奇幻生物
吸血鬼文学
实际上,并没有所谓的 "第一部吸血鬼作品 "或 "最古老的吸血鬼作品"。 神话和民间传说是一种创作形式,可以以任何方式进行解释。如果落实到有着明确作者和日期的记载,奥森菲尔德在1748年的诗作《吸血鬼》是最古老的吸血鬼文学作品。故事讲的是一个男人爱上了一个女人,在酒吧里喝醉了,说 "如果你不爱我,我就变成吸血鬼攻击你!" 故事中没有真正出现吸血的怪物。下一部作品是戈特弗里德·奧古斯特·布格在1773年创作的的一首押韵诗《莱诺尔》,这首诗被认为是一首18世纪哥特式民谣,诗中从坟墓中归来的角色虽然不被认为是吸血鬼,但这首诗对吸血鬼文学影响很大。在乌克兰有一种类似于 "莱诺尔 "的吸血鬼民间传说,即死去的新郎带走了他的新娘。而这首诗的韵律也出现在《吸血鬼德古拉》的开场,所以它也被列为吸血鬼作品。接下来是约翰·沃尔夫冈·冯·歌德在1797年创作的《科林斯的新娘》。其主题来自古代作家Phlegon von Tralleis写于公元 2 世纪的奇迹之书。在这本书中,他收集了关于他那个时代的怪胎、雌雄同体、鬼魂和其他超自然现象的故事,也讲述了流行信仰中的古老传说。书中有一个死去少女的鬼魂喝了人血,但没有直接吸血的场景,这与目前的吸血鬼形象不同。1798年,英国诗人塞缪尔·泰勒·柯勒律治发表的叙事长诗《古舟子咏》虽然没有提到吸血鬼,但这似乎启发了《德古拉》从海上进入英国的部分剧情(或者,是柯勒律治的《克里斯塔贝尔》启发了《女吸血鬼卡蜜拉》)。1800年,罗伯特-索西写了《毁灭者塔拉巴》。这可能是英国最早的吸血鬼文学,内容是一个沙特基督徒塔拉巴,在真主的保佑下与明晚多姆达尼尔的邪恶巫师对抗。吸血鬼并不是本书的主题,只出现在主人公童年朋友的妻子死后作为吸血鬼复活并与主人公对峙的场景中,并且故事中没有记载她喝血的场景,但在此书的末尾,索西详细介绍了1730年前后西欧的吸血鬼大争论,并向读者介绍了民间传说中的吸血鬼。
到目前为止所提到的作品都是押韵诗。 直到1801年,伊格纳茨-费迪南德-阿诺德的《吸血鬼》出版后,第一部散文形式的吸血鬼作品才问世。尽管这部作品的标题可以在当时的评论和目录中找到,但真正的副本从未被发现,故事的细节也完全不为人知。不过,1812年出版有一部德国的吸血鬼散文作品叫《吸血鬼、克罗地亚的美丽新娘和血色婚礼》。
▼女性吸血鬼
尽管贬低妇女形象的历史习俗一直存在,比如丑恶的老巫婆、以男人为食的美艳魔女等。但女性吸血鬼的形象并非自于民俗传承,而是被文学所影响的。在法国文学史上,传统的"蛇蝎美人"有1731年阿贝-普雷沃特的《玛侬·雷斯考特》和1845年梅里美的《卡门》等。但在19世纪下半叶,特别是在泰奥菲尔·戈蒂耶出版了《多情的女尸》、《伊尔河畔的维纳斯》后,它才成为文学中的一个重要主题。十九世纪女性吸血鬼的出现,也恰逢女性杀手作为一种文学和文化现象开花结果的时期。早在1897年的《德古拉》出版之前,就已经有好几个关于女性吸血鬼的故事了。 1828年,伊丽莎白·格雷发表了《骷髅伯爵,或女吸血鬼》,第一个由女性撰写和出版的吸血鬼故事。1838年出版的《多情的女尸》则讲述了一个有关牧师罗曼尔德和女吸血鬼克拉丽蒙德(clarimond)相爱的故事。1872年,爱尔兰恐怖小说作家拉·芬努写下了《卡米拉》,描述美丽而充满诱惑性的女主角卡恩司坦伯爵夫人和居于奥地利史提瑞亚省的英国军人女儿劳拉之间的故事,卡蜜拉也被认为是首个女同性恋吸血鬼。女性吸血鬼既出自于人们主观对身体的迷恋,也来自于男性审视下的女人形象。如同欧洲宗教对于魔女的看法那样,女吸血鬼诞生于19世纪男权社会对女性的负面刻板印象,即具有致命性吸引力的蛇蝎美人(femme fatale)。如同意大利文学评论家马里奥·普拉茨在《肉体与死与恶魔》中所写的那样,"了解身体奥秘本身就是目的,她愿为此付出自己的生命。克娄巴特拉杀死了所爱,就像一只螳螂。 这些元素很快就会成为我们所讨论的那类女人,即蛇蝎美人的永恒特征。 这种致命女人的情人通常是一个态度消极被动的年轻男人,他的地位或力量远低于他,他们之间的关系就像蜘蛛或蟋蟀。由于她的美貌,许多人愿意为与她共度一晚而献身。"
▼民俗中的吸血鬼
无论东西方都有着吸血怪物的传说,包括亚述、埃及、凯尔特人和中国。许多怪物都有着宗族性、传染性、葬礼仪式性、被魔鬼所干预等特征。尽管基督教教会将邪恶的本质统一称为魔鬼,并声称任何怪异只是魔鬼衍生的一种幻象。但在古代,妖魔是不同的存在。作为吸血鬼的前身,活尸可以追溯到自古以来的各种西方民俗。比如在如今万圣节和法国诸圣瞻礼节(Toussaint)的起源——11月1日的萨温节(samhain)上,凯尔特人认为生者与死者可以在两个不相容的世界互相通行。这个时间既不属于凯尔特历的上一年(自10月31日止),也不属于下一年(自11月2日起)。 这个暧昧的年与年之间隙有着特殊的魔术意义、因而被认为是死者复活的时刻。
举例来说,斯提加是一种东方恶魔,它在夜里游荡,吸人的血,吃人的肉,早在第四和第五世纪,西方人就相信这种恶魔。 古代日耳曼人的习惯法《萨利卡法典》(c.800)规定,"如果斯特里加人吃人,而斯特里加人自己也有罪,他必须支付8000杜尼或200金苏的罚款",如果一个自由妇女被称为斯特里加人或妓女 这是一个尸体具有法律人格的时代。 这时,斯特里加可能不再是一个怪物,而是一具 "活尸"。 在整个中世纪,对死者的审判并不罕见。 在棺材审判中,被害人的尸体被作为证人出现,被告会对着尸体发誓自己是无辜的,如果他作伪证,血就会从尸体的伤口处流出来。 在 "冰岛传奇 "中,有一个关于审判的故事,一个死去的被告以幽灵的身份出现在法庭上15 。 在 "冰岛传奇 "中,有一个关于审判的故事,一个死去的被告作为鬼魂出现在法庭上。15 如果被告和受害者可以互换,那就是黑泽明的《罗生门》的世界,但在古代西方世界,活人世界和死人世界的界限是模糊的,死者也是活人。
▼吸血鬼与基督教
讽刺的是,吸血鬼的传说起源于基督教信仰。除大蒜和野玫瑰外,民间传说普遍认为十字架和圣餐面包可以用来驱赶吸血鬼。 基督教传统实行土葬而非火化,所以才有了尸体复活的可能。《约翰福音》记载,"你们若不吃人子的肉,不喝人子的血,就没有生命在你们里面。吃我肉喝我血的人就有永生,在末日我要叫他复活"。这使吸血与永生这个概念联系了起来。在基督教世界观中,灵魂和肉体有着鲜明的区分,前者是更为高贵、可以不依托后者而存在。人死后,灵魂便会离开身体,前往天堂或地狱。 另一方面,身体(特别是女性的身体),被轻视甚至贬低为邪恶之物。延续肉体的性行为更是被认作一种原罪。在奥古斯丁之后,基督教的意识形态愈发排斥性行为,因此作为性的媒介的人体也被贬低了。 吸血鬼正是反其道而行,将灵魂出卖给魔鬼、拒绝了天堂的救赎,选择了延续卑贱的肉体、以获得尘世的永生。可以说,吸血鬼是十八世纪基督教在恶魔、女巫等长久以来的反上帝形象中加入的一个新变体。 但步入近代的教会的绝对话语权被削弱,宗教营造的绝对善恶观也随之削弱,反基督教文化甚至成为一种叛逆的文化意识形态被人们所消费。
人们畏惧鬼魂、害怕他们会回来作恶,尤其畏惧那些无信仰之人、那些惨死之人,那些留有执念之人、那些生前暴力的人、甚至是受洗前夭折的婴儿、以及没有经历临终祝祷的死者。中世纪的基督教将善归属于上帝,也将所有的恶归于魔鬼。罗马教会认为,鬼魂和其他超自然现象并不存在,亡灵不过是魔鬼欺骗人们的幻觉。同样,用木桩钉住尸体以死者复活也是被基督教所禁止的异教习俗。11世纪初的沃尔姆斯主教伯查德(Burchard)在《赎罪规定书》第180章如此写到:"你是否曾像一些妇女一样,受到魔鬼的教唆而做出如下行为? 当一个孩子没有接受洗礼而夭折,就把孩子的尸体带走葬在一个秘密的地方,用木桩刺穿孩子的身体,并狡辩说如果不这样做他就会复活,对许多人造成伤害。 如果你做过、同意并相信这样的事,你必须在指定的日子完成两年的赎罪"。第181章对死于分娩的母子有着同样的规定。
中世纪的人们认为复活的死者存在两种形态,一种是无形的鬼魂、一种是有形的活尸。活尸(mort-vivant)在字面意义上,就是和活人一样苏醒并活跃的墓地里的死者。活尸通常会出现在那些生前有着密切关系的人面前,敲门并催促他们吃东西,又或者只是呼唤他们的名字,但在所有情况下,这些活尸都会试图杀死生者。人们还相信,再次杀戮死者的仪式可以防止活尸的产生。比如把尸体钉在坟墓里,闭上他们的眼睛,塞住他们的鼻子和其他孔洞,把钱塞进他们的嘴里,摘下他们的心脏,把头颅砍下来夹在两腿之间、以防止被砍掉的头颅回到脖子上面,以及把他们烧成灰烬等等。
ストリガは夜間徘徊しては男の血を吸ったり、その肉を食べたりする東洋起源の魔物で、4,5世紀頃には西欧でも信じられていました。古代ゲルマンの慣習法であるサリカ法典(800年頃)には「ストリガが男を食べ、それについてストリガ自身に身に覚えがあるなら、そのストリガは8000ドゥニエ、つまり金貨200スーの罰金を支払わなければならない」という条項があり、また自由身分の女性をストリガとか娼婦呼ばわりした場合に187.5スーの罰金を課していたといいますから、ストリガは法的にも存在が認められていたことがわかります13。死体にも法的人格が認められていた時代の話です。恐らくこの時点ではストリガはすでに魔物(monstre)ではなく、「生ける死体」だったのでしょう。死者を被告として裁く裁判は中世を通じて行われており珍しいものではありませんでした。また、殺された被害者の死体が裁判に証人として出される棺桶神明裁判では、被疑者は死体にかけて無罪を誓うのですが、もしそれが偽証ならば死体の傷口から血が流れ出すことになっていたといいます14。「アイスランド・サガ」には死んだ被告が亡霊となって出廷する裁判の話があります15 。被告と被害者を入れ替えれば黒澤明の『羅生門』の世界ですが、生者の世界と死者の世界の境界が曖昧で死者もまた生きていたのが古代の西洋世界でした。
在沃尔姆斯主教Burchard的《赎罪书》第70章中写道, "你相信一个女人带着一群被魔鬼欺骗并变成女人形状的魔鬼(愚昧的人称之为striga,即持有人),在魔鬼的命令下,她必须骑上某种动物,在某日某夜与魔鬼见面,她能做到吗? 如果你参与了这种背叛行为,你必须在指定的日子赎罪一年。
ストリガはヴォルムス司教ブルヒャルトによる「贖罪規定書」の第70章で次のように言及されています。
「ある女は悪魔に欺かれて女の姿(これは愚かな者たちがストリガ、ホルダと呼んでいる)に変身した悪魔の群れとともに、悪魔の命令によってある種の動物に跨り、決められた日の夜に悪魔たちと集まらねばならないといい、その通りにしうるというが、お前はそれを信ずるか。お前がこの背信行為に関わっていた場合は、指示された祭日に一年間の贖罪を果たさねばならない16 。」
这里的ストリガ正是组织安息日的恶魔。 在这里我们看到,斯特里加被教会恶魔化了,因为教会不承认魔物或 活尸。
▣ 奥森菲尔德
Heinrich August Ossenfelder
《吸血鬼》Der vampire
▣《莱诺尔》Lenore
▣《科林斯的新娘》
Die Braut von Korinth
▣《克里斯塔贝尔》
Christabel
▣《毁灭者塔拉巴》
Thalaba the Destroyer
▣ 伊丽莎白·格雷
Elizabeth Gray
▣ 《骷髅伯爵,或女吸血鬼》The Skeleton Count
▣ 泰奥菲尔·戈蒂耶
Théophile Gautier
▣ 《多情的女尸》La Morte Amoureuse
▣ 乔瑟夫·雪利登·拉·芬努
Joseph Sheridan Le Fanu
▣ 《卡蜜拉》Carmilla
马里奥·普拉茨 Mario Praz
《肉体与死与恶魔》La carne, la morte e il diavolo nella letteratura romantica
印象名/原义
外表/化身
行为
出处/出现场所
lamie(lamia)
人面蛇身女怪 拉米亚
上半身为女性、身体为有翼蛇的怪物(丰满之女的变身)
捕捉小孩、吸年轻男性的血、吃人肉
希腊罗马神话
empuse(empousa)
恩浦萨
肤色苍白、红眼睛、长有獠牙、一支驴腿、一支人腿、专门吸食人血的女恶魔
※ ティーク作「死者よ目覚めるなかれ(1800)」は、ラウパッハ作「死者を起こすことなかれ(1823)」が正しい。詳しくは過去記事参照。
作品名、人物の名前は、一部を除いて「吸血鬼の事典」に倣った。海外の学者にありがちな「拡大解釈して吸血鬼と認定した」作品も含まれている。例えばポーの「リジィア(ライジーアとも、1838)」は、吸血シーンはないが、マシュー・バンソンは生気を吸い取る「心霊的吸血鬼」として紹介(1)、拡大解釈して吸血鬼に含めているようだ。
トルストイの「ヴルダラクの家族」は「吸血鬼の事典」に倣って1847年の作品としたが、この作品が作られた年月は色んな説がある。wikipedia記事(英語記事)(ロシア語記事)などでは1839年としている。他にも1840年、1841年説もあり、作成年月日がいつなのか研究されている状況だ。参照先のリンク そのGoogle翻訳
さらに言えば、出版されたのは大分後のことである。そしてトルストイはこれとは別に1841年に「吸血鬼」という小説を発表しているが、これは「吸血鬼の事典」では紹介されていない。
今のトルストイの例からわかるように、この年表は19世紀に作られた吸血鬼作品全てを網羅したわけではない。上記はある程度知名度を得た作品のようで、「吸血鬼の事典」では紹介されていない作品もある。今後の記事で説明するが、中には歴史に残らず失われた作品もある。「骸骨伯爵(1828)」のように1992年の「吸血鬼の事典」の発表時には、まだ発見されていなかった作品もある。今回、イグナーツ・F・アルノルトの「吸血鬼(1801)」、バイロン卿の「断章(1816)」、エリザベス・グレイの「骸骨伯爵(1828)」は今後の解説の都合上、「吸血鬼の事典」の年表に追記した。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/240955/1/dkh00032_001.pdf
~最初の吸血鬼は吸血鬼ドラキュラではなく、吸血鬼ルスヴン卿~
「O公爵夫人(1805)」は、吸血鬼要素がどこにあるのか未だに分からない。マシュー・バンソンも、具体的にどこに吸血鬼要素があるのか具体的に解説していない。海外サイトや解説を可能な限り探ってみたが、この作品を吸血鬼作品と紹介しているものは見当たらない。この作品を読んだことがある人に聞いても同じ答えだった。もし吸血鬼要素がお分かりになった方は、ぜひご一報ください。
その他物語の内容の解説は割愛するが、ジョン・スタッグの「吸血鬼(1810)」や、バイロン卿の「異教徒(1813)」も今のステレオタイプな吸血鬼とは違う。「異教徒」の方は、呪いにより吸血鬼になってしまうことが示唆されるだけだ。「お前は死後魂の存在だけになって、自分の家族の血を飲むことだろう(要約)」ということを言われるだけであり、吸血鬼自体は登場しない。これも民間伝承の吸血鬼伝承をモチーフにしたと思われる。
このようにこれまで説明してきた吸血鬼は、今の”ステレオタイプな吸血鬼”とは程遠い。では今の吸血鬼像に近い、最初の吸血鬼と呼ばれる存在はどの作品になるのか。
それは1819年に発表された、ジョン・ポリドリ作”The Vampyre”「吸血鬼」という小説に登場する、吸血鬼ルスヴン卿である(13)。これは私の独断や偏見でそう言っているのではない。海外では「異なる要素を持つ吸血鬼という存在を、首尾一貫した文学ジャンルへ融合させることに成功した最初の物語である」とか(14)、
「ルスヴン(中略)は、数え切れぬほどの他のヴァンパイアのプロトタイプである」と紹介される(15)。
吸血鬼ドラキュラの翻訳者・平井呈一もドラキュラの巻末解説の冒頭にて、「近代ヨーロッパにおける吸血鬼をテーマにした最初の小説は、ジョン・ポリドリの"Vampyre"だというのが、今日では定説になっています」と述べている(16)。
以上から分かるように、"怪奇幻想文学や本当に吸血鬼の歴史に詳しい人たち”からすれば、ジョン・ポリドリの小説「吸血鬼」が最初の吸血鬼小説であり、そこに登場する吸血鬼ルスヴン卿こそが、吸血鬼の始祖という認識を持っている。日本では一般的に吸血鬼はドラキュラが元祖だと思っている人が多く見受けられるが、そのドラキュラでさえこのルスヴン卿の影響を受けて出来たものに過ぎないのである。現在の商業・同人問わず吸血鬼作品があふれているが、悪く言えばそれらは全てルスヴン卿の亜流でしかない。吸血鬼好きを名乗っていたり吸血鬼考察をするのであれば、ポリドリの「吸血鬼」は常識として知っておかなくてはならない、それほどまでの作品だ。厳しい物言いに感じる方もいらっしゃっただろう。確かに今ではこの作品とポリドリの名声は失われて、ストーカーのドラキュラが吸血鬼の代名詞になるほど有名になってしまったから、仕方がない面もある。だがこの作品は当時発表当時、西ヨーロッパ全土で一大吸血鬼ムーブメントを巻き起こしたほど、人気を博した作品である。なにより吸血鬼の基礎を作り上げた作品であるから、この作品が重要であることには変わりはない。さらに言うと、この小説が生まれた経緯が、吸血鬼界隈どころか文学史において常識たるものに高めている。今後の解説予定の吸血鬼も、何度もこの作品を引き合いにだして解説をしていく。ということで、ポリドリの吸血鬼が最初の吸血鬼小説と呼ばれる所以となった、ルスヴン卿の吸血鬼としての特徴を見ていこう。
(13) 英語の吸血鬼のスペルは現在vampireだが、vampyre表記も理由があって使われる。これは今後の記事で詳しく解説する。
(14) Frayling, Christopher (1992), Vampyres: Lord Byron to Count Dracula , London: Faber & Faber, p.108
※英語wikipedia:The Vampyreの記事からの孫引き
(15) エリック・バトラー「よみがえるヴァンパイア」:松田和也・訳/青土社(2016) p.19
(16) ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」:平井呈一・訳/創元推理文庫(1971) p.549
~最初の吸血鬼・ルスヴン卿の特徴~
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民間伝承の吸血鬼とは違い、夜会服に身を包む高貴な貴族にした
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色白で、男すらを魅了する美形
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目は死人のように冷たく、睨まれると恐怖に陥る
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美女の生き血を好む(但し、処女に限定しない)
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首筋から血を吸った初めての吸血鬼(但し、牙はまだない)
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力が強いという設定を初めて持ち込んだ吸血鬼
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今の吸血鬼らしい弱点はなし。昼間も普通に活動している
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耐久力は普通の人間と一緒、ただし死んでも月光を浴びれは復活する
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ホモゲイセクシュアル疑惑
在民间传说中流传的吸血鬼是一种类似于鬼魂的存在,只对灵魂起作用,或者是一具尸体从坟墓中复活,寻找活人的血液,可以说是像 "僵尸"。 吸血鬼鲁斯文勋爵是第一个采用我们今天所知道的设定的人:一个身着贵族服装的贵族,一个无情的存在,一个拥有特殊美貌的存在。与民间传说中的吸血鬼不同,穿着夜会服的贵族。脸色苍白,英俊潇洒,甚至连男人也能魅惑。眼睛像死人一样冰冷,当他们盯着你时,你会陷入恐惧。吸血鬼无论性别,往往被描绘得非常美丽,而且无情。德古拉伯爵是吸血鬼的代名词,他的外表很阳刚,有一头刚硬的头发和一个钩状的鼻子。 他没有让他看起来像一个罪犯,这在当时是很典型的,而是让读者感到厌恶而不是英俊。 换句话说,今天创作的吸血鬼,至少在外观上不是德古拉,而是来自对鲁斯文勋爵的描述。在实际的故事中,鲁斯文勋爵为了恐吓主角,娶了主角的妹妹,在彻底伤了主角的心后,导致她因溢愤而死,她的妹妹也被吸干血而死,如此这般,一个贵族式的、无情的吸血鬼就诞生了。与当今刻板印象中的吸血鬼不同,鲁斯文勋爵没有穿着黑色斗篷,吸血鬼的经典服装还要等到下一个文学阶段才出现。
[更喜欢美女的活血
说到现在的男性吸血鬼,有一种形象的说法是他们更喜欢美女的活血,尤其是处女。 在上述作品的年表中,在波利多里之前的作品中,没有攻击美女的吸血鬼,而且有很多场景都没有实际吸血的描述。 在这种情况下,他正是从鲁斯文那里开始了 "攻击美女并吸食她的血 "的标准吸血鬼风格。 然而,鲁斯文并没有今天的创作中经常出现的 "偏爱处女鲜血"的设定。 有证据表明,他攻击了贞洁的妻子。 似乎他只不喜欢那些可憎的女人。 然而,在受波利多里的 "吸血鬼 "启发的戏剧中,已经看到了处女活血的设定。 我将在以后的另一篇文章中解释这里的情况。
【美女の生き血を好む】
現在の男の吸血鬼と言えば美女、それもとくに処女の生き血を好むというイメージがあるだろう。上記作品年表のポリドリ以前の作品では美女を襲う者はいないどころか、まず実際に血を吸った描写がされたシーンすら皆無なものも多い。そんな中「美女を襲って血を吸う」という、吸血鬼の定番を始めたのもルスヴンからだ。ただしルスヴンは、今の創作によくみられる「処女の生き血を好む(あるいは処女に限定)」という設定はない。貞淑な人妻は襲っていた形跡がある。阿婆擦れ女を嫌っているだけのようだ。ただし、このポリドリの「吸血鬼」から触発されて作られた劇作品などでは、処女の生き血の設定が既にみられる。ここら辺の事情は、後日別の記事で解説する。
【首筋から血を吸った初めての吸血鬼】
民間伝承の吸血鬼の血の吸い方は、地域や時代にもよるが、心臓から血を吸ったに違いないとか、昼間人を襲って耳たぶを噛んで血を飲んだというもの。これは、心臓に杭を刺したら、血が勢いよく噴き出た→これだけ血が出てくるということは、血が詰まっている心臓から飲んだのだろう!という憶測によるものだ。実際は中途半端に腐敗してメタンガスが溜まった状態で体に穴をあけたため、メタンガスとともに勢いよく血が噴き出ただけだ。ポリドリの吸血鬼以前の作品も、どのようにして血を飲むのかは、具体的に描写された作品は見当たらない。
今日よくみられる「首筋から血を吸う」というのが吸血方法のスタンダードであるが、そんな設定を最初に取り入れたのもポリドリだ。ただし今の吸血鬼のように「吸血鬼の牙」はなく、首筋を食いちぎって飲むという、非常に荒々しいものである。だからルスヴン卿に血を吸われるということは、即ち絶命することと同じだ。当然、血を吸われたものが吸血鬼化するという設定は、ポリドリの「吸血鬼」にはない。
吸血鬼の牙、吸血鬼に血を吸われたら吸血鬼化するという設定が出てくるのも、もう少しあとの作品からになる。詳細はその作品の記事にて解説する。
どのキットも十字架やピストルは大体ついていたようだ。ただしピストルの弾は銀ではない。注射器のようなものは、吸血鬼退治用のニンニク注射らしい。当時注射器は珍しいものだったため、自慢アイテム的な立ち位置にあったようだ。以上から分かるように、吸血鬼小説が流行りだした1800年代中頃では、「十字架」や「ニンニク」といった吸血鬼の有名な弱点はある程度知れ渡っていた形跡がある。
【2020年2月29日追記】
2020年2月22日発売オーブリー・シャーマン「ヴァンパイアの教科書(原書房)p.230によると、この吸血鬼退治キットはドイツのエルンスト・ブロンベルク教授と、ベルギーの鉄砲工ニコラス・プロムドゥアーにより開発されたとあるが、調査によりこのキットが当時本当に作られた証拠や、ブロンベルク教授が存在したという証拠はないそうだ。さらに2005年、マイケル・デ・ウィンターという人物が、このヴァンパイア・ハンター用キットを最初に考案したのは自分だという趣旨の短い投稿をしたという。調べてみたら、その投稿は残っていた。それがこちら。
そしてよくよく調べてみると、上記で紹介したVampire-killing kitにあるVampire-slaying kit from 19th c. Romania – Boing Boingには、この吸血鬼退治キットはデマの可能性があるときちんと書かれていた。
そして検索してみるとVampedというサイトに”「アンティーク」ヴァンパイア・キリングキットを購入しない6つの理由”と題した記事があった。そこには、吸血鬼退治キットが本当に当時作られた証拠がないことなど、色んな観点から検証し、その実在性が疑わしいことを解説している。例を取り上げれば、これをオークションにかけた人は、古物商の免許持っていない、どれもキットの内容が同じでない、モデルタイプがあってもいいはず、吸血鬼の弱点が民間伝承ではなく、小説の創作ベースのものに由来している、銀の弾丸があるけど、それは吸血鬼ではなく人狼の伝承である、などだ。日本人は誤解する人が多いが、吸血鬼が銀が弱点になったのは、1900年代の映画から始まったもので、1897年のドラキュラはおろか、ドラキュラ以前の吸血鬼小説でも、銀を弱点とした作品は皆無。あれば逆に教えて欲しい。話を戻すと、先ほどのシャーマンによると、デ・ウィンターの投稿により、エルンスト・ブロンベルク教授とニコラス・フロムドゥアーに関する神話は、海外では大いに盛り上がったという。
以上から、この吸血鬼退治キットは、存在が非常に怪しまれていることが分かった。上記で紹介したサイトのリンクを辿れば、デマの可能性があることをきちんと紹介していたこともあり、もっとよく調べてから紹介すべきでした。
【追記ここまで】
だがストーカー以前の創作家たちは、そんな吸血鬼のポピュラーの弱点はまるで無視している。若しくは単純に知らなかったか。杭で吸血鬼を退治する話は1827年の「ラ・グズラ」、1847年の「ヴルダラクの家族」ぐらいだろう。十字架に関して言えば、同じ「ヴルダラクの家族」で、ようやく十字架を嫌がる描写があるぐらいだ。今の吸血鬼の特徴ではあるが、「弱点だらけ」といった感じでではない。このようにストーカーが「吸血鬼ドラキュラ」にて、弱点に関しては元に戻したと言えよう。その意味では、ドラキュラ伯爵は吸血鬼の元祖と言っていいのかもしれない。
ただ原作小説の「ドラキュラ」は今日有名な「日光を浴びると灰になる」という設定はなく、昼間普通に出歩いていたりする。この日光を浴びると灰になるいう弱点は映画から始まったものである。「日光浴びて平気な吸血鬼はおかしい」「日光が平気な吸血鬼って、最強厨かよ」などと思う人がいるようだ。また反論として「今は吸血鬼は日光が弱点なのがあたりまえ、だからそれを変えるな」という意見も見かけたことがある。場合によっては吸血鬼の創作をしている作家に対して、SNSでおかしいなどと批判する人もいるようだ。だが吸血鬼の歴史を見ていけば、むしろ「昼間歩く吸血鬼」の方が先であり、日光の弱点が後付け。何もおかしくはないのである。これを批判するのなら、オタク層が好む「真祖」の設定も当然批判しなければならなくなる。なぜならこんな設定は近年の日本で生まれた設定だからだ。このように吸血鬼の設定に対しておかしいなどと言った時点で、その人は吸血鬼の歴史を何も学んでないことを露呈させてしまっている。
【耐久力は普通の人間と一緒、ただし死んでも月光を浴びれは復活する】
さてルスヴン卿は弱点らしい弱点はないが、耐久力は普通の人間と同じだ。物語中盤で肩に銃弾をうけて、傷口が化膿したことにより命を落としてしまう。今の創作の吸血鬼だと、超常な耐久力だったり修復能力を持ってたりするが、ルスヴンにはそんな設定はない。
だがルスヴンは、死後月光を浴びると復活するという特性がある。物語では、死の間際に自分を襲った盗賊たちに「もし自分が死んだら、遺体を月光が降りかかる場所に安置してくれ」と頼んでいる。月光を浴びて復活したルスヴンは、主人公オーブレーを執拗に追い詰め、恐怖のどん底へ突き落す展開へと発展する。
ペンシルバニア大学・ニーナ・アウアーバッハ教授によれば「(ジェイムス)プランシェの「吸血鬼」以降、少なくとも50年間は、月光は吸血鬼の復活の象徴であったと述べている(18)。ジェイムス・プランシェとはイギリスの劇作家だ。ポリドリの「吸血鬼」がヨーロッパ中で大流行、そのポリドリの「吸血鬼」を原作とした劇「島の花嫁」という劇を作り人気を博した。この「島の花嫁」でも吸血鬼は一旦死んだあと、月光を浴びて復活している。この時期にポリドリの吸血鬼を元に作られた劇やオペラでは、「吸血鬼は一旦死ぬが、月光を浴びて復活する」という設定を取り入れている作品がいくつもあったようだ。1819年のポリドリの「吸血鬼」以降の作品で言えば、1847年の「吸血鬼ヴァーニー」でも、月光による復活の設定が使われている。というかこのヴァーニーという吸血鬼は、作中では何度も死ぬのだが、その度に月光を浴びて復活している。むしろ当時の読者は、ヴァーニーがどのように死ぬのか楽しみにしていたとか。
以上から分かるように「月光を浴びると復活する」という設定が吸血鬼にはあったのだが、50年ぐらいで廃れていったようだ。確かに今の創作で月光を浴びて復活するという作品は見かけることはない(少なくとも私は知らない)。ここで一つ疑問なのが、アウアーバッハ教授はなぜポリドリの「吸血鬼」から50年とせず、その派生作品であるプランシェの「島の花嫁」から50年としたのか、その理由が不明。もし何かわかる方はぜひご一報ください。
(18) Nina Auerbach(1995):Our Vampires, Ourselves(Googleブックスのサンプル参照)
英語wikipedia”Vampire literature”の記事にも転載されている。
【色白で、男すらを魅了する美形】【ホモゲイセクシュアル】
今日では同性愛、というよりボーイズラブ(BL)と吸血鬼の相性は良いようで、探せばBLものの吸血鬼作品が商業・同人問わずある。最初の吸血鬼ルスヴン卿は、そんな同性愛的な要素を持った最初の吸血鬼でもある。平井呈一は吸血鬼ドラキュラの巻末解説で「ポリドリのルスヴン卿にはホモ・セックスの匂いが感じられる」(19)と述べている。実際には女にも手を出しているので、エモリー大学のエリック・バトラー博士は「主人公オーブレーとルスヴンの間には奇妙な関係、つまりバイセクシュアルな関係が推測できる(要約)」(20)と述べている。どちらにせよルスヴン卿は、男すら魅了するゲイセクシュアルな面もあることは間違いない。ただ私の個人的な感想だが、実際の物語を見てもルスヴン卿にゲイな面は見いだせなかった。以前私は物語をゆっくり劇場にしてニコニコに投稿したが、そこでも「ゲイ要素ってあった?」というコメントをいくつか頂いた。ただ、ルスヴン卿にゲイ要素があると思うと言う人をSNSで見かけたこともある。今の創作と比べると同性愛の描写が直接的でなく薄いことと、個人の主観にも左右されるだろう。ともかく最初の吸血鬼は、(バイ)ゲイ・セクシュアルの性質を持っていたことが伺える。
(18) 平井呈一訳「吸血鬼ドラキュラ」 p.552
※平井は「ホモ」という言葉を使っている。当時の時代性の考慮と平井の言葉を正確に伝えるため、修正はしない。
(19) 「よみがえるヴァンパイア」 pp.23-24
以上が最初の吸血鬼・ルスヴン卿の主な特徴である。弱点など、今の創作の吸血鬼とは違う点も多々あるが、それでも「貴族服を纏い、非常に美形でカリスマな存在」「時には男すらも虜にする美貌を持つ」「冷酷」「力が強い」「首から血を吸う」などといった、今の創作の吸血鬼で、まず取り入れられる設定を持っていることが分かる。エリック・バトラーが言うようにまさに吸血鬼のプロトタイプだ。吸血鬼を語るには、まず何よりもこの作品を知らないことには始まらないことが、これで分かって頂けたかと思う。それでは作者のポリドリのこと、実際の物語の内容、当時の流行と他の作品に与えた影響などを解説していこう。
ということでまずは早速作者のジョン・ポリドリについて解説していきたい…のだが、彼を語るには、まずある人物のことを詳細に語らないといけない。その人物とは、詩人のジョージ・ゴードン・バイロンである。バイロン卿を語らずしてポリドリや彼の小説「吸血鬼」は語れない。それほどまでにバイロン卿は吸血鬼の歴史上外せない存在だ。
私は何度も「ポリドリの吸血鬼は吸血鬼界隈では常識」と言ってきたが、実はポリドリの吸血鬼が作られる経緯自体も、彼の作品が吸血鬼の常識たる所以を生み出している。むしろ実際の小説よりも、この経緯の方が面白いとすら私は思っている。
ということで次回の記事では、そのポリドリの吸血鬼がなぜ生まれたのか、なぜ作られた経緯が吸血鬼の常識となりえるのか、それを解説していこう。
次回更新は未定。かなりかかると思います。
吸血鬼の文学年表で紹介した「ドラキュラ以前の吸血鬼文学」で、日本語訳が読める書籍の紹介記事は、近日中に投稿予定です
ストリガの変身はさらに続きます。18世紀のフランスの辞書18 を比べてみると、辞書によって stryge と vampire を同義とするもの、定義の異なるもの、vampire しか載せないものなど混乱が見られますが、次のように整理することができるでしょう。
●vampire:生者の血を吸う能動的な「生ける死体」(Dictionnaire de Trévoux,1771、Dictionnaire historique du Moreri, 1759)
●stryge:受動的な死体。能動的なのは悪魔(Démon)で、悪魔が生者の血を飲み、それを死体[=stryge]に注ぐ(Dictionnaire de Trévoux,1752、Dictionnaire historique du Moreri, 1759)
●vampire:前項の能動的な悪魔の別名(『百科全書』Encyclopédie, 1765)
18世紀には stryge の方が多少古風な響きをもっていたにしても、vampire に完全に置き換えられる前の移行期らしく、両者に混同があったのでしょう。ストリガが受動的な死体で、能動的な主体をあくまでも悪魔が担うとする考え方には中世の教会ドクトリンの残映をみることができます。
かくして、古代の魔物から「生ける死体」へと存在様態を変えたストリガは、中世の教会ドクトリンによりサバトを主催する悪魔とされ、近代に至っては悪魔から血をもらう受動的な死体へと変わるのです。古代の「生ける死体」が中世教会による悪魔一元化をかわして生き残り、近代には吸血主体(悪魔)と供血受益者(ストリガ)に二極化されて再登場するわけです。一方、近代語である vampire が悪魔を指す場合は中世的な意味が残る用法と言えますが、生者の血を吸う「生ける死体」、いわゆる「吸血鬼」として使われる場合は、古代のストリガに近い用法に戻っています。
ギリシャ版の「生ける死体」であるブルコラカス(broucolaque)の方は、破門された者や自殺者などが教会の墓地に埋葬されなかったために、魂が肉体を離れられず彷徨する「生ける死体」のことです。東欧の民俗の影響があるといわれています。識者により説明に違いがあり一様な定義はありません。例えば、18世紀のレオ・アラティウス(Leo Allatius)によれば、ブルコラカスは悪魔に取り憑かれた死体でその呼び声に返事してしまうと返事した人は翌日に死んでしまいます。ただ、ブルコラカスは一度しか呼ばないので、現地の住民たちは必ず二度呼ばれるまで返事しなかったといいます19 。呼び声に答えると死を招くというのは後で紹介する12世紀のウォルター・マップの挿話と同じであり、クロード・ルクトゥーのいう「呼ぶ亡霊」(l'appeleur)にあたります。片や12世紀の西欧の出来事であり、片や18世紀の南欧の慣習ですが、時間と空間を隔てて脈々と続く集合心性の根強さをみる思いがします。同じレオ・アラティウスがブルコラカスは遠くからでも人を殺せると書いているので、殺害方法も一律ではなかったようです。さらに、後に言及するフランス人植物学者トゥルヌフォールが17世紀にギリシャで見聞したブルコラカスの場合、殺人とは程遠く、家具をひっくり返したり、ランプの灯を消したり、後ろから人に抱きついたり、殴ったり、要するに器物破損と傷害程度の悪戯っ子の亡霊に過ぎませんから一筋縄ではいきません。後者の場合でも死体の処刑(葬送)儀礼は通常通り行われ、心臓摘出の後、さらに火葬されています。
3.吸血鬼 vampire の科学
近代以降、吸血鬼の存在をそのまま信じる人はさすがに少なく、吸血鬼(イメージ)の出現を「科学的」に根拠づけるために遺伝病、悪夢、ペストなどさまざまな説が提出されました。以下に諸説をまとめてみましょう20 。
●ポルフィリン症(porphyrie)は陽光にあたると赤血球が壊れ皮膚を萎縮させるという恐い遺伝病で、犬歯の変形や顔面蒼白などの症状を伴う。瀉血が伝統的な治療法で、ニンニクが発症を促進すると言われる。特に吸血鬼の故郷カルパチア地方で発生率が高いという報告もある21 。
●スペクトロパティ(spectropathie)は夜、死、虚無に対する怖れからくる幻覚で、圧迫感を伴う。ジャン・グゥーン(Jean Goens)は、「吸血鬼はスペクトロパティspectropathie の数多い表現の一つに過ぎず、人間は妖怪や亡霊など様々な形を与えてきた」と書いている。この説はオーストリア皇后マリア・テレジアの侍医をしていたヴァン・スヴィテン(Van Swieten)博士が1755年にすでにとなえていた説だったらしい。グゥーンによれば、当時出されていた吸血鬼についての報告書を非科学的と断じ、死体に腐敗がないのも寒さ、密閉性、土質などから説明できるとしたようである22 。
●ペストやコレラが流行した時代と吸血鬼伝説が生まれた時代に時間的重なりがみられる。細菌という観念のない時代の人々は、伝染病による連鎖的な死を超自然的な悪意によるものと考えたのではないかという説。これは次の「早すぎた埋葬」説とも関連する。
●棺でもがき苦しんだ痕跡が吸血鬼伝説を生んだのではないかという説。確かに医学が未発達の時代には昏睡状態や麻痺状態などが死と判断された可能性もある。これはまた生きたまま埋葬されるというエドガー・アラン・ポーの不安につながる23 。当時の医学レベルを考えるならばてんかん症状の誤診によるなど根拠ある不安だったはずだ。また、吸血鬼判定に通常もちだされる、1)遺骸に通常の死体の臭いや腐敗がない、2)髪・髭・ツメ・皮膚の新陳代謝がみられた、3)口の中に鮮血が残っていた、4)棺の内部を荒らした形跡がある、などの判定根拠も「早まった埋葬」説の根拠になる。誤診は特に埋葬が短期間に行われたペストやコレラの流行時期に多かったようだ。ちなみに、シャーロット・ストーカーは息子ブラム・ストーカーに宛てた手紙の中で、1832年に起きたコレラ禍を回想してスライゴの町(アイルランド北西部)の様子を次のように描いている。「あらたに病人の一団が到着してベットが足りない場合は、阿片中毒者や死にかけている病人のベッドを通常彼らに与えています。生きたまま埋葬された人も多いとの話です」24 。この証言をもとに、伝染病→早まった埋葬→吸血鬼判定と因果関係をつなげば、吸血鬼文学とも無縁でない説ということになろう。
●血液愛好症(hématomanie)の「患者」は全米で5万人ぐらいいるらしい。彼らは血は健康維持、感覚錬磨、対人関係のために不可欠だと考えているようだが、実際には血は口から飲んでも消化されず物理的な摂取は不可能である。つまり愛好家は物理的に必要なのではない。通常、彼らには血の供給者がいて暴力的手段に訴える必要はないようだが、歴史上では16-17世紀のカルバチア山脈を舞台としたエルジェベト・バトリ伯爵夫人(Erzsebet Bathory)をはじめとする連続殺人で名をはせた「異常な」血液愛好症患者もいた。歴史上の吸血鬼としてはジャンヌ・ダルクの戦友ジル・ド・レ(Gilles de Rais:1400-40年)やドラキュラのモデルとなるワラキア(ルーマニア南部)のヴラド・ツェペシュ四世の名がよく挙げられる。20世紀になっても吸血鬼の異名をもつ犯罪者たちは多い。いずれにしても民俗としての吸血鬼を説明する事例ではない。
●狂犬病の症状が吸血鬼の行動様式思わせるばかりでなく、18世紀(1721-28)東欧(特にハンガリー)に起こった狂犬病の大流行が吸血鬼の登場と地理的・年代的に一致している、とはスペイン人医師(Dr. Juan Gomez-Alonso)による最近の説である25 。この説では吸血鬼文学にみられる感覚過敏(hypersensitivity)、性欲過多(hypersexuality)を狂犬病の特長としているが、18世紀に調査された吸血鬼の例では(死体の調査だから当然だが)そうした特長は報告されていない。狂犬病の症状を18世紀の実例を飛び越して19世紀に生まれた虚構作品に直接読み込もうとするのは、吸血鬼文学の作家たちが狂犬病の諸症状に通じていたとは考えにくい以上、アナクロニズムの誹りを免れない。
●結核は極めて伝染性が強く、特に衛生や栄養の状態がわるい時代には家族中が感染することもあった。そのような場合に最初の発症者に吸血鬼の汚名がかけられた例があるようだ26 。
諸説の中で集合心性の観点から興味深いと思われるのは、現代でも存在する血液愛好症(hématomanie)です。血は口内摂取しても吸収されませんから、これは明らかに集合表象としての血の価値が媒介となった表象による記号論的病です。実際、血は生命的・霊的価値が過剰に付与された特別な物質であり、文化を問わず儀式の中には血が媒介となるものが数多くあります。キリスト教における血の意味についてはすでにふれましたが、ジャン・マリニーによれば、11世紀には血による贖罪の思想や聖母崇拝などのキリスト教教義が悪魔学的に解釈され、「万病克服や回春のために若い娘の汚れない血を飲むことを、呪術師や医者が勧めるようになった」といいます27 。この点ではバトリ伯爵夫人の悪行も中世の特殊なキリスト教教義解釈の延長上での実践であったことになりましょうか。
しかし、吸血鬼の民俗を歴史軸上でみていくと吸血鬼現象を民俗的集合表象の長期にわたるゆるやかな流れの中でとらえ直すことができます。以下はその試みです。
4.近代の形象としての吸血鬼幻想
5.女吸血鬼の物語
吸血鬼の物語はブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』(1897)に始まるわけではありません。一般には幻想文学史上有名なレマン湖畔での夜会が起源とされます。1816年5月、バイロンの別荘(Villa Diodati)で休暇を過ごしていた5人のメンバー(バイロン、クレア・クレアモント[バイロンの愛人]、ポリドーリ[バイロンの主治医]、シェリー、メアリ・ゴドウィン[シェリーの愛人、後の妻])が時間つぶしのため、順に恐怖話を書いて語り聞かせるというデカメロンばりのゲームを始めます。英国でちょうどゴチック・ロマンスが流行していた時代です。このときメアリ・ゴドウィンが語った人造人間の話は後に『フランケンシュタイン:現代のプロメテウス』(1818)として出版されますが、問題はバイロンのしたとされる吸血鬼の話です。これについてはごく短い断片が残っています。語り手の<私>が旅をいっしょにすることになる Augustus Darvell という名の不可思議な人物についての報告の体裁をとるお話です38 。
<私>にとって Darvell 氏は圧倒的に不透明な存在ですが、観察を通して断片的な情報が少しずつ与えられます。病気の進行と思われる確実な脆弱化の一方で人とも思えない屈強さをもち、咳もしなければ、疲れ知らずでもある Darvell 氏。そして、自分が死ぬという予言に続き、自分の死を誰にも告げるなという禁止命令(「言うな」のタブー)。さらに毎月9日にあることをしてほしいという依頼。ミステリーの常套とも言うべき情報の断片的な提示をバイロンは巧みに演出します。しかし、この断片ではDarvell 氏が吸血鬼になるところまではゆかずに途中で中断しています。バイロンのこの話にヒントを得て、はじめての吸血鬼物語を完結させたのは主治医のポリドーリでした。
ポリドーリ『吸血鬼』についての詳細な分析はここでは行いませんが、貴族階級に属する魅力的な男性という以後クリシェとなる吸血鬼の古典的イメージがこの作品の人物リヴェン卿 Lord Ruthven(通常、日本では一般に「ルスベン卿」と呼ばれるが、正しくはリヴェン) の造形によること、また不可解な存在(吸血鬼)に注がれる透明な眼差し(物語を索引する視点)がミステリーを少しずつ暴いていくという物語展開が以後の吸血鬼物語の基本型となることをとりあえずは指摘しておくことができます。バイロンの話にあった、自分の死を誰にも告げるなというやや民話的な禁止命令(「言うな」のタブー)も引き継がれ、このため、妹に卿の毒牙が注がれるのを目の前にしながらも主人公の若者は有効な防御手段を講じることができません。
19世紀に作られたこの新しい怪物のクリシェを作るうえで、ポリドーリはバイロンをモデルにしたとされますが、このダンディな怪物を20世紀の吸血鬼物語は様々な方法でうち破ろうとするでしょう。吸血鬼も貴族から労働者、ロック歌手、果ては娼婦にまで身をやつし、また圧倒的に不透明な存在であった吸血鬼が自らインタビューに答え、吸血鬼の実存的不安を語るようにもなるでしょう。でも、それは古典的なクリシェへの挑戦であり、その意味でそれを前提としているのです。ポリドーリ『吸血鬼』は最初の吸血鬼物語であると同時にこのジャンルの規範となるという、ちょうど探偵物語の歴史においてポオの『モルグ街の殺人』が果たした役割と同じような重要な文化史的役割を担うことになります。
再び、19世紀前半に戻るならば、ポリドーリ『吸血鬼』によって幕が落とされた吸血鬼物語ブームはまずはフランスを席巻します。ベラールがすぐにリヴェン卿ものの続編39 を書き、幻想文学の父ノディエはポリドーリ『吸血鬼』を最初に舞台化します40。
それでは女吸血鬼はいつ現れるのでしょうか?
ピーター・ヘイニングによれば、エリザベス・グレイの「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」(1828)が最初の女吸血鬼ものということになります41。19世紀に隆盛した一群の三文雑誌類は安価で恐怖を手に入れることができることから penny dreadful と呼ばれますが、「骸骨伯爵」は『カスケット』紙 (The Casket)という penny dreadful に発表された文字通りの大衆文学です。
「骸骨伯爵」は、悪魔との契約で夜間だけ骸骨姿に変わるという条件で不死を手に入れたアマチュア科学者ロドルフ伯の話です。ロドルフ伯は、墓場から死体を掘り起こし、これに生命を与えるという実験に夢中になります。首尾よく復活した比類なき美女に伯は恋をし、二人は官能的なときを過ごしますが、伯の予想を裏切って彼女は実は吸血鬼となっていたのでした。
かのレマン湖畔の夜会が生んだ幻想物語の二大ジャンル、人造人間ものと吸血鬼ものをそれぞれの代表作『フランケンシュタイン』(1818)、「吸血鬼」(1819)の発表から10年足らずで合体してしまうというこの荒技。しかし、それは実は表面的なもので、吸血鬼が女性の体を借りることで一挙に官能的な存在となってしまうということを明らかにした点にむしろ注目すべきでしょう。
この点で真に重要な作品はもちろんゴーチエの『死霊の恋』(あるいは『吸血女の恋』) です。
バイロン-ポリドーリ流の男性吸血鬼の物語と異なり、『死霊の恋』はいわゆるミステリーではありません。主人公の男は吸血女クラリモンドとの運命的な出会いの場面から、彼女の超自然性に気づいています。
「何という眼でしょう!キラリとひらめく一瞥で、男の運命を決めてしまうのです。人間の眼には絶対に見たことのない生命力、深さ、熱気、うるんだ輝きをたたえています。矢にも似た眼光がそこからほとばしり出て私の心臓に突き刺さるのがアリアリと見て取れました。その眼に燃える炎が天から来たか地獄から来たかは分かりませんが、きっとそのどちらかから来ていたにちがいありません。この女性は天使でなければ悪魔であり、おそらくはその両方でありましたろう。42」
注意しなければならないのは、クラリモンドの超自然性が男に働くその魔性にあるという点です。すでに述べたように、性的な魅力で男を引きつけておいてその男を破滅させる女は「宿命の女」femme fatale と呼ばれますが、クラリモンドが femme fatale であることは物語のはじめから明らかです。
吸血女クラリモンドはしばしば死の状態にあるのですが、すでに彼女の虜になっている主人公の私がその死の唇にキッスをするや、「かすかな息が私の息に混じり合い、クラリモンドの口が私の押しつけた口に答え」ながら、「私あなたをあんまり待ちこがれていて死んでしまったの」と官能的につぶやきます。死から生への移行が可能であり、愛人の血を啜ることにより生きながらえる点で正に吸血鬼なのですが、クラリモンドは官能的であると同時に可憐な吸血鬼でもあります。愛人の健康を気遣いつつ遠慮がちにその血を啜る印象的な場面 があります。
「ある朝、私は彼女のベッドのそばに腰掛けて、1分たりとも離れまいと小卓の上で朝食をしたためていました。果物を切る段になって、つい指にかなり深い切り傷をこしらえてしまいました。とたんに血が赤い筋になって流れ出し、その数滴がクラリモンドの上に飛び散ったのです。彼女の眼がランランと輝き、顔つきはそれまでみたこともない凶暴でたけだけしい歓喜の表情を帯びました。彼女は動物のような身軽さで、サルかネコのような身軽さでベッドから飛び降りて私の傷口に飛びつくと、何とも言えず恍惚とした様子で血をすすり始めたのです。[...]彼女は私が眠っているのをとくと確かめてから、私の腕をまくりあげ、頭から金のピンを抜きました。それから小声でこうつぶやき始めたのです。『一しずく、ちっちゃな赤い一しずくだけ、針の先にちょっぴり赤くつくくらい!あなたがまだ私を愛してくれている以上、私は死ぬわけにはいかないのよ。』43 」
吸血鬼としての動物的本能、しかしながら、クラリモンドはそれを一人の恋する女として抑制するのです。クラリモンドは正に愛すべき吸血鬼と申せましょう。
とはいえ、主人公ロミュアルドは聖職者です。吸血女との恋が二重に掟破りであることに変わりはありません。昼は聖職者の仕事を続け、夜はクラリモンドと奔放な時間を過ごすという矛盾した二重生活を維持するためにロミュアルドは自己欺瞞という策略をとります。彼は夜昼どちらが夢でどちらが現なのか判断できない、というのです。しかしながら、実はロミュアルドは判断を保留したいだけなのです。
ところで、吸血鬼物語である以上、女吸血鬼にもやはり最終的な死が訪れます。それは主人公の恩師であり、文字通 りのエクソシストであるセラピオンがクラリモンドの墓を暴いたときにやってきます。
「『ああ!ここにいたな、妖怪め、みだらな娼婦、血と金の吸い取り女め!』それから死骸と棺に聖水をふりかけ、さらに棺の上に灌水器の水で十字の形を描きました。お清めの水滴がふりかかったとたんにクラリモンドの美しい身体は哀れにも粉々に砕けました。それはもはや灰と半ば黒こげになった骨との身の毛もよだつほど醜怪な寄せ集めでしかありませんでした。」44
この最期の場面も恐らくは吸血鬼物語以前の民俗に起源をもつ我々にとってはすでにおなじみのものです。その結果に対して主人公ロミュアルドはどう反応するでしょうか。通常、吸血鬼の物語は邪悪な超自然的力からの解放の物語です。ところが、『死霊の恋』の主人公は吸血女の死後も未練を断ち切ることができないのです。
「私は何度彼女を恋しがったか知れませんし、いまでも恋しく思っています。魂の平安を得るのに何と高価な犠牲を払ったことでしょう。神の愛も彼女の愛に取って代わるほど大きくはありませんでした。」45
神と女、魂と肉体、これは善と悪の対立であり、どちらを選ぶかはキリスト教の伝統では自明なはずですし、吸血鬼物語もこの枠内に留まるはずのものでした。少なくとも吸血鬼が男である限りは。ところが、吸血鬼が女になると、男はその魅力に抗えないだけでなく、進んでその魅力のとりこになろうとさえします。ロミュアルドの自己欺瞞の原動力は実は宿命(の女)に対する男のマゾシズム(受動性)であったと申せましょう。
マリオ・プラーツは19世紀半ばに男女両性の文学的・文化的表象的機能に大きな変化があったとして次のように述べています。
「相手を引き寄せ、灼き尽くす炎の役割を果たすのは、19世紀前半は宿命の男(バイロン的主人公)であり、後半は宿命の女だということである。犠牲にされる蛾は、第一の場合は女、第二の場合は男である。これは単に慣習とか文学上の流行だけの問題ではない。文学は、たとえきわめて人工的な形態のものであっても、時代の世相をある程度は反映するものなのだから。19世紀の間に男女両性が描く放物線を辿ってみると興味深い。世紀末に顕著なアンドロギュヌス・タイプへの執着は、両性の機能役割と理想とのはなはだしい混乱を、明瞭に示している。はじめのうちサディズムの傾向があった男性は、世紀末になると、マゾヒズムに傾く。」46
ただし、こと吸血鬼物語の世界に関して言えば、宿命の男、つまりバイロン=ポリドーリの吸血鬼(1819)とゴーチエの吸血女(1836)に見られる宿命の女の登場とを隔てるのは19世紀前半のわずか十数年にすぎません。吸血鬼物語はマリオ・プラーツの述べる男女両性が描く放物線を19世紀前半において前駆的に描いていたのです。以後、世紀を通 じて両性の吸血鬼が共存することになります。演劇でノディエやデュマがポリドーリものを翻案する一方で、ボードレールは女吸血鬼を謳うことになるでしょう。「吸血鬼の変身」47 では美から醜への残酷な変化を物語風に、「吸血鬼」では愛人 Jeanne Duval との愛憎模様を描くためのメタファーとして。
20世紀がガンの世紀であるように、19世紀は結核の世紀であったと言われます。スーザン・ソンタグは病気がしばしばそれ自体としてとらえられる代わりに、倫理的なメタファー(隠喩)として用いられる点に注目し、19世紀に結核が担わされた隠喩的意味を「病める自我の病気」としました48。
ところで、奇妙なことですが、結核に病む身体は美の基準ともなりえました。これは日本の例ですが、明治時代、ある呉服店広告の美人画をみて当時の衛生官僚が「結核好」と酷評したという記録があります。この表現に一般の美の好みと衛生学の対立をみたのが井上章一です。井上は谷崎の以下の文章を傍証に引きながら当時の大衆の美的基準にふれています。
「間室の妹と云うのは...美人だそうだぜ。肺病なんぞになる女は、大概昔から美人に極まって居るもんだから、見ないでも様子は判って居るさ。」49
19世紀のヨーロッパにあっても、ある種病的な体躯に美を見いだす傾向は明らかにあったと思われます。スーザン・ソンタグは結核が「消耗(consumption)」という観念に結びついているとしながら、次のように述べています。
「腹一杯食べるのは不作法なこととなった。病弱に見えるのが魅力的であった。『ショパンは健康が粋(シック)ではない時代に結核であった』と1913年にカミーユ・サン・サーンスが書いている。50 」拙訳
腹一杯食べるのが不作法なのは食糧事情が大幅に改善されたためでしょう。そして、ショパンの時代にすでに不健康こそシックであったという恐るべき証言。かくして、19世紀においては洋の東西を問わずに健康体ではなく結核病みこそが粋であり、ある種の美的基準にかなっていたことがわかります。当然、宿命の男も宿命の女も青ざめていました。
「バイロンの主人公が青ざめているように、典型的な宿命の女はつねに青白い顔をしている。」51
スーザン・ソンタグは結核のメタファー分析の中で次のようにも書いています。
「結核は分解、熱化、非物質化である。それは液体の病なのだ。身体は痰、粘液、唾液、そして最後には血液に変わる。 」52 拙訳
病いに自我を次第に蝕まれる存在、やがて瓦解することになる青ざめた病的な身体、そして最後には口元に滴る血液しか残らない希薄な、観念的な存在、これは吸血鬼そのものではないでしょうか。スーザン・ソンタグ(SS)による結核の記号論的分析を吸血鬼の特長と比べてみましょう。
性吸引力
貴族性
SSによる結核(TB)
吸血鬼
"TB was - still is - thought to produce spells of euphoria,increased appetite, excerbated sexual desire. (...) Having TB was imagined to be an aphorodisiac, and to confer extraordinary powers of seduction.", p.17
Lord Ruthven : "...many of female hunters after notoriety attemptes to win his attentions", "He had... the reputation of a winning tongue"
「拥有克拉里蒙就等于拥有二十个情妇,或者说,一个女人。 她就是这样一个变色龙,变幻自在,神秘莫测,那么能变成自己不是的人! 显然,她可以把喜欢的女人性格、举止、美貌都变成自己的样子,让人与她在一起时、仿佛和别的女人出轨了一样。」「キラリとひらめく一瞥で、男の運命を決めてしまうのです」『吸血女の恋』
"The TB-influenced idea of the body was a new model for aristocratic looks - at a moment when aristocracy stops being a matter of power, and starts being mainly a matter of image.", p.33
浪漫性
"Many of the literary and erotic attitudes known as 'romantic agony' derive from tuberculosis and its tranformations through metaphor.", p.34
"It is with TB that the idea of individual illness was articulated, along with the idea that people are made more conscious as they confront their deaths (...) Sickness was a way of making people 'interesting' - which is how 'romantic' was originally defined.", p.35
忧郁性
"The myth of TB constitues the next-to-last episode in the long career of the ancient idea of melancholy - which was the artist's disease, according to the theory of four humours.The melanchly character - or the tubercular - was a superior one : sensitive, creative, a being apart." p.36
"he (Aubrey) was surprised to observe the melancholy face of his host" バイロン「小説の断章」 (Lord Ruthven).
非肉体
美化死亡
"The Romantics moralized death in a new way : with the TB death, which dissolved the gross body, etherealized the personality, expanded consciousness. It was equally possible, through fantasies about TB, to aestheticize death." p.
「その完全無欠の身体つきは死の影によって純化され聖化されながらも、あやしいまでに私の欲情をかき立て、その安息は眠りと見まちがうほどでした。」『吸血女の恋』
19世紀の男吸血鬼はほとんど貴族でした。
「彼(ドラキュラ)のような貴族ともなると、家門の誇りは、とりもなおさず我が身の誇り、一門の栄誉と運命は、すべておのれの栄誉であり、運命であるというのだ。そして、その一門のことを語るときは、あたかも帝王のごとく、かならず、「われら」と複数でいう。」「こんにちのごとき、まことに不面目なる平和の時代には、「血統」こそが何にもまして貴いのじゃ。」『吸血鬼ドラキュラ』50-52
貴族とは死を恐れずに戦う人であり、血によりその存在が正当化される人に他なりません。その点、吸血鬼が不死であり他者の血に依存しているのは一見すると反=貴族的ですが、ソンタグが指摘するように19世紀は貴族自体がイメージ化・ファッション化され、ブルジョワ階級に模倣された時代です。観念化・ファッション化された貴族のイメージが化身された姿こそバイロン的なダンディズムでしょう。常に死を地平線に観念し、時間的な制限のうちに強化されたエロスを瞬時生きる明晰にして希薄化・非身体化した存在。ソンタグが描く結核患者のイメージは古典的な吸血鬼イメージと共通する部分が多いようです。
どの時代にも恐るべき病気はあったわけですが、恐るべき病気を人は正に恐るべきものとして観念化し、それに情緒的に対処してきた歴史があります。これほど医学が発達した今日でも事態はあまり変わらないことは昨今のエイズ、あるいは狂牛病騒ぎを見てもわかります。相変わらず、ある種の病気はミステリアスなものとしてとらえられ、病気そのものとしてではなく、それ以上の情緒的価値を付加されて立ち現れてくるのです。恐るべき病気を悪魔的な形象として擬人化した作品にポオの「赤死病の仮面 」がありますが、スーザン・ソンタグが卓抜に分析するように、病気がそもそも暗喩的に解釈されてきた歴史があります。してみれば、恐怖を起こさせるべく書かれた幻想物語がその時代の人々が特定の病についてもつ恐怖あるいは賛嘆の気持ち、一言で言うならばその暗喩的イメージに敏感であり、それを登場人物に投影させたということは大いに考えられることです。吸血鬼こそは、結核の世紀19世紀をその精神、身体両方で表象する特権的な造形といえるのではないでしょうか53 。
6.ハーンと女吸血鬼
ゴーチエの「死霊の恋」 を「フランス・ロマン派小説最大の傑作」と見なしたのは他ならぬ ラフカディオ・ハーンその人です54 。この作品をはじめて英訳したのがそもそもハーンであり、芥川がゴーチエを知るところとなるのはハーンの英訳によってなのです。そのハーンに「忠五郎のはなし」55という作品があります。それは逢い引きを重ねるうちに顔色が悪くなり、衰弱しはじめた忠五郎という足軽が仲間にある秘密を告白する枠物語(話の中の話)として始まります。
打ち明け話は、高貴さの漂う魅惑的な笑顔の美人との川岸での出会いに始まり、川淵への魔力による誘い(「この女の手にふれると、わたしは、子供よりもふがいなくなってしまいました」)、竜宮城を思わせる異界への到着(「ふと浦島の話を思い出しました。そして、ことによったら、この女は天女なのかもしれないと思いましたが~」)、そして婚礼へと続きます。こうして奇妙な夫婦生活が始まるのですが、妻は夫に二つの条件を付けます。一つは二人のことを決して他言してはならないこと、もう一つは明け方前には武家屋敷に戻り、今まで通 りの生活を続けること、この二つです。秘密を守るという条件(「言うな」のタブー)は「雪女」のタブーと同じですが、物語の主人公はむしろ浦島のタブー(「開けるな」のタブー)を連想します。
同じ「言うな」のタブーが初期の男吸血鬼の物語(バイロン、ポリドーリ)でも物語展開の要になっていたことは見ましたが、果たす機能は正反対です。男吸血鬼の物語の場合、貴族である若者はそれを遵守せざるを得ず、そのために吸血鬼の行為を妨害できません。タブーは一種の罠だったのです。一方、女吸血鬼の物語(「忠五郎のはなし」「雪おんな」)では、その違反により若者は女と二度と会えなくなります。『死霊の恋』にしても「言うな」のタブーは直接には言及されませんが、主人公の若者がセラピオン師に真相を打ち明けたことにより、悪魔払いが行われ、クラリモンドと二度と会えなくなるわけですから、「言う」という行為が物語構造上で小泉八雲の話と同様の否定的役割を担っていることになります。なお、二重生活という条件の方は、昼は聖職者、夜は遊蕩者を演じた『死霊の恋』をやはり思わせずにはいません。
ここで枠物語は終わり、忠五郎は今度は語られる対象と化します。タブーを破ったために川岸の妻と会うことができなくなった忠五郎は病に倒れ、診察した漢方医は忠五郎が死病に冒されていることを告げます。忠五郎にはまるで血がないのです。 同僚に一部始終を聞いた医者はすぐに犯人を知ります。 狐女でも、蛇姫でも、竜女でもないその犯人とは「むかしから、よくこの川に出るやつで、若い男の血が好きでね」「ただの蟇(ガマ)です。大きな、ぶざまな蟇ですよ」。
この物語の近代性はどこからくるのでしょうか。出会いの細かい描写でしょうか。主人公を見つめる視点の移動(客観→主観→客観)、あるいは他の物語(浦島太郎)への言及(間テキスト性)でしょうか。ハーンが19世紀西洋文学の技術に習熟していたことは周知のことですから、こうした基本的エクリチュールが「忠五郎のはなし」を近代的な物語にしていることは確かでしょう。しかし、最も近代を感じさせるのは他ならない蟇女の妖艶な形象に他なりません。
「『ここがわたくしの家でございます。ここでいっしょに暮らしたら、幸せになれると、お考えになりません?』女はこう尋ねながら、にっこり笑いましたが、そのほほえみは、世の中の何物よりも美しいと思いました。そこで、わたしも「そのとおり...」と、心から答えたのでした。 」
日本女性の魅惑的な笑顔はハーンを感歎させた日本の文化特長の一つです。しかし、ここでの蟇女のほほえみはメデューサの眼差しと同様に、まさに魔力として働いています。性的な魅力で相手を引きつけ、その相手を骨抜きにする妖婦の文学上のイメージが、クレオパトラをその原型としながら生まれるのがヨーロッパ19世紀であることはすでにふれました。この「宿命の女」(femme fatale)を担う最も典型的な造形が吸血女に他ならないことも。つまり、この蟇女に見るべきは、19世紀のロマン主義を血肉とした西洋人ハーンが、極東の民俗的イメージに西洋の吸血女(宿命の女)を接ぎ木した姿なのだと申せましょう56 。
最後に傍証として1887年にアメリカで発表された吸血鬼物語「白い肩の女」(The Grave of Ethelind Fionguala
by Julian Hawthorne)と「忠五郎のはなし」を比較しておきましょう。
「年かさの足軽は、この話を聞いて、おどろきかつ心配した。彼は、忠五郎の言うことは、本当だと思ったが、ほんとうのことだけに、なんとなく気味の悪いことが、おこりそうに思われた。」
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ともに物語が起動した後に第一の語り手により主要人物が紹介され、この人物が第二の語り手となって話を語り継ぐという枠物語の形をとります。第一の語り手は物語内部では何ら積極的な役割を果 たしません。第二の語り手は物語の主人公であると同時に、吸血女の犠牲者でもあります。「忠五郎のはなし」では第一の語り手は自らを名指さない人称性のない語り手ですが、忠五郎が語り終えた時点で、同僚の足軽の視点を借りています。 以下の引用で、下線部は第一の語り手が年かさの足軽の心の内部にまで入り込んでいることを示す部分です。
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第二の語り手(=主人公)の回想が挿入されるきっかけとなるのは、彼の様子に異常が見られ始めたからです。
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主人公を拐かす女性はともに超自然的な力をもつ femme fatale として抗いがたい怪しい魅力を備え、それに対し主人公は全く無防備(vulnerable)です。かくして、ロマンチック・ヒーローのマゾヒズムが露呈されることになります。
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吸血は血液の交換以上に生命の交換です。「雪女」では血の交換は行われませんが、雪女はヒトを殺すために殺すのではなく、ヒトの生気を得て、自分が生き延びるために結果的に殺すのだと思われます。その点、「白い肩の女」では吸血はワインの暗喩として言及されるだけですが、二人の口づけもその結果をみれば生気の交換がなされており、やはり一種の吸血行為なのです。
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愛(生命)が交換される舞台は現実ではなく、ともに吸血女の魔力のせいで主人公が幻想する世界です。
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「白い肩の女」の場合、femme fatale はエセリンド・フィオングアラという2世紀前に亡くなった女性ですが、最後に飛び立つコウモリは単なる舞台装置ではなく、ポオの「大鴉」を思わせる強烈な暗喩性を有しています。
以上は類似点を挙げたものであり、もちろん相違点もあります。「白い肩の女」の方がゴチック・ロマンスの影響でしょうか、はるかに詳細・冗長でリアルな描写 が続きます。リアリズムが近代の幻想物語の基本モードだという点はすでにみましたが、それは民話にみられる超現実の非写実的な描き方を排除します。一方、「忠五郎のはなし」には「言うな」のタブーのような民話的な要素がまだ残っています。ラフカディオ・ハーンの戦略はいかに民話性を維持しながら、近代的な読みが可能な物語にリライトするかにあったと思われますが、「言うな」のタブーはその意味では物語に民話性を担保するうえで欠かせない要素だったのです57。
違いを差し引いたところで、やはり両者の類似は明らかです。はたして、ラフカディオ・ハーンは1887年、アメリカの『リピンコット・マガジン』誌で、あるいは1888年にイギリスの『イラストレイティッド・スポーティング・アンド・ドラマチック・ニュース』誌で「白い肩の女」を読んでいたのでしょうか。類似が影響関係によるものなのか、それとも物語の普遍的ともいうべき内的構造が一定の物語生成能力をもち、東西でたまたま似た構造の作品を生みだしたのでしょうか。これは物語を研究するうえで常につきまとう問題ですが、ここでは構造的な類似を指摘するだけに留めておきましょう。
現代の妖婦イメージが19世紀幻想文学の産物である吸血女に源泉をもつことはすでに述べました。19世紀前半はバイロンにその典型がみられる「運命の男」が支配したのに対し、後半は「運命の女」の時代となったというM・プラーツの説も想起しましょう。山田登代子によれば、19世紀後半、「運命の女」の時代における女体のイメージ化(神秘化)とオートクチュールの誕生が無縁ではないということです(注38参照)。ゴーチエの「死霊の恋」は1876年の作品です。さらにブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(1897)にも女吸血鬼が登場しますし、レ・ファニュはそれ以前に「吸血鬼カーミラ」(1871-2)という女吸血鬼ものを書いています。
さて、ここで現代の女性イメージを担う媒介として映画の存在を無視するわけにはいきません。映画が生まれるのは1895年ですが、1910年代のアメリカではすでに吸血鬼ものの映画が作られており、女吸血鬼のイメージから vamp という語が作られました。 vamp とは文字通り吸血鬼のように、性的魅力により相手を引きつけ、骨抜きにする妖婦、つまり femme fatale(運命の女)のアメリカ版なのです。その後、映画史、特にアメリカ映画史はその時代毎に vamp 女優を擁してきました。ドイツ映画「嘆きの天使」(1930)のなかで、E・ヤニングス扮する堅物教師を手玉 にとり破滅させていくマルレーネ・ディートリッヒもハリウッドにわたります。ハリウッド映画「サンセット大通 り」(1950)は往年のヴァンプ女優(G・スワンソン)の姿をシニカルに描いた作品ですが、彼女がスターという幻像を維持するためにはやはり若い犠牲者(W・ホールデン)が必要です。フィルム・ノワールでもヴァンプは欠かせません(ジョーン・ベネット「スカーレット・ストリート」44、「浜辺の女」47、ジェーン・グリア「過去を逃れて」47)。1980年代にはキャサリン・ターナー(「白いドレスの女」81)、1990年代には「氷の微笑」(1992)のシャロン・ストーンというヴァンプ女優が生まれました。また、アニメ映画にもヴァンプが登場します。「リトル・マーメイド」(89)のアーシュラ、「ロジャー・ラビット」」(88)の愛妻はまさにヴァンプの戯画です。このように吸血鬼物語はある種の女性像を作り上げるうえでも間接的に貢献したことになります。
1 「いったんキリスト教的コンテクストのなかに捉えられると、その美しいはずの女性の肉体は、肉体のうちでもとりわけ忌み嫌われた汚い肉体になる。それは、淫乱で、人類の原罪の源とな、いつも男を完徳の道からそらそうとしている。13世紀には、女性はその体中で毒を作ると真剣に信じられた。」池上俊一『歴史としての身体』柏書房、p.74
2 「より重要なことは、原罪を肉の罪と同一視するにいたらせる、ながきにわたる変化の動向である。創世記においては、原罪とは、知識への欲求をもち、神に従わなかったという点での、精神にかかわる罪である。福音書には、原罪についてのキリストの言明はまったくみられない。アレクサンドリアのクレメンス(150年ころ~215年)が、原罪を性行為と結びつけて考えた最初の人なのである。[・・]しかし、情欲を媒介にして原罪とセクシュアリテとを決定的に結びつけたのは、アウグスティヌスである。」ル・ゴフ「快楽の拒否」(『愛と結婚とセクシュアリテ』新曜社、所収、p.154)
「ヨハネによる福音書では、肉はイエスによってあがなわれる。なぜなら「ことばが肉となった」(第1章、第14節)からであり、最後の晩餐においてイエスは、みずからの肉を永遠の生命のパンとするからである。[...]しかしすでにヨハネは、霊と肉とを対置し、「生命をあたえるのは霊であり、肉は何の役にもたたない(第6章、第63節)と断言している。パウロもまた、軽く意味をすべらせている。「神は、罪を取り除くために御子を罪深い肉とおなじ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。[中略]肉の欲望とは死だからです。[中略]肉に従って生きるなら、あなた方は死にます」(ローマの信徒への手紙、第8章、第3節~第13節)と。」前掲書、p148
3 19世紀のロンドンでは、一部1ペニーで手にはいることから Penny Dreadful と呼ばれるこの手の低級な雑誌が隆盛しました。Casket もその一種です。
4 Elisabeth Caroline Grey, The Skeleton Count or the Vampire Mistress, 1828。ピーター・ヘイニング編『ヴァンパイア・コレクション』角川文庫 所収
5 GAUTIER, Théophile, "La Morte amoureuse" dans L'oeuvre fantastique I-Nouvelles, Classique Garnier, 1992(邦訳は『吸血女の恋』教養文庫、小柳保義訳)
6 Sheridan Le Fanu, Carmilla, 1872(邦訳は『吸血鬼カーミラ』創元推理文庫、平井呈一訳)
7 サバトとは悪魔を中心に魔女のセクトが集まる集会のこと。「魔女たちがサバトに赴くのは、日が暮れてからであった。ときに箒にのって空を飛んで、ときに動物にまたがったり自ら動物に変身してである。(・・・)その民俗的要素のもとには、非常に古くから農村社会に存在するシャーマニスティックな豊饒儀礼があるようである。」池上俊一『魔女と聖女』講談社新書、p.24
また、前掲書で池上は581年にフランスのマコンで開かれた公会議におけるテーマ(「女性は理性的存在として分類されるべきか、それとも獣として分類されるべきか、また彼女は魂をもっているか、そしてほんとうに人類の一部をなすのか」 )を紹介し、女性をイブの末裔とする初期中世から中世末期のキリスト教世界で流布された女性蔑視イデオロギーを紹介する(前掲書、pp.104-106)。
8 マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』国書刊行会、p.270。クレオパトラについては「この女、情欲盛んにしてしばしば淫売を行う。その美しさの故に、彼女との一夜を死をもて購う者多かりき」p.268。
9阿部謹也『西洋中世の罪と罰』弘文堂、p.202
而实际上,最早出"吸血鬼"这个词的字典,是弘治年间出版的「蕃語象胥」。此词典翻自1854年『Kramers: Woordentolk verkort』。原书以荷兰语写成,由于吸血鬼是18世纪前期才出现的造词,欧洲各国语言中的形式大致相似。在「蕃語象胥」中,吸血鬼并没有被写作vampire、而是写作了vampyre。
【前 提】
英语中的 "吸血鬼(vampaire) "一词是最近才出现的。 到了16世纪末,西方已经流传着吸血鬼的存在。 但直到1732年才被大肆报道。根据《牛津英语词典》(OED)的记载,"vampaire一词于1734年被引入英语。 但拼写尚未固定,有 "vampire "和 "vampyre "两种写法。特别是受到马修-范森的《吸血鬼百科全书》第38页的拼写影响,"vampyre"这个词如今仍被用来形容特殊或强大的吸血鬼。1808年,江户幕府因 "长崎港事件 "而意识到研究西洋文化的必要性,编译了第一部英日字典、即1814年刊行的「諳厄利亜語林大成」。
▲ 1857年出版的「蕃語象胥」
由于最早的英日字典「諳厄利亜語林大成」并不全面,江户幕府的通词(翻译家)堀辰之助等人将H.Picard的「新英荷字典」的荷兰语部分翻译成了日语、编撰出了「英和対訳袖珍辞書」。新英荷字典共有两个版本,初版为1843年,1857年的修订版中才收录了vampire一词,其中记载着:
『Vampire, s.bloedzuiger (soort van bleermuis)』
堀辰之助和他的同事们在将荷兰语翻译成日语时,很可能参考了『和蘭字彙』,该词典中的 "bloedzuiger "一词被译为 "水蛭"。故而在「英和対訳袖珍辞書」的初版(1862年)中,vampire也被翻译为了水蛭。
这种词义偏差,源自于18世纪西欧的吸血鬼争论。1725年的佩塔尔·布拉戈耶维奇事件、以及随后几年发生的阿尔诺尔德.巴温事件,导致了西欧吸血鬼辩论的爆发,这是留有官方记录的最早的吸血鬼案件。科学家、神圣罗马帝国的官员、神职人员、伏尔泰、卢梭等启蒙思想家、甚至连甚至连玛丽亚-特蕾莎皇后的医生杰拉德-范-斯维腾和教皇本笃十四世都参与到了争论中。争论的中心地位于神圣罗马帝国(更准确说,是在奥地利哈布斯堡帝国),因此很多德语的报道常用 "Blutsauger "这个词来描述吸血鬼,而在德语中,这个词也有吸血动物的含义。
▲ A New Dictionary of the English and Dutch Languages, H.Picard(1857)
▲ 1862年(文化11年版)「英和対訳袖珍辞書」
在这场争论中,神职人员多数依靠宗教理论肯定或否认了吸血鬼的存在。 然而,法国有一位名叫唐·奥古斯丁·卡尔梅特的神职人员,却从启蒙运动和科学的角度否定了对吸血鬼的存在。他用"sangsue(法语中的水蛭)"这个词,来解释吸血鬼信仰的原型。1823年,大仲马在一个吸血鬼剧团偶然遇到法国作家夏尔·诺迪埃,诺迪埃向其推荐了卡尔梅特的论文,并在日记中特别谈论到这种观点。 由此可见,当时西欧的报纸上就人把吸血鬼比作水蛭。在1732年3月3日出版的法荷宫廷杂志《Le Granule》上,详细描述了阿尔诺尔德.巴温事件。或许,吸血鬼是水蛭类怪物的概念便是由此传入了荷兰语中。尽管从19世纪波利多里的小说《吸血鬼》开始,大众文学将吸血鬼描述为了贵族般有着理性与浪漫色彩的不死魔物,但学术书籍可能还是保有了 "(民间流传的)吸血鬼是附在尸体上、像水蛭一样吸血的恶鬼”这种观点。而大量参考学术典籍的字典,自然有很大可能性直接引用了吸血鬼辩论中的"权威"论点,把vampire翻译成了水蛭。
▣ 佩塔尔·布拉戈耶维奇 Petra Blagojevich
塞尔维亚当地传说,他在1725年从坟墓中爬出来并杀死了九个人。
▣ 阿尔诺尔德.巴温 Arnold Paole
▣ 夏尔·诺迪埃 Charles Nodier
法国小说家,诗人,浪漫主义文学运动的代表人物之一。
尽管初版「英和対訳袖珍辞書」将vampire译为了 "水蛭",1866年堀越上野之助等人编纂的版本却明确将其指代为"大蝙蝠"一样的魔物。
『妖鬼(小説ニテ夜中人ノ血ヲ吸ウト云ハレシ)大蝙蝠ノ名』
根据早川勇、三好彰的说法,堀越和他的同事们参考了1859年的韦伯斯特英英词典。 例如,1864年的版本记载:
『In mythology, an imaginary demon, which was fabled to suck the blood of persons during thenight.…』
1859年版的《韦伯斯特词典》可能有与64年版相同的描述,堀越也许据此把demon翻译为妖鬼,把fabled翻译为小说。但这里的'小说'
▲ 1866年「英和対訳袖珍辞書」
可能不是如今通俗意义上的小说。因为首次将novel翻译为"小说 "一词的坪内逍遥在1859年才出生。"小说"一词在中国最早指民间故事,即与国史・正史相对而言的市井民话(稗史小説)。因此,这里fabled的词意更接近于寓言、民间传承,而并非虚拟作品。堀越将vampire译为"妖鬼"这点也被后来的词典所继承,1869年高桥信吉的『和訳英辞書』、1871年前田正穀等人的『和訳英辞林』、1872年荒井郁之助的『英和対訳辞書』都出现了同样的译法。
三年后,在吉田賢輔1872年出版的『英和辞典』中出现了如下定义:
「魔、血ヲ吸フ鬼(小説ノ)、大蝙蝠ノ名〇啐血之蝠、飛狗、牛蜞、蝙蝠」
与之相似的词也见于Lobscheid的『英華字典』,可能是参考自同源。1873年,柴田昌吉、子安峻所著的『英和字彙 附音插図』中以振仮名「チヲスウオニ」表记了Vampire这个词,这是如今能找到与吸血鬼这个词相关的最早文献。 至今为止,大众认为是南方熊楠在1915年的《关于诅咒》在最早提到此词的观点是错误的。 由于找不到更古老的例子,所以可以肯定"吸血鬼"这个词是柴田和子安所创造的。
▲ 1869年高桥信吉『和訳英辞書』
▲ 1873年『英和字彙 附音插図』
▲ 1872年吉田賢輔『英和辞典』
だが6世紀の「仏説仏名経」では『吸血鬼王』という言葉があり、十四世紀の「渓嵐拾葉集」では「旱恩吸血鬼」という言葉があることが奏春氏の調査で分かっている。英語vampireの成立は一般的に1734年とされているので、これらの語に「ヴァンパイア」の意味はない。それでは柴田・子安らはこの「吸血鬼王」「旱恩吸血鬼」という言葉を知ってて、それを流用した可能性はあるのか。これらの言葉は古くから仏典で使われていたようである。だが調査人である奏春氏は、これらを柴田らが知っていたとは考えにくいとしている。私はまだそう言い切るのは早いのではと思い、奏春氏と議論を交わした。だが般若心経とか法華経などの見たり聞いたりする機会が多いものなら、柴田・子安らが知っていた可能性はあるかもしれないが、仏教徒でない人間が仏説仏名経とか渓嵐拾葉集を目にする機会はほとんどないだろうから、柴田、子安らが「吸血鬼王」「旱恩吸血鬼」という言葉を目にしたとは考えにくいということであった。自身の浅学さを思い知った次第である。さてもう一つ気になるのが、この辞書では吸血鬼に「チヲスフオニ」というルビを振っていたこと。これも先行で紹介した動画では、そう読ませていたものと勘違いして紹介してしまった。だがこれは森岡健二や湯浅茂雄などによると、「読み仮名」ではなく「意味の説明」なのだという。そのため、吸血鬼の読みは、「チヲスウオニ」ではなく「キュウケツキ」と想定されていた可能性は高い。この「チヲスフオニ」とルビを振っていたのは、1889年の岡上尚儀による「英和字彙」まで確認できる。 この柴田・子安らの1873年「英和字彙 附音插図」以降、ヴァンパイアの訳は「英和対訳袖珍辞書」に影響を受けた「妖鬼」と訳すものと、「英和字彙」に影響を受けた「吸血鬼」と訳すもの2系統に、大まかに分けることができる。英和字彙が出版された1873年から1900年の間に出版された英和辞典は、全78冊ある。その間で「妖鬼」と訳したものは17件、チオスウオニを含めて「吸血鬼」と訳したものは44件であったことが、奏春氏の調査で判明した。これは奏春氏のドロップボックス内にある「vampire訳一覧.pdf」で確認して頂きたい。このように19世紀末日本では、”vampire”の訳語は定まっていなかった。だが20世紀に入るころには、vampireの訳語は「吸血鬼」が主流となっていった。「妖鬼」は奏春さんが調べた限りでは、1904年、磯部清亮『最近英和辞林』が最後の例のようだ。 ここでもう一つ、明らかにしておきたいことがある。それは「吸血鬼」という漢語は本当に和製漢語であり、中国語由来ではないのか。現在、vampireの中国語訳は日本と同じく「吸血鬼」である(こちらも参考)。だが最初の記事で解説したようにvampireという存在は欧州の血を吸う化け物を指す言葉。”vampiare”という単語が出来たのもオックスフォード英語辞典によれば1734年とされている。ということで、たとえ中国で作られてとしても最短で1734年と、比較的新しいということになる。それで結論から先に行ってしまえば、吸血鬼という単語は和製漢語であり、それが中国へ輸出されたものとまず考えてもよい。 今の日本、特にビジネスの世界だと何でもかんでもカタカナ語で表現したがる傾向にあるが、幕末から明治にかけては、西欧の文物や概念を日本人でもすぐ理解できるように、西欧の語彙や概念を漢字に置き換えてきた。 科学、哲学、野球、接吻、共産、失恋、進化などは、全て日本で作られた漢語である。和製漢語は特に近代以降、中国に輸出されたものも少なくない。中国が近代化を遂げる過程で、特に日清・日露戦争前後に、中国人留学生によって日本語の書物が多く翻訳されたことが大きいとされる。先ほど挙げた和製漢語は、どれも中国語となっている。(参考:wikipedia記事) 英単語を中国語対訳したものを「英華事典」というが、これも国立国会図書館デジタルコレクションなどで閲覧が可能。これも奏春氏が一連の調査を行った。1815~1823年のモリソン『英華字典』、1869年の復刻版のウィリアムズ『英華字彙』には、vampireの項目自体がない。1865年のメドバースト『英漢字典』、1866~69年のロプシャイト『英華文典』、1872年のドーリットル『英華萃林韻府』には「Vampire 蝙蝠」。 1897、1898年のF.キングセルの『新増英華字典』にはvampireの項目はあれど、「吸血鬼」という言葉がなかった。 これが1920年の顔惠慶(wikipedia記事)『英華大辭典』(画像掲載先)には、
『Vampire 1.吸血鬼(夜間出墓啜睡者血之鬼) 2.吸人膏血者,兇悪之人,勒詐者 3.吮血之蝙蝠,大蝙蝠』とある。
この1920年の『英華大辭典』が、中国語で吸血鬼と訳していた最古の例であった。だが『英華大辭典』の初版は1908年である。また関西大学外国語教育機構・沈国威教授の研究によれば、和製漢語が中国へ流入したのは日清戦争前後、とくに中国人留学生が本格的に活動を開始した1900年から10年間と考えられるという。(PDF下番号47p)。この事実を考慮すると、1908年初版の「英華大辭典」が、”vampire”を中国語で吸血鬼と訳した最初の事例である可能性が高い。1908年の英華大辭典はネット上では公開されていなかったが国立国会図書館で閲覧が可能であり、来館せずともwebでコピーを申し込めることが分かった。確かに「吸血鬼」という言葉で確認でき、1920年版と同じ解説であることがわかった。ということで今回の調査から、中国語で「吸血鬼」という言葉が確認できたのは、1908年『英華大辭典』が最古となる。
▲ 1908年(光緒34年)「英華大辭典」
今回の調査をまとめると、日本で「吸血鬼」という漢語が確認できた最古の例は明治6年・1873年。一方、吸血鬼という中国語が見られる最古の例は、明治41年、中国がまだ清王朝だった1908年。和製漢語が中国へ流入したのは1900年から10年間がピークという研究結果も踏まえると、「吸血鬼」という漢語は日本で作られた和製漢語であると判断され、それが中国へと伝わったものと考えられるというのが、今回の調査の結論である。もちろん、これより古い例は探せばあるのかもしれない。とくに吸血鬼という訳語は明治6年が最古であったがここまで遡れたのなら、幕末には既に存在していれば面白いのになと思って調査したが、これより最古のものは見つからなかった。さて今回の調査では1873年が”vampire”を吸血鬼と訳した最古の例であった。一方、吸血鬼の代名詞であり、一般名詞として誤用されることもあるブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」の刊行は1897年。ドラキュラの刊行より24年も前に、日本では「ヴァンパイア=吸血鬼」という存在が伝わっていたことになる。それがいつしかドラキュラは吸血鬼の代名詞となるのだから、面白いものである。ドラキュラより刊行前の明治時代の人たちの「吸血鬼」とは、一体どんなイメージを持っていたのか気になるとこだ。
前回は、vampireの訳語として「吸血鬼」という語があてられたのは、1873年(明治6年)の柴田・子安らの『英和字彙 附音插図』が、現状最古のものであることを解説した。そこから1904年までの間に出版された78冊の辞書を調査したところ、『英和対訳袖珍辞書』に影響を受けた「妖鬼」とするものと、先ほどの『英和字彙 附音插図』に影響を受けた「吸血鬼」と訳すものが混在していた。1904年の磯部清亮『最近英和辞林』を最後に「妖鬼」と訳す事典は見られなくなる。以降、”vampire”の訳語は「吸血鬼」でほぼ決定的となるが、実は1904年以降でも違う訳語が見られる。そしてそれは現在でも主流ではないが使われている事例があった。
その例とは事典ではなくて小説であるのだが、1912年(大正元年)に田口桜村『黒手殺人団:探偵小説』という小説が刊行された。ちなみに「黒手殺人団:ブラックハンド」というルビが振られている。この小説には「吸血魔物語」という章がある。その章を見ていくと次のような文が目に入る。
(中略)生き血を絞り血風呂を立てて、親分の妾が化粧するのだ。
何でも男の肌を知らない生娘の生き血を絞り、その血で風呂を立てて入ると、非常に肌がきれいになるという話からそんなことをするのだ。それだから、あの山の生き血を絞られた女は、今までに何十人あるかしれやしない。
先行して紹介した動画でも多くのコメントが寄せられたが、これは明らかに生きた吸血鬼と呼ばれた血の伯爵夫人・ハンガリーのエリザベート・バートリの逸話そのものである。バートリは若さのために、若い娘の血を浴びたことは有名で数々の拷問を行い、有名な拷問器具「鉄の処女:アイアンメイデン」を作り出したのではないかとも言われている人物である。また日本だけの俗説ではあるが、吸血鬼カーミラのモデルになったと紹介されることもある。
▲『黒手殺人団:探偵小説』
もちろんこれは俗説であり、バートリがカーミラのモデルとなったと示す資料は何一つないし、吸血鬼解説本では国内海外問わず、バートリを生きた吸血鬼と紹介はしていても、カーミラのモデルと紹介する本は皆無である。あるならぜひ教えて欲しい。こんな俗説が広まっているのは日本だけである。海外ではネットですらみたことがない。※1
明らかにエリザベート・バートリの逸話を流用されたと思われるので、この「吸血魔」という言葉は、吸血鬼:ヴァンパイアを指しているものと考えて間違いない。1930年「モダン辞典」では見出し語「ヴァンパイア」の意味として、「吸血魔の意から妖婦、妖婦役を云ふ。略して「ヴァンプ」と云ふ。」とある。
▲「モダン辞典」
吸血魔を使っている事例は他にもある。ドイツの作曲家・ハインリヒ・マルシュナーが1828年に作曲を手掛けたオペラに「Der vampire(vampyre)」というものがある。詳細はゆっくりと学ぶ吸血鬼第12話をじっくり見てほしいが、ジョン・ポリドリの小説「吸血鬼:The vampyre」から始まる吸血鬼大ブームの最中に、ポリドリの「吸血鬼」から翻案されて作られたオペラである。「Der vampire」はそのまま日本語では「吸血鬼」の意味となり、種村季弘の「吸血鬼幻想」でも「吸血鬼」という題名で紹介している※2。ところが、コトバンクのマルシュナーの解説では「吸血魔」とあてて紹介している。
※2 「吸血鬼幻想」:種村季弘/河出文庫/1983年 P177
このように”vampire"の訳語には「吸血魔」というものも存在しており、今なお使われている例が確認できた。
ちなみにマルシュナーのオペラ「吸血鬼」だが、ドイツ人作曲家のハンス・プフィッツナーが1924年に改稿しており、現在はその改稿版が通常上演されるという※3。
※3 「吸血鬼幻想」 P177、「Der vampyre」:英語wikipedia記事
もう一つ余談だが、「吸血鬼は日本の鬼と関係がある」として、色々な考察している方を掲示板などで見かけることがある。「鬼」の仲間であるなんていう意見も見たことも。確かに西欧でいうところのヴァンパイアは、日本の鬼の要素がある。どちらも力の象徴であるし、血に纏わる印象をもつ。日本の鬼は豆が弱点、そして吸血鬼は「豆」を数えると止まらないという弱点があることも、その一因だろう。だが吸血鬼がものを数えるものとしてまず挙げられるのは「ケシ」の種であり、その発端はどうも「ザクロの種子」である。吸血鬼が豆を数えるというものは、海外の吸血鬼本ではまず見かけない。これも日本の鬼の弱点が豆であることから、いつの間にかすり替わったに過ぎないだろう。ヴァンパイアは西欧で生まれた化け物であり、西欧の近代文学と映画で形作られたものであるから、日本の鬼とヴァンパイアがお互いに直接影響を与えたということはまずない。
そしてこれまでの記事の解説を見てきたら分かるように、「鬼」の文字を使わず「吸血魔」とする例もある。「吸血鬼」という存在が一般的に知られるようになるのは、大体昭和頃である。なまじ吸血「鬼」とあるから日本の鬼と連想してしまっただけに過ぎない。夢を壊すようであるが、日本の鬼と西欧のヴァンパイアは、本来関係がないということをここで主張しておきたい。さて先ほど1930年「モダン辞典」には「吸血魔の意から妖婦、妖婦役を云ふ。略して「ヴァンプ」と云ふ。」と紹介した。ここで気になったのが、「妖婦」という意味を持たせていること。これは同じ1930年の「英語から生れた現代語の辞典」でも次のようにある。