われる。けれど、たとえば金牛宮のような、うちいくつかの姿はそれに先だつ千年以前、バビロニア人の間ですでに有名であった。またヒッパルコス(紀元前一三〇年頃)〔ギリシア天文学の大成者。おもな業績は回帰年や月の視差の決定、時差や春分点歳差などの発見、太陽運行表、一〇八〇個の星を含む恒星表の作製などがある〕の時代、点γは白羊宮の長方形の初めに位置していた。しかし歳差のせいで、幾世紀も時の流れが過ぎてゆくうち、単純明快な古代ギリシアの黄道十二宮に混乱が生じ、言葉にはなはだしい混同がもたらされたのである。
 極軸の緩慢な揺れは、天球赤道の位置を星座の間で移動させ、点γおよびγ´が黄道に沿って後退する。ヒッパルコスの頃から、点γは、決まったとおりに古来の名称をもつ黄道十二宮の長方形の帯域を引きずりながら、双魚宮の星座全面を西へ遡ってきた。今日でも住時と同じように、それぞれの長方形と星座とは同じ名称をしている。しかしその長方形には、爾後、それと同名の星座とは似ても似つかない星座が包含されているのである。今日、白羊宮の宮(あるいは長方形)は昔の双魚宮の星座〔魚座〕と重なり、包含している。太陽は三月二一日白羊宮に入ると今でも言われつづけているが、現実には魚座に入るのである。
第4図 星座と黄道十二宮 星座は星によって形作られ,天球に固定している.宮は星座と同じ名称で呼ばれる長方形の区画である.その帯が一群の星座を覆う.しかし歳差のせいで,この宮の帯に少しずつずれが生じる.したがって現在では,白羊宮の長方形が魚座と重なるといったぐあいになる.ずれは矢印の方向に起こる. 下段の図は,太陽が3月21日から始めて月ごとに運行する順序に従った十二個の宮の各象徴である.

いずれにしろそれぞれがもとになった動物を彷彿させるが,神秘性を孕んでいるせいもあって,世俗一般がはじめ占星術とかかわるなかで,魔術めいた多大の影響を与えることになったのである.同様に金牛宮は昔の白羊宮に属する星〔牡羊座〕を包含し、以下続けて同じように、図が示すとおり順次入れ替る。今後2200年もたてば、各宮はさらに一仕切り後退していることになり、ずれは二重になるであろう。そしてこの現象は、規則正しくたゆまず続いてゆく。 星座にはその上パズルに似た複雑な境界があり、長方形をした十二宮の帯域は一二以上の星座と重複しているのである。

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月☾
 ―― 地球の衛星である月は、二七日でわれわれの地球を一周し、平均三六万キロ離れた距離にその軌道を描く。その軌道は、黄道に対して少しだけ傾いた(五度だけ)ひとつの巨大な円として天の穹窿に姿を現わす。月の軌道が黄道を裁ち切る二点は交点と呼ばれる(それを象徴するしるしは☊である)。月が太陽を食し、あるいは地球がもたらす影の中で自ら食になる機会があり得るのは、月がその軌道上の交点を通過する日である。仮に交点が固定されているとするなら、食はいつも黄道帯の同じ二点で起こることになる。しかし現実には月の軌道面が回転し(五度の傾きを保持しながら)、二つの交点は一八・七年で黄道を完全に一周するのである。この周期が一巡すると、食は黄道帯の中央に位置する黄道のどの点ででも起こったことになる。つまり黄道の名前はこの特性をよく示しているのである〔黄道を意味する語l'écliptiqueは食を意味する語l'éclipseのギリシア語のekleipsis(外へ去る)と語幹を同じくして派生した〕。それも古代人がこうした顕著な現象に本原的な重要性を帯びさせていたからである。月は太陽と同じ方向に黄道十二宮をなぞるが、太陽より一三倍も速く回る。一時間では、自己の直径に等しい距離だけ星空を進む。月の位置を正しく定めようとすれば、きわめて正確な時間を計り、厳密に計算したほうがよい。
 月相(月の位相)が見せる眼にも綾に変化する循環(平均二九・五日で)のさまは、月〔一年十二か月の意味での月〕を生むことになったが、またそれによって時間の最初の記録係に月をおしたてることになったし、人間がまだ人工照明の利用を手にしていなかった時代、夜になると満月が昼の太陽の役目を果たしたのである。夜間の航海、民衆の集会、それに祝祭や儀式は、満月の時にだけ行なわれた。聖書を読んだだけでも、比較的最近まで自然への依存に支配されたこうした往時の姿がまざまざと想起できるのである。
 月は大気のない小さな天体である。容積は地球の二パーセント、質量は一パーセントをあまり越えない。また地球の地殻とその性質がかなり等質で、類似した天体でもある。

惑星
 ―― 太陽や月は別にして、古代人は太古の昔から、星の間を移動するさまを観測した結果、全体で五つの惑星が存在するのを知っていた。以下は太陽から距離が遠ざかる順序に従って示したその名称と象徴である。
 水星☿ 金星♀ 火星♂ 木星♃ 土星♄
 ここではさしあたり五つの惑星に限って問題にしよう。後になって発見された天王星♅〔一七八一年三月W・ハーシエルによって発見された〕、海王星♆〔天王星の発見に応じ、まず理論的にアダムスおよびルヴェリエがこの星の存在を指摘、後一八四六年九月ガレによって現実に確認された〕、冥王星Plは、伝統的な占星術の中では ―― 事実それ自身によってipso facto ―― いかなる場所も占めていなかったからである。
 これらの惑星はコペルニクス(一五四三年没)以来、地球と同じように、太陽の周囲を方向を同じくし、黄道面に隣接する面で円い軌道を描いていることはよく知られている。したがって、いつでも黄道帯の中に見出されるのである。しかし、その姿をわれわれは常に動いている地球から観察しているため、太陽の周囲を規則正しく運行する本来単純なその運動が、われわれの眼には複雑で意外な様相を帯びてくる。仮にそれら天体のひとつを選び、その運行を黄道帯の中に長い時間かけて追ってみれば、星がまず前進を始め〔順行〕、進行の速度を速めてゆき、ついで速度を落とし、ついには停止してしまう(留)、それから今度は逆行し始め、初めはゆるやかだがしだいに速くなり、やがてその後退にブレーキをかけて再び停止する、そしてまた新たに動き始め、同じ運動を反復するのを見ることになる。結局どの惑星も後退するより以上に前進するわけであるが、その動きがちょうど巻き毛や花づな状の曲がりくねったジグザグを描くのである。もちろん地球が宇宙の中心に固定していると信じ込んでいた古代人は、こうした運動を説明するのにひどく苦心し、いくつもの円が複雑に組み合わさっているのだとか、円運動が積み重なっているのだとか考えた。それでもまだ、十分には説明しきれなかったのである。惑星が見せる速度のおもだった変化、つまりその逆行と留とは実は純粋に見かけだけのものである。惑星はほぼ一定してその軌道上を運行している。にもかかわらず、遠く離れた星座のいわば背景幕上で惑星が描く総体的な図柄に、たとえば巻き毛状の運動がもたらされるとすれば、それはほかならぬ地球の一年を周期とする散策のせいなのである。それに地球自体の速度が惑星固有の速度とあいまって、見かけの運行を惹き起こすのである。

物質的な組成
 ―― 惑星はどちらかといえば温度の低い天体である。光は太陽からの借りもので、独自の発光はとるに足りない。その輝きはもっぱら地表と大気によって起こる太陽光線の散乱の結果である。組成は概して地球に似ている。実際に違いがあるとすれば、それは当初の惑星の質量の違いに由来するもので、これが各惑星の大気の相違、したがってまたわれわれが観察する外部領域に起こる物理-化学的進化の相違の原因となったのである。ついでに言っておけば、太陽に対する距離の近さに応じて、惑星の表面の熱状態が決定された。
 ☿ 水星是与月球相似的小天体(地球体积的5%),并且像月球一样没有大气层。
   ♀ 金星与地球相似,区别在于它有着明亮的白色、好期には〔金星は内惑星であることから月のようなみちかけがあり、また太陽に近いため視直径の変化がある。これらの要素が合わさって最大光輝を示す時期があるが、この頃をここでは言うものと思われる〕宵の頃と明け方に見せる強い輝きで異彩を放っている。大気は明らかに存在する。ほとんどいつも地表を蔽い尽くしている白い雲が、旋風の流れによって巻き上げられた砂塵ではないかと思われるからである。大気は大量に炭酸ガスを含んでいる ―― しかし水分や酸素はほとんど含まない〔あるとすれば、地球の千分の一くらいだろうと言われている〕。他の成分(たとえば窒素)はまだ明らかにされていない。

   ♂ 火星は質量が地球のほぼ九分の一の小さな惑星である。その大気は地球よりはるかに薄く(地表の圧力は水銀で七センチ)、ほとんど常時透明で、そのため地表をはっきりと見せている。火星の表面の三分の二を占める明るい部分は、バラ色ないし黄土色を帯び、時として風に吹き上げられる赤い埃に蔽われた砂漠の広がりのように見える。赤味を帯びたこの平たい部分が、この惑星にいつも観測者を驚かせた錆色を与えているのである。また他に暗い部分が存在するが(おそらく窪地であろう)、青味を帯びるか、さもなくば緑がかったこの部分の色調とその濃度は四季の移ろいに応じて変化する。この変化から、火星の苛酷な気候条件に適応した下等植物(蘚類かあるいは地衣類)の生命が存在することを証拠だて得るかもしれない。両極近くに雪か霧氷のごく薄い極冠が実在し、夏になるとほぼ完全に姿を消してしまうが、そこに発生する水蒸気がきわめて稀薄なためまだその存在をはっきりさせることができないでいる。酸素もまた発見されていない。そのかわり、金星の場合と同じように、ごく少量の炭酸ガスが発見されている。中性の成分(たぶん窒素であろうが)もまだ検証されていない。
 ♃ 木星は太陽系の中では巨大な惑星である。質量は地球の三二〇倍。地表はまったく見ることができない。厚い不透性の大気が、永続的にして特異な変容を保護する拠点になっている。大気中には、メタンおよびアンモニアが発見されている。水素とヘリウムも多量にあるはずだが、きわめて温度の低いこの環境では検証できない。観測できる部分の気温はおおよそ摂氏マイナス一四〇度である。
 ♄ 土星は木星にきわめて類似した惑星であるが、質量はそれより少なく(地球の一〇〇倍)、気温はさらに低い。メタンおよびアンモニアが有する吸収性の強い特質が赤色に関して強く発揮されることから、これら二つの巨大な惑星が反射する太陽の光は、赤色が薄れ、緑がかるか、青白いか、さもなくば鉛色を帯びた色調を呈する。

    他の惑星の彩色についても、その地表や大気のもつ単純な物理-化学的特性から同じように説明される。
 最後に、古代人は地球と惑星の距離はもちろん、各惑星相互間の距離、高低の配置関係さえまったく知らなかった事実を想起しておこう。加えて、地球を惑星系の中心とみなす人にとって、地球から距離が離れるに応じて並べた惑星の順序は、時代によって種々様々に変化するのである。地球にごく近い惑星の場合、あらゆる置換えが可能であり、その順序は任意であるといってよい(第5図参照)。つまり、TMSVmでもTmMVSでもTSVMmでもその他どれでも可能である〔T=地球、M=火星、S=太陽、V=金星、m=水星〕。それというのも、地球-太陽間の平均距離を一と見なした場合、Tmが〇・五から一・五、TVが〇・二五から一・七五、TMが〇・三五から二・六五とさまざまに変わるからである。逆に木星はこれらの惑星に較べると常時遠い位置に離れており、土星はなかで一番遠い位置を変わらずに保っている。
 太陽Sを巡る軌道では,水星がmからm´を,金星がVからV´を,火星がMからM´を通過するのが見られる.

 

太阳
 太阳是一个极热、极大的气体球体(表面600℃,内部几百万℃)。气体成分的三分之二是氢气,三分之一是氦气。在地球上发现的其他化学成分加起来不到太阳总质量的百分之五。
太陽の質量は地球の三三万倍である。誰にせよ、この地球を太陽に結びつける強力にして必要欠くべからざる絆を過小評価しようなどと考える者はいないはずである。なかでも天文学者はこの関係をけっして等閑にせず、一生をかけてその研究と新事実の発見に努めている。当然ながら、太陽はその質量によってわれわれを支配する。たとえば引力でわれわれは太陽に縛られている。仮にこの恒久不変の力がなければ、わが地球は宇宙の闇のさ中へ迷い出てしまうにちがいない。この力はまた潮汐の干満現象に三分の一は関与しているのである(残りは月に負うている)。光と熱という太陽のこの上ない贈り物は、地球上の生命を養う(それを創り出したのもおそらくは同じ贈り物である)。高い温度は原形質を破壊し、低い温度はその活動を凍結させてしまうが、こうして生命が維持できるのは、われわれが太陽に近すぎもしないし遠すぎもしないからなのである。動物質にせよ植物質にせよ、われわれの生命の糧となる食物は、緑色植物がもつ葉緑素の機能、つまりは太陽の光の作用によるいずれにしろ間接的な副産物である。人間が活用するエネルギー(家畜、風、滝、薪、石炭、石油その他の力)は、これすべて太陽の地球に対する、今この時のあるいは化石した昔日の寄与に由っているのである。原子力(もっと正確に言えば原子核エネルギー)だけは例外になろう。けれどまだ人類はそれを有効に汲み尽くすまでにはいたらない。
 さて、四季の移り行く循環は、地球の軸が黄道面に対して垂直でない事実による。この移ろう季節の周期に応じた一年生植物の発育のさまは原始時代の人間を驚歎させたし、黄道十二宮における太陽の位置との相関関係は早くから理解されていた。農業が人類の歴史に登場するとき、常に四季ごとの祭式や供儀が伴っていたのである。太陽が、春、黄道十二宮の《温》の宮に位置する時の生命を育む力、収穫を豊かにするその効力、あるいは夏、《乾》の宮にある時の成熟をもたらす原動力などは、十二分に感じ取られていた。 かくして太陽、黄道十二宮、農業の周期の三者を結ぶ厳密な決定論が、天文学と占星術との相伴する誕生に重要な役割を演じたのである。
 今日では、太陽の活動は微細にわたって究め尽くされている。一一年を周期として、太陽の活動する表面部分(白斑や黒点)の位置や数がおびただしく変わるにつれ、太陽の作用に変化が見られることも知られている。
 太陽がわれわれに供給するエネルギーの総量も一定しているわけではないが、変化の幅はそう大きくはない。太陽の活動と地球上の多くの諸現象との関連(地球を包む厚い大気を介した)も、現在よく承知されている。極圏に見られるオーロラ、磁気嵐、地電流、電波のフェーディング〔電波障害〕(あるいは逆に強化)といった現象は、太陽の爆発(紫外線と帯電した分子)の結果である。ごく最近では、電波の短い波動(デシメートルから数メートルにいたる)を描く、太陽からの唐突でしかも激しい変化を起こしやすい恒常的な輻射が発見され、レーダーに記録されるようになった。その活動エネルギーは本来の太陽の光と熱に比べれば取るに足りないけれど、興味を引く輻射である。

太陽☉ 地球♁への影響

第二章 占星術の教義
 占星術のそもそもの起源は、地球上の数多い諸現象が空に浮かぶ天体に支配されているという明白な事実から始まっている。たしかに光や熱や生命は太陽からわれわれ地球に譲られたものである。しかし地球の大気現象(雷雨、稲妻、虹、流星)までもが天空固有の奇蹟(食、彗星、新星)と長いあいだ混同され、あげく迷信に満ちた恐怖が惹き起こされ、天空の限りない力がでっち上げられたのである。
 四季の移り変わりは黄道十二宮における太陽の位置と関係している。初期段階の暦の根拠になった月は潮汐の干満を生じ、月食や日食に関与する。こうしたことから、古代人は、天体のもつ力が人間に関する万象を統治すると結論づけ、天空のありようを考査し、そこから時の帝国や国王の命運を推論しようと試みたのである。さらに時代が下ると、彼らはこうした決定論の領域を世上一般の個人にまで広げていった。つまり占星術の仮定によると、あらゆる人間の運命、その性格、その一生がことごとく天の布置に結びついているのである。とりわけ誕生時に天空が見せた姿が、その人の将来に本質的な役目を演じることになる。この場合の天空の姿がいわゆる出生ホロスコープ*である。
 いわば、生涯の重要な出来事に行き当たるたびごとに、天体に相談をもちかけ、問題の起きた時のホロスコープを作製し、はたして局面が有利か不利か、また占う自分に調和しているかどうか見きわめればよいということになる。ところで特定の場所の地平線は天を二つの半球、一方は眼に見えるが他方は見えない半球に二分する。子午線(天頂、天の両極、南北の方位基点を通る)はこの半球のそれぞれをさらに二つに分ける。天空は全体で四つの部分に分けられるわけである(右図参照)。
 さらにこの四つの部分を、これまた南北の基本方位基点を通る大きな円周によって三等分しよう。こうして限定された十二の球面月形が家と呼ばれる。ひとまず家にこのような基本的定義を施しておくと、初歩的な概括には便利なのである。さらに正確な定義については補遺で触れよう。それに付言しておけば、占星術師の間でこの家の定義が一定しているというわけではない。けれどホロスコープを作製する大部分の占星術師が、どのような定義に従って作られたか知らぬままに出来合いの表を使用しているのが現実である。それぞれの家は天を一二の等しい部分に分割するが、いずれも特定の場所ごとに不変不動である。まず東の地平線から始めて、日周運動と逆方向にそれぞれIからXIIまでの番号がふられ、うちIからVIまでの家が地平線下にあり(夜の家)、VIIからXIIまでの家は眼に見える(昼の家)。子午線は下側でIIIおよびIVの家を、上側でIXおよびXの家を各々分かつ。黄道はAscおよびOccで地平線を切り(上昇点と下降点),子午線をMCおよびFCで切る(天の中央と天の底).この4点,つまりホロスコープの角は第Iと第VIIの家および第IVと第Xの家の初端である.E, F, G, Hは,それぞれ第V,第VI,第VIII,第IXの家の初端である.黄道十二宮の帯は各家と斜めに交叉する。各家を限定している円周は黄道を一二の点で切るが、それを初端(英語ではcusps)と名づける。
 初端と初端の間に含まれる黄道の弧は、すべてが等しい長さをしているわけではない、黄道が球面月形を端から端までそれぞれ異なった距離で斜めに裁ち切るからである。ただし各初端は二つずつ天球上に直径の方向で対称をなして向かい合い、したがって黄道中に直径の方向で相対している。つまりは黄道十二宮の向き合う二つの宮の中に同じ位置を占めているわけである。一般的にひとつの宮は二つの連続した家と重なる。ひとつの宮(三〇度)が完全にひとつの家に重なってとどまることもある。(第7図で言えば、IXの家の巨蟹宮♋、IIIの家の磨羯宮♑の場合である。)逆にひとつの宮がひとつの家全体を占めると同時に、隣接する二つの家へはみ出すこともありうる。(XIIの家を満たし、同時にXIおよびIの家にはみ出す天秤宮♎と、VIの家を満たし、同時にVおよびVIIの家に食いこむ白羊宮♈の場合である。)第7図を参照されたし。こうしたいっさいは、特定の場所の緯度と恒星時(たとえば問題となるものの誕生時における)にもとづく初端の算定で決められるのである。要約するとこうなる。たとえば特定の緯度の場所では、極、天球赤道、家はそれぞれ動かしようのない場所を占めている。しかしその固定した枠の上を、日周運動のせいで、斜めになった黄道十二宮の帯が(恒星時に従って)滑るのである。各初端の位置は黄道上を通り、黄道十二宮の各宮のただ中を通過して連続的に変化することになる。固定した一瞬を想定してみれば、その時初端は特定の宮の中にそれぞれ定まった正確な位置を保つ。したがって、緯度ないし時間に少しでも誤差があれば初端の位置を決めるのに大きな影響を及ぼすことになるのである。
* ホロスコープはギリシア語のhôroskoposにはじまり、「誕生の時の見張人」を意味する。すなわち、天文学的には「時の観測」を指し、占星術用語としては、特定の事件の起こった時、とりわけ特定の人間の生まれた時(年・月・日・時刻)における天球上の星相=アスペクトと、その地球表面との関係を表現する模式図(占星表、〔出生〕天宮図などと呼ばれる)を指す。また、その模式図によって事件の成り行きや生児の未来の運勢を占う、つまり「星占い」のことをも意味する場合がある(訳注)。

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慣用的な表現法
 ―― 占星術のテーマ〔人の誕生時における天球の星相を象徴的に表わした模式図で、結局ホロスコープと同じもの〕を表現する仕方に、次のような、なかでもきわめて単純なものがある。つまり一二個の番号をふられた同じ大きさの扇形で各家を図式化するのである。この扇形が合わさってできる車輪の車縁リムが、各家の初端を伴った黄道ということになり、各初端の脇へ、その初端が属する宮での位置(0度から30度まで)が記入される。 さらにこれを補って、太陽や月や惑星が天文学的な暦を用いて黄道上に配置され、ちょうどそれぞれの経度を示すことになる。つまりこれらの天体が特定の家のさ中、二つの初端の間に場所を占めるわけである。これは地球上の一点におけるテーマないしホロスコープで西径73度58分,北緯43度43分,1907年11月23日,午前4時(アメリカ合衆国東部の標準時地帯の時間)の場合である.この地球の恒星時は8時8分36秒.獅子宮の0度が子午線MCを通過しているのが見える(この例は天文学者バート・J・ボックによる).すべての惑星はひとつの宮に長い間とどまる(月だけは例外で速く宮を変わる。二日と半日でひとつの宮を横切るのである)。逆に一二の家は、日周運動のせいで、毎日、次々とこれらの天体にとどまられることになる。
 こうして太陽は三月二一日から四月二一日まで白羊宮にとどまるが、その間毎日、地平に昇って沈むまで六つの昼の家(XIIからVIIまで)に、沈んでから再び昇るまで六つの夜の家(VIからIまで)にそれぞれとどまることになるのである。

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占星術のテーマを表わす様式

ホロスコープの四つの角
 ―― 家が始まる部分の初端を家の初端と呼ぶ。(家が終わる部分の初端は次の家の初端である。)
 東の第一の家の初端は上昇点と呼ばれ、黄道の地平に昇る点である。この上昇点を含む宮自体も同じように上昇宮と呼ばれる。(これに相対する西の点が下降点 ―― つまり地平に沈む点である。)
 上昇宮はホロスコープではとりわけ重要な意味を帯びる。
 Xの家の初端(つまり上の子午線を通過する黄道の点)は天の中央(MC、medium cœlum)と呼ばれ、それに相対する下の子午線上の初端が天の底(FC)と呼ばれる。これら四つの初端Asc、Occ、MC、FCがホロスコープの四つの角と名づけられ、占星術において大きな力をふるうのである。

占星術のさまざまな分野
 ―― 英語圏でひろく読まれているある論説によると、以下に記すようになる。
 判断占星術(天体についての判断を扱う)は、それぞれ異なった四つの分野に分かれる。
 1 自然または物理現象に関する占星術は、天体の活動が潮汐の干満、気候、大気、天候、地震、火山の噴火に及ぼす影響を究明する(1)。
 2 世俗一般に関する占星術は、天体と人間社会、国家、政府の幸、不幸(立法、戦争と平和、革命、飢饉、悪疫)との関係を究明する。産業や物価についても情報をもたらす。
 3 誕生または出生に関する占星術は、個人の誕生から死にいたるまでに関与する。出生ホロスコープがここでは至上権を握る。
 4 時間に関する占星術は、人が下さねばならぬ決定、近い未来の出来事、企ての結果に不安を覚える時、天に占う。疑問が起きた瞬間の星の布置(テーマ)によって、問題の解決がもたらされ、あるいは情況を新にする好機が指示される。
 初めは1と2の分野だけがもっぱら研究活用された。ギリシア人の時代になってようやく、天文学が占星術から離れ、顕著な発展を見せると時を同じくして、占星術を大衆化した3の分野が現われたのである。今日では3と4の分野だけが占いを求める人を引きつけている。
(1)ここでは占星術は、おそらく遠い過去を記念して、地球物理学の領分をわがものにしているのである。

占星術の基本要素
 占星術は、一本化された教義というにはあまりにほど遠い。同じ国の占星術師の間においてさえ、はなはだしい考えの相違を見ることができるし、時としてまったく逆の対立意見さえある。しかし共通の基盤がないわけではない。プトレマイオス・クラウディオス〔紀元二世紀のアレクサンドリアの天文学者。その著『テトラビブロス』は、古代占星術のうち最も影響力をもった、最も広範囲に利用された本である〕の『テトラビブロス』Tetrabiblosはその古さにかかわらず(紀元二世紀)、われわれが幾度も遡って参照するいわば法典として残っているのである。
 では根底をなすその基本原理とは何か?
 1 惑星(太陽や月もこの名称に含まれる)にはそれぞれ属性がある。その属性は一が温かさであれば、他は寒さ、同様に乾燥か湿潤、男性的か女性的と分かれ、各々が人間の肉体的、生理的、心理的なある特性、あるいは社会生活のある要素をその支配下に収めている。各惑星は総体的に、本来幸福をもたらすか不幸を招くか、吉か凶かのいずれかである。そして太陽、月、木星、金星が原則として幸運をもたらす吉であり、土星、火星が不吉をもたらす凶である。

2 黄道十二宮の各宮も、同じように固有の特質を有する。そして空気、水、火、土の四つの基本要素〔四大〕と、血液、胆汁、黒胆汁、粘液の四体液〔ギリシアの大医学者ヒポクラテスの創始にかかる説で、それぞれ空気、火、土、水に対応し、人間の気質も病も、この四体液の配合と失調によるとする。本訳書45ページを参照〕に結びつけられ、各自われわれの肉体の一部を支配している。それぞれの宮が陽か陰、能動的か受動的、父性的か母性的のどれかであり、またそれぞれが、共鳴して調和するひとつの惑星、いわゆる支配惑星に結びつけられる。
 3 家。まず一二個の家は、それぞれ同一番号の宮およびその宮の支配者たる惑星と連繋している。言い換えると、一二個の家は一二個の宮と対応しながら、その意味を分有している。次に一二個の家は階級に分けられる。つまりホロスコープの角と言われるI、IV、VII、Xの家が一番主要な家で、きわめて幸運とされる(とりわけIとXの家が)。それに続くII、V、VIII、XIの家は原則としてどちらかといえば幸福である(中庸のVIIIの家を除いて)。そして最後のIII、VI、IX、XIIの家、なかでもVIとXIIの家が不幸とされる。他方、それぞれの家は一個人の生涯、あるいは国家の命運にまつわる一領域をその支配下に収めているのである。
 4 相(アスペクト)。天体が黄道十二宮の中で二つずつ互いに形づくる角をこう名づける。もっと正確には、黄道における角距離(または角差〔視差〕)である。主要な相は以下のとおり。
 合(象徴は☌)、距離なし。二つの天体が黄道帯の中に並んで位置する。
 六分(象徴は)、距離六〇度。
 矩(象徴は□)、角差九〇度。半-矩は四五度。
 三分(象徴は△)、一二〇度。五分(一五〇度)。
 衝(象徴は☍)、一八〇度。天体が黄道帯の中で直径の方向に相対して位置する。
 このうち六分および三分が好意的で、矩および衝が非好意的である。燈火星〔原文ではluminaire旧約の『創世記』一の一六、「神二つの巨いなる光を造り、大いなる光に昼を司らしめ、小さき光に夜を司らしめ給う」における邦語「光」にあたる仏訳。星辰とくに太陽と月を指すのに用いられる〕である太陽および月との合は好意的である。二つの惑星の合の場合、そのうち力の強いほうの意味が優先する。厳密な相はきわめてまれであるところから、占星術のホロスコープでは約一〇度のゆれが許されることになっている。したがって二つの天体が一〇度の角差を越えなければ、占星術上の合ということになる。
 さてこれらの他、以下に列記するような実におびただしい基本原理があるが、ことを簡略にするためこの場では触れないことにし、占星術概論に譲ることにしよう。月の交点、対至点と対分点、昇行時間、揚、区界と十分角、幸運のしるし(1)、年間進行、指示、顔、玉座、喜び、流謫、損害*。
 また占星術師のなかでもとりわけ細心綿密に徹する者は、さらに黄道十二宮の主要な星(アルデバラン〔牡牛座の一等星〕、レグルス、スピカ)や黄道十二宮外の高名な星、たとえばシリウス星、織女星、アンターレス、あるいは地平線や子午線近くの星が個人に及ぼす影響 ―― プトレマイオス以来の伝統であるが ―― をも、占いの要素として取り入れるのである。

第8図 1894年6月24日,リヨンで暗殺されたサディ・カルノ大統領の場合の占星術テーマ,すなわち出生ホロスコープ
 このテーマは《フォマルハウト》〔みなみのうお座の主星で秋を代表する一等星〕により,きわめて完璧である.通常の基本原理に加えて,たとえば月の交点☋と☊,前の新月(☌pr.),幸運のしるし⊕の位置や,子午線および地平線近くの主要な星標記がここには認められる(古風な用語で天秤座,山羊座,アンドロメダ座の主星(アルフア)も見られる).
 ここに示されている時間はリモージュ〔1837年サディ・カルノ大統領はこの地に生まれた〕の平均常用時である.ᴁは天の中央の赤経(角で算定された誕生の地方恒星時)を示す.

(1) 月が太陽に対して占める位置に等しい上昇点に対する点をこう名づける。
* 対至点anticesは黄道上で夏至(または冬至)の点から等距離にある二つの点。対分点contre-anticesは同じく春分点(または秋分点)から等距離にある二つの点。昇行時間durées d'ascensionは日周運動の中で所定の宮が昇るのに要する時間。区界termesは各宮の中で特定の惑星に支配される部分の区分け(たとえば白羊宮の最初の六度は木星に、次の八度は金星に支配される)。十分角décansは各宮(三〇度)を一〇度ずつに等分したもの。揚exaltations、流謫exilsは惑星がどの宮に位置するかによって当該宮から受ける影響を指す一形式で、他に失墜chutesというのが加わって三区分になる。顔faces、玉座trônes、喜びjoies、損害détrimentsも同じ影響の区分である。年間進行profection annuellesは占星術師が毎年各惑星にひとつの宮を横切らせるために行なう計算。指示directionsは未来の出来事の日付けを扱う占星術技法で、その性質によって第一級・第二級に分かれる(訳注)。

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ホロスコープによる判断 ―― 影響力の順位および総括
 上昇宮は判断をくだす上での主要な要素となる。そしてその宮の支配惑星(ホロスコープでは支配惑星がいずれかの宮と家に場を占めるのであるが)の位置が特定の人間の性格について完全な情報を与える。上昇点に位置する惑星が特別の力(幸運の威力を強めるにしろ、不吉な威力を発揮するにしろ)を獲得することになるからである。
 といってそれぞれの時間ごとにかっきり地平に昇る惑星があるわけではないので、一日の各時間に、君臨する惑星(時間の支配者)を割り当てたのである。この割り当ては、土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月……の順序に従って、土星が土曜日の第一時間、木星が第二時間、火星が第三時間……といったように行なわれる。したがって、日曜日はその第一時間が太陽の影響下にあり、月曜日の場合は月の、火曜日の場合は火星の……ということになる。こうした便法によって、われわれが用いる週の曜日にそれぞれ惑星の名称が冠されたわけである。むろんずっと後世、ここ二世紀の間に発見された惑星〔天王星、海王星、冥王星。ついでながら地球が含まれないのは、惑星であるけれど、当時の天動説により中心とみなされていたためである〕はどの時間も統治しない。誕生の時間に君臨する惑星には多大の考慮が払われねばならない。ついでXの家にある宮と惑星が調べられる。この家にある惑星の威力が大きいからである。こうした理由からXの家にある木星ないし太陽が敬意を払われる傾向がある。
 さらに、これもきわめて示唆的な角である他の角(下降点および天底)にある宮または惑星が、占いの対象となる。燈火星である太陽と月の位置にも格別に大きな価値がある。
 ひとつの天体が占める宮および家は、その天体自身の意味に著しい修正を施す。つまり、どの惑星も自らと調和する宮ないし角にある場合には、その意味が強まり、逆に不調和の宮や対立した意味をもつ家にある場合には、その惑星の影響力が弱まるのである。こうしてVIないしXIIの家にある太陽または木星は力の弱い不幸な星ということになる。
 次に注目しなければならないのは相である。つまり、上昇点、太陽と月、木星といった重要な要素がたとえば土星のような不吉な天体と衝または矩をなして不幸にされないかどうか、幸運な天体を伴った有利な相が逆に幸福の機会を高めないかどうか見る必要がある。つまるところ、惑星固有の影響力は、その惑星が位置する宮の影響力によって釣合いが計られるし、惑星が他の惑星と連繋して示す相の価値が作用をするし、また惑星のとどまる家がその惑星に重要な意味を授け、惑星の作用が感じ取られる領域(肉体的または精神的、個人的または社会的な命運)を明確にするのである。
 かくして、冷淡で抑圧的で現状維持的な性格をもつ不吉な土星は、天蠍宮(凝固して、敵意に満ち、疑い深く、土星自体に対応する宮)にある場合と、人馬宮(寛大で、愛他的で、好意に満ちた宮)にある場合とでは完全に違った結果になってしまう。同様に、火星(エネルギーと攻撃性と野心の象徴)は、自己と調和する白羊宮ないし天蠍宮にある場合、そのもてる力を最大限に発揮する。加えて、その意味と対応する宮が上昇点にあれば、火星は運命の星ということになる。まずありとある結合を行ない、釣合いを計り、十分な考察を施す。惑星がもつ属性の絶対的な価値を相対的な価値に転化する。惑星をまず敵対する惑星、次に宮、さらに家とつき合わせる。家の中にある宮の位置を考察する。こうした作業の果てに、占星術師は総合的な判断を下すことができるようになるのである。
 とはいえ、ホロスコープの星辰布置(これは正確な天文学上の作業である)からその解釈へ移行するには、多かれ少なかれ一定した意味やさもなくばさまざまに異なった意味、相対的な配分、全体の印象、特殊な前兆といった要素が問題になるために、きわめて困難があることは想像にかたくない。ここにおいて、解釈を与える者の個性や手練の度合い、その気質や性格が作用するのである。
 さてわれわれとしては、まずプトレマイオスを参照しながら、次に占星術の特性と影響力の総体をいくばくか詳細にわたりながら吟味してみることにしよう。現代占星術の原理が、たいていの場合、科学の進歩や近代の諸発見にあてはめた言葉を使って書き替えられた『テトラビブロス』のひきうつしでしかないからである。

古代人による自然学的および生物学的特性
 ―― 古代人たちは惑星や黄道十二宮の各宮を分類するのに、温と寒、乾と湿というそれぞれ対立する四つの特質を用いた。往古の創案者たちは、気象学的な性格からこの選択に正当な理由があったことを説明しているが、今日ではそれを正当化するのはきわめてむずかしい。とはいえ、現代のさる占者が述べたように、「こうした選択に異議を唱えることはわれわれの予定には入っていない。こうした言葉の本来の意義を閑却するわけにはいかないが、同時にそれが比較と分類の用語で、たいていの場合比喩的な意味に取る必要のある用語であることも忘れてはならない」のである。
 とまれ現代科学と比較してこのようにあらかじめ注意をした上で、さらに分析を押し進めてみよう。
 温と湿は多産で生命をもたらし、寒と乾は危険で死をもたらす。この四つの特質は、四つの基本要素〔四大〕(水、火、空気、土)と四体液(血液、胆汁、黒胆汁、粘液)やそれから派生した体(気)質(多血質、胆汁質、憂鬱質、粘液質)にそれぞれ対応している。
行動型の人間
温と湿の体質は多血質に対応し、行動的で、よく働く。
温と乾の体質は胆汁質に対応し、行動的で、政治や軍職の素質がある。
思索型と感情型の人間
寒と乾の体質は神経質や憂鬱質に関連し、芸術家や想像豊かな人や学究的な人を生む。
寒と湿の体質はリンパ質と粘液質に対応しその当事者は瞑想家や感情的な人間や科学者、あるいは造形美術の大家であったりする。

プトレマイオスによる惑星が有する占星術上の性質
太陽は温で、男性的、きわめて幸運である……
月は湿で、女性的、幸運である…………………
両者は燈火星である。
 水星は、自分と相をなして自分を支配する天体からその性質を借りる。
 金星は穏健で、寒と湿、女性的で幸運である。
 火星は温と乾、男性的で不吉である。
 木星は穏健で、温と湿、男性的できわめて幸運である。
 土星は寒と乾、男性的できわめて不吉である。
 しかしこうした特質は、当の天体が日周運動を行なう際太陽に先行するか後続するか、またその軌道を順行しているか逆行しているか〔22ページ参照〕に応じて、強められたり弱められたりする。
 同様に、上昇点(Asc)は乾、天の中央(MC)は温、下降点(Occ)は湿、天の底(FC)は寒とそれぞれの性質を有する。これらの点に狭まれて位置する、ホロスコープの四つの四分円が、それぞれの対応する特質を強めることになる。

一般原則として ――
 東にある天体は、身体をより頑健にする。
 西にある天体は、身体をより虚弱にする。
 逆行する天体は、均斉のとれない形姿を生じさせる。
 東にある土星は、身体を黄色で、脂肪質にし、髪を黒の縮毛に、眼を大きく、背丈は中背、体質を湿と寒にする。
 西にある土星は、人間を色黒く、小柄で、やせた人にし、髪は縮れずに細かい。早い時期から禿髪になり、虚弱である。眼は黒く、体質は寒と乾である。
 東にある木星は、身体に快適な白さを与える。眼は黒く、髪は普通。身体はきわめて均斉がとれ、優美。素行はまじめで、体質は湿と温の傾向がある。
 西にある木星は、肌色が白、髪の毛はこわく、禿頭が早い。頭部は不格好で、背丈は中くらい、体質はきわめて湿。
 東にある火星は、人間を強健にし、肌は薔薇色、背丈は高く、人に気に入られ、眼は青い。体毛がこわく、髪は普通、体質は温と乾。

    西にある火星は、赤味を帯びた肌、小柄な背丈と小さな頭部、体毛のない皮膚、赤くこわい髪。乾の体質。
 金星は、木星と同じ結果をもたらすが、それ以上のやさしさ、女性的なしとやかさをもつ。鹿毛色の眼。
 東にある水星は、黄色の肌合、中背のきわめて均斉のとれた身体。眼は小さめで、髪は普通、体質は温。
 西にある水星は、オリーブ色の肌、ごく小柄の身体、ほっそりした四肢、窪んで烱々とした眼、小さな足。体質は乾。
 惑星が支配する身体の部分は、以下のとおりである。
 土星=右耳、膀胱、脾臓、粘液、骨。
 木星=触覚、肺、動脈、精液。
 火星=左耳、腎臓、静脈、生殖器官。
 金星=嗅覚、肝臓、肉。
 水星=悟性、舌、言葉、胆汁、尻。
 太陽=眼、脳髄、心臓、神経、身体の右半分。
 月=味覚、咽喉、胃、腹部、子宮、身体の左半分。

月相
 月相の意義はきわめて重要である。
 新月=新たな周期に入る以前が、死と崩壊の時期である。干潮の最高時点が心臓の収縮。
 上弦の月=液体および栄養作用の蘇生、肉体の成育。
 満月=充溢、成熟、高い緊張感、心臓の膨脹。
 下弦の月=穫得した能力の行使。収穫。
惑星、金属、宝石
 古代バビロニアの文明は、たぶんその色彩によったのであろう、惑星と金属の間の対応関係をすでに確立していた。この対応関係は宝石にも及び、さらに動物や植物にまで広げられていた。それは魔術的な性格を帯び、錬金術師は主要な金属を示すのに、長い間の習慣として連関する惑星の象徴を使用していたのである。この対応関係は、初めはなかなか定まらず、さまざまに変化したが、のちギリシア人の時代にいたって、最終的に定着したもようである。加えて、金属と合金の区別が当時はむずかしかった。たとえば水銀のような通常の条件下では流体金属であるものが金属として認められたのは、ずっと後の時代でしかない。
 とまれ以下のごとき表が作られていたのである。
 ☾〔月〕 銀、硝子、アンチモン、珪酸塩。
 ☿〔水星〕 エメラルド、碧玉、水銀、琥珀、乳香。
 ♀〔金星〕 銅、真珠、縞瑪瑙、砂糖、松脂、蜜、香。
 ☉〔太陽〕 金、ルビー、ダイアモンド、サファイア。
 ♂〔火星〕 鉄、磁石、黄鉄鉱。
 ♃〔木星〕 錫、白色石、さんご、硫黄。
 ♄〔土星〕 鉛、一酸化鉛、黒玉炭。

黄道十二宮の性質
 火の宮は占いを求める者の個性や精神的な憧れに関係する。土の宮は肉体や骨格と関係があり、一時的なもの、変化するものを見張る。空気の宮は体内のガス、動脈、静脈に関係し、交友や人間関係を司る。水、流体の宮は進化や突然変異の要因をなし、われわれの粘膜、体液にかかわりをもつ。
 これらの宮のうちあるものは基本の(または変動の)宮と言われ、分点〔春分点秋分点〕および至〔夏至冬至〕を司る白羊宮、巨蟹宮、天秤宮、磨羯宮がそれに当たる。次の不動の宮と言われるものはその特質が他に比べて目立ち、より持続する(これに当たるものは、金牛宮、獅子宮、天蠍宮、宝瓶宮である)。
 残りの宮は共通の宮と言われ、不動の宮と変動の宮の間に位置して、その始まりは性質が前者に類似し、終わりに近くなると後者に類似してくる。空気と火の宮は、男性的、父性的、肯定的、能動的な性質をもつ。水と土の宮は、女性的、母性的、否定的、受動的な性質をもつ。さて、こうした古典的な割振りがいかに執拗に存続してきているか、最小限概略化して示すために、ここに宮をひとつずつ取り上げた一覧表を最近の提要書から引いて掲げておく。+(プラス)の記号は男性的なタイプ、-(マイナス)の記号は女性的なタイプに各々対応するが、それについては今見たとおりである(表I参照)。
 表中の支配惑星は各宮の特性と調和し、その意味をともにするものとみなされる。ただし、ここでは惑星である天王星および海王星が第一一と第一二宮の支配星として挿入されていることにお気づきだろう。この二つの惑星の存在を知らなかった古代人は、宝瓶宮には土星を、双魚宮には木星を割り当てていたのである。こうした古代人の割振りから土星と木星を取り除いたいわゆる所有権剥奪が、どの程度合法的であると正統派占星術師に考えられているのか、私にはわからない。たしかに二様の兼任を除く利点はあったろう〔土星が磨羯宮と同時に宝瓶宮の支配惑星でなくなり、木星が人馬宮と同時に双魚宮の支配惑星でなくなったこと〕。それにしてもなおかつ二重の使用がなくなったわけではないのである。つまり、火星、金星、水星がまだそれぞれ二様の支配の座を占めている。1930年发现的冥王星がどれかひとつの宮に割り振られて、この兼任のどちらかを除くことになってよかったはずである。

白羊宫
金牛宫
双子宫
巨蟹宫
狮子宫
处女宫
天秤宫
天蝎宫
射手宫
摩羯宫
水瓶宫
双鱼宫

基本

​不动

共通

基本

​不动

​共通

基本

​不动

​共通

基本

​不动

​共通

​-

​-

​-

​土

​土

​水

​土

​水

火星

金星

水星

月球

太阳

水星

金星

火星

木星

土星

天王星

海王星

春之宫

夏之宫

秋之宫

温与湿

夏之宫

秋之宫

冬之宫

冬之宫

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次にプトレマイオスから引いた表IIは、また違った意味で有益である。ここでは各宮が季節ごとにグループにまとめられ、同一季節に属する宮には、共通した特性、しかも明らかに季節ごとの通例になった気象上の特徴と相関する特性が割り振られている。
家が有する占星術上の性質
 ―― 以下、若干現代の占星術提要書から借用して補いながら、プトレマイオスに従って、各家に割り当てられた権限を簡潔に掲げておこう。
Iの家
(白羊宮と火星に結びつく)
 第一の家には、体質、身体の外見、個性、性格に関係する事柄が読み取られる。東の角。基本の家で、きわめて幸運である。頭部、脳髄、顔を司る。
 国家の場合、民衆と、国民の全般的緊迫とに関係する。
IIの家
(金牛宮と金星)
 物質的な利益、財産(利益の場合も破産の場合も)、労働、取引き、動産に関する事柄のすべてが見られる。個人の盛運の度合いを特徴づける。首、咽喉を司る。幸運である。
 銀行、収入、一般的な富に関係する。
IIIの家
(双子宮と水星を伴なう)
 兄弟姉妹、いとこ、義理の親戚に関する情報のいっさい、小旅行、便り、社会と関わる時に発揮される天賦の能力等に関する情報のいっさいが与えられる。肩、腕、手を司る。

あまり幸福でない家。具体的な心配事を司る。
 輸送、郵便、ラジオ、図書館、教育に関係する。
IVの家
(巨蟹宮と月に調和する)
 第四の家は、父親と母親、なかでもとりわけ父親に関係し、相続、乳母、不動産、相続人、死亡後の諸事、たとえば墓所、名声、秘密、意外事などにまつわることを包含する。胸、肺、脾臓を司る。
 地球の角。基本の家で、幸運である。
 鉱山、農業、公共の建物、国家的事件の終結に関係する。
Vの家
(獅子宮と太陽)
 この家は、子供、喜び、愛、心の歓び、歓待、人生の好機(たとえば商売上の)にまつわる事柄を包含する。心臓、神経、肝臓、胃を司る。良い影響をもたらし、幸福な家と言われる。
 国家に関する場合は、大使館、劇場、教育に関係する。
VIの家
(処女宮と水星)
 黄道十二宮の病院*と言われる。健康、病気、人生の争い、身体の欠陥と手当て、衛生、衣服、また、苦しみ事、奉公人、賃借人、小作人、家令、さらに、家畜や小家畜についての情報をもたらす。祖父母、伯(叔)父、伯(叔)母、配下の者、敵とみなされる者に関係がある。腹、腸、太陽神経叢〔胃と脊柱の間の腹部にある神経中枢をさす〕を司る。

国家に関する場合は、公共の保健衛生、産業、労働者階級に関する情報を教える。
VIIの家
(天秤宮と金星に調和する)
 結婚、女性、美しさと成功、離婚、契約などの破棄と訴訟について教示する。
 不和の争いと戦争、労働提携を統べる。如何なる型の公の敵をもつことになるかも教える。
 腎臓、静脈(女性の場合は卵巣)を司る。
 西の角。基本の、幸運な家。
 国際関係、戦争と平和に関係する。
VIIIの家
(天蠍宮および火星と結びつく)
 われわれが死ぬ場合のありよう、予想外の相続、負傷にまつわる事柄を包含する。相続、贈与および遺贈を統べる。
 生殖器官を司る。
 不運の家。政治家の死とそれに付帯する事件に関係する。
IXの家
(人馬宮と木星に結びつく)
 宗教と哲学、抽象思考、夢と幻の家である。他に、長い旅(特に航海)、異邦人との関係、遠隔地での成功と関係する。身体の面では、腰、大腿部、臀部に関与する。
 とりたてて幸運ではない。
 国家に関する場合は、教会、議会、海軍、科学上の発見に関係する。
Xの家
(磨羯宮と土星)
 この家には、栄誉、成功、名誉、地位、品格、昇進、職場および仕事、野心、公の職務にまつわる事柄が見出される。母親についても教示する(IVの家が父親であるのに対して)。
 骨格、膝、ひかがみを司る。
 帝王の家*と言われ、南の角、天の中央で、基本の幸福な家である。
 選良、上層階級、王、宰領者、独裁者に関係する。
XIの家
(宝瓶宮と天王星)
 友人、庇護者、援助、希望の実現、憧憬に関して情報を与える。
 社交性の如何を決定する。脚、踝を司る。幸運をもたらす。
 国家の場合、同盟や協力の相手、議員に関与する。
XIIの家
(双魚宮と海王星に結びつく)
 敵、とりわけ秘事、迫害、中傷、憎悪、裏切りに関係をもつ。訴訟、負債、墜落、狂犬に咬まれることを予告。不慮の難事。感覚の錯乱、悲嘆、貧困の家。悪い影響を及ぼす不運な家である。
 足を統べる。上位の者との関係を決定する。
 国家の場合、監獄、施療院、保護所に関連する。
* 家のそれぞれには、このように特別な呼び方があるが、ごく一般的な名称を示せば以下のようになる。生命の家(I)、所有の家(II)、兄弟の家(III)、両親の家(IV)、子供の家(V)、疾病の家(VI)、結婚の家(VII)、死の家(VIII)、宗教の家(IX)、帝王の家(X)、友人の家(XI)、敵の家(XII)(訳注)。

医学としての占星術
 ―― 元来医学は、星、宮、惑星、およびそれらが有する諸法則と結びつけられていた。しかし時代の流れとともに、こうした本来の伝統が姿を消し、医師は少しずつ天空に関心をもつのをやめていった。いわば、占星術師が言うところの、しだいに進展してきた唯物主義の嘆かわしい影響によるのである。とはいえ、医師の中にも、秘儀へ導かれ、人間の器官に生じる障害と天空にあるその原因とを関連づけたエジプト人やパラケルススとその錬金術的医学medicina adepta〔パラケルススについてはいまさら詳述するまでもないが、ルネッサンス期の占星術史上、後出する同時代のノストラダムスとともになによりも医学者であったことは忘れてはならない〕の秘められた奥義を再発見した者がないわけではない。とすれば、今度はわれわれがこの再発見された知識、つまり心配される病気やその本来の性質、病気が襲う時間やその前徴をすでに何年か前に予見できるようになるこの知識から学びとる番である。取急ぎその奥義を公開することにして、手短かに要点へ入ろう。以下は惑星が有する能力を簡単に表わしたものである。次にそれぞれの宮が受けもつ身体の各部分をもう一度想起しておこう。さてその上で、個人のホロスコープにおけるさまざまな結びつきを考慮することになる。つまり、前の表に掲げたそれぞれの関連事項を調べて結び合わせるだけで、たとえば以下のように結論を下すことができるわけである。こうしてみるとさほどのめんどうもないのである。ホロスコープをただ一瞥するだけで、患者がこれからかかる病気がきわめて正確に、しかもその全生涯にわたって明らかにされるのに、なぜ多くの若い人々が長い時間をかけて医学の研究を続けたりするのか、訝しく思われるほどである。

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健康と死に対する一般的な前徴 短命の指標
 生命の庇護者たる基本要素(生命強化の要素と食物同化の要素)をなすものに、生命の真正な中心とされる、燈火星(太陽と月)、上昇点、木星がある。いっぽう、生命の破壊者たる基本要素(生命破壊の要素と分解的変質の要素)には、まず第一に土星、次に火星、ついで天王星があり、海王星もいくらかそうである。たとえば、燈火星が死をもたらす宮か苦しみを与える家にとどまり、不吉な相、凶悪な惑星によって圧迫される時、生命は危険にさらされるのである。
 またVIの家、それと結合した処女宮、およびこれらの領域に関連する水星が病気を司る。XIIの家は、病状が隔離や入院を必要とする時に関与する。仮に処女宮およびVIの家ないしXIIの家が、燈火星もしくは一連の惑星を含むとすれば、慢性的な病気や先天的な崎形が懸念されることになる。VIIIの家にある惑星は、死の特徴を示す。すなわち、火星および天王星が非業の死あるいは急死を、土星が慢性的な病気や窒息死または溺死といったように。同じようにホロスコープも、医者や外科医に対してどんな用心をすればよいかに関し、有益な助言を与えることになる。こうした助言の注意書きをプトレマイオスから二つばかり借用して(数多くある中から)、以下に掲げておこう。
 「月が、身体の特定部分に力を有する黄道帯上の宮を占める場合、罹疾したその身体の部分を鉄でもって傷損すべからず(つまり、外科手術を避けること)。」
 次のはさらにもっとおもしろい。
 「汝の医者が妥当か否か判別するには、汝が床に就いた時間の天体のテーマを考慮すべし。すなわち、VIIの家ならびにこの家の支配惑星が万一苦患を受けた場合、医者を代えるべし。」

  誰の場合も、惑星である火星が、一年のうち、誕生時に太陽が占めていた黄道十二宮上の位置を横切る時(本源的な生命力が苦しめられる時)には、周期的に死の危険がせまることになる。そして死は、どちらかといえばこうした機会に不意にやってくると言われる。またもし太陽が土星に苦しめられていれば、幼い年齢で死に見舞われる危険が大である。もし土星がホロスコープの角のひとつにあれば、子供は死産する可能性がある。新月ととりわけその前の時間(運行の最後に当たり、疲弊しきった太陰月)が危険である。子供の死亡率がぐっと大きくなるのである。またもしホロスコープ中、ある惑星がIまたはVIIの初端のひとつ、つまり上昇点か下降点を通過するなら、生命力が弱まる。その惑星が燈火星(太陽と月)ないし木星であれば、災厄はまじかということである。 太陽もしくは上昇点が、巨蟹、磨羯、双魚の宮のいずれかを占める場合には、その人は脆弱な体質をもつことになる。 医学的なホロスコープの一例を現代の著作『ある少女』Une filleから借用しておこう〔第9図〕。

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注釈
 ―― 天蠍宮が上昇点にあり、火星、土星、天王星を含み、それぞれが太陽と占星術上の合をなしている。不幸がはなはだしいのである。加えて、月が(略図外になっている)、火星と不吉な相をなしている。病気の家(VIの家)の支配惑星である水星は、不吉なXIIの家のすぐかたわらにある。最も悪しきことの起きる前徴である。
さらに押し進めた分析
 ―― 当然ながら、以上のような初歩的なことだけですまされるわけではない。対応関係は微細にわたり、同時に深くきわめられていたのである。ともあれここでは、今日太陽と火星に与えられている、その特性および関係を示すほぼ完璧な一覧表を掲げておく。

太陽☉

 

結合する宮=獅子宮♌
精神面の特質=強靭さ、堅実さ、意志、忍耐
体質=胆汁質
薬種の典型=きつねのぼたん、カミツレ、ひまわり
植物の典型=こごめぐさの類、はこべ、アンゼリカ、むらさき草の類、もうせんごけ、きじむしろ、かわらさいこの類、コルヒクム、やぐるまそう、くさのおう、カミツレ、金盞花、西洋とねりこ、杜松属、弟切草属、われもこう属、ふき、芥子菜、まんねんろう
治療上の特性=発汗させる、強心の、反悪液質の
金属と鉱物=金、鉄礬柘榴石、風信子石(ジルコン)、黄玉(橄欖石)

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火星♂

 

結合する宮=白羊宮♈、天蠍宮♏
体質=胆汁質
性格=勇敢、喧嘩好き、血気にはやる、精力的、無謀、じれったがり
 薬種=鉄分の調剤、鉄分を含むもの、強壮剤、砒素、馬銭子、アルニカ、サルサ、硫黄、ストリキニーネ、カンタリス、キナ、胡蘆科植物
 植物=にがよもぎ属、十二単じゆうにひとえの類、ともしりそう属、柊もどき、沢唐辛子属、はりえにしだ、ホップ、まむしぐさの類、にんにく、あざみ、うまのあしがた属、ふうろうそう属、亜麻、黄龍膽、鹿子草、ひろはへびのぼらず、めぼうき属、大黄属、茜属、前胡のだけ、蕁麻いらくさ属、風花菜属
 治療上の効力=興奮させる、元気をつける、発赤させる、焼痂を作る、腐蝕させる、発泡させる、催淫作用をする、吸収する
 火星を本源とするもの=エネルギー、怒り、膨脹、激昂
 金属および鉱物=鉄、硫黄、斑岩、辰砂
 さてこれまでに掲げた条々を、例の高名なラファエルがその著『占星術便覧』(ロンドン、一八二八年)でこの惑星の火星に当てたものと対照してみると、占星術師の見解、その言葉の豊饒さが半ば永久に変わらず続いているのには瞠目するものがある。

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以下に短く抜粋してみよう。
 植物の場合、火星が支配するのは、尖端のとがった葉をもつ温と乾の草、あるいは赤い草であり、石の多い高地にはえる ―― たとえば、あざみ、いばら、野薔薇、蕁草属、玉葱、赤蕪、芥子菜、胡椒、にんにく、毒人蔘、朝鮮もだまなど。
 鉱物の場合、火星が統すべるのは、赤鉄鉱、磁石、碧玉、試金石、石綿、紫水晶、金剛石であり、また鉄、鋼鉄、砒素、アンチモン、硫黄、その他刺激の強い鉱物で、火のように激しい性質か引火性に富んだ性質を有するものである。
 また惑星それぞれに、人類が苦しむ悲しいことにおびただしい数の病気を配分してあることも、実に教訓的に思われる。それに残念ながら認めざるを得ないけれど、よい運勢をもたらすと言われる惑星が必ずしも他の惑星より病気の分け前を少なくその支配下においているわけではなく、その惑星のもたらす幸運も総体的にいって最初からはっきり見分けるにはかなり困難があるのである ―― たとえあらかじめ知らされているにしても(次の表を参照されたし)。

各惑星と結びつくごく典型的な病気

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他方、黄道十二宮の各宮の分析は、惑星の場合に比べ、その詳しさにおいて劣るところはない。以下任意に三つだけ選んで見本を掲げておこう。
第一宮 ―― 白羊宮♈
 意味すること=生命力が実際に過剰になり、それに応じたエネルギーおよび精神的肉体的活動の外在化。落ちつきのなさと変わりやすさ。
 性質=温と乾、不毛と炎症性。
 支配するもの=脳髄、頭蓋骨、顔。
前頭部、後頭部、頰骨の各筋肉、側頭部の吸奏筋など。
側頭部の動脈と内部の頸動脈。頭部の静脈。
 病状=癲癇、頭痛、頭部と顔の発疹性の病気、禿頭病、めまい、神経痛、脳充血、脳炎。
第三宮 ―― 双子宮♊
 象徴すること=柔軟性、散乱、鋭敏な感覚、伝達。
 司るもの=手、神経、肺(気管および気管支を含む)。
肩から指骨にいたる範囲。
血液の酸化作用はこの第三宮の重要な機能であり、胸腺および毛細血管の大部分を管理する。 

  病状=気管支炎、結核、神経性の病気、肺炎、肋膜炎、腕の骨折。

第十二宮 ―― 双魚宮♈
 性質=湿、リンパ性、可塑的、麻痺状態、冷静、組織に緩和鎮痛の作用を与えるたくさんの痰と粘液を発生させる。
 影響=肺の場合、太陽がこの宮を占める時、はなはだしい衰弱を惹き起こす。月が双魚宮を占める人は、冷たさが不意に肺を襲うのを感じる傾向がある。
足および足の指がこの宮に司られる。
子宮および性器は、とりわけ梅毒の伝染がある場合に関連づけられる。
 骨=跗骨、蹠骨、趾骨。静脈=足の静脈。
 動脈=足蹠の内側および外側、跗骨、蹠骨それぞれの動脈。
 病状=粘液の溢出、淋疾、痛風、足または足の指のたこと奇形、足の部分に起こる疝痛と冷え、水腫、腺組織の軟化症、アルコール中毒。
 引証はこのへんでやめておこう。占星術全般にわたる概論を展開するのがさしあたっての目的ではない。ここでは、占星術の天文学的な基礎知識を得、その基本原理が強調され、予言のメカニズムが示されればよかったのである。これで読者として十分な知識を得、結果それに基づいて自分の意見を確立し、後の議論を続けて理解し、最終的な決断を下せるものと思う。

第三章 占星術の価値
 占星術は、当然のことながら客観的に検討されてしかるべきである。占星術を認めないにせよ、まずもって占星術とはいったい何か、それに携わる専門家は何をやるのか(占星術師の仕事にも各種ある)、彼らの自負するところは何かを、十分のみこんでおかなければならない。
 占星術が長い歴史をもつのは事実で、その起源はまさに先史時代にまで及んでいる。メソポタミアで栄えた頃はもっぱら国家に奉仕するのみだったが、のちギリシア時代になると俗化し(つまり一般民衆の用を弁ずるようになり)、「天文学」の進歩の波に乗じた。すなわち、占星術に規範としての形態を与えたのはプトレマイオスなのである。ローマ帝国内に急速にひろがったのち、占星術は「全地球」の征服に乗り出して行く。中世の君侯たちに対するその影響力は圧倒的なものがあった。すぐれた学者が、一七世紀に至るまで占星術を行なった。つまりそれは、研究題目として最もおもしろい歴史現象のひとつなのである。本書では第四章でそれを概観してみよう。今日でもなお占星術は、世界中の国々の民衆の心に根強い力をふるっている。占星術の書物や新聞が出、結社もある。毎年、信じられぬほど多額の金を(ドルで、ポンドで、フランで、ピアストルで)自分の懐に吸い上げてもいる。すなわち占星術は、依然として重大な社会現象なのである。
 占星術は、公認の科学者や学問の府から無視されているひとつの科学サイエンスなのだろうか、それとも古代の迷信の名残りなのだろうか。
 この点について論議する前に、当面の問題が法的にはどう扱われているか、それを読者にぜひ知っておいていただかねばならない。金を取って未来を占うことは法律で禁止されている、換言すれば占星術師という職業は法の厳重な制裁を受くべきものである。行き過ぎた宣伝(この職業のためのちらし、広告、ポスター類)は取り締まられる。多額の金を巻き上げた場合、犯人は詐欺の疑いをかけられる羽目になる。
 次に掲げるのは、占星術(および、通常それとかかわりの深いさまざまな商行為)を対象とした刑法の本文である。

占星術禁止に関する刑法本文
 第四七九条 ―― 一八三二年四月二八日施行 ―― 次の者は一三〇〇フラン以上一八〇〇フラン以下の罰金を課さるべし。
 (七) 占いと予見を ―― あるいは夢判断を職業とする者。
第四八〇条 ―― 次の者は五日以下の禁錮刑を言い渡さるべし。
 (四) 卜者、夢占い師。
 第四八一条 ―― さらに次の器物は押収され、没収さるべし。
 (二) 卜者・占者 ―― あるいは夢占い師の職を行なうに用いらるる、ないしその用に当てられたる器械・器具および衣服。
 第四八二条(一九四五年十月四日布告) ―― 四七九条に挙げられたるすべての者に対し、再犯の場合は一週間の禁錮刑が言い渡さるることあるべし。
 同様に、占星術師に占いをたのむ依頼人のほうも、金を渡せば同罪だとはっきり予告されている。ただ、祭礼の日や縁日で占星術師が小屋掛けをすることは大目に見られる(それも警視庁の腹次第だ)。《星の影響を研究する会》なども、金もうけや金銭ずくの下心が全然なければ法的規制の対象とはならない。

占星術の価値如何
 ―― 占星術には何の値打もない、まさしくゼロである。以下の各章でその理由を説明しよう。占星術はどうも怪しいと思っている人々、あるいはまだはっきりした考えをもたない人々が古い迷信に引きこまれていくのを食いとめられたら、それでいい。なぜなら、占星術を頭から信じこんでいる人々を説得しようとしてもむだだからである。それは、未来のことが不安で何か手引きになりそうなものを欲しがる人々の気持に深く根を張った信仰で、偶然の一致にもとづいたものであることもときたまあり、当事者はそれこそ占星術が正しい証拠だとしてしまうのである。
 (法を犯して)占星術を生業なりわいとする人たちに、そんなものはまやかしだと証明するには及ばない。彼ら自身、それは先刻御承知なのだから。のみならず、彼らのうち大部分は、ホロスコープとは何か、恒星時とは何か、その正確な意味さえ知らず、手紙によるその星占いの身上相談は、たいていの場合規格品で、あらかじめ印刷されているのである。

天文学者の意見
 今日、占星術を信じている天文学者は ―― 大学者にせよそうでないにせよ ―― 地球広しといえどもひとりもいない。私はなにも権威を笠に着て自分の言い分を通そうとするわけではないが、天空のことをよく知っている人々が口をそろえて同じ意見を表明しているという事実は、やはりそれなりに傾聴すべきである。高度の探究手段をそなえ、新事実発見の熱意に燃えて、日に新たなことを見出しつつある(現代天文学の長足の進歩を知らぬ者があろうか)数多くの天文学者が、事情を十分わきまえた上で占星術をまったく信用せず、占星術をこととするぺてん師連中を公然と敵視しているのである。この事実はきわめて重大なので、占星術師はなんとかそれを無視しようとする。天文学者は占星術に頭から反感をもっているのだとか、商売敵と見なしているのだとか、わが仏尊しの態度だとか、利権独占に汲々たる《公認科学》のやりそうなことだとかいった類である。まあよろしい。誰がそんなことを信じるものか。もし誰かある天文学者が、占星術の法則は正当で根拠があると認めたならば、公然とそれを支持し、人の意表をついてそれを証明することでかえって名を挙げるのに、何の妨げがあろうか。

さらに言うなら、中世までは、天文学者それも高名な人々で占星術をやる者がいたではないか。その後継者たちはなぜ占星術との関係を絶ったのか。理由は明らかだ。科学の進歩により、占星術理論の誤りが天文学者にはっきりしたためである。
 世界で最も大きく最も有名な天文学学会のひとつで、国際的性格をもつA・G(Astronomische Gesellschaft)は、ボンで開かれた会議(一九四六年)の席上、占星術の思いあがりに強力な反対声明を打ち出そうとした。次はその声明文の一節である。
 「今日、《占星術》《宇宙線生物学》などを自称するしろものは、迷信とぺてんと商売気とのごたまぜにすぎない。」
 「もっとも、すべての占星術師が、型どおりの印刷物を出して人の性格解剖をやったり、あらゆる身上相談に乗ったりするだけでお茶を濁しているわけではない。こういう愚にもつかぬことに反対して、自分自身のいわゆるまじめな占星術を説く《占星術協会》も、あることはある。だが、この種の占星術にしても、みずからが科学であり、その方法が科学的であるという証拠を見せることはできなかった。予言がたまたま当たったにせよ、なんらこの事態を変えるものではない。」「占星術は勝手にきめられた規則を集めた一体系にすぎない」(S・アレント訳)。
 ここに述べられている批判については、本書でもいずれあれこれ取り上げて敷衍しよう。
 何世紀にもわたって勢力をふるってきた占星術が誤りなら、今でも占星術を信じている人々がいるのはなぜであろうか。
 ある現象が正しいか誤っているかの問題は、必ずしもその明証性如何にかかっているわけではない。また大多数の現代人は、論題を自分の手で解決する準備ができていない。だいいち、当の論題の内容をよく知らない場合が多いのである。彼らは他人の判断に頼る。もし彼らが、不運にも非合理主義的な環境で生育した場合、または占星術の熱烈な支持者から強い影響を受けた場合、彼らは一生涯誤りから脱け出すことができないかもしれないのである。
 占星術師は、科学者からの一斉攻撃に曝されると、きまって牽制攻撃に出る。たとえば、はじめ何か新奇なものに敵意を抱いていた科学者があとで自分のまちがいを公に認めねばならなくなった例を数えあげたりする。しかし占星術は、新奇なもののまさに正反対なのだ。科学者はもうずっと前からはっきりした考えをもとうと努め、今ではそんなものにかかずらってきたのにうんざりというありさまである。占星術の空しい幻影、その変わりばえしない停滞や失敗などは、もう科学者を少しも驚かせない。彼らの反感はつのるばかりである。ところが占星術師のほうは、科学者グループの意見に疑問を投げたのち、今度は現代の諸発見(それは占星術師の夢想にいささかも負うところのないものだ)を引きあいに出し、これから先もいろいろな新発見が行なわれて、ついには自分たちの術の正しいことが証明される日がくるだろうと言う。放射能にX線、宇宙線、無線にビタミン、なんでもござれだ。彼らは現代科学の最新発見に注意深く目を光らせていて、それを自分の説の支えに使おうとする。中性子や陽電子、中間子やレーダー反射、どれを取っても彼らの説の正しさを証明するものになってしまう。
 「公認の科学者諸氏よ、貴殿たちが二〇世紀になるまで多くの事実を知らずにいたのが明白である以上、貴殿たちも《天》と《地》のことをすべて知りつくしたなどとあつかましくもおっしゃるわけには参りますまい。明日、占星術の正しさを証明する何かが発見されぬとも限らないのではありますまいか。この反撃は、実は天に向かって唾する類なのである。
 何もかも知っていると威張るのは、天文学者ではなく占星術師のほうである。彼らこそ、天体が無数の驚くべき特性をもつことを認めながら、幾世紀もの間、自分の信奉する原理のどれひとつ、何の証明もしてこなかったのである。
 今日、科学は、如何に新しい事柄であれ、それが明確に提出され再現可能なものである限り、喜んで受け入れる。証明を伴わない断言を科学が信用しないのは正当である。なぜなら、科学の賛同を得ようと策を弄したぺてん師どもが、つい最近に至るまで跡を絶たなかったのだから。
 逆に幻想派は、あらゆる証明に先立って驚異を認める。情緒に弱い人間が《物理学》に無知ならそれで十分、彼は比類ない力をそなえた波動がどこにでも働いていると称し、科学者グループがちやほやしてくれないと、まるで迫害を受けた殉教者よろしくのポーズを取るのである。」天文学上の発見をわかりもしないのに利用しようと気がせくあまり、占星術師は滑稽きわまる失策をやらかすことがよくある。たとえばさる占星術師が、(縦方向における)輻射運動が天体の光を変化させる(ドップラー=フィゾー効果)〔光や音のような波の振動数が、その源または観測者の運動のため変化して観測される現象。両者が近づいている時には振動数が増大し、遠ざかっている時には減少して観測される〕ことを知ったが、彼はこの理論を誤解し、横方向の移動の特性に関することと思いこんでしまった。
 そこで彼は次のように書いている、「天文学はとうとう、われわれのほうが正しいことを認めた。われわれは、惑星が順行状態にある時と逆行状態〔順行と逆行については、本訳書22ページを参照〕にある時とではその影響力が違うことを、かねがね主張してきた。ところで天文学者たちは、いまや、惑星が実際この二つの場合でスペクトルを異にすることを発見しているのである!」

古代の幻想の名残りとしての占星術
 占星術は、《地球》が《宇宙》の中心とみなされていた時代の刻印をとどめている。当時、人間は天体を、自分のために作られて自分の用を弁ずるものだと思い、また星々は人間の誕生を支配しその運命を司る神々だと考えていたのである。
 占星術は多神教ときってもきれない関係にある。気まぐれで変わりやすく、互いに影響力を競っているこの数多い神々=惑星は、今なお現代占星術における主要テーマなのである。
 各惑星がもつとされるそれぞれの特性は、要するにギリシアの万神殿パンテオンの神々が有する属性にほかならない。ある惑星〔もちろん、土星を指す〕がサトゥルヌス(クロノス)と名づけられ、自分の子供たちをむさぼり食ったあの神と同一視されるようになった時から、この岩石とガスの塊は不吉な星とみなされることになる。そして惑星は、だいたいのところgrosso modoお互いに似ているのに、お伽話の登場人物の名前をもらったばかりに、お互いひどくかけ離れた影響力をもつと考えられたのである。この象徴主義はトランプのそれに似ており、同じ意味をもっている。たとえば一枚の厚紙にハートをひとつ印刷したら、そのカードは以後恋愛問題の結末を占う力を帯びることになる(トランプ占いの信者は、しばしば占星術の信者でもある)。若鶏のはらわたや小鳥の飛翔を調べたりするのは、占星術と並んで未来を占う手段であった。いろいろな迷信がこのように手を結んで栄えるのは、今の世も変わらぬ原則である(水晶球、タロット・カード、手相、コーヒーの出し殻、ホロスコープ、振子時計)。この事実は、人類が幼児期の混迷をやっと脱け出した過去の時代からの名残りについて、その源泉や意味を教えてくれるわけである。占星術の立法者たる偉大なプトレマイオスが出た王朝時代には、占星術が時のさまざまな幻想や理論と融合し、四つの質〔湿・乾・冷・熱〕・四元素・四つの体液などを核心とした貧弱な擬似自然科学と一体になるのが見られる。この貧弱さをごまかし、今でもなるほどと納得できる根拠を欠いていることを隠そうと、現代の占星術師は古い概念を蘇らせて用いたりするけれども、科学的意味は皆無であり、誰の目もごまかしようがない。今はやりのやり方は、占星術が宇宙の波動を基盤にしているという説である。例は多いが、次に挙げるのは、アメリカで出版され途方もない流行をまきおこした著者(女性)が書いたある大部の占星術入門書から取ってきたものである。
 「恒星と惑星が起こす波動は、古代バビロニアの時代も、それ以前の時代も、今日も、また未来も、完全に同じである。」詩的な言い方には違いないが、事実をこれにぶっつけておこう。惑星は波動を起こしたりしない、断じてしからずである。惑星の波動というのは、ピタゴラス派におなじみの例の天体の音楽*によく似た考え方なのである。
* ピタゴラス学派は大地を球状と考え、惑星や太陽や恒星とともに宇宙の中心にある火のまわりを一定の数学的法則に従って回転するとした。この数比例によって各天体が固有の高さの音をもち、宇宙をその調和とみなした。また、最近こんなことを言った占師がいる、「ホロスコープは、ある時刻と場所との地上における磁気的状態を明確に規定する」と。これも美しい言葉だが、科学的意味は全然ない。
 この占師の著名な同業者のひとりは次のように言う、「出生ホロスコープは、過ぎ去ったばかりの九か月の天空と星の状態とを要約するものだ」と。
 右の言葉の内容は天文学的に見て無意味であり、のみならず、前に引いた言葉とも矛盾する。
 ホロスコープは九か月間の天空を要約するのか、それともあるきまった時刻の特質を、のみならず地上のある状態をも規定するのか。意見を調整していただきたいものですな、占星術師諸君!

問題の核心
 ―― 占星術の最も重大な欠陥は、太陽と月の関係を、経験的事実を越えて過度に一般化してしまうこと、明白な法則を特殊なテーマに対して誤って適用することにある。たとえば決定論の誤用がそれである。占星術を弁護するため、人々は次のように言うだろう、「太陽が季節の変化を生み、かくて人類全体に影響を及ぼすのだから、どうしてたとえばデュラン氏個人にも影響を及ぼさないわけがあろうか。月が潮の干満現象に関係を有する以上、人が生まれた時、空に月が出ていたりいなかったりすることがその魂に決定的な性質を刻みつけないわけがあろうか。天体が地上の風土気候をある程度決定するならば、火星や土星が戦争とか革命とかをコントロールしないわけがあろうか。惑星のコースが予見できるならば、どうして未来に対するその影響を予見できないわけがあろうか。」さよう、ほんとうにどうしてなのだろうか。
 手品の種は見えすいている。要するに、一般的法則を特殊な領域にそのまま適用し、地球グローブの物理に固有な諸関係(その名が思わせるように総体的グローバルな諸関係)を、それとは何の因果関係もない限定された分野にあてはめることにある。この限定分野たるや、あきれるほど特殊なものであることが多く、かつて如何なる時代にもはっきり証明されたためしがないのである。
 たしかに太陽は地球を温め、地上の生命を養っている。しかし、だからといって太陽がわれわれの恋愛問題に関係をもつことにはならない。たしかに月は潮の干満に関係があるが、どれが当たり籤かわれわれに教えてくれるわけではない。たしかに火星マルスは赤味を帯びているが、その赤さは錆びた鉄の色でもなければ血の色でもない。火星は戦いくさの神マルスの名をもってはいるが、われわれが与えたこの名前は、それが戦争を煽あおる特性をもっているとか争いの種になるとかいうことをいささかも予想させるものではない。たしかに木星ジユピターはみごとな惑星だが、われわれが生まれた時、空のまん中にそれが出ていたからといって、われわれが大学入学資格試験に合格することをけっして保証してくれはしない(それより試験課目の勉強でもやっておいたほうがましである)。右に引いたような支離滅裂な言葉は、占星術がそもそもの昔からもっていたまちがいがどんな種類のものか、それをよく示しているように私には思われる。つまり占星術は、実際に働いている影響から、単なる想像上のものにすぎぬ別の影響関係へと移ったのである。人類が奇蹟を渇望し、未来を知りたいと熱烈に望みながら、まだ科学的なコントロールの規準を全然もたなかった遠い時代、占星術は、偶然の一致を法則に仕立ててしまった。私は占星術の歴史を扱った章で、人類初期のたどたどしい思想と占星術とが結びついたありさまを見ることにしたい。
 紀元後二世紀、プトレマイオスが惑星と人間とのあいだに設定した関連性、熱・冷・乾・温の四つの質、例の擬似元素(土・火など)や体液、錬金術の金属精錬法 ―― こうしたものは、プトレマイオスがそこから引き出した結論が今なお占星術師の間で金科玉条視されていなければ、どれもなかなかおもしろいのだが。彼らは言う、占星術上の特性は証明はできないけれども伝統的な基盤をもっているのだ、と。つまりそれは、さまざまな相関関係や一致を数千年(のみならず数十万年)にわたって観察した結果にもとづくもので、そうした関係や一致が幾度となく繰り返し観察されたこと自体、その価値を示すものだというわけである。要するに占星術は、有効な対応関係コレスポンダンスの経験的規範ということになる。そして実際に真の経験論を築き、普遍的原理を樹立しようと思えば、さまざまな人種、さまざまな民族、さまざまな国土の間の相関関係をめぐる無数の記録を、容赦ない批評の篩にかけ、何百万ものホロスコープと各個人のその後の運命とを仔細に突きあわせて調べてみなければならなかったはずである。
 だが歴史上、そんなことは全然見当たらない。占星術がカルデア〔バビロニア〕に始まったことは、はっきりしている。紀元前二千年ないし三千年、カルデアで占星術が開花したが、それは個人にはまったく関係せず、もっぱら王の運勢と国事だけを占うものであった。ギリシアおよび現代の占星術の本質、すなわち任意の個人と天空との関連を扱うような伝統はそこでは皆無だったし、暗示されてさえいない。出生や個人の出来事を主眼とする今のような占星術は、紀元始まってまもない頃、地中海沿域の数多い神話と迷信とのただなかで、合理的科学の最初の躍動を横目で見ながら生まれたもので、それ以上古い時代に遡れるわけではなく、したがってその当時に特有の幻想や考え方の刻印を帯びているのである。現代スイスのある占星術師は、六〇万年昔に書かれた古い文書なるものを引き合いに出している。しかしどの先史学者に聞いてみても、一〇万年昔のネアンデルタール人は、ようやく大ざっぱに切った火打石と初歩的な分節言語を用いていたにすぎないのである。
 一万年昔の新石器時代人は、農耕・牧畜・機織・陶器製造・航海は行なっていたが、金属はまだ知らなかった。六〇万年も昔の公式の観測文書など引き合いに出すのはばかげた話である。だが、このことはこれくらいにしておこう。古典ギリシアの時代になると文書はたくさんある。しかし当時でも、偶発事に関する統計を取ったり相互関係を調べたりした記録はないし、その痕跡もない。明らかに、そんなことには注意をはらわなかったのである。予言のやり方はいろいろあっても、現在の出来事の総体を隈なく調べ上げたり自然の法則を学んだりしてそこから未来の出来事を推論しようとは、誰も思わなかったのである。鳥の飛翔や犠牲の獣のはらわたを見て占いをたてた古代ローマの鳥占い師あるいは腸卜僧は、自分は単に神々の声を伝えるだけだと考えていた。同様に古代の天文博士mageは、天空で起こる現象と人間世界の出来事との間にあらかじめ定められた対応関係を明かすことができると思いこんでいたのである。
 のみならず、確率論はまだ新しい学問で、扱うのもなかなかむずかしい。占星術師は、確率論の力を借りようとしてもうまく使いこなせないのである。彼らは、平均値からの偏差が正常のもの、つまり起こり得るものであっても、それをすべて占星術の法則に仕立ててしまう。そのことはいずれ述べよう。さらに今日、占星術における相互関係なるものがどんなぐあいに設定されるか、簡単に見ることができる。つまり惑星が発見されると、占星術師諸君はその特性のリストを発表し、それを自分たちの予言に応用するのである。長期にわたる観察と熱心な観測の結果を待ちきれず、その軌道もまだ決定されないのに、彼らは新発見にとびつく。新しい惑星には新しい応用をというわけで、天王星・海王星・冥王星は、鉄道と自動車と飛行機を自己の領分とすることであろう。かてて加えて、占星術師がめいめいこれら新参の惑星に何らかの特性を見出そうとしたため、全体としてそれは最も重要な惑星クラスに入ってしまった。この三惑星を知らずに予言していた昔の占星術師は、何とかわいそうなことだろう!
歳差
 ―― 占星術信仰は、ひとつのきびしい試煉に耐えて生き延びた。歳差という事実が、人類に己れの誤りを捨て去る好機を与えてくれたのである。
 黄道帯の第五区域にある星々がライオンの形をしているのを古代人が認めるや、この区域にはライオンがもつとされている(それも怪しいものに思われるが)性質、すなわち決断力・勇気・雅量・矜持・支配者的精神などが割りあてられた。
 獅子座がホロスコープを支配していれば、その子は不思議な転移によって、肉体にも精神にもこうした獅子のりっぱな性質を受けつぐとされるのである。
 ところが、本書ですでに見たように(第一章)、各宮の形づくる帯域は今では一区域分ずれてしまった。獅子宮には現在は蟹座がある。しかし、古代より後の占星術が勇気とか力とかの性質を依然として割り合てたのは、獅子座という星座に対してではなく、その宮に対してである。換言すれば、星のないからっぽの空間、中身の抜けた長方形の場所にそういう性質が与えられたわけである。二千年前獅子座の星があった獅子宮のもとに生まれた子供は、勇気のある子だったかもしれない。まあ、それはそれでいい。だが今日、獅子宮のもとに生まれた子供が、空のその場所に昇ってくるのが実際は蟹なのにやはり勇敢な子でなければならないというのだから、もうその関連性たるやさっぱりわからない。占星術の法則をたてた人々の意図は、明らかに踏みにじられてしまった。つまり形ばかりの伝統が、字句の上だけの一貫性が、内容に優先しているのである。もっとも、このばかげた失錯にしたところで、めくじら立てるようなことではない。占星術師があれこれ占いをたてるその結果は、昔にくらべて当たらなくなったわけでなし、むろんよく当たるようになったわけでもないのだから!
 占星術師は反論する ―― いろいろな特性が与えられるのはまさしく宮に対してであって、星座に対してではない、と。それにしても各宮の特性が、今日黄道帯におけるひとつ先の区域に棲む神話的動物のもつとされる特性をきわめて正確に表わしているのは、厄介千万な問題にちがいない。占星術師の中には、それぞれの宮はいわば残留磁気のような力のせいで、長い間自分のものだった影響力を今も帯びているのだという説明を試みる者がいた。しかしそれならば、ヒッパルコスの時代には、もっと前の時代にそこに位置していた星座の残留磁気があったはずではないか。二万六千年はわれわれにとっては長期間だが、地球にとってはわずかな時間にすぎない。各宮の形づくる帯は、過ぎし昔に獣たちの像の上を何度もめぐったのである。だったら、影響力はめちゃめちゃに入り混ってしまうではないか。こうした貧弱な反論は、要するに、占星術師なるものがけっして不意打を食わない人種だということを示すだけである。彼は明々白々たる事実に出会っても断じて参ったと言わない。いつでも、なにかしら言い抜けを用意しているのである。いずれその例はたくさんお見せしよう。

諸惑星の実際の性質とその影響
 ―― 惑星はいずれも小さな冷えきった物体である。その光は、主として惑星が鏡のように反射する太陽の光である。そして、その光は太陽から間接的にやってくるのだから、惑星による固有の性質をもたないし、のみならずその光量も、太陽の活動の不断の変化にくらべればものの数ではない。というのも、太陽には黒点や白斑や紅焰があって、それが一瞬ごとに太陽の輝きを変化させているからである。太陽光線の量のこの急速な変化を占星術師はまったく問題にしないが、それでも地球にとっては、惑星からの光の総量より何百万倍も強いのである。
 絶対零度〔摂氏零下二七三・一五度。物理的に考えられる最低の温度〕の状態にないすべての物体と同じく、惑星も固有の光線を放射している。ただ惑星の温度が低いため、その光線は赤外線なのである。のみならず、その量は惑星が反射する可視光線よりずっと少ない。最近、天体物理学という強力な武器でもってこのような光線の存在を発見できたことが、すでに奇蹟的なのである。

惑星が発するこれほど微弱な赤外線を、占星術ははたして利用できるだろうか。それはわずかな障害物(家の壁、衣服、カーテン)にもさえぎられるし、それに、生まれたばかりの赤ん坊を真っ裸で星の光に曝したりする馬鹿はいない。のみならず、部屋の壁、家具、ランプ、窓ぎわのガス燈、いや産科医さえもが、惑星よりずっと多くの赤外線を発し、赤ん坊に放射光線を浴びせているのである。
 惑星の成分は、どれを取ってもだいたい同じである(岩石とガス体)。同じような物体が人事に対してひどく違った、どころか正反対の影響力をもっとは(影響が伝えられる不可思議なメカニズムのあることを認めたとしても)、とうてい考えられぬことである。
 われわれは、大気に包まれた岩石の塊が、それぞれお伽話に登場する人物の名前をもつがゆえに違った影響力を有するということを、認めざるを得なくなるわけである。さらに、占星術は星の見かけの等級を全然考慮に入れない。火星および金星と地球との距離は、時期によって一から七まで変化する。ホロスコープは、この距離という要因をまったく無視してしまうのである(天文学では、効果はだいたいにおいて距離の平方に反比例する。したがって惑星の運行の途上、ホロスコープに対するその影響力は五〇から一まで変化するはずである)。
 仮にわれわれが占星術の遊戯に参加し、地球までやってくる惑星の光子〔量子論において、光をエネルギー・運動量については一種の粒子として取り扱うことがある際に考える光の粒子。光量子ともいう〕を考慮に入れるとしても、それがなぜ特定のひとりの新生児にだけ作用して、そのすぐそばの揺籃で三時間前とか六時間前とかに生まれた新生児にはもう作用しないのかという、途方もない選り好みの問題を解決しなければなるまい。天体は、なぜ子供が生まれた瞬間にだけ作用して、他の時刻には作用しないのだろうか? この反論はかなり痛かったので、占星術師の間には生誕時のかわりに懐胎の時刻を持ち出す者がいた。私の考えでは、どっちにしても同じことである。さて次には、これこれの星がとりわけこれこれの知的能力に影響を与えるということを証明しなければなるまい。この分野では、生物学者はまったく遺伝と環境のせいにするほうが好きなのだが。さらにまた、未来にはこれこれの友人をもち、敵をもち、これこれの病菌に取りつかれるだろうという、長期の決定論を証明しなければなるまい。それも、現代都会の灯あかりと熱量カロリーの中に散らばった微弱な天空の光からの最初の呼びかけに応えてだ! もうたくさん、きりがない。私がなぜこんな呪縛にひっかからないか、読者ももうそろそろおわかりではあるまいか。もっとも、ご存じのとおり、占星術師は絶対に降参したなどと言いはしない。惑星の影響などばかばかしくて話にもならぬほど小さなものだと言ったら、彼はこう答えるだろう ―― 小さな原因が大きな結果を生じることがある、残念ながらあなたはそれを忘れているのだ、と。そして、彼はビタミンの働きについてお説教を始めるだろう!

決定論
 ―― 占星術の行なう予言は、原則として長期にわたる決定論の存在を暗黙の前提としているが、それが如何に奇妙な行きすぎであり、科学的決定論のカリカチュアにすぎないかは一目瞭然である。たとえば七五歳の老人が、オレンジの皮ですべって死んだとする。この出来事とその原因は、むろん《力学》の法則に従ったのである。しかし、如何に決定論を信ずること固い人間でも、老人の靴底とオレンジの皮とが重なって死を招くのは七五年前の諸事実の中にあらかじめ記載されていたことだ、と主張したりはしない。われわれは言う、この不幸な出来事は偶然のせいだ、なぜなら互いに関係のない無数の事柄がいっしょになって不幸が起こる条件を作り出したのだから、と。多くの偶然の事情がわれわれの行為の方向を一瞬一瞬変えるのだから、何が起こるかを予言するのは、たとえ一分先のことでも不可能である。占星術師がやっているように、オレンジの皮ですべって死ぬという不祥事の由ってきたる所以を、いくつかの天体、それも七五年前この憐れな老人が生まれた時刻にその位置にあった天体に求めるというのは、なおさら驚くべきことである。長期にわたる決定論は、このように天空のほんのちょっとした、いやわずか一瞬間にすぎぬ様相に拠り所をもつわけである。
 考えてみれば、およそ占星術の信奉者にはなんとすさまじい傲慢さがあることだろう。なぜなら、自分という取るに足りぬ存在の日常の隅々にまで、いくつかの惑星と数多い恒星の影響力なるものをもちこんで平然としているのだから。彼の言い分では、自分の健康状態や性格の特徴は、遺伝とか染色体とか、父親や祖父のもっていた欠陥、自分が受けた教育、生まれ落ちた社会環境によるのではない、黄道十二宮と諸惑星が妖精のように揺籃をのぞきこんできめてくれたのである。
出生ホロスコープ
 ―― 生まれるのがもう二時間おそいかはやいかしたら、十二宮と惑星はすべてその家を変えていただろう。そうなれば、星による前兆判断もまったく別ものになっていたはずである。将来のことをあらかじめ決定する原理自体がばかげたものに見えないとしても、全面的な決定がもっぱらある特定の一瞬間に委ねられてしまうということは、どう考えたらいいのだろうか。八時に生まれた子供に絶対的な影響力を及ぼす星々が、十時またはそれよりあとに生まれた子供に対しては何の力も及ぼさないというのも変ではないか。まちがった時刻をもとにして作られたホロスコープにはどんな価値があるのだろうか。時刻があいまいだった昔のホロスコープは、いったいどうなるのか。
 その上、今日では正確な暦がちゃんとあるにもかかわらず、有名な占星術師諸君がわざわざ作ってお出しになる基礎計算表には確かなものがめったにない。さる大御所(中央占星術学院の院長さん!)など、十時間もまちがえて恬として恥じぬ有様である。次にそれを引用しておこう(1)。
 「オッタワで(現地時間)五月十日午後六時に生まれた人の星宿表作製について。」
 「世界地図を見れば、オッタワがグリニジの東ママ五時間のところに位置する子午線に近いことがわかる。したがってオッタワで一八時の時、グリニジではまだ一三時である。なぜならオッタワは東に(!)位置しており、太陽はむろん東から西に進むのだから。」
 御冗談を! オッタワで一八時なら、グリニジではもう二三時ですぞ、院長先生。あなたのお作りになる星宿表はさぞかし御立派でしょうな!
(1) 「運勢」ノート叢書、第四分冊、一九四七年四月、一二五ページ。

一つの大事件
 ―― 黄道の北極は天の北極から二三度三〇分のところにある。地球上で北極圏の線上にある地点は、天極から二三度三〇分のところに天頂をもつ。したがって、日周運動の間、黄道の極は毎日これらすべての地点の天頂を通過することになる。この場合、黄道は地平線に一致し、もはや如何なる家をも通らない。不幸にもこの時刻に生まれた人々にとっては、ホロスコープは存在しないわけである。こんな恐るべき凶兆のもとに置かれたアラスカ人、カナダ人、グリーンランド人、ノルウェー人、スウェーデン人、フィンランド人、ロシア人、シベリア人にとって、どんな未来が待ち受けているのだろうか。彼らには、生まれた時から空がないのだ。

生物学と出生ホロスコープ
 出生ホロスコープに関して、われわれが生物学者を味方に呼んでくれば、彼らはこう言うであろう ―― 子供が生まれた時、それは卵および胎児の状態ですでに三〇〇日を過ごしており、両親からの遺伝と自分固有の欠陥、固有の長所と短所を内部にもち、恵まれること多いまたは少ない環境のただなかで個人としての発育をすでに開始しているのだ ―― と。
 それに、たとえばその子がはじめて戸外に出た時刻、洗礼を受けた時刻、最初の堅信礼の時刻などを、出生の時刻と張り合うものと見ていけない理由がどこにあろうか。
 この異論に答えるべく、占星術組合のスポークスマンであるビガロー(162ページ―163ページ参照)は、次のような口実を持ち出す、すなわち出生時における星辰の位置は懐妊期間中胎児に及ぼされた影響を代表するものである、と。
 これは明らかにナンセンスである。ある時刻における天空の状態が先立つ九か月間の天空を要約するというのは、天文学的には意味がない。なぜならそれは、過去・未来にわたっての永劫をもまた要約する、というよりむしろ何ものをもまったく要約しないからである。占星術的にはもっとぐあいが悪い。というのも、出生が六時間前あるいは七時間前の空もまた、約九か月にわたる懐胎期間を要約するであろうからだ。しかるに、占星術上の星相テーマとホロスコープは一時間ごとに根こそぎ変わってしまう。ということは、つまりホロスコープなど何の値打もないことを内々認めるに等しいのである。

性の決定論
 ―― これまで何世紀もの間、占星術師はありとあらゆる理屈をつけて、生まれてくる子供が女でなくて男である(またはその逆)と予言してきた。これは読者も眼にされたことと思う。その決定の根拠となるのは、季節、日、月、天体の合ごう〔本訳書38ページを参照〕であった。
 今日、科学の教えるところでは、性を決定するのは精子が染色体Xを有するか否かによる。
 これを変える他の要因は皆無である。

双生児
 ―― もし占星術がほんとうなら、双生児は同じ運命をもつはずであり、とくに遺伝質を同じくする一卵性双生児の場合はそうである。だが、すでに古代ギリシア・ローマ以来、双生児が必ずしも同じ運命をたどりはしないという事実が占星術にとって致命的とみなされたのである。読者には、本書の補遺の部で、聖アウグスチヌスがこの問題について述べた文章をお目にかけよう。
 今日、ほうぼうの大都会の産院で、祖国や人種や環境を異にする子供たちが同じ時刻に生まれつつある。貧民の息子が富豪のあとつぎの横で生まれたりする。天空が彼らに同じ運勢を与えたなどと、誰が言えるであろうか。

人工出産
 ―― 医師が人工的手段を用いて、自然の出産期とはしばしば非常に違った日に子供を生ませることがしだいにふえつつある。この場合、星の布置が変わるとともに個人の運命も変わり、彼の生涯はまったく人為的なものとなってしまうであろう。してみれば、占星術の熱烈な信者は星が吉相にある時刻に人工出産をするよう要求する、ということにならないであろうか。
 この難問に答えようと占星術師たちが四苦八苦するのは、なかなかの見ものである。
 ある者は言う、《調和のとれた》空は出生が尋常のものであった場合にのみほんとうに《吉》なのだ、と。星辰からの自然な影響を乱すのは危険だと言う者もいる。かと思えば、子供は自分の性質にかなった、あるいは自分の両親が生まれた時の空に合致した空がめぐってくるのを待って生まれるのだ、と言う者もいる。この場合、子供はそれ自身の性質をあらかじめもっていて、空はその性質の原因ではなく、単なる証人、単なる指標にすぎぬということになるのだろうか。プトレマイオスも、『テトラビブロス』第三の書で次のように言っている。「果実が完全ならば、自然がそれを促し、かくてそれが懐胎された時の最初の組成に応じた相をもつ空のもとに生まれ落ちるのである。」
解釈の方法システム
 ―― 科学に特有な性格のひとつは普遍的だということである。すなわち、科学の結論は、その推論を理解し得るすべての人に受け入れられる。科学は、誰もが随意に再現ないし観察できる現象だけを事実として提供するのである。
 逆に占星術は、その肝心な点つまりその結論の点で、まったく曖昧模糊として不確実である。
 天文学上の(ともあれ厳密な)作業によって星の布置がきまると、人はいよいよ無限に多い予言の方法システムにつきあたることとなる。ひとりひとりの占星術師が自分のやり方をもち、解釈の基準がひどく漠然としていて、もろもろの影響の組合わせや配分の仕方が数多く、一定していないので、結局当たるも八卦当たらぬも八卦といったやみくもの状態なのである。
 それはすでに実験ずみだし、いつでも簡単に試してみることができる。たとえば出生天宮図を何人かの占星術師に順次見せたら、彼らが加える注釈はひとりひとりまるで違っていて、共通点など何ひとつありはしない。予言者が自分の頭で勝手に作り上げ想像する部分があまりにも大きいので、要するに何もかも彼の匙加減ひとつという次第である。予言は、あたりさわりのないどうでもいいようなことから、なにやら縁起のよさそうな曖昧な御託宣までの間を揺れ動くだろう。占者が依頼者と面識がありその身の上を知っていれば、如何にもありそうなことを予言し、常識的に考えればわかるようなことばかり言って辻褄をあわせようと努めるであろう。

予言のはずれは占星術の誤りを示さないか
 ―― 占星術は人間精神が落ちこんだ初期の誤りの一例である。しかし人類は誤謬から真理へと進んで行く。ただ驚くべきは、いったん真理が認識されたあとにも、誤謬が真理と並んでなお存続するということである。占星術がしょっちゅうまちがった予言をやったにもかかわらず、何世紀にもわたって存在しつづけたということは、注目すべき事実である。失敗は誰の眼にも明らかなのに、どうしてそれが占星術の主張のむなしさを証拠だてるものとならなかったのであろうか。
 残念ながら、占星術は、われわれ人間自身の中にどうしようもない共犯者を見出しているのである。人間は未来を知りたいと熱望するあまり、未来のことを予見できると公言する者なら誰かれ構わず喜んで受け入れる。「もし隣の部屋で老婆が吉凶を占っているとすれば、諸君はここに出席してはいらっしゃらなかったでしょう」と、ある醒めた頭の天文学者が講演の中で語ったものである。占星術師は、自分の妄想を大衆に信用させるために彼らを教育する必要がない。顧客おとくいははじめから存在しているからである。人々は魔術師の言葉を聞きたくてうずうずしており、もっと好都合なことに、彼の言うことを信用しようと待ちかまえているのである。
 周囲の状況がこうだから、ひとつ予言が当たると、もうそれだけで、はずれた千の予言の失敗を埋めあわせてあまりあるのである。人々は当たらなかった予言のことは忘れ、ただひとつの成功例に眼を奪われてしまう。
 というのも、予言は如何に正当な根拠がなかろうと時には当たることがある ―― とくにその言い方が申し分なく漠然としている場合にはそうである。要するに確率の問題なのである。ヴォルテールは実にうまいことを言った、「占星術師といえども、いつもまちがうという特権をもつわけにはいくまい」と。
 明々白々たる失敗に対しても、釈明に不足はしない。「あらゆる科学と同じく、占星術もまだまだ不完全で、一度くらいのまちがいはあるものだ」と。こうしてうわべだけへりくだっておけば、たいていの場合予言はぴたりと当たるのだということを、それとなくにおわせることになるわけである。占星術師は、誰か同業者がへまをしでかしてやっつけられると、いっせいに口をそろえて嘆声をあげる。「そうだ」と彼らのひとりは書いている、「占星術は、でたらめな予言をして大衆から金をまきあげるぺてん師どものおかげで信用を失っている。われわれほんものの占星術師は、率先してほんものの科学者と手を握り、占星術を食いものにする連中、われわれの恥であるいかさま師連中に抗議を申しこむべきだ」。だがあいにく、ほんものの占星術師とにせものの占星術師を区別する基準は全然示されず、こんなかんかんに腹を立てている人物が書いたものの中にも、彼が単なるホロスコープ作りと実のところどう違うのか、その違う所以はまったく見出せないのである。

毎度の失敗
 ―― 予言が一度当たってもそれで占星術は正しいということにならないのと同様、一度くらいはずれても占星術の信用を失わせることになるまい。それはそうだが、占星術師諸君はその上に、医学の例を持ち出すのである。つまり、患者を死なせた医者があったからといって医学の値打ちがなくなるものではなし、だいいち医者なら誰だって失敗を経験している、というのである。だが、この比較論は行き過ぎたら妙なことになりはしないか。なぜなら、占星術では成功がむしろ例外なのだから。占星術が長年の間にどんな恐慌を巻きおこしたか、いずれ私たちはそれを見ることにしよう(第四章)。
 今日、占星術は絶対に正確だと言い張ったり度はずれな大法螺を吹いたりするくせに、でたらめな予言ばかりしているのを見ると、やはりこれは動かぬ証拠と言うほかない。
 ボベルタークが、その身の上について何もかも知っている人物を幾人か選び、その星占いをドイツで最も名の知れた占星術師たちに依頼したところ、ひとりひとりの人物についてまったく違ったホロスコープを受け取った。全体として、信頼のできる結論はたったひとつも見出せなかったのである。その上、占星術界の大御所たちがまちがいをやっている現場を抑えることも、ごく簡単である。たとえば、権威ある占星術協会のある会報(一九五〇年一月―二月)を取ってみよう。第四共和国の星相テーマについて、会長自身のペンで六ページぎっしりの文章が掲載されているが、その結論は次のとおりである。すなわち、第四共和国は三年九か月以上続くことはないであろう、一九四六年十月一三日に誕生した第四共和国は遅くとも一九五〇年七月一三日には崩壊し、別の強力な腕が挺(てこ)を握って新しい体制を打ちたてるであろう、と。はてさて、猶予期間はとくの昔に過ぎ去ったが、予告された二つの現象はまだ御要望にこたえていないのである。
 ところで、このいわゆるまじめな占星術のチャンピオン氏は、昔ながらに、世間一般に行なわれている他のさまざまな迷信を自分の天空現象解釈に結びつけている。数の神秘学、タロット、水晶球、土占い、コーヒーの出し殻占い、夢占い、妖術などが、彼の忠実な伴侶なのである。次に、同じ大先生の署名で同じ会報に出された文章から抜いてきたものをお目にかけたい。「《土占い》を占星術の枠外の単なる児戯にすぎないと考えている占星術師に時おり出くわすが、これは嘆かわしい誤りで、そのため彼らは時機占星術〔直訳すれば「時間に関する占星術」で、意味は既出。36ページを参照〕を導くすばらしい手だてをみすみす失っているのである。諸君がほしいのが一般的情勢とか、あまり明確に限定されていない事件の起こる日付けとかだったら、占星術がそれを教えてくれるだろう。もし、いわゆる《時機占星術》の領域に属する何かはっきりした小さな出来事についての助言がほしいのだったら、それは鬼神ジンDjinns〔アラビアの民間信仰における鬼神で、廃墟や洞窟や井戸などに現われると信じられている〕に聞くべきである。誤りなき基準としての計数学が、土占いによる託宣の正しさを保証するのである。」

占星術師のさまざま
1 誤りなき全能の占星術。ひたすら星辰の影響のもとに置かれたわれわれの運命の絶対的決定論
 ―― 次は、現在刊行されているある占星術雑誌からの抜萃である。
 「あなたの生まれた年と月、日と時刻が、あなたの計画、あなたの努力、あなたの希望の行く末を、隅から隅まで決定する。専門家も、この点についてはみな同じように考えている。数世紀にわたる研究の結果、この確実な基礎の上にたてられた予言が驚くばかり正確であることが証明されているのである。」
 これこのとおり、ゆめゆめ疑うなかれ。人間の運命は前もって完全に定められており、人間には自由意志は全然ないのである。自分がみずからの魂を支配しており、この世で自分の運を切り開けると思う者は、まちがっている。勉励して身を立て、よりよい地位を得ようとしてもむだである。星々が最初に何もかも決定してしまったのだから。しかし、同じ雑誌からの引用をもう少し続けよう。
 「あなたの抱えている問題が何であれ ―― 恋愛、金銭、結婚、職業、健康状態、適性、子供の教育、住宅、就職、雇用、求職、商売への手出し、株の売買 ―― 要するにあなたの日常生活上の諸問題は、何であれすべて科学的占星術によって解決でき、上首尾の結末に達することができる。」

 そればかりでなく、一般に占星術関係の定期刊行物の色刷り表紙には、黄道十二宮の図に重ねて、誰もが舌なめずりしそうな未来の予測を謳い文句として刷りこんである。
 「金をもうけるには……」
 「恋人の惹きつけ方」
 「有利な仕事の見つけ方」
 「幸福な結婚をするには……」
 かの有名なリリイ〔一六〇二 ― 一六八一イギリスの占星術師〕が、すでに次のようなことを書いている(一六五一年)。
 「何かほんとうに心配な問題があったら、それが最初に起こった時刻を書き記せ。ホロスコープを作れば、疑問点は立ちどころに解決するであろう。かくて五分以内に、事業が成功するか否か、提案を受諾するのが賢明か否かが、まちがいなくわかるであろう。」
 これこそ、プロの占星術師が長続きする顧客おとくいをつかむ絶好のチャンスなのだ。なぜなら、誰にとってもごたごたはしょっちゅう起こり、その都度占いをやってもらいに占星術師の所へ駆けつけねばならないからである。だが、まさしくここに、商売上手の占星術師がほとんど注意しない明白な矛盾があることに気づかぬ者がいるだろうか。というのも、もしほんとうに運命があらかじめ定まっているものなら、それを知ったとていったい何になるのか、皆目わからないからである。星々は、その影響力によって決定された事柄を知る手だてと同時に、それを無いものにする手だても教えてくれるというのだろうか。魔術師の所へ行って五百フラン払えば、未来の運命を別のものにし、不幸を幸福に変えてもらえるのは、未来がさほどはっきり決定されていず、星々の力があまり確かなものではないからなのではあるまいか。

2 通信による占星術
 ―― 封筒に百フラン(またはそれ以上)を入れ、占星術を商売としている会社に手紙を書いて送ってもらう個人相手のホロスコープなるものは、実はあらかじめ一括してこしらえておいた、いわば合鍵みたいな少数のホロスコープのプリント版で、その御託宣たるや、あたりさわりのない曖昧至極なしろものである。こんな自称星占いにお星さまが力を貸してくれたわけではないことなど、わざわざ言う必要があるだろうか。それをでっちあげるのは、だまされやすい人々を引っかけるのを専門とする連中の仕事で、この手合いときたらたいてい天文学のイロハも知らないのである。その証拠は、これまで法廷で何度も示されてきたとおりである。

3 新聞紙上の占星術。縁日の占星術
 ―― 《真実と進歩に奉仕する》わが国の大新聞も、大部分の週刊誌(とくに女性週刊誌)も、その日またはその週の星占いを掲載しているが、これは読者をばかにするもはなはだしく、たいへんな侮辱行為である。
 「この日に生まれた子供は詩人になるでしょう。」ミュッセ〔一八一〇 ― 一八五七。フランス・ロマン派の詩人〕が生まれたのと同じ日には詩人が掃き捨てるほど生まれた、とでもいうのだろうか。
 「商談には悪い日です。」しかし、あなたが瞞された日は、商売敵にとっては良い日ではないか。分ふん刻みになったお告げについては、もはや言うべき言葉もない。
 「今週の月曜日、十時三七分から十時四八分までの間、タクシーには乗らないようにしなさい。十時四八分から一一時一七分までは買物によろしい。一一時一七分から一一時三九分までは友達に警戒すること。一一時三九分から一二時一五分まではけっして誰とも約束ごとをしてはいけません。一二時一五分から一三時三五分までは恋愛ごとがうまくいきます、云々。」
 縁日の小屋掛けでやるお笑い草の星占いも同類で、これは射的場と力持ちの見世物の間で小さな紙きれ(男の子にはピンク、女の子には青色の)を売りさばく。紙きれには結婚・幸福・旅行に関する吉凶占いが書いてあるという寸法だ。若い連中は大笑いする。まあ、尊敬すべき占星術のこうした滑稽なまねごとに対しては、大目に見てやっていいのかもしれない。新聞の場合だと、こんなつまらぬことを飽きもせず毎日くりかえしていれば、ついには嘘とまことを区別しようという自然の願望を鈍らせてしまうおそれがある。こういうばかばかしい欄を廃止するよう要請された新聞社の支配人たちは、次のように答えたものだ。「占星術の欄は読者に喜ばれますのでな。これを出すようになってから、新聞の発行部数がふえました。やめたら売上げが減り、商売敵がほくほくですわい。それに、これは誰の害にもなりませんよ。」
 しかし精神分析学者は、その逆であることを一致して認めている。つまり占星術関係の記事は有害で、気が弱く他人の言うことに左右されやすい人々をプロの占星術師のもとへ追いやり、結局うまうまと金を巻き上げられるのが落ちだというのである。新聞に星占いの欄を設ければ、必然的に新聞は広告料でたんまり稼げるような仕組みになっているのだが、支配人たちの答はこの事実については口をぬぐって知らぬ顔をきめこんでいる。一般読者の教育と利益は、お金のために犠牲にされているのである。

4 隠秘学、非合理なるものの領域としての占星術
 ―― 次に引用するのは、ある《隠秘学者》の占星術師が書いた手紙である。
 「占星術は隠秘学の領域に属し、他のもろもろの隠秘学と切り離して研究するわけにはいきません。それはカバラ〔ヘブライ語で、「秘伝」「伝承」の意。旧約聖書の秘密の読解を中心とした神秘思想で、西欧の秘教の歴史に多大の役割を演じた〕ときわめて密接なかかわりがあります。なぜならカバラは占星術に生命を与えるものであり、数々の神託を読み解くための鍵なのですから。現今のいわゆる科学的占星術は、真の占星術とのつながりをまったく失ってしまいました。それはもう単なる数学遊戯、肉も魂も欠いた骸骨にすぎません。すなわち現代が生んだ干からびた物質的科学、死せる科学の姿なのです。その託宣は啓示としての力をすっかり失い、それに携わる人々は、この聖なる教えを占有していた往古の秘術師たちの特徴であった神的権威を、もはや保持していないのです。」占星術がはたして科学であるか否かは先で研究しよう。われわれとしては、占星術が魔術たることを自称するのはいっこうにかまわないのである。
 ところが、右の隠秘学者の発言は、数学的占星術をこととするさる占星術師の不興を買い、次のような反論を招いた。
 「神秘学-隠秘学をふりかざしたこの種の弁舌は、われわれに何を闡明せんめいしてくれるわけでもない。こんな発言を同じ調子で三百ページにわたって展開したところで、われわれに何を教えてくれるものでもないであろう。如何に些細なものでも、証明可能な真理を三行で述べたほうがはるかにましであろう。それにしても、論理に応えるに教理をもってし、事実に応えるにおしゃべりをもってするような人々のどこを認めたらいいのだろうか。暗闇のほうが好きな連中といっしょに光を探るのは、甲斐もないことである。」
 いみじくも言ったものである(ただし、この理路整然たる論者のいわゆる事実に関して、われわれのほうでは後で言いたいことがある)。 要するに、予言者と議論をしても、ラッパと議論するのと同様でむだなのである。非合理主義を自任する若干の占星術師たちの態度は、前に引いた連中のそれほど極端ではないにせよ、やはり相互の議論を不可能にしてしまう。なぜなら、彼らとわれわれでは、使う言葉の意味が同じでないからである。さる文学士で国際占星術本部の元会長だった人が一九四九年、私あてに書いてきた手紙の一節を次に御紹介してみよう(手紙には署名が入り、たいそう慇懃なものであった)。
 「私としましては、人間理性がこの世のすべてを覆いつくすとは考えておりません。私は直観をより重視するものです。そして、この直観こそ私に教えてくれるのです、万物を結ぶのはおそらく盲目である単純な機械的因果律ではなく、きわめて普遍的な因果関係にきわめて広汎な意味を与える交感correspondancesと類比analogiesであることを。たしかに、人間と天体との間には不思議な交感が存在しており、それは人間の理性では不可解ですが、訓練コントロールされた直観の力でつかむことができます。人間の生命と獣帯〔黄道帯〕との間には根本的な連関があります。獣帯Zodiaqueとは、語根のZôèすなわち生命が暗示しているように身体の生命の根源なのです。ただし、人間には自由というものがあり、それは個人の努力を認める限りにおいて無視できない力として働くわけですから、したがって占星術が未来を予言する権利をもつとは言えなくなります。私もこの能力を否定するものです。」くどくどしたおしゃべりは聞き流しておこう。いくつかの証言だけに留意すれば、次のようになる。
 (1) 占星術に予言の力はない。
 (2) 占星術は理性ではつかまえられない。占星術は因果律の法則をもたず、コントロールされた(何によってコントロールされるのか? たぶん理性によってであろうか?)直観の支配を受ける。
 (3) 獣帯という名と、それが有すると認められる力との間には、関連がある。
 本書ですでに強調したとおり、人々は岩石の小さな塊に火星マルス(=軍神マルス)の名を与え、しかるのちその星が戦争を煽あおる性質をもつとみなし、その星のもとに生まれた人間が好戦的マルシアルな性格を有すると考えるのである。だが、同じ岩石の塊が木星ジユピテルと呼ばれると、それは人間に快活ジヨヴイアル〔フランス語の形容詞jovialはラテン語のjovialisつまり「ジュピターの」から派生し、木星が幸福と快活さのしるしであるところから、木星の支配下に生まれた者はその性質をもつとされた〕な性格を与えるというのである。

5 いわゆる科学的占星術
 ―― したがっていくらかなりと注目に値する占星術の形態はただひとつ、その主張がもともときわめて穏健で、未来を予言したり日常茶飯事に天空をかかわりあわせたりしないそれである。この種の占星術は、その穏健さゆえにひろく一般の人々の興味をひくに至らず、まして未来を知りたいという人々の強い望みを満たすこともできない。行儀がよすぎるため、算盤そろばんをはじいても採算がまったく取れず、お人好しをひきつけて金を巻き上げることもできない。そのかわり、それは科学者たちから検討されるだけの値打ちがある。これまでも検討を受けてきたし、今もそうである。なぜなら、科学的占星術が主張するように、もし天体が個々の人間の性格にとって無視できぬ要因であり、人間の運命をきめるその他数多くの要因(遺伝、環境、偶然……)と並んで、たとえわずかにもせよ人間の肉体的ないし精神的性格形成にあずかるものならば、それは測り知れぬ価値をもった特性に違いないからである。それを利用して人類の幸福に役立てようと試みることも可能であろう。これまでのところ、少なくとも言い得るのは、過去数千年にわたる占星術がこの意味では何の成果ももたらさなかったということである。それどころか、隠れもない誤りと数々の恐慌パニツクをまきちらし、人間の信じやすさを臆面もなく利用して甘い汁を吸ってきたのは、占星術のマイナス面として記録しておくべき事実なのである。
 だが、今の時代のことを見てみよう。科学的と自称する現代占星術は、はたして検証可能な法則を提供してくれているであろうか。さらに、科学者たちはそれを検証する準備があるであろうか。だいぶ前から、アメリカ自然科学学会連合(Association américaine des Sociétés scientifiques)によって作られた自然科学関係の常任委員会が、付託された占星術の法則の研究にあたっている。その委員会のメンバーは、天文学者・数学者・物理学者・哲学者・医者・心理学者から構成されている。委員会は広範囲にわたる調査を行ない、その結果を詳細な報告書として提出してきた。今もなお活動を続けている。その会長は、ハーヴァード大学(U・S・A)の著名な天文学者バート・J・ボックである。委員会は、惑星あるいは宮が個人に及ぼす影響について言われるあらゆる事柄を検討することにしている。ただ残念なことに、この委員会は目下手持無沙汰である。というのも、占星術に捧げられた厖大な紙きれの山からテストに役立つ正確な命題を選ぼうと大骨折ったにもかかわらず、ごくわずかしか見つからなかったからである。さて、結果は完全に否定的であった。すなわち、いわゆるまじめな占星術師が引き合いに出す影響なるものはどれひとつとして検証できないのである。
ベルギー委員会
 ―― 超能力とみなされた諸現象の調査のためのベルギー委員会(Comité Belge pour l'investigation des phénomènes réputés paranormaux)なるものが、あらゆる専門領域の学者三〇人を集めて、一九四八年に作られた。この委員会は、《超能力》を有していると自分で思うすべてのまじめな人々(第一にねらわれたのは占星術師である)に対し、《検証可能な簡単な実験のプログラム》を提出してほしいと要請した。そして、まず三十四通の書類が集まった。同委員会の書記をつとめるウーガルディ博士の報告書から、いくつかの結論を左に引用しておこう。
 (1) 科学的と呼ぶにふさわしい実験を提案してくれた書類は、一通もない。すなわち、科学的実験の何たるかを知らないか、またはそれを恐れて避けている。

(2) 書類を書いた人々は、前論理的心性の持主であることを示している。すなわち、彼らは証明もせずに断定し、偶然の一致を原因結果の関係によるものとみなし、不当な拡大解釈を行なう。彼らの言うことは、ややもすれば精神病理学の領分にふさわしい……。
 占星術関係の法則のしっかりした論述をおもちで、これを審査してほしいとおっしゃる占星術師がおいでなら、私から何なりと、アメリカまたはベルギーの委員会にお取り次ぎしよう。ただし論述書には署名して、ほんとうの名前と住所を添えていただきたい。
 つけ加えておくが、法則の提出が、占星術師のグループか世間に名の通った占星術の権威の承認を受けているほうがよろしい。なぜなら、われわれは彼らのやり口をよく知っているからである。つまり一匹狼の占星術師は、へまをやって現場を押えられても、同業者のバックアップをあてにするわけにいかないのだ。同業者らは、科学者と口をそろえて躊躇なく彼を葬り去るであろう。「そうだとも、そんな法則はばかげている。それを持ち出したやつは占星術師の名に値しない阿呆か、それとも気違いだ」などと言うであろう。実例をいくつかお見せする前に、論理的証明を受けつけない命題が頼ることのできる唯一のもの、すなわち経験的証明なるものの機構について、もう一度考えてみよう。

経験的証明の性格
 (1) たまたま一度成功したからといって、それはけっして証明にはならない ―― 占星術師もしょっちゅうまちがうわけにはいかないのである。あてずっぽうの予言がうまく当たる場合もある。その出来事の起こる確率が先験的にかなり大きい場合は、とくにそうである。たとえば、七月一四日は晴れと予言するのは、わが国の気候風土を考えればとっぴなことではなく、さして値打ちのあることでもない。われわれの頭は、失敗を忘れて都合のいいケースだけを覚えておくようにできている。自分の家の電話番号と同じ登録番号の自動車を見ると、人はびっくりするが、それまで、意識するにせよしないにせよ、何千という自動車番号を見てきたはずである。したがって、右の事実にはべつに何の意味もないのである。
 (2) 影響があるか否かは正しい統計学によってのみ検証される ―― 生じるケースをすべて、しかも大量に記録・調査し、偶然によってのみ生まれる成功例のパーセンテージを算定し、さらにこのパーセンテージに対する、起こり得る自然な偏差〔偶然誤差〕を計算しなければならない。

 

  こうした予備的な仕事をしたのち、はじめて、しかじかの星の影響が偶然性の自然的限界を越えて成功例をふやすものかどうか、検討できるのである。裏か表かという例の遊び〔貨幣を空中に投げて、出る面が裏か表かをあてる〕を取ってみよう。この場合、表が出る確率は〇・五(五〇パーセント、すなわち二度に一度の割合)である。一勝負で貨幣を百回投げるとして、表が出るのはおよそ五〇回と考えてよい。仮に表が出るのが四九回または五一回だったとしても、われわれはべつに驚かない。一の偏差はごくふつうのことだからである。同様に、四八回とか五二回とか表が出る結果になっても、誰も驚くまい。百回貨幣を投げる勝負をたくさん続けてやったら、表の出るのが四八回、四九回、五〇回、五一回、五二回と、どれも(ほとんど)同じくらいだと予言することさえできる。では、どのあたりから例外になるのだろうか。確率計算は次のように教えてくれる(1)。(プラスあるいはマイナス方向への)偏差七を越えるケースは、わずか一六パーセントにすぎない。(平均値五〇に対する)偏差一四となると、もっと少なく、千回勝負をやってたった五回しか起こらない。偏差二〇を越えるのは、十万回の勝負のうちやっと八回である(補遺の偏差の法則を参照)。
(1) たとえばE・ボレルとR・デルテーユ共著『確率、誤差』E. Borel et R. Deltheil: Probabilités, Erreurs, collection Armand Colinを参照。

自分の説の正しさを確信している占星術師が、何か法則を見出したと言い、その正しさを自分で確かめ得たと言う場合、彼の錯覚はたいてい偏差の法則に無知であるところからきている。たとえば彼は、百回投げを一勝負だけやって表が六〇回出ると、それだけでもう自分の説の正しいことが証明されたと思ってしまうであろう。ところで、同じ勝負を百度やってみたら、少なくとも表が六〇回出る時が必ず数回(二ないし三回)はある。したがって、木星はこの問題に無関係なのである。
 統計学は即座に解釈を下すようなことはしない。材料が豊富でなければならず、さらにそれに対して確率計算を適用することができなければならないからである。占星術師たちはそれを知らないので、彼らの出す結論は(たとえ真摯なものであろうと)まちがっているのである。
 のみならず、自分が正しいという確信があり、貴重な法則を発見したと信じているような場合には、公平無私であるのはなかなかむずかしい。つまり占星術師は、自分が集める生なまの事実から、多かれ少なかれ意識的に選択を行なっているのである。彼は、自分が主張する命題に不利な事実を遠ざけ(遠ざける真の理由について彼自身錯覚していることもあり得る)、自分の法則を支えてくれる事実だけを集めるのである。鳴物入りで賑々しくふれまわった、いわゆる驚くべき結果なるものは、これ以外の由来をもたない(故意に事実を曲げたのではないことは認めるが)。データに小細工を加えない公平な委員会が統計をやりなおしたら、その結果は全然別なものになる。つまり占星術師がたしかにあると言いはる現象は消え去ってしまうのである。
 占星術師がまじめでない場合、彼らは、物事の奥底まで見とおす力のない一般大衆の無知につけこんだり、検証する力はあるのにめんどうな統計の仕事をいやがる学者の無関心をいいことにしたりする(学者たちが統計をやってみたら、その結論は、従来の失敗から見て否定的である可能性が非常に強い)。

誤った法則の若干例
 (1) 占星術は天秤宮に美学的価値ありとしている。すなわち、天秤宮が上昇点にある時生まれた子供は平均よりすぐれた芸術的才能を有するというのである。ファーンズワースは、しんぼう強くも二千人以上の著名な音楽家および画家の誕生について研究し、その結果、天秤宮は他の宮以上に彼ら芸術家の誕生を司ったわけではないとの結論を得た。占星術師の言う相関関係は存在しないのである(1)。
(1) 偶然の結果だが、偏差はこの相関関係についてはマイナスであった。換言すれば、天秤宮は芸術家に特殊な影響を与えたわけでは全然ないのである。
 これらの音楽家や画家は、また、太陽が天秤宮にある月(すなわち九月二一日から十月二一日まで)にとくに多く生まれたわけでもない。
 この統計結果をラジオで引用して話したところ、私は一通の反論を受け取ったが、それは占星術師が逃げの手を打つ時の常套手段であった。つまりその言い分では、私は天秤宮の性質を誤解している、天秤宮はたしかに芸術への嗜好を与えるけれども、創造力を与えるものではない、感受性を鋭くし瞑想的性格を深めはするがそれを吐露する特別の力を与えはしない、だからそんな調査をしたところで何にもならないのだ、と。やれやれ、何をか言わんやである。天秤宮の芸術的能力を主張する際、こまかな点の区別をしておいてくれなかったのは残念至極である。そうしてくれていたら、ファーンズワースもむだ骨を折らずにすんだだろうに。それでも彼の失敗にはやはり値打ちがある。なぜなら占星術師の言う相関関係は、はじめ、何の制限もつけずに確かだと保証されたからである。あとから弁解を付け加えれば、占星術に対する疑惑をかえって深める。占星術は虚偽であるばかりでなく、その信者たち(まじめな信者たち)は中毒症状を直されたくないのだ ―― というわけである。何をもってしても、彼らの意見を変えさせることはできない。私のこの書物は、まだヴィールスに冒されていない人々のために書かれたものである。
 (2) 調査委員会の委員長バート・J・ボックが、同様の方法でアメリカ科学者名鑑にのっている科学者たちの誕生日を調べてみた。その結果、特徴ある二つの結論が得られた。

   (a) 誕生の日付けの分布は、年間を通じてばらばらという性格を呈していること。
 (b) 季節による誕生の頻度の変化は、全人口のそれと同じであること。
 一九三八年に、ハンチントンが注目すべき統計を発表したが、それによると、一月・二月・九月の誕生総数は、五月・六月・一一月の誕生総数を一五パーセント上まわっている。そして科学者の誕生も同じ法則に従っているのである。
 ボックはこの統計をこまかく検討し、技師・実業家・聖職者・銀行家・物理学者・文学者・船員など、それぞれの職業について右の関係は変わらないことを証明した。彼はまた、ハンチントンが用いた月のかわりに黄道十二宮(三月二一日―四月二一日など)を用いても、その結果は変わらないことをも証明した。もし何か十二宮の影響というものが事実だったら、ハンチントンが証明したような一定の相関関係ではなく、違った職業について多くの違った結果が得られるはずである(たとえば、船員は水に縁の深い宮のもとに多く生まれるはずで、すなわち双魚宮、巨蟹宮あるいは宝瓶宮(水瓶座)に特別の恩恵を受けているはずではないか。また聖職者は処女宮のもとに多く生まれるはずではないか……などなど)。だが、事実は全然違っている。してみると、「上昇点における空気の三重相triplicité d'air*は創造的精神を生み出す」というような、古典的占星術の断定はどうなるのだろうか。それは同類の断言と同じく、まったく無価値なものになってしまうのである。
* 「空気」の元素またはそれに対応する「寒」の質に属する宮・惑星が三つ重なること。たとえば天秤宮(空気、寒)が上昇点にあり、下弦の月(寒)と土星(寒)がその中に位置している場合、この「空気の三重相」が創造的精神を生むというわけである(訳注)。
 天文学界でどんどん見出される多くの新発見を占星術畑にあわてて我田引水しようとする当世風の占星術師は、今度は生物学上の一般的現象を自分たちの奇妙な固定観念に援用する。たとえば人間の寿命や出生人口数は、一一年ごとの太陽黒点周期〔太陽の黒点が約一一・五年ごとに盛衰をくりかえす、その周期をいう〕の影響下にある、といった類である。こういう相関関係にしかとした根拠があるのか、大いに疑わしいのだが、幻想に取りつかれた占星術師たちは、もしこの相関関係が証明されたら彼らのいわゆる科学が完全に崩壊してしまうことに気づきもしない。なぜ崩壊してしまうか ―― それは、その相関関係なるものが、地球全体に対する太陽の影響(占星術的なそれでなく、天文学的な影響)の枠内に限られるからである。この種の法則は、人類全体にあてはまるわけだから、個人に関係し個人の特殊性を指摘する占星術の原則を否定することになる。しかもそれは、占星術にとって肝心かなめの恒星時という要因が作用する余地を残さない。つまり、太陽黒点が一番多い年に、または少ない年に生まれるのがいいというようなことは言えても、八時一五分とか一九時三〇分に生まれるのがいいとか、天蠍宮が沈む時刻に生まれるのがいいとかいうことは言えなくなるのである。のみならず、こうした当世風の法則は、過去に占星術師が適用した寿命の長さとか子供の数とかを予言する規準がっぱちであったことを暴くものでもあろう。(3) ある現代フランスの占星術師(理工科大学エコール・ポリテクニツクの卒業生)が、自分の手で統計を試みたところ、惑星からの影響を確認できたものがいくつもあったとしている。彼ほど毛並みの良くない占星術師で彼の学力知識に心服しながら、自分はとても及ばないと思っている人々は、しばしば彼を頼りになる保証人として引き合いに出し、科学者からの攻撃の防塁とみなしている。彼こそ科学的占星術の第一人者フエニツクスというわけで、したがって彼の偉業を仔細に検討せずに科学的占星術を攻撃する権利はないというのである。そこで私はその検討をやってみた。
 それに先立って読者諸氏の注意を促しておきたいのは、この占星術師が無生物や町や国についてのホロスコープを全然価値のないものとみなしている、ということである。彼は占星術の創始者たち〔カルデア人のこと〕を認めない。というのも、カルデア人がやったのはまさにそれ以外のことではないからである。動物に関するホロスコープについても、彼の態度はさらに否定的である。「子牛に関して、人間に関すると同様ものものしく詳しいホロスコープをでっちあげるぺてん師連中は、とんでもないまちがいを犯している」と彼は言う。
 彼が提出した命題、いわゆる彼の法則のうち、その真偽をいちばん検証しやすいのは次のようなものであると私には思われた。すなわち、「誕生時の太陽位置を火星が通過したら、それは死をもたらす要因である」。
 この法則は、われわれが正確な誕生時刻を知っているということを仮定するものではない。それはけっしてあてにならず、知るのがむずかしいのだから。
 およそ二十三か月で黄道を描く不吉な星、火星は、あなたが生まれた時太陽が黄道帯の中で占めていた位置を、この周期で繰り返し通過する。この通過のたびごとにあなたの健康は脅かされ、そして結局、あなたはこの通過のいずれかの時に死ぬであろう。火星の影響力が作用する距離の最大限は九度と定められている。 法則 ―― 「人間が死ぬ時、その人の誕生時の太陽位置と火星との距離は九度以下である場合がきわめて多く、これは単なる偶然ではあり得ない」。
 これははっきりした命題で、その真偽を容易に検証できる。そこで、パリのある区役所から多くの人の死亡日時と誕生日を拾い出して一覧表にしてみよう。資料が偏っていると言われないように、約二年間(火星の周天時間)の記録にもとづいてこの表を作ることにしよう。
 誕生日時で太陽の位置が定まる。べつに計算の要もない。
 死亡の日時で火星の位置が定まる(何か暦を参考にする)。
 火星が生誕時の太陽位置を中心として一八度の弧を占める確率は(黄道が三六〇度だから)二〇分の一(五パーセント)である。死亡例が四千取り上げられたとしよう。もし偶然だけが働いているのなら、われわれは四千例のうち、起こり得る偏差を別にして、二百例について火星が合の状態にあるのを見出すはずである。この場合、偏差の単位は二〇である(これは端数を切り上げた数字で、実際は一九・五)。したがって、火星の合が二百例以下についてしか見られない場合もあり得る。そうなったら占星術は大慌てであろう。なぜなら火星は(原則どおりに言えば)寿命を延ばす力をもつとみなされなければならなくなるからである。では、統計上、火星の合が二百例より少し多い場合を想定してみよう。この時、占星術は凱歌を奏していいものだろうか。いや、どうしてどうして。なぜなら、偶然だけが働いている場合、次のようになるからである。すなわち火星が合にあるのが、
二二〇例以上の場合 ―― 同じ統計の八パーセント。
二三〇例以上の場合 ―― 二パーセント。
二四〇例以上の場合 ―― 〇・二ないし〇・三パーセント。
二五〇例以上の場合 ―― 〇・一パーセント。
二七〇例以上の場合 ―― 〇・〇〇〇〇五パーセント(二〇〇万分の一)。
 偏差がどの程度以上になった時、偶然以外の原因があるらしいと考えるのがいいか、これでわかる(補遺四を参照)。右の数字からみると、結果が、さよう、二三〇例を越えない限り、とくに驚くにはあたらないのである。もちろんこの場合、問題の法則を証明するために死亡例を選択しないことが必要条件である。すなわち操作が公正で、統計にごまかしがないのでなければならない。だからこそわれわれは、ためにする連中の言うことをそのまま信用するわけにいかないのである。彼らは、程度に多少の差はあれ意識的に都合のいいケースを選び出してしまうからである。彼らを除外してやり直してみれば、都合のいい結果はもう出ないのである。
 あの性急な占星術師が繰り返して熱っぽく主張することとは正反対に、私は統計の結果が偶然の法則に一致すると保証できる。火星の病的影響力など絶対にあり得ないのである。
 少数例による統計の危険 ―― 右の例において、もしイカサマをやらずに二五〇という数字が出たならば、われわれはそれを決定的なものとせず(たまたま一〇〇〇度に一度こういう結果が出ることもあるのだから)、いっそう用心深くなり、同様の調査をもっと数多くやってみようとするであろう。この五〇の偏差は平均値二〇〇に対して二五パーセントのプラスを表わしている。したがってこの場合、二五パーセントの偏差は驚くに値する。だが少数例による統計となると事情はまったく別である。たとえば一〇〇の死亡例しか取らないとすれば、火星の合の平均は五であり、偏差の単位は三である(補遺四を参照)。
 この場合、合が八例あったとすれば、それは平均値より六〇パーセント多いわけだが、この結果にはまったく意味がなく、警戒信号にもなり得ない。なぜなら、偶然だけに委ねても八パーセントはこの結果が出るはずだからである。
 確率の計算はむずかしいものではないが、やはり前もっていくらか勉強しておく必要がある。占星術師が鼻高々と主張するさまざまな結果は、私が知り得た限りではみな少数例の統計に拠っており、また偶然の法則を根っから知らないところからきている。彼らが無邪気にも公表したまじめな統計なるものを仔細に検討してみれば、それが彼らの言うこととは正反対の事実を証明していることがわかる。つまりそれは単なる偶然の戯れにすぎず、彼らのいわゆる影響作用など何もないのである。少数例による統計はやりやすいので、何度も繰り返してやってみると、おもしろいことにプラスの偏差と同様マイナスの偏差もよく出ることがわかる。してみれば火星は、占星術の先生方の大急ぎの結論をまねて言えば、人間にとって良かったり悪かったり、くるくる変わるわけである。
 (4) スイスの占星生物学者ロビュールの、二八一七人の音楽家 ―― ロビュールはとりわけ科学的な占星術師で、その同業者たちは、われわれが彼を無視しているといってよく文句をつける。彼は詐欺師を蛇蝎のごとく嫌い、容赦なくそのまやかしを暴く。彼もまた確率計算だけが、黄道十二宮と人間の才能や資質との間に張りめぐらされた隠れた関係を証明できるということを認める。古い占星術もその最も著名な信者たちの粗雑きわまるまちがいもくそくらえ、そんなものには一文の値打ちもない。こうしてロビュールは、科学的で文句のつけようのない占星生物学を創始しようというのである。過去二五年間に彼は数多い著作を出版したが、そのヴォリュームは後のほうになるほどふえ、多方面の例証に例証が重なって厖大なものとなり、相互に補強しあっている。私の手もとに、彼の最後の著作である一冊の浩澣な書物がある。古い駄弁に痛棒をくわせる彼としては妙に首尾一貫しない話だが、この書物の中に、六〇万年昔の観察例が引き合いに出されている個所が見られるのである。さらに、古く中央アメリカに住んだマヤ民族がすでに天王星や海王星(!)を知っていたなどと書かれている。まさに、本を読まぬ先からロビュール氏の批評精神を疑わせるに足ることである。
 それはともかく、私は(注文に応じて)彼のいう占星生物学的関係のうち、二八一七人の音楽家を対象とした統計にもとづくものを分析してみた。彼の結論では、音楽的才能はとくにその人が生まれた日、太陽が黄道帯のどの位置で輝いていたかによるという。太陽は黄道帯上を一日に約一度進む。そこでロビュールは、有名な音楽家の誕生日を調べ、その音楽家をしかじかの宮のしかじかの度に、有利な材料として記入するわけである。彼が提供してくれた統計表を受け入れることにしよう(もっとも、いつもこんなふうに相手を信用してしまうのは軽率である。なぜなら多くの場合、狂信家というものは自分の信念に不利な資料を省くだけの才覚があるからである)。
 ロビュールの統計資料は、その作者である彼自身の結論とは逆に、太陽の位置が音楽的才能に何ら有利な影響を及ぼすものではないことを証明している。
 音楽家の誕生日は、一年を通じてばらばらである。黄道帯のどの宮にも、また宮の中のどの部分にも集中しているわけでなく、その逆でもない。
 ロビュールが一度ずつの幅で描いてみせてくれた分布図は、二八一七人の音楽家を三六〇度の黄道帯上に籤引で割り当てた時にできるはずの分布図と、驚くほど一致しているのである。
 だがロビュールはそのことに気づかない。彼が確率計算の知識をひけらかしてもだめである。彼の知識の程度では、ポワソンの法則やラプラス=ガウスの法則が出てきてもそれと気づかないのである。彼とても、平均値に対する増減があることを知らぬわけではないし、起こり得る偏差の公式の引用さえ行なっている。だがわれわれは、彼が自分自身の仕事にそれを応用するだけの力がなかったと認めざるを得ない。なぜなら、それを応用してみさえすれば、彼の占星生物学が無内容なことがわかるからである。二八一七人の音楽家を三六〇度の帯域に割り当てると、平均一度につき約八人になる。しかし(たとえば三六〇の番号が入っている壺から)三六〇度それぞれの位置を籤引で割り当てるとすると、ポワソンの理論による分布が得られるであろう(なぜなら平均値八は小さいからである)。第10図は、私の計算の端数を四捨五入して得られた結果である。
第10図 2817人の音楽家の偶然による年間分布
 x座標は同じ日に生まれた音楽家の数.
 y座標は,x人の音楽家が同じ日に生まれるであろう回数,したがって,7人の音楽家が同じ日に生まれる回数は51回,8人の音楽家が同じ日に生まれる回数は50回,等々ということがわかる.
 この理論上の分布図はポワソンの法則をもととしてできたものである(端数は四捨五入してある).
 ロビュールが公表した結果は,上の予測的計算と驚くべき一致を示している.つまり音楽家の誕生日の分布はただ偶然によるもので,黄道十二宮とは何の関係もないわけである.

別の言い方をすれば、偶然だけが働いた場合の分布予測は、おおよそ次のようになる。
七人および八人の音楽家にはともに五〇日
六人および九人の音楽家にはともに四五日
五人および一〇人の音楽家にはともに三五日
四人および一一人の音楽家にはともに二四日
等々(図を参照)。
一人および一七人の音楽家には一日のみ。一人の音楽家も生まれない、または一七人以上の音楽家が生まれる日はゼロ。
 ロビュールの得た結果をひとつひとつ調べてみると、意外にも、右のような確率的結果と驚くほどの一致を示している。さらに次の第11図は、金牛宮についての彼の研究結果で、彼はそこから次のような結論を引き出している。「金牛宮の一九度と二〇度はとくべつ音楽的才能に好影響を与え、二四度、二五度、二六度は、二九度、三〇度と同じく、悪影響を与える。」笑えばいいのか、泣けばいいのか、どちらであろうか。

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最後に、ロビュールは誕生数を五度ごとのグループにまとめ、次のような独創的な形式のもとにそれを示している(第12図)。平均値(四〇)に対する偏差の分布は、典型的なガウスの法則に従う(偏差の単位は九)。偶然だけが働いている場合には、同じ操作を三回繰りかえすと〔たとえば音楽家の次に二八一七人の彫刻家、つづいて二八一七人の競輪選手について同じ操作を行なうと〕、そのうち一回は円周の中に五八人以上または二二人以下の数のグループがひとつ現われるはずである〔ここはクーデルからの手紙による説明に従って、多少補いをつけながら訳した〕。
第11図 太陽が金牛宮にある時期(4月21日から5月21日まで)における毎日の音楽家の誕生の数.上段は毎日の(または1度ごとの)誕生数.その下は5日ごとの合計数.

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《ロビュールの輪》には、当然許されてよいこのようなケースがひとつも見当たらない。しかもこの黄道十二宮図は、合法的な変動の範囲さえ十分には利用していない。すなわちそれは、ごくふつうな偏差〔十分起こり得る範囲内にある事象の誤差の意か〕の範囲内にとどまり、かくて局部的な影響力の存在など皆無であることをはっきり示しているのである。にもかかわらずロビュールは、双魚宮と金牛宮の中央部は音楽的才能を生み、金牛宮の終わりと双子宮の始まりはまったく不毛である、その対蹠点もまた同じ ―― と教えている。

結論しよう。科学的占星術の帳尻は結局、商売用の占星術と同様ゼロに等しい。気の毒といえば気の毒だが、事実だからやむを得ない。
第12図 黄道帯の5度区分でまとめた2817人の音楽家の誕生数.
 およそ5日間単位の誕生数の平均値は40である.内円と外円との距離は,この平均値40を示す.偏差は一貫した性格をまったくもたず,プラス・マイナス両方向に20に達するところはない.純粋な偶然はこうした増減を生じるのである(ガウスの法則).破線(ロビュールが描いたもの)は,季節による誕生数の変化を考慮に入れたものである.

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第四章 歴史の流れ
 天空を観測すると、時間を測定したり方向を定めたり四季の移り行きをたどったりできることを知った人間は、星辰をいろいろな実際的目的のために研究した。こうして、未来を星辰によって読み取ることもできるという希望を抱いたのである。一般に考えられているのとは逆に、占星術は天文学に先立って生まれたのではない。両者は、未開な民族が気まぐれな気象学的現象と規則正しい天体現象とをまだ区別できず、星々を生命ある神々とみなしていた頃、同時に、長い時間をかけて生まれたのである。
 天文学者は星々の運動を予言し、宇宙の周転を理解しようと努める。したがって、予言しようという希望は、それ自体としてはばかげたものではない。そもそものまちがいは、王侯君主の運命が星々の運行と結びつけられているほど重要人物だと考えた点にある(星々の運行を一般庶民と結びつけて考えようとは、まだ誰も思わなかったのである)。
 占星術はまた、地上界が天界の写しであり、この両世界に起こる出来事の間には関係があるという、古く一般に信じられていた考え方を反映するものである。占星術はメソポタミアに生まれた。つまり紀元前二五〇〇年頃、シュメール人〔チグリス、ユーフラテス両河下流の低地バビロニアに住み、メソポタミア最古の文明をつくった〕の間で、犠牲獣の腸による占いや畸形による占いといっしょになって、すでに栄えていたのである。如何なる国についても(エジプトもインドも中国も)、メソポタミア文化と接触する以前には、人事を予言した形跡は見られない。ダリウス〔前三三五 ― 三三〇の間ペルシア王。同名の三世〕とアレクサンドロス〔前三三六 ― 三二三の間マケドニア王。前三三四年にダリウス三世を破った〕の戦いが、インドと中央アジアにこの悪習をもたらしたのである。
 現在知られているカルデアの最古の記録タブレツト〔楔形文字による粘土板〕は、星占いを取り扱っている。それは古サルゴン王(アガデ王朝のサルゴン一世)〔前二六〇〇年頃のアッカド王。シュメールの領域を征服して、この地方最初の統一国家をたてた〕のもとで集成されたコレクションで、ニネヴェのアッシュールバニパル王〔前六六八 ― 六二六の間アッシリア王。ニネヴェはアッシリアの首都〕の図書館跡を発掘した際、紀元前七〇〇年頃の写本コピーが見つかったのである。
 中国でも、キリスト紀元以前に前兆判断が行なわれていた痕跡が発見されたが、それはこのアッシュールバニパル王のコレクションの前兆判断を手本にしたもので、もっぱら政治と天体周期に関するものである。といっても、中国人は生来さほど宿命論者ではなく、《天の意志》があまり何時いつまでも正しくない時にはそれに反抗することもできると常に考えてきた。のみならず、ある古書には、ふつうの考え方をいわば逆転させて、地上の無秩序が天界を混乱させることがあるとさえ書かれている。西欧の占星術師は、そんな大それたことは夢にも思いつかなかったのである。

古記録 古代の予言の性質
 「水星は眼に見得る。キスルの月に水星見ゆる時は、国土に盗賊あり。」
 「月、暈かさをかぶり、木星その中に入らば、アッカドの王は包囲され ―― 動物ら戦場に倒れん。」
 「この月の一四日、金星は見えざるも、月食あらん。エラムとシリアの地に禍まがつごとあるも、われらの王は安泰ならん。王への忠誠をつくすべし。」
 「われはわが主なる王に書にて上奏せり、食起こらんと。食、事実起こりたり。こは平和の徴しるしなり。」
 「アッダルの月は三〇日なり。一三日より一四日にかけての夜、われ注意深く観測し、七たび起き出でたるも月食なし。王に一報せん。」
 「ウルールの月の一五日、月、太陽とともに見えたり。すなわち食起こらず。」
 「火星、アルルの星座に入れり。こは如何なる予言をも語るものにあらず。」
 右のように、予見された規則正しい天界現象は吉とみなされ、不慮の現象は神々の悪意の徴しなのである。星占いを任意の個人にまでひろく適用することは、紀元前二五〇年まではどこの世界でも行なわれなかった。この一般化は、おそらくギリシアと知的交流のあったバビロニア人の助力を得て、ギリシア時代の末期に始まったと考えられる。
 神秘哲学の発展は、占星術の繁栄に好都合な環境をもたらした。たとえば、数に本来内在する力や、天体の調和や、角度または間隔の倫理学的価値などに対するピタゴラス派の信仰がそれである。また銀河は死者の魂が自分の星をめざしてたどり行く道だという言い伝え、星はそれぞれひとつの魂の宿る場所だという考え、燈火星は神的なものだという考えなども同様である。
 もっとも、西暦紀元前のギリシアの著名な天文学者たち、たとえばエウドクソス(前四世紀)やカルネアデス(前二世紀)などは、全力を挙げて占星術に反対し、その価値をまっこうから否定していた。

この古代の占星術は、事象をもっぱら言葉だけで説明する奥の手をすでに知っていた。ストラボン〔前一世紀ギリシアの地理学者〕は、下界の出来事と天界の出来事を結びつける力は感応sympathieだと説明している(波動による感応だと彼が付け加えたとしたら、まるで現代占星術師の言い分かと思うだろう)。あとは、この感応のさまざまな割り振りの問題である……
 黄道図が完全なものとなり、惑星の運動が明らかにされ、物理学や生物学に関する一定の観念ができあがるとともに、ギリシアにはより高度な占星術を樹立する気運が熟してきた。
 アリストテレスの権威が、他の如何なる要因にもまして、万人共通の占星術を創始し、それへの信仰をひろめ、現代に至るまでそれを維持するのに貢献した。
 アリストテレスは言っている、「この世界は、必然的な仕方でより高き世界の動きに結びつけられている。この世におけるあらゆる力は、この動きによって統すべられている」と。ギリシアの機械論的・哲人的な神々とヘブライの道義論的な神とをいわば結合したアリストテレスの哲学・宇宙論の思想体系は、人々の好奇心を満足させた。聖書の中ではこの世界の叙述がまったく行なわれていないのに対し、アリストテレスの描く異教的世界構図は、その神的秩序を説明してくれた。だからこそ、アリストテレスは教会の教父たちと同様に尊重され、何世紀もの間、神学者の攻撃からさえ免れてきたのである。コペルニクスとガリレオの与えた衝撃シヨツクがアリストテレス哲学を揺り動かした時、教会は自分自身の土台を脅かされたと感じたのであった。したがって、人々が例の四元素と四つの質を天空に結びつけ、四季それぞれの特徴を、たとえば夏の熱く乾いた宮とか冬の湿った冷たい宮とかいうふうにそれぞれの宮に帰したのは、西暦前三世紀のことであった。太陽が獅子宮の中にあるのは七月二一日から八月二一日までであるが、この宮は太陽の熱を煽る性質をもつとみなされる(この時期は地球の北半球では真夏である。占星術はまさしく北半球の産物というわけだ。しかし、われわれの見るところ、獅子宮は太陽の暑熱に何の関係もない。黄道に対する地軸の傾きこそ、夏の暑熱の唯一の原因なのである)。
 同じような気象学的理由として、ベロッソス〔前三三〇生まれのバビロニアの神官・歴史家・占星学者〕は、惑星が巨蟹宮に集まれば世界中が暑熱に包まれる予兆で、磨羯宮に集まれば大洪水が起こる予兆だとしている。
 さて次に、栄光の台座を転げ落ちて、一帝国の運命を予言するものからトランプ占いの女の商売になり下った占星術のことを考えてみよう。木星が昇り金星が沈む間に生まれた男の子は、将来幸せになるが妻を捨てて顧みないであろう。もし金星が昇り木星が沈めば、妻の尻に敷かれるであろう。こういうふうに、昇る星が沈む星を支配するわけである。
 各惑星は、それぞれの名前に相当する神に対応した性をもっている。すなわち木星と太陽は男性を、金星と月は女性を象徴する〔ラテン語で言ってユピテル(木星)とソル(太陽)は男神、ウェヌス(金星)とルーナ(月)は女神。なおフランス語の名詞の性もこれに一致する〕。
 〔太陽(die Sonne)が女性名詞で月(der Mond)が男性名詞であるドイツ語圏の占星術師にとっては、困ったことである〕。
 満ちていく月は(誕生、播種、髪を刈るのに)吉、欠けていく月は凶である。
 中国では吉日と厄日との暦を作る。そして結婚を、お互いの誕生日の相性によってきめるのである(八つの性格の法則〔八卦を指すものか〕)。プトレマイオス・クラウディオス(一五〇年頃没)
 ―― 名声高いこのギリシア最後の天文学者は、また、自分の名を占星術に結びつけたおそらくただひとりの天文学者でもあった。
 実際、彼は占星術の肝要な法則を定めた学者であったし、今なおそうである。
 天文学が数世紀にわたって長足の進歩を遂げたのち、プトレマイオスはその輝かしい結果を集約した。これが彼の功績である。彼の著作は、真に学問を創始した者のそれというより、知識をひろく一般に公開した者のそれであるが、その『アルマゲスト』Almagesteは、千四百年の間、占星術の規範書となった。同様に、彼の著『テトラビブロス』Tetrabiblosは、イスラム圏およびラテン世界にとって占星術の聖書となった。現代占星術はプトレマイオスに遡るものである。

ローマの占星術
 ―― 占星術の知識は、地中海の東方沿域から来た奴隷によってローマに持ちこまれたと思われる。それは、遂には全社会階層に滲透し、西暦の初め、アウグストゥス帝〔前六三―後一四。ローマ帝政初代の皇帝〕の治下で猛烈に流行した。とはいえ、ラテン世界を征服する途上でさまざまな波瀾がなかったわけではない。われわれは、大カトー〔前二三四 ― 一四九。ローマの政治家・文筆家〕やキケロ〔前一〇六 ― 四三。ローマ最大の雄弁家・政治家〕が占星術を攻撃したことを知っている。占星術の矛盾や誤りや幻想に対する彼らの論議の多くは、今なお立派に通用する。
 だが、共和国時代のローマの高官たちはすでにカルデア人〔占星術師をさす〕の託宣をきいていた。たとえばグラックス〔前二世紀ローマの護民官。ティベリウスとカイウスの兄弟がいる〕、シュルラ〔前一三八 ― 七八。ローマの独裁執政官〕、ユリウス・カエサル〔前一〇一 ― 四四〕などは占星術師たちに助言をもとめていたのである。しかし紀元前一三九年、コルネリウス・ヒスパルスは、「星々におうかがいをたてるという偽りの口実のもとに民衆から金を巻き上げるカルデア人」をローマおよびイタリア半島より追放する、という布告を出す。ただし、この布告の形で合理主義の焰が燃え上がったのだと思って喜んではいけない。なぜならそれは、占星術師と、卜占術領域で占星術師と覇を競いながらそれまでまだ時流に乗っていなかった連中との、一場の争いだったからである。権力者たちは、鳥占い、腸占い、土占い、夢占いなどの卜占師にひととき耳を傾けるようになった。にもかかわらず、この追放措置は占星術師たちにとってかえって役に立ったように思われる。というのも、権勢あるローマ人がこぞって、この最も当世風な迷信の形態に身を委ねようと望んだからである。占星術師は立ち帰り、人々は公然と、あるいはひそかに彼らに託宣をもとめた。アウグストゥス、ドミティアヌス〔在位八一 ― 九六〕、ハドリアヌス帝〔在位一一七 ― 一三八〕の時代にも、占星術禁止令が出たが、占星術師の力は依然として大きかった。それが絶頂にあったのは、たぶんアウグストゥス帝治下においてである。その後、ティベリウス〔ローマ皇帝。在位一四 ― 三七〕、アグリッピナ〔アウグストゥスの孫でカリギュラの母またはその娘でネロの母の二人がいる〕、ネロ〔ローマ皇帝。在位五四 ― 六八〕は、トラシュルロス一族の血を引く占星術師たちを友とし相談相手ともした。教会は敵意をむき出しにした。キリスト教に回心する前占星術の魅力に惹かれていた聖アウグスティヌス〔三五四 ― 四三〇。初代キリスト教会最大の教父・神学者〕は、やがてその烈しい敵手となった(補遺を参照)。中世末期頃やや軟化したのを除けば、教会は、「宿命論を助長し神の摂理の否定に人を導く」この異教的迷信にきっぱりと反対する態度を、一貫して崩さなかったのである。
 すでにローマ時代の占星術師が、過去の事象が起こるべくして起こった予兆を言い、それについて解釈を下す方法を所有していたことを、われわれは知っている。たとえば、ユスティヌス〔紀元後一五〇年頃の史家〕は、ずっと前に死んだミトリダテス〔前一三二 ― 六三ポントゥスの王〕の生涯を次のように解釈している。「ひとつの彗星が彼の誕生を予告し(前一三二年)、もうひとつの彗星が彼の即位を予告した(前一二〇年)。これらの彗星は七〇日間輝いたが、それは彼の生命が七〇年続くことを予言するものであった(この征服者が六九歳で死んだことは、周知の事実であった)。両彗星は天空の四分の一を覆ったが、これは王が全世界の四分の一を支配する運命にあったからである、云々。」ところでわれわれは、ここで言われている第一の彗星が実は存在しなかったことを知っている。西暦前一二〇年には、ごく小さい彗星が短い期間(七〇日よりずっと短い)現われただけである。「歴史」はこんなぐあいに書かれていくわけである。西暦前四四年、カエサルの弑逆後六か月目に彗星が現われた。これにはどんな意味があるのだろうか。それは、カエサルの魂が神々の間に迎えられた徴しるしであった。その後、カエサルの肖像を表に、彗星を裏に刻んだ貨幣が、この出来事を記念することになる。アウグストゥス自身も、自分の治世を彗星に関連づけようと腐心したのである。


中世
 ―― ローマ帝国没落後、占星術は西欧でおよそ五百年ほど衰退した。それがふたたび姿を見せるのは、一一世紀および一二世紀、アラビアの学問が西欧に導入された時である。
 アラビア人は、ギリシア世界の占星術の中継の役を果たした。アラビア固有の文化の最盛期(八〇〇年から一一〇〇年の間)、その占星術は錬金術およびとくに医学と結びつく。
 占星術は宗教と科学の綜合のような観を呈し、枢機卿や大司教・司教たちが一時大目に見てくれたのをいいことに、非常な影響力をもって第一線に躍おどり出ようとしていた。イタリアのいくつかの大学には占星術の講座ができた。ゲルマニアの地では、占星術の地位を認めない学者を見つけるのがむずかしいほどであった。

トレドの書簡
 1179年、文明世界は、トレドのヨハネなる謎の人物が書いた書簡によって恐怖のどん底にたたきこまれた。それは、はじめゲルマニア諸国で刊行されたもので、一一八六年天秤宮にすべての惑星が集まることを予言していた。風の相をもつこの合からして、世界中が破局に陥るだろうとその書簡は推論していた。つまり、一一八六年は不幸の年となり、九月には地震が起こって、地球は恐ろしい嵐のため、めちゃめちゃになるだろうというのである。七年前に先立って行なわれたこの惑星の合は正確であった(たぶん、アンモニオス〔五世紀アレクサンドリアの哲学者・天文学者・数学者〕のいい暦に拠ったのであろう)。この予言はたちまちひろがった。ドイツでは地下室を穿ち、カンタベリーの大司教は断食を命じた。ビザンティウムでは皇帝の宮殿の窓をぴったりふさいだ。ペルシアやメソポタミアでは、洞穴の中に住む準備をした。1186年9月はべつに天変地異もなく過ぎた。どの土地にも風さえなかった(ただフランス北部は別だが、大したことはなかった)。占星術の威信は危殆に瀕したようにみえた。ずっと後になって、占星術の信者たちは、諸惑星の合をジンギス・カン(一一七五年に即位)の忌わしい支配に関連させた。はっきりとわかりきった恐慌パニツクであとから辻褄をあわせようとする、お粗末なやり口である。だが周知のとおり、占星術師というものはみんなの前で参ったと言うわけにはいかない。何かと屁理窟をこね、あとから失敗の穴埋めをする解釈を持ち出して、ぜひとも面子めんつを保たなければならないのである……自分たちの主張を何が何でも正当化する必要から、占星術師は日付けの正確さをあまり気にかけなくなることがあった。たとえばルーテルという偉大な宗教改革者の出現を、諸惑星の協力ということであとから説明するため、彼らはルーテルの誕生日をずらし、一四八三年一一月一〇日から一四八四年一〇月二二日に遅らせてしまったではないか。彼らは失敗の汚名を雪ごうと努めたのであろうか。いずれにせよ占星術師は、一一八六年から一四八七年まで、一〇回にわたって同じような合の起こる予言を下しながら、それらはことごとくまちがった計算にもとづいていたため、実際には起こらなかった(もちろん、予言された星の影響力なるものも現われなかったのである)。
 一二三〇年になるのを待ちかねたように、一二三六年に関するひとつの予言が、またもや世上に恐怖を巻き起こすこととなる。

一五二四年の恐慌
 ―― 世間でひろく用いられていた暦の作者ヨハネス・シュテッフラーが、一四九九年の暦書で、一五二四年二月には大部分の惑星が水に関係ある宮〔「湿」の宮〕に集まるので、ものすごい洪水が起こり、古き《大洪水》の再来となるであろうと予言した。彼の計算は、当時としてはまあ正確なほうであった。天文学者たちはこの予言を否定するのに努めたが、各地の人々はみな不安に脅えた。カルル五世〔一五〇〇 ― 一五五八。スペイン王、神聖ローマ皇帝〕のもとには飛脚が送られ、避難場所を指示してくれるようにという依頼が集まった。家財を売り払って船に避難する者もあれば、極度の不安から気が狂った者もあった。ブランデンブルグ辺境伯とその宮廷の人々は、ベルリンの近くのクロイツベルクの丘に集まって、凶変の日を待った。一五二四年二月は、異例なまでに旱天であった。にもかかわらず占星術は、この隠れもない失敗をまたしても糊塗しようとした。
 メランヒトン〔一四九七 ― 一五六〇。ドイツの神学者・宗教改革家。占星術に傾倒し、プトレマイオスの『テトラビブロス』の注釈を書いた〕が、何十年かあとで、シュテッフラーのあの予言は《実現された》と言ったではないか。
 こうして占星術は、中世を通じて影響力を増大していった。実際の天文学的事実に関するまちがいだらけの解釈も、偽りの合の予言も、世間にひろまったいろいろな予言の当てにならなさも、占星術に致命傷を与えることはなかったのである。だが、教会はすでに一四世紀、その教理や聖史があれこれの星辰現象と関連づけられ、占星術の正しさを証明するものとみなされるに至って、これに反対した。かつてイスラム教やマホメットをテーマとしてホロスコープが作られたように、教会をテーマとするホロスコープを作るものさえいたのである。この行き過ぎを抑えるため、大胆すぎる秘術師マージュが幾人か焚刑に処されたりした(たとえば一三二七年フィレンツェで処刑されたチェッコ・ダスコリ〔一二六九 ― 一三二七。イタリアの詩人・占星術師〕)。中世の末にも、科学者(オレーム〔一三二五頃 ― 一三八二。ノルマンディのリジューの司教で、物理学者・数学者〕、アンリ・ド・エス〔ドイツ名ハインリヒ・フォン・ランゲンシュタイン。一三二五頃 ― 一三九七。プロテスタント神学者・教会政治家〕、アルベルト・フォン・ザクセン〔一三一六 ― 一三九〇。ドイツの科学者で、パリやウィーンの大学で教鞭をとった〕)や人文学者(ペトラルカ〔一三〇四 ― 一三七四〕やピコ・デラ・ミランドラ〔一四六三 ― 一四九四。イタリアの人文学者・神秘思想家〕など)の中に、占星術に強力に反対する人々がいた。
 ペトラルカの次のような烈しい叱責に敬服しない者がいるであろうか。「どうしてあなた方は天と地を卑しめ、人の子たちを無益に侮蔑するのか。煌々と輝く星になぜあなた方のくだらぬ法則を押しつけるのか。生まれつき自由であるわれわれを、どうして生命なき空の奴隷にするのか。」星術の繁栄が絶頂に達したのは一六世紀である。諸侯はみな、お抱えの占星術師を置こうと望んだ。ルイ一一世〔フランス王。在位一四六一 ― 一四八三〕がすでにガレオッティを召し抱えていたのである。フランソワ一世〔フランス王。在位一五一五 ― 一五四七〕とカルル五世は、いつも占星術師の意見を聞くことを怠らなかった。
 カトリーヌ・ド・メディシス〔一五一九 ― 一五八六。アンリ二世の王妃。シャルル九世幼少時の摂政として、巧妙かつ絶大な政治力を発揮した〕の人物描写ポルトレは、彼女のお抱えの占星術師コシモ・ルッジェリ〔フィレンツェ生まれの占星術師。一六一五年パリに没。カトリーヌ・ド・メディシスの敵にまわりながら、何かと当時の政界に関係をもった〕と、ショーモンやブロワの城における彼女の生活ぶりを彷彿とさせるのでなければ、価値あるものとは認めがたいであろう。彼女はまた、ノストラダムスをかたわらに呼び寄せ、シャルル九世〔フランス王。在位一五六〇 ― 一五七四〕の顧問官にした。

ノストラダムス
 ―― ノストラダムス(一五〇三 ― 一五六六)は世評の高い医師であるが、占星術師としてのほうがはるかに有名であった。彼が作った暦は絶大な人気があったが、彼の著作のうちのひとつはいまだに大衆からひろくもてはやされている。それは『サンテュリ』Centuries(リヨン、一五五五年)と題する、謎のような四行詩が婉蜒と続く長大な作品で、幾世紀にもわたるわが国の未来の出来事を教えると称するものである。彼のさまざまな予言は、たいていの場合、正確にはどんな意味があるのか迷うようなしろもので、いずれにせよ、それが予告していると思われる出来事には、いつ起こるという保証がないのである。だからこそ、人々はあれこれ想像を逞しくして楽しんだわけである。本屋に行けば喜んで最新版を売ってくれるはずだから、巫女の託宣のように謎めいたノストラダムスの予言を過去の出来事にあてはめて考えてみるのも、また一興であろう。次に例をひとつだけ挙げておくが、読者諸氏はこれを読んだら、こんな本を買うお金を節約する気になるであろう。第二の『サンテュリ』の第四一節である。

大いなる星、七日にわたりて輝かん、
雲より二つの太陽現われ出でん。
大いなる犬、夜を徹して吠えん、
大司祭の土地を変うるとき。
 私にわかるかぎり、この詩が語っているのは、新しい星がひとつ出ること、太陽が二つになること、犬が怖がり誰か大司祭が移住すること ―― ある不特定の時期に ―― である。
 一九四七年に刊行された書物の中で、この四行詩の現代的解釈が試みられている。それによれば、大いなる星とはムッソリニのことで、そう言えば彼は一九三五年から一九四二年までの七年間、軍事面で勝運に恵まれた。二つの太陽とはヒットラーとムッソリニ、吠える大きな犬もやはりムッソリニである。土地を変えるとは、一九四二年一一月八日の北アフリカ上陸で、それを決定した大司祭とは、むろんルーズヴェルトのことである。まあざっとこんな調子で、右の書物のあとの部分(全部で二一六ページ)も御同様のたわごとである。この本が書かれた頃は学校の教科書の紙も不足していたのに、一方でこんなばかばかしい話が印刷されていたのだから、考えてみれば赤面ものではないか。

カルダーノ
 ―― イタリアの科学者カルダーノ〔一五〇一 ― 一五七六〕は、当時における最も卓抜な占星術師でもあった。彼が誠実な人間だったことはまちがいない。というのは、彼はその著『誕生占星術の実例集』Geniturarum exemplaの中で、自分がおかしたとくにひどい誤りの例を一ダース、わざわざ自分の手で公表しているからである。ここでは、ただ、ヘンリー八世の息子であるイギリス王エドワード六世〔一五三七 ― 一五五三〕にまつわる彼の失敗譚を紹介しておこう。
 カルダーノは、一五五二年、ある高位聖職者の病気治癒のため、スコットランドにおもむいた。帰途、彼は当時一五歳の若い王エドワード六世の傅育ふいく教師をつとめるジョン・クラーク卿のもとに立ち寄った。この敬虔な若年王は健康がすぐれなかったので、カルダーノはホロスコープで占ってくれるよう依頼を受けた。彼はとくべつに注意深く材料を集めて占星表を作り、解釈を施した。空のまん中にある木星は、王の名声赫々たる生涯を約束するものであった。獅子宮が上昇点にあるのは、長命で幸福な生活の保証であった。カルダーノは、エドワード王は普通人の寿命の半ばはお越えになるでしょうが、「五五歳と三か月一七日よりあとは、いろいろな病にお苦しみになるでしょう」と予言した。この時に限って、予言は明快も明快、きわめて明快であった。だが何たることぞ、次の年の七月、つまりカルダーノが王のもとに立ち寄ってから九か月後に王は亡くなったのである。一六歳であった。
第13図 カルダーノによるイギリス王エドワード6世のホロスコープ.

 通例用いられた正方形内部で,各家が三角形をなしている.第一の家は左方で,その初端は獅子宮の29度である.カルダーノは、自己弁護のため長い論文をものしたが、その要点は次のとおりである。「病弱な人の将来は、その人のホロスコープだけで占えるものではけっしてない。正確な結果を得るためには、エドワード王と個人的に親しく生活したすべての人々のホロスコープを作る必要があったのだ。」
 最も偉大な占星術師のこの自己弁護から、ホロスコープがまったく役に立たないという告白がのぞいている。

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第谷·布拉赫(Tycho Brahe,1546年12月14日-1601年10月24日)

  丹麦贵族,天文学家兼占星术士和炼金术士。他最著名的助手是开普勒。他将天文学和占星术混合起来解读星象,尽管当时哥白尼已经提出了自己的发现,但他忠实于亚里士多德哲学,甚至坚持地球不转动的观点。然而,第谷对恒星的绝对力量表示怀疑。 他写道,神明不会干涉预言,人们可以尝试扭转自己的命运。 同时,他对那些根据粗略表格做出星座占卜的人表示不屑。 他对占星术的信心似乎随着年龄的增长而减弱了。 他在晚年写道:"我的意图是消除占星术中的错误和迷信,使其更符合经验事实"。 然而,将错误和迷信从占星术中去除之后,还剩下什么呢(1)?
(1) Danjon, L'Astronomie, juillet, 1947(ダンジョン『天文学』一九四七年七月を参照)。


约翰内斯·开普勒(Johannes Kepler,1571年12月27日-1630年11月15日)

   德国天文学家、数学家。占星术的受欢迎程度继续增长,天文学家们常常被迫以此为生。 换句话说,占星术滋养了它的母亲,天文学。开普勒在小著『蛇つかい座の新星』L'Etoile nouvelle du Serpentaireの中で、右の事実をみごとな言葉で語っている。「気むずかしすぎる哲学者よ、あなたが気違いだと思っている娘が、賢いけれども貧しい母親の生活を支えてやるのを、どうして嘆くことがあろうか。この母親が苦しんでいるのは、ただ娘よりもっと気違いじみた人間たちの間で同じ気違い沙汰が行なわれているからではないか。もし人々が空の中に未来を読み取ろうという軽々しい期待をもたなかったなら、あなたは天文学をただ天文学それ自体のために研究するほど賢明であったろうか。」。ティコ・ブラーエとケプラーがおのおの晩年にどんな考えを抱いていたか、それをわれわれに同時に教えてくれる重要なテキストがある。ラテン語で書かれたこのテキストは、ティコ・ブラーエの『ルドルフ表』Tables Rudolphinesに付された序文(その五ページ)にあり、ケプラーがこの表を仕上げて序文をつけ、彼の死に先立つ三年前の一六二七年に出版した。
 「私の考えでは、ティコ・ブラーエの名誉に帰すべきものはなによりもまず、彼がこうしたすべてを、占星術の迷信からすっかり解放された自由な精神をもってなしとげたということである……彼はその著書においても、日常の言動においても、占星術師たちの正真正銘の無価値さを、その無学さを、金で言いなりになる卑屈さを、絶えず暴きたててやまず、彼らを嘲笑し非難する機会はひとつとして逃さなかった。」「もっとも彼は、星辰が地球に与える影響を否定したわけではけっしてなく、この影響についての研究は、むしろ彼の《哲学》の卓越した一章をなしているのである。だが彼はきわめて正確な判断力をもっていたので、一般的・普遍的なものとしてのこうした星辰の《効果》と、人間個々の事象への《干渉》とされるものとを区別しなければならないことを、よく弁わきまえていた。」
 「但大众不理解这一点,他们轻信神奇的预言,盲目地传播虚假消息。」(ケプラーのラテン語本文による)


近代
 太陽中心説の出現、天体望遠鏡の発明と精密な天文学、万有引力の発見と惑星相互間の影響を計算する可能性 ―― これらは、占星術にとって有利な材料ではなかった。
 ニュートン〔一六四二 ― 一七二七〕がケンブリッジ大学に学生として登録する時、彼は「占星術の中に真実なものがあるかどうかを見きわめるために」数学を勉強したいと言った、ということである。もしそれが伝説や冗談でないとすれば、ニュートンは、彼自身のためにも人類のためにも思いがけぬ形で希望を満たしたことになる。周知のとおり、彼は《自然》の中でとくに重量のある物体が従う引力の物理学的法則を発見したからである。
 この時から、科学者たちは占星術を完全に信用しなくなり、教育のある人々も彼らと同じ確信をもつに至った。しかし一般民衆は、依然として占星術への嗜好を失わなかったのである。一家の父たる者は、謹直な人間ほど、子供が生まれるたびに惑星によってその行く末を占ってもらうことを止めなかった。だいいち、多くの国では、産婆が試験ずみの方法を書きこんだ小冊子を使って星占いの役を買って出ていたのである。何の根拠もないいろいろな農業関係のならわしも、暦や年中行事書の類を仲介として長い間伝えられた。一七八〇年にフリードリヒ大王が、またその少し後で『びっこの使者』Messager boiteux(これは今でもストラスブールで出ている年中行事書である)の刊行主が、暦の作者自身まったく信じていないさまざまの占いごとを暦書から削ってしまったことがあったが、売行きがひどく減り、一般大衆の反撥も烈しかったので、またもとのまちがったやり方に帰らざるを得なかったほどである。
 しかしながら、当時におけるフランスの天文学者たちの考え方は、はっきりしている。
 「占星術は、理性を最も長い間苦しめてきた病である。」ジャン=シルヴァン・バイイ(一七八〇年)。(この立憲議会の議長はすぐれた天文学者であった。)
 「人間は五官の惑わしによって自分を宇宙の中心とみなしがちなので、星々が自分の運命に影響を及ぼし、生誕時における星々の状態を観測すれば人の行く末を予見することができると、軽々しく信じてしまった。人間のうぬぼれにつきものの、そしてまた人間のそわそわした好奇心にとって必要なこの誤りは、天文学と同じく古来のものである。それは前々世紀の末に至るまでなくならなかった。その時代になってようやく、宇宙の真の構造に関する知識が一般人の間にもひろまり、長い間の謬見を永久に打ち砕いたのである。」ラプラス『宇宙構造論』Exposition du Système du Monde(第二版、共和暦第七年〔一七九九年に当たる〕、二九二ページ)。
 だが、この天体力学の大家は、占星術が科学の手で永久に打ち砕かれたと考えた時、何とも仕様のないほどの楽天主義を露呈したのであった。
 自然科学が飛躍的に発展して人々を混乱に巻きこみつつあった時期に占星術が復活したようにみえるというのは、奇妙なパラドックスである。その理由は、たぶん定かでない人間の心理状態を己れの有利に活用する占星術師たちの手腕にあるであろう。つまり一般大衆は、知識が一大転回を遂げつつあるのを知り、何か驚くべき事態が出現するだろうと期待する気持になる。そこで彼らの耳に、科学がとうとう占星術の正当な根拠を認めた、近年の諸発見はこの神秘のヴェールを取り除くものだ、と吹きこむ。そこで彼らはそう信じこむ、というわけである。古い占星術は科学の発展を助ける功績があったとときどき言われる。これは真っ赤な嘘である。長い間、医学の咽喉首を締め上げてきたのは占星術であった。化学の発展を妨げたのも占星術であった。錬金術は、占星術を厄介払いした暁にはじめて化学となったのである。天文学は長いこと占星術にじゃまされてきた。善良な人々が、ありもしない関連性を追い求めて何と多くの時間を浪費したことであろうか。

第五章 現代
 一般大衆の教育が普及したため、占星術の威信は現代になるほどしだいに衰え、かつての勢力を回復してわれわれを憂慮せしめることはもうなくなったが、それでもなお占星術が重大な社会問題でありひとつの脅威であることに変わりはない。打ちつづく戦争のあと、人々の感情が混乱する悲惨の時代、重苦しい不安が未来にのしかかる時期には、人々の間に未開人の悲劇的心性がふたたび頭をもたげてくる。迷信がありとあらゆる形をとって生き返るのである。
 両世界大戦にはさまれた谷間の時代、占星術に対する人々の関心が増大するのが見られた。この嘆かわしい復活現象は、まず英語圏の国、すなわちアメリカ、カナダ、イギリス諸島、南アフリカ、オーストラリアなどにあらわれた。ついで、それはヨーロッパ大陸に達した。遺憾ながら、わがフランスもとくにすぐれた抵抗力レジスタンスを発揮したわけではなく、大衆の力もこの外来勢力に迎合するか、しからずんば無力にとどまってしまったのである。金のため、または無知のために、この病菌を国内にまきちらす役を買って出たのは日刊新聞であり、もっとひどいのが週刊誌であった。数多い新聞が、定期的に星占い表を印刷している。この忌わしい宣伝プロパガンダは、今日もなお勢力を増しつつある。一般大衆に対して占星術の本性を暴き、それが人々を釣るおとりの餌で、ばかげた擬似科学にすぎず、天文学に対抗する純正科学ではないことを教えるのは、天文学者とすべての教育者とのなすべき義務なのである。一九三五年には、パリだけで三千四百六十個所の星占い=手相見の店があり、それらはみな公認の《人生案内所》bureaux de renseignementsとして税金を払っていたのだから、もぐりの占い師の巣窟となったらどのくらいあったか、見当もつかない。有名な占星術師になると、ひとりで毎日五千通もの手紙を受け取り、五〇人の助手を使用する有様であった(1)。現在、この流行はえらい勢いに達し、占星術専門の定期刊行物がいくつもあって、そのうちのあるものなど、十万部もの発刊部数を誇っている。大事なことを印刷するための紙が足りない時代なのに、この始末なのである。

こういう刊行物がどんな阿呆らしい約束をばらまくか、それは本書で見てきたとおりである(99ページ)。アメリカ合衆国では、事態はもっとひどい。すなわち、占星術師の数が三万を下らず、占星術の専門誌が二〇(そのうちのひとつは五十万部の発行部数をもつ)。そのうえ、二千以上の日刊紙または週刊誌が、それぞれ星占いの欄を設けている。ラジオ放送も、彼らぺてん師連中に大いに肩入れした。たとえば一連の講座がすんだあと、講師のミス・A……は三か月の間に一五万件ものホロスコープの注文を受けた。また、《完璧な太陽ホロスコープ》なるものを一枚一ドルで売り出したもう一人のぺてん師は、手紙で三万枚もの一ドル紙幣(百万フラン)を受け取ったのである。
 ラジオ電波の利用がアメリカで禁止されると、占星術師の一部はメキシコ放送に乗りかえ、メキシコ国内に通信用のアドレスを構えた。一九四三年の調査アンケートでは、「男女あわせて五百万のアメリカ人が卜占師の助言によって行動し、未来を知るため一年間に二億ドルが浪費されている。」占星術の熱心な信者は、なにもロマンチックな若者や大人の変人に限ったわけではない。実業界と俳優の世界が他のどこよりも汚染されていて、ウォール街とハリウッドは占星術師の天国と言われている。
 自動販売機も占星術熱に負けてしまった。表には犠牲者の体重が、裏には占星術から見た助言・忠告が印刷されたチケットが出てくるという仕組である〔計測された体重を示したチケットの裏に占星術による占いが刷りこまれたおみくじが出てくる体重計がある〕。
 占星術を法的に公認させようという努力も、しだいに増大しつつある。たとえばカリフォルニアでは一九四三年に、もう少しで合法的なものとなるところまで漕ぎつけた(法案提出第一七九三号)。この法案は、いくつもの委員会の間を行き来したあげく、結局否決されたが、そういう法案が出され討議されたということ自体、一般人ほど軽信ではないと考えられてきたはずの人々の間にまで、この蒙昧主義が現にどれほど食いこみ、荒廃をもたらしているかを示すものである。世界は、かつてヒトラーの手で、彼のお抱えの占星術師たちの信念にもとづき、あるきまった時に大戦の渦中に投げこまれたのではなかったか。コロンビア大学学長のニコラス・マリ・バトラーが明言するところでは、ヒトラーは常時五人の占星術師を顧問としていて、一九三九年この顧問たちが、その年の九月こそ彼の運勢の絶頂期と指示したそうである。「彼が自分の名声を高めるためにどうしたらいいと判断したか、いずれにせよ、彼はこの時期までに行動を起こす必要があったわけである。」
 もしこの意見がヒトラーの行動決定に影響を与えたのが事実なら、それはまさしく歴史におけるナンセンスの最大の勝利のひとつである。したがってまた、それは占星術の無効を示す新たな証拠とも言えよう。なぜなら、本来ヒトラーの栄光を高めるはずのこの決定がどんな結末となって彼にはねかえったは、万人周知のことだからである。いかなる国にも、占星術に勇敢に反対し、その道の大家たちの明らかな誤謬を暴く新聞がいくつかある。たとえばアメリカでひろく読まれている雑誌の『グッド・ハウス・キーピング』は、一九四〇年、多数例によるアンケートの結果を公表した。とくに、ある占星術師が、同誌によって選ばれた五人の星占いを依託されたが、その占いの結果が実際とはまったく何の関係もないことがはっきりしたのである。そこで『グッド・ハウス・キーピング』は、占星術協会に次のような挑戦状を発した ―― 協会は最も優秀な会員四名を推薦してほしい、われわれはその四名にそれぞれひとりきりになってもらって、われわれの雑誌の同じ読者二人についてめいめい星占いをやってもらい、その発言内容をすべて速記しよう ―― と。占星術師も馬鹿ではない。この挑戦は無視されたのである。
(1) 彼は税額明細書には、非事業として収入四万四千五百フランと申告し、税金二千九百四十五フランを支払っただけである。

心理学者の意見
 ―― アメリカ社会心理学会は、一九四〇年、次のような公式声明を発表した。
 心理学者は、占星術が人の生涯または運勢に関し、その過去、現在あるいは未来を言いあてるものとして何らかの価値を有するという証拠を、何ひとつ見出すことができない。また、社会的事件が星占いによって予言できると信ずべき理由も全然ない。ゆえに当学会は、科学的事実として確認し得る要素をまったくもたぬ魔術風の行為を大部分の人々が信じているのを、深く遺憾とするものである。
 人々を占星術やその他同類の迷信へ向かわせるおもな理由は、彼らが自分自身の生活の中で、わが身にふりかかる重大な個人的問題を解決するのに必要な手だてをもたないということである。途方にくれた彼らは、黄金の鍵がすぐ手近にあるのだ、手軽な解決策、つまり困ったときの助け舟がいつも用意されているのだという快い暗示に、うかうかと乗ってしまう。こうした信仰は、ふつう軽信から個人を守ってくれる防壁が崩れてしまった動乱と危機の時代に、人々から受け入れられやすい。道徳上の慣習が経済的不況や戦争によって衰微した時、人々の迷いは増大し、自信がなくなり、隠秘学オキユルチスムへの信仰が強くなるのである。占星術信仰は有害で危険である。なぜならそれは、現実生活が常に提起するさまざまな問題を避けて逃避しようという不健全な傾向を助長するからである。深く考えて努力するのを避け、なんとかして自己自身の行為の責任を取るまいとするのは、人間にありがちのことだが、惨めな事態から逃れるため魔術や不可思議に走るのは何の益もない。貧窮や、愛する者の死や、明日の不安に悩む人々自身の手で、別な解決の道が見出されなければならないのである。
 一般大衆に対し、辛抱強く考えて結論を得るかわりに星占いをしてやる占星術師は、とかく困難な道より安易な道を選びやすい人間の傾向を助長する点で、罪作りである。彼らは、科学が彼らの主張を退け、法律が彼らの予言をまやかしとして禁止しているのに、人々を安易さへ誘いこんでいる。占星術師は一般大衆の利益を踏みにじってやたらと助言・忠告をばらまき、大衆から現実を見すえる眼を奪っている。多くの人々の心の中で占星術が真の科学と混同されているのは、不幸なことである。この混同のせいで、人間の運命に現実に影響を及ぼしている自然的・社会的・心理的要因を理解するための助けとなるべき、正確に考えるという習慣が、発展を阻害されているのである。もっとも、人類の社会的・心理的諸問題に科学そのものが決定的解決を与えたとは、まだとうてい言えない。だが、現代に至るまでの科学の進歩のあとに鑑みれば、人間の運命がこの世界における人間自身の活動によって形作られることは、明らかである。この件に関して、天体は当然考慮外に置かれてしかるべきで、われわれの運命を決定する基盤はわれわれの星でなく、われわれ自身の中にあるのである。

占星術の害毒。詐欺、医学上の危険、一般大衆の知的退化
 ―― 占星術はホロスコープを売るだけでなく、しばしばつまらぬがらくたまでいっしょに売りつけて大もうけする。次に掲げるのは、その見本となる手紙の例である。
 「拝啓。私のホロスコープ拝受し、心よりうれしく存じ上げます。先生のおっしゃることは、ほんとうに事実そのままでございます。あの善い魔女の護符一三枚いただきまして、うれしうございました。いい御利益が、もうはっきりあらわれております。先生がお作りになった秋の「星-磁力香水」の大瓶をひとつ、折り返しお送り下さいませんでしょうか。ついでに、私の息子のホロスコープもお願い申し上げます。」
 精神分析医であり、セーヌ精神神経科病院でインターンをしていたルイ・クーデールは、きわめて示唆するところの多いひとつの実験を報告している。ある日刊新聞に厚かましい広告を出し、われこそは新たなる救世主メシアなりと大っぴらに名乗ったところ、彼のところは手紙の洪水になってしまった。彼は、手紙をくれた人全部に、同じ占いと助言を書きこんだ返事を送った。すると、二百通以上の熱烈な讃美の手紙が舞いこんだのである。「あなたはまるで書物を読むように私の人生を読み取っておいでです」 ―― 「私の過去、私の性格についてあなたがおっしゃることは、まったく事実そのものです。」
彼の調査の結論のうち、次のことにとくに留意しよう。すなわち、占星術師の上顧客おとくいは、なにも馬鹿正直な人間や頭の弱い人間や気違いに限ったことではない。意気沮喪そそうしたり不安に駆られたりしている人間(いわば軽い精神病質者で、その知力は、ふつう平均より劣ることはない)の中には、恥も外聞も忘れて、藁にもすがる思いでぺてん師に頼り、そのためかえって精神的危機をひどくするものがいるのである。緊要なのは、破廉恥な広告を出す自由と戦い、当局の無為無策を攻撃し、隠秘学関係の事件が裁判に付された場合の司法官の煮えきらぬ態度を非難することである。
 どんなぺてん師でも、うやうやしく《先生プロフエツスール》などと呼ばれ、壁にべたべたとビラを貼り、新聞を買収して抱きこむ。新聞も新聞で、色よい広告料の契約に眼がくらんでよろめいてしまうありさまである。そうなると、多くの家庭の人々が何かにつけて、しょっちゅう占星術師にお伺いを立ててもらうため、自由になるわずかばかりの金をつぎこむことになる。ときには自分の食い扶持さえなくしてしまう。私はそういう悲惨な例をいくつも知っており、多くの人々から告白談を聞かされたり、この問題についての痛ましい訴えを耳にしたものである。占星術は、貧しい人々から、本来ならば彼らの健康や福祉に役立ったはずの金を吸い上げるばかりでなく、人々の心を不安に陥れ、宿命論に引きずりこみ、気の弱い人間の気持をいよいよ挫き、医学的な危険を招くもととなる。占星術は進歩と理性をめざす国民教育の努力を妨げる。それは他のいろいろな迷信と同じく、概して無知蒙昧を伴っている。にもかかわらず、過去の歴史をふりかえってみると、いろいろな点ですぐれた人物が占星術の犠牲になった例がいくらもあるのである。今日でもなお、まじめで教育もありそうな人たちが占星術に隷従しているありさまである。
 人々は《科学万能論》と蔑称される自然科学に背を向け、理性の行使を退け、その《ばかげた専制》に反抗し、理性が心も魂も涸らしてしまうといって非難する。しかるのち、自然科学がせっかく追い払ったあの主観論に認識能力を引き渡してしまう。西欧文明の本質はまさしく主観論を追い払ったところにあったのに、この始末なのである。こうした迷夢が怠惰な連中にどんな誘惑の罠を仕掛けるか、それは明らかであろう。要するに、勉学と研究に年月を費すかわりに五分間の恍惚状態ですむとなれば、まことに手軽で便利なわけである。隠秘学は、事物に関する内面的認識とみなされているあのさまざまな美辞麗句レトリツクと本来血縁関係にある。朦朧とした頭の中で、人は先史時代的な《古代》と、まだ占星術にからめとられていた東方趣味とに、同時に結ばれていると感じるのである。
 理性は万人共通の出発点ではない。すなわちそれは一個の獲得物で、常に脅かされている脆い存在なのである。われわれは過度の合理主義によって危機に瀕しているのではない。一見科学的にみえるもののニスを剥いでみれば、その下に原始心性が潜んでいる場合が今でも実に多いのである。われわれは、非合理的なものの侵入と永久に戦わなくてはならない。子供は、学校で受ける理性的な教育と並んで、毎日の生活という舞台から、古い祖先の呪物崇拝の生き残りを身につける。たとえば一三日の金曜日は悪い日で、とくに食卓で一三人そろうのは不吉な数だとか、試験の前日にしっかりやれよと言うのも不吉だとか、手に触れた木片や馬の蹄鉄や四つ葉のクローバーは吉兆だとか、マスコットをこれ見よがしに身体につけたり、お護まもりをこっそり隠しもったりする、といった類である。占星術信仰は、道具だては仰々しいが、要するに右のリストを補完するにすぎない。すなわち、この大人になってからの迷信は、こまごました民間信仰が氾濫している現在の状況をうまく利用しているのである。

教育者の義務、ユネスコの呼びかけ
 ―― 最も教育の進んだ国々でも、民衆のかなりの部分が占星術はひとつの科学だといまだに信じている。大きな公共図書館でさえ、占星術は《科学》の項に分類されている。ほうぼうの天文台には、毎日ホロスコープの注文が届く。つまり、天文学と占星術との混同は今なお根強く生き残っているのである。これまでのところ、科学者たちは占星術に敵意をもつ点では同じでも、個々ばらばらに抗議してきたにとどまった。思想と文化の発展のための国際的機関であるユネスコは、われわれに公式に呼びかけて、一致した行動を起こし、この忌わしい迷信との戦いを始めるよう慫慂している。
 「科学をひろめる者は、いきおい神秘主義信仰に断固反対する側に加担せざるを得ない。彼は、他人がもつ神秘主義信仰を打破し、合理的な思惟様式をもってそれに代えなければならない。」ユネスコは、小学校や中・高校の教師、自然科学畑でものを書く人々、科学者、そしてとくに天文学者など、職業上その義務のある人々に、一般大衆を啓蒙するための組織的な運動を起こすよう要求している。
 われわれは、この義務を避けて腕を拱き中立の立場にとどまる権利をもたない。民主主義の世界では、古くから害悪を流してきた偽りの科学の本性と価値について大衆を啓蒙することは、苦労の多いいやな仕事であっても、あらゆる教育者や科学者が果たすべき役割の一部をなしているのである。
 第一線に呼び出されているのは、小学校の先生である。なぜなら、学童は事実を知らされ気をつけるようにと教えられねばならないからである。小学校でならば、処女地に等しい子供の心の中に播かれたこの警告は、占星術に対してアレルギー反応を示す世代を育て、かくて若い世代は、この隠秘学的な自然解釈法のヴィールスとそのちんぷんかんぷんな公式にわれわれの世代よりも強い抵抗力を示すようになるであろう。普通教育は、この非合理で馬鹿げた潮流のためその効果を危うくされているが、占星術およびそれと結びついた、またはそれと張り合う商売が非なる所以を教えることを、小学校のカリキュラムの中にはっきり加えるべきである。私の考えでは、師範学校という環境は、この戦いのために武装させ、緊急の行動に目覚めさせねばならぬ場所のように思われる。
 この仕事が早急には進まないであろうことは、隠すわけにいかない。それは普通教育の水準の全般的向上および科学的方法の教授と平行して行なわれるであろう。だが逆に言えば、われわれに要求されている戦いがこの向上に資するところ大きいものと思われる。
 大人の場合、いったん占星術師に頼る癖がついてしまい、占星術師を格好の相談相手にするようになると、病膏肓に入って処置なしということが多い。迷夢を信じたがる人々に対しては、どんなに反駁しても効果がない。のみならず、最良の武器であるはずの占星術禁止の法律条文は、概してその条文を是認する人たちにしか読まれない。それは、数千人あるいは数百万人の軽信者たちの心には届かない。というのも、いったん信じこんでしまえば、理性はもはや論議をする余地がなくなるからである。法律条項に対する敵意が目覚めると、それを読む気持も失われる。だまされやすい人間は、自分の奇妙な固定観念をくすぐり、混乱した頭をより一層混乱させる無数の印刷物にとびつく(しかるのち、それを占星術師のぺてんの巣窟に送ってお伺いをたて、財布を軽くしていただくというわけである)。
同様に、講演会もあまり役に立たない。なぜならそれを聴きにくるのは、たいていすでに占星術の正体を知った人々だからである。
 したがって、なによりもまず、まだ占星術に侵されていない処女地ともいうべき若年層に働きかけることが大事である。
 もっと年輩の層について言えば、深い持続的な力で働きかけ得るのは、まずラジオと映画くらいなものではないか。この二つの強力なプロパガンダ媒体が巧みな戦術で十字軍を起こせば、一般大衆は簡単には脱落しないはずである。
 だが、この地盤では占星術が機先を制した。すなわち、秘術師や予言者たちが長年にわたりアンテナを占領して我物顔に振舞い、多くの俗衆に害毒を流し、厖大な数の顧客を獲得してきたのである。映画はどうかというに、われわれはすでにノストラダムスを主人公としたフィルムを見たが、なかなかみごとな出来栄えで、反自然科学的傾向を助長する一方のものであった。ハリウッドの有力者ウィル・ヘイズは、一九四〇年頃、占星術をテーマにした映画を一ダースほど撮る準備をしていた。人々がそれを知った時は、まだまにあった。アメリカの自然科学学会や七〇ほどのアマチュア天文学クラブが猛烈な反対の狼火をあげたのである。以後、この映画の噂はぷっつりと聞かれなくなったが、映画が実現されなかった主因は、たぶん戦争のためだったのではあるまいか。人類が弱みにつけこまれ、何百年にもわたって恐怖に駆られ、星辰を拠りどころとして己れの運命を明らかにしようと望みながら失敗ばかりしてきたことをまざまざと見せてくれるような映画 ―― 真正な科学のおずおずとした歩き初めとその方法、人間が賢明にそれを用いれば与えられる数々の恩恵と約束などをくっきりと見せてくれるようなすぐれた映画 ―― そういうフィルムが良い監督の手で作られたなら、必ずや劇的な効果を挙げ、ひろく一般の人々の関心を惹くであろう。上映のやり方さえくふうすれば、たぶん、占星術の信者にさえも、そんな占いは無意味なたわごとにすぎないことを悟らせるであろう。
 どういう団体が、どこの国が、そのような映画を作ってくれるであろうか。

十字軍のむずかしさ
 ―― この仕事はたいへん辛い縁の下の力持ちである。誤ちを正す仁俠役を買って出、さし迫った必要もないのに論争を重ね、占星術に慰めを見出したと信じている人々を傷つけること ―― こうしたことは、否応なくa priori不愉快なやり口にならざるを得ない。
 「他人の誤りをあげつらう者は彼らの恨みを買い、少しも我が身の名誉にはならぬ」〔「人を呪わば穴二つ」の類か〕と古い諺にもある。
 誰でも喧嘩好きな性格を必要なだけもっているとは限らない。安息や無関心や懐疑のほうが好きな人間も多いのである。
 まじめで実直な占星術信者は、概して科学に接する機会が全然なく、真の証拠と偽の証拠を区別する手だてをまったくもっていない。彼らは自分たちこそ明白な証拠を握っていると信じ、科学を奇妙なほどに盲目で不寛容で偏狭だとみなす。彼らの議論は情緒的で、非理性的である。彼らと公開論争を始めるのは不可能だし、危険でもある。なぜなら、彼らとわれわれとの両陣営間で、言葉は同じ意味をもたないらしいからである。それに、基盤となる共通の出発点も全然ないのだから、論争はけっして発展せず、期待を裏切る結果に終わる。霊の息吹きを受けた連中は、おおむね狡猾で屁理屈をこねるのがうまい。実を言えば、占星術がまちがっていることを明らかにする直接的で異論の余地ない標識などまったく存在せず、したがって論争を始めれば、他からの攻撃に対する防禦に不馴れな合理主義者はかきまわされてしまうおそれがある。アマチュア天文学者たちは、警告を無視して論争を試みた。彼らはその経験を次のように要約している。「占星術師と議論するのは、まるで羽根枕相手にボクシングをやるようなものだ。一個所をへこますと別の所がふくらむ。彼らはさまざまな言葉の定義について屁理屈をこね、われわれはそれ以上先へ進むことができなかった。」予言者と論争すること、とくに公衆の面前で論争することは、不毛で無益である。なぜなら、見たところにすぎぬとはいえ、科学がはじめから迷信と対等の立場に立たされるようなどたばた騒ぎの中では、科学の威信に何ら得るところはないからである。
予想される反論
 ―― ぺてん師やいかさま師の面皮を剥ぐという段になれば、問題はもっと楽な様相を呈してくる。だが、別種の厄介事が起こるであろう。つまり彼らの同業組合組織が強力で、自分の稼ぎは貪欲に守るからである。ふだんは内輪同士で争い、張り合っているのに、外部から敵があらわれるとお互い喧嘩の鉾をおさめてしまう。啓蒙のプロパガンディストたるものは、すべからくものすごい反撃を食い悪罵を浴びせかけられることを覚悟しなければならない。ときには、忝かたじけなくも彼を目あてにパンフレットが出されることがある。私も、一度そんな目にあったことがある。反論の代表者は、さくらんぼの種類名たとえばビガロー〔紅白まじりのさくらんぼ名。肉がしまって甘い〕などという名前になっている。この御仁の書いたパンフレットときたら、あっぱれなほど貧弱きわまる代物だが、それでも、こうした先生方の一般的なやり口がどんなものかということはわかる。なによりもまず、論争相手の評判を落とすことが第一である。そこで次のような論法が取られる ―― この論者は誠実を欠く、彼の議論は単なるからかいで、それも趣味が悪く、大昔からある古くさいやり口だ。彼はそれをキケロから失敬してきたのだ。理屈をこねてはいるが何ものをも証明しない。彼は明々白々たる事実を否定する。偏狭な専門家で、科学万能論者で、公認科学(公認という言葉は悪い意味に使われるようである)の憐れな代表者で、頭も心も乾ひからびており、一貫して否定ばかりしたがる人物、一介の合理主義者(合理というのは、ここではむろん欠陥となる)にすぎぬというわけである。天文学者であるあなたは、現代の占星術師の名前をひとりも引き合いに出さないことを原則とされたのだろうか。ならばあなたは、現今見出された数々の驚異をまったく知らず、無知のままに審さばきを下していることになりますぞ。あなたは昔の壁画をもとにして新しい時代の動きを判断しているのでありますぞ! ―― やれやれ、私の鞄の中は、ロビュールだのシナールだのアシェルナルだの、会の理事だの総裁だの、要するにあらゆる秘術師だが、おまけにビガロー氏自身のものまで、書物でいっぱいだ。ビガロー氏が読めといって私の目の前につきつけるからである。私は、せめてあなた方にはそんなものを読まないですむようにしてあげられただろうか(1)。
(1) 議論に一般性をもたせるため、引用の人名はわざと偽名にした。だが占星術に熱心な人なら、自分らの偶像をたやすく見分けられるはずである。

ビガロー氏は、こうして相手の論拠を覆したのち、自分の理論を打ちたてる。では、太陽の影響はどうなのだ? 月の影響は? 朔望〔朔は太陽と月が同じ方向にある時。望は両者が地球をはさんで反対方向にある時〕の時に矩〔39ページ参照〕の時よりも潮の満干が大きいという現象は? これこそ相(アスペクト)の役割ではないか! 惑星や恒星が何の影響力ももたないのだって? それでは、星々はなぜわれわれの網膜や写真の乾板や分光写真器スペクトログラフを感光させるのか? 何もかも、四季のことさえも忘れてしまうこの天文学者という奴は、何と了簡のせまい人間なのだろう!
 抗弁はすまい。最初の攻撃がすめば、今度は猫撫声でいこうと躍起になるものだ。ともかく、われわれはもっと数多く実際活動を起こすようにしなければならない。
 ただ、いちばん困るのは、占星術師からおほめの言葉を浴びせられることである。彼らはお世辞たらたら、あなた方天文学者に媚びて、自分たちはあなた方とまったく見解を同じくするものです、などと言う。あなた方の《学問的な》お仕事はわれわれの《発展の一途をたどる法則》を完全に裏書きしてくれます、などと言う。そうなったら、あなた方は占星術のお祭り騒ぎに巻きこまれてしまうのだ。私も何度か、そんなひどい目に遭ってきた。『モロッコの望楼』紙Vigie Marocaineで、天文学者である私と占星術師である彼との結論はつまるところ同じだという論説を、六回にわたって出した御仁がいたではないか。彼と私は、ほんとうに、同じ仕方で《宇宙》を理解しているというのである……私は罵声を浴びるほうがまだしもいいと思う。
希望のもてる調査アンケート結果
 ―― アメリカのある大きなプラネタリウムの技師たちが、プラネタリウムを訪れた見学客に対してアンケートを試みたことがある。見学客の年齢は一〇歳から五〇歳までだが、二〇歳から四〇歳までがいちばん多かった。
 プラネタリウムの上演を見る前には、見学者のうち一二パーセントが占星術はほんとうのことだと信じ、二一パーセントが迷い、六七パーセントがばかげたことだと考えていた。
 換言すれば、見学客三人につきひとりがいかさま師の餌食になる可能性があったわけである。
 プラネタリウム見学は、いい結果をもたらしたようにみえる。出口でふたたび質問を受けた見学客たちは、もう一度意見を述べた。その結果、占星術を信じている者またはまだ迷っている者の四分の一(二四パーセント)が考えを変え、断然信じない(あるいはもう信じないことにする)と答えた。かてて加えて一〇パーセントの者が、自分の考えが変わったかどうか自分にもよくわからないと言ったのである。要するに、アメリカのこの地方でプラネタリウムが呼びこむ人々のうち、三分の一が占星術の病毒に犯されやすいけれども、そのまたおよそ三分の一は、黄道や惑星の性質について慎重で巧みな説明をただ一度受ければ、ヴィールスに対する抵抗力を身につけ得ると考えられるのである。

結論
 占星術は、有史以前の昔、天空や天体や神々への畏怖に押しひしがれていた人類がまだ偶然の符合とほんとうの決定論を区別するすべを知らなかった時代に源を発した一種の迷信である。したがって他の迷信同様、占星術を、われわれ人類がどれほどに進化しても文化が進んでも、いまだに十分排除しきれないでいる原始的な性格を帯びたもの、未開な蒙昧の名残りとしてみなすこともできよう。今日ではあらゆる天文学者から例外なく戦いをいどまれ、告発されているものの、元来天文学と結びついた占星術は、今なおいくばくか科学的な要素を誇示している。とりわけ天体と結びついたために、他の迷信とは似ても似つかない魅力を占星術は帯びることになる。とはいえ、そうした威厳を誇るうわべの背後には、全生涯を費やして内容空疎な自らの公式をごまかそうとし、そうした作業のおろかさに思いもいたらぬ何がしかの幻想家や、また見かけは教養に富んでいるかに見えながら、その実、科学的な方法についても、証拠というものが呈すべき性質についてもなんら確たる考えをもたない実におびただしい人々が控えているのである。無能にも占星術に含まれる専門技術的な部分を分析できない彼らは、占星術の主張を無造作に受け入れ、周囲の状況が許せば、熱烈な占い師や熱狂的な布教者に転身しさえする。しかしなかでも、きわめて利益本位の職業が存在し、一群のぺてん師によって、数えるに限りないほどのだまされやすい人々から金をまきあげながら営まれているのである。彼らぺてん師はむろん自身がだまされやすいわけではない。彼らの占いたるや天空のありようを逐一検討し、それにもとづいて立てられるのでもないし、のみならずたいていの場合、子午面とそもそもの鉛直面、赤径と黄径、平均時と恒星時あるいは常用時の区別すらつかないような連中である。
 しかも彼らの存在は、いわば彼らから不当な金を容赦なくまきあげられる一般大衆や貧しい人々にとって有害の最たるものなのである。
 われわれはこれまで、占星術が人々の精神を運を天にまかす宿命論の側へ傾かせながら、その心をかき乱してきたことに対し告発を続けてきた。占星術はひよわな人々に医学上危険きわまりない診断や療法を施し、あらゆる占星術信奉者にあって、知的な進歩が新たに展開するのを妨げ、天文学の指導者が払ってきた努力の積み重ねを一部そこない、科学に邪魔だてするのである。大部分の国々には、われわれフランスの場合と同じように、占星術が報酬をえて実施されるのを禁止した法がある。いわば吉凶を占うことは、いかなる形態をとるにしろ、一種の軽犯罪である。その上、個人であれ、会社であれ、結社であれ、偽りや誤りの性質を帯びた広告ないし提案を公にすることは禁じられている(印刷物に関する法律)。にもかかわらず壁という壁には占星術のポスターが張りめぐらされ、郵便箱は誘惑に満ちたちらしを詰めこまれて一杯になっている。こうしたきわめて厚顔な占星術の取引きや広告が多量に溢れていることは、ほかでもない法が守られていないことの証あかしであり、この領域で違法を大目に見ている事実は残念なことである。
 公衆はけれど、あまりな破廉恥行為に対し裁判所によって身を守られるように、政府によってこうした実情から保護される権利を有している。必要なことは、法を強化し、とりわけその適用を実施する以外にないように思える。
 今や教育者、学識者団体、ユネスコが一時もすみやかに協合して、このばかげた偽科学の拡大に抗して戦い、二〇世紀におけるこの古い迷信の危険きわまりない遺物に反対して布教すべく、文部省や国家から法的な手段や公的な方途による全面的な支援をとりつけねばならないのである。

補遺
一 恒星時
 ここでは端数の秒を甘んじて切り捨てた場合の一例を掲げておこう。つまり、フランス時間できっかり一九五一年八月一日一三時五二分、パリに突発した出来事の恒星時を求める例である。
 事件の起きた世界時は、まず夏期時間の制度が実施されていることとパリが0時の同一標準時地帯に属していることから、同じ日の一二時五二分ということになる。
 一方、一九五一年八月一日、世界時0時における恒星時間は二〇時三五分一一秒である(天文年鑑から求められる既知数)。また事件は世界時で一二時間五二分後、つまり恒星時の一二時間五四分七秒後になって起こることになる。(二分七秒の加算は太陽時と恒星時の差を考慮に入れたものである。一日ごとに約四分のひらきがあることについてはすでに注意をうながした。)
 このことから、事件は、二〇時三五分一一秒+一二時五四分七秒=九時二九分一八秒というグリニジの恒星時に生じることになる(二四時間は省略した上で)。

一方、パリはグリニジの子午線の東、経度の九分二一秒に位置することから、今ここで求めようとしている事件の地方恒星時は、結局九時三八分三九秒ということになる。
 こうした計算を行なうに際して、場所の経度を媒介にし、想定された日の世界時0時における恒星時を知らねばならないことがおわかりだろう。
 もしかなりの分を切り捨ててもよいとみなすなら、実際には、演算の手続きは著しく簡略化することができる。
 まず、世界時0時における恒星時間はいつの場合もほぼ与えられた日時に等しい。その数値は、秋分点(九月二三日頃)の0時から、春分点に対する一二時へ、また次の秋分点に対する二四時(0時)へと、一日につきおおよそ三分五七秒増しながら変化してゆく。もっともわれわれが用いる暦の不連続性と天の周期の広大さだけを考えてみると、両者の間にはプラス・マイナス二分を越えない年間のひらきが生じることは事実である。この差を除外するとすれば、天文年鑑を使うかわりに、一定して変わることのない別の小さな一覧表を使用することができる。他方、世界時で表わされた出来事を恒星時に換算することは、訂正するにしてもプラス・マイナス二分を越すことがないわけであるから、無視してもかまわない(このことから、16ページに示した方式が出るわけである)。
三 家
 すべての天体は日周運動を行なうために、その天体の方位角δで充分に明示される天球緯線を描くことになる。仮に地平線がその小さな円環を截ち切るとすれば、既知の緯度の場所で天体は空に昇り、また沈むのである。天体が描く軌道の弧Dが昼であり残りのNはその場所では眼にすることができない(夜の弧)。弧Dは角度によって計算できるが、このことから天体の可視時間も次の公式によって求められる:cos(D/2)=-tanδtanφ。

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さてプトレマイオスによると、家の古典的な定義づけは以下のようになる。
 それぞれの家は、昼ないし夜であるのに応じて、D/6ないしN/6を含むものである。この定義に応じて各家の境界線を示したのが第14図である。別様に言えば、いずれの天体も六つの昼の家(XII、XI、X、IX、VIII、VII)のそれぞれに可視時間の1/6に等しい時間とどまり、夜の家(VI、V、IV、III、II、I)に地平下に沈んだ時間の1/6の時間とどまることになる。しかしそれぞれの昼の家(D/6)に滞留することは、一般的に夜の各家(N/6)に滞留することとは異なる。この相違が生じるのは、もっぱら想定された天体のδが作用するからである。ただ天球赤道を描く天体に限っていえば、天体は昼ないし夜のどの家も二時間で通過する。つまりそれぞれの家は赤道の三〇度を含むことになる。

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また初端(黄道と各家の境界線が交叉する点)の位置は、上記の定義と想定された恒星時から求められる。その算出はそうむずかしくはないけれど、端数を切り捨てたさまざまな緯度と恒星時のあらゆる数値に応じて初端の位置が与えられる一覧表もある。あとは二様に(正確な緯度と正確な時間とに対して)加筆すればよい。


四 若干の偏差の真実らしさについて
 成功の確率が毎回pであるような試みをn回やったとしよう(pはパーセンテージで、0から1までの数字)。q=1-pとする。成功の平均回数はnpである(平均値)。
 当の事象がx回起こったとすれば、代数値h=x-npは偏差と呼ばれる。偏差の単位とはu=√2npqのことである。観測された偏差hの絶対値がuを越える確率、および2u,3u,4uを越える確率は、左の表によって示される。すなわち、uを越える(平均値に対してプラスあるいはマイナス方向に)偏差が観測されるケースは、一〇〇回のうち一六回ということになる。
偏差が2uを越えるチャンスは一〇〇〇回に五回。
3uを越えるチャンスは一〇、〇〇〇回に二回。
4uを越えるチャンスは一〇億回に一五回。
 換言すれば、(uに関して)大きな偏差を生じる可能性は急速に減少し、偶然だけに帰するわけにはいかなくなる。だが逆に言えば、偶然以外に別の原因を探さなければならないのは、偏差がuに関して大きい場合に限るわけである。

例 ―― 表か裏かの遊戯をやるとしよう。この場合、p=1/2,q=1/2である。
 第一のケース ―― 一勝負二〇〇回投げるとして、平均値は一〇〇、u=10である。
 二〇〇回投げの勝負を何度かやれば、大部分の場合、たとえば表の出る回数は九〇回から一一〇回の間である。ただしこの回数をマイナスまたはプラス方向に越え、八〇回とか一二〇回になったとしても、驚くには当たるまい。なぜなら、この程度の事象なら、一〇〇度の勝負のうち一六回は起こり得るからである(ふつうの結果)。
 七〇回から八〇回(または一二〇回から一三〇回)の間となると、これはもう稀である。毎日一度ずつ勝負をやるとして、一年に一度しか起こらないであろう。しかし、一三〇回以上または七〇回以下という結果は、例外的である(三〇年に一度)。一四〇回以上または六〇回以下ともなれば、毎日一度ずつ勝負をやるとして、一〇万年以上生きなければそんな結果は見られない計算になる。こんな結果が一度でも出れば、貨幣にトリックが仕掛けてあるのはまずまちがいない(片面に鉛をくっつけるなど)。
 換言すれば、いくつかの結果はただ偶然のみによって説明できるが、別のそれは違った説明を必要とするということで、後者の場合、その性格はもはや偶然的なものでなく、意図的なものとなる。
 二〇〇回投げの勝負で表が出る回数に関する右の考察を、要約してみよう。

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ふつうの結果のパーセンテージは切り上げた(他の欄のごく小さい頻度は切り捨ててある)。
 第二のケース ―― 今度は、二〇、〇〇〇回投げの勝負について考えてみよう。平均値は一〇、〇〇〇、u=100である。一勝負やって表が出る頻度は、次の表の両極限の間に含まれるであろう。

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第二のケースにおける例外的偏差およびありそうもない偏差を、第一のケースにおけるそれと比べてみると、勝負の回数が一〇〇倍になったのに偏差は一〇倍にしかならない(三〇のかわりに三〇〇、四〇のかわりに四〇〇)ことに気づく。
 これでみても、少なすぎる事例にもとづく統計の危険なことがわかる。
 第一のケース(二〇〇回勝負)では、平均値の三〇ないし四〇%に達する偏差は、まだ起こり得る。
 第二のケース(二〇、〇〇〇回勝負)では、平均値の四%を越える偏差は《不可能》である。

五 占星術に関する各種テキスト

『イザヤ書』、第四七章第一節……第一二節、一三節、一四節
 (一)バビロンの処女おとめよ、くだりて塵のなかにすわれ、カルデヤ人びとのむすめよ座みくらにすわらずして地にすわれ……
 (一二)今なんじ若き時より勤めおこないたる呪詛まじないと多くの魔術とをもて立ちむかうべし、あるいは益をうることあらん、あるいは敵をおそれしむることあらん。
 (一三)なんじは計略はかりごと多きによりて倦みつかれたり、かの天をうらなうもの星をみるもの新月をうらなうもの、もし能わばいざ立ちて汝を来たらんとすることよりまぬかれしむることをせよ。
 (一四)彼らは藁のごとくなりて火に焼かれん、おのれの身を焰のいきおいより救い出すこと能わず……なんじを助くるものはなからん。

ラ・フォンテーヌ「ホロスコープ」(寓話XVI 第八巻)
《自然》が両手を縛られているとは
私は思わない、まして私らの両手を縛り、私らの運命を
空の中に彫りこんだとは。
私らの運命を左右するのは
場所と人と時の絡みあいで、
まやかしの占者が言う合などではない。
この羊飼とあの王様は、どちらも同じ星の下に生まれ、
一方は王杖を、他方は羊飼の杖を握る、
木星がそう望んだのだとさ。では
木星とは何? 無感覚の物体だ。
してみれば羊飼と王様に
違った影響を及ぼすなど、どこを押せば出てくる文句か?
私らの見るヨーロッパの有様は、せめて
誰か占者が予言してもよかったのに。
どうして黙っていたのだろう? 誰ひとり予見などできなかったからだ。
惑星は遙かに遠く、星の布置は変わりやすく、
私らの感情も変わりやすい、してみれば
占者たちに、私らの行動をつぶさに予知することなどできただろうか?

私らの運命は星次第と占者は言うが、
星の歩みもとぎれとぎれで、私らと同様に
同じ足取りで進みはしない。にもかかわらず
占者たちはコンパスで
私らの人生の歩みを測ろうとするのだ。
先ほど私が語った、あの二つの
おかしな話に気をとられてはいけない、
可愛がられすぎたあの息子も、アイスキュロス爺様も、
どうすることもできないのだ。占星術は、
まったく盲目で嘘つきだが、
千に一度はまぐれあたりということもある、
それは偶然の結果にすぎない。

聖アウグスティヌス『告白』(第四巻、第三章)
 アウグスティヌスは、若い頃占星術を信じ、まわりの忠告にも耳をかさない。
 こうして私は、かの占星術マテマテイコス師と呼ばれる詐欺師たちの意見を聞くことをやめなかった……
 真の信仰たるキリスト教信仰は、こうした占いを拒しりぞけ、罪ありとしている……「見よ、汝癒えたり、ふたたび罪を犯すな、おそらくはさらに大なる悪しきこと汝に起こらん」という主の言葉を思い出すがよい。この救いの教えを占星術師はまったくないものにしようとして、こう言う、「汝の罪の避け得ぬ原因は空からくる」、あるいは「これは金星、土星、または火星の仕業である」。こうして彼らは、肉と血と傲おごれる腐敗物からなる人間を罪なきものとし、空と星々との創造者であり支配者であるものに罪を負わせるのである……
 その頃私は、すぐれた知性の持主で医術に長たけていたある人(ウィンディキアヌス)に、たまたまホロスコープの書物に凝っていると話したことがあった。彼は、そのような書物を捨て、有用な仕事に役立つはずの時間と労力をかような虚妄に浪費するなと、慈父のごとく私をさとしてくれた。彼もまた若い頃、占星術を学び、それを職にしようとまで思ったのである。だが彼は占星術の完全な虚妄を見ぬき、他人を欺いて生活の資を得ることを欲しなかった。そこで私は彼に、かような誤謬をもととして多くの真実を予言できるのはなぜかと問うた。彼は、自分の考えでは自然の中に隈なく遍在している偶然がその原因だと答えた。誰か詩人がある事柄についてある考えの下に歌った詩を読んでみたまえ。そうすれば、偶然の結果で何も驚くには当たらないのに、君の目下の関心事に不思議なほど合致した詩句をしばしば見出すだろう。同様に、ある高度の本能を備えながら自分の中で何が起こっているか知らない人間の精神が、技術によらず偶然によって、予言を求めるものの事情と行為に一致した裁決の言葉を発することもあり得るというわけである。だが、その時は、この医師(ウィンディキアヌス)も、占者の類をすべて軽蔑していた私の親友のネブリディウスも、私に占星術を捨てさせることはできなかった。私に最も強い印象を与えていたのは、それらの書物を書いた人々の権威であった。占星術師の予言が当たるのが星辰を観察する技術によるのでなく、偶然や僥倖によるのだということを明確に私に見せてくれるような動かぬ証拠を、私はまだ発見できずにいたのである。

『告白』(第七巻、第六章)
 アウグスティヌス、占星術信仰から解放される。
 神の叡智よ、あなただけ、ただあなただけが、かの鋭利な老ウィンディキアヌスと驚くべき魂を備えた若きネブリディウスに逆さからっていた私の頑迷に打ち勝ちたもうた。老人は断乎として、青年はいささかのためらいを抱きながらも、主張してやまなかった、未来を予言する術は存在せず、臆測は往々偶然に助けられることがある、いろいろしゃべっていればたまたま真実を言いあてることもあるもので、黙ってさえいなければうまく当たることもないではないのだ、と。
 それゆえ、フィルミヌスという友人を私に与えたもうたのはあなただ。彼は占星術にあまり通じていなかったが、占星術師の意見に耳傾けるのが好きであった、この占星術信仰を覆すに足るある事件を彼は父から聞かされていたのに……
 フィルミヌスは次のような逸話を父から聞いていたのである。すなわち、フィルミヌスの母が彼を妊っていた時、一家の友人の召使女も同様に身重であった……ところでこの二人の女は同じ時刻に分娩したので、フィルミヌスのホロスコープも、召使女から生まれた奴隷の子のホロスコープも、細かな点までまったく同じものにならざるを得なかった……にもかかわらず、富裕な家庭に生まれたフィルミヌスはこの世の輝かしい道を歩み、富を増し、最高位に出世したのに、もう一方の奴隷の子は境遇の枷かせを少しもゆるめられることなく、主人たちに仕え続けたのである……
 私の頑固な心は折れ、崩れ去った。ホロスコープの予言が当たるのは技術ではなくて偶然のせいであり、ホロスコープがはずれるのは技術を知らなかったせいでなく偶然当たらないのだ ―― 私はそう結論したのである。
 誤った考えから脱け出した私は、占星術を行なう気違いどもの誰かが、フィルミヌスの話ははたして確かなものであろうかと言って私に浴びせるかもしれぬ反論にどう答えるか、思いめぐらし、いかに攻撃するかを考えた。
 かくて私は双生児として生まれる子供たちのことに思い至った。彼らはたいてい、相前後して生まれてくるのだから、その誕生時刻の相違は、いかに重大な意味をもつと主張しようが実際にはごくわずかなものであり、占星術師が正しいホロスコープの基礎とし得る宮の中での相違としてあらわすことはできないであろう。
 かくて占星術師は、エサウとヤコブについて同じ運命を予言しなければならなかったはずだのに、二人はまったく違う生涯をたどった。彼の予言が真実であるためには、ホロスコープが同じでありながら別々のことを予言しなければならなかったろう。これで見ても占いの術は存在しない。予言が当たるのは偶然のせいなのである。

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