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秘密结社

秘密结社研究

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第一章 古代的密儀宗教
一. 埃及的秘传宗教

  埃及宗教是一种显著的秘传宗教,与现代教会有着本质的区别,教会向世俗民众开放。但不从事祭司职务的人,不会被允许进入埃及神的圣所。在埃及神庙中,前堂建设有多柱候见厅,它通向一个开放的庭院。信徒们会在这个前院里摆放供品,但进入前院也有一定的条件。而神庙深处只有祭司才能进入。换句话说,只有祭司才能真正了解到宗教的仪式、象征和教义。  

  神庙的秘密房间会举行只有神职人员才能参与的象征仪式,其内容通常是按照剧本来表演奥西里斯的死亡和复活。即为人也为神的奥西里斯,被弟弟塞特杀死并肢解,而后被妻子伊西斯的魔法所复活。作为死后复生的神,祂同时象征着在地底腐烂死亡,又在春天再度萌生的植物;以及傍晚时看似消失,但在次日再度升起的太阳。故而,这个仪式也象征着死者苏生、以及四季更替。埃及信仰认为人死后可以成为"第二个奥西里斯",以神的身份获得不朽和永生。在仪式中效仿奥西里斯的神迹,人们便可在今生象征性地死去,并以复活到属神的生命之中。

  在罗马时代,这种苏生仪式被阿普勒乌斯描绘在了《金驴记》之中:"我接近了死亡的境界,在普洛塞尔皮娜(死神)的宫殿门口跺了跺脚。经历了地、水、火、风的种种考验而后回归。我在午夜时分看到耀眼的阳光。那是地狱与天国诸神正在接近。我在祂们的面前鞠躬,更加亲近地向其顶礼膜拜”。

第1図 エジプトの寺院の内部構造.jpg

非公开部分

拜殿

·

​内阵

向特殊之人开放

多柱候见厅

对外开放

回廊

·

​中庭

C=秘密房间

S=神像

塔门

塔门

▼象征体系和教义

  尽管学者们做了许多研究,但对埃及的象征主义仍有许多不了解的地方。伊希斯女神最经常使用的象征符号有:角·球体·罐子·月亮·吸吮女神乳房的孩子·女神遮住脚趾的礼装·船·镰刀·安卡十字架。星象学家Enel解释到,安卡是永生的象征。即支撑着生命的受动性之原理、从空中下降至地面、赋予万物生命循环之光的象征。这一原理无限地渗透到大地深处,正如十字架的竖线所代表的那样。——Enel, Langue Sacrée, Paris, 1934.(エネル『聖なる言語』)。

  考虑到金字塔的建设,埃及人无疑在科学领域有相当发达的知识。埃及神学对当时的宗教思想有很大的影响,亚历山大曾是古代世界的思想中心。这里只举例几个经典说法,可以看到,埃及宗教的影响仍在一些后世的神秘主义,如诺斯底学说、罗马帝国的种种秘仪、甚至是基督教中都有所体现。根据一些人的说法,基督教的圣母崇拜可能起源于对伊西斯女神的崇拜。埃及女神即是黑色圣母,是自然与丰穰的象征,永恒的处女之神。

   世界自原始混沌之中出现、具有火之性质的创世神、在黑暗的水之世界中将其构筑起来。
 神力因男神和女神的结合而产生,这对男神女神的结合已经延续了很多代。
 男神和女神的继续结合,在一个大的统一体中产生了许多子孙,然而统一体本身总是不变的。

   人的灵魂存在着与作为其创造之源的原则融为一体的可能性。

二. 希腊的秘传宗教

  很少有国家的秘密宗教能如同希腊那般兴盛,正如尼采笔下的酒神精神与日神精神那样,神秘主义在希腊城邦以各种形态而展现。酒神崇拜起源于前希腊时代的印度-伊朗宗教,狄奥尼索斯即Div-an-aosha,是意为"不朽之酒"的雅利安神,也是地中海女神德墨忒尔的男性从神,这种关系让人难免联想到埃及神奥西里斯和伊西斯的配对。遍历整个希腊世界,秘密结社Thiasus会举办热烈的仪式来庆祝狄奥尼索斯。 酒神节是古代农业祭祀春日到来的遗产。其特点是具有性爱性质的舞蹈、集团性沉醉、血腥祭祀、种种咒术的神秘活动。 与狄奥尼索斯的仪式类似的还有萨巴兹乌斯与其女性从神阿奈特希斯(Anaïtis)的仪式。 这些仪式类似于弗里吉亚的阿提斯与库柏勒密仪,对罗马的异教徒有很大的影响。

萨巴兹乌斯(Sabazios)

起源于安托利亚,流行于游牧民色雷人和弗里吉亚人之间的主神、天空神、马背上的神,对应希腊神话中的宙斯和狄俄尼索斯,在古希腊、古罗马时期也信徒众多。

▼厄琉息斯秘仪

  在雅典附近举办的,庆祝宙斯和德墨忒尔的婚姻的公开仪式。和其他古代国家的节日祭典一样,是一种象征性的活动。其核心在于重构天与地结合的过程,以促进自然万物的繁衍。参与者被分为两个阶层,即小秘仪入信者(mystes)与大秘仪入信者(époptes)。祭祀也因此被分为小祭和大祭两个部分,人们会根据自己身份的不同,去参加相应的仪式。

▼俄耳甫斯秘仪

  以扎格柔斯(即狄奥尼索斯)的被撕裂后复活的神话为基础的密教仪式。柏拉图在《国家论》提出的洞穴之喻,便可以追溯到俄耳甫斯秘仪。俄耳甫斯的宇宙创造论与埃及·印度教的理论颇为相似,即:暗夜诞下了世界之卵,卵中的两种元素构成了天地,并由此诞生了作为生命原则的光之爱神*。

  俄耳甫斯秘仪也着重于灵魂救赎。人的灵魂被禁锢在身体里,就像被关在监狱里一样,不断地从一个存在迁移到另一个存在,重复着一个无限的循环。伴随着节制和断念的入教仪式,使得打破反复轮回的 "地狱之循环 "成为可能。

  “人,是泰坦的后裔,是从众神之敌的灰烬中所诞生的。泰坦因罪孽被雷击倒,被宙斯杀死。因而人本性中,有一种世俗所说的邪恶。  但人也有天性或神性,因为泰坦把宙斯的儿子撕碎并吃掉了。这种二元论在形式上与堕落论或原罪论不同,但也试图把不洁这个概念刻印在人类种群之上,并由此引出了救赎的必要性。 无限循环的生命轮回是一种永恒的折磨,从中解脱便成为了俄耳甫斯信徒的目标"(L.Gerne和E.Boulanger L・ジェルネ/E・ブーランジェ)。

▼毕达哥拉斯教团

  众所周知,毕达哥拉斯在神秘主义研究(用数来解释宇宙本源)、科学和政治领域都有杰出贡献。毕达哥拉斯教团一度在意大利南部与西西里等希腊人的城邦之中掌权。或许是因为这个缘故,这个教团经常被拿来与共济会相提并论。关于 "沈黙の規律"、信众分为两类等特点,大家至少都有所耳闻。

G. R. S. Mead, Orpheus, London, 1896.

《俄耳甫斯》

三. 罗马帝国的秘传宗教

  「狂欢者们被美酒、乐器、和喧闹簇拥着,达到了热情的顶峰;女人们与最淫荡的妓女、最疯狂的演员、最病态的病人无异,男人之间的不洁之事则比女人们之间的更加频繁;在那些充满尖叫、火焰和放荡之声的夜晚,他们之间也没有什么邪恶的、禁忌之事不曾实行过。如果有人表现出羞耻、排斥,或者对"恶行"的不情愿,人们便会把他抬上祭台,当做这场狂欢的祭品献给酒神。」——《罗马史》李维

  罗马的酒神节源自于希腊,约在公元前200年左右时传入罗马,起初只允许妇女参加,后来逐渐扩展到男女老少皆可参与的程度。弗雷泽的《金枝》里甚至记录了"一国公主甘愿将儿子贡献给酒神宴会、供人们分食"的故事。随着酒神节的愈发流行,罗马当局认为酒神信徒扰乱了罗马的治安,遂将之斥为异教,镇压酒徒狂欢,对部分参与者进行了逮捕和处决。由此,李维在描绘这些信徒时,多少带着点"轻蔑"的态度。他称这些希腊人是"从事祭祀的外来者、低等人",他们前来传教,是给罗马"带来了陋习"、"传播了一场瘟疫",为罗马的堕落埋下隐患。

   在基督诞生之后的四个世纪,各种秘密崇拜和启蒙组织有了显著的发展,其中有旧教团的复兴或教义的修改,也有新的信仰与结社涌现。 这个时期的知识之都是亚历山大港,由此可见,随着人们对罗马宗教的极端形式化越来越不满,异教倾向涌向了对东方信仰的崇拜。罗马帝国全境响应了寻求救赎的呼声,力量越来越大。换句话说,狄奥尼索斯、赫卡提亚*、德墨忒尔或塞拉皮斯、库伯勒和伊西斯的秘密仪式正在蓬勃发展。 

 きわめて形式的であったローマ宗教に人心がだんだんと不満を抱くようになるとともに、ローマ帝国の全領域内に救済の探求に応じそれにこたえていた東方の礼拝を通じて、異教の思潮がますます著しく勢力をひろめてきていたことは明白である。つまり、ディオニュソスの密儀やヘカテイア*の密儀、デメーテルの密儀あるいはセラピスの密儀、キュベレの密儀およびイシスの密儀など多くの密儀が盛んとなっていた。イシス礼拝はとくに著しくひろまり、キリスト教が広まってからもなお永い間それに対抗して存続した。このイシスの密儀の入社式の儀礼についてはわれわれはとくにプルタルコスによって、またアプレイウスの有名な小説『メタモルフォーセス(変身)または黄金のろば』**によって知っている。この秘伝的教義の全体はつぎのような密儀にもとづいて成り立っていたといえる。「女神イシスの衣裳はあらゆる多種多様の色彩にいろどられている。なぜならイシスの力は物質の上に及んでいるため物質はあらゆる形をとり、あらゆる変化を現わすのである。そして物質は光とも闇ともなることができ、昼にも夜にもなり、火にも水にもなるし、生にも死にもなり、また始にも終にもなることができるのである。しかしイシスの衣裳は少しも陰影を示しもしなければ多様性を示すこともない。それはただ一つの純粋な色彩、光の色しかもたない。実際、原理はあらゆる混合のまじらない純粋なものであり、原初の叡知的な存在は本質的に純粋なのである***」。イシスの教義は当時の思潮に非常に強い影響を及ぼした。当時の密儀の信奉者たちはたえずサイス(エジプトの古代都市の名)にあるイシスの寺院にしるされたつぎの有名な文句を援用していた。「われはすでに存在し、未来にも存在するものなり、しかして未だ何人もわれのヴェールをとり去りたるものなし。」
* ヘカテイア=ディオニュソス神の母といわれる神。〔訳者〕
** 『黄金のろば(メタモルフォーセス)』=ろばに姿をかえられた人間がいろいろな経験をする話をかいた小説。呉茂一氏訳が岩波文庫で刊行されている。〔訳者〕
*** Plutarque, Isis et Osiris, trad. M. Meunier.(プルタルコス『イシスとオシリス』ムーニエ訳)。

これと平行して新オルフェウス派や新ピタゴラス派も発達したが、新ピタゴラス派の予言者で有名な人に、いわばギリシアのサン・ジェルマン伯*ともいうべき神秘家ティアヌのアポロニウス**がある。非公開の寺院内で行なわれ、ピタゴラス自身にはじまるとされたこの一種の神秘的な儀式は加入者に対して、彼はいまや神聖で不可分な、しかもまじり気のない本質と語り合っているのであり、そうすることによって物理的法則の苛酷な運命からのがれるのだという感じを与えることを目的としたものであった。四世紀になると宗教哲学には全般的に妖術(テユルジー)、神秘術、錬金術および奇異なあるいは人を恐怖せしめるような入社的儀式がたくさんいりこんでいた。また地中海世界の礼拝的教団には非常に多くの密儀的行事が行なわれていた。J・マルケス・リヴィエールは「このように著しい変化の行なわれたところはエジプトであったともいってよい。寺院における古い讃美歌、呪禁、古めかしい魔術、神秘的なきまり文句、非公開の秘法などギリシアやイランあるいはパレスチナやナイル河上流の各地に起源をもつ種々の密儀的潮流の影響をうけたものがエジプトに重なり合って存在していた。またそこには旧約聖書のエホバの神も現われてくるが、それはアジアの神サバジウスとまったく同一とされており、さらにそこに現われるオルフェウスはイエス・キリストのように十字架にかけられることになっていた。これは哲学的というよりはむしろ魔術的な折衷主義であって、いろいろの教派の技術、効験あらたかな文句などの寄せ合わせともいえるが、これこそ後のキリスト教的グノーシス派の先駆的な形ともいえる」とのべている。こうした観念、感情、儀式の渾沌とした大規模な混合からキリスト教も種々の要素をうけつぐことになったのは当然のことである***。
* サン・ジェルマン伯=十八世紀のヨーロッパを騒がした神秘家。〔訳者〕
** G. R. S. Mead, Apollonius de Tyane, Paris.(G・R・S・ミード『ティアヌのアポロニウス』英語からの訳)またカルコピノのこの問題に関して著わした著作を見よ、さらにまたウェルギリウスが新ピタゴラス派の密儀に入社していたことも忘れてはならない。
*** A. Boulanger, Orphée, Paris, 1925.(A・ブーランジェ『オルフェウス』)。

ミトラ神 ―― イランに起源をもち、遠征軍人によってローマ帝国にもちこまれたミトラの礼拝については別の項目をあてて取り扱わなければならない。この太陽神の崇拝はキリスト教が決定的に勝利を得る前にはキリスト教の最大の敵であった。ミトラの礼拝は地下の殿堂で、しかもきわめて多くの場合洞窟の内で行なわれた。相互の標識のため秘密の記号をつけていたその信奉者は七つの位階からなる階級制(イエラルシー)をつくっていた。すなわち下からいうと、烏(colax)、神秘術師(cryptius)、兵士(miles)、ライオン(leo)、ペルシア人(perses)、太陽の使者(heliodromus)、父(pater)の順である。入社志願者に課せられる試練はその厳格なことで有名であった。女性は入社式をうけることができなかった*。ローマで漸次勝利を得てきたキリスト教会はこのミトラ礼拝をきわめて危険な敵と考えたので、これに対して、激しい闘いを挑んでこれを克服した。ミトラ礼拝もキリスト教のように最高神と人間との間に媒介者をおいていた。その新しい信徒がミトラに捧げる祈禱の文句はつぎのようであった。「水の主なる神よ、汝に幸あれ、地の王よ、汝に幸あれ、精神の王よ、汝に幸あれ。生命に戻りたる神よ、われはこの高揚の中において去き、しかしてこの昂揚の中においてわれは死すなり。出生によりて生命を与えられたるわれは死の中において救われ、神の定めたる途に従い、神の確立したまえる法、神の制定したまえる秘蹟に従い去くものなり。」
* この点は婦人が重要な役割を演じた他の密儀において認められていた点と正反対である。

 

キリスト教の秘伝教義、グノーシス派とマニ教 ――

カトリックの著者たちは原始キリスト教に非公開的礼拝や秘伝的教義の要素が含まれていたことを常に否定してきた。しかしながら、新約聖書にはかなりこの否定をくつがえすような個所が含まれている(ヨハネ聖福音書、パオロ書簡、および黙示録)。非常な論争の的となったこの問題はともあれ、信仰よりもさらに先に進もうとして、完全な知識、すなわち感覚の世界のさらに奥にまで進み、万物の存在理由を説明することができる知識を探求していたキリスト教徒が相当数存在したことは事実である。H・Ch・ピュエク(Puech)は「グノーシスとは知識以外の何ものであろうか(ギリシア語のGnosisは知識を意味するにほかならない)。ただそれはたんに救済の探求だけを専一にこととする知識ではなく、人間を彼自身に対して啓示し、人間の中に神および万物についての知慧を明らかにしながら人間に救いをもたらす、別の言葉でいえばそれ自ら救いである、知識のほかの何であろうか」と書いている。つまりグノーシスという言葉はあらゆる時代に、種々様々の宗教において支持された神智論の体系の大多数にあてはまるものなのである。だから宗教思想にはたえずグノーシス的な願望が現われているのである。というのは人間のうちには常に物質界の束縛から脱して第一原因、未知の神にまで到達しようと熱望する人々があるからである。しかしながら、グノーシスという語の限定された意味におけるグノーシス派というものは紀元後数世紀間にわたってキリスト教の内部に発達した一つの大きな運動を指すのである。聖書の中の象徴にかくされ、使徒や聖女(キリストによってもたらされた神秘的伝統の継承者)によって口頭で、非公開的に伝達された完全な、救いの知識の受託者をもって自ら任ずるグノーシス派の教徒たちは一つの同質的団体を形成していたのではなかった。彼らは多くの少人数の団体、同志クラブ、礼拝グループ、秘密集会、秘密団体に分かれていて、それらは相互の間には種々の関係を結び、時には対立することさえあったのである*。
* グノーシス派の最も有名な哲学者は魔術師シモン、セリントス、バシリデス、ヴァレンティノス、マルシオンなどである。またその宗派の中ではとくに蛇を崇拝する「蛇印分派(オフイト)」が著名である。

 

グノーシス派の教義の起源はまだ十分明らかに知られてないが(そこにはエジプト、イラン、ギリシア、ユダヤ等々の要素が見られる)、教義を説く人ごとにかなり著しい差異があり、また教派ごとにも相当の差異が見られる。この差異をいちいち列挙するだけでも大冊の書物を必要とするといえる。しかしそれらの教義に通じて見られる共通の特徴のおもなものは、つぎの点である。
 (一) 知識の信仰に対する優越と人間の救いを確保するための作業(ヴァレンティノスによってなされた永罰に運命づけられている物質的人間、自己の善良なる行為によって救いを得る心理的人間、および彼らのみ完全な天啓に到達することのできる霊的人間、すなわちグノーシス教徒の三者の区別を参照)。
 (二) 神秘的、不可測的存在の内から、多くの媒介者(アイオン)の手を経て宇宙の流出がなされる、そしてこの媒介者の最後のものは一般に悪のあるいは単に低次の「造化の神」で、この神が現在われわれの生存する感覚的世界を創造した。

(三) 入社者は己の内部にある神性の芽を発達させることによって最初の源泉に復帰する可能性を有する。なぜなら内的啓示(これは活動的、天啓的、救済的面の神である聖霊によってもたらされる)はわれわれに「われわれは今いずこにあり、われわれが何であり、われわれはどこから来り、どこに行くのかを」(H・Ch・ピュエク)知らせてくれるからである。これらの思弁はすべて同一の根本的な直覚、すなわち悪の問題に直面しての苦悶、不完全で有限なる世界は一体如何にして無限な完全な神によって創造されたかを説明しようとする要求から生じているのである。
 グノーシス派の集団は結局秘密団体であるが、このグノーシス派における入社式については*、歴史家がかなり正確な知識を与えてくれている。新加入者は試練の後、段階を追うて教義の奥義を授けられるのであって、とくにそこに固有の意味における入社式の儀礼が行なわれる。それは魂が死後天国に昇るのに際して、敵意をもった「執政官」によって警備されている七つの天体の領域を自由に通過することを可能ならしめる秘蹟と呪術的な慣用語および「合い言葉」からなっている。もちろん新加入者相互の間にも認識の符号は存在していた。非公開の礼拝においてはあらゆる種類の儀式の用具が用いられていた。たとえば教義を要約した「図表」(第3図)や一般にはアブラクサス**(Abraxas)という名で知られている宝石(というのは大部分の宝石は呪術の用語で、その文字の値の総計は三六五になるアブラクサスという語が刻印されてあったからであるが)などで、この宝石には図式的な画像、象徴的な人像(たとえば頭は鶏、胸部と腕は人間のもので、両足は蛇状で一方の手に楯、他方の手に鞭をもつ人像)、自己の尾を嚙む蛇とかこがねむしのような寓喩的動物、男とか女の種々の人物模様、太陽、上弦の月または星などのようなものが彫られている。この宝石はまもり札として用いられていたが、われわれはまたその宝石においてそれを使用した諸教派の儀式や信仰に関する暗示を認めることができるのである。なぜならこれらの宝石は入社式の階級のいろいろの違いを示しており、階級の差は魂の救済の段階に対応したものであったからである***。
* とくに道徳的教義の問題を重視したマルシオン派は熱烈な改宗熱によってうごかされていた開放的共同団体を結成していたが、これは例外である。
** アブラクサス=東方諸国で護身符として用いたもの。〔訳者〕
*** 現在においてもグノーシス派の種々の教会は存在し、それらの教会は男女の司祭職を有している。しかしこれらの教会は比較的新しく創設されたものである(十九世紀末あるいは二十世紀になってからのさえある)。

【图】第3図 グノーシス派の蛇印分派の図表(J・P・アランザンによる)

* ベヘモト=旧約聖書ヨブ記に出てくる河馬に似た巨獣の名である。〔訳者〕
 グノーシス派は教会の教父たちがこれに対して激しい論戦を加えていたにもかかわらず、全ローマ帝国内に広まっていた。このほかグノーシス派からの分派ではあるがこれとは反対に転向、改宗勧誘を強くすすめる教会を設立した他の運動マニ教のことを付記しなければならない。マニ教はペルシア人改革者マニ(二一六 ― 二七六)の教義を中心とする普遍的宗教で、それは戦闘的で西洋ばかりでなく東洋にも大きな勢力を及ぼし、シナやトルキスタンにまでも浸透していたものである。マニ教徒は二種にわかれていた。その一は洗礼志願者ともいうべき「熱心な聴衆」で、もう一つは厳格な禁欲生活に従っていた「選ばれた信徒」である。このような区別は後のアルビ宗派といわれる教派における「一般信徒」と「純信徒」との間にも見られるのである(第三章参照*)。善の原理と悪の原理の二元論のもっとも根源的な形態であるマニ教の教義については多くのことがすでに知られている。また「選ばれた信徒」たちが行なう儀礼や非公開的礼拝もまた同様かなりよく知られている。それらは他のグノーシス派の複雑な儀礼とは反対にきわめて簡単な儀式と秘蹟からなっている。
* これは同じく東方の新マニ教派であるポーリシアン派やボゴミル派にも見られる。
ポーリシアン派=グノーシス派とマニ教徒とから成り、聖像破壊を主張し、東ローマ皇帝から圧迫され、とくに九世紀に迫害をうけ、多くは処刑され、他は回教国に亡命した。アルビ派の起源とされる。
ボゴミル派=バルカン地方におこったもの、ブルガリアの修道僧ジェレミアによりはじめられた。ボゴミルとは神に愛されたものの意味。旧約聖書を否定し、キリストの訓えと教義は認めるが教会は認めない。厳格な禁欲生活を守る。〔訳者〕

グノーシス派の教義は多くの宗教的な人々にとっては常に大きい誘惑の源泉であった。なぜなら多くの人々は善と悪との対立という永遠の問題に悩まされてきたからである。このほかにすべてを説明してくれ、あらゆるなぜという問いに答えてくれるような完全な知識を得たいと願った人もあるし、また神秘的な儀式のもつ魅力に眩惑された人もあったからである。カトリック教会はたえずこうした「異端的」な傾向を打破し、克服していかなければならなかった。カトリック教会はそれが勝利を得たとき、これらの異端の徒が著わしたきわめて多くの著作を破棄することはできたが、しかしそれも空しかった。グノーシス派の伝統は依然として、人眼をのがれて秘密裡に、勢力をふるうことを止めなかったのである。そしてその依然として根強い余波をわれわれはフリーメーソンのある種の儀礼や象徴のうちに見出すのである*。
* 同じくまたロマン主義、象徴主義、シュールレアリスムなどの運動にもグノーシス的態度の復活が見られる。Le romantisme allemand,《Cahiers du Sud》, 1949(『ドイツ・ロマン主義』)、R. de Renévillé, Rimbaud le Voyant, La Colombe, 1944(ルネヴィル『見者ランボー』)、Y. Duplessis, Le surréalisme, «Que sais-je?» nº432(デュプレシス『シュールレアリスム』文庫クセジュ)。

第二章 イスラム教の秘儀
 正統派の組織 ―― イスラム教もあらゆる宗教と同じくその最初から神秘論者を有しており、その中には異端派と正統派とがあった。正統派の中でコーランの掟を忠実に守りながらも入社式の秘密結社を発達させたのはスーフィ派であった。今日でもなお回教徒の秘密結社はかなり多数存在しており、とくに北アフリカにはそれが多い。これらの秘密結社は教団の創設者の墓のある回教寺院に通常居住する絶対的首長チェイクをその本尊としている。首長チェイクは新しい信徒たちに入社式(ouerdi)を行なうため遠くまで出かける管長(モカデム)をその支配下においており、管長たちに対する秘密の指令は常に口授によってなされている。これらの秘密団体の目的は、P・ジェイローが会談した現在の団員の一人がこれについて語るところによるとつぎのようである。「信徒たちは各教団に特有の規律、行事、慣例、および奇蹟によって信徒たちを段階を追って完成に導く道・トリカを歩むように努めなければならない。各々の教団はアール・エス・セルセラト(鎖の氏族)といわれるものを構成している。そしてこの鎖は一般には予言者マホメットに真理の科学を伝えた天使ガブリエル*によってはじまっている。しかもこの鎖は教団の創設者を経由して今日の首長にまでつづいているが、今日の首長の代々の先任者の名前もそこに保持されているのである。ある教団はこの鎖の知識をも直接の天啓によって生じたものと考えている。そして、多くの場合、この天啓はシディ・エル・カディール、すなわち予言者エリア**の媒介によって現われたのである。予言者エリアは予言者イドリス(エノク***)と同じように生命の源泉の水を飲んだため、死を免れたのである。」
* 天使ガブリエル=神に遣わされて処女マリアに「汝は孕って子を生むであろう。その名をイエズスと名づけよ」とつげた。〔訳者〕
** エリア=旧約聖書では予言者。火の車にのって昇天したと伝えられる。〔訳者〕
*** エノク=旧約聖書では「創世記」の家長エリアとともに生きたまま昇天した。〔訳者〕

これら正統派の組織とならんで、イスマイレー分派からわかれた異端派の諸団体の存在に注目しなければならない。われわれはそのもっとも主要なものだけについて以下において叙述することにする。
 イスマイレー派と関連諸団体 ―― イスマイレー派という大組織はシリアにおいてペルシア人マイムンの子アブダラー(八六三)によって創設されたものである。このイスマイレー派の教義にはグノーシス派の強い影響が明らかに看取される。すなわちその教義はコーランのおしえよりも進んで言霊の六人の予言者(アダム、ノワ、アブラハム、モーゼ、キリスト、マホメット)に七人目の導師(イマム)イスマイル(すなわち「時間の支配者」または「時代の支配者」であるジャフェルの子)を加えている。それは特に顕著な入社式的宗教で、入社式に七つの段階*を認めている。イスマイレー派は一時はきわめて重要な政治的、軍事的な役割を演じたことがある。今日でもこの派はかなり多数の信徒を有し、とくにその首長で、精神的権力および地上的権力を掌握しているアガ・カンの居住するパキスタンに多くの信徒をもっている。
* 一部の分派ではときに九つの段階が存することもある。

 しかしイスマイレー派からはさらに多くの分派がわかれているが、このうち最も有名なものはアササン派とドリュズ派とアンサリエ派である。
 (一) アササン派(暗殺派)は正確にはハシッシュ麻薬吸飲者ともいうべきで、多くの人々によって語り伝えられたために有名となり、現在ではすっかり伝説となって伝えられている。この記憶すべき教派は十一世紀末に誕生したが、この「東方のイスマイレー派」の開祖はペルシアのコーラサン生まれの有名なハサン・ベン・サバーであった。彼はペルシア北部のアラムウトの城砦を奪取してから、「フウジェット」すなわち最後の導師(イマム)の再現であると称し、相当数の信奉者をあつめた。この「山の老教祖」はペルシアばかりでなくシリアにおいても多数の城砦を占領し、その支配は、麻薬(ハシツシユ)すなわちインド麻からの麻薬によって熱狂的となり(そこからアササン〔刺客〕という名が生じた)、しかも教祖の支配計画に対して妨害するものはすべて抹殺する使命をおびた献身的な刺客信徒の力によって急速に拡大していった ―― この派の敵はそう断じている。その入社式の位階組織はまったく大首長チェイクに従属し、正統派イスマイレー派と同様七つの位階からなっていた。一一二四年ハサンが九十歳で死去した後もアササン派の権力は依然として拡大していた。しかし彼らの勢力はシリアにおいてはアンサリエ山脈の南部に多くの城砦を保持していた聖堂騎士団と衝突し、それとはげしい戦闘を交えた後これを降し、貢物を供めさせさえしたのであった(一説によると聖堂騎士団はこのアササン派から秘伝的教義を学んだものであると考えることができる)。しかし十三世紀の後半にはペルシアでもシリアでもアササン派の政治的勢力はまったく終焉をつげるようになり、彼らの保持していた城砦は両国の王の率いる軍隊によって奪回されてしまった。

 

(二) イスマイレー派の他の一つの分派はシリアのドリュズ派の戦闘的宗教である。ドリュズ派は同名の山脈のうちに住みシリア駐屯のフランス軍を大いに手こずらせたものである。この派の開祖はエジプトのファティミド朝*の六代目の王ハケムとその顧問ペルシア人ハムザであるが、とくにこのハムザが十一世紀にレバノン地区のドリュズ族を全部この宗旨に改宗せしめたのであった。ドリュズ派の聖典はキタブ・エル・ヒクメト(叡知の書)という。彼らの信仰の根本はレッパー**によるとつぎのように要約される。「神は一である。神は人間に対してはその化身によって何度も姿を顕わしたが、その最後の姿はハケム・ビアムル・アラーの人格において顕われたものである。ハケムは不死であった。彼は信徒の信念をためすために一時姿をかくしたが、再び光り輝く姿となって再現し、この地上に神の世界を広げるはずである。さらに信徒たちは、神が最初に普遍的叡知を創造したのであってこの叡知は神の顕われるたびごとにこの地上にあらわれ、神がハケムに化身して顕われたとき、この叡知はハムザの形をとったのであると信じている。なお神の再現についてはつぎのように見られている。すなわち人間の数は常に同一である。ただ人間の魂は、魂が真の宗教の掟とその七戒の遵守を忠実に行なったか怠ったかに従って存在の階梯を上ったり、下ったりしながら異なった肉体を順々と回っているにすぎないのである。」ドリュズ派は「武士」たるジャネル階級と「長老」たるアキル階級の二階級にわかれていたが、後者だけが密儀に参加することを許されていた。新加入者がアキル階級になるためには、三つの恐ろしい試練に耐えてそれを克服しなければならなかった。その第一は長期にわたる断食の後食欲をそそる食物の一杯ならんだ食卓を前にしながら飢えに抵抗しなければならない。第二は砂漠を三日間騎馬旅行した後でも新鮮な水のはいったかめに手をふれてはならない。最後は、一晩中美しい婦人と対坐しながらも情欲に負けないようにしなければならない。
* ファティミド朝=九〇九 ― 一一七一年にわたって北アフリカを支配した回教徒の王朝。〔訳者〕
** Lepper, Les sociétés secrètes, p. 301.(レッパー『秘密結社』三〇一ページ)

(三) アササン派やドリュズ派と同様レバノンの同名の山脈中に居住する回教の異端派であるアンサリエ派、別名ノサイリス派もイスマイレー派からの分派である。「アンサリエ派は他の何物にも依存することなく、永遠に存在する唯一神を信ずる。ゆえに彼らは一神教徒である。ただ彼らはこの神がアベル、セト、ヨセフ、ヨシュエ、アサプ、シモン(セファス)およびアリ*となって七度化身して顕われたと確信する。神はこの化身のたびごとに二人の神的人間を用いた。その一人は神自身によって創造された神の本質からの派生物であり、他の一人はその被造物によって創造されたものである**。」このような一連の思索の中にはキリスト教的グノーシス派の影響は容易に認めることができる。彼らは密儀において種々の葡萄酒を用いて一種のミサを行なった。それは神の光明をうることを目的とした儀礼である。神は光のうちにかくれて存在するが、「光のしもべ」(Abd-in-Noor)である葡萄酒のうちに顕われるのである。また彼らは輪廻を信ずる。すなわち信者の魂は一定数の転生の後に「光の国」において星に変ずるというのである。このようにグノーシス派の教義がいかに回教徒の異端派に大きな役割を果たしたかは明らかである。ただ宗教史のこの部面にはまだ多くの不可知的な面が残されており、専門家による研究も比較的わずかしかなされていないありさまである***。
* アベル=旧約聖書によるとアダムとエヴァの子。セト=アダムとエヴァの第三子。ヨセフ=ヤコブの子。ヨシュエ=モーゼ死後のユダヤの長。アサプ=イエルサレム殿堂内におけるレヴィ族の司祭階級の名。シモン=キリストの使者で殉教者。アリ=マホメットの従兄弟。〔訳者〕
** レッパー前掲書、三一一ページ。
*** なお「悪魔の崇拝者」といわれる特別変わった分派の存在することもここにふれておこう。

 

第三章 中世における入社式
 一般的状況 ―― 中世全体にわたって、秘伝的教義は教会側があらゆる異論、邪説に対してはげしい弾圧を加えたにもかかわらず、大なり小なり地下運動をつづけることをやめなかった。この長期間にわたって多くの入社式組織が存在した、そのうちあるものは同業組合のように神学的論争からは遠ざかろうと努めたが他のものは明白に反カトリック的であり、異端的教義の信奉者であった。あらゆる種類の神智論的教義がこの間大きな役割を演じたが、それらはヘブライの伝統であるカバラ*やグノーシス派の古い伝統をうけつぐ幻想教派の教義、あるいは錬金術および本来の意味での神秘的な思弁などの種々の方面からの要素をとりいれていた。この時期の神秘的思想の傾向はまだ十分に明らかにされていない点が多く、とくに東方の教義との関係は明白ではない。ただこの点について十字軍が演じた役割については知られている。十字軍の遠征のときに結成されたいろいろの騎士団が利用した象徴形式と神話的伝統との関係を研究することはとくに興味のある点であろう。なぜなら騎士たちの紋章はしばしば象徴的な色彩に訴えていたからである**。ただ本書の限られた範囲内では中世の秘密団体の全部を取り扱うことはできないから、われわれはそのうちもっとも著名な、かつまた代表的な例だけに限らなければならない。
* カバラとはヘブライ語の伝統の意味。
** F. Portal, Des couleurs symboliques…, réédit., Paris, Niclaus, 1938.(F・ポルタル『象徴的色彩』)。
同業組合 中世における数多くの団体中最も有名なのは、同業組合であるギルドである。ギルドにおいては入社式の儀式が行なわれ、その慣習は相当後の時代まで続いて行なわれた。
 このギルドのうち最も知的水準の高かったのは、王宮の大教会の建築者である「石工」のギルドであった。石工たちは当時の建築術の別名であった帝王の術(Art royal*)の秘伝を授けられており、しかも古代の秘密の保持者であった。「ピタゴラスの秘伝的幾何学がギリシアから十八世紀まで伝わったのは一方では建築師の団体(彼らは代々と相競って幾何学が非常に重要な部分をしめている入社式の儀礼を後世に伝達していった)によるのであったが、また他方では呪術や大教会の薔薇形飾装や魔術師の五芒星によっていたと断言しても、それは当然として認められてよいのである**。」そしてこの組合の「親方」、この実践的石工の組合から思弁的なフリーメーソン(第五章第一節参照)が生まれたのである。石切工、錠前工、指物師、大工などが種々相互に競争的な「義務」を分担していた同業組合は今日もなお存在しておりその種々の慣行は多くの物語によって人口に膾灸している。たとえば組合の象徴であるリボンや杖、あるいは「フランス巡行」、「聖母」が職人の宿舎や下着類のめんどうを見てくれる一種の旅屋である「たまり場」などがそれである。
* 本書第五章フリーメーソンの項参照。
** Matila C. Ghika, Le nombre d'or t, II. pp. 75―76.(マチラ・C・ギカ『金の数』二巻七五 ― 七六ページ)。

これらの同志的組合に共通の特徴は組合員相互の認識のしるし、加入をちかう入社式の儀式、非常に古い昔から伝わる伝統の存在で、それらのあるものは現代のメーソンにも見られるものである。たとえばフェニキア人建築師ヒラムが、エルサレムの殿堂を建設したという有名な伝説などがそれである。
 グラールの伝説 ―― グラールとは聖なる容器エメラルド盃のことで、伝説によると、この盃はキリストの最後の晩餐に役立ち、さらにキリストが百夫長ロンギノスの槍で脇腹を刺された際傷口から流れおちた血と水をアリマタアのヨセフ*が受けとるとき用いたものであるといわれる。この盃グラールはその後アリマタアのヨセフ自身によってイギリスに移されたといわれている。「不死の液」を容れたこの聖盃は「グラールの探求」、すなわち失われた叡知の探求に関する数多くの中世の伝説のうちに現われてくるものである。何人にも知られているように、アーサー王が魔術師マーリンの計画にもとづいてつくった有名な「円卓」は十二人の騎士のうちの一人がこの聖盃を取り返すのに成功、イギリスからガリア(フランス)のブルターニュ地方にもちかえったとき、それを受ける台にするためのものであった。(この聖盃は天使ルシファーが天から降りる時その額からおちたエメラルドに天使たちが加工してつくったものであった。最初それは地上の楽園でアダムに託されたが、原罪の後に失われてしまい、セト**によって隠されてしまい、セトが地上の楽園に復帰することができたので、その後はキリストの出現以前に他の人々によって隠されたのであった。)聖盃グラールの喪失は結局叡知の喪失を意味するものであり、この「喪失した」あるいはかくされたともいうべき叡知を再び見出すことが大切な仕事なのである***。
* アリマタアのヨセフ=ユダヤ人最高評議所の議員であったが、ひそかにキリストの弟子となっており、キリストの受難後キリストの屍体をうけとりたいとユダヤ総督ピラトに願い、許されてひきとった。伝説によると彼はその後イギリスに渡り、布教に従事したといわれる。〔訳者〕
** セト=アダムの三人目の子供。〔訳者〕
*** R. Guénon, Le Roi du Monde, chap. V.(R・ゲノン『世界の王』第五章)。A. E. Waite, Holy Grail, London, 1933. Lumières du Graal, Paris 1949.(A・E・ウェイトの『聖盤』および『聖盤の光』)およびJean Marx, La légende arthurienne et le Graal, Paris, P. U. F., 1952.(ジァン・マルクス『アーサー王の伝説と聖盤』)を参照せよ。

これらの伝統の中にキリスト教的密儀とケルト族すなわちゴール地方の僧侶の伝統との結びつきを看取することができる。しかしこれらの伝統の起源はもとよりかなりの神秘に蔽われている。これらの伝説はすべて多少とも入社式を行なう多くの団体によって利用されていたようである。したがって当然アルビ派によっても利用されていたものといえる。
 アンリ・マルタン*によると、一種の秘伝的騎士団聖グラール盃のマセニーがあったということであって、そのことはかなり後の作品ティトゥレル**の中にその記述が見られるという。「聖盃グラールが保存されているのはイギリス内ではなく、ガリア(フランス)内のイスパニアとの国境の付近である。ティトゥレルという名の英雄がそこに寺院を建て、そのうちに聖盃を安置したのである。そしてアリマタアのヨセフ自らによって最高の殿堂・ソロモンの殿堂の設計の奥義の伝授をうけていた予言者マーリンがこの寺院の神秘的建設を指導したのである。聖盃騎士団はここにおいてマセニーすなわち禁欲的フリーメーソンとなり、その成員は自ら聖堂騎士団員と称していた。このことによって、われわれは理想的殿堂によって象徴される共通の中心に、聖堂騎士団と当時中世の建築を更新していた建築師の組合とを結びつけようとする意図を理解することができるのである。そしてこの点において、われわれは一般に考えられているよりもはるかに複雑なこの時代の地下の歴史ともいうべきものへの探求の端緒を見出すことができる***。」
* Henri Martin, Histoire de France, t, III, pp. 398―399.(アンリ・マルタン『フランス史』第三巻三九八 ― 三九九ページ)。
** ティトゥレル=ドイツの詩で、これには二説あり、一説によると、それはヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(一一七〇 ― 一二一九)の作で断片的なものであるという。他の一説によるとそれは一つの完結した作品で、永い間ヴォルフラムの作と考えられてきたが、実はバヴァリアの詩人アルベルトの作であることが明らかになったと。〔訳者〕
*** 聖盃の物語はまたゲルマニアの伝説にも見られる(ワグナーの四部劇を参照)。

カタール派 ―― カタール派(ギリシア語で清浄なものという意味である)は、とくにアルビ(フランスの中部)付近にその教徒が多かったためまたの名をアルビ派ともいわれるが、この派は教会および王室から容赦なく弾圧の手を加えられ、あらゆる手段によって殱滅されたので有名である。この派の教義についてはすでによく知られている。彼らは善と悪との両原理を究極までおしすすめ、宇宙全体は暗黒の王によって創造されたものであると宣言し、それゆえに禁欲的道徳が必要であると結論し、結婚、生殖、現世の生活をすべて罪であるとして排斥する。なぜなら現世の生活は光をもつ魂を闇黒の物質のうちに封じこめているものであるからそれ自体悪なのである。‥‥そして実をいうとただ、完全な信徒だけが厳格な禁欲主義に従うことができる。単なる一般信徒についていえば、彼らはもっと寛大な道徳に従うという利点に恵まれていた。また矛盾したことであるが、これらの異端者たちはある意味ではカトリック教会よりもはるかに「楽天的」であった。カタール派は地上の世界を「サタンの国」としながらも、彼岸から、感覚の世界を超えた霊の世界からは地獄を追放してしまっていた。したがって、この世の終わりにはあらゆる人間の魂は数多くの他の肉体に宿る長い道程を経て救われ、すべての光明は闇黒から解放されるというのである。神秘主義的文学はカタール派には何の関係もないあらゆる奥義信仰をカタール派の所産であるとしてしまっている。それにもかかわらずカタール派には入社式の儀式や儀礼は存在しており、それらの種々の行事は精神をこの現世から解きはなし、肉体にとらわれている魂を肉体から解放することを目的としたものであった。カタール派の一部には「アンデュラ」といわれる断食によって死ぬという行為によって一挙に魂の解放をはかろうと考えていた信徒もあったが、大部分の信徒は瞬間的に肉体と魂との分離を可能ならしめる禁欲やその他種々の技術によって精神的な啓示に到達することを可能ならしめる本来の入社式の儀礼に従っているだけであった。アルーによると「十二世紀以後にはカタール派も相互認識の記号、合い言葉、占星術的な教義をもっていた」といわれている。

アルビ派に対してなされた十字軍についてはすでにあまりにもよく知られているから、ここではそれには触れない。ただカタール派の教義はその聖職者たちが虐殺されたにもかかわらず存続してきたということは注意しなければならない。事実、吟遊詩トルーバドール人たちはこの異端アルビ派の熱烈な献身的な支持者であったことは明らかであるが、彼らはその「楽しい知識」の中で異端糺問によって禁じられていた思想をひろめつづけたのであった*。
* 聖盃に関する小説を見よ。
 聖堂騎士団 ―― 聖堂騎士団の秘伝教義はいまだに一つの謎である。この有名な教団は聖地エルサレム参詣にいく巡礼を保護するため一一一七年創設されたという歴史をもち、教団の規則は聖ベルナールによって定められたことはよく知られているところである。聖堂騎士団の成員たちは永い間回教徒と戦ったが、回教徒による奪回にあって最後にはシリアから退却を余儀なくされたものの、キリスト教国においては非常に勢力をもち、また巨大な富をも獲得し、ヨーロッパ各王国にその本部をおいていた。このあまりにも有力な騎士団に対して嫉妬心の強いフィリップ・ル・ベル王*が教皇に訴訟をおこしたことはよく物語の題材となっているところである。フィリップ・ル・ベル王がどんなに執拗に教皇クレメンス五世に、聖堂騎士団を「キリストを否認し、キリスト教の信仰を棄て、秘伝的儀式の中においておそろしい堕落的な行為に耽っている」と非難し弾劾する権利を強引に認めさせたかということもよく知られている。長期訴訟の後、同団は一三一二年の教皇の教書により解散を命ぜられ、その首領ジャック・ド・モレーおよび多くの団員は一三一四年パリで焚刑に処せられた。
* フィリップ・ル・ベル王=フランス王(一二六八 ― 一三一四)教会の世俗権と封建制に抗した。〔訳者〕

ところで聖堂騎士団は秘密の教義や入社式の儀式をもっていたであろうか。この問題は数多くの論争をひきおこしたところであるが、一部の歴史家たちは断固として聖堂騎士団には秘儀はなかったと否定しているのに対し、一部の歴史家は反対に何の躊躇することもなく、フリーメーソンの起源をこの殉教教団に求めている。実際には聖堂騎士団は秘密の儀礼と入社者だけに与えられる教義をもっていたようであり、この異端的教義はグノーシス派的思弁の継承者である回教徒の異端派 ―― これはたぶん聖堂騎士団が接触を保っていたアササン派であるらしいが ―― から伝えられたものであったようである。しかしわれわれはこの秘密教義については十分の資料をもっていないし、またこれに関する確実な資料もほとんど存在していない。したがってこれに関して歴史家はただ推測にたよっているにすぎない。すなわち歴史家は男性と女性の両原理の結合を象徴する両性的偶像の一種であるバフォメ*(バフォメとは精霊の霊感を意味する)の像についての推測によっているにすぎない。しかも、バフォメの像が秘密の儀礼において演じた役割はまだ十分正確には明らかにされていない。アルーはフォン・ハンメルを援用してこの像は「聖堂騎士団が潰滅する前に死んだ一団員の墓から十七世紀に発見された護符(タリスマン)の上にしるされてあったグノーシスの象徴を」意味するか、あるいは「ブルゴーニュとトスカナで同時に発見され、その上に右と同一の象徴、とくにレースの房、火と水の試練、男根、櫛、ミトラの牡牛およびエジプト形十字によって比喩的にあらわされたアイオーン**の連鎖の象徴のある二つの箱を」意味するか、さらにはまた「騎士団の殿堂の内面的教義をあらわし同時にまたかくしているように見える若干の教会の正面入口に彫刻された不思議な寓意画」(たとえばサン・メリの教会の正面入口の上部には二人の天使に香を捧げられてかこまれているバフォメの像がある)を意味するものではないかとのべている。しかし、われわれは聖堂騎士団の秘伝教義についてはほとんどまったく何もしらないのであるから、歴史家も同団が行なった密儀については一部の神秘論者が伝えるあまりに詳細にわたった叙述については十分慎重に用心してかからなければならない。
* バフォメ(Baphomet)=アラビア語のモハメットという文字をラテン文字に移したもの。〔訳者〕
** アイオーン=グノーシス派の神から流出する永遠の力。〔訳者〕

ダンテと秘伝教義 ―― ダンテ・アリギエリ(一二六五 ― 一三二一)は中世における最も有名な「入社者」である。教皇庁に対するこの強敵は当時の秘密団体において大きい役割を演じたもののようで、ダンテはとくに聖堂騎士団系の第三教団であるフェデ・サンタの首脳者の一人である。ダンテは「形而上的秘伝教義的寓喩であり、入社者の良心が不死の境地に達するまでに経なければならない種々の階梯を蔽いかくすと同時にこれを展開した書である」『神曲』の中においてこの秘伝教義の説明をしているのである*。
* A. Réghini, L'ésotérisme de Dante(レギニ『ダンテの秘伝的教義』Guenon〔ゲノン〕の引用による)二五ページ。
 『神曲』の「世界」はそれぞれ入社式の階梯をあらわしている。すなわち地獄は俗界を、煉獄は入社式の試練をあらわし、天国は叡知と愛とを結合しこれを最高度にまで高めた完徳者の永住の世界である。この広大な綜合の中には異教徒、グノーシス派、カタール派、アラビア人の教義や秘伝的な教義などあらゆる種類の要素が含まれている。とくにキリスト的秘伝的教義の最も典型的な象徴、十字、薔薇、鷲、七つの人文学科*の段階、ひなに餌を与えるために胸を開いているペリカン(これは救世主と同時に最も完全な人類の象徴である)もそのうちに見出される。…こうして今やわれわれはキリスト的秘密教義の全盛時代にはいってきたのである**。
* 七つの人文学科とは中世における大学の基礎とされた学科で、弁証論、修辞学、文法および算術、幾何、天文学、音楽をいう。〔訳者〕
** ロリスとマンの『薔薇物語』(Lorris et Meung: Roman de la Rose)を参照。

錬金術師とカバラ派 ―― 周知のように、中世は秘密的礼拝と秘伝的教義が非常にはびこり、数多くの入社式的組織によってひろめられた時期である。その例として錬金術師たちのあつまった諸種の秘密団体があげられよう。彼らの教義および行事は教会から繰り返して出された禁止令にもかかわらず、中世全期にわたって依然として発展しつづけたのであった。
 つぎに種々の宗派や封鎖的な小教団などの団体を結成していたユダヤの秘伝的律法教師たちのことにふれなければならない。カバラという言葉の語源的意味は伝統ということである。多数のキリスト教的思想家たちに大きな影響を与えることになったこのヘブライの秘密教義は純然たるユダヤ的教義ばかりかとくにグノーシス派の思想など他の伝統の中にも古くから深い根をおろしていたのである。これらカバラ派の秘密教徒たちの著作は種々さまざまの神智論的思想の断片を累積したよせ集めというべきであった。カバラ派の中にも実践的な一派がある。それはあらゆる種類の魔術的知識の百科辞典とそれに神秘的な法悦境に入ることを、いなそればかりか人々を催眠的な失神状態に陥れることを可能ならしめる種々の手続きが結びついたものである。しかし他方、カバラ派の中には思弁的な一派も存在した。彼らは文字の置きかえの種々の技術(ゲマトリア〔Gematria〕ノタリコン〔Notarikon〕テムラー〔Themurah〕テルプ〔Teruph〕)を利用して聖典を寓喩的に解釈し、また創造(Maasseh bereschit,「天地創造の歴史」)や宇宙の構成(Maasseh Merkabah「天の車の歴史」)の最も深い神秘にまでも立ちいろうと努めていた。カバラ派教徒の思索の基礎になる原典は二つあり、その一つはたしか八世紀につくられた『セフェル・エッチラ』Sepher Yetsira(天地生成の書)と他は十三世紀末頃イスパニアで編集された『セフェル・ハ・ゾハル』Sepher-ha-Zohar(壮麗の書)である。後者はとくに十六世紀以後あらわれたあらゆる秘伝的教義のほとんどすべてに対して、顕著な影響を及ぼしたのであった。カバラ派の思索が構成している巨大な教義の体系は、これを簡潔に要約することが不可能であるから、われわれは専門の著作を参考としてもらいたいと思う(巻末の参考書を参照のこと)。ただJ・ブーシェ*によって明らかにされた基礎原理はつぎのようである。「神はそれ自体の姿においてもまたその顕現においても考察することができる。あらゆる顕現以前それ自体の姿においては神は無限定の、漠とした、眼にみえない、近よることのできない、確定した属性をもたない存在で、それは岸辺のない海、底のない淵、濃度のない液体のようなもので、何らかの名目によっても知ることはできない。したがってそれは像によっても、名前によっても、文字によっても、また点によっても表わされることのできないものである。神をあらわすのに用いることのできる最も完全に近い言葉は終わりなきもの、無限定なもの(en soph)あるいは限界のないもの、または、非実存者、非存在**(Ayin)である。」
* J. Boucher, La symbolique maçonique, pp. 102―103.(J・ブーシェ『メーソンの象徴』一〇二 ― 一〇三ページ)。
** Ayin(エイン)はヘブライ語のアルファベットの第七文字。それは根源的で人々の強く熱望する文字である。〔訳者〕

「神は顕われさえすれば、すぐ近よることができ、認識することができる、またそれに名をつけることもできる。神に対して与えられる名は神のいちいちの顕われに、またその具現化に対しても適用される。無限定なもの(en soph)、非存在(Ayin)はセピロトによってまたはその中において十の仕方で顕現する。その十の仕方とは王冠、叡智、知性、聖寵、力、美、勝利、栄光、基礎、王位(王の身分)でその各々は無限定なものの啓示、または告知の特別の仕方であり、無限定なものに名前をつけることを可能ならしめる。あらゆる円、それは無限定なものの限定であり、決定であるが、それは圏セフイラをなしている。」
 「またカバラ派は神を天国のアダム、アダム・カドモンの形において考え、セピロトをその肢体の中にあるものと考え、セピロトに対立の法則、性の法則を適用している。」そこで第4図に示すようなセピロトの樹の名によって知られている図表がつくられているのである。

妖術 ―― 以上かけ足で中世の入社式を概観してきたが、最後に妖術について一言しないとこの概観は完全とはならない。中世には一定の期日に儀礼を行なっていた男女の妖術師の諸種の秘密団体が存在していたようである。いかにも矛盾しているようにみえようが、妖術は一種の儀礼を構成し、また一種の宗教でもある、しかしそれはさかだちした宗教なのである。
 何度も人々から指摘されたように、「善なる神と悪なる悪魔との二者が平行し、しかも相対立するという観念は中世において支配的であったが、この時代以降この二つの観念を分離することはできなくなった。そこで神に対して祭壇が設けられ、神に捧げる典礼、ミサ、祭儀が存するならば、反対に悪魔のために熱心に捧げられる儀式も存在すべきだということは容易に理解される。教会自身も悪魔を非常に力をもった、ほとんど神に匹敵する堕落の天使であると考えており、さらにまた悪魔との契約が死後ではなく現世において人間に確実な幸福と富とを約束するものであれば、堅い信仰によってキリストと結びついていない人々にとっては悪魔をためしてみようとすることは非常に魅力的なこととなっていたのである*」。魔女についての行事や祭儀は専門的な著作**においてはおびただしく叙述されている。その上、このような入社式の古代的な、かつ民衆的な形態についての研究は歴史家や人類学者にとってはもっとも高度の興味の的である。安息日サバトの儀礼は後にそれに付け加わった悪魔信仰の付加物をすっかり取り除くと、古代の異教的生殖崇拝の残存としか思われないものである。今日なお一部の地区(とくに英国)に秘かに存続する真のヨーロッパ妖術は古い農村的異教崇拝のもっとも古い有史以前からの土台なのである***。
* M. Verneuil, Dict. des Science occultes, Monaco, 1950, p. 360.(M・ヴェルヌイユ『秘伝科学辞典』三六〇ページ)
** これについての古典的著作はGrillotde Givry, Le musée des sorciers, Paris…, Libr. de France, 1929. Première Partie.(グリロ・ド・ジヴリー『妖術師の博物館』第一部)である。
*** この点についてはM. A. Murray, The Witch-cult in western Europe, Oxford, 1921.(マレー『西欧における魔女崇拝』)、Le dieu des sorcières, Paris (Denoël), 1957(『魔女の神』)、Jean Palou, La sorcellerie, «Que sais-je?» nº756(ジャン・パルー『妖術』文庫クセジュ)をみられたい。なおG. B. Gardner, The meaning of Witchcraft, London (The Aquarian Press), 1959(ガードナー『魔女崇拝の意味』)を参照。

第四章 薔薇十字団
 起源、伝説と歴史 ―― 薔薇十字の同志団体がその三冊の小著作によって公然と存在を明らかにしたのは一六一四年および一六一五年である。三つの著作とは『一般的改革』、『同志的薔薇十字団の伝説』および『団体の懺悔』で、三部の著作者はおそらくJ・V・アンドレーエ(一五八六 ― 一六五四)であろうといわれる。第二の書『伝説』は東方旅行の途次回教徒の賢者たちによって入社式をうけたドイツのクリスチアン・ローゼンクロイツ(頭文字をとってC・R・Cと略称する)による同団創設の次第を叙述したものである。同書のうちにはローゼンクロイツの墓の発見の物語があるが、それによると教徒たちはその墓のうちに羊皮紙にかかれた象徴的聖典を手にした師ローゼンクロイツの屍体のほかにあらゆる種類の儀礼的祭具、すなわち「種々の徳の鏡、鈴、燈光のついたランプ(薔薇十字団の有名な永遠のランプ)、不思議な人工の歌(話す機械?)」などを見出したという*。同団の起源およびその創設者クリスチアン・ローゼンクロイツの歴史を物語った伝説は以上のとおりである。そしてローゼンクロイツは確実な証拠によれば寓喩的人物で、一三七八年から一四八五年まで生存したと考えられるゲルマン人系の同名の人物ではなかった。歴史家にとっては薔薇十字団の運動の真実の源泉を探求することは必要であるが、これはかなり困難な仕事である。なぜならば秘伝的教義の伝統の真の起源を探求しようとするとき、常に問題になるように、確実な資料がまったく欠除しているからである。
* E. Coro, La Traduction Française de la Fama. Paris, Rhéa, 1921.(『同志的薔薇十字団の伝説』のE・コロによる仏訳)参照。

中世の全期間にわたって焚刑や異端糺問などの弾圧にもかかわらず、もり上がる知的運動はけっして絶えなかった。キリスト教的なものであれ、そうでないものであれ、秘密教義は非常に多様な起源をもつ思潮を精緻な接神論に綜合していた入社式的組織や種々の秘密団体によってひろめられていた。とりわけ中世には各種の錬金術師や秘伝的教義信奉者やカバラ派教師の結社が多数存在していた。文芸復興はこのような秘密団体の開花のために理想的な条件をもたらすこととなった。カトリック教会の権力の失墜によってもはや教理によって拘束をうけることがなくなった知的探求はますます発展することができるようになり、種々の照明派などの教義を著しく発生せしめていた。また各地間の旅行が頻繁となったため、各国の秘伝教義の信奉者間の連絡も増加していた。こうした背景の下にニコラ・バルノー(一五三五 ― 一六〇一)は、彼が一五八九年以降、「錬金術の愛好者をさがし求め、彼らにその政治思想を伝達するため」ヨーロッパの各地を旅行した次第を物語っている。有名なパラケルスス*についていえば、彼は薔薇十字団のすべての著作者たちに対する大権威となるにいたったが、これら著作者たちは「奇術師エリア」の再現**に関するパラケルススの予言について何度も暗にほのめかしながら、彼の教義を十分に利用していた。パラケルススはその予言において「非常に重要性をもっているが、エリアの到来まではかくされていなければならない一つの発見がなされることを神は可能ならしめるであろう。そしてそれは真理なのである。発見されてはならないような隠されたものは何も存在しない。それゆえ私の後に、まだ生まれてはいないが、多くのことを啓示する一人の奇蹟的な存在が現われるであろう」とのべている(このエリアは薔薇十字団のアンドレーエによれば単なる個人ではなく、集団的存在であってそれは薔薇十字の同志的団体にほかならないのである)。
* パラケルスス=一四九三年チュリッヒの近くのアインジーデルンに生まれ、錬金術的医師の父といわれる。彼は最初神秘的化学に通じていた父の弟子として研究し、のち師につき研究を深め、ヨーロッパ各国をまわり三十三歳でバーゼル大学において教鞭をとった。一五四一年死す。〔訳者〕
** エリア=旧約の予言者。イスラエル人をバールやアスタルテ崇拝から防ぐように神からの命を受け多くの奇蹟を行なった。生きたまま天国に昇った。が、再現すると伝えられていた。〔訳者〕

アンドレーエの同志友人たちが「その秘伝的教義に政治問題、宗教問題をまぜあわせていた錬金術師」なのであった(F・へーファー)。この秘密団体が十六世紀のほんとうの末期に、ついで十七世紀の初めに現われたのは宗教改革の思想に好適な環境であったドイツにおいてであった。われわれが現在さかのぼりうる一番古い時代は一五九八年で、この年錬金術師ストゥディオンはニュールンベルクに福音十字軍という薔薇十字団の前身である一団体を創設した。その理論は薔薇と十字の象徴を利用し、かつまた「一般的改革」と「地上の刷新」を予言した、「神秘的な殿堂の測量」についての研究書『ナオメトリア』(一六〇四)と題する奇妙な書物の中に収められている。またH・クンラートの『永遠の叡知の階段講堂』(一五九八)の五芒星の一つの上にも薔薇十字のあらゆる象徴が発見されることを注意しておこう。

これら薔薇十字団の著作者たちはこの運動を説明するためしばしば回教の秘伝的教義やイスパニアの照明派などに訴えているが、薔薇十字団の霊感の要点はパラケルススの弟子のドイツ人教徒たちによって発展され、「普遍的知識(パンソフイ)」という名で知られた理論のうちに完全につくされているようである。もとよりそこには多少神智論的な、または神秘的な教義のいろいろの残存が看取されはした。正確な詳細は明らかにすることはできないが、同十字団は一六〇〇年頃結成されたもののようである。同団に関する絶対の秘密は尊重するという宣誓は団員によって一六一四年頃まで完全に守られたが、この年薔薇十字団は好機が到来したとしてその存在を世間に公表したのである。しかし、同団にとって第一次的な役割はハプスブルク王朝のルドルフ二世の側近の錬金術師たちやヘッセン・カッセルのモーリッツ伯のような王公たちに帰さなければならない。同団のスポークスマンとなったのはルーテル派の宣教師J・V・アンドレーエであるが、彼の存在は非常に長い間当時の教養ある公衆(一般人民はもち薔薇十字団の発達およびその教義にふれる前に、同教団にその名称を与えた象徴、すなわち「本質的薔薇十字」の深い意味を探求することが必要であろう。ろんのこと)には怪異の念をもってみられていた。薔薇十字というのは赤色の薔薇を同じく赤色の十字のまん中に結びつけてできた象徴で、それは「キリストの神聖なそして神秘的な血によって塗られたからなのである」。
 ロバート・フラッド(その著、『至高善』)によるとこの象徴は十字軍当時キリスト教徒の騎士によってその旗印とされたのだが、二つの意味をもっている。十字は救世主の叡知、完全な知識をあらわし、薔薇は清浄、肉的欲望をうち挫く禁欲の象徴であり、かつまた錬金術の仙丹の象徴、すなわちあらゆる汚れからの浄化、万能的妙薬の完成成就の象徴でもあった。またそこには秘伝的宇宙創造説も見られるが、それによると十字(男性の象徴)は創造的神的エネルギーの象徴として本原的物質の闇黒の子宮に(女性の象徴である薔薇によってあらわされる)たねを与え、宇宙を発生せしめたことになる。

薔薇十字団運動の発展 ―― 薔薇十字団の同志たちの運動はドイツで大いに発展し、アンドレーエ、ミンジヒト(一名マダタヌス)、グートマンおよびミハエル・マイヤー(一五六八 ― 一六二二)などの著名な団員が輩出した。その著作のうちに「精神的黄金石」、キリスト、「叡知の神聖な基礎石」(これと同一表現は薔薇十字団のイギリス人大指導者ロバート・フラッドにも見られる)についての暗示を多くとりいれている神秘主義の大哲学者ヤーコプ・ベーメ(一五七四 ― 一六二四)も、当時非常に大きな力を有していたこの接神論的理論の大きな混合であるこの十字団の教義によって強い影響をうけていた*。薔薇十字団はさらにその生誕の国以外にも勢力を拡大していた。こうしてモラヴィアの同志の首脳の一人であるチェック人コメニウスはオランダに赴き、そこで同志を獲得した(オランダは当時ほとんど完全に近い思想の自由が認められていた国であるから同志にとっては理想的な国であった)。そして彼の多くの神智論的著作は人々に対して「偉大なる建築家である神の原理、規則および法則に則った叡知の殿堂」を建設するよう慫慂していた。フランスにもミシェル・ポティエ、外科医ダヴィド・ド・プラニスカンピのような同志はあったが、薔薇十字団の勢力はそこには比較的及んでいなかった。同団が最も大きく発展したのはイギリスであって、それは医師ロバート・フラッド(一五七四 ― 一六三七)の努力によるところが大であった。フラッドは一五九八年 ― 一六〇三年の六年間ヨーロッパ大陸を旅行し、その足跡はフランス、イタリア、スペイン、ドイツおよびポーランド国境にまで及んだ。彼はドイツの同志と交友関係をもち、ついに薔薇十字団の儀式や教義に入社したのであった。イギリスに帰るとフラッドはロンドンにいろいろ団体を組織したが、それらは急速に発展して、彼は同組織のイギリス支部の大首領となった。一六五〇年頃イギリスでは薔薇十字団は強力な組織をもつにいたった。そしてそれがフリーメーソンにスコッチという高い位階の階級組織を導入するもとになったのである(以下第五章第一節参照)。
* ベーメの友人薔薇十字団員モルシウスもフラッドと友好関係があったことを注意しておこう(H. Schneider, Joachim Morsius und sein Kreis, Lübeck, 1909.(H・シュナイダー『ヨアヒム・モルシウスとその交際仲間』一九〇九)。

薔薇十字団とフリーメーソン ―― 薔薇十字団は十七世紀の中頃フリーメーソンの中核体となった。すなわちその団員はフリーメーソンの職場に避難し、そこで「承認されたメーソン」(この意味についてはつぎの第五章第一節を参照)として受け入れられたので、建築師の同業組合の象徴を利用して彼らのうけた教義の普及をはかった。彼らは「人類の目にみえない非物質的な殿堂を建設する」ために働く「象徴的石工」なのであった。彼らはその秘伝的考え方およびカバラ派的観念をメーソンの中にとりいれることによりその祭礼を変え、入社式の特徴をもった儀礼をともなう親方の位階を創設した。その入社式とはその加入者にヒラムの死、「腐敗」、および復活を再び体験せしめるものであった(次章第二節を見よ)。また彼らはキリスト教的秘伝的教義の色彩を強くもった「高位の位階」を導入したのである。これらの位階はアンダーソンの憲章においては黙殺されたのであったが、その後多少変形した形において表面にあらわれることになったのである。それゆえ現代のフリーメーソンは薔薇十字団の秘伝的教義の延長であり継続であるといっても矛盾はないのであって、ペリカンや灰の中から再生する不死の鳥フェニックスや双頭の鷲のような最も典型的な薔薇十字団の神話的象徴はメーソンによってうけつがれている。このように十七世紀の前半には種々の思想の混合がおこり、秘密団体は著しく発達をしたのであったが、そこに相互に影響の交換がなされていた。それにまた神秘思想の著しい発達と錬金術が諸種の科学的研究や当時の多くのユートピアに見られる社会改革への意欲と相ならんで存在したこの時代は人々が自分のおかれている時代を正しく認識することをかなり困難ならしめる時代であった。これらユートピアのおもなものをあげるとカンパネラの『太陽の都』(その殿堂はメーソンのロッジと奇妙に類似している)やフランシス・ベーコンの『ニュー・アトランティス』があり、後者は一六二二年以後に著わされたもので建築術的象徴に訴えながら、学者が居住する「ソロモンの殿堂」を叙述しているのである。
 入社式の儀礼 ―― 薔薇十字団の入社式の儀礼を研究することは種々の位階の研究と同じく興味あることであろう。ドイツの薔薇十字団は厳密な意味での「姿の見られない高位階者」の制度をとっており、低い位階の団員は高い位階の団員の人格には接していなかった。この高い位階を認める考え方は感官の支配から解放され、疲れを知らず世界をかけめぐる人々による一種の秘密の伝統保持を認めていた同志たちの考えによっても、もちろん歓迎されていたのである。そしてこれら高位階者こそ単なる薔薇十字団員と区別せられた真の「薔薇十字」の位階に達したものなのである。

J・V・アンドレーエ*の同時に錬金術論でもある『糜汁の結婚』のような著作の中にある種々の入社的儀礼についてわれわれはときどき暗示的に触れてきた。多くの解釈家たちはクリスチアン・ローゼンクロイツが七日間にわたって体験したいろいろの儀式、行事、および試練について説明をしようとつとめてきた。またフラッドの『神学・哲学要綱**』の中にも新加入者にエリアとエノク***(二人とも天国に奪われてしまった)の運命を再び体験せしめることを目的とした入社式の物語は見出される。しかし、原典はこれらの点についてはほとんど触れていないし、またはっきり明言していない。ただ同志としての入社式的儀式を知るための間接的方法が一つ存在しているにすぎない。それはきわめて特徴のある秘伝的でしかもキリスト教的な象徴主義の色彩のこい位階すなわち「スコッチ・メーソンの高い位階」の中に見られる儀礼の研究を行なうことである。しかしながら、原初の位階は十八世紀の中において相ついで何度も修正をうけているので、それを再構成することはきわめて困難である。それにもかかわらず、これらの「高い位階」の儀礼によって用いられている象徴や寓喩を研究することは利益をもたらさないわけではないであろう。この高い位階のうちに、われわれは十七世紀における信奉者によって規定されたとおりの閉鎖的秘密的教義をほとんどそっくりそのまま見出すことができる。たとえば、薔薇十字****の章の中に描かれているままの天国エルサレムについてのヴィヨームの叙述を見るとつぎのとおりである。「最後の部屋の奥には一幅の絵画があり、そこには一つの山がそびえ、この山から流れる河の岸辺に十二種類の果実をつけた樹木が茂っている。山頂には一つの台石があり、それは十二段になった十二の宝石によってできている。この台石の上に正方形の黄金があり、そのおのおのの面に三人の天使が描かれ、各々の天使にはイスラエルの十二の部族の名がつけられている。そしてこの黄金の中に一つの十字がおかれてあり、十字の中央には仔羊が横たわっている。」この叙述は(聖ヨハネ『黙示録』第二十一章からのインスピレーションによるものだが)フラッドが『神学・哲学要綱』中においてのべている事実ときわめて類似している。この薔薇十字の位階(その宝石はまさしく同じ名の象徴を再現している)はそのキリスト教的象徴利用とその神秘的な最後の晩餐とともに特徴的なものである*****。
* アンドレーエ『糜汁の結婚』の仏訳(パリ、シャコルナク、一九二八年)。
** Sédir, Histr. et doctr. des Rose-Croix, pp. 115―116.(セディル『薔薇十字団の歴史と教義』一一五 ― 一一六ページ)を見よ。
*** エノク=旧約によると創世記にでてくる家長、ジャレドの子で、マトサレムの父、彼は神とともに歩み、そのまま地上に戻らなかった。エノクはエリアとともに生きたまま天国に昇った。〔訳者〕
**** 薔薇十字は古式承認儀礼の第十八の位階でフランスの儀礼の第七位階である。
***** R. Le Forestier, L'Occultisme et la Franc-Maçonnerie écossaise, pp. 294―300.(R・ル・フォレスティエ『秘伝主義とスコッチ・フリーメーソン』二九四 ― 三〇〇ページを見よ)。

教義とその目的 ―― 薔薇十字団の思想への接近は歴史家にとって容易である。というのはこの同志たちは多くの著作を残しており、ヨーロッパの大図書館は十七世紀前半からのこの種の著作をたくさん所蔵しており、これらの著作には多数の象徴的な模様や寓意画やきわめて興味の多い図形などの挿入されたものが多いからである。この時期の最も著名な著作家はロバート・フラッドで、彼の数多くの著作はいわば真の大全ともいうべきもので、つぎの時代のフリーメーソンの最高の哲学の信徒たちはそれを彼らの教えを汲みとる源泉としていた。
 フラッドによって体系化された宗教哲学に関する薔薇十字団の教義はその大要だけでも要約することはきわめて困難である*。それは一つの巨大な神智論的体系であり、一種の秘伝的キリスト教ともいうべきであるが、また秘伝的教義、ユダヤ的カバラ派、新プラトン主義およびグノーシス派の強い影響もうけていた。それは混成的綜合で、中世全期とルネッサンス期にわたって地下にかくれてきた多少秘密的色彩のあるあらゆる伝統の残存を全部綜合したものである。だからそこには秘伝主義のあらゆる古典的問題が展開されている(とくに性的宇宙開闢説は宇宙の起源を男性的火と女性的物質の結合に基づくものとしていた)。あらゆる存在はいろいろの段階において顕示する唯一の存在、モナドの種々の発展であるにすぎず、それはけっきょく根源的統一に還元する運命をもっている。原始時代以来存続している古代の秘密哲学を保持する同志たちは、近く黄金時代が復帰することを予言している。
* この点については近刊予定のS. Huiin, Robert Fludd, Omnium littéraire.(ユタン『ロバート・フラッド』)を見よ、なお以下の著作を参照のこと。J. B. Craven, R. Fludd, Kirkwall, 1902.(J・B・クレイヴン『R・フラッド』)。また薔薇十字団についての一般的著作には次の著作を参照 ―― Ad. Franck, Dict. des Sc. philosoph., 2e édit., Paris, Hachette, 1875. pp. 532―542.(A・フランク『哲学的科学辞典』五三九 ― 五四二ページ)。およびD. Saurat, Milton et le matérialisme chrétien Paris, Rieder, 1928, pp. 13―43.(D・ソーラ『ミルトンとキリスト教的唯物論』一三 ― 四三ページ)。

人は反抗によって神の国から追放されたが、法悦によって神の世界に再び戻らなければならない。人間は再び神となることができるし、またそうならなければならない。彼らはこうして宗教的、社会的な「普遍的改革」を実現すべく予定された神秘哲学をもたらしている。錬金術の仙丹は何よりもエルゴン、すなわち黄金石*の内的探求、信徒の永遠の救済であり、また、エルゴンに従属するパレルゴンである。それは物質を純金に変えることにより物質を聖化することのできる黄金石の物的探求である。「キリストは人間のうちに住んでいる。そして人間のいたる所に浸透する。一人一人の人間はこの精霊的岩石のいきた石塊であるにすぎない。それゆえ救世主の言葉は人類全般に対しても適用される。このようにして殿堂は建設されたのであり、モーゼやソロモンの殿堂はその象徴であった。殿堂が神聖となれば、その死んでいる石も生きかえり、不純な金属も純金に還元され、人間は原初の浄清潔白と完全な状態に回復するにいたるであろう**。」
* 錬金術師が求めていた霊石、すべてのものを黄金に変える。
** Fludd, Summum Bonum(フラッド『至高善』)。

特に啓示の連続に対する信仰に注意しておこう。なぜなら秘密の伝統はその言葉の絶対的意味において真の薔薇十字*であり(一般団員はまったく単なる薔薇十字団員でしかない)、全体的科学の把持者として黄金石と不老長寿の術を有し、群衆にはわからない超人的能力を賦与された「見えない親方」の絶えることのない連続によって維持されていたからである。当時の多くの人々が見出そうと努めてむなしく終わったのはこれら「目にみえない人々」であった。もちろん中にはこういう薔薇十字の人と交際したことがあると自称する人々もいくらかはあった。(たとえばある医師は一六一五年、中位の背丈で、普通の様子をし、質素な身なりをした男と旅行したときのことを語っている。それによると、その男はあらゆる種類の学問のことを話し、病人は無料で直してやったりし、田舎風の服装をしていたが薔薇十字であると自称していた。その男はまた植物の効能にも通じており、他人が彼についてしていたうわさ話を知ってもおれば、昔の言葉も外国語も話すことができた。その男はさらに樹木に生える苔を食っても身体をこわさず、いろいろ予言もしていた。その男は九十一歳という高齢の古風の修道士で、この同志団の第三番目の団員であった。その男は話をしてもそれを言い直したことはけっしてなかったし、同じ場所に二晩以上続けていたことはなく、じきに姿を消してしまったという。)一六二五年頃これら「啓示者」たちがその生国である神秘の東方に戻ったといううわさが伝わった。その時から今日までヨーロッパではこうした自由な親方とともに生活したと称する人々が何人か現われた。そのうち最も有名なのは十八世紀におけるサン・ジェルマン伯とカリオストロ**である。
* 薔薇十字はここでは位階をさす。
** カリオストロ=一七四三年パレルノに生まれ、商店主の子であったが、看護人から医師となった。しかし詐取のため追放され、東方、ヨーロッパを巡り、パリに戻り、パリの上流社会で有名となり、フリーメーソンに加わった。彼はエジプトのメーソンを創立した一七八九年ローマで捕えられ、フリーメーソンとして死刑の宣告をうけたが、無期徒刑に減刑された。〔訳者〕

薔薇十字団という今日なお神秘につつまれた秘密団体は一般に考えられるよりはるかに重要な役割を演じたのである。たとえばデカルトも、彼のドイツおよびオランダ滞在中この神秘的なかつ人道主義的理論に誘惑されて、彼の友人で数学者であるファウルハーベルの斡旋によってではあるが同団に関係をもつ機会があった。デカルトの有名な「夢」や「オリンピカ」のような青春時代の種々の小冊子はこの点について証拠を提供している*。
* A. Georges-Berthier, Descartes et les Rose-Croix, in Revue de Synthèse, t. XVIII, 1939, pp. 9-30.(A・ジョルジュ・ベルチエ『デカルトと薔薇十字団』)。G. Persigout, L'Illumination de R. Descartes rosicrucien, in C. R. du Congrès Descartes, Paris, Hermann, 1938.(G・ベルシグー『薔薇十字団員デカルトの幻想』デカルト会議の報告論文)およびX Novembris 1619, Paris, édit. de la Paix 1938(『一六一九年十一月十日』)参照。

この団体はフリーメーソンの中にも作用を及ぼしたのであって、フリーメーソンはその信奉者たちによって強く影響されたのであった(次章参照)。ところでこの運動の継承であるとまじめに主張している現代の組織についてみると、それらは十七世紀の薔薇十字団を実質的に継承しているのである。(S・ド・ガイタの「薔薇十字団のカバラ派」とか、ペラダンの「カトリック薔薇十字団」とかマックス・ハインデルの「ロジクルンアン・フェローシップ」(薔薇十字の同志)やその他これほど有名でないものがそうした組織に属している*。また、薔薇十字団の伝統と十九世紀末「パプス」(ジェラール・アンコース)によって再組織されたマルチニスムとの間に直接の結びつきがあることを記しておこう。)
* しかし、われわれも誤ったが、外見とは反対に、薔薇十字の知識が集められたのは、特に古い薔薇十字組織運動においてであることも明らかにしておきたい。

第五章 フリーメーソン
一 沿革
 行動的メーソンから思弁的メーソンヘ ―― 特別の知識をもっていた建築業者たちはもっとも遠い古代(この時代彼らは修道院的団体を結成していた)から他の職業団体の中にあって一種の貴族的存在であった。中世においてもこれら寺院や王宮の建築業者たちは教会当局からもまた世俗の当局からも諸種の特権を享受していた(教会の庇護権や種々の義務免除あるいは特別裁判権など)。この点から彼らの通常のよび名であるフリーメーソンという名称が生じた(文字どおりに訳せばフリーメーソンとは義務を免除された石工である)。当時建築術は「王者の技術」であって、その秘密はただこの技術をうけるに値するものだけに伝授されていたのである。ここから一種の最高の仕事すなわちたえざる労働によってますます完全となり宏大となり、普遍的でしかも無限となっていく理想的殿堂の建設という観念が生じてきたのである。さらにまた正統派キリスト教に対して多少ともつごうのわるい立場のあらゆる思想家たち、とくに錬金術師たちはこの建築家たちのうちに避難所を求めていた(このことは教多くの宗教的建造物の正面にみられる奇異な象徴的な模様の存在を説明してくれる)。

 職人、すなわち建築家から構成されていた行動的メーソンから思弁的といわれる近代的フリーメーソンへの移行はイギリスにおいておこったのであるが、それは「承認されたフリーメーソン会員」の果たす役割がだんだんと重要性をもってきたことによるのである。
 イギリスには当時他のヨーロッパ諸国と同様に建築業者の組合、「自由な石工」の組合が多く存在していたが、それらは財力の豊かな、有力な団体で国王の保護をうけていた。その組合員は入社式によって正式に加入を認められたが、儀礼についての秘密を厳守し、不動のものとされる組合の本質的規定を含む一定数の規則 ―― それは境界標と名づけられている ―― を尊敬することを要求されていた。しかし動乱期である十六世紀の末、大きい建造物の建築が著しく減少してきたので、この同業組合はその存続の危険を感じ職人でない人をも組合員として加入を認めるようになった。これらの人々が「承認されたメーソン」であったが、彼らは多くの場合有力な名士たちで、将来組合の権威を再びたかめるのに力あった人々である。つぎの十七世紀の初めにはこの「承認されたメーソン」の数はかなり多くなっていた。しかしそのうちとくに決定的役割を演じたのは、イギリスの薔薇十字団員であった。一六五〇年頃ロバート・フラッドの弟子たちはロンドンに強力な組織をつくっていた。その一人錬金術師エリアス・アシュモール(一六一七 ― 一六九二)は一六四六年その義兄とともに「承認されたメーソン」として加入を認められた。彼はロッジ*内で幾人かの友人、神学者および科学者たち(トーマス兄弟、ジョージ・ワートン、天文学者リリーなど)と親交を結びこれらの友とともに「学問の理想的殿堂、ソロモンの殿堂を建設する」ことを目的とした結社を組織し、そのためメーソンの建物内で集会をする権利を獲得した。ところがこの薔薇十字の結社がメーソン内でだんだんと支配的な役割を演ずるようになったのである。この結社の同志たちは彼ら独自の象徴を導き入れ、在来の入社式の儀礼を根本的にかえてしまった。石工たちはそれまで職人という一つの階級しかつくっていなかった。なぜなら徒弟は同業組合の正組合員とは認められず、単に親方だけが工事場指導の責任を負うていたからである。しかるにこれとは反対に後の思弁的メーソンに発達する組合では徒弟という階級に対しても入社式の儀式は必要とされ、ほかに親方の階級も設けられた。親方の階級のための儀式は職人的起源をもつ神話であるヒラムの神話を取り入れたものであるが、その象徴形式は薔薇十字団によって著しく発達させられたものであった。しかも薔薇十字団は同業組合的階級やソロモンの殿堂の象徴的建設の神話にさらに古式の騎士団(その本場はスコットランドであるため、高い位の階級にはスコッチ・フリーメーソンの名が与えられるようになった)から示唆をうけた新しい位階を付加していた。そしてこの古式の騎士団の秘伝的・キリスト教的儀礼の中には薔薇十字団の入社式が再現されていたのである。
* ロッジとは支部というような意味で、フリーメーソンの集合所はもっぱらロッジとよばれる。〔訳者〕

ところが「承認されたメーソン」の数はますます増加した。というのは教養ある階級の人々は組合員相互が「兄弟」とよびあう、フリーメーソンの団体こそ彼らが本来抱いてきた友愛的感情や感情的博愛主義の観念を実現し、しかもそれに非公開的儀式、象徴形式、相互認識の符号や合い言葉の魅力が加わったものであると考えたからである。さらにまたクロムウエルや清教徒たちの敵であったすべての貴族やプロテスタント当局から迫害されたカトリック教徒もこのロッジのうちに安全な避難所を見出していたのである。当時メーソンは支配政権の敵であり、スチュアート王朝の復帰を歓迎していたので、それゆえ王政復古(一六六〇年)後には国王チャールズ二世によって保護された。
 しかしながら一六八八年の第二革命とオレンジ公ウィリアムの勝利の後、フリーメーソンを時の王権に対して忠誠を誓う博愛主義的団体としようとする運動がおこった。この運動の中心人物のうち有名なのは二人のプロテスタントの牧師アンダーソンとデザギュリエであって、後者はフランスの出身であった。

一七一七年六月二十四日、ロンドンの四つのロッジはメーソンの規約を統一する任務をもった大ロッジを設立した。貴族や市民たちはそこに大挙して加入するようになったが、職人たちはメーソンに対する従来の親しみを失ったので漸次会合から姿を消していった。こうしてフリーメーソンはもはや石工親方の同業組合ではなくなって、純然たる思弁的な団体となってしまった。アンダーソンによって起草された規約すなわち憲章は一七二三年公表された。この憲章はその第一部では世界の創造以後におけるメーソンという団体の神話的歴史を叙述し、第二部ではむかしの建築業者の同業組合の規約と類似の規約をさだめているが、とくにこの結社の門戸を「万人の一致して認める宗教」を信奉する人々に公開し、メーソン会員に「古い伝統をもつ同志的団体の紐帯であり名誉であると同時にその基礎であり土台石である博愛」の精神を高めることを慫慂していたのである。そしてその儀礼には行動的団体時代の三つの位階(徒弟、職人、親方)だけを残しているにすぎなかった。アンダーソンの憲章はまもなく大部分のロッジの憲章として認められ、すべてのロッジはとくに人道主義的、理神論的、精神主義的な教義をひろめたが、この教義はその宗派の如何をとわず全キリスト教徒に対し門戸を開いており、しかも時の政治権力に対しては忠誠を誓うものであった。ただ高位の位階は正式にはそこから除かれてはいたが、スチュアート王党派により一部のロッジでは残されていた。ジェームズ二世党の決定的敗北の後、これら高位の位階はその政治的目的をこえて存続し、再びその特有の非公開的象徴形式の全部とともに頭をもたげるようになり、種々の抵抗を排して、スコッチ・フリーメーソンという名称の下に決定的な体系のうちに地位をしめるにいたった。

十八世紀におけるフランスのフリーメーソンと高位の位階の発達 ―― フリーメーソンは一七三〇年頃フランスに輸入され、たちまち大発展をとげるにいたった。多くのロッジが設立されるようになり、それらはロンドンの大ロッジに対して正式の権限付与を要求した。このメーソンの普及熱には英仏海峡の彼岸から渡ってくるものはすべて賞讃していた当時の「イギリス崇拝熱」、密儀の魅力、人道主義などすべてのものが与って力があった。メーソンはとくに貴族のうちに多くの信奉者を見出したが、市民階級の中にもかなりの信奉者を見出していた。これはメーソンが彼らの平等に対する願望を満足させていたためである。それに、フリーメーソンはその全会員を差別なく貴族であると宣言し、全会員に対しロッジにおいて儀式用の剣をおびることを許していた。
 しかしまもなくフランスのフリーメーソンは一つの重大な危機をのりきらなければならなかった。それは外的危機というよりはむしろ内的危機であった(あらゆる秘密集会に対して警戒を強めていた公共当局の疑惑、教皇クレメンス十二世が一七三八年に出したメーソンに対する非難にもかかわらず、メーソンの進展はとまらなかった。それに議会党員も教皇の教書を記録することを拒否し、王立裁判所もまもなくフリーメーソン会員を追求することをやめていた)。メーソンの会員数はますます増加したものの、多くの会員たちはただロッジにおける会合の終わりの宴会だけにしか興味を抱いていなかったので、まじめな会員たちはメーソンの改革を願っていた。メーソンを新しい方向に動かしたのは騎士ミシェル・ド・ラムゼイの演説であった。ラムゼイは一六八六年スコットランドのエールに生まれ、エジンバラ大学で勉強の後、大陸へ大旅行を企てた。彼ははじめオランダを訪問し、神秘主義者ポワレと関係を結び、それからフランスを訪れた。彼はカンブレーでフェヌロンの友人となり、一七〇九年その感化によってカトリックに改宗した。イギリスに戻ってから一七三〇年オックスフォード大学で学位を授与された。そしてイギリスの大ロッジに入会し、その抱懐する改革案を持ちこもうとして果たさず、決心してフランスに戻り、そこのメーソン会員たちと会合した。彼はフランスで一七三六年に演説を行なったが、その演説は間接的に高位の位階数を増大させる結果となった。この演説は実のところはメーソン組織の博愛的目的をとくに賞讃していたものであった。(メーソンはつぎのように定義される。「メーソンとは人々の精神と心情を向上させるためそれを結合し、未来のいつかに精神的国家を形成することを唯一の目的とする団体である。そしてこの精神的国家においては位階の差によつて要求される異なった義務に反することなく、新しい国民が創造されるが、この国民は各人の特性を活いかしながら徳と知識を紐帯としてすべての人々を何らかの仕方によって結合するであろう」。)しかしラムゼイは後半においてメーソンの起源を十字軍にまでさかのぼって認める伝説を発展させていた。この点は非常に大きな反響をおこした点で、ラムゼイ(彼はフェヌロンの遺稿を研究した後、一七四三年サン・ジェルマンで死亡する運命にあった)はこのため「青色メーソンの象徴的な三階級(徒弟、職人、親方)以上の位階はまったく認めていなかったにもかかわらず高位の位階の精神的父とみられるようになった」(R・ル・フォレスティエ)。一七四〇年以後三つの行動的位階の上に加えられる高位の位階の著しい発展がみられた。そしてメーソンの性格を完全に変え、それを非公開主義、神秘術にまで逆戻りさせたのはスコッチ・メーソンであった。それからフランス大革命の前まで象徴的位階としてだいたい薔薇十字団の位階制度を忠実に復活した新しい位階がたえずつくりだされていた。こうして位階のいわば自然発生的、無秩序的な生成がみられ、これと平行して密儀的方法によってもちこまれた秘伝的教義がまったく全体を支配するようになった。いまや人々は象徴や儀礼のかくされた意味を探求しはじめ神の秘められた名(これがあらゆる存在の起源である無限の観念を魂に与えるものである)としばしば同一視された「失われた言葉」という主題を発展させるに至った。一部の会員によって保持されていた薔薇十字団の秘伝主義的キリスト教がいまや全儀礼を支配し、鷲、ペリカン、不死鳥などの神話的象徴の数がましてくるに至った。

 これらすべての位階は種々さまざまなものであったが、R・ル・フォレスティエの指摘するように、つぎの二つの主要な型に帰着するのである。一は*ヒラムの神話を発達させた「復讐の位階」で、加入者に暗殺者に対する復讐を経験させるものである。二はラムゼイの語った伝説に発想のもとをもつ「騎士的位階」でメーソンの起源を聖堂騎士団にまでさかのぼらせているものである。このため新しい位階はおびただしい数にのぼっているが、それらは殿堂の騎士とかバベルの塔の大建築などという尊大な名称や豪華な行事や恐怖をおこさせたり、あるいは神秘的な試練によって特徴づけられていた。このため一部の会員たちは「古式および公認されたスコッチ儀礼」(一七六二)というようなメーソンの儀礼(または体系)を組織化し、この混乱に秩序をもたらそうとしたが、他の会員たちは照明派イリユミニスム的啓示**の方向に心をひかれ、特別の儀式と彼ら特有の位階制度たとえばスヴェーデンボリ、ウィレルモズ、カリオストロ、ツィンツェンドルフ、マルティヌ・ド・パスカリー(「未知の哲学者」といわれるルイ・クロード・ド・サン・マルタンの親方***)などを設けていた。
* 以下第二節を見よ。
** この幻想的啓示とバヴァリアの啓明結社の運動(本書第二部第三章を参照)と混同してはならない。
*** スヴェーデンボリ=スウェーデンの智神論者(一六六八 ― 一七七二)。ツィンツェンドルフ=オーストリアの政治家、ユトレヒト、カンブレー会議にオーストリアを代表して出席した(一六七一 ― 一七四二)。マルティヌ・ド・パスカリー=ポルトガル系ユダヤ人幻想教派の首領(一七一五 ― 一七七九)。サン・マルタン=マルティヌ・ド・パスカリーの弟子であるフランスの作家で哲学者、幻想教派に改宗した(ド・パスカリーにより)。〔訳者〕

メーソンの発展 ―― メーソンとくにフランスのメーソンのその後の発展の歴史はすでに何度も叙述されてきた。第一級のロッジの大部分を集めた大東社が設立されたのは一七七三年であったが、高い位階すなわちスコッチ・メーソンはようやくナポレオンの治下において最高会議の下に統一されることとなり、最初からの三位階を公認し、グラス・ティーイ伯の手によって、高位の位階に対して決定的憲章を制定した。
 フランス革命は最初はメーソンに対し好意的であって、その有名な標語「自由、平等、博愛」もメーソンから借用したほどであったが、その後国民公会は多くのメーソン会員を絞首台に送るようになった。われわれは十九世紀におけるメーソンの発展やメーソンと教皇庁との間のはげしい闘争については触れないことにする。それらの点はしばしば他の人によってのべられたところである。

二 メーソンの入社式
 分派と位階 ―― 一般によく信じられているところと異なり、メーソンには唯一の中央権力は存在しない。職場または殿堂という自治的団体が存在し、それらが各国ごとに一つの連合体をつくり、大ロッジがそれを指導している。「各国の大ロッジは国家がそれぞれ相互に独立しているように完全に独立していた。しかしそれにもかかわらず、フリーメーソンは一つであり、理論的には個々のロッジはすべて、ちょうど個々人がその属する国籍の如何にかかわらず人類に帰属するように、一つの理想的ロッジを構成するだけである。」しかも多くの国々にはそれぞれ異なった分派(オベデイアンス)をもっている多くの大ロッジが存在する。たとえばフランスにはつぎの四つの主要な分派が存在する。
* 大百科辞典内の『フリーメーソン』論(十九世紀末)。
 一 《フランス大東社》 これを管理するのは「メーソン会議」で、その会員は年次大会によって選ばれる。大儀礼教団が「高位の職場」(第三位階以上)を管理する。

 二 フランス大ロッジ(「古式公認儀礼」スコッチ・メーソン) 年次大会に選出される連合会議がこれを管理するが、その首領には大棟梁がある。高位の職場は最高会議の指揮下におかれている。
 三 《混合大ロッジ「人権」》 これは他の分派がアンダーソンの憲章(これはメーソンから婦人を除外している)に文字どおり忠実に従っているのに対し、男子も婦人も平等の立場で入社せしめる立場をとっていた。
 四 《全国大ロッジ(ヌーイ)》 これはイギリスのメーソンにより承認された唯一の分派。
 位階組織は多数あるが、フランスで重要なのはただつぎの二つである。それは「フランス式儀礼」と「古式公認スコッチ儀礼」である*。両者による位階組織一覧表(99ページの表)参照のこと。
* このほかの儀礼にはたとえばイギリス式またはヨークの儀礼(三十位階)やミスライムの儀礼(九十位階)、修正スコッチ儀礼(全国大ロッジがこれを守っている)などがある。

F∴ 兄弟(同志) S∴ 姐妹(同志)
T∴ C∴ F∴ 亲爱的兄弟(同志)
A∴ L∴ G∴ D∴ G∴ A∴ D∴ L∴ U 为了宇宙伟大设计师之荣光
O∴  东方

つぎにフリーメーソン会員によって一般によく用いられる略語についてみよう。彼らはこのページの上の図に示したような有名な「三つの点」∴(それは三角形または神聖な三角を示すものである)を用いている。またメーソン特有のアルファベットもあり、文字は点と線とで示される*。また注意すべきことは非常にしばしばメーソンの文献は、メーソン紀元すなわちふつうの紀元年数に四千年を加えた年から伝承されたものとなっていることである(これは旧約聖書の伝統に従ってメーソンの起源を宇宙の創造の時にさかのぼらせているものである)。この暦によると一年の第一月は三月となっている。というのは牡羊(三月)は獣帯の第一の印であるからで、したがって魚(二月)が最後の月となるわけである。
* J. Boucher, La Symbolique maconnique, p. 70.(J・ブーシェ『メーソンの象徴』七〇ページ)を見よ。

ロッジ ―― メーソンの殿堂たるロッジの配置は儀礼や位階によって異なっている。しかし通常行なわれる一般的規則はつぎのようである。殿堂は正方形で西から東へ通ずる、すなわち「光」へ向かう途をあらわし、入口は西におかれ、至高者の祭壇は東におかれ、右は南に左は北に面している。殿堂の天井は穹窿の形をし、星空を意味している。結局殿堂は宇宙の象徴なのである。このために、メーソン会員は殿堂の大きさを人に知らせてはならないのである(彼らはその大きさは縦は西から東へ、幅は北から南へ、高さは天底から天頂に及んでいると答えなければならない)。
 メーソンの象徴 ―― メーソンは非常に多く象徴を使用するが、そのおもなものはつぎのとおりである。
 (一) 二等辺三角形または《光の三角形》 これは神の象徴で、そのまん中にエホヴァを示すヘブライ文字が四字か「神の眼」がある。

 三角形は殿堂の東部、ちょうど至高者の祭壇の真上の少し後方にある。それはあらゆる形で神聖な三位一体を象徴している。たとえば過去、現在および未来、あるいは叡知、力、美、あるいは塩、硫黄、水銀(神の御業の三原理)、生、死、光の自然の三界、光(能動的原理)、闇(受動的原理)および時間(男性と女性の原理の均衡を実現する)、などである。眼は神の可視的表現としての太陽(それから光と生命は派生する)、創造原理としての言葉すなわちロゴス、およびわれわれがその可感的表示である宇宙によってはじめてその存在を知る偉大な建築家の象徴である。
 (二) ソロモンの殿堂*の建築者ヒラムによってうち建てられた二つの柱ジャキン(J)とボアズ(B)。この二つの柱は赤と白で太陽と月とに相応する。二つの柱は男性と女性、能動と受動、光と闇の二原理の対立と宇宙における建設的力と破壊的力との闘争を象徴する。
* 旧約聖書、列王紀略上第七章。

(三) 《後光のある星》 これはその中央にGの文字があるが、よい運勢のはたらきの象徴である。
 これは「黄金の数*」の比例にもとづいてつくられたものである。中央の文字Gは引力(Gravitation)、幾何(Géométrie)、生殖(Génération)、天才(Génie)、グノーシス(Gnose)の五つの意味をもっている。またGは大建築家の意味にもなる(Gは神)(第8図)。
* J・ブーシェ、前掲書二二五ページ以下。
 (四) 《直角定規とコンパス》 直角定規は物質に対する人間の作用と混沌の組織化の象徴である。これに対してコンパスは相対的なものの象徴である。すなわちそれは人智の到達することのできる最大の領域を測定するものである。またコンパスは宇宙のあらゆる表示の端緒である一点から生ずる二つの原理(コンパスの脚によって表示される)の象徴であることも注意すべきである(第9図)。

(五) 《ソロモンの印章(六枝の星)》(第10図)このうちの白い三角は神、発展力、精神的火をあらわすものであり、白い三角と反対の向きをしているがそれと対をなしている黒い三角は混沌、地上的力および人間の象徴である。
 (六) 《未加工の粗石と立方体の石》 メーソンの入社式の本質は門外者を加入者にかえることにあるが、それは「未加工の粗石を削って立方体の石」とすることである。そのため槌とのみ、錘線と水準器、定規と槓桿、こてなどの「粗石」を削るのに不可欠の道具が象徴として重要な意味をもつのである。
(七) 《火燃状剣》 これは光の言葉を媒介とする「創造」を象徴するものである。それはまた試練による加入者の浄化をもあらわすものである。
 メーソン組織のうちに至るところに見られる象徴の例はいくらでもつけ加えることができるであろう。またメーソンの標識や身振りや儀式の深い象徴的価値を研究することもまた非常に興味のあるところであろう。しかしそれらに触れることは本書にあたえられた紙数*をこえることになるであろう。
* J・ブーシェの前掲書(巻末の参考文献を見よ)のほかには J. Schauberg, Vergl. Handbuch der Symbolik der Freimaurerei, Schauffhouse, 1866, 3 vol.(シャウベルグ『フリーメーソンの象徴の比較辞典』三巻)を参照。

入社式儀礼については、メーソンの入社式の基礎原理を研究することにより、その最も顕著な特徴だけに触れるにとどめ、徒弟の儀式および親方の儀式にあらわれているヒラムの伝説について簡単に概観することにする。
 メーソン入社式の原理 ―― フリーメーソンの目的は「理想的殿堂建設の技術」すなわち人間存在を変える、あるいは「粗石を削りとる」技術である。門外者は「光を受ける」ことにより「徒弟」となり、ついで「職人」となる。「粗石」は「立方体の石」となり「理想の殿堂の資材として利用」されるのである。メーソン会員が少なくとも理論的に「親方」となると入社式は完成する。なぜならメーソンの著作者たちも兄弟たちのうちに「粗石を削りとる」ことができるまでには至らないものがあることを自認しているからである。
 メーソン入社式儀式はつぎのような多くの源泉から派生したものである。すなわち行動的・職人的入社式、古代の「密儀」、グノーシス教の儀礼、錬金術などである。「高位の位階」について、J・ブーシェはわれわれにつぎのようにいう。「われわれは、仮説なのでこの高位の位階という表現を用いるが、それらはあたかも伝統の特殊の形態に対応しているならば、万事はうまくいくのである。」(換言すればつぎのようにいえるであろう。この伝統とは、薔薇十字のキリスト教的秘伝主義のそれで、最初の三つの位階において「神秘的錬金術」に向かって志向するすべてのもの、および親方の位階においてあらわれた形におけるヒラムの象徴的神話はこの伝統に基づいている。)(これについて以下ヒラムの伝説の項〔108ページ―111ページ〕参照)。

「反省の部屋」と精神的錬金術 ―― 入社希望の新人は「反省の部屋」にいれられる。それは内部をまっ黒に塗った室の片隅ともいうべきもので、そこにはテーブル一つ、腰掛一つとインキ壺一つしかない。そしてテーブルの上には水差し一個、パン、およびそれぞれ硫黄と塩のはいった盃が二つあり、壁には鎌、砂時計、雄鶏、V・I・T・R・I・O・Lの文字などの一連の象徴がかかっている。新加入者はここで反省を行なう。すなわち文字どおりの意味において自己自身に沈潜するのである。新加入者は錬金術的大作業の素材にあたるものである。そして「反省の部屋は錬金術師の長頸のフラスコ、厳重に泥で封じた哲学の卵にあたるものである。新加入者はそこに闇黒の墓を見出す、そこで彼は自主的に死に、過去の生活に訣別を告げなければならない」(O・ウィルト)。新加入者はついで再生するのである。すなわち反省の部屋は、あらゆる生成の第一次的条件は太陽の光がまったく消失することであるから、いわば創造のいとなみの一種の縮図を実現しているのである。入社式を受けようとする新入者は「精神的錬金術」の相続く種々の試練の作業をうける。そして彼はG・ペルシグーが指摘しているように、「くらくなる闇」(黒色、煉獄の段階)→しらむ黎明(白い石)→輝く焰(赤い石)の錬金術的過程の三段階を体験する。もっとも三つの錬金術の原理は部屋のうちに象徴としてあらわされている。それは硫黄、塩および水銀メルキユール(雄鶏はメルキュールの神をあらわす古式の象徴)である。またV・I・T・R・I・O・Lの文字は錬金術の定式の字謎であって、「大地の内部への訪問、汝は矯正によりかくされた石を見出さん」(Vista Interiora Terrae Rectificando Invenies Occultum Lapidem)を意味する。J・ブーシェによれば「それは人類の魂にほかならない深い自我を沈黙と瞑想のうちに探求するようにとの勧奨なのである」。新加入者は、こうして「そのもっている金属物をはぎとられる」。すなわち彼のもつ金属的なものは一切(刀、金など)はぎとられるが、それは象徴的に人間存在を自然状態に戻し(はぎとられた「金属」は文明および文明のもつ一切の人為的なものすべてを意味するのである)、新加入者がこれからはいる新しい状態において、魔術的力の浸透が妨げられないようにするためである(というのは金属は磁気の流れを防害するからである)。ついで、新加入者は左胸部の衣服をぬがされ(潔白と誠実のしるし)、右脚も裸にされる(謙譲のしるし)。それから左の靴をぬがされ(尊敬のしるし)、最後に頸のまわりに新加入者をなお世俗の世界に引きとめておこうとするあらゆるものをあらわす輪差結びをつけられる。

三つの問題と宣誓 ―― 新加入者は筆答によって「人間が神に負うところのものは何か」「人間が自分自身に対して負うところのものは何か」「人間が他の人々に対して負うているところのものは何か」の三つの問いに答えなければならない、それから「彼の誓約」をしたためなければならない。その後に以上にのべた「肉体的準備」がおこなわれる。それから新加入者は両眼を布でかくされて試練をうけるが、眼かくしは「光明をうける」時にはずされる。
 最後に新加入者は「宇宙の大建築家」の名において、(あるいは憲章の原文を援用しながら)宣誓する。宣誓は一枚の紙にかかれてあるが、宣誓後焼きすてられる。新加入者はこうしてつぎの四元素に対して勢力をもちうるようになるとみなされる。
  紙(固体)→地
  インク(液体)→水
  発音→空気
  燃焼→火
 新加入者が「光明をうけ」、真正なメーソンとして「入社した」ときに、すべての兄弟たちは彼にその剣先をむけるが、それは儀礼によってはたらきだした恵みの力が新しい同志に向かって注ぐようにするためである。

ヒラムの伝説 ―― 「入社式の儀式において新加入者が体験するヒラムの伝説(親方の位階に対する入社式において)はヒラム自身をあらわすもので、それは一つの象徴的劇である。そしてこの劇によって現在のメーソンは古代の密儀の単なる残存物ではなく、古代の密儀の継承者となっている」(J・ブーシェ)。ソロモンの殿堂の建設者ヒラムの暗殺の伝説は非常に神秘的な起源をもち、十七世紀の薔薇十字団によって儀式に導入されたもののようである。それは未開社会の入社式*をはじめとしてほとんどすべての密儀に見られる遠い古代からの伝統を再現したものである。その大要はつぎのようである。棟梁の特権をねたましく思っていた三人の職人が棟梁ヒラムを相ついで襲撃する。そして三人の中の最後の一人がヒラムを殺す。三人はヒラムの死体を埋葬し、埋めたばかりの土地にアカシアの小枝をうえる。そしてこの小枝によってヒラムを捜しにでかけた職人たちはその死骸を発見することができる。
* Gobletd'Alviella, Des Origines du grade de Maitre, Bruxelles, 1928.(ゴブレ・ダルヴィエラ『親方の位階の起源』一九二八年)。

この伝説は新加入者によって体験される。すなわち彼はヒラム自身の象徴として、定規、それから直角定規によってうたれ、槌によって殺される。この「三重の死」の後、「腐敗」がすむと、ヒラムは復活する。それではこの象徴劇の意義は何であろうか。
 (一) そこには善の力と悪の力の二元論がまた現われている。古代の密儀はいつも悪の力の犠牲となって滅びるが、ついで光栄ある形を変えた生命において復活する人間または神を登場させているのである。
 (二) 天文学的な解釈をすることもまた可能である。すなわちヒラムは太陽の神オシリスである。古代の太陽崇拝によって用いられる象徴であるアカシアは太陽の復活によって育まれる新しい植物をあらわすものである。メーソン会員たちが自らを「寡婦の子供」と称するのはこのことからである(自然の女神イシスはその夫である太陽が墓に埋められてからは孤独で生活しなければならなかった)。これについてラゴンはつぎのように書いている。「十二月になって冬の太陽がわれわれの風土を去り、南半球を照らしているように思われるとき、そして太陽が墓場に下降しているように思われるとき、自然の女神はその配偶者、毎年その喜びと子供を与えてくれる夫と別離してしまう。女神の子供たちは悲嘆にくれる。それだから自然の女神の育て子であり、親方の位階の入社式においてこの美しい寓意詩を回想し物語るメーソンの会員が自らを「寡婦の子供」(あるいは自然の子供)と称するのは正当である。そして彼らは神の再現によるかのように《光の子供》となるのである。」(またJ・ブーシェの著書『メーソンの象徴』の二八〇 ― 二八三ページもこの「寡婦の子供」についてなされるいくつかの解釈を述べている。すなわちJ・ブーシェによると、「寡婦は黒い布によって特徴づけられるが、それは空間には固有の闇を象徴するものである。それゆえにこそメーソン会員は同時に《寡婦の子供》であり、また《光の子供》なのである。メーソンの会員は《闇の世界の子供》であるが、この世の中においては《光の子供》としてあらわれるのである」)。

(三) 最後に錬金術的解釈をすることもできる。ヒラムの伝説は「偉大な精神的作業」の寓意である、なぜなら「死」(腐敗の段階)とは「第一質料」が自己を超越することができるために通過しなければならない不可欠の段階なのであるから。「三人の職人はヒラム(奥義通達者)を物的世界、心理的世界、および精神的世界の三つの世俗界から解放するのである。ヒラムは神の世界において復活する、そして真の棟梁となるのである」(J・ブーシェ)。ヒラムの象徴的死はオシリスやキリストのそれと同じく、「存在の全面的破滅を物語るものでなく、存在の再生、変形を告知するものである」。

三 教義
 メーソンの目的、「建設至上主義」 ―― フリーメーソンの目的は「建設主義」(O・ウィルト)であり、「エルサレムの殿堂の象徴的再建」である。すなわち、「人類の完全な発展を確保することができるように合理的な原理に合致した社会の建設」である(大百科辞典)。人間は宇宙の大建築家の指図の下に自然の計画のためにはたらかなければならない。ウィレルモズは書いている*。「フリーメーソンは本質的には人間と自然とについての知識以外には目的はもっていない。この知識はソロモンの殿堂にもとづいているのであり、ソロモンの殿堂の建設以来現われたすべての賢者はこの有名な殿堂が宇宙に存在したのは全人類の過去、現在および未来の各段階にわたっての普遍的模型、かつまた人類の歴史の象徴図であるためにほかならなかったことを認めているから、その知識が人間についての科学には関係のないものであることはできない。」メーソンがこのため用いた方法は、「その儀礼をなしている象徴的行事の実行、相互教育と模範、知識の涵養、友愛と連帯の実践」(大百科辞典)である。こうしてみるとフリーメーソンは一見すると博愛的、人道主義的組織であって、その目的は人類の道徳的、物質的向上であり、その原理は人類の無限の進歩に対する信仰、寛容(A・ラントワヌが引用した用語、「寛容の宗教」参照)、あらゆる宗教的、国籍上の差別(J・ブーシェの言葉「メーソン会員の祖国は単にそれが発生した土地やそれが発展した社会にあるのではなく、地球全体にあるのである」を参照)および社会的差別を認めないことにあるように思われる。すなわちフリーメーソンは種々の信仰の外部に、それらを超越して存在すべき団体で、その目的は既存の諸制度を破壊するのではなく、道徳的改心を実現することにあり、その普遍主義的道徳は祖国や人種を超越して、種々の現実に存在する宗教に共通な教訓を含んでいる(アンダーソンの憲章中の句「メーソン会員はその中ですべての人類が一致できる宗教に対してのみ従わなければならない」を参照)。さらにラルース大百科辞典のフリーメーソンの項の無名執筆者の表現に従うと、メーソンは「人類の知的・道徳的完成のために共同して協力するため団結の必要を感ずるすべての人々の心からの普遍的な同盟」を形成している一つの団体であることになる。しかし実際はフリーメーソンは単なる国際的、博愛的組織以上の何ものかである。それは一つの入社式的秘密団体であることを忘れてはならない。
* Lettre au duc de Brunschwick, 20 janvier, 1780(『ブランシュヴィック公への書簡』)。

メーソンの入社式の目的 ―― 「フリーメーソンは入社式への ―― すなわち完全認識への ―― 途を開き、その象徴はメーソン会員にそれへの接近の可能性を与えている*。」フリーメーソンの「入社式の哲学」はいろいろの宗教の教義や政治的原理を超越し、そのそとに立つものである。それは加入者にいかなる信仰も、いかなる一定の教義体系をも強制することなく、加入者を無限の進歩に向かわしめる。G・ペルシグーによれば「その象徴は人々の内面的努力を示唆し、宇宙建設主義への途に人々を個人的に指向するよう奨励することを目的としているにすぎない」。メーソンの偉大なる作業は常に動きつつある課題であり、その達成にたえず努力することを必要とする理想である。しかし、J・ブーシェの言葉によると「殿堂はけっして完成されることはなく、何人もその内部に真正のしかも永遠のヒラムが復活するのを見ることを期待することはできない」。こうしてメーソンの象徴全体は超越的で抽象的領域にぞくする哲学的綜合の可感的な形態であって、加入者はそのために協力しなければならないのである。「メーソンの中において、諸君は自分自身が発見するものしか見出せないであろう」(O・ウィルト)。
* J. Boucher, La Symbolique maconnique, p. xiii.(J・ブーシェ『メーソンの象徴』序文八ページ)。

メーソンの非公開主義 ―― フリーメーソンの入社式の目的はそれゆえ秘密的教義と根本的に異なる何ものかなのである。しかもフリーメーソンの文献の中にはこの友愛的団体のみが保持する秘密の伝統、東方から伝えられ、ピタゴラス、モーゼ、ゾロアスター、キリスト…などの一群の賢者によって発展され、継承された神秘的知識について繰り返し言及しているのが見られる。フリーメーソンが古代の密儀から儀礼や象徴を継承したとすれば、そこに秘伝主義や高位の位階のメーソンによって発展させられた思弁の存在を認めても不思議ではない。「その最大の問題は「失われた言葉」を再び見出し、原初の伝統の残された形を集大成することにあるのである」(G・ペルシグー)。こうしてフリーメーソンは現在ある、また従来存在したあらゆる宗教をその歴史的段階とする「自然的宗教」となるのであって、それは人類のエデンの殿堂を回復し、黄金時代の御世を再現することを目的とするものなのである。マザロズは述べている「《フリーメーソン》は宗教の中の宗教である。実際フリーメーソンが原始的宗教すなわち地上の天国の社会的原理をまったく純粋な形において保持していることはあらゆることによって証明されるところである」と。こうしてフリーメーソンの思想家たちは、あらゆる時代にわたって永い歴史とその恒久性を知られている秘伝主義の古典的な主題をつねに見出している。「創造的統一とは男性と女性、褐色髪と金髪、精神と物質の普遍的全体である。われわれはその全体についてはその無数の細部の顕現によってのみ知っており、また知ることができるにすぎない。しかもわれわれのおのおのはこの細部の顕現のうちにおいて、あるときは行為者となり、またあるときは観察者となるのである」(J・P・マザロズ)。それは火の性質をもつ普遍的原理たる「父」が物的原理「母」を多産的にするという男性、女性の二原理(これはジャキンとボアズの二柱によって象徴されている)の古代的な二元論である。「偉大な建築家」は地上における高位の存在ではなくて、物質界を支配する力であり、またそれについて人間は可感的な顕現しか認められない宇宙の法則なのである。それはカトリシズムの創造主たる神ではない。なぜなら「偉大な建築家」は自ら創造したのではなく、また自ら創造することはできない物質界を組織化するだけである。薔薇十字団のフラッドと同じくメーソンの哲学者は、太陽の光は宇宙のそして神の生命の可感的表現であるとして太陽崇拝を再び見出している。すなわち太陽は神が宇宙に生命を与えるための住居地とされていたのである。「神は万物であり、万物は神である。」この全能の神、普遍的知性の神が万物の生命の源である。神がその指導的かつ保存的原理である可視的宇宙はけっきょく神がその姿をあらわした状態である。

宇宙の誕生は光と闇の相互作用によって説明される。もっとも近代の著作者たちはしばしば近代科学の成果に訴えて説明する。たとえばJ・ブーシェはつぎのように書いている。「現代における科学が究極的に認めていることはすべての物質は最後的には光子にまで分解され、この光子は空間のうちに累積することにより星雲や天体の形成をもたらすのであるということである。そして物質の内的本質が光であるとすれば、物質の動く環境は闇である、すなわち空間は夜であり物質は昼なのである。時間は電子や原子や分子として群る光子が分離に向かうよう運命づけられた宇宙を形成するときにはじめて存在する。」以上はすべての存在がまだ外に顕われない萌芽の状態に含有されている宇宙の卵という古代の教理についての近代的定式化である。
 人間についていえば、人間は自然の中で特権的地位をしめている。実際、神は自らのうちに真、善、美の理想を有し、「自らの道徳的存在の建設を主宰する建築者」(O・ウィルト)である人間によって表象される。われわれは自らのうちに思惟の原理としての神、すなわち「死者の冥界においても輝く隠れた太陽」である神をもっており、理性と知性はそこから流出するのである。人間は、その能力を無限に発展させることができる可能態としての神である……メーソンの秘伝主義は相当数の哲学理論や宗教の教義に大きい影響をおよぼした。またその影響はゲーテの『ファウスト』やモーツァルトの『魔笛』のような多くの文学および芸術作品にもあらわれているのである*。
* L. LETЪ et L. Lachat, L'ésotérisme à la scène, réédit., Lyon (Derain), 1951; Jacques Chailley, La《Flûte enchantée》de Mozart, Paris (Robert Laffont), 1968(レティとラシャ『舞台における秘伝主義』、シャイレイ『モーツアルトの「魔笛」』参照)。

  • I 秘密結社の起源と儀礼

  •  秘密結社とイニシエーション儀礼

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  •   2 入社的秘密結社と政治的秘密結社

  •   3 未開社会の秘密結社

  •   4 「死と復活」のモチーフ

  •   5 体制の維持と体制への反抗

  •   6 秘密結社の今日的意味

  •  アフリカとアメリカの秘密結社

  •   1 未開と文明と

  •   2 秘密結社と秘密

  •   3 西アフリカのクペル族の秘密結社

  •   4 アメリカのフリーメーソン

  •   5 未開と文明の秘密結社

  •  社会運動とアーケイズム

  •  秘密結社の諸相

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  •   2 聖堂騎士団(テンプル騎士団)

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  •   7 ブラック・マズレム(黒い回教徒)

  •  異人と祭祀的秘密結社

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  •   2 プラー結社

  •   3 マンボ・ジャンボ結社

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  •  ゴッドファーザーを見る

  •  K・K・Kとアメリカ社会

  • II フリーメーソン結社の世界観

  •  秘密結社フリーメーソンの世界

  •   1 フリーメーソンとの「出会い」

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  •   3 秘儀と象徴

  •   4 西欧社会とメーソン

  •   5 フリーメーソンと日本

  •   6 西欧文明の表と裏

  •  秘儀と象徴体系

  •   1 神話的世界

  •   2 秘儀のモチーフ

  •   3 象徴体系

  •  モーツァルトの『魔笛』とメタファー

  •   1 秘密について

  •   2 秘儀と試練

  •   3 『魔笛』のメタファー

  •   4 『魔笛』における試練

  • 〈付録〉世界 秘密結社事典

  •     赤い人/アカマタ・クロマタ/イースタン・スター/エルクス/黄金鷲の騎士/オシリス崇拝団/オッド・フェローズ/隠し念仏/カタール派/カモラ/カルボナリ党/ギリシャ文字クラブ/義和団/クー・クラックス・クラン/グノーシス派/グレインジ/五斗米道/コロンブスの騎士団/地獄の火クラブ/修験道/真言立川流/人民寺院/スコットランド・クラン/聖フェーメ団/赤眉/大東社/太平天国/タントラ派/チアゾス結社/天地会/ドゥク・ドゥク結社/ノウ・ナッシング党/バヴァリア幻想教団/バラ十字団/ピティアスの騎士団/白蓮教/ポロ結社/マウマウ団/マフィア/ムース/森の人/ルーティ/ロシアのニヒリスト

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