top of page

炼金术

Alchimie

  炼金术这个词,其语形来自阿拉伯语的el-kimyâ,而语根出自希腊语的Kimyâ(黑土地),也就是埃及的古称。 因此,炼金术的名字本身就暗示了这种神圣艺术的起源。这门学问呈现出隐秘之术的所有特征,它是师徒之间的口头传承,是通过寓言文学和启示文献流传的秘密,是对世界及其历史的古老研究。故而炼金术士不需要新的发现,只需重新揭露前人所隐藏的研究即可。这也是这么多世纪以来、炼金术的基本理论没有根本改变的原因。炼金术士自诩为 "哲学家",他们口中的"哲学"则是种包含了世间所有学问之原理、阐释万物本质和存在之理由、揭示整个宇宙的起源和命运的"学问"。这种秘密学说,也被称为一切学问之母,传说是由赫尔墨斯神(或埃及神透特)传授给人类的。炼金术建立在这套关于物质构成、生命体和无生命体的形成等理论的基础之上。因此严格来说,炼金术即是 "赫尔墨斯哲学 "的实践运用。而这个理论的直接应用,便是对贤者之石的追求。

  在炼金术师看来,金属是有生命的,在健康的状态应该以金银这些完美的形态出现。由此产生了狭义的炼金术定义:金属转化(le Grand Œuvre),也就是教人制备一种特殊药物的科学。当药物倒入不完美的金属中时,金属的性质就会转为完美。另一方面,如果将贤者之石液化,就可以得到 "长生不老药(Elixir)",或者恢复体力健康的"万能药(Panacea)"。据说贤者之石还能赋予主人各种神奇的力量,比如隐形、飞行、指挥天使等。 不过这些神奇的力量在中世纪末才被提及。直到文艺复兴时期,贤者之石才衍生出了新的传说,比如制造万物溶解液 "阿尔卡斯特(Alcahest)"、一击人造人“何蒙库鲁兹(Homunculus)”。然而,根据共济会学家的观点,炼金术是一种神秘主义。 他们认为炼金术士的目标不是寻找物质的黄金,而是完成灵魂的净化。世界上的各种欲望和烦恼,所有这些阻碍人类正确生存发展的东西被比喻为劣等金属。而贤者之石可以引导人类向真善美升华,是每个人内心的原型的实现。 故而人类本身就是炼金术的材料,这也是为什么《赫尔墨斯七章(Sept chapitres d'Hermès)》中写到:"贤者之石与汝同在,存汝之中。若汝等能从自己内部窥见此石,则不论身处海天何处,此石皆会为汝等所有。“ 

▣ 伟大的制作(le Grand Œuvre)
有时候简写为l'Œuvre。该词是l'Alchimie的同义词。 但由于炼金术既是具体性的无知创造技术,也是净化灵魂、复活生命等精神上的艺术。"l'Œuvre "这个词反映了《类比》的世界,伟大的制作在"金属的上位转换/制造贤者之石"的词义、又或者指代贤者之石本身之外,也有着伟大秘法(Ars Magna)这样灵性上的解释。

   ——Roger Bacon, Miroir d'alchimie『炼金术之镜』

▣ 帕那刻亚(Panacea)
代表完全治疗的希腊女神,医药神阿斯克勒庇俄斯之女,治疗神阿波罗的孙女。 帕那刻亚与他的五个姊妹分别代表阿波罗的一种医药能力:帕那刻亚为治疗女神,伊阿索是恢复女神,许癸厄亚代表预防疾病与清洁卫生,阿刻索系康复的女神,阿格莱亚是自然美的女神。 古代希波克拉底派的医生宣读医师誓词时,除了阿波罗与阿斯克勒庇俄斯,亦向许癸厄亚、帕那刻亚姐妹宣誓。

​伟大秘法 アルス・マグナ(大いなる秘法)Ars Magna

真正的炼金术,秘传的炼金术,是对人与自然等生命法则的认知,是让如今因亚当堕落而在劣化的生命、重新获得纯洁·光辉·充实与原初特性的一系列过程的再现。简而言之,就是人类精神的赎罪或重生、肉体的再构筑、对自然之物的净化和完善。最后,在特定的意义上、实现矿物的精髓化(萃取第五元素精华)与上位变换。 因此,炼金术是建立在对自然万物的堕落和腐败的认知基础之上。炼金术的原旨则是让人回归原初的荣光、这也被称为"神秘之术"、"通往绝对之路"、"不死鸟的制作"。贤者之石为那些熟于此道的人提供了充满天光的卓越性,让他们的肉体与精神都达到完美的幸福,并提供一种对宇宙的无限影响力、即与第一原因相通的力量。

賢者の石を見いだすことは、すなわち「絶対」を、森羅万象の真の存在理由を発見し、「完全なる知」(グノーシス)〔もともと「知識」を意味するギリシア語。これが秘教的な神の直観的認識を指すようになり、この観念を中心としてグノーシス説が生じた。これはギリシア・ローマや東洋の諸宗教の混淆したもので、キリスト教にもその真理をグノーシスとして理解しようとする派が生じた〕を所有することであった。このような超越的錬金術においては、きびしい修行と実地とが密接に結びついている。《存在のさまざまな次元の間に奇想天外な対応関係を案出するのに長けた錬金術は》とA-M・シュミットは書いている、《その信奉者に規則正しい苦行を課する。密封された水晶球でできた「哲学の卵」Œuf philosophique〔本訳書114ページ以下を参照〕の中で、混合原料compost ―― これは一種の秘密の混合物で、それから賢者の石がちょうど子宮内部に閉じこめられた胚から生まれるように生まれてくる ―― を注意深く加熱し変化させる一方、彼ら自身もゆるやかな浄化の段階を一つ一つ通過しなければならない。彼らは、物質再生の業である「変成術」を成就するためには自分の魂の再生を追求しなければならぬと信じている…… 密封した器の中で物質が死に、しかる後完璧なものとなって蘇るように、彼らは自分の魂が神秘的な死を経験し、やがて蘇って神のなかで法悦の生を味わうことを願うのである。彼らは万事につけてキリストの例にならうのを誇りとする。キリストは死を克服するために、死の手に摑まれるのを堪えねばならなかった、というよりそれを受け入れねばならなかったのである。かくて彼らの場合、キリストのまねびは霊的生活の一方法たるのみならず、霊薬〔テキストではle magistère前出の錬金薬Elixirと同じく「賢者の石」の呼び名の一つ〕を生み出す物質操作の過程を正しく調節する手段でもある》。

炼金术大师被认为会使用令宇宙再生之力,施展物质世界的变化术(Œuvre Physique )。此种变化必须发生在人类灵魂的隐秘深处,然后才能反映在物质世界中。 拥有完美生命力的贤者之石,被认为是与从混沌中被神火赋予了生命、创天造地时产生第一物质一样的存在,可以对动植物、以至于矿物界都能产生广泛的影响。

錬金術師は、万象の形成をつかさどったとみなされる法則を知るがゆえに、眼前の物体をもう一度作り直すことができるのである。《自然が太初に作ったものを、われわれは、自然がたどった手順を逆にさかのぼることによって同様に作り出すことができる。自然がおそらく今もなお、長い年月の助けを借りて地下でひとり行なっているものを、われわれのほうから手を貸しより良い状況を与えてやることによって、一挙に成就させることができる》 ―― 錬金術師はそう称していた(ヘーファー)。だが錬金術の達人は、また一種不可思議な酵母の発見と凝固をも求めるのであり、これがとりもなおさず賢者の石そのもので、それはあらゆる不完全な存在を更新し、《癩にかかった》金属を黄金に変え、病人に健康を返すことによって、物(肉)体の崩壊をほとんど無限に遅らせ得るのみならず、存在がより高次の状態へと迅速に進んで行くのを保証する。かくて錬金術師は、世界を新たに生まれかわらせる真の「超人」となるのである(第九章参照)。したがって、錬金術とは何かという問いに正確に答えることは、一般に考えられているよりはるかにむずかしいのである。この語の意味はさまざまな分野にわたっているのだが、大きく言うと次の五つの局面に分けることができるであろう。
(1)赫尔墨斯哲学的秘密学说、关于物质组成的科学理论
(2)制作万能药或炼造金属的神秘学知识与魔术实践。
(3)「アルス・マグナ」、すなわち、神秘主義と宗教的憧憬と神智学théosophie〔神Theosに関する知恵sophiaの意。自然の神秘や人間の生死の謎をとき、魂を解脱させて神への道を開くことをめざす。ただ、天啓や直観を重視するものの、さまざまな知識の源泉を取入れて学としての体裁をととのえる点で神秘主義と異なり、また超理性的な認識能力を信じる点で哲学と異なる〕と実験手続きとの奇妙な結合、前四者の一種の綜合。

そして錬金術師にも、右に分類したのと同じだけの範疇があった。すなわち、或る者は他のことをほとんど捨ててもっばら金属の黄金変成(クリュソペイア)または銀への変成(アルギュロペイア)に関心を持ち、或る者は医薬に関心を持った。或る者はとりわけ実地家であり、また或る者は思弁をこととしてその異端の説を寓意や象徴のヴェールの下に隠そうとした。神秘学にもっばら没頭した者もいた。だが、《王者の術(1)》の大家たちは、考えられるあらゆる視点を同時に開発したのである。

炼金术随着时间的推移有了很大的演变。 在西欧,它直到中世纪、甚至到了十六世纪才有了明确的形式。 为了研究欧洲中世纪炼金术的氛围及其奇怪的符号系统。 之后,必须简要研究炼金术的各种起源及其发展的主线)。

(1) 注意しておきたいが、「王者の術」とは中世の同業組合の用語では建築術を指す言葉でもある。
* テキストではréincrudation 本書の著者ユタン氏の教示では、A・サヴォレの造語で、recoction, nouvelle coctionすなわち新たに加熱してその組成を変えることをいう。「若返り」と訳したほうが端的かもしれない。(訳注)
** 古代哲学以来、地・水・火・風の四大元素に付け加えられた第五番目の元素(エーテル)で、天上と下界にあまねく行きわたってこれに生気を与えるものと考えられた。錬金術師はこれを物質の中にひそむ根源的な発生力、神の創造力を分与された精気とみなし、その抽出に専念した。(訳注)
*** プリマ・マテリア。質料は事物を構成する素材、材料を意味するが、現実に存在する素材は、なおなんらかの形相によって限定され、一定の性質、量をもっている。これにたいし、そのようないっさいの限定をとりさった究極に考えられる、木材とも金属とも重いとも軽いともいわれない純粋の素材そのもの(それは現実には存在せずただ思考においてのみ存在する)を第一質料という。アリストテレスにおいては生成消滅変化などの現象は、事物の根底にあるこの第一質料が一つの形相を失って他の形相をうけいれるものと考えられる(平凡社『哲学事典』)。(訳注)

++++++

第二章 炼金术师与其象征体系
  中世纪的炼金术师出身千奇百怪。有贵族也有平民,有僧侣也有俗人,有基督徒也有犹太人,有学者也有文盲,有男人也有女人,有医生也有巫师。在过去,有许多炼金术士过着流浪漂泊的生活,他们使用化名走遍了整个欧洲,即使在一个小镇上定居,只要炼金实验稍有进展就会马上离开,非常小心地不被人发现。 炼金术士们通过类似行业协会的秘密社团,用一种相互承认的标志和只有熟悉此道的人才能理解的密码、相互之间保持着密切的联系。在那个年代,炼金术师只要投入到朝圣者的队伍中,就可以保证餐饮住宿。而作为永远的漂泊者,他们有时也会加入吉普赛人的队伍。 在巴黎和布拉格等城市,一些街道两旁的整栋房子都是炼金工房和结社场所。 他们凭借着令人敬畏的威望,对教廷高层和教堂建筑工会的渗透,以及王公贵族们偶尔的赞助,形成了一股不可小觑的隐秘力量。炼金术被当时的学者们视为一种自然科学,吸引着人们的实践热情。但必要时,它也会成为异端学说的媒介,必须在教会的眼皮底下隐藏起来。

  天主教的神学家们并没有对这种令人不安的权力扩张持开明态度。 历任教皇多次宣判炼金术有罪。例如在136年至134年担任教皇的若望二十二世颁布了一项法令,将所有从事炼金术的人逐出教会(有趣的是,传说中也是他保护了炼金术士)。 宗教法庭烧死了一些炼金术士,世俗法庭则把他们吊在镀金的绞架上。 不过尽管有这些零星、个别的迫害案例,炼金术的力量还是稳步增长,因为炼金术士们通常像是雅克·柯尔那样在政治上发挥着重要的作用。

  炼金术达人们对自己的职业持有非常骄傲的看法。

《贤者群集》中写到、《我らの書物に背をまるめて読み耽り、我らの術に忠実に、浮薄な雑念に迷わされぬ者、神に己れを委ねた者は、死によるほか失われることのない王国を見いだしたのだ》と。それにしても、錬金術師たちの言うところでは、すぐれた資質を有し、のみならず内面的啓示によって真に神の加護にあずかる必要があった。この傾向は《王者の術》の達人の間でとくに高まる。彼らは、婚姻の席に招かれながら礼服を着けなかった招待客のことを語っている福音書の話(『マタイ伝』二十二章*)に触れ、これは錬金作業を行なう前に精神的に身を浄めようとしなかった者を暗に指していると考えるのである。

  《汝要反省自己。 若不洁身自净,"婚宴"便可害汝。迟到者必招灾祸,轻浮通过者必需谨慎。》
 海弗尔(ヘーファー)写道,"炼金术士最显著的特征是忍耐,即使失败也从不气馁。 炼金术士子承父业研究未完成实验的秘密,这种情况并不少见”。志于此道之人需“阅读、阅读、更多地阅读、祈祷、实践、而后才能发现(Lege, Lege, relege, ora, labora et invenies)”

この道に志す者は、《読み、読め、さらに読め、祈れ、働け、さらば見いださん》Lege, Lege, relege, ora, labora et inveniesというあの格言に従わなければならなかった。炼金术师要要大量阅读,并且对从书本上获得的知识抱有警惕。此外还要自制了炉子、甑子、蒸馏器等仪器。 但炼金术的教学是口传心授的。 换句话说,初学者是在师傅的指导下进行时间的。为了得到世界各地名师的指点,一些学徒甚至远离故乡长途跋涉而求学。 所谓的教育,有时是以学习背诵一篇或几篇古文为主,通常采取的是问答的形式来进行测试。
(1) J.-V. Andreae, Les noces chymiques de Christian Rosencreutz, trad, Auriger et P. Chacornac, Paris, 1928(アンドレーエ『クリスチアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』、オーリジエとシャコルナックによる仏訳)。

▣ 矿物的精髓化 quintessenciation

▣ 第一原因

运动的最终原因,即本身不运动,但却是其他事物运动的原因、即是指纯粹形式乃至神。

▣ 雅克·柯尔 Jacques Cœur

15世纪的法国商人,担任了查理七世的财务卿,开辟了法国至累范特之间的贸易渠道。传说他发现了贤者之石。

イエスまた譬をもて答えて言い給う、「天国は己が子のために婚宴を設くる王のごとし。婚宴に招きおきたる人々を迎えんとて僕どもを遣つかわすとて言う《招きたる人々に告げよ、視よ、昼餐はすでに備りたり。我が牛も肥えたる畜も屠られて、凡ての物備りたれば、婚宴に来れと》。しかるに人々顧みずして、或る者は己が畑に、或る者は己が商売に行けり。また他の者は僕どもを捕えて辱しめ、かつ殺したれば、王怒りて軍勢を遣し、かの兇行者を滅してその町を焼きたり。かくて僕どもに言う、《婚宴はすでに備りたれど、招きたる者どもは相応しからず。されば汝ら街に行きて、遇うほどの者を婚宴に招け》。僕ども道に出でて、善き者も悪しき者も遇うほどの者をみな集めたれば、婚礼の席は客に満てり。王、客を見んとて入り来り、一人の礼服を着つけぬ者あるを見て、これに言う、《友よ、如何なれば礼服を着けずしてここに入りたるか》。かれ黙しいたり。ここに王、侍者らに言う《その手足を縛りて外の暗黒に投げいだせ、そこにて哀哭`切歯することあらん》。それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少なし」。(訳注)

4 大いなる秘儀に達した人々
 ―― 「アルス・マグナ」の達人は、秘儀伝授に関して超人的な観念を抱くようになる。たとえば薔薇十字団員ロバート・フラッド〔一五七四 ― 一六三七。イギリスの医師・神智学者。『薔薇十字団弁護論』を著した〕の場合、大家たちは選ばれたる者の「隠れた教会」を形づくり、それは歴史のさまざまな時代に異なった姿をとってあらわれるものと考えられている。俗衆に知られず、しかも神的な能力を賦与されたこれらの《不可視者》、《不死の人》は、「秘伝」を受託して守る人々である(第九章および補遺三を参照)。なお、この教説は以後独特の運命をたどることとなる。十八世紀には、サン・ジェルマン伯〔一七〇七頃 ― 一七八四。生国不詳。一七五〇年フランスの宮廷にあらわれて、恐るべき博識多才で人々を驚かせ、霊薬による「不死の人」と噂された〕とカリオストロ〔一七四三 ― 一七九五。イタリアの医師で、隠秘学者。フリーメーソンに関係し、ルイ十六世の宮廷でもてはやされた〕がそれを引きあいに出すが、こうした考え方は現代の多くの秘教的著作の中でもやはり述べられているのである。

二 錬金術文学
1 秘教
 錬金術師は素人の眼から「大いなる作業」の秘密を隠そうと努めたし、その秘密の哲学についても同様であった。いったい、なぜであろうか。身の安全のためだとよく言われてきたが、実際には、この教説は俗衆に知られてならぬ秘伝を隠すため、故意に秘教の形態を取ったのである。ロージャー・ベーコン〔一二一四 ― 一二九四。イギリスのフランシスコ派修道僧で、中世最大の実験科学者の一人〕は『オプス・テルチウム』Opus tertiumで次のように書いている。《秘密が明かされると、その力は減少する。民衆は秘密などまったく理解することができない。彼らはそれを卑俗な用途にもちい、その価値をすっかり下落させてしまうだろう。あざみを食って喜んでいる驢馬にレタスをやるのは、ばかな話である。また悪人どもが「秘法」を知ったら、奴らはそれを悪用して世の中を引っくり返してしまうにちがいない。私は神の御心にも「学問」の利益にも反するわけにいかない。だから私は秘密について、誰にでもわかるような形では書かないことにする》。要するに、好奇心ばかり強い連中の出鼻を挫くやり方なのだ。《実験室の入口には、常に、燃える剣で武装した歩哨が立って、訪れ来る者を片っ端から検問し、中に入る資格のない者を追い返さねばならない(1)》。フィラレテス〔セリグマン『魔法』によれば、十七世紀の錬金術作家で、『すべての光のなかの光』で、「賢者の石」を求めてさまよった地下世界のことを寓意的に語っているという〕のいわゆる《閉ざされた王宮》に入る資格のある人間はきわめて少ない、と達人たちは言う。したがって、目標を神秘の象徴の下に隠さねばならない。錬金術師はそのことに完全に成功したのである。如何なる錬金術文書にせよ、錬金術理論の知識の支えとして主要な象徴記号の鍵を握っていなければ、絶対に理解できないのである(第三節を参照)。
 さて次に私は、錬金術文学の一種の財産目録を作ってみよう。それは中世のみならず、近代にも及ばなければならない。なぜなら、この種の著作は十八世紀の末に至るまで、いやもっと後までもなお大量に生み出されたからである。
(1) Madathanus, Aureum seculum redivivum(マダタヌス『蘇った黄金時代』)。

2 炼金术作品
 欧洲流传至今的炼金术著作数量之多,可以在短时间内填满一个大型图书馆。 这些卷帙浩繁的作品可以分为两类。 第一种,是将阿拉伯文书籍翻译成拉丁文的作品。 最早约出现在十一世纪的西欧,其中很多语句是逐字逐句借用希腊炼金术士的。第二部种,是西方炼金术士写的拉丁语原创作品,后来才用俗语出版。 这类文字自十三世纪以来不断增加。 它们的形式往往是含有韵文的散文,其中赫尔墨斯哲学对诗歌的影响十分巨大。如今大量作品已经失传,但如琼尼斯·格拉斯(Jonnes Grasseus)、尼古拉斯·萨尔蒙德(Nicolas Salmon)、伊莱亚斯·阿什莫尔(Elias Ashmole)这样的学者曾经努力将最有代表性的作品汇编在一起。此外,欧洲所有的图书馆中都有许多手稿尚未出版。 其中即便是最雄辩的作品,也努力通过大量抽象符号来确保内容足够深奥。例如,"我的孩子,首先要把你的知识之石当作药"这样晦涩的谜语,就常常出现在炼金术作品之中。这种手段是为了让玄学变得更加安全、毕竟操作有一定的秩序,自己考究反而会起纠纷。 此外,大部分著作并不实用,实际讨论的是赫尔墨斯的所有学说。

  比如阿诺德•诺瓦的《哲学家的蔷薇树》の冒頭における次の個所など、「神性」への呼びかけとしての手近な一例である。《我らの心は、我らが「彼」に帰一するまで安らわず、何となれば、諸元素のすぐれたる本質は星辰の上なるこの「火」に向かいて昇り行くゆえなり。されば、「彼」より出で来たりし我らが、万象の唯一の源泉たる「彼」に帰り行かんと熱望するはむべなるかな》(ガンツェンミュラーの引用に拠る)。それに挿画が入って本文の理解を助ける。錬金術関係の著作には、実験器具の精密きわまる図解と並んで、たとえば男性的原理と女性的原理との結合を表わすヘルマプロディートス(両性具有神)のような象徴が、数多く描かれているのである。十五世紀以後、こうした象徴図はいよいよ殖ふえ、また複雑になっていく。かくてそれは、きわめて多様なさまざまの要素を同じイメージにまとめることによって、一つの理論をそっくりそのまま自分の中に要約する真の五芒星形〔五つの尖端を持つ星形で、呪符としてさまざまの魔術的効力を有するとされた〕と化する。本文の理解を助け、またときにはまがうことない芸術的価値も有するこれらの風変わりな版画は、バシリウス・ヴァレンティヌス〔十五世紀頃の錬金術師。アルザス生まれとも言われるが、詳細不明。「強力な王」を意味するその名は、錬金術の大家であることを寓意的に示している。第四章第三節を参照〕の『十二の鍵』Douze Clefs H・クンラート〔一五六〇 ― 一六〇五ドイツの錬金術師〕の『永遠の知恵の円形劇場』Amphitheatrum Sapientiae aeternaeマイヤー〔一五六八 ― 一六二二ドイツの錬金術師〕やフラッドの著作などの中にとくに多い。
(1) Geber, Summa(ゲーベル〔ジーベル〕『大全』)。

3 寓意的象徴図
 也有几本只由符号图像组成的书。 例如,"沉默之书",其中的一系列雕刻解释了炼金过程的每一步,没有一个字,尼古拉-弗拉梅尔注释的 "犹太人亚伯拉罕的象征",以及 "大玫瑰园"。 著名的 "吉卜赛塔罗牌",是西方神秘物品中最奇特的一种,也可以列入其中。 约130-1418年。 据说他在梦中得到了炼金术书的启示,经过长时间的寻找和研究,他得到了哲学家之石。

象徴的なイメージだけで成り立っている書物もいくつかある。たとえば、一連の版画だけで錬金術作業の各段階を説明し言葉は一言も書かれていない『沈黙の書』ニコラ・フラメル〔一三三〇頃 ― 一四一八。夢に錬金術の書物を啓示され、長い探求と研鑚の末、賢者の石を得たと伝えられる〕が注釈をつけた『ユダヤ人アブラハムの象徴図』それに『大いなる薔薇園』など。西欧における秘教的性格を持ったもののうち、最も珍奇なものの一つである有名な「ジプシーのタロット・カード」も、同じ範疇に入れてよい。

4 タロット
 ―― ジプシー(ツィンガリ)が西ヨーロッパに入ってきたのは、ふつう十四世紀末と見られている。ジプシーの秘教は、種々さまざまなもの(占い、透視、魔術などの技術、おそらくインド起源の神話風な物語等々)を西欧にもたらしたが、それはまたヘルメス学の伝統をも同化したように思われる。この伝統は一冊の象徴的《書物》に凝縮されており、これがすなわち「タロット」で、トートの書〔トートは古代エジプトにおける冥府の裁判の書記で、死者の行為に対する冥府神オシリスの判決を書きとめる役割を持っていた。ギリシア人は、トートを呪術と筆写と話し言葉の神聖な発明者として、ヘルメスと同一視した〕とも呼ばれる。タロットは、単なる占いの道具ではなく、ヘルメス哲学のいわば具体的要約物でもある。それは七十八枚の《薄片(カード)》lames(二十二枚の《大》カードと五十六枚の《小》カードに分かれる)を含んでいる。二十二枚の大カードを一定の順序で並べると、「混沌」、「創造の火」、原初の単一質料の四元素への分割等々、ヘルメス学の宇宙開闢論がそっくり得られる。同様に、太陽の神学、天啓による認識(《女教皇》によって象徴される)、共感と反撥、性的二元論、悪と失墜も、そこに見いだすことができるのである。ひどく謎めいた起源を持つこれら風変わりな象徴図の中に、大いなる秘密の数々をふたたび見いだすことも可能であろう(1)。
(1) Auriger, L'alchimie devant le Tarot, in Le voile d'Isis, 1928, p. 563-583(オーリジェ『タロットを前にした錬金術』)を参照。

5 錬金術的彫刻
 ―― 最後に、錬金術師は、自分の教義と実地の方法を述べるのに造形芸術を利用した。(とくに本書巻末の書誌に引用されたフルカネルリの著作を見よ。)中世(またはルネサンス)の或る住居(ブールジュのジャック・クールの家)や、若干の宗教的建造物(パリのノートル・ダム寺院のサン・マルセルの入口(ボルタイユ),ニコラ・フラメルが建てたサン・ジャックの塔など)には、象徴的彫刻が多数施されている。

三 錬金術の象徴体系
 達人たちは、彼らの秘法を俗衆の眼から隠すために、中世を通じて一つの「象徴体系」を作りあげ、以後の錬金術師は、現代のはじめに至るまで絶えずそれを用いてきた。一般の偏見にもかかわらず、この象徴体系はけっして勝手気ままなものではない。それは何世紀もの長いあいだ、一定不変だったのである。以下その大要を手短かに見てみよう。
1 記号

 ―― 各種の様式化された象形文字に似たいわゆる記号は、すでにギリシアの錬金術師に知られており、中世における達人たちや後代の継承者たちにそのまま伝えられた。クンラート著『錬金術師たちの自然の混沌に関する告白』Confessio de chao physico chimicorumのように、ほとんど全部が記号だけで書かれている論文もある。 ―― ジョン・ディー〔一五二七 ― 一六〇八。イギリスの学者で、錬金術・占星術・魔法などに詳しかった〕は、その『象形文字の単子』Monade hiéroglyphiqueの中で、こうした錬金術の記号の助けを借りて一つの形而上学を樹立しようと試みた。たとえば、太陽の記号は「単子(モナド)」〔はじめピタゴラス学派が用い、プラトンにも見られる概念。十二世紀の新プラトン学派は神を指すのにこの語を用い、ブルーノ、ヘルモントらは、これを宇宙を構成する物的・心的要素と解した。これを根本原理とした形而上学を樹立したのがライプニッツである〕をあらわし、それは点で表現されて、その周囲の輪はこの世界を象徴する、という具合である。

2 象徴
 ―― 達人たちが用いた象徴は数多く、しかもきわめて多様であった。次に掲げるのは最もよく使用されたものである。
鷲…………………………气化。炼金中用到的酸、大气。
獅子を喰う鷲=揮発物による不揮発物の気化。
動物………………………(1)同种异性动物(如公狮母狮、公狗母狗等)=炼金中准备的硫磺与水银、或不挥发物与挥发物(公=硫黄、不挥发原质。母=水銀、挥发性原质) ―― これらの動物が和合している時=結合、争っている時=揮発物の凝固または不揮発物の気化。
(2)地上の動物―空中の動物=不揮発物と揮発物。
アポロン…………………《太陽》を見よ。
樹…………………………(1)月のなる樹=小錬金薬
(2)太陽のなる樹=大錬金薬〔小錬金薬・大錬金薬は、それぞれ銀および金を得るための霊薬をいう〕。
バッカス…………………「石」の材料。
沐浴………………………(1)黄金と銀の溶解。
(2)右の二つの金属の純化。
正方形……………………四大元素。
混沌………………………未分化的第一质料。
部屋………………………哲学之卵。
有空洞的柏树……………アタノール(錬金炉)。
犬…………………………硫黄、黄金。
狼に喰われる犬=アンチモンによる黄金の純化。
キリスト…………………「賢者の石」。
圆周………………………物质的原一性。
乌鸦………………………炼金中加热物质时呈现的黑色。
王冠………………………金属的完善化(变为黄金的金属)。
白鸟………………………白色。
ディアーナ………………《月》を見よ。
龍…………………………焰の中の龍=火。
互相争斗的龙=腐敗。

フラメルの龍=無翼(=不揮発物)、有翼(=揮発性原質)。

子供………………………王の緋衣を着、または王冠をつけている=「賢者の石」。
剣、鎌……………………火。
花々………………………「錬金作業」の各種の色。
泉…………………………《沐浴》を見よ。
穀粒………………………「賢者の石」の材料。
ヘルマプロディートス…結合後の「硫黄」と「水銀」。
男と女……………………「硫黄」と「水銀」。
結婚している場合=結合。
墓に閉じこめられている場合=「哲学の卵」の中の「硫黄」と「水銀」。
木星(ユピテル)………錫。
緑の獅子…………………緑礬(硫酸鉄)。
狼…………………………アンチモン。
月…………………………女性的原理、揮発物。「錬金作業」のために準備された銀。
結婚………………………硫磺与水銀的结合。
火星(マルス)…………鉄。
海神(ネプトゥヌス)…水。
飞向空中的鸟……………气化、升华。

落到地上的鸟……………沉淀、凝固。
地上の動物に対比された場合=空気。
ペリカン…………………「賢者の石」。
不死鳥……………………「石」の赤い色。
牢獄………………………「哲学の卵」。
レビス〔本訳書113ページを参照〕………ヘルマプロディートスと同義。
王と王妃…………………「男」と「女」を見よ。
薔薇………………………赤色。
火とかげ…………………火。
土星(サトゥルヌス)…鉛。
墓…………………………「哲学の卵」。
蛇…………………………三匹の蛇=三原質。
有翼蛇=揮発性原質 ―― 無翼蛇=不揮発性原質。
十字架につけられた蛇=揮発物の凝固。
自分の尾を嚙んでいる蛇(ウロボロス)=物質の原一性。
太陽………………………「錬金作業」のために準備された黄金。
金星(ウェヌス)………銅。
 錬金術師は、観念をさらにうまく隠すため、字謎(アナグラム)単語の綴り字の順序をかえて別の語にしたもの〕、なぞ、折句(アクロスチツシユ)〔詩の各行の最初の文字を縦に読んで行くと、或る謎ときの鍵語になるよう仕組んだもの〕を用いる。たとえば賢者の石は「アゾート」Azothという語で示されるが、これは、どのアルファベットでも等しく最初にくる文字(A)に、ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語のそれぞれ最後の文字を加えて作られたものである ―― その意味するところは、賢者の石があらゆる物体のはじめであり終わりである、ということである。

3 寓意と神話
 実験操作を人眼から隠すため、達人たちは神話のさまざまな物語に頼った。(その逆方式さえ行なわれ、若干の著作家は、ホメロスやオウィディウスやウェルギリウスに錬金術風の解釈を施した。)よく用いられたのは、みずからの灰の中から蘇生する「不死鳥」の伝説である。だが錬金術師は、自分で寓意を作り出すことも辞さなかった。次は『小農夫の手箱』Cassette du petit paysanというドイツの本から抜いてきた一例であり(1) ―― 錬金作業の間に物質が取る色彩を象徴するものである。《さて、旅行に出かけた私が、二つの山の中間にさしかかったところ、そこにはみごとな一人の農夫がいた。その物腰はどっしりとして謙虚、灰色の外套を着、帽子には黒い紐をつけ、白い肩掛けを羽織り、黄色い革のベルトをしめ、赤い長靴をはいていた》(傍点筆者)。
(1) Poisson, Théories et symboles des alchimistes(ポワソン『錬金術師の理論と象徴』)四六 ― 四七ページに引用。

4 暗号
 錬金術師はしばしば暗号を用いたが、それには文字を利用するもの(ライムンドゥス・ルルス〔一二三五 ― 一三一五。カタロニア生まれの神学者。フランス名レイモン・リユル。アラビア語の知識が深く、各種神秘思想をきわめ、キリスト教の布教にも努力した。錬金術にもくわしかったと伝えられる〕)、文字と数字を混用するもの、逆さ書き、奇妙な符号だけから成るアルファベット(トリテミウス〔一四六二 ― 一五一六。ドイツ名トリトハイム。神学者・歴史家。五十二巻の著作を残した〕)などがあった。 ―― 若干の著作者は音楽に助力をもとめ、音と物質の反応とを対応関係に置こうと試みた。そのうち、薔薇十字団に属する達人だったミハエル・マイヤーが有名である(彼の試みは、シラノ・ド・ベルジュラックによって『月世界の諸国と諸地方の愉快な物語』Histoire comique des Etats et Empires de la Luneの中でまた取り上げられている)。

5 錬金術と宗教
 ―― 達人たちは複雑な宗教的類比関係(アナロジー)を張りめぐらし、一種の自然崇拝を取りもどした。ルルスはその著『理論』Théorieで書いている、《「自然」は、受胎・懐妊・分娩に一定の時を定めた。同様に錬金術師も、第一質料を受胎せしめた後、出生の時期を待たねばならない。「石」が生まれたら、それが強い火に耐えられるようになるまで、子供を育てるように「石」を育てねばならない》と。錬金術師は、一粒の麦もし死なずば実りをもたらすことなからんという福音書の文句に多くの注解を施したが、彼らの解釈によると、この文句は、小麦が地中で腐らなければならないように、「石」の物質は腐敗の過程を通らなければならないことを意味しているのである。こうして錬金術は、宗教の領域を我がものとして付け加えた。リプレイやニュイズマンのように、福音書そのものを錬金術的に解釈した著述家さえいた。たとえばジョージ・リプレイは、『十二の扉の書』Livre des douze portesの中でこう書いている、《この世界と「石」とは、双方とも不定形な物質の総体から生まれ出た。反逆天使リュシフェールの失墜は、原罪と並んで、卑金属の堕落を象徴するものである》と。キリスト教に属する達人たちは、彼らの「秘法」を、通常のキリスト教に立ちまさった一種の秘教的宗教たらしめようとした。彼らは好んでキリストを賢者の石にたとえるが、それは「石」が、自分自身を再生させることのできる窮極原因と同一視され、神の御言葉と同様自力で受胎し生まれるからである。「アルス・マグナ」は、救世主の受難に借りた比喩をふやし、ついに真のグノーシス説となるのである(第九章参照)。中世期の達人たち、およびルネサンスと古典時代におけるその後裔の間の手短かな渉猟を、私は右に見た錬金術の象徴体系の簡単な概要で終わりたいと思う。この象徴体系は、もしそれ相当に取り上げようとすれば、古代のさまざまな変わった象徴に限っても、優に一巻の書物を必要とするであろう。たとえばグノーシス派の「ウロボロス」、すなわちわれとわが尻尾を嚙む蛇がそうで、これは、《一つの全体者》en tô panなる定式をみずからの中心に封じこめようとするものであり、宇宙の全一性と「変成作業」との象徴、はじめも終わりも持たぬものなのである……(1)。だが、ここで私は少し歴史に触れ、錬金術の諸起源と主な発展段階とを調べてみなければならない。
(1) 錬金術の象徴体系の研究をさらに進めるには、次の書物を参照されたい。Eugène Canseliet, L'alchimie et son Livre Muet, Paris, Pauvert, 1967(ユージェーヌ・カンスリエ『錬金術とその「沈黙の書」』)―Michel MAïER, Atalante fugitive (1618), édition Etienne Perrot, Paris, Librairie Médicis, 1969(ミハエル・マイヤー『逃げるアタランテー』エチエンヌ・ペロー版 ―Basile Valentin, Les Douze Clés de la philosophie, édition Canseliet, Paris, Editions de Minuit, 1956(バシリウス・ヴァレンティヌス『哲学の十二の鍵』カンスリエ版)。

第三章 炼金术的起源
1 咒术
 炼金术大师们普遍认为炼金术起源于诅咒。帕诺波利斯的佐西莫斯写到," 旧约告诉我们,被人类女性的爱所攫取的天使降临到人间,向她们传授造化的奥妙。 正因如此,天使们被赶出了天界,被判处永久流放人间。这种交合造就了巨人种族的诞生。天使们传授各种技艺的书籍被称为 "切玛(Chêma)",这个名字也特别适用于炼金术”。这个传说可能受到创世纪第六章的《以诺书6:2》,即"神的儿子们看见人的女子美貌,就随意挑选,娶来为妻"这一段落的影响。这种将知识视为不虔诚和受诅咒的观念,与圣经中智慧树的果实使人类堕落的古老神话相呼应。佐西莫斯接着讲述了这种最初只有埃及祭司才知道的圣术,后来是如何通过欺骗手段向犹太人揭示,然后被犹太人传播到世界各地的。

2 ヘルメス・トリスメギストス
 ―― 錬金術師は、しばしば守護神を立てることを好んだ。すなわちヘルメス・トリスメギストスがそれで、この名は《三重に偉大なる者》を意味し、もろもろの学問知識と技術との始祖と考えられていた(錬金術がヘルメスの術とも呼ばれるのは、守護神として立てられたこのヘルメスの名に因んだものである)。ギリシア人がヘルメスと同一視したエジプトの神トートは、神々の記録係であり、叡智の神であった。トート・ヘルメスは、伝統の保持者にして伝達者であり、《古代エジプトの神官職を代表する者、というよりむしろ人間を越えた神来の知恵の根源を代表する者であり、神官たちはこの根源から己が権能を授かって、その名において秘伝的知識を口にし伝えるのであった》(R・ゲノン)。錬金術師は、往々ヘルメスを一個の人間、古代の王、学問知識とアルファベットを創始した最初の学者と見なしていた、ということも指摘しておかねばならない。

二 心理的源泉
 像所有的深奥学说一样,炼金术回应了人类精神的某些欲望,而这些倾向是不会永远消失的,并且它对应于某些传统的思想结构。由此,就有可能从心理学上研究炼金术的符号系统。是流传了几千年的宗教神话的遗产,性别二元论,在炼金文学中却发生了极端的变化。例子如下:
男 女
精液 月経
能動 受動
形相 質料
魂 肉体
火 水
熱―乾 冷―湿
硫黄 水銀
黄金 銀
太陽 月
酵母 たねなし揑粉
 あらゆる対立が、男性―女性という根本的対立を軸として秩序づけられる。たとえば錬金作業は、男性的要素たる「硫黄」と女性的要素たる「水銀」との結合である。著作家たちはみな、男女の結合と生殖との用語から借りた対比をふやしていっている(第五章および第六章を参照)。 しかしながら、錬金術を、同種のあらゆる観念と同じく性的本能の過度の進に帰着せしめるとすれば、それはあまりにも手軽な解釈というべきであろう。こうした古来のシンボルは、錬金術の達人たちの間で大きな役割を果たしている火のシンボルと同様(錬金術師を指すのに用いられる《火による哲学者》philosophus per ignemという言い方を参照)、もともと伝統的な由来を持つものであり、だからこそ、とりわけ「アルス・マグナ」に関して、その象徴体系の深い意味を再発見し、いわば錬金術的図像の現象学を考える可能性が生じるわけである。C・G・ユングがその著『心理学と錬金術』Psychologie et Alchimie(一九四四年)で試みたのがそれであり、彼はそこで錬金術関係の古い著述から取った多くの図版を用いて、それが幻視や夢と驚くほど類似していることを示している。錬金術は、物質の暗黒界に落ちこんだ永遠なる光の火花を解放するための救済術と見なされるのである。《キリスト教徒の仕事Opusは、救い主たる神の栄光のために、解放される必要のある人々の従事することoperariであったが、錬金術の作業Opusは、物質の中で眠りながら解放されるのを待っている神的・宇宙的魂を救済しようと専心する人間の努力であった(1)》。ここにもわれわれは、例の「アルス・マグナ」の窮極目標と、「神性」そのものの救済者たらんとする達人の法外な野心とを見ることができるのである(第一章および第九章を参照)。
(1) Ouvr. cit., p. 637, trad. par J. Jacobi, La psychologie de Jung, Neuchâtel et Paris, 1950(J・ヤコビ訳による前掲書、『ユングの心理学』)六三七ページ。

三 歴史的起源
1 東洋の錬金術とギリシアの錬金術
 ―― 東洋は錬金術を知った。われわれは東洋で、この超宇宙的な解放への衝動がしばしば非常に違った言語で語られているのを見ることができる。
 伝説によれば、中国人は、すでに西暦前四五〇〇年から錬金術を営んでいたといわれる。だが、とりわけ西暦三世紀頃からこの種のさまざまな探究を生み出したのは、老子(前六〇〇年頃)を開祖と称する教義、すなわち道教である。道教は、互いに相補う二つの異なった原理をたてる。一つは男性的原理としての陽で、これは光・熱・能動性であり、その主たる根拠を太陽に持つ、 ―― もう一つは女性的原理としての陰で、これは闇・冷・受動性であり、大地にその根拠を置く。そして、すべては右の両原理の争いと結合によって説明されるのである。すなわち、まず気があり、これはいわば大気に似た微細な一種の精気で、あらゆる存在がこれに生命を負っている。ついで、陰と陽との相互作用が五元素(水、火、木、金属、土)を生み、この五元素が「自然」の万物を形づくるのである。以上を論理的前提として、中国の錬金術師はきわめて複雑な実験操作を編み出したが、それは「錬丹」〔賢者の石の中国式の呼び方〕と「不老不死」との獲得を目的とし、万物を窮極の完成にまで高めようとするものであった(1)。

インドも錬金術研究を知ったが、これは(ヒンズー教および仏教の流れを汲む)タントラ教〔女神の性力を崇拝する聖典『タントラ』にもとづいた宗教で、九世紀頃始まり、秘教的・魔術的要素を持つ〕に属する種々の隠秘学的教義の一つを構成するものである。右のような東洋の錬金術と、われわれにもっと身近なそれとの間の歴史的な関係は、まだよくわかっていない。私がここでもっぱら取り上げるのは西欧の錬金術である。なぜなら、それはヨーロッパ思想史の中できわめて重要な役割を果たしたからであり、また、そのほうが専門家には研究しやすいからである。すなわち、錬金術が形成されたのは、西暦の初めの数世紀、エジプトとくにアレクサンドリアにおいてであって、そこにはヘレニズム時代の哲学的・宗教的な諸説混淆思想の影響が、医師や冶金術師の持つ実用的知識と結びついて働いていた。これがビザンチンへ、ついでアラビアへと伝わったのである。
 ギリシアにおける錬金術の遠い起源を探るのはむずかしい。というのも、ローマ帝国末期以前には、概して信頼の置ける証言がきわめて少ないからである。錬金術に関する公式の言及は、ディオクレティアヌス帝治下〔二八四年から三〇五年まで〕になってはじめてあらわれる。帝は、黄金や銀の製法を扱ったエジプトの書物をことごとく破棄することを、勅令で命じたのである。しかし、各種テキストを研究してみると、西暦四世紀より以前に遡って、錬金術の形成に与ったさまざまの影響を調べることができるのである。
(1) K. M. Schipper, L'empereur Wou des Han dans la légende taoïste, Paris, Maisonneuve, 1965(K・M・シッパー『道教伝説における漢の武帝』) ―― および、H・マスペロの各著作を参照。

2.埃及
 埃及祭司的深奥知识一直被欧洲炼金术士视为圣术的起源。 在亚历山大港的炼金术士中,发现了古埃及宗教学说的一些特征。 然而,这种影响似乎被埋没在大量的希腊主义思想中,要提取它是相当困难的。

3.迦勒底和伊朗
 ―― バビロニアは、隠秘学に多少とも関係のあるものすべてにおいて、主役を演じた文明の一つである。これについては、『アジア思想と占星生物学(1)』におけるルネ・ベルトロの次の言葉を引用しておくのが一番いい。《人類の最初の科学は、最初の冶金術とくに一定の割合による合金(なかでも青銅)製造術と、最初の釉薬および織布染色術、そして天秤の使用とともに生まれた。ところがカルデア人〔もともと後期バビロニア人を指すが、もっと一般には古いバビロニアの文化・歴史を受けついだ人々を指す〕は、こういう技術を、化学実験の日取りに関する(つまりこの日取りを決定する星辰の位置に関する)占星術理論と結びつけた……のちに、ローマ帝国時代に至って、数学者という言葉が占星術師と同義語になったのは偶然ではなく、また、その時代以来、錬金術と占星術とが常に相互に結びつけられ、さらにこの両者がギリシア人のいわゆる小宇宙(ミクロコスモス)と大宇宙(マクロコスモス)、すなわち個体の構造と宇宙そのもの ―― 天と地とが形作る宇宙的構造との間の交感という理念に結びつけられたのも、偶然ではない。》
 錬金術では、「原初人間(2)」に関する若干数の神話・伝説が繰り返し語られるが、これはイラン起源であり、この「原初人間」が死んで肢体がばらばらにされるところから各種金属が生じた、と考えられたのである。
(1) René Berthelot, La pensée de l'Asie et l'Astrobiologie, Paris, Payot, 1938.
(2) これはカバラ学者におけるアダム・カドモンである。

4 希伯来以及び希腊起源
 炼金术著作中也有一些希伯来的传说(见《以诺书》和其他犹太教的异端文献)。 就纯希腊起源的学说而言,炼金术士们借鉴了所有希腊哲学(前苏格拉底哲学、斯多葛哲学等),但其中大部分是以亚历山大的新柏拉图学派和各种赫尔墨斯思想家为中介的。

5 異教およびキリスト教系のグノーシス諸派
 ―― ギリシアの錬金術は西暦三世紀に形成されたようである。これは混沌とした興味ある時代で、ありとあらゆる教義が、同時に救霊と純粋さと天啓による認識(真知+グノーシス)とを熱烈に求め、時代の感受性の同じ基本的傾向にとっぷりと浸されていた。A-D・ノックは、この傾向の特徴を次のように語っている。《確信と天啓への欲求、秘教への好み、抽象癖、霊魂とその救いに対する関心、世界を霊魂の運命との関連のもとに考え、霊魂の運命を世界との関連のもとに考えようとする傾向。かかる人は鏡の中をおぼろげにのぞきこんで、そこに自己自身の姿を見、そして、己れの姿を見ることのできぬ大多数の人間と自分が異なる所以をきわめてはっきり自覚していた。》
 異教的グノーシスの特殊形態たるいわゆる「ヘルメス思想」Hermétismeは、さまざまな主題(占星術その他の隠秘学、哲学-宗教的諸教義など)に捧げられた多岐多様な文学を含んでいたが、それらの主題は、きまって発見ではなく天啓として語られている。《エジプトの諸信仰がギリシア文化の枠内に入ってその影響を受けた時にも、トート神は伝統的な役割を失わず、ギリシア語による一つの新しい文学がトート・ヘルメスの名のもとに展開された》と、ノックは書いている。すでに紀元後二世紀から、錬金術文書はおびただしい数にのぼり、ヘルメスが書いたとされる書物の数は、新プラトン学派のヤンブリコス〔二五〇頃 ― 三三〇。ギリシアの哲学者。プラトンやピタゴラスのほか、バビロニア・エジプトの思想を研究し、秘教的傾向が強かった〕が(「密儀」に関するその著述の中で)言うところでは二万巻以上になる。卜占術関係の著述のうち、われわれに伝えられているもののなかで、『ヘルメス全書』Corpus Hermeticumというコレクションにまとめられている一連の哲学-宗教的著作がある。これは、神話に登場する神々(ヘルメス、イシス〔古代エジプトの女神。医薬・農耕・結婚の神。オシリスの妹でその配偶者〕、ホルス〔古代エジプトの太陽神でイシスの子ともされる〕など)が、神の本性について、世界の起源について、人間の創造と堕落について、唯一の救済手段としての神的啓示について、相互にかわす一連の対話である。これらの著作、とりわけ『ポイマンドレス』(あるいは『ピュマンドレス』)には、十七世紀に至るまで絶えず新たな注釈がつけられた。この点で、この種の文学と中世およびルネサンスの「ヘルメス哲学」との関連が問題になるわけである(第四章第三節および第五章を参照)。「アレクサンドリア学派」の教義である新プラトン主義も、錬金術の形成に重要な影響を与えた。さらにヘルメス思想と密儀宗教の影響を受けた後代の新プラトン主義は、いわゆる哲学というより異教的グノーシス思想の観を呈していた。
 アレクサンドリアでひろまったキリスト教的グノーシス説について言えば、それはきわめて重要な役割を果たした。それに、錬金術はグノーシス思想家の複雑な形式にならい、壮麗でこみ入った寓意画を通じて、弟子たちを、宇宙の秘密や世界の本質とその窮極目的や、「神性」のあらわれや、「善」「悪」両原理の永遠の闘争に通暁させようと試みたのである。のみならず、象徴と寓意のヴェールのもとに隠された哲学的・宗教的理論のほんとうの意味を教えるグノーシス説と、一種の教理として物質の隠れた性質をどこまでも認識し、それを象徴によってあらわす錬金術との間には、深い類似関係がある。錬金術師は、グノーシス派の諸象徴とくにあの有名な「ウロボロス」(われとわが尾を嚙む蛇)を、ふんだんに利用した。宝石や護符に刻まれたそれを、現に国立図書館が所蔵しているのである(たとえば、ナアッセネス派またはオピテス派の名で知られる宗派がそれで、彼らは、存在するものすべてを包み被造世界を閉じこめる「世界の魂」の象徴たる蛇を崇拝した)。ギリシアの錬金術は、烈しい精神的醱酵の時代にあらわれた。それは、着想は似ているけれども発現形態は異なったさまざまの影響と傾向とが協力して作り出したものであり、エジプトの実用的技術とギリシアの哲学、東洋の諸教理とアレクサンドリアの神秘主義とを総合した厖大な混成品、東洋とギリシアとユダヤ教とキリスト教の各要素の驚くべき混合物の観を呈している。A・ウイが指摘しているとおり、錬金術師は《いわばアレクサンドリアの住民像》だったのである。

第四章 錬金術発展の諸段階
一 アレクサンドリアとビザンチウム
1 ギリシアの錬金術文献
 ―― 西欧の錬金術は、ギリシア・カルデア・エジプトおよびユダヤの各地の思弁と実験が、アレクサンドリアで総合されて発展したように思われる。すなわちこの聖なる術は、とくに四世紀、エジプトとその周辺のローマ諸州において大きく伸長した。
 この期の錬金術文献は、みなギリシア語で書かれている。手稿はテキストの叢書の形をなし、その一番古いものも三世紀以前には遡らず、一番新しいものはビザンチン時代に属している。われわれは、これらのテキストを四つの範疇に分けることができる。
(1) ヘルメス、イシス、アガトダイモーン〔エジプトにおける農耕・牧畜の神クヌムのギリシア名。錬金術の開祖の一人とみなされた〕など、神話の神々の作とされる文書。
 (2) ケオプス〔エジプト名クフ。紀元前約二六〇〇年頃、古代エジプト第四王朝の二代目の王。ギゼー最大のピラミッドの建設者〕、アレクサンドロス、ヘラクリウス〔五七五頃 ― 六四一。カッパドキアに生まれ、近東一帯を征服してビザンチンの帝位についた〕など、著名な君主の作とされる文書。
 (3) プラトン、アリストテレス、ターレス、ヘラクレイトス、ゾロアスター、ピタゴラス、モーゼなど、著名な賢者の作とされる文書。
 (4) 最後に、ゾシモス、オリュンピオドロス〔五世紀、アレクサンドリアの哲学者。新プラトン主義とアリストテレス哲学を折衷した思想をたてた〕、シュネシオス〔三七〇頃 ― 四一五頃。ギリシアの弁論家・詩人・哲学者〕など、ほんとうの著者がわかっている著作。

2 アレクサンドリアの錬金術師
 ―― アレクサンドリアにおける錬金術の黄金時代は、三世紀末から五世紀初めに至る時期である。当初、それはまぎれもない聖なる術で、俗衆から隔離しておかねばならず、また、とりわけ四世紀末以来、この都市の聖職者当局の取締りがきびしくなるにつれて、錬金術固有の秘教思想も強化されざるを得なかった。
 アレクサンドリアの錬金術師たちは、所属する宗教はさまざま(キリスト教、ユダヤ教、異教)だが、実際は同じ極端な天啓思想を奉じ、似たような神智学の教理を信じていた。この時期には女性が大きな役割を演じたことをとくに指摘しておきたい。
 パノポリス生まれだがアレクサンドリアに住んだゾシモス(四世紀初め)は、ギリシアの錬金術師のうち最も知られ、《哲学者たちの王冠》と称せられた。彼は厖大な数の著作を書き、現に残っているものも多い。
 ユダヤ婦人のマリアは、おそらく四世紀の人物である。彼女はケロタキスkerotakisなるものを発明した。これは密閉した容器で、この中に銅その他の金属の薄片を入れ、種々の蒸気をあてて作用させるようになっていた。このやり方は、今日でも《バン-マリ》bain-marieの名で呼ばれている。エジプトの首都には他の女性錬金術師もいたが、そのうち最も有名なのはコプト婦人のクレオパトラと、ゾシモスの《ヘルメス的妹》たるテオセベイアである。シュネシオス(四世紀末)は、キレナイカ〔北アフリカ、現リビアの一部〕のプトレマイス市の有名な司教とたぶん同一人物である。この司教は、四一五年にアレクサンドリアのキリスト教下層民の手にかかって殺された女流新プラトン学者ヒュパティアの弟子であった。
 オリュンピオドロスは五世紀初めの人物である。彼は歴史家・哲学者で、アレクサンドリアの学院で教壇に立ち、言い伝えによればアッチラ王〔四三四 ― 四五三年の間、フン族の王として、西欧に侵攻した〕のもとに使節として派遣されたという(四一二年)。

3 ギリシアの錬金術の収支決算
 ―― 内容の点から見れば、右に挙げたアレクサンドリアの錬金術師たちの著作は、奇妙な混合物(アマルガム)といった格好で、そこには、宗教的恍惚の状態にあって見る数々の幻像を交えたきわめてグノーシス派的な理論と、器具や実験操作に関する細かな叙述と、加うるに、「術」の秘密を口外しないようにという読者に対する頻繁な禁止命令とが見られるのである。錬金術師は次の三種の操作を通じて「変成作業」を行なおうとする。これらの操作はそれぞれ別だが、平行して同時に行なわれるものである。
 ―― 「賢者の石」の発見による金属の黄金変成(クリュソペイア)または銀への変成(アルギュロペイア)。
 ―― 「万能薬パナケイア」の発見と、人間生命の無限延長。
 ―― 「神的本質」のうちにおける完全な「幸福」、世界の「魂」との一体化と、天なる「精霊」との交流。
 かくのごときがアレクサンドリアの錬金術だったように思われ、以後の発展は、結局、この基本的傾向を極端に多様化する道をたどったにすぎない。

4 ビザンチン
 ―― 錬金術はアレクサンドリアからビザンチンに渡り、ステパノスまたはガザのアエネアス(六世紀)〔ガザのアエネアスは四六〇頃 ― 五二〇年頃のアレクサンドリアの哲学者。ネオプラトニスムを学び、のちキリスト教に改宗〕のような人々が営々とこれを研究した。このヘルメスの術は、ヘラクリウス帝治下では公の支持に浴しさえした。その後、錬金術は多少とも迫害されたものの、ビザンチウムでは衰えなかった。十一世紀には、プラトン学派の哲学者ミカエル・プセルス〔一〇一八 ― 一〇七八。プラトン哲学の復興に力があり、歴史家としても著名である〕が、これをあらゆる秘教から解放された、実証的かつ合理的な術たらしめようと賭を試みることさえあったのである。ビザンチンの錬金術は他の地域に対しても著しく光彩を放ったが、それがキリスト教的西欧に達したのは、主としてアラビア人の仲介によるところが大きかった。

二 アラビア人
1 アラビアの錬金術
 ―― アラビア人は錬金術の領域で大きな役割を演じた。これは、錬金術=アルシミー、アルコール、蒸溜装置=アランビツク,錬金薬=エリクシールなど、達人たちによって用いられ、その後日常語となった多くのアラビア語が示しているとおりである〔これらの語が、その起源ないし語形からいってアラビア語に由来していることは、語頭のアラビア語定冠詞al-が示している〕。錬金術はかなりはやい時代からイスラム世界に入りこんだので、アラビア語で書かれたヘルメス学関係の著作がたくさん残っている。伝説では、七世紀前半にエジプトを治めたウマイヤ朝の王子ハーリド・イブン・ヤズィード(カリド)が、ローマ生まれのアレクサンドリア人である行者モリアン(マリアヌス) ―― この男はアドファルなるキリスト教徒の哲学者の弟子であった ―― の手引きで、聖なる術を学んだという。実際は、ギリシア語文書がアラビア人の手に渡るについて、その主役を演じたのは、アレクサンドリア文化をたっぷりと身につけたエジプトのコプト〔コプトは、言語としてはキリスト教に改宗後のエジプトの言語を指し、人種としてはエジプトの住民を、のちにはキリスト教に改宗したエジプトないしエチオピア人を指す〕系学者たちであった。錬金術が研究されたのは、とりわけ、グノーシス諸派と新プラトン学派との影響を強く受けたイスラムの神秘主義的諸教団においてである。そして、コーランを中心とする厳しい正統的立場を守る者が多くいたにもかかわらず、ギリシア渡来の教義と著作はアラビア世界に急速にひろがっていった。

三 ヨーロッパの錬金術
1 アラビア人から西欧への推移
 ―― 錬金術はアラビア人の手で東洋から西欧へ渡った。この移り行きは如何にして行なわれたのであろうか。
(1) アラビアの影響は、まずイスパニアを通って西欧に入りこんだ。コルドバを首都とする回教国は、アブドゥル・ラハマーン三世(九一二年 ― 九六一年)とアル・ハカム二世(九六一年 ― 九七六年)の治下で絶頂期を迎えたのである。数多い学校や図書館が開設され、地中海圏すべてから学生がやって来た。伝説では、のちにシルヴェステル二世の名で九九九年から一〇〇三年まで教皇となった修道僧ジェルベールが、ヨーロッパ人としてはじめてアラビアの錬金術の著作を知ったという。ただし、彼自身は何よりもまず神学者であり、数学者であった。
(2) しかし、西欧をアラビア文明と接触させ、東洋の学問に対する強い関心をかきたてたのは、何といっても十字軍である。東洋とイタリアとの中継地としてシチリアが果たした役割にも注目しておこう。占星術師のミカエル・スコットは、錬金術の理論をふんだんに開陳したその著『秘法について』De Secretis(一二〇九年)を、彼の主君であったホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世〔一一九七 ― 一二五〇年の間、シチリア王国を治めた〕に献じているのである。

錬金術は、十二世紀の中頃から西欧で流行し始めた。これは『賢者の一群』Turba philosophorumの名で知られる著作がアラビア語からラテン語に翻釈された時期である。これは作者不明の、まことに雑然とした晦渋な書物で、錬金術の語彙を定めるために哲学者たちが開いた一種の公会議のことを語ったものである。討論者はアナクシメネス、エンペドクレス、ソクラテス、クセノパネス、その他ギリシアの大思想家たちで、それがイクシディムス、パンドルフス、フリクテス、アクサボフェン……という風な奇妙なアラビア式名前に変えられている…… アラビア語からの翻訳書はしだいにその数を増し、十三世紀には、錬金術に対する真の文学的熱狂を巻き起こした。

2 中世のヘルメス思想、『エメラルド板』
 ―― 十二世紀以来、西欧ではヘルメスの手になるとされる一連の著作があらわれたが(1)、そのうち最もひろく知られているのが、かの有名な『エメラルド板』la Table d'Emeraude(ラテン語ではTabula smaragdina)で、中世このかた、あらゆる錬金術師がこれに注釈を加えて倦まなかった。本文はごく短く、次はその訳である(2)。
 《こは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて真正なり。唯一なるものの奇蹟の成就にあたりては、下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。》
 《万物が「一者」より来たり存するがごとく、万物はこの唯一なるものより適応によりて生ぜしなり。》
 《「太陽」はその父にして「月」はその母、風はそを己が胎内に宿し、「大地」はその乳母。万象の「テレーム」(テレスマTelesma《意志》)はそこにあり。》

《その力は「大地」の上に限りなし。》
 《汝は「大地」と「火」を、精妙なるものと粗大なるものを、ゆっくりと巧みに分離すべし。》
 《そは「大地」より「天」へのぼり、たちまちまたくだり、まされるものと劣れるものの力を取り集む。かくて汝は全世界の栄光を我がものとし、ゆえに暗きものはすべて汝より離れ去らん。》
 《そは万物のうち最強のもの。何となれば、そはあらゆる精妙なるものに打ち勝ち、あらゆる固体に滲透せん。》
 《かくて世界は創造されたるなり。》
 《かくのごときが、ここに指摘されし驚くべき適応の源なり。》
 《かくてわれは、「世界智」の三部分を有するがゆえに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれたり。「太陽」の働きにつきてわが述べしことに、欠けたるところなし。》
 通俗的な意味でまったく《難解な(エルメチツク)》〔「ヘルメス的」という形容詞は、ふつう「難解な」という意に用いられる〕この本文の中では、何もかも謎めいている。

―― その日付と出所。錬金術師たちは、『エメラルド板』の起源を伝説化した。彼らによれば、それはヘルメスみずからの手でエメラルドに刻まれ(エメラルド板の名がそこから由来する)、ヘルメスの墓地で発見されたという(これは秘教文学の昔ながらの筋書である。『薔薇十字団の伝説』Fama Fraternitatis Rosae Crucisと題された薔薇十字団の声明書で語られている、ローゼンクロイツ〔薔薇十字団の始祖とされる十五世紀ドイツの伝説的人物〕の墓所発見の話のことを考えていただきたい*)。十三世紀以来、手稿の状態でその文面が忠実に保持されてきたこのテキストの日付を定めようと、歴史家たちは苦心した。『エメラルド板』は、たぶんアラビア語のテキスト(十世紀?)の翻訳で、このアラビア語によるテキストはまた、はるかに古い(四世紀?)ギリシア語の原本による翻訳ではないかと思われる。

―― 扱われている主題そのもの。一見したところ、この奇怪なテキストは、冗慢な言葉の遊戯と錯乱にすぎないようにみえる。だが、ヘルメス学と錬金術に通じた者にとって、この風変わりな著作は実際にはまことに意味深長なのである。そこには、宇宙の全一性の教理や、天地のあらゆる部分の間の、そしてまた「天地創造」と「錬金作業」との間の、類比と交感の教理が見出される。これは、賢者の石の作り方に関して賢者たちのメルクリウス〔ヘルメス・トリスメギストスを指す〕が述べた言説なのである(第五章および第八章を参照)。
 ヘルメスの手になるとされる他の著作のうち、『二十四人の哲学者の書』Livre des XXIV Philosophesを挙げておきたい。これは十二世紀の偽書で、例の有名な神の定義、《中心が至る所にあって周辺がどこにもない円》が述べられているのは、この書物なのである。
(1) L. Thorndike, A History of Magic..., t. II, New-York, chap. XLV.(L・ソーンダイク『魔術の歴史』、第二巻、第四十五章)。
(2) Poisson, Cinq traités d'Alchimie(ポワソン『錬金術に関する五つの論考』)二―三ページによる。
* クリスチアン・ローゼンクロイツなる伝説的人物は、『ファーマ・フラテルニタティス……』によれば、一三八〇年にドイツに生まれ、一四八六年、百六歳で死んだが、その墓所は秘密とされ、誰にもわからなかった。ところが、それから百二十年後、つまり一六〇六年に、或る薔薇十字団員が埋葬所に通じる隠し戸を偶然発見したが、その入口の上に、「余は百二十年後にあらわれるであろう」という文句が彫られていたという。この発見は薔薇十字団の運動に絶大な刺激を与え、一六一四年に前記『ファーマ・フラテルニタティス……』があらわれた。(訳注)

3 十三世紀の錬金術師
 ―― 西欧で錬金術が一大発展を遂げたのは十三世紀である。この時代の著作家の中には、自然科学的分野への関心がカトリックの正統を守ろうとする真摯な配慮と結びついているのが、しばしば見られる。
 聖アルベルトゥス・マグヌス(一一九三年 ― 一二八〇年)は、実験科学の観点から錬金術に興味を持ち、その著作には数多い実証的事実が正確に述べられている。彼の弟子の聖トマス・アクィナス(一二二六年 ― 一二七四年)は、言い伝えとは逆に、この聖なる術を研究したことはなかった。しかし聖トマスは、錬金術が魔法の領域に近づかない限り、これを完全に合法的な学問とみなしていたのである(1)。
 ロージャー・ベーコン(一二一四年 ― 一二九四年)は、この時代における最大の科学者の一人であり、金属変成に関する実験的研究に多大の関心を寄せた。
 アヴィニヨンの教皇クレメンス五世の友人であった医師アルノー・ド・ヴィルヌーヴ(一二三五年 ― 一三一三年)とともに、錬金術はより哲学的な姿を見せる。アルノーは、おそらくカバラ〔ヘブライ語で「秘伝」「伝承」の意。旧約聖書の秘密の読解を中心とした神秘思想で、西欧の秘教の歴史に多大の役割を演じた〕から借用した「霊気」Spiritusなる観念を展開するが、これは、宇宙における星辰の影響を伝える媒質であり、またそれと類比的に、人間の小宇宙において魂と身体との仲介をつとめるものである(2)。言い伝えでは、《啓明博士》ライムンドゥス・ルルス(一二三五年 ― 一三一三年)は彼の弟子であった。マジョルカ島のパルマに生まれたこの風変わりな人物ルルスは、一生涯、己れの布教を通じて異教徒を回心せしめようという大計画を追求した。近年の歴史家の研究では、錬金術に関する彼の著作は偽書であるらしい。
 十三世紀を通じて、錬金術は、要するにローマ教会の普通の教えと完全に両立可能な、自然学としての外観をまとっていった。しかし、この期間中沸騰してやまなった天啓思想が、やがて達人たちの著作の中に侵入することとなったのである。
(1) Somme théologique(『神学大全』)II、第七十七問、第二項を参照。
(2) M. Haven, Arnauld de Villeneuve, Paris, 1986(アヴェン『アルノー・ド・ヴィルヌーヴ』)を参照。

4 十四世紀
 ―― 十四世紀には錬金術の著作が続々と書かれ、神智学的傾向がだんだん強くあらわれ始めた。すでに、ギヨーム・ド・ロリスとジャン・ド・マン〔ともに十三世紀フランスの詩人。前者は『薔薇物語』の第一部を、後者は第二部を書いた〕の手になるヘルメス的詩のまぎれもない傑作である『薔薇物語』Roman de la Roseは、象徴的な形式のもとに、賢者の石の発見と対応する神秘的変成術を称揚し、人間の魂はこの変成術により、数々の試煉を通じて奥儀の完全な静朗さに到達し得るとした。薔薇は神の「恩寵」と「石」とを同時にあらわしている。ダンテの『神曲(1)』にも、同様のキリスト教的秘教の傾向が見られる。
 この時代の最も目立った錬金術師としては、次のような人々が挙げられる。(フェラーラの)ペトルス・ボヌス、フランチェスコ会士ジャン・ド・ロックタイアッド(2)、マルタン・オルトラン(オルトゥラヌス)、ジョン・クレマー、それに、かの有名なニコラ・フラメル。
(1) E. Aroux, Dante hérétique..., Paris, 1939(E・アルー『異端の徒ダンテ……』)。
(2) J. Bignami-Odier, Etudes sur J. de R., Paris, Vrin, 1952(J・ビニヤミ=オディエ『J・ド・R・研究』)。

5 ニコラ・フラメルと「王者の術」
 ―― ポントワーズに生まれ、パリに住んで代書人となり、ついでパリ大学の正式の写字生となったフラメル(一三三〇年 ― 一四一八年)は、のち建築に身をささげ、とくにサン・ジャック・ド・ラ・ブーシュリ教会の再建に従事した(今日ではこの教会は鐘塔だけしか残っていない)。彼は、妻ペルネルの助力を得て二十四年の間暗中模索したあげく、ユダヤ人アブラハムなる人物の手稿を発見した。これは錬金作業を一連の図像であらわしたもので、フラメルは、イスパニアにはるばる旅行をした結果その秘密を解くこととなる(1)。ニコラ・フラメルは、まことに「王者の術」の巨匠であった。この「王者の術」は、次の十五世紀に大輪の花を開き、固有の意味での中世を閉じるのである。
(1) Léo Larguier, Nicolas Flamel, Paris,《J'ai lu》, 1969(レオ・ラルギエ『ニコラ・フラメル』)。

6 十五世紀
 ―― 錬金術が、まぎれもない天啓思想の一大教義としての姿を見せるのは、十五世紀である。さまざまの異端が簇生し、神智学と魔術の理論が全ヨーロッパにひろがったこの動乱期には、錬金術は一種の秘教となって、寓意的かつ神秘的な形の隠れ蓑をつけ、その天来の思想は一般民衆の信仰からひどくかけはなれていたように見える。この時代の著作の多くは筆者不明である。ただ、次のような幾人かの人物は十分注目に値する。すなわち、ヴァランシエンヌの町奉行ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ、オランダ人イサク、トレヴィソ伯ベルナルド(一四〇六年 ― 一四九〇年)、エック・フォン・ズルツバッハ、イギリス人ジョージ・リプレイ(一四五〇年 ― 一四九〇年)とトマス・ノートン……。

7 バシリウス・ヴァレンティヌス
 ―― 一四一三年頃エルフルトのベネディクト派修道院で暮らしたといわれるバシリウス・ヴァレンティヌスには、とくに言及しておかなければならない。彼の手稿は、言い伝えでは、エルフルトの教会にある一本の円柱が落雷で破壊された際に発見されたものだが、印刷に付されたのはようやく一六〇二年であった。こんな風だから、多くの歴史家は彼を仮空の人物とみなし、その著作はときとしてパラケルススより後代のものと考えられている…… ともあれ、これらの著作はきわめて興味津々たるもので、そこには、錬金術の最もグノーシス派的な観念があますところなく述べられている。また同様に、アンチモンのような新しい化学物質の叙述や、地中深く隠れている金属を発見するための占い杖の使用のような、数多い方法の用い方も見られる。バシリウス・ヴァレンティヌスの著作、とくに有名な『十二の鍵』には、珍しい象徴的図版が挿絵として入っている。

8 ルネサンス
 ―― 十六世紀になると、すでに近代的な意味における化学についての著作がいくつか出はじめる。たとえばゲオルク・アグリコラ(一四九四年 ― 一五五五年)は、自然科学的鉱物学の初期の論文の一つに数えられる『金属物質について』De Re Metallicaを編纂している(バーゼル、一五三〇年)。錬金術は最盛期に達し、白日のもとに姿をあらわしたカバラや魔術や神智学と結びつく。たとえば、マルシリオ・フィチーノ〔一四三三 ― 一四九九。トスカナ生まれの人文学者。プラトンやプロチノスの著作を翻訳し、イタリア・ルネサンスに多大の影響を与えた〕の新プラトン主義、ニコラウス・クサヌス〔一四〇一 ― 一四六四。ドイツの神秘思想家・教会政治家〕の新ピタゴラス主義、ロイヒリン〔一四五五 ― 一五二二。ドイツの人文学者・古典学者として、エラスムスと並び称せられる〕とピコ・デラ・ミランドラ〔一四六三 ― 一四九四。イタリアの神秘思想家で、キリスト教的神秘思想をカバラの中にもとめた〕のキリスト教的カバラ学など……。自然は巨大な実験室となり、その中で、物質は絶えず醱酵状態にありながら、「最高主」の支配下に置かれた不可視の《錬金術師アルチストたち》の手で、無数の形をまとうのである。存在はおのおの独自の構成的原動力を持つ。それは、のちにパラケルススがアルケー(生命の原質)と名付けるものである。世界は作用と相互作用の場である。神の似姿であり、世界創造全体の要約である人間はどうかと言うに、それはまさしく宇宙の中心なのである……。錬金術師はいよいよ多くなる。印刷術が発明され、そのため達人たちの書いたものが大いにひろめられる(1)。そして数々の秘密結社がきのこのように次々とあらわれた。こうした熱烈な動きを総合するのが薔薇十字団で、これはとくに次の世紀で発展することとなる。

 十六世紀の数多い達人たちのうち、次のような人々を挙げておこう。イタリアでは有名な詩『黄金変成(クリユソペイア)』を書いたJ・アウグレルリ(一四五四年 ― 一五三七年)。フランスではブレーズ・ド・ヴィジュネール、ジャック・ゴオーリ、ドニ・ザシェール……。イギリスではサミュエル・ノートン(一五四八年 ― 一六〇四年)、かの著名なるジョン・ディー(一五二七年 ― 一六〇八年)と、その友人エドワード・ケレイ。ドイツ語の諸地方ではヨーハン・トリトハイム(トリテミウス)師(一四六二年 ― 一五一六年)、謎の人物ザロモン・トリスモジン、そしてとりわけパラケルスス。
(1) J. Delumeau, La civilisation de la Renaissance, Paris, Arthaud, 1967(J・ドリュモー『ルネサンスの文明』)。

9 パラケルスス
 ―― パラケルスス、実の名をテオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムは、一四九三年アインジーデルンに生まれた。彼の生涯は、さながら一篇の冒険小説である。医学を修めた後、彼は十年にわたって全ヨーロッパを渡り歩き、一五二六年故国に帰るや、バーゼル大学の講座を得た。だが同僚の反感を買って町を去らざるを得ず、ふたたび放浪の生活に入ったが、その間彼は奇蹟的な病気治療を何度も行なった。そして一五四一年、四十八歳にして、ザルツブルグで、おそらく周囲の人々からうさんくさい眼で見られながら亡くなった(1)。この人物は何よりもまず医師だったのだが、彼にとって、医学は錬金術や哲学から、のみならず宗教からも切り離すことができなかった。彼は自然や人間の中で働く神秘な力をあますところなく知ろうと欲したのである…… 彼の思想の中心は、大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)、つまり世界と人間との区分で、この両者は完全に同等な二つの項を形作る。すなわち、一方は他方の内部でまさに起こっていることをそのまま写し、繰り返すのである。人間の生命は宇宙の生命と不可分である。そこにはやはり、錬金術の三原質(塩、硫黄、水銀)が見られ、それは人間の問題としては、精神と魂と肉体の形であらわれる。《万物の中心にして周辺》たる神は、全被造界を包む存在であり、のみならず、森羅万象は一つの広大な宇宙論的過程に従って神から流れ出たのである(第五章第二節を参照)。人間は三重の存在である。すなわち彼は、魂によって神の世界に所属し、肉体によって可視的世界に所属し、生命の流体、つまり魂と肉体の間に介在して両者を結ぶ一種の糸である《精神(霊気)》によって天使の世界に所属している。宇宙は「生命」の絶えざる上げ潮・引き潮で、それは人間を介して神から万物へ、万物から神へと行き来している。人間の魂は、自分自身のなかにあらゆる知識を、ただし潜在状態で有している。したがって、知るとは己れ自身を認識することであり、神的啓示の光を浴びて自己を見つめる魂の内省によって、己れのなかの「知恵」を認めることである。そこでパラケルススは言う、《己れ自身を知る者は、暗黙のうちに神を知る(2)》……と。

この神智学的な思想体系に加えて、パラケルススはさらに多くの実際的応用の手段を考案した。彼こそたしかに、錬金術を化学薬品の製造のほうに振り向けるのに与って力あった人物なのである。
 パラケルススの影響は、実用の観点からも(たとえばリバウィウス一五六〇年 ― 一六一六年その他、多くの医師にそれが見られる)、思弁的観点からも、きわめて大きかった。十七世紀の薔薇十字団も、その教義の大綱をパラケルススの思想に負っているのである。
(1) Dr R. Allendy, Paracelse, le médecin maudit, Paris, Gallimard, 1937(R・アルランディ博士『呪われた医師パラケルスス』)中のすぐれたパラケルスス伝を参照。
(2) パラケルススの哲学の詳細な解説としては、W. Pagel, Paracelse, Paris, Arthaud, 1963(W・パゲル『パラケルスス』)を参照。

10 十七世紀前期、薔薇十字団
 ―― 十七世紀初頭は、錬金術がありとあらゆる形で花開いた時代である。達人たちは、ヨーロッパ中を絶えずあちこち駆けめぐっていた。たとえばスコットランド人アレキサンダー・セトンは、ドイツ全土を西から東へ経めぐった後、ドレスデンで捕えられ、拷問にかけられて、錬金薬に関する秘密を洩らすよう責められた。ポーランド人ミカエル・セヂンヴォイ(センディウォギウスの名のほうが有名である、一五六六年 ― 一六四六年)に救い出された彼は、その後まもなく、拷問のときに受けたひどい傷がもとで死んだ(一六〇四年)……。神聖ローマ皇帝ルドルフ二世(一五五二年 ― 一六一二年)を取り巻く錬金術師たちは、もっと幸運だった。フィギエは次のように書いている、《錬金術師はすべて、その国籍や身分を問わず、ルドルフの宮廷では必ず好遇された。彼らは、予備試験を受けて必要な知識の所有者たることを認められると、帝のもとに案内される。そして帝の眼の前で何かおもしろい実験をやってみせると、帝はきっとそれ相当の報償を与えるのであった》。西欧全域で、錬金術はフランスのデスパニエ最高法院長〔ジャン・デスパニエ、十七世紀フランスの錬金術師。ボルドーの最高法院長をつとめた〕(『ヘルメス哲学の秘法』Arcanum hermeticae philosophiae一六二三年)や、エストー・ド・ニュイズマンのような人々の手によって研究され、隆盛をきわめた。文学さえも、この時代にはヘルメス学の影響を受けたのである。ここでは、シラノ・ド・ベルジュラック(一六一九年 ― 一六五五年)の風変わりな作品〔フランスの小説家・劇作家。『日月両世界旅行記』で当時流行した空想旅行小説の先駆者となった。第二章第三節の4を参照〕を挙げておこう。
 ベルギーの医師ヤン=バプチスタ・ファン・ヘルモント(一五七七年 ― 一六四四年)は第一級の人物で、錬金術の諸理論と宗教的ヘルメス思想と実験的成果とを結びつけ、一つの巨大な総合的体系を作りあげた(1)。しかし、この偉大な世紀〔通常、ルイ十四世の時代を指す〕はじめの錬金術を代表するものは、何といっても薔薇十字団の秘教運動である。この運動は、とりわけドイツで発展したが、同時に全西欧にその枝葉をひろげた。薔薇十字団の教義の最も古い根はゲルマンの土地にある。だが、その身近な淵源となると、たとえば『永遠の知恵の円形劇場』と題する風変わりな書物を書いた医師H・クンラート(一五六〇年 ― 一五八八年)のような、パラケルススの弟子たちの手でひろめられた隠秘学の運動の中に見いだすことができる。これは、天啓によって「完全で普遍的な知識」(汎知Pansophie)に到達することをめざす運動である。この傾向は、十七世紀初頭、薔薇十字団の運動の出現とともに頂点に達する。その最も顕著な団員を次に挙げておこう。ドイツでは、まずヨーハン=ヴァレンティン・アンドレーエ(一五八六年 ― 一六五四年)。彼は『化学の結婚』Noces Chymiquesという奇妙な書物の著者で、この本は寓話形式のもとに書かれた錬金術の論考であり、同時に薔薇十字団員の入会典礼書でもある。また、マダタヌスことハドリアン・フォン・ミンジヒト。つづいてミハエル・マイヤー(一五六八年 ― 一六二二年)。この人は医師で、ハプスブルグ家ルドルフ二世の顧問官を務め、多くの著書をあらわしたが、それには本文の間に挿画のみならず音楽さえ入っている。イギリスでは、薔薇十字団の教義を体系化して巨大な集成(アンサンブル)を作りあげた医師ロバート・フラッド(一五七四年 ― 一六三七年)……。以上の著者たちは、みな、至福の脱魂状態と具体的な観察、先験的a prioriな方法と実験を結びつけ、諸々の現象の底に横たわる「実在」にぴったりと触れることを可能ならしめるような或る普遍的総合を夢みている。原始時代から《大いなる奥儀通暁者たち》の手で忠実に守り伝えられてきた「秘教哲学」の受託者をもって自任する彼らは、とりわけ《万能薬》の探究に身をささげる。ただ達人だけが「自然の書」を解読することができる。自然という書物は、万人の眼に見えるけれども、それを読んで理解できるのはごく少数の人々に限られるのである。薔薇十字団の教義には、古くからの天啓説・魔術・神智学が孕んでいた渇望が、実験的探究や巨大な社会革命の欲求とまじりあって流れこみ、例の「アルス・マグナ」のいわば頂点と完成を形づくっている(2)(第九章および補遺三を参照)。この運動は、あの著名な靴屋ヤーコプ・ベーメ(一五七五年 ― 一六二四年)に影響を与えた。ベーメは、錬金術師の象徴体系と図像を用いて自分の広大な神智学的思想体系を述べ、それはやがてドイツにもイギリスにも非常な影響をおよぼすこととなるのである(3)。
(1) P. Nève de Mevergnies, J.-B. Van Helmont..., Liége et Paris, 1935(P・ネーヴ・ド・メヴェルニー『J-B・ファン・ヘルモント……』を参照)。
(2) Sédir, Les Rose-Croix, Paris, 1964(セディル『薔薇十字団』)、W. E. Peuckert, Die Rosenkreutzer, Iéna, 1928(W・E・ポイケルト『薔薇十字団』)、A. E. Waite, The Brotherhood of the Rosy Cross, Londres, 1924(A・E・ウェイト『薔薇十字団の友愛』)を参照。
(3) G. C. A. Von Harless, Jacob Boehme und die Alchemisten, Berlin, 1870(G・C・A・フォン・ハルレス『ヤーコプ・ベーメと錬金術師』)、A. Koyré, La philosphie de Jacob Boehme, Paris, Vrin, 1929(A・コワレ『ヤーコプ・ベーメの哲学』)。

四 錬金術の歴史的衰退
1 十七世紀末
 ―― 十七世紀後半に入ると、錬金術その他各種の隠秘学が明らさまに信用を落としはじめる。デカルト哲学の勝利は、錬金術理論を完全に崩壊させてしまう。この時代には、多くの学者が、延長étendue〔デカルトは実体としての物体の本質的属性を「延長」と考えて、これを精神の本質的属性たる「思惟」と峻別する一方、他の感覚的性質を二義的・偶然的なものとみなした〕を占める何かの実体が他のあらゆる実体より完全だということを認めるのを拒む。デカルト学派は言う、神によって創造された金属はいつまでもその性質を変えることなく、この世界は全体として天地創造の時から少しも変わらないのだ、と。もっとも、錬金術師は相変わらずたくさんいたが、その多くは、J-R・グラウバー(一六〇四年 ― 一六六八年)のように鉱物の領域だけに対象を限るようになり、しだいに固有の意味での化学へと向かっていった。たとえば、燐の発見者で、数々の試みに失敗したのちついに賢者の石の存在を否定するに至ったJ・クンケル(一六三八年 ― 一七〇三年)がそうである(当時の最も偉大な科学者たちの或る者、たとえばニュートンやロバート・ボイルやライプニッツなどが、少なくとも部分的にはなお金属変成術の可能性を信じていたことに注目しておこう(1))。一方、秘伝的錬金術を信奉する者もなお命脈を保っていた。たとえば王の侍医だったピエール・ボレル(一六二〇年 ― 一六八九年)、J-F・ヘルヴェチウスことシュヴァイツァー(一六二五年 ― 一七〇九年)、E・アシュモール(一六一七年 ― 一六九二年)、謎の人物イレナエウス・フィラレテス、トマス・ヴォーン〔フィレラテスをこの人物の仮名とする事典もある〕……。
(1) 以上の諸点については、H. Metzger, Les doctrines chimiques en France..., Paris, P. U. F., 1923(H・メツジェ『フランスにおける化学学説……』)を参照。

2 十八世紀
 ―― 十八世紀になると、錬金術は見かけ上は消滅し、本来の意味での化学になっていくようにみえる。シュタール(一六六〇年 ― 一七三四年)が唱えたいわゆるフロギストン(燃素)説(可燃性の物体を燃やすのは火自体ではなく、《火の根源》、つまり《フロギストン》だという説)のあと、科学者は錬金術の達人に背を向けはじめ、ラヴォアジェ〔一七四三 ― 一七九四。フランスの化学者。燃焼における酸素の役割を発見した〕の理論とともに両者の断絶は決定的となる。元素という観念は、物質の変成とは両立しないからである……。それでもやはり、伝統的錬金術師はいた。たとえばペルヌティ〔一七一六 ― 一八〇一。ベネディクト派の修道僧だったが、のち僧籍を離れた。スウェデンボルグとマルチニスムを奉じ、天啓思想に没入して、『ヘルメス学辞典』をあらわした〕やラングレ・デュ・フレノワ〔一六七五 ― 一七五五。『ヘルメス学の歴史』その他の著がある〕。サン・ジェルマン伯や、それに劣らず有名なカリオストロことジュゼッペ・バルサモ(一七四三年 ― 一七九五年)のような隠秘学の秘術家・魔術師。あるいは、霊的錬金術の最後の薔薇十字団的表明である『聖壇の上の雲』Lanuée sur le Sanctuaireと題する著作を書いたフォン・エックハルツハウゼンのような、神秘思想家および神智学者……。十八世紀の錬金術の歴史は、秘教学者エッテイルラことアルリエッテ〔十八世紀末フランスの魔術師・錬金術師。タロット・カードの新しい用い方を考案した〕とともに、この革命の時代を閉じる。この人物は、タロットに関する研究と魔術の流派(エコール)とで知られている。

3 現代の錬金術
 ―― とはいえ、錬金術は、あらゆる革命を生きのびる運命にあった。今日でもそれは、きわめて真剣な信奉者を有している…… 十九世紀および二十世紀の錬金術師は、三つの範疇に分けることができる。
 ―― 自称《超化学》hyperchimieの形成をめざし、金属変成の可能性を科学的に証明しようと努める人々(ティフロー、リュカス、ドロベル、ジョリヴェ=カステロ……)。
 ―― 錬金術の神秘的観念を擁護する、J-M・ラゴンまたはO・ウィルトのような、フリーメーソン系の著作者。
 ―― 最後に、中世末期およびルネサンス期の「アルス・マグナ」を受けつごうと努める人々。このタイプに属するのは、シリアニ、カンブリエル、フルカネルリ、カンスリエ、ロジェ・カロ。それに、ジャコブとかオーリジェとかいう筆名のもとに姿を隠している著作家たち……。加えて、隠秘学関係の専門書店も、前世紀以来、最も有名な錬金術論考の数々を売るのをやめなかったことをも付記しておきたい。

第五章 ヘルメス哲学
一 概論
 すでに見てきたとおり、錬金術師は好んで《哲学者》という名を自称し、また彼らの多くが、「自然」に関する深遠な知識、すなわち「ヘルメス哲学」を世にもたらすのだと主張するのである。
1 その形成と一般的性格
 ―― それは、中世の全期間を通じて、数多い影響を受けながら存続した一つの教理、というよりむしろ、さまざまな教理の一大集成である。この《ヘルメス哲学》は、古代末期のありとあらゆる神智学的思想の残存物を自分の流れの中にまきこんだ。これらの思想は、キリスト教会からこっぴどくやっつけられながら、幾世紀もの間地下にもぐって生きのびたのである。たとえば本来の意味でのヘルメス思想、さまざまなグノーシス派、神秘的異教(パガニスム)、密儀宗教、新プラトン主義……(第三章を参照)。のち、ヘルメス哲学はユダヤのカバラをも借用したが、これと入りまじることはなかった。
 何よりも不思議なのは、こうした雑多な思想・教理の集合体が一貫した伝統的体系の観を呈し、偉大さにも欠けてはいないということである。さまざまな寓意と象徴のヴェールをかぶって俗衆の眼から姿を隠し、口伝と秘儀とによって伝えられる秘密の教理として、それはとりわけ十五世紀以後、まとまりのある一全体として安定する方向にむかった。各著作家の間にいろいろな相違があったにもかかわらず、基本的観念は、中世の魔法書(および古代の論述……)からパラケルススやフラッドのおびただしい著述に至るまで、少しも変わらなかったのである。

2 宇宙
 ―― ランベールが適切にも指摘したとおり、《錬金術師の研究領域は、太陽系というか、むしろ太陽宇宙を越えることがない。この点は十分記憶にとどめておく必要がある。錬金術の論考には、ときに星座のことが出てくるが、それは単に空の中における太陽宇宙の諸惑星の位置を決定する便宜にすぎないのである》。とはいうものの、達人たちの著作には一つの世界組織がそっくり見いだされる。中心には地球があり、それから七つの惑星圏と恒星圏とがくる。つづいて、純粋な精霊の王国たる「最高天上界」(エンピュロス)がくる。最後に、この宇宙全体の外部に、「万物」の創造主たる神自身がある。神は「万物」をいわば《包みこみ》、《みずからは何ものにも閉じこめられずしてすべてを己れの内に閉じこめる》のである(第2図参照)。この考え方の中には、グノーシス派の宇宙論の大綱が見いだされる(1)。
(1) H. Leisegang, La gnose, trad. franc., Paris, Payot, 1951, chap. II(H・ライゼガング『グノーシス説』仏訳・第二章参照)。

3 神と世界
 ヘルメス思想を述べたさまざまのテキストのうち、或るものは「神的本質」の世界内存在を説き、或るものは宇宙に対するその超越を説いている。実際には、神はこの世界から独立して在るのではなく、しばしば世界の内部に呑みこまれる傾きがある。というのも、著述家たちは、「神的本質」を指すのに好んで《能産的自然》Natura naturans〔「生む自然」の意。神を万物の内在的原因と考え、「所産的自然」natura naturataと区別する〕という表現を用いるからである(この表現はスピノザの発明ではない。彼よりずっと以前に、ロバート・フラッドとジョルダーノ・ブルーノ〔一五四八 ― 一六〇〇。イタリア・ルネサンス期の哲学者。ニコラウス・クサヌスとコペルニクスの影響を受けた。異端として投獄され、ローマで火刑に処せられた〕が使用しており、彼らはそれを中世のヘルメス学者たちから借用してきたのである)。広い意味で、この世界の全存在、森羅万象は、神の一部なのである。それだけではない。この世界の歴史はまた神の歴史でもある。なぜなら、世界創造がなければ、神は単に未分化な可能性たるにとどまったのであろう。この宇宙で神が可視的なのは、神が宇宙によって表現を得たればこそである(この章第二節を参照)。
第2図 グノーシス派の宇宙像(ライゼガングによる)

4 宇宙の全一性

如是,只有一个存在者,它以无限多样的形式出现在我们面前。 而贤者之石正是这个宇宙统一的象征。《这种哲学家之石,也被称为植物之石、动物之石、矿物之石とも呼ばれる。なぜなら、実体としても存在としても、植物・動物・鉱物が誕生したのは「哲学者たちの石」そのものからだからである(1)》。物質の原一性の理論は、あらゆるヘルメス学の著述家のいわばライトモチーフなのである(第六章参照)。《「一」は「全」なり、「一」によりて「全」、「一」のために「全」、「一」において「全」》とゾシモスは書いている。また、『聖約』Testamentum〔M・カロンとユタンとの共著『錬金術師』スイユ社刊に出てくるNouveau Testamentか〕の最後の図像について、その著者に擬せられるルルスは《「一」の中の「全」》Omnia in Unumという公式を書きこんだ。それぞれの物がまとっている偶有性はさまざまだが、その下に、「自然」の全存在に共通した一つの本質がひそんでいるのである。この考え方はヤーコプ・ベーメに受けつがれた。彼は『もののしるしについて」De Signatura Rerumの中で次のように書いている。《「硫黄」と「水銀」と「塩」のことを扱いながら、私が語らんとするのは、霊的なそれにせよ物的なそれにせよ、唯一つのものなのである。あらゆる被造物はこの唯一つのものであり、ただ特性によって分化している。私が人間や動物や植物、あるいはまた何らかの存在について語るとき、これらはすべて同じ一つのものである。およそ有形のものは、草にせよ木にせよ動物にせよ、同一の本質である。それぞれは、太初に成れfiatという神の御言葉がしるした性質に従って異なるのみである》(これこそ《しるし》の教説の根本で、かつてそれはパラケルススが存分に展開したところである)。
(1) Khunrath, Amphitheatrum(クンラート『円形劇場』)。

5 宇宙(コスモス)の生命

―― 世界は一個の広大な有機体と考えられる。万物は生きて動いている。すなわち、物質の全一性の観念と、存在するもの万般の間における内的紐帯の観念には、汎生命主義が伴っているのである。《世界は一頭の生きた動物で、その各部分はすべて、如何に遠く隔っていようとも、相互に必然的な仕方でつながっている》 ―― すでに新プラトン主義者ヤンブリコスはこのように語った。存在するものはすべて生きており、魂を持っている。生命は、小石から神まで、切れ目なく連続して進化し、変貌する。《自然は宇宙(ユニヴエール)をも包含して一であり、その起源は永遠の「全一者」以外のものではあり得ない。それは一個の広大な有機体であり、その中で森羅万象は互いに調和し、感応しあっている(1)》。こう語ったパラケルススは、また『ものの本性について』De Natura Rerumの中で、死とは存在物が解体して《その「母」の胎内に帰る》現象にすぎないと言っている。のみならず、万物は天使から悪魔に至るまでのさまざまな精霊に満ちているが、天使と悪魔との中間を占める《元素的精霊》について、パラケルススは次のような詳しいリストを掲げている。すなわち、火の精霊である《火とかげ(サラマンドル)》、空気と嵐の霊である《空気の精(シルフ)》、水の精霊である《水神(オンダン)》、大地の力、洞窟と宝物の守護者である《地中の精(グノーム)》……。
(1) Paracelse, Philosophia ad Athenienses(パラケルスス『アテナイびとへの哲学』)。
6 太陽の神学
 ―― 宇宙におけるエネルギーの中心は、普遍的な力の絶えざる生みの親である太陽にほかならないが、この力はいろいろな名前で呼ばれている。たとえば「テレスマ」(『エメラルド板』)、「アルケー」〔地心の火・生命の根源〕(パラケルスス、ファン・ヘルモント)、「世界の魂」(フラッド)……。この「光」が凝固して、星辰の宇宙を形づくるもろもろの物体と材料が形成された。万物の存在を支えるのは太陽である。世界と人間に生命を与えるのはそのエネルギーである。かくて、あらゆる生命の源泉たる太陽が神的性格を持つものとみなされる。太陽から放射された一なるエネルギーが、宇宙のもろもろの存在に絶えず活力を与えているのである。こうして、達人たちは古代の太陽神崇拝をふたたび見いだした。すなわち太陽は「神的本質」の宿る聖櫃、「神の言葉」の可視的表現となったのである。

7 性的二元論
 ―― 神学者たちを最も顰蹙させた理論の一つは、ヘルメス学の著作家たちの手で十二分に開陳された性的二元論である。この理論によれば、この世に見いだされるさまざまの対立、さまざまの共感と反撥は、これすべて、互いに相い補う二つの原理の対立に由来し、その一方は能動的・男性的原理、他方は受動的・女性的原理だというのである。ここには、古代から千年以上も続いてきた考え方が認められる。たとえば、世界創造以前には神は男女両性を具えた存在で、その後二つの相反する部分に分かれ、この両者の媾合から世界が生まれた(本章第二節を参照)。太陽は男性、地球は女性である。もっとも、女性的原理は、地球より月のほうにはっきりと具現されている。それは「母」であり、常に妊っているが常に処女なる女神であり、星の冠を戴き三日月を体につけた女性像によって表わされる…… 男性と女性の結合、生殖の原理と受胎の原理の対立が、つまるところ万事を説明するものとなる。かくて、性の用語から借用され、無限に多様な形のもとに表現される一連の象徴が生じるわけである。

8 三つの世界
 ―― 《三つの世界、つまり原型的世界・大宇宙・小宇宙がある。これすなわち、神と自然と人間である》、ロバート・フラッドはこのように書いている。神の世界はおよそ宇宙に現われるすべての存在を内部に孕み、すべての世界を包みこんでいる。なぜならそれは、例の《中心が至る所にあって周辺がどこにもない円》だからである。物質界と人間とは、ともに同じ神的プランにならって作られている。すなわち、神に三つの位格があるように、三つの基本的物質要素(《硫黄》、《塩》、《水銀》)があり、人間を形作る三つの基本要素(肉体、精神、魂)がある。すべては類比であり、照応(コレスポンダンス)である……。

9 大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)

―― 錬金術師たちは、とりわけ宇宙と人間存在に関して精妙な対応関係をさぐろうとする。人間がミクロコスモス(《小宇宙》)と呼ばれるのも、それが宇宙のあらゆる部分を要約しているからである。のみならず、人間は大宇宙の反映であり、同じ法則にもとづいて作られている。《上なるものは下なるもののごとし》(『エメラルド板」)、(ソロモンの印璽のような若干の図形を見よ。これは二つの正三角形を組み合わせたもので、一つは大宇宙を、もう一つは小宇宙を表わす)(第3図)。人間の誕生と宇宙の誕生とは類似関係にある(《子宮の研究は同時に世界の発生の学問でもある》というパラケルススの言葉を考えよ)。宇宙的二元論は、かつて一体だった両性が二つに分離したという事実を通じて人間の中にも刻みこまれている。ベーメその他多くの神智学者には、人間がもともと両性具有であったというあの古来の理論 ―― これは多くの古い神話に共通した理論である ―― が見いだされるのである。

10 堕落と救済
 ―― 宇宙も人間も、今は失墜の状態にある。キリスト教を奉じる達人たちは、常に魂と肉体の背反として考えられた原罪の理論と、魂に対する肉体の支配力とを、さまざまな形で精力的に展開する。だが人間の魂は、その本質から言えば神の魂から分れた一つの部分なのだから、人間は救済へ至ることができる。かくてヘルメス思想は、ごく自然に能動的神秘主義、宗教的法悦感、天啓説へ発展する。「術」と結びついた天啓が、失われた永遠を回復し、宇宙それ自身の再生を準備し得るのである(第九章参照)。

11 「自然」と「術(アルス)」の平行説
 ―― 錬金の術は「自然」と密接な対応関係にある。のみならずこの術は、ロバート・フラッドの言い方に従えば《自然の猿(まね)》にほかならない。達人の実験室それ自体が、宇宙に対する一種のミクロコスモス、すなわち小世界なのである。そこから、錬金作業は世界創造の過程と同じ一つのプロセスを実現するものだという、よく口にされる定式が由来する。錬金術師は、閉じた器の中で「自然」のやることを模倣する、いや、或る意味では神の御業さえ模倣するのである。したがって、錬金術の文学の中には、次のような文句がいくらでも見つかる、《はじめに神はありとあらゆるものを無より創造し給うた。それは混沌たるマッスであり、それを神は六日にしてはっきりと分割し給うた。我らの錬金薬についても事情は同じはずである》。

二 ヘルメス学の宇宙発生論
 ヘルメス学の宇宙発生論は、この思想体系中、最も入念に練りあげられた部分であり、達人たちの間で最も共通して変わらぬ部分である。著作家たち、とくに十六世紀および十七世紀の人々が展開した理論は、細かな点ではひどくこみいっていることが多かったが、その主な特徴はいつも不変のままであり、あらゆる思弁を引きしぼる中心となる根本命題を発見することもできるのである。
1 ヘルメス学の宇宙発生論の特徴
 ―― (1) この宇宙発生論(《世界の誕生》)は、同時に神の系譜学théogonieでもある。なぜなら、世界創造のおかげで神は自分を確立し、それ自身にみずからの姿を明かすからである。神は現存在および可能的存在の根源である。すべて存在するもの、現に可視的なるものは、まず神の中で不可視なるものであった。万物は逐次的変化の過程をたどってさまざまに分化したが、それを生み出したのは「唯一の根源」なのである。《万物が「一者」より来たり存するがごとく、万物はこの「唯一のもの」より適応によりて生ぜしなり。》
 (2) 世界創造の過程は、まず二つの「原理」の分離、ついでその結合を通じて行なわれる。この二原理とは、男性の役割を演じる「火(1)」と、巨大な子宮に喩えられる女性的原理としての「物質」である。神的本質からの流出(エマナシオン)の原初的な相としての「火」が物質を受胎せしめ、かくて宇宙を構成する全存在を生み出すのであ―― 第一質料、宇宙の多様な存在を生む母胎としての未分化の「混沌る。どんな場合にも、次のような図式が必ず見いだされる。*」。《万物は同一の種子〔原語はla semence「種子」と同時に「精液」を意味する。要するに、あらゆる生命発展の萌芽を秘めた源になるものである〕から由来する。万物は本来同じ母から生まれたものである(2)》。
 ―― この第一質料の、基本元素への分割。
 ―― この基本元素からの諸物体の形成。
 (3) 世界創造は可能態から現実態への移行を促す。それは語源的意味における《explication》(ラテン語のexplicare=フランス語のdéplier〔畳んだものを広げる意〕)、すなわち、存在の諸可能性を展開することである。
 (4) 「コスモス」、つまり秩序ある宇宙は、「混沌」から引き出されただけでなく、「混沌」から生まれたのであって、無から(ex nihilo)生じたのではない。「混沌」が秩序を与えられて「コスモス」となる過程の発端をなすのは、火の相を帯びた「光あれ」Fiat Lux〔旧約の『創世記』一―三の「神光あれと言いたまいければ光ありき」を参照〕の太初の波動だが、それは、《形なくむなしい》〔同じく『創世紀』一―二「地は形なく、むなしくして、やみ淵の面にあり、神の霊水の面を覆いたり」を参照〕状態にある「混沌」の中に孕まれたもろもろの可能性に、実質的には何一つ付け加えるものではないのである。

右の基本的理論にもとづいて、ヘルメス学者たちは、ともすれば複雑きわまる綜合的体系を仕上げたが、いずれにせよそこには、生殖に関する用語から借りたおそろしく古い象徴を通じて表現された原初的宇宙発生論の大綱が、いつも見いだされる(たとえば「世界の卵」という古代の象徴を考えていただきたい。例の《哲学の卵》というのはこの象徴から派生した一つのイメージなのである。同じ象徴が、インド・カルデア・エジプト等々の宇宙発生論にも見いだされる)。このことを示す例として、次に世界の発生に関するパラケルススの思想を手短に述べておこう。この思想は、彼以後の錬金術師たちに多大の影響を与えたものである。
(1) これは、少なくとも或る程度まで、フリーメーソンにおける《偉大な建築家》に相当する。
(2) Basile Valentin, Char de triomphe de l'antimoine(バシリウス・ヴァレンティヌス『アンチモンの凱旋車』)。
* ヘーシオドスの『神系賦』で一番はじめに成ったとされる「カオス」について、呉茂一氏の次のような説明がある。《chaosは、後世になると「混沌」という意味に多く用いられ、いろいろなものがごたごたと混在することであろうが、ギリシア語の原義(chaskō, chainō「口を開く」「隙間をつくる」)からすると、漠々とした空間spatium拡がりであろうが、それも単なる虚無ではなく、おそらくもやもやとした煙霧のようなものが薄暗く立ちこめた無限と思考される》(『ギリシア神話』、新潮社)。(訳注)

2 パラケルススの思想
 ―― 世界の始源にあるのは、ただ未分化の至高なる宇宙的「原一体」、すなわち「イリアステル」Yliaster、万物の《第一質料》、《大いなる神秘》Mysterium magnumである。これは形なき不可知のもの、もろもろの可能性と力との驚くべき貯えであり、やがて万物それぞれに限りなく多様な特性を与えることとなる源である。この原初の暗闇は、およそ存在が取り得る形の不変の本質をなすもの、ただし潜在的で未分化な状態にあるそれであるが、その中に、存在が以後たどる発展の全段階が無(ネアン)の状態で刻みこまれている。この単一の根源が具体的に現われるためには、否定的・女性的・受動的原理(「カガステル」Cagaster)と、能動的・男性的原理とが二元的に分かれることによって、分極しなければならない。この両原理の結合から「カオス」あるいは「イデオス」Ideosが生まれる。こうして「イリアステル」は分割され、分解され、己れの胎内からあの原物質(「ヒューレー」Hyle〔哲学用語ではこれが「質料」にあたり、「第一質料」はその純粋な場合である〕)を出現させたのである。パラケルススは、この原物質を、『創世記』で語られている「水」、万物の実体を孕んでいたあの「水」にたとえている。この「大なる混沌界」Limbus majorは能動的な「光」の作用によって三つの原質(「硫黄」、「水銀」、「塩」)に分かれ、この三者の結合から形あるものとなった物質(「イリアドゥス」Yliadus)および、万物のもととなる四元素すなわち万物の《母》が生じる。この創造のプロセスは、個別の神秘mysteria specialiaにおける分割と進展を通じて宇宙の諸存在が現われることにより、終わりを告げる。つまり生命の力が、地球に起源を持つ大地の種子(「小なる混沌界」Limbus minor)の中に反映しているのである(1)。
(1) Paracelsus, Werke, nouv, éd. en 5 vol. (par W. E. Peuckert), Bâle, Schwabe & Cie(パラケルスス『著作集』、W・E・ポイケルト編による新版全五巻)。Georges Cattaui, Serge Hutin et Béatrice Whiteside, Paracelse, l'homme, le médecin, l'alchimiste, Paris, La Table Ronde, 1966(ジョルジュ・カッタユイ、セルジュ・ユタン、ベアトリス・ホワイトサイド共著『パラケルスス、その人、医師、錬金術師』)。Walter Pagel, Paracelse, trad, fr., Paris, Arthaud, 1963(ワルター・パゲル『パラケルスス』仏訳)。

1 物質の原一性

 ―― すでに指摘しておいたとおり、ヘルメス哲学の基礎の一つは物質の原一性の主張であり、達人たちはそれを、みずからの尾を嚙む蛇(ウロボロス)という古来の象徴であらわした。この主張は、理論的錬金術の基礎定理でもある。錬金術師は言う、物質は一つである、ただそれはさまざまな形を取ることができ、この新たな形態のもとで己れ自身と結合して、無数の新たな物体を生むことができる、と。彼らはこの《第一質料》に、およそいろいろな名前をつけた。たとえば種子、混沌、宇宙の実質、絶対など(1)。実を言うと、この理論はべつに錬金術だけのものとは限らない。すでにプラトンが、『ティマイオス』の中で、あらゆる物体に共通な、しかもあらゆる形を取ることのできる第一質料の観念を展開しているのである。ただ、錬金術師はこの観念をいちじるしく発展させ、とことんまでつきつめたのであった。この世界では万物が過ぎ行き、変化し、果てしない変転に委ねられているが、何ひとつとして死ぬことはなく、消滅することもない。「ウロボロス」とは、滅びてはその灰燼の中から絶えず蘇り、終わりのない運動を繰り返す変転の過程のシンボルなのである。《すべて存在ないし実体の性格を帯びたものは、もはやその性格を棄てることができない。それは、自然の法則により、非存在へと移ることを許されていない》 ―― デスパニエはその著『復興された自然学のための手引書』Enchiridion physicae restitutaeでこう書いている(2)。しかも、金属変成が可能になるためには、物質が、多様な形を取りながらも或る共通の構成要素に還元され得るのでなければならない。シネシオスが指摘しているとおり、達人は錬金術の実験に当たって新しく何かを創り出すわけではない。彼はただ、物質の形相を変えることによって物質を変化させるだけなのである。
(1) バルザック『絶対の探求』参照。
(2) ポワソン著『錬金術師の理論と象徴』の中の引用。

2 三原質、硫黄・水銀・塩
 ―― とはいえ、錬金術師も二つの相反する要素、すなわち「硫黄」と「水銀」とを区分し、それに中間項として「塩」を結びつける。「硫黄」・「水銀」・「塩」(「砒素」とも呼ばれる)というこの有名な三分法を普及させたのはパラケルススだが、彼以前にも、ゲーベルやロージャー・ベーコンやバシリウス・ヴァレンティヌスが同じ三分法を展開していたのである。
 さて、ここで指摘しておかねばならないのは、この「硫黄」「水銀」「塩」(または「砒素」)という名前が、同名の化学物質を指すのでなく、物質の或る種の特性をあらわすものだということである。すなわち、「硫黄」は能動的特性(たとえば可燃性とか、金属を腐蝕する力など)を、「水銀」はいわゆる《受動的》特性(たとえば輝き、揮発性、可溶性、可鍛性)を、それぞれ指す。では「塩」はどうか。それは「硫黄」と「水銀」とを結びつける手段で、多くの場合、魂と肉体を結びつける精気にたとえられるのである。「水銀」は質料であり、受動的・女性的要素である。「硫黄」は形相であり、能動的・男性的要素である。そして「塩」は運動であり、中間項であり、「硫黄」はそれを通じて質料にあらゆる種類の形相を与える(この第三項はあまり重要な理論的役割を演じない。とくに心得ておかねばならないのは、「硫黄」-「水銀」の二元論なのである)。かくて「硫黄」と「水銀」とは、物質の正反対な二性質を象徴するものである。《私は言った、二つの本性があり、その一つは能動、他は受動です。師は問われた、その二つの本性とは何か? 私は答えた、一は熱の本性、他は冷の本性に属します。熱の本性とは何か? 熱は能動で、冷は受動です(1)》。「硫黄」は不揮発性の原質、「水銀」は揮発性の原質である。こうして、次の表が得られるわけである。

硫磺 男性 能动 热 不挥发性

水银 女性 受动 冷 挥发性

錬金術師は、ここから、金属の生成に関する一理論(次項以下を参照)をそっくり演繹する。能動的要素たる「硫黄」を金属の父と呼び、受動的要素たる「水銀」を金属の母と呼ぶ所以も、そこにある。地中にあって相い分かれているこの二要素は、相互に絶えず惹きあい、さまざまな割合で結合し、地心の火の影響を受けて、いろいろな金属と鉱物とを作る。そして、『化合物の化合物』Composé des composésにおけるアルベルトゥス・マグヌスの言葉を借用すれば、《煆焼と浸漬の違いだけが金属の多様な種別を生む》のである。
(1) Artephius, Clavis majoris sapientiae(アルテピウス『智恵の大いなる鍵』)。

3 四元素(四大)
 ―― 錬金術師は、四元素(四大)に関するギリシアの古い理論(テトラソミアTetrasomia)をもう一度取りあげる。誤解をいっさい避けるため、次のことを強調しておく必要があるだろう。すなわち、ここで言う四元素(「水」、「土」、「空気」、「火」)は、実際にその名で呼ばれている具体物を指すのではない。それは物質の状態であり、様相modalitésである。《四元素は、実際には物質の外観と全般的状態に対応する。「土」は固体的状態の象徴であり支え〔原語はsupport 抽象的状態に具体性を与えるものの意か〕である。「水」は流動性の象徴であり支えである。「空気」は揮発性の象徴であり支えである。以上三者よりずっと微細で稀薄な「火」は、光と熱と電気との象徴的な支えであるエーテル状流体という実体の観念と、物体を構成する窮極的な微粒子の運動という現象の観念とに、同時に対応する(1)》。錬金術師は可視的な二つの元素、つまり「土」と「水」を区分する。この両者はさらに、二つの不可視の元素、つまり「火」と「空気」を内部に孕んでいる。そして錬金術師は、この四元素を、伝統的な四つの特性(熱、冷、湿、乾)に対応させるのである(第4図)。「塩」との対応物として、とくに五番目の元素、すなわち「エーテル」あるいは「第五元素」Quintessenceのことが述べられるが、これは、物体と、物体に滲透した生命力との、いわば媒介をなすものである。しばしば利用された考え方は、プラトンの輪と呼ばれるもので、それによれば、四つの元素の間には一連の周期的循環現象があるという(「火」は凝結して「空気」となり、「空気」は「水」に変わる。「水」が固体化すると「土」になる。「土」は「水」に変わる。あと、この変化は逆方向にむかってふたたび行なわれる)。他方、錬金術師は、「硫黄-塩-水銀」という分類を、四元素の理論と関係づけようと努める。そこから、次の表が得られるのである(2)。

最後に、この四元素が如何にして生じたかという問題が達人たちの心を悩ませ、そのため、『エメラルド板』について多くの解釈が生まれた。次に引用するのは、この文書の難解な一節を解き明かそうと、近代における錬金術理論の解釈者の一人ランベール博士が行なった試みである。《私の考えでは、この一節は、原初の流出体すなわち「テレスマ」に関係させて考えると容易に解釈できそうである。「テレスマ」は「太陽」から発し、先に私が言った物質の四状態、つまり火・空気・水・土の中を通過する。「太陽」はこの「テレスマ」の父であり、火の状態でそれを放散する……。風はそれをみずからの胎内に宿した。言いかえれば、この「テレスマ」は火の状態を捨て、風によって象徴される空気の状態に移行するのである。月は「テレスマ」の母である。これはたぶん、水の状態への移行のことを言っているのであろう。土は「テレスマ」の乳母である。すなわち「テレスマ」は、土によってあらわされる固体的実質となって、ようやく物質化の最後の段階を終えるのである》(第5図)。

(1) Berthelot, Origines de l'alchimie, p. 253(ベルトロ『錬金術の起源』)。
(2) A. Poisson, Théories et symboles des alchimistes, p. 17(A・ポワソン『錬金術師の理論と象徴』)に掲げられたもの。

4 七つの金属
 ―― 錬金術師は七つの金属を区分していた。そのうちの二つ、金と銀は、完全な、つまり変質しない金属で、「太陽」と「月」によって象徴される。他の五つは不完全な金属で、それぞれ惑星によって象徴され、この惑星を示す記号によってあらわされる。このように、各金属がそれぞれ一つの惑星と結ばれており、そのため錬金術と占星術との間に関連が生じてくる。したがって達人たちは、諸惑星が地中の金属の生成におよぼす影響を研究するわけである。すでに新プラトン派の哲学者プロクロス〔四一二 ― 四八五。神の超越性と神秘主義的哲学を説いた〕は、次のように書いている。《自然の黄金、銀、および各種金属は、その他もろもろの物質と同じく、天界の神的存在とそれよりの発散物の影響を受けて、地中に生じる。「太陽」は黄金を、「月」は銀を、「土星」は鉛を、「火星」は鉄を生みだすのである(1)》。金属は生命あるものとみなされる。《青銅は、人間と同じく、肉体と魂を持つ。魂とは、蒸溜および昇華の過程でたちのぼる蒸気である。肉体とは蒸溜器(レトルト)レトルトの中に残ったものである…… この肉体と魂を結合させれば、死せる物体に生命を蘇らせることができる》(『一群』Turba)。そして錬金術師は、金属生成に関する一つの奇妙な理論体系を展開するのである。次にその要点を述べてみよう。彼らの言うところでは、金属は、すべての被造物がそうであるように起源を同じくする。この起源がすなわち第一質料である。《すべての金属はその本質からいえば同類で、ただ形相によって異なるだけである(2)》。黄金は金属界における完成物であり、「自然」が絶えずめざす目標である。だがこの目標は、多くの偶発事や変転によって妨げられるため、質の劣った諸金属が生まれてくる。つまり、金属界における完成の生きた目標たる黄金は、諸天体の影響で熟成した或る原物質より発して大地の胎内で形成されるが、一方《病気にかかった》金属、すなわち卑金属もあるわけである。といっても、諸金属は、鉄→銅→鉛→錫→水銀→銀→黄金というサイクルをたどって、活潑に完成へと向かう。こうして、金属変成は、大地の胎内で幾世紀もかかって徐々に行なわれるのである。『鉱物の作業』(Opus mineraleアムステルダム、一六五一年)を書いたグラウバーのように、一種の循環説を唱えるに至った著作家もいる。彼らの考えでは、金属は一旦黄金の状態に達したら、今度は逆方向のサイクルをたどり、しだいに不完全な状態へ帰っていってついには鉄となり、それからふたたび完成をめざす、というぐあいに果てしがないというのである。これは、或る種の物体の出す放射能とその物体の自然変化に関する現代的見解を、はるかな昔に予感したようなものであろう……。錬金術師たちのこうした金属説は、すでに十六世紀以来、烈しく攻撃された。たとえば、パラケルススに最も辛辣な批評を浴びせた論敵の一人トマス・エラストゥス〔一五二四 ― 一五八三。スイスの医師で神学者〕は、金属はそれぞれ固有の形相を有するがゆえに他の金属に変わることはできないとして、金属変成の可能性を否定した。もっとも、金属変成理論に浴びせられた批判は、はじめのうちは実験にもとづいたのではなく、人間の能力は有限で自然物の本性を変えることはできないとする宗教にもとづいていたのである。
(1) 『「ティマイオス」注釈』、前出、ポワソンの著書の引用に拠る。
(2) Albert le Grand. De Alchimia(アルベルトゥス・マグヌス『錬金術について』)。

5 錬金術と化学
 ―― 錬金術と近代化学とはしばしば関連ありと考えられ、また事実、錬金術の達人たちには、物質の原一性・元素の変化の可能性など、或る種の現代学説を予感したようなところがある。また、硫酸・アンチモンなど多くの新物質の発見やかなり高度の技術方式の発明も、彼らの功績である。だが、実際にそこに見られるのは、知識に関する正反対な二つの考え方なのである。ソーネ博士は次のように言っている、《近代科学は何よりもまず分析的方法を用い、学問全体をいくつもの明確な領域に区分して、それぞれの領域の内部ではすべてが単純になるようにはからう。科学上の知識が増すにつれて、これらの領域の数も、用いられる術語も増加する。ところが錬金術師は、逆に、あらゆる自然現象、のみならず超自然の現象の間にさえ、完全な平行関係があると考えていた。ひどく違った分野の現象に対しても、用いられる語は同じだったのである》。錬金術を考える際、その哲学的・神秘的局面を除外しても、錬金術師の目標と近代化学者のそれとの間にはやはり深い溝がある。物質的次元で言えば、達人がめざしたのは、物質的実体を純化してそれを相互に結合させ、その質を高めて、より進んだ発展段階へと導くことにある。のみならず彼の本来の領域は、固有な意味での物質的実体ではなく、それが孕む潜在的エネルギーである。錬金術師は、精気の力を働かせることにより、物質元素を昇華させて不可視の元素と化し、不可視の実体を物質化することができる。そこから、いわゆる転生palingénésiesの可能性が出てくるのである。パラケルススの場合、有形のものは物質的実体として存在しなくなっても、その眼に見えぬ形は自然の中に残り、したがってこの形に可視的な物質の衣をもう一度着せることができれば、それは再生すると考えられている(キルヒャーが『地下の世界』Mundus subterraneusで引きあいに出した錬金術師たちが、花を焼いた灰からもう一度花を作ることができると主張しているのも、同じことである)。《俗なる化学は、自然が形作った化合物を破壊する術であり、秘教的化学は、自然を完成させるため自然と協同作業する術である》と、ペルヌティはその著『ギリシアおよびエジプトの神話の秘密解明』Fables grecques et égyptiennes dévoiléesで書いている。またF・ハルトマンは次のように述べている、《錬金術と化学を混同するのは誤りである。近代化学は、ただ物質の基本要素があらわれる外的形態のみに専念する学問である。それはけっして新しいものを生み出さない。化学者は、二つあるいはそれ以上の化学物質を何度も混合したり合成したり分解したりして、違った形でそれを再現させることができるが、結局のところ実体には何らの増加もない、というか、せいぜい、はじめに用いられた物質の組合わせ以上のものはない。錬金術のほうは、何ものをも混合したり合成したりせず、すでに潜勢態で存在していたものを生長させ、現実態たらしめるのである。したがって錬金術は、化学よりも植物学か農業と比べたほうがいい。事実、草や木や動物の生育は、自然という錬金術の実験室でくりひろげられ、「偉大なる錬金術師」、すなわち「自然における神」の能動的な力によって行なわれる、一種の錬金術的プロセスなのである》。

要するに、化学と錬金術を区別するのは、錬金術の持つ生気論vitalisme〔生命現象が単なる物理・化学現象に還元し得ぬことを主張し、物質に生命を与える《生命力》なるものが存在することをとく説〕なのである。化学が有機体の諸現象を化学物質の結合作用に帰するのに対し、錬金術は無生物界の諸現象を生物学的現象と同一視する。そこから、『魔術の最高原理』Archidoxe magiqueにおけるパラケルススの次のような言い方も出てくるわけである、《金属が生命を欠いた死物だということを証明できる者は一人もない……。そこで私は敢然と主張したい、金属や石も、植物の根や草やあらゆる果実と同じく、固有の生命に満ちみちているのだ、と》。 さて、どうやら私たちは、錬金術の達人が追求した目的が何かわかりはじめた。今度は、さらに進んで実際的錬金術、つまり固有の意味での「大いなる作業」を考察してみよう。

第七章 実際的錬金術
一 大いなる作業
 錬金術師は好んで二つの「作業」を区別し、それを二本の木、すなわち《月の木》と《太陽の木》とであらわした。
 ―― 「小作業」le Petit Œuvreまたは「小錬金法」Petit Magistère〔magistèreはふつう錬金薬を指すが、ここは語源のmagisteriumに近い用法と解し、錬金法とした〕により、不完全な金属を銀に変えることのできる「白い石」を得ようと努めた。
 ―― 「大作業」le Grand Œuvreまたは「大錬金法」Grand Magistèreにより、金属を黄金に変えることを可能ならしめる「赤色の石」が得られるはずであった。
 ただし、右の二つの「作業」の進展は、まったく同一であった。なぜなら、「小錬金法」の作業は白色があらわれるまで進められるが、これをぎりぎりまで続けると「赤い石」が得られ、そしてその時「大作業」は完成したことになるからである。「小作業」は「大作業」Magnum Opusの単なる一段階のように思われる以上、私はただ「大作業」についてだけ述べることにしたい。

賢者の石を手に入れる方法とは、一体どのようなものであろうか。錬金術師たちは、この問題に関して多くの本を書き残した。もっとも、彼らの書いたものは、ちょっと読んだだけでは何のことやらよくわからない。たとえば、ジョージ・リプレイ(1)の『十二の扉の書』Livre des douze portesから抜いてきた次の文例によって考えていただきたい。《冬と春との間に、夫を変質させ融解せしめよ。水を黒き頭に変え、満月ののぼる「東」に向かい、多様なる色を通して起たて。煉獄ののち、輝く白い「太陽」があらわれる。》中世も終わりに近づくにつれて、著作家の言葉はいよいよ神託のように謎めいたものとなり、十六世紀にはついに次のような文章があらわれるのである。《私が書くのは寓話ではない。汝は「アゾート」すなわち「哲学者の水銀」に汝の手で触れ、汝の眼でそれを見るであろう。この「哲学者の水銀」だけで、汝はかの「石」を得ることができる……。「暗闇」が「深淵」の面おもてにあらわれる。「夜」、土星サトウルヌスと「知者のアンチモン」があらわれる。黒さと「錬金術師」のからすの頭が、「世界」のありとあらゆる色が、結合の時刻にあらわれる。虹と孔雀の尾もまた。最後に、作業が灰色より白と黄色に変わったあと、汝は「哲学者の石」、すなわちわれらの「王」、「君主たちを統治する者」が、そのガラス状の墓より出で、水晶のごとく透明な……光栄ある肉体をそなえつつ、その床、すなわち玉座にのぼるのを見るであろう。「哲学者の石」は、稠密で物質中最も重く、松脂のごとく容易に火に熔け、蠟のごとく、また水銀よりも流動しやすく……粉末状ではサフラン(鮮黄)色だが、一つの塊状をなすときはルビーに似た赤色を呈する(この赤色は、完全な凝固と不動の完璧さとの「しるし」である(2))》。達人は、とくに、「錬金薬」に関する二つの最も重要な点を秘密にしておこうと努めた。その一つは、「哲学の卵」の中で育ってやがて「石」になるはずの、混合原料の作り方。もう一つは、《火の知識》、つまり密閉した容器に周囲からあてる熱の調節法である。とはいえ、テキストの象徴体系を解読し、達人たちが用いた手順を発見することは可能である。私は次に、昔の錬金術師の大多数によって用いられた方法を述べてみよう。これは湿った道(湿潤法)voie humideと呼ばれ、十七世紀まではこの方法のみが用いられていた。《白色および赤色に到達するには、ただ一つの「石」、ただ一つの操作、ただ一つの火、ただ一つの加熱法しかなく、すべてはただ一つの容器の中で仕上げられる(3)》。お断わりするまでもないと思うが、以下はただ読者のご参考に供するだけであって、賢者の石などというものがかりにあったとしても、これがその発見のためのやり方だなどとはお考えにならないでいただきたい……(乾いた道voie sècheについては補遺一を参照)。

叙述を簡単にするため、「塩」のことは省略しよう。だいいち、この原質は、実際には多くの錬金術師が無視したのである(第六章参照)。さて、この《秘術師(アルチスト)》が大方の場合用いた方法からいえば、「大いなる作業」には次のようないくつかの異なった段階がある。
1 予備作業。
2 「石」の材料の準備作業。
3 「哲学の卵」の中での加熱作業。
4 「賢者の石」の仕上げ作業。
(1) FiguierL'alchimie et les alchimistes(フィギエ『錬金術と錬金術師』)四一ページの引用に拠る。
(2) クンラート『円形劇場』、シャコルナックによる仏訳、パリ、一九〇〇年。
(3) Pseudo-Avicenne, Declaratio lapidis physici(アヴィケンナの偽書『賢者の石に関する陳述』、ポワソン・前掲書中の仏訳引用に拠る。)

1 予備作業
 ―― 錬金術師は自分の手で器具を作り、俗衆の好奇の眼を避けて静かな場所に実験室を設けねばならなかった。実験者は、四季のリズムを尊重して、ふつう錬金薬の製造を春に始めた。なぜなら、達人たちの考えでは、自然は一年の他の時期よりも春にこそ「世界の精気」Spiritus mundiに溢れ、懐胎と分娩に適しているからで、それというのも、この錬金作業の目的は、物質の中にある種子の力(精力)を増進させることにあり、再生薬としての賢者の石は、その可視的局面と考えられていたからである。
 また、諸惑星の位置が吉相であることを予め確認してからでなければ実験を始めない人々もいた。
 他方、達人たちは、神の恩寵の助力を得ることが絶対必要であるとよく言うが、この恩寵はしばしば、天界から錬金炉(アタノール)の上におりてくる《秘密の火》によって形象化されている。

2 「大いなる作業」の材料の準備過程
 ―― 錬金作業の真の鍵である材料準備の過程は、いわば錬金薬作り全体の基礎であった。
世にもきびしき大仕事、いと苦しき労役は
手落ちなく材料をしつらうること。
(アウグレルリ『クリュソペイア』)
 問題は、二つの相反する要素 ―― これは、あらかじめ絶対に純粋な状態で抽出されたものでなければならない ―― を結合して、新たな物体を作り出すことにあった。
 では、実際にどんなものが使用されたのだろうか。厳密に言えば、自然の万物は同じ単一の質料で作られ、それが二つの相反する要素に分かれているだけだから、植物・動物・鉱物のいずれに属する物質でも任意に用いることができた。次のような言い方も、そこに由来するものである。《錬金作業の材料は、鉱物・動物および植物界にわたっている。しかるがゆえに、それはいったん純化されれば、この三領域にわたる医薬となるのである。この材料は、秘密であると同時に万人共有のものである。老いも若きも、富めるも貧しきも、誰もが熟知している。それはただ、取り集めさえすればよい。しかも、その材料の準備は子供にもできることである、もし彼が神の祝福を受けているならば(1)。》錬金術師は、自然の三界(動物・植物・鉱物界)から取ってきた数多い物質を材料とした。のみならず、彼らは、「石」の原材料(遠い材料matière éloignée)を直接取り集めようと試みることさえあった。この拾集作業に関して、先に引用したリヒターは次のような方法をすすめている。《原材料となるのは、宇宙の霊気〔占星術にもとづいた古代の哲学理論が認めた一種の流体。神や星辰から流出する神秘的な影響力として考えられた〕に満ちた一種の湿潤なるものである。この原質は限定された特性を持つのではなく、ただ、それが大地の母から受け取った起動力としての金属精気の刻印を帯びていなければならない。地上に下った宇宙の精気は、大地で、空気と火が持つ揮発性の塩と硫黄および不揮発性の水銀の性質を帯びるのである。したがってわれわれは、この原質を「混沌」(カオス)あるいは「混沌状態の大地」と呼ぶことができる。錬金術師は、雨風の烈しい中で、土星の種子semencesがこの精気をみごもらせる時、とりわけ三月、太陽が白羊宮から金牛宮に移行する時期、および十月、太陽が天蝎宮に、月が磨羯宮に入る時期に、この精気を取り集めねばならない。ピラミッド状の硝子器を取り、その頸に広い漏斗をさして、降る雨を集めよ。下になった硝子器の底は、それが置かれた小高い場所から、パイプによって実験室に通じている。器の三分の二まで集めたら、硫黄の気が抜けないように密封する。ついで、水は第一段階の火にかけられる。一筋の光も実験室に入らないよう窓をしめきったならば、器が虹のありとあらゆる色合いに輝くのが見られよう。器の底には、湯垢に似た土がしだいに沈澱する。これが錬金の秘術の原材料なのである。》だが達人たちは、一般に、あまりにも面倒な作業を要する右のようなやり方を省略した。ロージャー・ベーコンはこう言っている(2)、《まずわれわれが、必要な材料を各種の植物、すなわち草、木、および大地より生ずるすべてから取りだすと仮定しよう。これら植物を長時間煮つめることによって「水銀」と「硫黄」を抽出しなければならぬわけだが、自然がわれわれにはじめからでき上がった「水銀」と「硫黄」を提供してくれている以上、われわれは右のような作業を必要としない。また、各種動物を選んだ場合、われわれは人間の血や髪の毛、尿、糞、鶏の卵など、要するに動物から引きだせるあらゆるものを素材としなければならない。この場合にもまた、煮たり焼いたりすることによって「水銀」と「硫黄」を取りださねばならないのだが、やはり最初と同じ理由で、われわれはこの作業もやる必要がない》。したがって、一番実際的な方法は鉱物界に助力をもとめることで、だいいちそれは、よく引きあいにだされる次の文句が語っているとおりなのである。《大地の内部をたずねよ、精溜によりて汝は隠されたる石を見いださん》Visita Interiora Terrae Rectificando Invenies Occultum Lapidem。それにしても、どんな鉱物を使えばよかったのだろうか。一番よく用いられたのは金と銀で、これを少量ずつ取って結合させると、いわば倍加multiplicationの作用によって多量の金属変成を可能ならしめる酵母の働きをなす、と考えられた(本章の「賢者の石」に関する項を参照)。「太陽」と「月」によって象徴されるこの両金属は、一方は「硫黄」の原質を、他方は「水銀」の原質を、最も多量に含む物質とみなされていたのである。もっとも、達人たちは、ただ『エメラルド板』にある訓えの一つ、《「太陽」はその父にして「月」はその母》と、ギリシアの錬金術師の間にあった古い格言、《麦が麦を生み、人が人を生むごとく、金は金を生む》とに従ったまでであった。

 問題は、「硫黄」と「水銀」、つまり男性的原理と女性的原理の結合を可能ならしめることにあった。《「水銀」のみ、「硫黄」のみでは諸金属を生むことができない。だが両者が結合すれば、各種金属と多くの鉱物とを生みだすことができる。ゆえに、問題の「石」がこの両原質から生まれるべきことは明らかである(3)。》要点は、ふつう赤い衣を着た王と白い衣を着た王妃の姿で象徴される「硫黄」と「水銀」との、いわゆる「哲学的結婚」を可能ならしめることにあった(錬金術師は、時おり、この両原質を結合させる媒介となる「塩」を、婚姻の式を執行する司祭の姿であらわした)。
 金と銀(ときとして、《仲の悪い兄妹》たる「硫黄」と「水銀」とを結合させる隠れた影響力としての「塩」を格別多量に含むとみなされていた卑俗な水銀vif-argent*が、これに加えられた)とは、したがって「石」の原材料を構成するものであった。ただし、両者ともそのままで用いるわけにはいかなかった。ともに純化されてはじめて、錬金薬の直接材料(近い材料matière prochaine)、すなわち金から抽出された「硫黄」と銀から抽出された「水銀」との混合物を形作るのであった(ただ、著作家によっては、天然の金はそのまま用いることができるとされた)。金と銀との純化は、王と王妃が浸りにくる泉によってあらわされた。ふつう、金の純化にはアンチモンを使い、銀の純化には鉛を使った。《哲学者の金と銀》、すなわちまったく不純物を含まない金と銀を得るには、純化の作業を三回繰り返さねばならなかった。その次に行なわれたのが、金と銀を材料として、この二つの完全な金属から抽出された二つの相反する原質を得るための一連の操作である。《金はあらゆる金属のうち、最も完全なものである。それはわれらの「石」の父である。さりながら、その原料ではない。「石」の原料は、金に含まれる種子semence(精)だからである(4)。》金と銀は溶かされる。塩が得られ、いったん結晶化されたあと、加熱して分解される。残溜物は、ふたたび酸(これは「太陽」または「月」を食う獅子によって象徴される)によって溶かされる……。最後に得られるのが錬金作業の直接材料で、これは小さなガラス瓶に閉じこめられた液体によって象徴される。この材料が、「哲学の卵」の中に密封され、そこで王と王妃の媾合、つまり「硫黄」と「水銀」の結合が行なわれた。この結婚すなわち結合ののち、材料は「レビス」Rebis(語源的にはResとBisで、《二者合一体chose-deux》を意味する)と呼ばれ、頭を二つ持つ一個の体、またはヘルマプロディートス(両性具有神)、《錬金術のヘルマプロディートス》によって象徴された。

(1) S・リヒター、一名シンケルス・レナトゥス、十八世紀初頭の薔薇十字団の著作家。セディルの引用に拠る。
(2) Cinq traités d'alchimie(『錬金術に関する五つの論考』)中のポワソン訳Miroir d'Alchimie(『錬金術の鏡』)。
(3) ロージャー・ベーコン・前掲書。
(4) Philalethe, Fontaine de la philosophie chimique(フィラレテス『化学の哲学の泉』)。
* 「卑俗な水銀」は、原文ではvif-argent ou mercure vulgaire。本書で一般に用いられている「水銀」Mercureは、三原質の一としての水銀原素であると同時に、ラテン名メルクリウスがギリシア名のヘルメスに相当し、錬金術においてはヘルメス・トリスメギストスがその始祖とも守護精霊ともみなされるため、物質的存在であるよりも象徴的存在を指している。これに対してvif-argentは、自然の不純な金属としての水銀を指しているように思われる。mercure vulgaireというのもその意を帯びているのであろう。

3 「哲学の卵」の中での材料の加熱
 ―― さて、錬金作業の材料は「哲学の卵」(第7図)の中に入れられる。これは、いわば小さな球形フラスコで、ふつう水晶で作られ、その口は、材料を中に入れたあと、《ヘルメスの印璽》によって密封されねばならなかった(密閉することをfermeture《hermétique》と呼ぶ一般の言い方は、ここからきたものである)。この容器が哲学の卵と名づけられたのは、その形状にもよるが、同時にもっと意味深長な類比をも含んでいた。つまり、この哲学の卵は《世界の卵》の象徴のごときものであり、いわば世界創造の小さな雛形だったのである。卵が抱卵期を経て孵化するように、この容器から賢者の石が(そこから《雛鶏の家》という呼び名が生じる)、《王者の緋衣を着て冠をかぶった子供》が生まれ出るはずであった(この容器には、そのほかいろいろな名前がつけられた。たとえば《牢獄》、これは《哲学の夫婦》がいったんそこへ入ると錬金作業が終わるまで閉じこめられたままであるところから ―― また《婚姻の部屋》、これは「硫黄」と「水銀」の《哲学的結婚》がその中で行なわれるから ―― また《墓》、これは《夫婦》が結合したあとそこで死ぬから。あらゆる発生が腐敗から生じるように、彼らの死後、その《息子》、すなわち賢者の石が生まれるのである)。

「哲学の卵」は、灰または砂を満たした鉢の上にのせ、アタノール ― 一種の反射炉(第8図参照) ―― の中で一定のやり方で加熱されねばならない。いったん点火した火は、錬金作業が終わるまで燃焼をやめてはならない。アタノールには三つの部分があって、上段のドーム状のところは熱を反射する役目をする、中ほどには三角形の出張りが三つあり、その上に鉢と「卵」を置くようになっている(水晶の仕切りをはめこんだ穴が二つ、向かいあって開いており、そこから内部の様子を見ることができる)。最後に、炉を入れてある下段の部分には穴がいくつかあけてあって、外気が入るようにしてあり、扉がついている。一番むずかしいのは、錬金作業に必要な加熱の程度を順に加減していくことであった(錬金術師は、しばしば石綿の芯の油ランプを用いた。芯にする石綿の細紐の数をふやしていくと熱の強さも増大するからである)。加熱には四つの段階があったように思われる。第一段階はおよそ六〇度から七〇度(エジプトの夏の気温)。第二段階は、だいたいふつうの硫黄の沸点と融解点との間。第三段階は、錫の融解温度よりやや低いくらい。第四段階は、鉛の融解点よりやや低いくらいであった。

点火と同時に本来の意味での「大いなる作業」が始まる。作用opérationsと呼ばれる種々の現象が起こるからである(結晶化、蒸気が出てそれから凝結する、など)。このいわゆる作用の途中で、材料はさまざまな色合いになる。これが錬金作業の色で、主要な色(その順序は不変で、必ず黒・白・赤である)と、中間色(灰色、緑、黄、虹色など)とに分かれるが、後者はただ主要な色の間の推移を示すだけであった。
 ―― 《哲学的結婚》がすむと、やがて黒色があらわれる。これが腐敗の名で呼ばれる段階で、死体や骸骨や烏などがその象徴として用いられた。
 ―― つづいて、「石」はしだいに白くなる。これが復活で、無数の寓意によってあらわされた(たとえば、バシリウス・ヴァレンティヌスの『十二の鍵』の第八の五芒星には、次のように記されている。土中で腐ったのち蘇生する種子 ―― 分解して最後の審判の日に蘇る肉体。二つとも、「卵」の中に閉じこめられた材料が死に、黒くなり、ついでその黒さを失って《蘇る》ことをあらわした比喩である)。白色は、ふつう白鳥によって象徴された。錬金作業をこの段階でやめると、「白い石」が得られ、これには諸金属を銀に変える力があった。
 ―― 最後に、虹のすべての色合いを通過したあと、「石」は輝かんばかりの赤色を帯びる。これが赤化rubificationで、不死鳥、ペリカン、または冠をかぶって「哲学の卵」の中に閉じこめられた若い王によって象徴された。

4 「石」の仕上げ過程
 ―― 「哲学の卵」を割り、中の赤い物質を取り出す。今や、「世界の精気」の活潑な凝縮物、《万物の始めにして終わり》(「アゾート」)である赤い完全な賢者の石が得られたのである。だがそれは、実際に使用可能となる前に、もう一つ、醱酵という名で呼ばれる仕上げ過程を経なければならなかった。赤く脆いかたまりである「石」は、溶けた金と混ぜられ、一定の処理を受ける。するとそれは、質的にも量的にも無限に高まり増大するのである。

5 賢者の石とその諸性質
 ―― 賢者の石は、きらめく赤、《紅玉の色》(パラケルスス)をして、かなり重い、輝く粉末の姿であらわれるはずであった。オルトランは次のように書いている(ガンツェンミュラーの引用に拠る)、《それはしだいに赤い、透明な、流動性の、液化可能な石となる。それは、水銀や、ありとあらゆる固いまたは柔らかい物体に滲透し、金を作りだすのに適した物質に変化させることができる。この石は、人間の体をあらゆる病から癒し、健康を回復させる。この石を用いて、硝子を製造したり、宝石を柘榴石のような光り輝く赤色に染めたりすることができる》。
 卑金属を黄金に変えるための作業は、プロジェクション〔本書の著者ユタンがM・カロンと協同で書いた『錬金術師』スイユ社刊によれば、projectionはperfection(完全化)と同義語である〕と呼ばれた。金属、たいていはふつうの水銀vif-argentを熱し、または鉛や錫をよく溶かしておいて、あらかじめ蠟にくるんでおいた一かけの「石」をるつぼに《投じる(プロジユテ)》。達人たちの語るところでは、この方法によって多量の金属変成を行なうことができた。たとえばセトンは、一六〇三年、フランクフルトの商人コッホの家で、千百五十五倍〔用いた「石」の〕の重さの水銀を黄金に変えたと言われる。また、ファン・ヘルモントは、或る未知の人から送られた賢者の石四分の一グレイン〔一グレインは約五十三ミリグラム〕を用い、一六一八年、ヴィルヴォルドにある自分の実験室で、一万八千七百四十倍の重さの水銀を貴金属に変えたと言われる……。アルノー・ド・ヴィルヌーヴの考えは、もっと徹底していた。賢者の石について、彼はこう語っている、《この石は形相を生ぜしめ、これを無限に完璧ならしめる特性を持つ。というのも、改善された物質の部分は次なる部分を改善し、かくてこの連鎖は無限に続くからである(《原子の連鎖崩壊》に関する現代の考えを参照されたい)……。海の水がそっくり沸騰する水銀または溶解した鉛だとして、この多量の液体に少量の「錬金薬」をふりかければ、液体は黄金または銀になるであろう》。「石」の医薬としての特性は、当然のことながらさらに重要なものとみなされた。《されば、この神聖な学問の目的はただ一つ、金または銀を作ることにあると言う、いつわりの弟子をことごとくしりぞけよ。彼らがその名誉を汚し、金銭のために売り渡す錬金術の本来の目的は、ただ一つ、物質から第五元素を抽出し、人が失った健康を回復させる力のある秘薬アルカナ、チンキ剤、霊薬(アルカナ)、チンキ剤、霊薬(エリキサ)を調製することにある》とパラケルススは書いている。「石」は二様の形で用いることができた。すなわち、塩の形でか、または水銀を含む水に溶かした形(金の塩化物溶液Or potable〔直訳すれば「飲める黄金」の意〕)でか。《賢者の石は万病を癒し、心臓の毒を去り、気管をうるおし、気管支を楽にし、潰瘍を癒す。それは、ひと月続いた病を一日で、一年続いた病を十二日で、もっと長い病をひと月で癒す。それは老人に若さを返す(1)。》賢者の石は「万能薬(パナケイア)」でもあり、「長寿のエリキサ」でもある(第一章参照)。ただ、だからといって必ずしも人を不死ならしめるわけではない。だいいち、不慮の死というのはやはりあり得ることである……。にもかかわらず、達人たちは、ためらうことなく極端な考えを持つようになり、賢者の石は生きながらにして人を「至福者」の永生(第九章参照)に入らしめると主張した。「アルス・マグナ」の奥儀に通じた達人たちは、「石」が持つ奇蹟的な力のリストをいくらでも長くした。彼らによれば、「石」は錬金術師の姿を見えなくしたり、天使たちと交流させたり、万物の究極の理を知らしめたり、のみならず自由に空を飛ばせたりする力さえ持つとされた。《「石」を掌中に握ると、その人の姿は見えなくなる。薄い布地に縫いこみ、「石」をよく温めるように布をしっかり体に巻きつけると、好きなだけ高く空中に浮かぶことができる。下へおりるには、布をすこしゆるめればよい(2)。》

十六世紀になると、若干の思想家が、達人たちが賢者の石の存在を信じているのを批判するようになった。たとえばコルネリウス・アグリッパ〔一四八六 ― 一五三五。アグリッパ・フォン・ネッテスハイムに同じ。ドイツの医師・錬金術師。カバラ的な神秘思想の持主として知られた〕は、その著『隠秘哲学」Philosophia Occultaで、自分はいろいろ実験をやってみたけれども、その錬金作業のあげく、はじめに用いた極微量の金銀以上のものは得られなかったと告白している。十七世紀には、イエズス会の修道士キルヒャーが、実用的錬金術は不可能な科学ではなく、おそらくいつかは金属変成が実現するとしても、現に存在するような聖なる術は絵空ごとにすぎぬと結論した……。だが、今日でもなお、錬金術師は、実験室での操作の手順を倦むことなく述べているのである(3)。
(1) アルノー・ド・ヴィルヌーヴ『哲学者の薔薇の木』。
(2) Livre de la Sainte-Trinité(『聖三位一体の書』)、ガンツェンミュラーの引用に拠る、十四世紀の作者不明の書物。
(3) Roger Caro, Le grand œuvre photographié en couleur, Saint-Cyr-sur-Mer (Édit. Carot), 1969(ロジェ・カロ『カラー写真で見る錬金作業」)を参照。

二 ホムンクルス(人造小人)
 錬金術師の中には、人工的に人間を造ることができると信じる人々がいた。これがホムンクルス説で、とくに『ものの本性について』の中でパラケルススがこの説をひろめた。彼は書いている、《さて、ホムンクルスを造るのに必要なやり方は、次のごとくである。人間の精液を、四十日の間、蒸溜器に密閉せよ。精液が生きて動き始めるまで腐敗せしめよ。見れば直ちにわかることである。この期間を過ぎると、人の形をした、だが透明でほとんど非物質的なものの姿があらわれるであろう。しかるのち、この生まれたばかりのものを、毎日、人間の血で慎重かつ細心に養い、かつ、馬の胎内と同じ温度のままで四十週間保存すれば、それはほんものの生きた子供となる。女から生まれた子供と同じく五体健全で、ただずっと小さいだけである(1)》。
 ホムンクルス信仰は、科学的にはばかげている(精液は、それだけ分離しては生殖不可能である)が、民間伝説(とくにドイツ)にまで大きな反響を与えた。ホムンクルス造出の可能性を信じるのは、中世やルネサンスの学者によってさかんに作られた驚くべき自動人形の名残りだとみなす歴史家もいる……。パラケルスス自身は、これに、おそらく秘儀伝授に関する秘教的意味を与えたのであろうし(第八章参照)、近代における祖述者たちも、多くはこの大医学者が、このプロメテウス的神話によって賢者の石を、《金属の胚(2)》の誕生を、比喩的に語ろうとしたのだと考えたのである。
(1) フィギエ『錬金術と錬金術師』に引用されたラテン語テキストに拠る翻訳。
(2) E. Canseliet, Deux logis alchimiques(『錬金術の二つの住居』)四六ページ参照。

第八章 神秘的錬金術
1 錬金術は隠れた意味を持っていたか
 ―― 《知るべし、哲学者らは、黄金や銀のみを欲しがる無知なる連中の欺かるるがごとくに、さまざまのことを書くよう、用心せしことを》 ―― かの不思議な人物バシリウス・ヴァレンティヌスはそう書いている。ところで、もっばら神秘主義的な錬金術の観念があり、それによれば、賢者の石造出の相次ぐ段階、それぞれの《化学的》作業は、実際には、天啓的認識を追究する人間の相次ぐ純化の段階を述べたものだというのである。現代フリーメーソン系の最も偉大な著述家の一人O・ウィルトは、次のように書いている、《錬金術師は、みながみな自分らの用いる象徴に欺かれていたわけではない。彼らにとって、「鉛」は卑俗と鈍重と愚鈍を意味し、「黄金」はまさしくその正反対を意味していた。奥儀に通じた錬金術師は、滅びやすい富、俗衆を惑わすふつうの金属などに目もくれなかった。彼らは万物を、完成可能な人間、鉛がその中で実際に黄金に変わり得る人間というものに関係させたのである》。したがって、錬金術の象徴体系は、物質ではなく精神的営為に適用されねばならない。それぞれの象徴は、内的存在の進展をあらわすものである。働きかけるべき素材は人間それ自身である。《汝は「大いなる作業」の素材そのものである》(グリヨ・ド・ジヴリ)、そして、賢者の石は、秘儀伝授の到達目標、すなわち変化し終えた人間を指す。錬金術は存在の純化以外のものではない。それは「最高知」へ達する力を人間に与えるであろう。《感覚の世界をすべて捨て去り、目を閉じて神の意志に従うことによって、天使のおよぼす力を浴びるに至った者は、そのこと自体によって賢者の石を所有する。彼には何一つ不足したものがない。地上の全被造物と天界のあらゆる力が彼に服するのである(1)。》《哲学者の水銀》は、「自然」の普遍的生命の根源であると同時に、禁欲による贖罪の原理でもある。ホムンクルスの理論自体も、隠れた裏の意味を持っていた。それは、われわれ人間の新たな誕生、秘儀伝授による人間の霊的復活の象徴なのである。多くの生きた有機体が腐敗した物質から生じるようにみえるごとく、人間もその不断の腐敗(堕落)状態を脱して高まる能力を有しているのである。
(1) パラケルスス『最高原理』。

2 禁欲と天啓
 ―― 黄金の追究は、実際には、純粋に精神的な腐敗せざる富の発見である。《「大いなる作業」を行なおうとする者は、己が魂の扉をたたき、わが存在の最深部に入りこんで、隠れたひそかな作業を営々と、実行しなければならぬ。種子が地中深く埋められねばならないように、神の召命を聞く者は、己れを正し、己れを直くすることによって、黒く汚れた物質である生まれながらのわが肉体の崇高な変容を果たし、炭から光り輝く金剛石を、卑しい鉛から純粋な黄金を得なければならない。その時、彼は、身内に秘められていた隠れた「石」を見いだしたのである(1)。》純化しなければならないのは、われわれ自身の存在である。腐敗の段階、つまり賢者の石が通る《黒》の段階は、実際には、十字架の聖ヨハネ〔一五四二 ― 一五九一。スペインの神秘思想家。聖女テレシアとともにカルメル修道会の改革に努めた〕が《霊魂の暗夜》と呼んだ霊的状態、すなわち、人間が己れの無能の度を思い知る否定的状態、個人が深淵の底に触れたように思う下降の動きであるが、それは、その後の事態の進展には不可欠のものなのである。ルネ・ゲノンが言うように、《大切なのは、存在を……「第一質料」(マテリア・プリマ)にも比すべき未分化の単一な状態にもどし……秘儀にみちた「光あれ」Fiat luxの声を受け入れることができるようにすることにある。存在にこの原初の《天啓》を伝えるべき霊の波動が、彼の中で、俗界からきた不協和な《既成物》のおよぼす妨害をまったく受けないようにしなければならない。だからこそ、存在はまず第一質料の状態に還元される必要があるのだが、このことは、ちょっと考えてみればはっきりわかるように、秘儀伝授の過程と錬金術の《大いなる作業》とが実際には同じものにほかならぬことを示している。両者ともに、あらゆる霊性の唯一の本質たる神的光明の獲得を意味しているのである》。その上「大いなる作業」の各段階は、秘儀伝授のそれと正確に一致している。したがって、秘儀を受けた者にとって「賢者の石」とは知恵であり、直観であり、われわれを神に近づける神秘の過程である。賢者の石を発見するとは、根本的問題を解決し、天啓によって得た完全な「知識」の助力で「自然」の秘密を見いだしたことを意味する。すなわち、真の錬金術師は万物の中に神を見、この世の悪を善に変え、好んで隣人に救済の手をさしのべる。《要するに、われらの「石」を探らんとする者は、罪を犯すことなく、固く美徳を守るべし。汝の精神こころは、光明と真理への愛に照らされよ。汝の望む神の賜物を得し後は、苦境に悩める者に手をさしのべ、不幸に沈む人々に力を貸して助け起こさんとの決意を固むべし(2)。》
(1) R. Amadou, L'occultisme (R・アマドゥ『隠秘学』)、一六〇ページ。
(2) Basile Valentin, cité par A. Ouy, La philosophie des alchimistes(バシリウス・ヴァレンティヌス『錬金術師の哲学』、A・ウイの引用に拠る)。

3 錬金術とフリーメーソン
 ―― すでに指摘したとおり、高度に哲学的な錬金術思想を展開したのは、とりわけフリーメーソン系の思想家である。その意味で、ヘルメス学と錬金術の数多い象徴が近代フリーメーソンの中に入りこんだことを言っておかねばならない。《フリーメーソンは、古いヘルメス思想の近代的一変種にすぎないように思われる。事実、フリーメーソンの象徴体系は、古い秘伝的学問から借用したさまざまな伝統の奇妙な集成物なのである》(O・ウィルト)。フリーメーソンと錬金術の達人との両方に共通する象徴や寓意を挙げようとすれば、その数はいくらでもふえるであろう。たとえば、直角定規とコンパス、ペリカン、ソロモンの印璽、火焰を放つ「星」、「光」と「闇」など。さらに、中世における同業組合の秘教思想、とくに聖堂建築に従事する人々の同業組合の中でヘルメス学の理論が果たした役割を思い起こせば、十分である。中世の宗教建築の大多数がヘルメス思想からきた表徴シーニユに満ちみちており、それが現代フリーメーソンに伝えられたのである(1)。
(1) Paul Naudon, La Franc-Maçonnerie, coll. «Que sais-je?»(ポール・ノードン『フリーメーソン』、文庫クセジュ)、Oswald Wirth, Le Symbolisme hermétique, Paris,《Le Symbolisme》(オスワルド・ウィルト『ヘルメス学の象徴体系』)参照。

第九章 アルス・マグナ
 さて、いよいよわれわれは、秘伝的錬金術の最も野心的な考え方に手をつけてみよう。これは、ときとして「アルス・マグナ」(大いなる秘法)または《王者の術》と呼ばれ、ヨーロッパではとくに十四世紀以降、秘伝として伝えられたものである。恍惚とした瞑想の息吹のままに書かれたこの種の著作は、現代の読者にとってはまったくわけのわからぬ魔術書みたいなものである。それでも、その基本的な命題を見いだすことはできる。

1 超人
 ―― 高度の錬金術を通じて、達人はほんものの超人、神的存在となる。「大いなる作業」とは、脱魂による神との合一だが、同時にそれは肉体からの離脱であり、盲いた運命の力からの解放であり、空しい幻影としての存在を真の存在に変えること、不死の境に近づくことである。《最も高い段階から言えば、錬金術は人間の霊的復活に没頭し、人間を神にする道を教える。もっと正確に言うならば、錬金術は、人間の内部で神的な力を発展させるのに必要な諸条件を作るすべを教えるのである》(F・ハルトマン)。人間こそが「大いなる作業」の材料であり、「神の言葉」はこの作業を行なう「錬金術師」、「聖霊」は「秘密の火」である。形而下的な作業、つまり金属変成は、肝心の主作業(「エルゴン」)に比べれば何か副次的なもの(薔薇十字団のいう「パレルゴン*」)になってしまう。《真の意味での王者の術、聖職者の術とは、復活の術、言いかえれば、堕落した人間と神との合一の術である(1)。》ただ、この点はとくに強調しておかねばならないが、物的操作はやはりそのまま続けて行なわれたのである。すなわち、達人は神秘的作業と物質的作業を同時に行ない、この両者は類似平行の関係にある。物質的作業の記述は霊的作業の過程に厳密に対応し、その逆も真である。そこには、宇宙の万物、宇宙の全存在は同じ一つの「存在」から発し、神秘の絆で同じ「摂理」につなぎとめられているがゆえに相互に親和関係にあると考える、あのヘルメス哲学の根本原理がさらに普遍化されているのが見られるのである。「大いなる作業」を行なうには、まず予備的条件を整えることが重要となる。すなわち、達人はあらゆる身体の欲望を捨て去り、肉を軽蔑し肉に打ち勝って、神の助力を享けることができるようにならなければならない。「神的存在」の助けが必要不可欠であり、「恩寵」が錬金術師に下されねばならない。《注意しておきたいが、探求者は、現世および永生の救いに心を配ろうとするならば、まず「神の水銀」〔メルクリウス神とも読める「恩寵」の象徴的表現か〕により死の呪縛から完全に脱してのち、地上的方式の道に踏み入るがよい…… さもなくば、その仕事は実りなく、その知は無益であろう(2)。》《秘密の火》を錬金炉(アタノール)に降ろすため、一連の呪文が定められている。とくに達人は、作業にとりかかる前、古い『ヘルメス頌歌』Hymne d'Hermèsを必ず唱えなければならない。《宇宙よ、わが祈りに耳傾けよ。大地よ、開け、水の総量がわれに開かれんことを。樹々よ、揺るるなかれ。われは「創世の主」、「全」にして「一」なるものを頌ほめんとす。空よ、開け、風よ、黙せよ。われの中なるすべての力が全にして「一」なるものを讃えんことを》(ヘーファー訳に拠る)。錬金術は、物質に対する精神の無限の力を基本命題とする真の宗教となる。現代の錬金術の達人フルカネルリは次のように書いている(3)、《精神が物質を動かすMens agitat molem**というラテン語の古諺をしばしば思い起こす必要がある。なぜなら、賢明なる職人を導いてその労働を成就させるのは、この真理への深い確信なのだから。彼は、この確信、この強固な信仰の中にこそ、大いなる神秘の成就に必要不可欠な活力を汲み取るであろう》。

 錬金術的昇華は、神の観想への上昇と同時に物質的作業でもある。《術》は禁欲修行を伴う。両者相俟って、錬金薬作りの二重の過程を形づくるのである。霊的作業は、肉体の抵抗を打ち砕くことによって脱魂状態を生む可能性のあるあらゆる方途を駆使し、方法論的に規定された禁欲修行を通じて行なわれる。それが完成を見るのは、人間存在の聖化、その徹底的純化を通じてだが、この仕事は、「神の霊」、《秘密の火》、《燃える水》の降下を俟って行なわれる。それは真の意味における《火の洗礼》であり、ただ「神の言葉」のみがそれを授け得るのである。ただ、それと同時に錬金術師は、生きた宇宙的エネルギー、すなわち「世界の精気」を媒介とする物質的作業を成就しようと努める。彼は、暗く不定形な物質の内部に閉じこめられた不滅の火の光線を迸らせようとするのである。そのために、錬金術師は「自然の火」、すなわち、それなくしてはこの世の何ものも生育しないが、それ自体は不透明な「闇」に捉われているあの「精気」をわがものとしなければならない。彼は、この「精気」を物質化する度合いに応じてそれをつかまえていかねばならないのである。

「不死鳥」は赤色の「石」であり、それは、己れの生みの親と同じ性質を持つがゆえに己れの灰から蘇生する。それは「生命」の根源で、「神の言葉」と同義であり、達人はこれをわが手で作り出すことによってつかむのである。錬金術師は、死してのち蘇る神という古い神話を再発見し、「石」をキリストになぞらえることを躊わない。《……ゆえに彼らのなせるがごとくせよ。汝ら、かの星を見しかば、従いてかの揺籃に至るべし。さらば汝らは見ん、美しき子を。その輝けるさまをさらに知らんと欲せば、彼を美しく磨くべし。この王の子を崇め、汝らの宝庫を開きて彼に黄金を捧ぐべし。しからば、その子、死せるのちにわが肉と血を汝らに与え、汝らはそれより、この世の三界に必要なる至高の薬を抽出するを得ん(4)。》次に引用するのは、錬金術の達人ニュイズマンによって用いられた表現をA-M・シュミットが要約したものの一部である。《この君主、墓より解放され、異教の神々を征服し、貧者に卓越せる品位を分け与え、飢えたる人々に恩恵を施す者、その力にて宇宙を満たすときにもなお己れの原一性を保つ者、微小なる外観をまといつつも「神性」と質を同じくする者、蘇る「不死鳥」、腐る「種子」、わが血もて己が霊魂の子らを養う「ペリカン」、「精霊」の火より生まれ、その火を受け、その火によりて活力を蘇らせる「火とかげ(サラマンドル)」である者、この君主は、イエス・キリストではあるまいか。されどまた、腐敗の毒気と錬金の術***の困難にもかかわらず、水晶のフラスコより出できたり、あらゆる卑金属を黄金に、卑俗な水晶を金剛石に変える力を賦与され、最も平凡なる物質の一つより出でて、赤く、「不死鳥」のごとく絶えず蘇り、やがてまた芽を吹く種子のごとく腐敗し、「ペリカン」のごとく己が生命にて死せる物質を蘇生せしめ、「哲学の卵」の規則的なる加熱に用いらるるさまざまの火にて「火とかげ」のごとく生き、三位一体の第五元素であるもの…… この君主、世界の胎内にてもし坑夫のつるはしが彼のゆるやかな熟成作用を妨げねば、必ずや安らかに黄金変成を成就するであろう君主、彼こそは「賢者の石」ではあるまいか。》

達人は、この世に在るうちから、「蘇り」の状態に達し、その死すべき肉体を光り輝く姿に変えることができる。《「大いなる作業」の目的は(達人にとって)、欲するときに、死を通過せずしてこの腐敗すべき肉体から解放されることにある(5)。》賢者の石は粗悪なかたまり(マツス)を破壊し、肉体を改変して、限りなく流動的で光り輝く精髄たらしめる。それは外からの影響を受けることがなく、しかもなお依然として人間の形態を保っているのだ。《雲の中より発せられた「御言葉」を有し、神の光耀に輝く「精霊」と一体になる者 ―― モーゼやエリアの運命はまことに彼のものであろう(6)。》この物質的な肉体は、アダムが原罪以前に所有していた肉体、選ばれた者が最後の審判の後に所有するであろう肉体と同じ《栄光に輝く身体》に変わることができる。フォン・エックハルツハウゼンは次のように言っている(前掲書)、《復活は三つの次元にわたって行なわれる。第一にわれわれの理性の復活。第二にわれわれの心ないしわれわれの意志の復活。最後にわれわれの全存在の復活である。第一および第二のそれは霊の復活と呼ばれ、第三のそれは身体の復活と呼ばれる。神を求める敬信の人々で、精神および意志の再生を経験した者は多いが、身体の復活を経験した者は少ない》と。

 現世の出来事の偶発性・偶有性から解き放たれ、精神的にも肉体的にも純化され、賢者の石によって《天使の身体》を与えられた達人は、「知識」「力」「不死」という三重の分け前に同時に与ることとなる。彼は心のままに神と交わり、神と一体化する。彼は生きながらにしてすでに救われているので、他の俗衆のようにこの世の終わりの時に審かれる要がない。彼が、もろもろの超自然の力(姿を見えなくすること、どこへでも思いのまま迅速に行けること、ありとあらゆる言語を理解しかつ語ること、病人を治すことなど)に恵まれながら、なお地上にとどまるのは、この世をへめぐって他の人人が救いに与るのを助け、受け伝えられる秘法が汚されぬよう厳重に監視するためである……。しかし、と、すかさず付け足して言われることだが、この種の達人はほんとうに例外なのだ(錬金術師は、《招かるる者は多かれど選ばるる者は少なし》という福音書の言葉〔本訳書27ページ訳注を参照〕を、この意味に解している)。そしてロバート・フラッドは、この種の奥儀に達した者を見いだそうと努めたがむだであったと語っている。
(1) D'Eckhartshausen, La nuée sur le Sanctuaire, trad. Savoret(フォン・エックハルツハウゼン『聖壇の上の雲』、サヴォレ訳)。
(2) Jacob Boehme, De signatura Rerum(ヤーコプ・ベーメ『もののしるしについて』)。
(3) Fulcanelli, Les demeures philosophales, p. 200(フルカネルリ『賢者の住居』、二〇〇ページ)。
(4) Philalethe, Introitus..., cité par C. D'Yge(フィラレテス『序論』、C・イジェの引用に拠る)。
(5) Jacob, Révélation alchimique(ジャコブ『錬金術の啓示』)。
(6) Fludd, Tractatus theologo philosophicus(フラッド『神学・哲学論考』)。
* 《しかしとりわけ現下の時世において、神を蔑する呪われた黄金造成がいちじるしく隆盛していて、まことにおびただしい素姓の知れぬいかがわしい輩が盛大にイカサマを働いていて、好奇心と信用を悪用しようとしており、ために節度ある人士でさえいまははや、金属変成が哲学における最高の究極事であるかのごとく思いなしてこれに全力を注ぎ、そして大きな黄金の塊を作ることができさえすればそれが神の意に適うかのごとく考えているのだが…… この点に関してわれらはここにはっきり誓言しておくものである。すなわち真の哲学に関してはかかる業は偽りであり、かの黄金造りは些事であり、パレルゴンにすぎないと》(『薔薇十字団の伝説』〔種村季弘『薔薇十字の魔法』薔薇十字社刊中の引用に拠る〕)。(訳注)
** ウェルギリウス『アエネーイス』中の一句。もともと、世界の汎神論的・ストア学派的説明として、霊的原理が宇宙に生命を与えていることを意味し、転じて、物質に対する精神力の優位・支配性を言うのに用いられる。(訳注)
*** テキストではl'Art spagyrique。spagyrieはパラケルススの造語で、ギリシア語のspân(抽出する)とageirein(集める)とを合成したもの。分離し結合する術の意で、l'Art spagyriqueは結局l'alchimieと同義である。ただし、le Grand Œuvreにくらべて、la spagyrieはもっぱら錬金術における冶金学的な操作を指す、という違いがある。(訳注)

2 「宇宙(コスモス)」の再生

―― 変成作業は、人間を変容せしめたのち、宇宙全体に適用される。すなわち達人は、罪びととしての人間がみずからとともに堕落させた世界を再生せしめようと努めるのである。達人は、かくて真の救い主、つまり悩める人類と堕落せる宇宙コスモスに救いをもたらす者となる。《それゆえ、知的な錬金術があり、倫理的な錬金術があり、また社会・生理・星辰・動物・植物・鉱物その他、多くの領域に関する錬金術がある。ただし霊魂の錬金術こそはやはり、種々なる錬金術の範型モデルであり、鍵であり、根拠である。そして、まさしくあの有名な『エメラルド板』でヘルメスが言ったとおり、右のごとき各種応用錬金術のいずれかを知ることは、暗に他のすべてのそれを知ることを示すものである》(A・サヴォレ)。錬金術のめざすところは、宇宙全体が救われてのちはじめて完全に到達し得るであろう。《永世と蘇生と賢者の石の発見との間に違いはない。すべては永遠より出たがゆえに、すべては同じく永遠へ帰り行かねばならないのだ(1)。》
 こう考えると、錬金術はその通常の目的からひどくかけ離れ、一種の密儀宗教、秘儀的・秘教的なキリスト教となる。といっても、実験上の技術がなくなるわけではなく、それは解脱と救済との探究過程で苦行と結びつくのである。西欧におけるこの運動が最も盛んだったのは一七世紀はじめであった。この時代には「薔薇十字団の兄弟ともがら」が、天啓説と、いわゆる錬金術と、占星術と神秘主義との合成よりなる独特の教義をひろめ、それがヨーロッパをアレクサンドリアの神智学者たちの時代に引きもどすかに見えたのである。薔薇十字団の思想の影響はきわめて大きく、とくにヤーコプ・ベーメおよび、ドイツとイギリスにおけるその数多い弟子たちに強く滲透した。のみならず、薔薇十字団員の間には、神智学的情熱と広汎な社会改革の意欲とが入りまじっていた。すなわち、達人たち、秘儀を受けた大いなる賢者たちは、キリスト再臨後に地上を支配すべきものと考えられ、かくて、古来西欧に跡を絶たなかったかの千福年説〔最後の審判の前、再臨したキリストを王として千年間の地上王国が出現すると考える説〕の信仰がふたたび姿を現わしたのである…… のみならず、錬金術はときとして社会的情熱と結びついたようにみえる。たとえば、わずか二十三歳で賢者の石を発見したとみずから言うかの謎の人物フィラレテスは、次のように書いている、《私は思うのだが、もう何年かすれば、金銭は鉱物滓同様に軽んじられ、イエス・キリストの精神に反したこの下らない怪物の力が地に落ちるのを見ることだろう。民衆は金銭に取り憑かれ、正気を失ったあまたの国の人々が、この無益で重たいだけの金属をまるで神のように崇めている。いったいこれが、われわれの魂の近き贖いと遠い来世の希望とに何の役に立つであろうか……。私には今からわかっている、私の書いたものがやがて最も純粋な金銀と同じく重んじられ、そして私の著作のせいで、これらの金属は不潔な堆肥のように軽んじられるであろうことが(2)》。
(1) J・ベーメ『もののしるしについて』。
(2) Introitus, cité par le Dr Allendy, Paracelse, p. 165(『序論』、アルランディ博士『パラケルスス』中の引用に拠る)。

3 錬金術の誤った諸形態
 ―― 以上私は、最も著名な達人たちによって定義された意味での真正な「アルス・マグナ」を吟味した。今度は、錬金術における若干の錯誤形態に言及しておかねばならない。それはけっして大きな重要性を持ったわけではないが、やはり一般大衆の間では何かと噂の種になったからである。というのもヘルメス思想は、往々、低俗な妖術と結託したのだ。《黒い》錬金術師の最も意味深い例は、あの有名なジル・ド・レ将軍〔一四〇四 ― 一四四〇。ジャンヌ・ダルクを助けてオルレアンの解放に功績があったが、のち居城に退き、錬金術と黒魔術にふけって多数の幼児を殺した嫌疑で逮捕され、裁判ののち処刑された〕である。彼は ―― その裁判に出廷した証人たちの言を信じなければならないなら ―― 数百名の子供を自分の魔術的実験の犠牲に供したという。この種の《錬金術師》は、一連の実験定式を発展させたが、そのだいたいのところにだけ触れておくと、《黒ミサ》〔通常のミサを戯画化した悪魔的な儀式で、性的放縦を伴うことが多い〕、性交によって生ずる《魔法の流体》を捉えるための淫乱、錬金作業の成就に必要な人間の血を集めるための儀式としての殺人などであった……。魔術と粗雑な天啓主義とをごたまぜにしたこれらの錯誤は、真の錬金術とは断じて如何なる関係もない。十八世紀においてさえ、若干の偽錬金術師はこういう錯誤の罪を犯したようにみえる(A・ウイの著書『錬金術師の秘密の哲学』La philosophie secrète des alchimistesに引かれている例を参照)。だが、繰り返して言いたいが、錯誤の道に迷いこんだこれらの人々は錬金術師の名に値しないのである(1)。
(1) ちなみに、この際言ってしまっておきたいが、リュシフェール的教義はそれを基盤とした醜行とは別ものである。のみならず、隠秘学者たちは、リュシフェール主義とサタン主義とを区別しているのである(R. Ambelain, Adam dieu rouge, Paris, Niclaus, 1941.R・アンブラン『赤き神アダム』を参照)。

4 錬金術とタントラ教
 ―― それにしても、錬金術における苦行の高度の形態のうち、性的エネルギーの抑制が魔術的な奇跡を生む役割を果たしているのは、たしかである。それは、或るときはただ一人での探求の形をとり、或るときは二人での禁欲苦行の形をとるであろう。こうして、錬金術師同士の夫婦が形成される(1)。錬金術が一種のタントラ思想のごとき姿を見せることがあるのは、そのせいなのである。
(1) Maurice Ariane, Notes sur l'alchimie(in recueil collectif Yoga, Paris, Cahiers du Sud, 1953, p. 243-273)(モーリス・アリアーヌ『錬金術覚え書』、「ヨガ」選集に収録)。グスタフ・マイリンクGustav Meyrinkの秘教的小説(ラ・コロンブ社刊仏訳)。E. L. Garstin, The Fire of the alchimistes, Londres, 1921(E・L・ガースティン『錬金術師の火』)を参照。Julius Evola, Métaphysique du sexe, Paris, Payot, 1959(ユリウス・エヴォラ『性の形而上学』)を見よ。さらに、拙著Voyages vers ailleurs, Paris, Fayard, 1962(『他界への旅』)、Commentaire sur le《Mutus Liber》, Maizières-lès Metz, Le Lien, 1966(『《沈黙の書》への注解』)、Anatomie d'un fabuleux espoir, id., 1969(『仮空の希望の解剖学』)を参照されたし。

第十章 錬金術の影響
 錬金術の影響は驚くほど大きく深かった……。かなり多くの民間伝承にもその痕跡が見られる(たとえば、莫大な財宝に満ちた洞窟に《黄金の山羊》が棲み、無謀にもそれを捉えようと試みる者を死へ追いやるというプロヴァンスの伝説。この伝承は、ジャン・エーカール〔一八四八 ― 一九二一フランスの作家〕の小説によって普及した)。人間活動の領分で「ヘルメスの術」の影響を被らなかったものは少ないくらいである……。

1 芸術と文学に対する影響
 ―― 錬金術にヒントを得た芸術作品は、非常に多い。若干の中世建築物における象徴的彫刻については、すでに述べた。レンブラントやアルブレヒト・デューラーの絵ないし版画があることも、ここで述べておこう……。錬金術の達人の著作から部分的にせよ大きな暗示を得た文学者も数多い。少し引用しておくと、まずラブレー(1)。それからシラノ・ド・ベルジュラックの作品にも、神秘的錬金術の寓意が文字どおりたっぷりと盛りこまれている(その筆頭にくるのが、自分の灰燼の中から蘇るあの有名な「不死鳥」で、これは賢者の石の象徴である)。ゲーテの『ファウスト』も、古い伝説からヒントを得ているが、まさしく隠秘学の一大集成である。またバルザックは、その小説『絶対の探求』の主人公バルタザール・クラエスと同じ幻視者である。そして、あの《見者》ランボー……。錬金術は、画家および作家にとって、汲めどもつきぬ主題の泉であったし、今もなおそうなのである(2)。
(1) L. Sauné, L'influence des chercheurs de la《Médecine universelle》sur l'œuvre de François Rabelais, thèse de Médecine, Paris, Le François, 1935(L・ソーネ『《万能薬》の探求者たちがフランソワ・ラブレーの著作におよぼした影響』)。
(2) R. Amadou et R. Kanters, Anthologie littéraire de l'Occultisme, Paris, Julliard, 1950(avec bibliographies)(R・アマドゥー、R・カンテール共編『「隠秘学」関係文学作品選』)を参照。

2 技術と科学に対する影響
 ―― 少なくとも一見したところでは、錬金術は、その奇妙なやり口、秘教的理論、野心たっぷりの目標のせいで、実証的知識に対するブレーキというだけでなく、障碍の役をも演じたかにみえる。この考え方は、とりもなおさず現代の教養ある人士の考え方なのだが、それは従来もいろいろな著作で繰り返し述べられてきたものであり、とかく、隠秘学者らの《夢想》が、とりわけ十六世紀および十七世紀において正常な科学の発展を文字どおり妨げたとしている(1)。しかるに、実際には、これらの《幻影》、現代科学者には根っから荒唐無稽とみえるこれらの理論は、すべて、技術の発展、のみならず固有の意味での科学の発展にさえ、皮肉にも多産な影響を与えたように思われるのである。事実、中世の多くの大学が、手仕事に対して当時の人々が抱いていた軽侮の念をともにして、実験をまったくと言っていいほどなおざりにしていたのにくらべ、錬金術師たちはあえてみずからの手を汚し、自分自身で炉や蒸溜装置やレトルトをこしらえて、実験室内での作業を行なったのである。(ほんものあるいはにせものの)達人たちは、賢者の石を探求する過程で、アンチモン、硫酸、王水、燐など、重要な化学物質をたくさん発見した。彼らの装置や実験方法は今なお実験室で用いられている。彼らの医学上の功績もまた大きく、鉱物体を用いた医薬の或るものは、錬金術師の創始にかかるものである(ちなみに注意しておきたいが、中世の医師が処法に用いたのは概して有機体の薬品のみであり、ただ、本書でもすでに述べたとおり鉱物を生物と同一視していた錬金術畑の医師のみが、鉱物質の医薬使用を勧めることができた。伝統的医学は、鉱物質の医薬を人体に有害とみなしていたのである)。要するに、今日、実験室の人間を古い錬金術の下風に立たせるのはばかげているにせよ、かくも多くの豊かな探究を生みだす源となった錬金術にそれ相応の敬意は払ってもおかしくない(それに、クリストファー・コロンブスが例の有名な探険航海をやろうという気を起こしたのは、まったく向こう見ずな、今日のわれわれには時代おくれと思える理論のせいではなかったか)。アリストテレスとその中世の弟子たちが何もかも言いつくしたと信じる神学者連中が、知識をさらに押し進めるのを人間に禁じようとしたのに対し、そういう制約から脱け出た錬金術師は、大胆に前進した。彼らは、あのシュネシオスの言葉を信奉していたのである、《科学はすべてをなし得る。科学は己れの認め得るすべてのものを明確に見、不可能な事柄をなし遂げることができる》。

 要するに、現代科学は彼らヘルメスの弟子たちに大きな恩恵を受けており、彼らの理論や実際がはなはだしい不信を買っているのは不当と言うべきである。それに、今日、放射能や原子力に関する研究の公準をなす理論である元素の変化の可能性を最初に予感したのも、錬金術師ではあるまいか。《物質の原一性》、《人工的な物質変容》などは、現代科学者の用語における表現として完全に通用するのである。
(1) とくに、G. Bachelard, Essai sur la connaissance approchée, 3e éd., Paris, Vrin, 1970(G・バシュラール『近似的認識をめぐる試論』)を参照。

3 哲学と宗教思想に対する影響
 ―― 賢者の石の探求、すなわち物質的な意味での変成作業のみが錬金術の名を冠せられる領域すべてを構成するわけではけっしてない。このことは、この小冊子の中ですでにたびたび確認したとおりである(第一章参照)。アシル・ウイは次のように書いている、《錬金術におけるもろもろの象徴は、年月を経る間に、二つのはっきり違った実在領域を覆うようになった。つまり、いわゆる化学実験とヘルメス哲学である。この二つの関心は、ときには相互に混じりあう ―― 金属変成は、つまるところ物質の本性をめぐる非常に広汎な原理にもとづいているのだから。またときには、両者が分離して、実験室内での作業が重味を帯び、あるいは逆に、慣用的な言語の奥に秘密の哲学がしのびこませられることとなる》。このヘルメス哲学なるものがおよぼした影響のことを調べてみれば、現代人のデカルト的精神にはひどく奇異なものと見えるその教説が、人々の思想、とりわけ十九世紀以来「隠秘学」Occultismeという言葉でひろく指し示される、さまざまな形態を持った多様な流れに異常な反響を与えたことを、ますます痛感するばかりであろう(ついでながら、ここでひとことさしはさんでおきたい。《隠秘学》というのは西欧特有の現象なのである。もっとはっきり説明すれば、こうだ。東洋たとえばインドでは、神智学の教義は自由に展開され、のみならず、いわゆる《公認》宗教に多かれ少なかれうまく取り入れられたのに反して、西欧ではこの種の教義は、東洋と同じく豊かに多様化したにもかかわらず、数々の迫害のせいで、《呪われた》隠れた知識となって教権および俗権の眼をごまかさなければならなかったのである(1))。神智学や隠秘学に多少とも似通った性格を持つものは、誰もが知っているように、すべて登場したとたん多数の神学者から非難され断罪された(グノーシス主義やそれと大同小異の教義に対して教父たちが挑んだあの烈しい論争のことを思い出せば、十分であろう)。そして、錬金術もこの断罪を免れるものではなかった。それに、達人の抱く法外な高望みは、「蛇」が人祖を誘惑したあの周知の言葉 ―― 《汝ら神のごとくならん》Eritis sicut Dei ―― をカトリック神学者に連想させずにはおかなかったのである。今日においてさえ、教会は、秘教思想への渇望に対する根深い不信の念を和らげたわけではない。にもかかわらず、すでに述べたように、如何なる禁止も断罪もヘルメスの術の発展を阻止することはできなかった。ヘルメスの術は、アルベルトゥス・マグヌス、ロージャー・ベーコン、ライムンドゥス・ルルス、バシリウス・ヴァレンティヌス、トリテミウスその他、多くの聖職の地位にあるものによってさえ研究されたのである。のみならず、ドイツ人アンゲルス・シレシウス(十七世紀はじめ)のような完全に正統的な思想家の中にさえ、「神的本質」を神秘的に理解し把握する諸段階を指し示すため、物質的操作の象徴体系をためらうことなく用いる人々がいたのである。

狭い意味でのいわゆる哲学者たちも、神学者と同じく ―― といっても、その理由となるとまた別だが ―― 「隠秘学」を、まったく非合理でおよそ真理の確実な探究と両立しないものと考えて、これを追放処分にした。合理と非合理との仲違いを烈しくしたのは、何といっても「デカルト学派」であり、この両者の分裂は、前世紀を通じて合理主義が進むとともにいよいよきわだってきた。その上、哲学史の入門書自体が、大学の伝統にその合理的価値を保証された思想家にのみ記述を限ることによって、右のような排他性を公認しているように思われる……。しかしながら秘教思想は、或る種の哲学者たちの間で、ふつう考えられているよりはるかに重要な役割を演じてきたのである。しかも彼らは、私たちにはほかならぬ合理主義の権化のようにみえるのだ。たとえばライプニッツ ―― 彼は薔薇十字団型の或る秘密結社の書記であり、その思想体系は彼がパラケルススの著作を注意深く読んだことを示している ―― あるいはまたヘーゲル ―― 彼はその『哲学史』の中で神智学者ヤーコプ・ベーメを熱烈に讃美する一章を割いている ―― さらに、そのベーメから哲学-宗教上の思想体系に甚大な影響を受けたシェリング ―― こういう人々の精神形成にヘルメス思想がとくに如何なる役割を果たしたかを調べるのは、非常に興味あることであろう。デカルトでさえ、少なくとも若い頃には神秘主義への情熱を抱いたことがあるのだ。それに、彼はドイツ滞在のおり「薔薇十字団の兄弟」と接触しようと努めたではないか。またスピノザも、賢者の石が存在するという信念がまったく合理的なものだと考えていたではないか。してみれば、探りを入れてみるに足る材料はいくらでもあるわけで、近代ヨーロッパ思想の流れを知る上でその興味はまさしく尽きぬものがあるであろう……。狭義でのヘルメス思想と錬金術について言えば、両者の占める役割は、今日では中世やルネサンスにおけるよりずっと小さいにせよ、それは今も相変わらず存在しており、今日でも、中世の達人たちの著作から霊感と象徴体系とを汲んだ書物が刊行されつつあるのである。のみならず、西欧のあらゆる国々において、ここ二世紀間に政治・社会・経済面で大変動があったのに「隠秘学」が依然根強く生き残っているのはなぜか、その深い理由を探ってみるのはまことにおもしろい心理学的研究課題であろう(2)。
 さて、以上いくつかの概観から、錬金術が孤立したどうでもいい現象ではなく、その影響も、あらゆる分野で一般に考えられるよりはるかに大きいことがわかった。あまつさえこの問題は、すでにお気づきのとおり、あらゆる種類の歴史的ないし心理学的研究のほとんど無尽蔵な鉱脈なのである(3)。
(1) もちろん、だからといって東洋の諸宗教にわざと己れの姿を隠した秘教が存在したことを否定するわけではない。
(2) J.-A. Rony, La magie, coll. «Que sais-je?» nº413, Paris, P. U. F., 1950(J‐A・ロニー『呪術』、文庫クセジュ、吉田禎吾訳)を参照。
(3) Jacques Van Lennep, Art et alchimie, Bruxelles, 1966(ジャック・ヴァン・レンネップ『芸術と錬金術』)。John Read, The Alchemist in life, literature and art, Londres, 1947(ジョン・リード『生活と文学と芸術の中の錬金術師』)。Albert-Marie Schmidt, La poésie scientifique en France au XVIe siècle, Paris, Albin Michel, 1938(アルベール=マリ・シュミット『十六世紀フランスの科学詩』)。

結論
 さて、錬金術とそれにいろいろな形で関与した人々との間を行くわれわれの短い散策も、終わりにきた。われわれは、《聖なる術》のはるかに遠い、伝説の霧に包まれつつ歴史の中に登場した起源を、ヘルメス哲学の奇妙だが深遠な教えを、物質の組成をめぐる達人たちの理論 ―― それはときとして或る種の現代的な考え方を驚くほど予告するものだ ―― を、実際的錬金術と「大いなる作業」のやり方を、崇高なモラルの源となった錬金術の驚くべき神秘主義的観念を、古き力への意志の瞠目すべき証左でもあり「超人」という伝統的観念(1)の人間的で珍しい実例でもある不可思議な「アルス・マグナ」を、次々に検討した。そして最後に、錬金術とヘルメス思想が、きわめて多様な、しかもまったく思いがけない分野にまで影響をおよぼしていることを一瞥した。
 私が本書で企てたのは、錬金術の批判でもなければ弁護でもなく(それは他の人々がすでに行なっている)、ただ関心のある読者諸氏に、この不思議な「術」についてできるだけ公平に述べてみようと思っただけである。錬金術の歴史は驚異に満ち、幾世紀もの間に、まったく相矛盾したものを一つに結びつける放れ業をやってのけたのだ。たとえば技術と神秘思想との統一がそれで、この両者は、今日では逆に正反対の対極であり、人間の行為はこの二つの間に分割されているように思われるのである。
 錬金術の諸相を自分で研究してみたいと思う読者諸氏のために、巻末に書誌を掲げておく。これは、本書で扱われたさまざまな問題についての最も重要かつ代表的な著作のリストを含むものである。
(1) この教説の現代的 ―― 無神論的 ―― 形態に関しては、M. Carouges, La mystique du Surhomme, Paris, Gallimard, 1946(M・カルージェ『「超人」の神秘思想』)を見よ。

補遺
一 「大いなる作業」に関する補足
(a) フィラレテスの《過程》
 ―― 「大いなる作業」に関する多くの叙述のうち、最も著名なものの一つは、あの謎の人物フィラレテスが描いた七つの過程régimesである。それぞれの過程に一定の惑星が対応している。
 一「水星」の過程、点火された直後である。二十日の間、さまざまな色が順次交替してあらわれる。三十日目頃、緑があらわれ、最後に、六十日目になって黒色があらわれる。これが次の過程の特徴となる。
 二「土星」の過程。
 三「木星」の過程の間、物質は黒と白との間のありとあらゆる色を呈する。
 四「月」の過程。白色があらわれる。
 五「金星」の過程。物質は、順次に緑・青・鉛色・濃い赤になる。
 六「火星」の過程。黄橙・虹の色・孔雀の尾羽根のニュアンスがあらわれる。
 七最後に「太陽」の過程の特徴をなすのは、「大いなる作業」が成就した徴しとしての完全な赤(ルビー色)の出現である。

(b) 乾いた道
 ―― 本文で、私はいわゆる《湿った道》なるやり方を述べておいたが、それは、西欧の実験的錬金術師が最もふつうに採用したやり方であった。しかし十七世紀には、バルヒューゼンが『錬金術の唯一の書』Liber singularis de Alchimiaの中で《乾いた道》のことを書いている。これはまた《短い道》とも呼ばれた。なぜなら、それはわずか四日間で「大いなる作業」を成就させるからである(1)。また、ごく少数の選ばれた人々だけの道であるがゆえに《王者の道》とも呼ばれた。
 しかしながら、《乾いた道》はあまり尊重されなかった。したがって、私も、手短にその原理を要約するにとどめておこう。この方法の特徴は、他のいっさいの器具を排して土製のるつぼだけを使うという点にある。「作業」の段階は七つあり、次の順序で行なわれる。分離、煆焼、昇華、溶解、蒸溜、凝固、煮沸。
(1) 《湿った道》のほうは少なくとも四十日を必要とする。それも、何年もの準備作業のあとでである。

二 錬金術と占星術
 錬金術がしばしば、その実際面においてのみならず、理論面においても占星術に従属したことは本文で述べた(たとえばパラケルススの場合、それぞれの金属は、その名に相当する惑星から生を享うけると考えられている。のみならず、一つの金属-惑星を考えても、他の六つの惑星は、それぞれが黄道帯の二つの星座に結ばれ、当の金属に固有のさまざまな特性を与える)。「天」と「地」との間には原因と結果の関係がある。そのため、占星術師の中には錬金術を明らさまに軽蔑する者もいた。彼らは錬金術を、地上の領域に限られたいわば「下等な占星術」とみなしたのである(もっとも錬金術師のほうは、自分たちの「術」が占星術から完全に独立していることを繰り返し主張しようと努めた。ゲーベル著と伝えられる『大全』Summaを参照)。

三 薔薇十字団員と薔薇十字会派
 本書で、私は「薔薇十字団員」Rose-Croixという言葉を、同名の「友愛団」に加盟した達人を指すのに用いた。実を言えば、《薔薇十字団員》なる語は、秘教学者たちの意見では、《生きながらにして解放された人々》、至高の解脱に到達した「達人」(大文字で書かれた達人Adeptes)にのみ用いらるべきものなのである。たとえばフルカネルリは薔薇十字団員のことを次のように書いている。《彼らを束縛する如何なる誓約もなく、彼らを相互に繫縛する如何なる規約もない。自由に受け入れられ、進んで遵守される秘教的規律のほか、彼らの自由意志に影響をおよぼす規則は何もない。薔薇十字団員は互いに相識ることがない。彼らは会合の場所も本部も寺院も典礼も有せず、互いに相識るための外的標識もない。彼らは世界中に散在して働く孤立者であり、最も厳密な意味におけるコスモポリタン的探究者だったし、今もそうである。「達人」は階層制度的な意味での序列をまったく知らないのだから、したがって「薔薇十字」なるものは階級的称号ではなく、単に彼らの隠れた仕事に対して与えられる認承であり、生きた「信仰」によって彼らにその存在が明かにされた明証的な「光」であるところの「体験」に対する認承なのである。》俗衆の眼には見えぬ彼ら「達人」は、至高の「認識」と「聖性」とを結びつけ、「宇宙」に対する非凡な力に恵まれている。彼らはいわば隠れた「教会」を構成しているが、それは大いなる秘儀に達した人々を成員とし、最も古い時代からいつもこの世に姿をあらわして、人々が超宇宙的な解脱へ到達するのに力を貸したのである(1)。そこから、次のような言い方が出てくる。《神は、薔薇十字団のメンバーが、鷲の眼力を授かっていない人間の目にはけっしてわからないようにとお定めになった……。われわれは魔法の文字を持っている。それこそは、神が地上と天上との自然にみずからの御意志を書きつけられたあの崇高なアルファベットの写しなのだ……。われわれの言葉は、人類失墜以前のアダムとエノクの言葉と同じものである……(2)。》あの《超人》の典型そのものも、この「友愛団」の神話的創始者たる謎の人物クリスチアン・ローゼンクロイツによって象徴される。ローゼンクロイツは十五世紀の人だと言われるが、実際は象徴的人物らしい(3)。十八世紀には、二人の人間がほんものの薔薇十字団員と世人にみなされた。一人は例の謎めいたサン・ジェルマン伯爵(4)で、彼は延命長寿の「霊薬エリクシール」を持ち、《キリストに会ったことがあり》、食物をとる必要がなかったという。伝説によれば(彼には他にもいろいろと伝説が多いのだが)、彼は不死であり、今も《ベネチアの大運河グラン・カナルに面した邸に》住んでいるそうである(同じような不死の伝説は、ニコラ・フラメルや、イギリスの達人トマス・ヴォーンにもある)。もう一人はカリオストロ(5)で、波瀾に富んだ一生を送り、十八世紀も押しつまった頃、ローマの宗教裁判所の牢獄で死んだ。一般に流布されている意味における「薔薇十字団員」、すなわち盟約のしるしとして「十字」と「薔薇」のシンボルを持つもろもろの秘密結社への加盟者に関して言えば、彼らがまだ真の「秘儀伝授」に達していない以上、単に「薔薇十字会派」Rosicruciensの名で呼ばれてしかるべきであろう。J・V・アンドレーエ著とされる『信条』Confessioの次の言葉は、右のような意味で解することができる。《われわれの「友愛団」は或る種の段階を含んでおり、めいめいの者がそれを越えて「大いなる秘法アルカヌム」へと一歩一歩進んで行かねばならない(6)。》
(1) Robert Fludd, Summum Bonum, livre IV.(ロバート・フラッド『至高善』第四書)。
(2) J. V. Andreae, Confessio Fraternitatis(J・V・アンドレーエ『薔薇十字団の信条』)。
(3) 『薔薇十字団の伝説』Fama Fraternitatis仏訳、E・コロ、パリ、レア社刊、一九二一年における、ローゼンクロイツの墓の発見物語を参照。
(4) P・シャコルナックによる彼の伝記(新版、パリ、一九四七年)を参照。
(5) F・リバドー=デュマによる書誌、パリ、ペラン、一九六六年。
(6) S. Hutin, Les sociétés secrètes, collection «Que sais-je?» nº515(S・ユタン『秘密結社』、文庫クセジュ、小関藤一郎訳)を見よ。

四 化学の歴史に関する覚え書
 大化学者J-B・デュマは書いている、《実験化学は、鍛冶屋と陶工とガラス工の仕事場、および香水商の店の中で生まれた》と。したがって化学は、或る意味で、少なくとも実際面においては、本書で述べたようにアレクサンドリアの神秘主義と技術との奇妙な結合から生まれたヨーロッパの錬金術より古いわけである(第三章参照)。それに、中世全般を通じてヘルメスの徒でない探究者たち ―― 職人・採鉱師・冶金師など ―― が果たした役割を無視するわけにはいかない。つまり、「化学」の形成にあたって錬金術だけが役割を果たしたのではない。しかしながら、その役割はやはり重要なものであった(1)。
(1) 私は狭義の化学の歴史を書こうとは思わなかった。この特定の問題に関しては、Jean Cueilleron, Histoire de la Chimie, collection «Que sais-je?», nº35, Paris, P. U. F.(ジャン・クイユロン『化学の歴史』、文庫クセジュ)および、M, Delacre, Histoire de la chimie, Paris, Gauthier-Villars, 1920(M・ドラークル『化学の歴史』)を参照されたい。

五 《達人》なる語のいろいろな意味
 達人adepteという語には、実のところ三つの意味があって、互いにかなり違っている。
 一 この語は、多少とも錬金術の領域に属する研究にたずさわっているすべての人間を指すことができる。
 二 もっと正確には、達人とは、単なる経験一本槍の連中すなわち《ふいご吹き》に対して、ほんとうの錬金術師のことを言う。
 三 最後に、(大文字で書く)「達人」Adepteは、「賢者の石」を発見した錬金術師のことである。彼は《大いなる秘儀に達した人》、本来の意味における《薔薇十字団員》なのである。

A) 一般的研究
René Alleau, article alchimie, Encyclopaedia Universalis, 1969. (ルネ・アロー『エンサイクロペディア・ウニヴェルサリス』のうち「錬金術」の項)
Robert Amadou, L'occultisme, Paris, Julliard, 1950. (ロベール・アマドゥ『隠秘学』)
Gaston Bachelard, Psychanalyse du feu, rééd., Gallimard, 1962. (ガストン・バシュラール『火の精神分析』)
Michel Caron et Serge Hutin, Les alchimistes, Paris, Editions du Seuil,《le Temps qui court》, 2e éd., 1964. (ミシェル・カロン,セルジュ・ユタン共著『錬金術師』)

Mircea Eliade, Forgerons et alchimistes, Paris, Flammarion, 1956. (ミルチヤ・エリアーデ『鍛鉄工と錬金術師』)
W. Ganzenmuller, L'alchimie au Moyen Age, trad. française, Paris, Aubier, 1940. (W・ガンツェンミュラー『中世の錬金術』)
Grillot de Givry, Le Musée des sorciers, mages et alchimistes, 3e partie, rééd., Paris, Tchou, 1966. (グリヨ・ド・ジヴリ『魔法使・秘術師・錬金術師の博物館』)
René Marcard, De la pierre philosophale à l'atome, Paris, Plon, 1959 (ルネ・マルカール『賢者の石から原子まで』)

Louis Pauwels et Jacques Bergier, Le matin des magiciens, Paris, Gallimard, 1960; L'Homme éternel, id., 1970. (ルイ・ポーウエル,ジャック・ベルジェ共著『魔術師の朝』『永遠の人間』)
Albert Poisson, Théories et symboles des alchimistes, rééd., Paris, Editions traditionnelles, 1969. (アルベール・ポワソン『錬金術師の理論と象徴』)
F. Ribadeau-Dumas, Histoire de la Magie, Les Productions de Paris, 1960. (F・リバドー=デュマ『魔法の歴史』)

Kurt Seligmann, Le Miroir de la Magie, Paris, Fasquelle, 1960. (クルト・セリグマン『魔法の鏡』)
F. Sherwood Taylor, The alchemistes, Londres, 1951. (F・シャーウッド・テイラー『錬金術師』)
B) 研究をより進めるための著作
René Alleau, Aspects de l'alchimie traditonnelle, Paris, Editions de Minuit, 1953. (ルネ・アロー『秘伝的錬金術の諸相』)
Armand Barrault, L'or du millième matin, Paris, Publications premières, 1969. (アルマン・バロー『千日目の朝の黄金』)
Titus Burckhart, Alchemie, Olten, Walter Verlag, 1960. (ティトゥス・ブルクハルト『錬金術』)
Eugène Canseliet, Deux logis alchimiques, Paris, Schemit, 1945; Alchimie, ibid., J. -J. Pauvert, 1964. (ユージェーヌ・カンスリエ『錬金術の二つの住居』『錬金術』)

Roger Caro, Concordances alchimiques, Saint-Cyr-sur-Mer, Editions Caro, 1968. (ロジェ・カロ『錬金術の用語索引』)
Julius Evola, La tradition hermétique, Paris, Editions traditionnelles, 1962. (ユリウス・エヴォラ『ヘルメス学の伝統』)
Louis Figuier, L'alchimie et les alchimistes, rééd., Paris, Denoël, 1970. (ルイ・フィギエ『錬金術と錬金術師』)
Fulcanelli, Le mystère des cathédrales; Les demeures philosophales (De ces ouvrages, 2 rééditions: Omnium littéraire; J. -J. Pauvert (フルカネルリ『大聖堂の秘密』『賢者の住居』)

G. F. Hartlaub, Der Stein der Weisen, Munich, 1959. (G・F・ハルトラウプ『賢者の石』)
E. J. Holmyard, L'alchimie, trad. de l'anglais, Paris, Arthaud, 1966. (E・J・ホームヤード『錬金術』)
Bernard Husson, Deux traités alchimiques, Paris, Omnium littéraire, 1963. (ベルナール・ユソン『錬金術に関する二つの論考』)
Serge Hutin, Voyages vers ailleurs, Paris, Fayard, 1962; Commentaires sur le《Mutus Liber》, Maizières-lès-Metz, Editions《Le Lien》, 1966; Anatomie d'un fabuleux espoir, id., 1969 (セルジュ・ユタン『他界への旅』『《沈黙の書》への注解』『架空の希望の解剖学』)

C. -G. Jung, Psychologie et Alchimie, 1969, tr. fr., Paris, Buchet-Chastel et Corrêa, 1970. (C. -G.ユング『心理学と錬金術』)
Kamala-Jnana, Dictionnaire de philosophie alchimique, Argentière, Charlet, 1961. (カマラ=ユナナ『錬金術哲学辞典』)
J. -G. Krafft, Poètes et faiseurs d'or, Gap, Ophrys, 1940. (J. -G.クラフト『詩人と黄金製造人』)
Jacques Van Lennep, Art et alchimie, Bruxelles, 1966. (ジャック・ヴァン・レンネップ『芸術と錬金術』)

E. -O. von Lippmann, Die Entstehung und Ausbreitung der Alchemie, Berlin puis Weinheim, 1919-54, 3 vol. (E. -O.フォン・リップマン『錬金術の成立と発展』)
Jean Mavéric, L'art métallique des anciens, Paris, L. Siéver, s. d. (ジャン・マヴェリック『古代人の金属技術』)
John Read, Prelude to Chemistry, Londres, 1936; De l'alchimie à l'alchimie, Paris, 1961. (ジョン・リード『化学への序曲』『錬金術から錬金術へ』)
Jacques Sadoul, Le trésor des alchimistes, Paris, Publications premières, 1970. (ジャック・サドゥール『錬金術師の財宝』)

Wolfgang Schneider, Lexicon..., Weinheim, 1962. (ウォルフガング・シュナイダー『レクシコン…』)
J. M. Stillman, The Story of Alchemy and early Chemistry, New York, Dover Publications, 1960 (J. M.スティルマン『錬金術と初期化学の歴史』)
Gino Testi, Dizionari di alchimie, Rome, C. E. M., 1950. (ジノ・テスティ『錬金術辞典』)
Claude d'Ygé, Nouvelle assemblée des philosophes chimiques, Paris, Dervy-Livres, 1954 (クロード・ディジェ『化学哲学者の新集会』)

C) 特殊研究
Robert Anbelain, L'alchimie, spirituelle, Paris, La Diffusion scientifique, 1961. (ロベール・アンブラン『霊的錬金術』)
Mary-Ann Atwood, A suggestive inquiry into the Hermetic Mystery, rééd., New York, University-Books, 1960. (メアリ=アン・アトウツド『ヘルメス学の神秘への示唆的調査』)
Arthur Avalon, La puissance du serpent, tr. fr., Lyon, Derain, 1961. (アーサー・アヴァロン『蛇の力』)
Françoise Bardon, Diane de Poitiers et le mythe de Diane, Presses Universitaires de France, 1963. (フランソワーズ・バルドン『ディアーヌ・ド・ポワチエとディアーヌの神話』)

Alexander von Bernus, Alchimie et médecine, tr. de l'allemand, Paris, Danglès, 1959. (アレクサンダー・フォン・ベルヌス『錬金術と医術』)
A. Bharati, The Tantric tradition, Londres, Rider, 1966. (A.バラティ『タントラ教の伝統』)
Hans-Emile Bigler, La découverte du mystère de la vie, Courbevoie, 1955. (ハンス=エミール・ビグラー『生命の神秘の発見』)
C. A. Burland, Le savoir caché des alchimistes, tr. fr., Paris, Robert Laffon, 1969. (C・A・バーランド『錬金術師の秘密の知識』)

Jean Cueilleron, Histoire de la chimie, «Que sais-je?» nº35. (ジャン・クイユロン『化学の歴史』)
Mircea Eliade, Le Yoga; immortalité et liberté, Paris, Payot, 1957. (ミルチヤ・エリアーデ『ヨガ,不死と自由』)
P. J. Forbes, Studies in ancient Technology, Londres, Brill, 1955-56, 2 vol. (P. J.フォーブス『古代技術用語の研究』)
G. G. Gessmann, Die Geheimsymbole..., Ulm, Arkana-Verlag, 1959. (G・G・ゲッスマン『秘教の象徴』)
Mark Graubard, Astrology and alchemy, New York, Philosophical Library, 1963. (マーク・グローバード『占星術と錬金術』)

C. Louis Kervran, Transmutations biologiques, Paris, Malerive, 1963. (C・ルイ・ケルヴラン『生物学的変化』)
Alexandre Koyré, Mystiques, spirituels, alchimistes du XVIe siècle allemand, Paris, Armand Colin, 1955. (アレクサンドル・コワレ『十六世ドイツの神秘学者・神秘思想家・錬金術師』)
Losensky-Philet, Das verborgene Gesetz, Gaustadt-bei-Bam-berg, Isis Verlag, 1956. (ロゼンスキー=フィレット(『秘められたる掟』)
Henri Maspero, Le Toaïsme, Paris, Musée Guimet, 1950. (アンリ・マスペロ『道教』)

Eric Muraise, Le livre de l'ange, Paris, Julliard, 1969. (エリック・ミュレーズ『天使の書』)
André Savoret, Qu'est-ce que l'alchimie? Paris, Heugel, 1947. (アンドレ・サヴォレ『錬金術とは何か』)
Oswald Wirth, Le symbolisme hermétique, 2e éd., Paris,《Le Symbolisme》, 1931. (オスワルド・ウィルト『ヘルメス学の象徴体系』)

D) 書誌
A. -L. Caillet, Manuel bibliographique des sciences psychiques ou occultes, Paris, Dorbon, 1912-3, 3 vol. (A. -L.カイエ『心霊学または隠秘学の書誌的手引』)
Denis I. Duveen, Bibliotheca alchemica et chemica, Londres, 1949. (デニス・I・ダヴィーン『錬金術・化学叢書』)
John Ferguson, Bibliotheca chemica, réédit., Londres, 1962, 2 vol. (ジョン・ファーガスン『化学叢書』)

E) 雑誌
Ambix (ロンドンで発行),錬金術文書研究の専門的学術雑誌.Revue d'Histoire des Sciences (Presses Universitaires de France).その他の秘教関係雑誌: Atlantis, Initiation et Science, La Tour Saint-Jacques, Rose-Croix,など.

▣ 阿诺德•诺瓦(Arnaldus de Villa Nova)

他是一位加泰罗尼亚的医生,曾在蒙彼利埃大学和巴黎大学学习医学,也是一位占星术和炼金术专家。著有『哲学者の薔薇の木(Rosier des philosophes)』。

▣ 《沉默之书》Mutus Liber

▣ 《ユダヤ人アブラハムの象徴図』Figures d'Abraham le Juif

▣ 《伟大的蔷薇园》Rosarius Magnus

▣ 帕诺波利斯的佐西莫斯Zosimos of Panopolis

希腊人,希腊最著名的炼金术士之一,在第三世纪生于埃及的帕诺波利斯,

bottom of page