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舞妓结发

・芸者・芸妓の髪型
 ・櫛巻き(くしまき):江戸時代中期から昭和まで残る簡単な髷。主に粋筋の女性が結った。
 ・芸者島田(げいしゃしまだ):江戸時代芸者の髪形。つぶし島田の一種で髪飾りは最低限。
 ・中高島田(ちゅうだかしまだ):関西の芸妓の髪形。やや低め、小さ目の高島田となる。
 ・京風島田(きょうふうしまだ):本来の京都の芸妓の髪型。現代では茶席の時に限られる。
 ・刷毛先(はけさき):手古舞の髪型。非常に太い銀杏髷。
   ・おふく:割れしのぶより年上の姉さん舞妓の髪型。京都の舞妓さんは、舞妓に出て年数(だいたい2~3年目くらい)が経った頃に、髪型を割れしのぶからおふくに結いかえることを「髷替え」と言ったのだそうです。戦前までの京都の花街では、舞妓に水揚げの旦那がつくと「髷替え」をしたので、「髷替え」は、いわば水揚げの証だったそうです
 ・中島田(ちゅうしまだ):奴島田と京風島田の中間。都をどり期間中の祇園甲部の舞妓の髪型。
 ・勝山髷(かつやま):祇園祭期間中の姉さん舞妓の髪型。
 ・奴島田(やっこしまだ):黒紋付を着る時の姉さん舞妓の髪型。
 ・先笄(さっこう):舞妓が襟変え前の1~4週間結う髷。この髪型の時は必ずお歯黒を付ける。

・役者、大道芸人等の髪型
 ・楽屋銀杏(がくやいちょう):はわせ、前割れともよばれる、前髪を立てずに中央で分けた髪型。髷は銀杏返しと同じ。元々は歌舞伎の女形の日常の髪型。現代では舞踊の素踊りで女性が男役を踊るときの髪型。
 ・貝髷(ばいまげ):巻貝に似せた縦長の髷。女太夫(鳥追い)等、大道芸人の髪型
 ・貝蝶蝶(ばいちょうちょう):貝髷と銀杏返しを合成した髪型。天神髷とも呼ばれる。上記と同様の大道芸人の髪型。
 ・千日鬘:実際の髪形ではなく芝居の髪形で盗賊役などが結う。浪人などが月代を伸ばしっぱなしにしているもの。

在日本,关东地区称艺妓为“芸者”,见习阶段称“半玉·雏妓”;在关西地区则称为“芸妓·芸子”,见习阶段称“舞妓·舞子"自明治时代开始也有“芸妓”这种读法。在成为正式的舞妓之前,一般会有6个月至1年左右的学习阶段,用来了解文化、礼仪、语言等方面的知识,以及随后一个月左右的在茶屋进行的正式实习。在教导老师和茶屋双方同意,并且找好相对应教导的姐姐之后,就会在化妆、饮膳之后,由接应的姐姐和“男衆”(防止登徒子)陪同前往茶屋,这个过程叫做「店出し」。如今,一般姑娘只有在初中毕业后才能开始舞妓的培训,所以一般正式称为舞妓要到16岁之后。而一般在从事舞妓4年以后,即在20岁初,会做出选择,是经历「襟替え」(更换衣服发型)这一过程称为艺妓,还是退出此行业。

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割忍髷 われしのぶ

現代年少舞妓の一般的な髪型。前髪、鬢(横)、髷(頭頂部を左右に割る)、髱(つと、後部)の四部分からなる。季節の花をかたどった大きな花簪が特徴。 

京都で現在も活躍する女性芸能者の舞妓が結う髪型。 店出しから1 - 2年の年少の舞妓が結う髷で、「ありまち鹿の子」と呼ばれる手絡や「鹿の子留め」や「花簪」と呼ばれる簪など特殊な髪飾りが多用される華やかで愛らしい髪型。 季節の花をかたどった大きな花簪が特徴的でそのほか「びら簪(びら止めも)」「玉簪」「根挿し」などが飾られる

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銀杏返 いちょうがえし

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幕末から明治にかけて流行。幕末时期10~20岁少女扎的发髻,艺妓·娘義太夫也开始扎起来,明治以后30岁左右的女性也开始札这种发型。芸者がよく結った。在京都被称为蝶々髷,是将银杏髻中分后折回、结成如同蝴蝶翅膀一样的两个发髻的发现。由此也延伸出了布天神·切天神·桃割·唐人髷·楽屋銀杏等发型。特徴髪を一つに括った根元から二つに分けてそれぞれ輪にして∞型にし、余った毛先を根元に巻き収めて「根掛け」(髷の根に巻く髪飾り)を掛けて髷の根元に根挿しの簪を挿す。芸者など粋筋の女性は髷の後ろを下がり気味に、一方堅気の若妻などは上がり気味に結い、若い娘(特に娘義太夫の芸人はかなり大きい)は髷

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の輪を大きく、年をとると小さく結う。髷の中に鹿の子を巻き込んだものが「唐人髷」、さらに髷の上部をくっつけたものが「桃割れ」になり、布を髷の上下に縦に掛けて根元で水引などでとめるのを「布天神」、この髷の片方の輪を略して付け毛をつけて切ってしまったように見せかけるのが「切り天神」と呼ばれる。(前の二つは少女、あとの二つは粋筋に結われた)さらにこの銀杏返しを丸髷と組み合わせたものが、三輪髷、さらに丸髷よりの長船(前のは妾、後のは武家の側室に結われた)がある。また、貝髷と合成したものは貝蝶々(天神髷)と呼ばれる。​


江戸時代末期に起こった女子の髪型。初めは12~20才ぐらいまでの、江戸の一般女子が結っていたが、明治に入り髷(まげ)の大きなものが娘義太夫(むすめぎだいゆう)などの芸人に結われ、いき好みの娘などがその形を真似た。義太夫に似せるものもあった。
また30才前後およびそれ以上の後家や芸人、花柳界の女性にも喜ばれた。髻の上を両分し左右に半円形に結ったもので、この髪型は銀杏の葉がそっくり返ったように結われたところからこの名があり、昭和初期まで続いた。髪結いの手を頼まずに簡単に結えたからである。

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