
花魁言叶
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廓詞が生まれた理由
花魁言葉、也被称为"廓詞・里詞・ありんす詞"、田舎から売られてきた少女の方言や訛りを隠すために使われていました。いわば遊郭独自の隠語です。最初は京都の花街だった島原で使われていましたが、後々吉原でも使われるようになったといわれています。遊郭で遊女が使っていた言葉「ありんす」などの言葉を廓詞といいます。廓言葉は他にも「おいらんことば」、「ありんすことば」、「さとことば」などの言い方もあります。最初は京都の花街だった島原で使われていましたが、後々吉原でも使われるようになったといわれています。当時、花街にはさまざまな地方から遊女見習いの女性が入ってきました。彼女たちはお国訛りでしゃべるのですが、「何を言っているか分からない」「お客がげんなりする」など様々な理由があり、優艶な廓言葉が使われるようになりました。遊郭は男性客に夢を与える場所です。遊女に対して男性客は「田舎の出ではなく江戸や京のやんごとない身分の女性であって欲しい」と勝手な夢を抱きます。廓言葉はそういった男性の願望にもこたえる言葉だったのではないでしょうか。吉原遊女たちは徹底的に廓詞を教え込まれ、上品で艶っぽく言えるよう要求されたといいます。
少女の頃から和歌・茶道・三味線など多くの芸や教養を叩き込まれた花魁は、三度通ってようやく触れられるほどの存在でした。男性たちにとってはまさに高嶺の花。だからこそお金を積んででも追いかけたくなるのでしょう。そういった男心を幻滅させないように、田舎出身であることを隠す必要があったようです。隠語として使用された花魁言葉ですが、時代の変遷とともに変化も見られます。例えば現代語の「いらっしゃいませ」の場合、このように変化がありました。
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明和(1764~1772)「ゆきなんせ」、「きなんせ」
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安永(1772~1781)「きなんし」
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天明(1781~1789)「おいでなんし」
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化政(1804~1830頃)「おいでなんしェ」、「きなんしェ」
現代の感覚からすると、だんだんと分かりやすい言葉になっているような気がしますね。その他にも「おざんす」「ざんす」は、「おざりいす」「おざりんす」と変わっていったようです。
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花街は縁起を非常に重んじる場所でした。そのため縁起の悪い言葉を使わないように、縁起の良い言葉に代えて使っていたのですが、なかには現代で一般的に使われている言葉があります。
そこで郭の言葉が発祥となっている現代用語をここで幾つかご紹介します。
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□猿(サル)⇒エテ(エテ公)
お客様が「去る」のは遊郭にとって縁起が悪い事です。
そのため、猿のこともサルと言わず「エテ(得て)」と呼びました。
□スルメ⇒アタリメ
気づかれないように金品を盗み取るという意味の「掏る(する)」は縁起が悪いため「スルメ」を「アタリ(当り)メ」と呼ぶようになりました。
□相方
ここ数年、漫才コンビでパートナーを「相方(あいかた)」と呼ぶのが一般的となっていますが、遊郭ではお客に対する花魁を相敵(あいかた)と呼んでいたところからきたのではないかと思われます。
□馴染み
「お馴染み」「馴染みの演目」など今でもよく使われる言葉ですが、元々は同じ遊女のもとに何度も通い親密な間柄となるという意味とそのお客や遊女の意味でした。
□お茶を挽く
当時はお茶といえば抹茶が一般的でお客のつかない遊女はお客に出すためのお茶葉を挽かされていたことから、今でも水商売などで暇を持て余している状態を「お茶を挽く」といいます。
□あがり
現代でも一般的に使われている廓言葉寿司屋などでお茶を「あがり」といいます。
遊郭ではお茶を挽くという言葉から、「お茶」という言葉自体、縁起が悪いとされていました。
お客が来店して最初に出すお茶を「お出花」、最後に出すお茶を「上がり花」といっていたのですが、縁起の悪い「お茶」を「上がり花」の「あがり」というようになり、現代でも寿司屋などで使われるようになったようです。
よく聞く「わちき・わっち」
「あちき」「わちき」「わっち」は、現代では「自分は」「私は」の意味になります。雰囲気でなんとなく想像がつくかもしれませんね。ちなみに「あちき」「わちき」は上級遊女が、「わっち」は中下級遊女が使用していたようです。
【例】
「あちきは、しょせん駕籠の鳥」
(訳:私はしょせん籠の鳥)
代表的な「ありんす」
時代物のドラマや映画などでよく聞く「ありんす」ですが、こちらもなんとなく感覚的に理解できそうです。語尾につく言葉ですが、例を見てみるとこのようになります。
【例】
「さいでありんすか?」
(訳:そうですか?)
「おさらばえ」の意味
少し寂しい雰囲気がある「おさらばえ」は「さようなら」の意味になります。現代でもたまに耳にする「さらば」は別れの際に用いる言葉。そのままだと男らしい響きになりますが、「おさらばえ」だと柔らかい雰囲気があります。
【例】
「あい。おさらばえ」
(訳:はい。さようなら)
挨拶でも使われる「ござりんした」
「ござりんした」は、現代の「~です」の意味で使用されていました。近いものに、「ござりんせん」「ござりんしょう」などがあります。こちらはそれぞれ、「~ではありません」「~でしょう」の意味です。
【例】
「ほんに……ありがとうござりんした」
(訳:本当に……ありがとうございました)
現代でも使われている廓詞がある!
まるで別世界のような廓詞ですが、現代でも使われているものがいくつかあります。遊郭は縁起を重んじる風潮だったため、縁起が悪い言葉は良い言葉に変換する習わしだったようです。
お茶は「あがり」
寿司屋でよく聞く「あがり」といえばお茶のことですよね。遊郭ではお客に対して出す最後のお茶を「上がり花」といい、そこから「あがり」と変化したようです。そもそも遊郭においてお茶は縁起が悪いものとされています。というのも、お客のとれない遊女はお茶を挽いていたからです。今でも夜の世界では暇を持て余すことを「お茶を挽く」と表現するようです。
スルメは「あたりめ」
気付かぬうちに財布を盗むような行為を「掏る(する)」といいますよね。またそういった人はスリと呼ばれます。「する」という言葉は縁起が悪いため、「スルメ」は「アタリメ」と呼ばれるようになりました。「当たり」という言葉は縁起が良いため、置き換えて使用されていたようです。
箸は「おてもと」
食事処では箸のことを「おてもと」と呼ぶところもあります。箸袋に書いてあることもありますね。箸は「端」と同じ音であることから縁起が悪いとされ、お手元と言われるようになったそうです。端と手元では正反対の意味ですから、いかに縁起を担いでいたかが分かりますね。
猿は「えて」
猿は「去る」と同じ音なので、こちらも縁起が悪いとされました。遊郭にとってお客が去るのはかなりの痛手です。そのため、猿のことは「エテ(得て)」と言い換えていました。
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吉原七不思議
大门无玄关 大門あれど玄関なし
吉原遊郭の入口には「吉原大門」と呼ばれる楼門があった。門の向こうは遊ぶ場所、どこぞのお屋敷へ通じるわけではない。
茶屋不卖茶 茶屋あれど茶は売らず
茶屋といえば街道筋などの休憩所のことだが、吉原では「引き手茶屋」、すなわち遊女や遊郭の紹介所を指す。茶を出してくれるわけではない。
角町正中央 角町あれど中にある
「角町」とは遊郭内の一区画の名で、吉原街の中ほどにあった。角っこにあるわけじゃねえよ、という駄洒落。
揚屋无揚物 揚屋あれど揚げはなし
「揚屋町」も区画の名。揚げものを売っているわけではないという駄洒落。
遣手只拿钱 やり手といえど取るばかり
やり手とは遊女の管理や営業を行う「遣手」のこと。「やる」とは言っても金を取るだけという皮肉。
年老亦若众 年寄りでも若い衆
遊郭に勤める男性の従業員は歳に関係なく「若い衆」と呼ばれていたことをからかったもの。
河岸无游鱼 河岸あれど魚なし
「河岸」とは低価格で遊べる場末の遊郭の俗称。魚河岸ではないから、当然魚も売っていない。
水道无流水 水道あれど水はなし
当時の吉原の突き当たりや町はずれを「水道尻」という俗称で呼んでいた。べつに水道(水路)が引いてあるわけでもない。