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和服

青苧 あおそ

『青苧』是山野,特别是在人家附近生长的荨麻科多年草本植物。麻分为苧麻(苎麻)和亚麻,青苧便是用苧麻做的。从茎中取出纤维,其纤维暂时会呈现青色,因此被称为青苧。450年前,上杉谦信奖励越后地区带来巨大财富、下赐的纤维原料。谦信公时代还没有缩的技术,所以会制成水色的越后上布。越后缩布是在江户时代形成的。因为透明,透风又凉爽,一般会搭配麻或者絽絹的衬衣穿戴。江户时代,苧麻从最上川通过船运往各地,被做成奈良晒和小千谷缩等高级纺织品的线,用于武士的裃和富裕阶级的单衣上。据说曾有比红花更高的成交价。

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振袖 あおそ

振袖的原型是振八口(和服衣袖靠近身体一侧的开口)打开未封的儿童小袖(和服旧名),最初功能是散热,与此相对,成年人小袖的袖长相对较短。这一点现代也是一样的,七五三和服的袖长都很长。
这种“振袖”的着用不分男女,甚至有少女比着暗恋对象的衣服做一样的来穿的现象,可见颜色、纹样、构造不分男女无甚区别。井原西鶴的《西鶴俗つれづれ》(元禄8年)记载,一般来说,男孩子在17岁的春天,女孩子无论婚否在19岁的秋天,会把袖子剪短,腋下封口,自此开始着用成年人的小袖。至此所说“振袖”,概念上来说可以照着现代的七五三和服的结构功能来理解。现在所说的“振袖”则成型于江户时代。江户时代前期开始,年轻女性所穿的正装和服的袖长慢慢变长。元禄时代的普通袖长在55cm至95cm左右,到江户末期,袖长达到了95cm~122cm左右。其原因说法众多,其中一说是世道太平,民众对文化的关心度提高,普遍会送女儿去学习舞蹈,起舞时衣袖翻飞更为美观,所以袖子越来越长。其他说法也基本都和经济发展、庶民文化发达有关。之后这一现象也仅在女性服装范围内持续发展,慢慢地振袖和未婚女子挂钩,甚至成了未婚女性认证,一些情况下不穿振袖甚至无法通过门关,所以关所附近大多有振袖租赁店经营

✿白無垢 あおそ

白无垢的下面会穿被称为“掛下”的专用振袖。除非有外出的需要,一般不会像穿和服一样折起来,而是让下摆的裾拖在地上。基本上是白色的,最近也出现了带颜色的掛下。和通常的和服一样,是按照肌襦袢·長襦袢·掛下的顺序穿着、最后使用腰绳和伊达结等装饰品。掛下有婚礼专用的丸帯,一般的带子约30cm宽、并且正反会使用不同的布料,但掛下帯约24~26cm宽、并且正反使用的布料相同。穿上掛下·打掛时需要专用的小物件,根据需要也可以包括修正身形用的毛巾等。

掛下帯はなるべく高い位置で「文庫結び」にすると、白無垢を羽織ったときの後ろ姿がきれいに見えるといわれています。衿の抜き加減は通常の着物姿よりも抜くと美しく仕上がります。抜きすぎると粋になりすぎ、詰めすぎるとカジュアルになってしまいます。掛下の着付けも、白無垢姿を美しく見せるのに大切なポイントです。

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帯枕:掛下帯の形を補助する小物です。背中につけて、帯の形を整えます。
帯板:掛下帯を締める際に前後にはさみ、それぞれ前板・後ろ板と呼ばれます。前板は前帯の部分にしわがよらないように、後ろ板は帯の下線を真っ直ぐにする役割があります。長いほうが前板、短いほうが後ろ板です。
腰紐:腰などで結ぶ紐で、長襦袢に1本、掛下に2本、帯の仮留め用に1〜2本必要になります。締まりすぎず、ゆるみにくいモスリン(ウール)素材のものがよく用いられます。

伊達締め:長襦袢に1本、掛下に1本必要です。 長襦袢には衿合わせを安定させるため、掛下には衿合わせを安定させ、おはしょりを真っ直ぐに整えるために使います。

コーリンベルト/打掛ベルト: 白無垢(打掛)の上前を固定するのに用います。

草履(ぞうり):礼装用はかかとの高い草履を用い、かかとが高いほど華やかな印象になります。身長にもよりますが、白無垢には高さ8センチ前後の白の草履を選ぶとよいでしょう。ただし、新郎さまとの身長のバランスに合わせて草履の高さを決めることもあります。一般的には10〜15センチの身長差があるとバランスがよいといわれています。歩きやすさも大切ですが、長距離を歩くわけではないので、迷ったらバランスで決めてよいかと思います。

白無垢用の下着(肌襦袢):白無垢を着るときは通常、和装ブラ→肌襦袢→長襦袢→掛下→白無垢(打掛)の順番に重ね着します。和装ブラはパッドがなだらかなブラトップで代用できます。肌襦袢も長襦袢も下着ですが、長襦袢は見られてもよい下着です。一般的な長襦袢は絹でつくられるためお手入れが大変なので、肌襦袢を着用して汗や皮脂による汚れを防ぐ役割があります。白無垢を着るときは掛下、白無垢ともに、うなじが見えるように衿の後ろをやや下げて着付けます。これを「衿を抜く」といいます。一般的な肌襦袢だと襟ぐりが空いていないので、下着が見えてしまう可能性があります。そこで、婚礼和装専用の花嫁下着は襟ぐりが広く開いています。

足袋:白無垢には白足袋を着用します。足袋のかかとに付いている留め具を「こはぜ」といい、主に4枚こはぜが一般的ですが、婚礼和装や日本舞踊では足首がしっかり覆われる5枚こはぜが正式とされています。素材は化学繊維より、木綿のキャラコ足袋がふさわしいでしょう。

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角隠し

挙式・披露宴

白無垢·色打掛·引振袖

日本髪

綿帽子

挙式

白無垢

日本髪·洋髪

綿帽子(わたぼうし)

白無垢での挙式にのみ合わせることができる、白無垢姿を象徴する帽子で、挙式が終わるまで花嫁の顔を新郎以外に見られないように着用します。花嫁の初々しさや奥ゆかしさを象徴しています。専用の器具を用いると、洋髪でもかぶることができます。

角隠し(つのかくし)

文金高島田の上につける帯状の白い布のこと。白無垢、色打掛、引き振袖と婚礼用和装のすべてに合わせることができます。その起源は、江戸時代に女性が外出の際に魔よけやほこりよけとしてかぶっていた揚帽子(あげぼうし)といわれます。綿帽子と違い、色打掛や引き振袖にも合わせることができます。

✿筥迫 はこせこ

也写作箱迫·函迫·筥狭子、是江户时代大奥·武家女性使用的"怀纸入"。里面放入金银·懐紙·鏡·櫛·白粉·紅板(口紅)·紅筆等化妆道具、御守、御香等物。是女性身穿和服正装(振袖、白无垢、打卦等)时携带的箱型装饰小物、多用绣有华丽纹样的金襴·缎子·罗纱等、材料十分奢侈、尺寸远比现代使用的更大。明治时代平民开始使用以来,逐渐变成了七五三·成人式·婚礼祝宴才会搭配的装饰。

それを開かないようにまんなかで留めているのが「胴締め」。胴締めには、胴締めを締める紐がついていて、その先にぶら下がっているのが「落とし巾着」。匂い袋やお守りが入っているのですが、これは帯にはさんで筥迫が落ちないようにストッパーになる役割のものです。よくこの袋が可愛いので外にぶら下がっているのを見かけますが、帯の中に仕舞うのが本来の使い方です。そして、飾り房。筥迫の上部、胴締めに差し込みます。赤いもの、白いもの、ハーフ(笑)、金、撚り房のもの、切り房のもの‥‥。この飾り房と同じところに、ビラ簪という銀のびらびらがついているかんざしを飾りとして差し込むこともあります。帯締めや草履、扇子やビラ簪、バッグなどとセットでトータルコーディネートのものなど、見ているだけで頬が緩みます。花嫁さんの筥迫は、懐剣や抱え帯、扇子などとセットになっていて、これまた凛とした美しさがあります。成人式や十三参りではほとんどつけることはありませんが、扇子などと共に、身につけてもおかしくない小物だと思います。

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箱迫的原型是「紙挟み」,也是「懐中詠草入れ」。所谓咏草、是指和歌·俳句等的草稿,以放草纸的“紙袱紗”为灵感,用皮革或织物做成的“紙挟”诞生了。江户文政13年(1830年),喜多村信节的随笔集《嬉游笑览》中、“武家の女の用ゆるハコセコと云もの昔の紙入れなり。其ころハ男女共に此形の紙入れなり。はこせこハ筥狭子なるべし。箱にてせまき意にや”と、「筥迫の祖先は紙入れであり、筥迫とは“箱の狭いもの”という意味から名付けられたもの」とあります。江戸時代中期頃から、筥迫は御殿女中や武家の女性が打掛を着た時、つまり正装の際には必ず持つべきものとされました。そして、懐から少しはみださせて、わざと見せて携帯するのがルールでした。

上野・寛永寺に花見にやってきた御殿女中は、揚帽子(あげぼうし)を被り、総柄の振袖姿が華やかです。胸元に筥迫があるのがわかりますか? 贅を尽くした華やかな筥迫は、持ち主の地位を示すアクセサリーでもあったのです! 外出に必要なものを入れるという実用を兼ねた筥迫は、現在のパーティバックのようなものだったのかもしれません。筥迫本体の外側は、錦の艶やかな布が使ってあるもの、豪華な刺繍を施してあるものなど、とにかく華やかです。形も比較的大ぶりで、堅くできていました。筥迫を開くと、懐紙が挟めるようになっていて、鏡がついているものも多かったようです。筥迫が勝手に開かないように真ん中で留めているのが「胴締め」です。胴締めには紐がついていて、先に「落とし巾着」がぶら下がっています。「落とし巾着」の中には香袋やお守りが入っていて、これを帯にはさむことで筥迫が落ちないようするストッパーの役割があったとか。そして、筥迫の上部、胴締めに飾り房が差し込まれています。飾り房と同じところに、「歩揺」と呼ばれる銀のびらびらのついた簪(かんざし)を飾りとして差し込むこともあります。「歩揺」は懐中から外に出して飾りとして見せます。

女性用の袋物「袂落とし」とは?

筥迫と前後して流行り始めた女性用の袋物に「袂落し(たもとおとし)」があります。袂落しは、二つの小さな袋物を細い紐で結び、左右の袂に落として使います。袂が長い場合でも、紐を引っ張ることで簡単に取り出すことができるのです! 袋の中には、手ぬぐいや香料、小銭などを入れました。小銭入れは織物や染物、手ぬぐい入れは藤の枝や鯨のひげを極細に編んだものが多く作られました。

現代に残る、装飾品としての「筥迫」

明治時代に入ると、筥迫は庶民も身につけるようになりましたが、サイズが小さくなり、装飾的な要素だけが残りました。現代では、筥迫は七五三の祝着や花嫁衣装の装身具として残っています。七五三の筥迫は、色づかいや模様が女の子らしくてかわいらしいものが多いようです。一方、花嫁用の筥迫は、懐剣や抱え帯、扇子などとセットになっていて、凛とした美しさがあります。小さな箱形の入れ物に細工が施された筥迫には、日本人の美意識も感じられます。

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