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神道教神使

◆ 大黑天·大国主命

  大黑天是佛教的医神与财富之神。神佛习合后,与大国主命一同称为「だいこくさま」,是赐予人们福德·丰收·财宝的七福神。「大黑天」和「大国主命」的神使都是老鼠,但缘由不同。

  A. 黑在阴阳五行中表示北方,大黑天是北方之神。十二干支中的北方是"子",故而神使是老鼠。

  B.大国主命在古事记中被老鼠所救,大穴牟遅(大国主命)向須勢理毘売求婚时,被其父须佐之男给予了严厉的考验。第一天要睡在蛇的房间,第二天要睡在蜜蜂和百足的房间。第三天则被命令拣回射入野原的鸣镝箭。在大国主命取箭时,须佐之男立刻放火。一只老鼠跑出濑告诉大国主命在地表塌陷的空洞避火。并且叼来了鸣镝箭。此后,大国主命和公主平安脱离「根之国」,在出云建立了新的国家。为了表达恩情而将老鼠作为了自己的神使。子在阴阳五行中指的冬天,包含冬至在内的旧历十一月子日即大国主的祭祀日,供奉黑豆和两股萝卜。

 ◆ 牛頭天王(須佐之男命・素戔鳴尊)

「蘇民将来之子孫也」
牛頭天王(武塔神とも言う)が求婚(妻問い)の旅の途中、宿を乞うと、弟の巨旦将来は裕福なのに断わったが、兄の蘇民将来は貧しいのに宿を貸しもてなしてくれた。そこで出立の際に、「疫病が流行ったり、災いが降りかかったら、蘇民将来之子孫也と書いた札をかけ、茅の輪を腰に着けなさい」と言い置いた。帰路、牛頭天王は、宿を断わった弟の巨旦将来(小丹長者)一族を疫病で滅ぼしたが、蘇民将来之子孫は言われたとおりにして難を逃れることができた。そのとき「我はスサノオの神だ」と名乗ったともされる。
               (備後風土記逸文、上田市信濃国分寺の「牛頭天王之祭文」など)

この故事から牛頭天王は疫病を鎮め、災いを防ぐ神として崇拝された、京都の八坂神社(祇園社)の祭神、「牛頭天王=スサノオノミコト」はその強力な神格から、京に流行る疫病や次々と出没する怨霊を鎮める霊力を持つ祭神として祀られた。牛頭を頭上に憤怒の形相をしたこの祭神に、怨霊退散を祈った「御霊会」(貞観11年6月7日~869年)が、今日の「祇園祭」の起源とされる。牛頭天王(=スサノオノミコト)は、祇園さん、天王さま、天王さんとも呼ばれる。明治の神仏分離以降は、祭神名は、仏教系の牛頭天王ではなく、神道系のスサノオノミコト(須佐之男命・素戔鳴尊)とされるようになった。頭に牛頭を戴くことなどから、牛が神使とされる。

牛島神社如今有牛的神使像(祭神:須佐之男命)。神社の名前は、天武天皇の時代(701-764)に、向島から両国にかけての地域に国営牧場がもうけられ、牛島と呼ばれていたことに由来するといわれる。この社の縁起書によると、貞観2年(860)神託によって、慈覚大師が須佐之男命(スサノオノミコト)を郷土守護神として祀り、この社を創起した…とある。
慈覚大師が通りかかったとき、古老から「師わが為に一宇の神社を建立せよ、若し国土に悩乱あらば、首牛頭を頂き、降魔降伏の形相を現わして、天下の安全の守護たらん」との神宣があったとされる。

      ◆ 菅原道真

a)道真の誕生日・承和12年6月25日(845年)や、死去日・延喜3年2月25日(903年)が丑の日。
b)道真公が大宰府に落ちてゆく途中で命を狙われた時、白牛に助けられた。
c)「車を牛に引かせて、牛の行くままに任せ、牛の止まった所に葬ってくれ」との道真公の遺言
  に従って墓所(大宰府天満宮)は定められた。

菅原道真について
1)大宰府天満宮
学問をもって朝廷に仕える菅原家に生まれ(845)、幼少より天才を発揮し、宇多天皇の厚い信任のもと55歳(897)で右大臣にまで登った。宇多天皇が退位し、醍醐天皇の時代になって、道真は左大臣 藤原時平に無実の罪を着せられて、大宰府に左遷される(901)。「東風吹かば思いおこせよ梅の花 主無しとて春な忘れそ」道真は、軟禁状態の中で、失意のもと大宰府で死去(903)。墓所は大宰府天満宮。
2)北野天満宮…雷神(天神)・怨霊伝説

道真の死後、都では道真を大宰府へ追いやった藤原時平本人が39歳の若さで死去(909)したのをはじめ、次々に時平の縁者が亡くなった。「これらは道真公の崇りだ」との噂が広がり、崇りを恐れた醍醐天皇は、道真を右大臣に戻すが収まらず、清涼殿の内裏への落雷で多数の死者がでて、このショックで病に倒れてすぐ世を去る。人々は「道真公は雷神(=天神)になった」と噂した。後の平将門の乱、藤原純友の乱も道真の怨霊のせいだとされた。その後、永延元年(974)に一条天皇が道真の怨霊を鎮めるため、勅命で菅原道真を祀った北野祭が、現在の北野天満宮である。現在では、菅原道真は天神様と呼ばれ、学問の神様として祀られ、合格祈願に参拝する人も多い。

北野天満宮(祭神:菅原道真)牛像は参道の左右に並ぶが、対の牛像は一対だけで、これも「撫で牛」ともいえる。いずれの牛像も拝殿に向けて置かれていて、腹這い状態で立ち上がる気配はない。

章鱼 ◆ 速玉男命

 福岡神社供奉着"蛸大明神"。传说速玉男命在熊野海遭遇风暴时,被一只巨大的章鱼救起,骑着章鱼渡海,在吉备国登陆。每年10月的第三个星期日,神社都会举行基于蛸舞式神事,神职人员会裸身系上腰带,在神乐伴奏下抬着一只草编章鱼上下山,表演章鱼舞。 它是鸟取县指定为的文化资产。

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狼/山犬 ◆ 日本武尊

在关东,狼被认为是以山神"大山祇命"的信使,被称为「大口真神/御犬大人」。在秩父·武蔵地区,也被认为是日本武尊的眷属。据《日本书纪》记载,日本武尊从甲斐国的酒折宫出发、途径武藏国(秩父、奥多摩、奥武蔵)前往薄日峠之时,在秩父市三峰山祭祀产国之神伊邪那岐·伊邪那美,决心设立三峯神社。日本武尊在山中迷路之时,一只山犬(日本狼)将其引导响了山顶。此后,修验道之祖·役小角从伊豆前往三峰山修行,弘法大师又在此地安置了十一面观音像。三峰山变成了镰仓·德川时期东国无视的信仰中心地、天台宗的关东总本山。享保5年(1720年),三峯神社向信徒发放印有山犬的日光法印,在神社境内安置了山犬雕像。此后,这种信仰便沿着日本武尊平定东夷的返乡之路,蔓延开来。江户后期,御犬信仰在农民之中广为传播。对农民来说,狗可以保护田地不受野猪野鹿祸害,有利于农耕和蚕桑;对商人来说,狗可以预警火灾和吓退强盗;对百姓来说,狗可以让他们远离狐狸附身、邪灵和流行病的伤害。因此广受人们所喜爱。

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