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​祭典之名

✿餅花煎る

饼花是一种日本传统吉祥装饰。起源不详,约在江户时期流行。在正月和节分期间,人们用白色、浅红或绿色的麻糬小球装饰稻草或柳枝,使其看起来像盛开的花朵。装饰了饼花的小正月(1月15日)因此被称为「花正月」。小正月结束后,饼花会被取下烤制后食用,以保佑接下来的一年无病无灾。根据地方的不同,有些二月十五日,即涅槃之日这一天烤饼花;有些是在焚烧正月饰品是顺便取下的;有些则要等到女儿节。饼花在蚕丝的产地也被称为「茧玉」,在小米的产地也被称为「粟穂稗穂」,此外还有「稻花」「生麻薯」「饰团子」「みずき団子」这样的别称。

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✿嵯峨の柱炬
京都三大火祭之一,嵯峨御松明式。每年3月15日都在京都岚山的清凉寺举行,从晚八点开始、点燃3把高达7米的火炬。据说是取自释迦摩尼涅槃的意象,拘尸那拉国国王和佛陀众弟子们,用最隆重的礼节,为佛陀举行了火葬,也就是佛教中的"荼毘"。这三柱火炬被看做早稻·中稻·晚稻的象征。农民会根据火炬的火势的强弱占卜这一年农作物的凶吉。此外,人们还在正堂前挂起13盏灯笼,以灯笼的高低占卜米和草根的行情。

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✿二十六聖人祭
二月第一个星期一,在西坂公园纪念碑前举行的,纪念日本二十六圣人殉教的弥撒。这场弥撒是为了纪念被认为是日本基督教信仰开端的二十六个人在西坂山上的殉道,1597年2月5日。

✿積塔会
阴历2月16日、在京都市高倉綾小路的清聚庵举办的、祭祀盲人的守护神"雨夜皇子"的法事。在当天、勾当会从四条河原取来石头堆叠成塔、为皇子祈求冥福。雨夜皇子据说是光孝天皇的弟弟、失明的人康親王。这种传统如今已经断绝。

✿花水祝
毎年2月11日、新泻县堀之町的八幡宮境内举行的仪式、在《北越雪譜》中有所介绍。求子、祈求子女的成长、夫妻和睦等。去年刚结婚的新郎会用御神水冲洗头,以求好混。

✿太子会
阴历2月2日、在京都市右京区太秦的广隆寺举行的法会。目的是纪念圣德太子的忌日,如今已经不再举行。广隆寺由秦河胜所建立,供奉有太子赐下的弥勒佛像,圣德太子像则被安置在太子堂里。圣德太子的忌日在法隆寺和四天王寺也被称为御会式、聖霊会。

✿涅槃会
釈迦が沙羅双樹の下に入滅した日にちなむ法要。旧暦の二月十五日であるが、新暦の二月十五日あるいは三月十五日に執り行われる。各寺院では涅槃図を掲げ、釈迦の最後の説法を収めた「遺教経」を読誦する。参詣者には涅槃だんごなどがふるまわれる。涅槃会は、釈迦の誕生にちなむ仏性会、釈迦の悟りにちなむ成道会とともに三大法要として重んじられているもの。当日は涅槃図を掲げて法要を営む。涅槃図は、沙羅双樹のもとに横臥した釈迦のまわりを、弟子や動物が取り囲んだ図で、なかでも京都興福寺の吉山明兆作の涅槃図はその雄大さで知られている。釈迦が入滅した日は実際は定かでないが、『大般涅槃経』の記述にもとづいて二月十五日とされる。

✿お水取り
修二会、若狭のお水送り。奈良東大寺二月堂における修二会の行のひとつ。三月十二日深夜、堂近くの閼伽井から香水を汲み本尊の十一面観音に供える。この水は、天平時代より遠敷明神が若狭から送り届けるという時空を超えた霊水。これを中心に堂内外ではさまざまな祈の行法がある。これが終わると奈良に本格的な春が訪れる。
「お水取り」は、三月十二日の夜から十三日の未明にかけて、若狭井から香水をくみ上げる行事である。十三日の午前一時半ころ練行衆の行列が二月堂から閼伽井屋に向かい、暗闇の中で香水がくみ上げられる。香水は閼伽桶入れられ、榊を飾った台に載せて内陣に運ばれる。この「香水」は、本尊の十一面観音に献じたり、供花の水として用い、残りは一般の参詣者にも分けられる。香水は、若狭の遠敷(おにう)明神が神々の参集に遅れた詫びとして二月堂本尊に献じことに由来する。今でも「お水取り」に先立って若狭小浜市の若狭神宮寺では、「お水送り」(三月二日)の行事が行われる。

✿鳥羽火祭
愛知県幡豆郡幡豆町の鳥羽神明社の例大祭。毎年二月の第二日曜 日に行われる。当日は燃え盛る大松明に厄年の男二人が飛び込み 神木と十二縄を競って取り出し神前に供える。その結果によって、 その年の天候や作物の出来具合を占うというもの。

✿東福寺懴法
二月初午の日、京都市東山区の東福寺境内にある成就宮の祭礼。法華経に説かれる作法により、観世音菩薩に懺悔し加護を祈る。東福寺の鎮守社として、石清水、賀茂、稲荷、日吉の五社の祭神 を祀り、五社成就宮とも。明治以前は、大勢の参詣人であった。

✿御灯祭
和歌山県新宮市の神倉神社の例祭で、毎年二月六日に行われる火 祭り。日暮を待って、氏子らが、松明を手に山上の境内に集合し、 神官がゴトビキ岩といわれるご神体の下で熾した火をいただく。 松明を手にした男たちがいっせいに石段を駆け下りるさまは炎の 川のようである。

✿彼岸会
お彼岸/彼岸詣/彼岸参/お中日/彼岸団子/讃仏会/彼岸寺/彼岸餅
中日をはさんで前後七日間を彼岸といい、この間寺院で行われる法要のことをさす。彼岸会のはじまりは諸説あり、平安貴族のあいだでもこの行事が行われていたことが「蜻蛉日記」や「源氏物語」にしるされている。彼岸はサンスクリット語で悟りの世界を意味し、われわれの住んでいる煩悩の世界(此岸)から、迷いのない彼岸へ到ることを願う法会といえる。聖徳太子の頃から行なわれてきた日本固有の行事。

✿豊橋鬼祭/吉田の鬼祭/鬼の飴/赤祭
豊橋市の安久美神戸神明社で、毎年二月十日十一日に行われる天 下の奇祭。メインイベントは「赤鬼と天狗のからかい」で、神話 である武神と荒ぶる神の戦いをモチーフにした神事。武神である 「天狗」が荒ぶる神である「赤鬼」を懲らしめる。懲らしめられ た赤鬼は、お詫びとして薬効のあるタンキリ飴を人々に渡し、境 内に白い粉とタンキリ餅をまく。

✿六阿弥陀参
春と秋の彼岸の期間に、阿弥陀像をまつってある江戸府内の六個 所の寺を巡り歩くというもの。庶民の行楽もかねていた。六体の 阿弥陀仏は、熊野から流れついた一本の霊木を、行基上人が六体 に彫り上げたとされる。’

✿湯立獅子
神奈川県仙石原·諏訪神社で毎年三月二十七日に行われる祭 事。神社での神事のあと、境内で各種の舞が奉納され、最後に獅 子が煮たった湯釜の湯を笹の葉でかき回したあと、その湯花を参 拝客に振りかける。獅子に湯花をかけてもらった人は、無病息災 で一年を過ごせるという。

✿若狭のお水送り
三月二日、福井県小浜市神宮寺の神仏習合の行事。若狭、遠敷川上流の鵜の瀬から、送水の祭文を誦し香水を川に注ぐ。これが奈良東大寺二月堂の若狭井に届くと、古来より言い伝えられてきた。 東大寺修二会(お水取)に汲まれる水である。

✿初午芝居/初午狂言
二月の最初の午の日が初午で、その日に演じられる芝居をいう。 普段、主役を演じるものは下役に回り、下役や裏方が中心となる。 午の日は、稲荷神社の祭礼でもあることから、楽屋に稲荷を祀っ て演じたという。

✿八幡初卯神楽
京都府八幡市石清水八幡宮の祭典。旧暦二月初卯日、夕刻、神前で焚かれる庭燎の明かりの中、平安時代より伝わる「御神楽」が奏される。これは、宮中を始め全国各地で行われている御神楽の原型とされる。秘祭であり一般参観はなし。現在は三月初卯。

✿河豚供養/河豚放生
河豚シーズンの終わりを告げる四月二十九日に行われる河豚の供養祭。下関市彦島西山町の南風泊で開かれる。恩恵をもたらしてくれた河豚に感謝し、参列者の焼香がなされる。虎河豚の稚魚なども放流される。

✿祇園御八講
京都市東山区の八坂神社は、古くは祇園社と呼ばれた。延暦寺別院になるなど天台宗と関係が深く、保元年間から神前に法華八講が奉納されていた。

✿初午(はつうま) 
别称:午祭、初午参り、福参、一の午、稲荷講、験の杉
二月の最初の午の日に行われる稲荷神社の祭礼で、午祭ともいう。京都深草の伏見稲荷をはじめ大阪の玉造、愛知県の豊川稲荷、また神戸の摩耶参など、各地の稲荷神社で盛大に行われる。二の午、三の午もある。

✿常楽会
陰暦二月十五日で、釈迦が入滅されたとする日である。各寺院ではこの日、涅槃会と称する法要を営むが真言宗では一般に常楽会として修される。高野山では十四日夜から十五日にかけて行われている。

✿一夜官女/一時上臈
二月二十日、大阪市西淀川区の野里住吉神社で行われる風変わりな神事。氏子の中から選ばれた七人の少女が、一夜官女または一時女臈と称し、巫女姿で神餅を奉じる。神の名を騙る「ひひ」に、人身御供を捧げていたという伝説に由来する。

✿御影供(みえいく)
みえく、御影講、空海忌、正御影供、御衣替、御衣井、三弘法詣、弘法忌、高雄山女詣。
真言宗で、空海入定の日に営む法要。京都東寺では、毎月二十一日を御影供四月二十一日を正御影供とする。境内に弘法市が立ち、京都人は「弘法さん」と呼んで親しむ。昔は、御室詣?三弘法「東寺、仁和寺、神光寺」詣?高雄山女人詣等の風習があった。

✿日迎
彼岸の中日に、東のほうにある寺を巡拝すること。午前中は日迎であるが、午後からは日送といって、西のほうへ歩いて巡拝した。

✿遺教経会
京都市上京区の大報恩寺(千本釈迦堂)の涅槃会の異称。千本釈迦念仏ともいう。三月二十二日、同派の総本山東山智積院の僧を迎えて、釈迦の最後の教えである遺教経を講じ、大念仏を修する法要。かっては、一週間に及んだが、現在は一日のみ。

✿列見
平安時代の陰暦二月十一日、朝廷で行われた高官の面接。庭に六 位以下の官人を並べ、大臣ら高官が彼らの識見、身のこなしを見 た。結果は官位昇進の際の資料となった。高官らは冠に花を挿し て華やかな出で立ちだったという。読みは「れけん」とも「れっ けん」とも。

✿御告祭/告知祭/受胎告知日/聖胎告知日

カトリック教会で、聖母マリアの受胎告知を記念するための祝日。三月二十五日。この日、大天使ガブリエルが処女マリアにキリストの受胎を告知したとされる。

✿灰之水曜日/聖灰祭/大斎始日
四旬節の初日にあたり、復活祭まで四十日間の精進が続く。灰の 水曜日という名前は、この日に司祭が灰で信者の額または頭に十 字の印をつけることによる。灰は人間の末路であり、しかも石鹸 の代用品として用いられてきたことから、浄化に繋がるともされ る。

✿比良八講
昔、近江の白髭神社で比叡山の衆徒が行ったという、法華八講の略称。現在は三月二十二日、滋賀県大津市の本福寺を集合場所として、高僧の講義や延暦寺僧衆による湖上安全祈願が営まれる。 この法要の頃、比良山からの強風で湖上が荒れる。これを「比良八荒」とよぶ。

✿四旬節/大斎節/レント
復活祭の四十六日前の水曜日(灰の水曜日)に始まり、聖土曜日 に終わる期間のこと。この間、食事の節制と祝宴の自粛がおこな われ、償いの業がなされる。キリストの受難に思いをはせ祈り、 断食、慈善の三点を通して悔い改める期間である。

✿謝肉祭
キリストの受難を思い、断食などの精進を行う四旬節の前に楽し もうという祭。四旬節の初日が灰の水曜日に定められて以来、謝 肉祭はその前日に祝われる。

✿ねぶた
旧暦7月7日の年中行事として、すなわち七夕行事の一つとして行われてきた夏祭りの一類型である。太陽暦(新暦)の導入以降は元来の七夕との関連性は薄れ、8月1日から一週間ほどかけて行われる夏祭りへと変容した。東北地方から北関東にかけて東日本各地で行なわれてきたが、近世以降の津軽地方(江戸幕藩体制下においては弘前藩領。明治維新以降の青森県西部)においてはとりわけ盛んで、祭りの形態も主にこの地で進化・発展を遂げてきた。今日では、ねぶたという祭りの類型は南関東や北海道にも拡散している。「ねぶた」と呼んで仮名表記するのが、最も広く知られる表現であるが、「ねぷた」と呼ぶ地域(弘前ねぷたなど)も多く[2]、なかには漢字の当て字で「佞武多」と記して「ねぷた」と読みならわす地域(五所川原立佞武多)もある。また、かかる祭事(あるいは催事)は「ねぶた祭/ねぶた祭り(ねぶたまつり)」ともいい、通称ではあるが、当事者もこれを正式に用いる。加えて、ねぶた祭で使われる山車灯籠を指して「ねぶた」「ねぷた」ということもある現状では、混同されることも致し方ない。発音は共通しており、「ねふた」または「ねんふた」が用いられることが多い[3]。青森県では、8月初旬頃に行われ、大勢の市民が「ラッセ、ラッセ」「ラッセラー」「ヤーヤドー」「ヤーレ、ヤーレヤ」等の掛け声とともに、武者等を模った人型や武者絵の描かれた扇型の山車燈籠を引いて街を練り歩く。昔は最終日の旧暦7月7日の朝に川や海へ行き、山車燈籠や身体を洗ったり、山車燈籠を流したりしていた。青森市の青森ねぶた、弘前市の弘前ねぷた、五所川原市の五所川原立佞武多などが有名で、次いで黒石市の黒石ねぷた、つがる市の木造ねぶた、平川市の平川ねぷた、むつ市の大湊ネブタなどがある。その他、ねぶた発祥の地のひとつとされる浅虫ねぶた[4]や津軽地方、下北半島の各市町村でも行われている。さらに近年では、全国で地域の祭りとして広がりつつある。特に関東地方(東京周辺)では阿波踊りなどと同様、イベントの1つにねぶたを取り入れている祭りが増加している。長崎県五島列島福江島でも行われている。「ねぶた」「ねぷた」の語源には諸説あるが、「眠(ねぶ)たし」[5]、「合歓木(ねむのき、ねぶたのき、ねぶた)」「七夕(たなばた)」「荷札(にふだ)」などに由来する説がある[6]。青森市や青森市周辺と下北が「ねぶた」なのに対し、弘前市を中心とした津軽地方では「ねぷた」と呼ばれるところが多い。「ねぶた」の起源にも諸説あるが、禊祓に由来するという説が現在では有力である[6]。さらに、除災行事としての「眠り流し」や星祭りのひとつである「七夕」、仏教行事と習合した民俗行事「お盆」など、様々なものから影響を受けて現在のようになったと考えられている。

✿積塔会
陰暦二月十六日、京都市高倉綾小路にあった清聚庵で、盲人の守護神雨夜皇子を祀った行事。当日、勾当が四条河原で石を積んで塔を組み、皇子の冥福を祈ったのでこういう。皇子は光孝天皇の弟で盲目の人康親王というが、定かでない。現在は途絶えている。(石を積む雨夜の御子の為とかや)

✿お水取り
修二会、若狭のお水送り。奈良東大寺二月堂における修二会の行のひとつ。三月十二日深夜、堂近くの閼伽井から香水を汲み本尊の十一面観音に供える。この水は、天平時代より遠敷明神が若狭から送り届けるという時空を超えた霊水。これを中心に堂内外ではさまざまな祈の行法がある。これが終わると奈良に本格的な春が訪れる。「お水取り」は、三月十二日の夜から十三日の未明にかけて、若狭井から香水をくみ上げる行事である。十三日の午前一時半ころ練行衆の行列が二月堂から閼伽井屋に向かい、暗闇の中で香水がくみ上げられる。香水は閼伽桶入れられ、榊を飾った台に載せて内陣に運ばれる。この「香水」は、本尊の十一面観音に献じたり、供花の水として用い、残りは一般の参詣者にも分けられる。香水は、若狭の遠敷(おにう)明神が神々の参集に遅れた詫びとして二月堂本尊に献じことに由来する。今でも「お水取り」に先立って若狭小浜市の若狭神宮寺では、「お水送り」(三月二日)の行事が行われる。

✿涅槃会
釈迦が沙羅双樹の下に入滅した日にちなむ法要。旧暦の二月十五日であるが、新暦の二月十五日あるいは三月十五日に執り行われる。各寺院では涅槃図を掲げ、釈迦の最後の説法を収めた「遺教経」を読誦する。参詣者には涅槃だんごなどがふるまわれる。涅槃会は、釈迦の誕生にちなむ仏性会、釈迦の悟りにちなむ成道会とともに三大法要として重んじられているもの。当日は涅槃図を掲げて法要を営む。涅槃図は、沙羅双樹のもとに横臥した釈迦のまわりを、弟子や動物が取り囲んだ図で、なかでも京都興福寺の吉山明兆作の涅槃図はその雄大さで知られている。釈迦が入滅した日は実際は定かでないが、『大般涅槃経』の記述にもとづいて二月十五日とされる。

✿祇園御八講
京都市東山区の八坂神社は、古くは祇園社と呼ばれた。延暦寺別院になるなど天台宗と関係が深く、保元年間から神前に法華八講が奉納されていた。

✿太子会
陰暦二月二十二日、聖徳太子の忌日。京都市右京区太秦の広隆寺で、太子の遺徳を偲んで行われた法会のこと。現在は行なわれていない。太子から賜った仏像を本尊として秦河勝が建立、この本尊が国宝第一号の弥勒菩薩である。太子堂には聖徳太子立像を安置する。

✿初午(はつうま) 
别称:午祭、初午参り、福参、一の午、稲荷講、験の杉
二月の最初の午の日に行われる稲荷神社の祭礼で、午祭ともいう。京都深草の伏見稲荷をはじめ大阪の玉造、愛知県の豊川稲荷、また神戸の摩耶参など、各地の稲荷神社で盛大に行われる。二の午、三の午もある。

✿豊橋鬼祭/吉田の鬼祭/鬼の飴/赤祭
豊橋市の安久美神戸神明社で、毎年二月十日十一日に行われる天 下の奇祭。メインイベントは「赤鬼と天狗のからかい」で、神話 である武神と荒ぶる神の戦いをモチーフにした神事。武神である 「天狗」が荒ぶる神である「赤鬼」を懲らしめる。懲らしめられ た赤鬼は、お詫びとして薬効のあるタンキリ飴を人々に渡し、境 内に白い粉とタンキリ餅をまく。

✿花水祝
新潟県堀之町に伝わる行事で、「北越雪譜」にも紹介されてい る。毎年二月十一日に、堀之内町の八幡宮の境内で行われる。子 宝、子供の成長、夫婦和合を祈り、前年に結婚した新婿に、頭か ら御神水を浴びせるという荒っぽいお祝いである。

✿鳥羽火祭
愛知県幡豆郡幡豆町の鳥羽神明社の例大祭。毎年二月の第二日曜 日に行われる。当日は燃え盛る大松明に厄年の男二人が飛び込み 神木と十二縄を競って取り出し神前に供える。その結果によって、 その年の天候や作物の出来具合を占うというもの。

✿東福寺懴法
二月初午の日、京都市東山区の東福寺境内にある成就宮の祭礼。法華経に説かれる作法により、観世音菩薩に懺悔し加護を祈る。東福寺の鎮守社として、石清水、賀茂、稲荷、日吉の五社の祭神 を祀り、五社成就宮とも。明治以前は、大勢の参詣人であった。

✿常楽会
陰暦二月十五日で、釈迦が入滅されたとする日である。各寺院ではこの日、涅槃会と称する法要を営むが真言宗では一般に常楽会として修される。高野山では十四日夜から十五日にかけて行われている。

✿一夜官女/一時上臈
二月二十日、大阪市西淀川区の野里住吉神社で行われる風変わりな神事。氏子の中から選ばれた七人の少女が、一夜官女または一時女臈と称し、巫女姿で神餅を奉じる。神の名を騙る「ひひ」に、人身御供を捧げていたという伝説に由来する。

✿御灯祭
和歌山県新宮市の神倉神社の例祭で、毎年二月六日に行われる火 祭り。日暮を待って、氏子らが、松明を手に山上の境内に集合し、 神官がゴトビキ岩といわれるご神体の下で熾した火をいただく。 松明を手にした男たちがいっせいに石段を駆け下りるさまは炎の 川のようである。

✿御影供(みえいく)
御影講、空海忌、正御影供、御衣替、御衣井、三弘法詣、弘法忌、高雄山女詣。
真言宗で、空海入定の日に営む法要。京都東寺では、毎月二十一日を御影供四月二十一日を正御影供とする。境内に弘法市が立ち、京都人は「弘法さん」と呼んで親しむ。昔は、御室詣?三弘法「東寺、仁和寺、神光寺」詣?高雄山女人詣等の風習があった。

✿彼岸会
お彼岸/彼岸詣/彼岸参/お中日/彼岸団子/讃仏会/彼岸寺/彼岸餅
中日をはさんで前後七日間を彼岸といい、この間寺院で行われる法要のことをさす。彼岸会のはじまりは諸説あり、平安貴族のあいだでもこの行事が行われていたことが「蜻蛉日記」や「源氏物語」にしるされている。彼岸はサンスクリット語で悟りの世界を意味し、われわれの住んでいる煩悩の世界(此岸)から、迷いのない彼岸へ到ることを願う法会といえる。聖徳太子の頃から行なわれてきた日本固有の行事。

✿六阿弥陀参
春と秋の彼岸の期間に、阿弥陀像をまつってある江戸府内の六個 所の寺を巡り歩くというもの。庶民の行楽もかねていた。六体の 阿弥陀仏は、熊野から流れついた一本の霊木を、行基上人が六体 に彫り上げたとされる。’

✿日迎
彼岸の中日に、東のほうにある寺を巡拝すること。午前中は日迎であるが、午後からは日送といって、西のほうへ歩いて巡拝した。

✿遺教経会
京都市上京区の大報恩寺(千本釈迦堂)の涅槃会の異称。千本釈迦念仏ともいう。三月二十二日、同派の総本山東山智積院の僧を迎えて、釈迦の最後の教えである遺教経を講じ、大念仏を修する法要。かっては、一週間に及んだが、現在は一日のみ。

✿列見
平安時代の陰暦二月十一日、朝廷で行われた高官の面接。庭に六 位以下の官人を並べ、大臣ら高官が彼らの識見、身のこなしを見 た。結果は官位昇進の際の資料となった。高官らは冠に花を挿し て華やかな出で立ちだったという。読みは「れけん」とも「れっ けん」とも。

✿湯立獅子
神奈川県仙石原·諏訪神社で毎年三月二十七日に行われる祭 事。神社での神事のあと、境内で各種の舞が奉納され、最後に獅 子が煮たった湯釜の湯を笹の葉でかき回したあと、その湯花を参 拝客に振りかける。獅子に湯花をかけてもらった人は、無病息災 で一年を過ごせるという。

✿若狭のお水送り
三月二日、福井県小浜市神宮寺の神仏習合の行事。若狭、遠敷川上流の鵜の瀬から、送水の祭文を誦し香水を川に注ぐ。これが奈良東大寺二月堂の若狭井に届くと、古来より言い伝えられてきた。 東大寺修二会(お水取)に汲まれる水である。

✿初午芝居/初午狂言
二月の最初の午の日が初午で、その日に演じられる芝居をいう。 普段、主役を演じるものは下役に回り、下役や裏方が中心となる。 午の日は、稲荷神社の祭礼でもあることから、楽屋に稲荷を祀っ て演じたという。

✿八幡初卯神楽
京都府八幡市石清水八幡宮の祭典。旧暦二月初卯日、夕刻、神前で焚かれる庭燎の明かりの中、平安時代より伝わる「御神楽」が奏される。これは、宮中を始め全国各地で行われている御神楽の原型とされる。秘祭であり一般参観はなし。現在は三月初卯。

✿河豚供養/河豚放生
河豚シーズンの終わりを告げる四月二十九日に行われる河豚の供養祭。下関市彦島西山町の南風泊で開かれる。恩恵をもたらしてくれた河豚に感謝し、参列者の焼香がなされる。虎河豚の稚魚なども放流される。

✿比良八講
昔、近江の白髭神社で比叡山の衆徒が行ったという、法華八講の略称。現在は三月二十二日、滋賀県大津市の本福寺を集合場所として、高僧の講義や延暦寺僧衆による湖上安全祈願が営まれる。 この法要の頃、比良山からの強風で湖上が荒れる。これを「比良八荒」とよぶ。

✿灰之水曜日/聖灰祭/大斎始日
四旬節の初日にあたり、復活祭まで四十日間の精進が続く。灰の 水曜日という名前は、この日に司祭が灰で信者の額または頭に十 字の印をつけることによる。灰は人間の末路であり、しかも石鹸 の代用品として用いられてきたことから、浄化に繋がるともされ る。


✿御告祭/告知祭/受胎告知日/聖胎告知日
カトリック教会で、聖母マリアの受胎告知を記念するための祝日。三月二十五日。この日、大天使ガブリエルが処女マリアにキリストの受胎を告知したとされる。

✿四旬節/大斎節/レント
復活祭の四十六日前の水曜日(灰の水曜日)に始まり、聖土曜日 に終わる期間のこと。この間、食事の節制と祝宴の自粛がおこな われ、償いの業がなされる。キリストの受難に思いをはせ祈り、 断食、慈善の三点を通して悔い改める期間である。

✿謝肉祭
キリストの受難を思い、断食などの精進を行う四旬節の前に楽し もうという祭。四旬節の初日が灰の水曜日に定められて以来、謝 肉祭はその前日に祝われる。

稲荷祭 稲荷祭御出/稲荷神幸祭
京都市伏見区深草の稲荷大社最大の祭礼。神幸祭は四月二十日に最も近い日曜日、還幸祭は五月三日と定められている。当日、五基の神輿が神職一同の供奉のもと、九条のお旅所に座を移す。還幸までの間、連日参詣者で賑わう。

石清水臨時祭
京都府八幡市石清水八幡宮で、陰暦三月牛の日に行われた祭礼。宮中から勅使が参向、幣を捧げ宣命を読み、東遊・神楽・走馬等が行われた。例祭である九月十五日の石清水放生会(現在の石清水祭)に対して臨時祭と称した。今は行われていない。南祭とも。

桜花祭
香川県琴平町金刀比羅宮の祭礼。四月十日に行われる。桜が満開 の頃であり、讃岐路の本格的な春の訪れである。冠に桜の花を挿 した神職と、桜の枝を手に持った巫女の行列が、奏楽のなか、大 門から本宮へ向かう。本殿では舞が奉納される。

大原野祭
京都市西区大原野の大原野神社で、四月八日に行われる例祭。同社は、桓武天皇の長岡京遷都の際、皇后の藤原乙牟漏が、藤原氏の氏神である奈良の春日明神を勧請したのが初めと伝える。一時 は、斎女の置かれたこともある社。

大和神幸祭
四月一日、奈良県天理市新泉の大和神社の祭礼。御旅所へ渡御を 行う時、安着を知らせる合図の鉦鼓を打った。その音からちゃん ちゃん祭とも。粽餅を献じ、龍の舞、田の実の舞、神馬曳き等の 行事がある。猿楽の形を伝える翁舞があったが、中絶した。

阿国忌
四月十五日を歌舞伎の創始者とされる出雲のお国の忌日としてい るが、生没ともに諸説あり。出雲大社の巫女で、勧進のため京に 上り、諸国を遊行した女芸人のひとりであろう。「歌舞伎踊」で 人気を集め、女歌舞伎の全盛時代を招来した。

お札流し
四国八十八箇所寺の松山地方の寺、四十四番大宝寺から五十三番 円明寺までに納めた遍路札十枚を松山の高浜沖に流す行事。陰暦 の三月二十八日に行われる。

鴨川踊
京都先斗町歌舞練場にて、五月一日から二十四日まで芸妓・舞妓による歌舞公演。明治5年初演。芸事修業の成果を発表する場であるが、京の商店主が得意先の招待に利用する。茶席も設けられ、赤い提灯が並び、界隈を華やかに彩る。

北野菜種御供/梅花祭、菜種御供、梅花御供、天神御忌、道真忌
菅原道真の忌日、二月二十五日の京都北野神社の祭礼。菜種の花を挿して献じたが、花がない時期には道真が好んだという梅を代わりにし、近年は梅花祭として親しまれる。紙屋川に添う探梅、野点の茶席、露店も出て賑々しく、年により雪が舞う。

行基詣/行基菩薩忌/行基忌
四月二日、兵庫県伊丹市の行基開山になる崑崙山昆陽寺の開山忌の法要に詣でること。行基は弟子を連れ諸国を巡歴し土木事業や社会事業に力を注ぎ、日本で初の大僧正に任ぜられた、奈良時代の高僧である。寺は、阪神淡路大震災の難にあったが、今は再建されている。

興福寺文殊会
奈良興福寺で、四月二十五日行われる行事。奉納される一字書の奉納車を曳いて、美しい衣装の稚児行列が進む。もとは、学問僧の祈願仏である文殊菩薩を供養し衆生済度を祈願する法要。官命により広く寺院で行ったが、大方は廃絶した

御灯
平安時代の陰暦三月三日、天皇が京都北山にあったと伝えられる 霊巌寺の妙見菩薩(北辰菩薩)に灯火を奉納した行事。北辰菩薩 は北極星を神格化したものとされ、農耕の守護神として尊崇され た。九月三日にも同じ行事が行われたが、平安末期には廃れた。 読みは「ごとう」とも「みとう」とも。

鞍馬に咲く桜を総称して雲珠桜という
雲珠=馬具の一種。日本で上古時代の飾り馬,平安時代以後の唐鞍の革尻繋 の辻の上に飾った辻金具。上古時代のものには玉 (珠) 形あるいは鈴形など金銅製のもののほか,鉄地金銅張りのものもある。名称は「うず高い金物」の意味でつけられた。平安時代には水精宝珠に火炎形台をつけた形式に決ったようである。

曲水の宴/流觴/盃流し
陰暦三月上巳の日のち三月三日に宮中で行われ た行事。庭園の水の流れのほとりに座り、流される盃が自分の前 を通り過ぎる前に詩歌を吟じ、できなければ盃の酒を飲み、また 下流へ流すというもの。現在は京都の城南宮や太宰府天満宮など で行われている。

御忌/法然忌/円光忌/御忌の鐘/弁当始/衣装競べ/経の紐解/御忌小袖
浄土宗の開祖法然の命日に行われる法要。命日は陰暦一月二十五日だが、明治十年より四月十五日から二十五日まで行われるよう になった。昔の京都の人は一年の寺参りの始めとして遊山も兼ね て着飾って詣でたため御忌小袖、衣装競べ、弁当始といった。

縁の下の舞/一切経会/経供養
大阪市四天王寺太子殿(聖霊院)西庭にて陰暦三月二日に行われた法要。中国からお経が伝来したことを記念し、如法写経会で書かれた写経と舞楽が奉納される。舞楽は、古来非公開であったため、「縁の下の力持」の語源「縁の下の舞」とも呼ばれている。 現在十月秋の行事。
① が舞台に上がらず人に見えないところで舞われることから〕 だれも見てくれないところで苦労すること。

西大寺大茶盛
四月第二日曜とその前日、奈良市の西大寺で催される鎌倉時代からの行事。高僧叡尊が、八幡神社で修法結願の日、降りはじめた雪の美しさに感動し、神前に茶を供え村人にも振るまったのが始まり。おお茶碗に茶を点て、二、三人ががりで持ち上げ飲み回す。

榊伐
滋賀県大津市坂本の日吉大社の例祭(山王祭)で行われる神事の ひとつ。四月始め、大榊を山中から伐り出すことをいう。榊取は、 榊に神を移し、四の宮まで曳いてうつすこと。十四日の大祭に、 本宮へ還幸するのを、榊入という。

山王祭/日吉祭/申祭/午の神事/未の御供/猿の神供
四月十四日。滋賀県大津市坂本町の日吉神社の例祭。四月三日の 大榊伐り出しからはじまり、十二日夜は松明の灯かりの中神輿が 山を馳けおりる。勇壮華麗な祭である。飛騨高山でも四月十四~ 十五日に行われる。東京永田町の日枝神は六月十日~十六日で夏 祭りである。

島原の太夫の道中/傘止太夫
四月第三日曜日、京都島原の名妓吉野太夫を偲ぶ催し。太夫ゆかりの寺、京都北区の常照寺にて由縁の道中が見られる。禿や男衆を従え、豪華な打掛姿の太夫が、内八文字を踏みながら練り歩く。法要、吉野太夫墓前供養が行われる。

聖霊会/貝の華
聖徳太子の忌日に行われる法要。奈良の法隆寺は三月二十二日から三日間行われ、大阪の四天王寺は四月二十二日未明から、舞楽が奉納される。舞台の四隅には、紅紙で作った曼珠沙華を掲げるが、昔は住吉の浜の貝殻を付けた。よってこれを「貝の華」とも いう。

龍田祭/龍田風の神祭/瀧祭
四月四日、奈良県生駒郡三郷町の龍田神社で行われる例祭。大和 川でネゴという魚を捕り、神前に供える。祭典が終ると再び大和 川の早瀬に放流した。放生会の遺風といわれる。瀧祭というのは、 美濃養老の瀧の瀧開と同様、多分に観光的意味をもつものである。

須磨の御禊
陰暦三月上巳の日に、蘭草をもって御禊をすると疫病にかからぬ という。古来中国から入って来た習俗で、「源氏物語」須磨の巻 にも、光源氏が浦辺に出て、舟に人形を乗せて流したとある。人 形は形代とも。紙や草で着物の形を作り、罪・穢を乗せて流す。

千本念仏/花念仏
毎年五月一日から四日にかけて行なわれる、京都市上京区引接寺千本閻魔堂での法会。壬生狂言、嵯峨狂言とともに京の三大念仏狂言のひとつで、京都市無形民俗文化財に登録されている。

楞厳咒

浅間祭/晩春廿日会祭/静岡祭
静岡市浅間神社の春の例祭。陰暦二月二十日に行われていたが、 現在は毎年四月一から五日に行われる。一般には廿日会祭といわ れ、稚児の舞楽を奉奏することから「舞楽會」ともいわれる。 最終日に大祭が行われ古式稚児舞楽が披露される。繰り出す山車 は踟(ねり)と呼ばれ、纏を先頭に木遣りを唄いながら巡行する。 その他、大御所花見行列などがいろいろな催しがある。

花換祭
福井県敦賀市の金崎宮で、四月の花時に行われる祭。祭神の尊良 親王と恒良親王の御命日がこの頃なので花を捧げたのが始まり。造花の花が社前で売られ、参詣人がその花を交換しあう。当り花を手にした人に神鏡が贈られる。美しい春の祭。

鎮花祭
四月十八日、奈良県桜井市の大神神社と摂社の狭井神社で行われる祭礼。桜の花の散る頃、疫病神が起こす流行病を鎮める祭である。七百一年「大宝令」に国家の行事として定められて以来、千三百年間にわたり、古儀にのっとり国民の無病息災を祈願する。

花祭
潅仏会のこと。四月八日、釈迦の誕生日を祝う行事である。花御堂の釈尊に甘茶をかけるのは、釈迦誕生のおりに、龍が天から飛来して香湯をそそいだという故事に基づく。美しく飾った「花御堂」をしつらえて、草花で屋根や四本柱を葺き、中の水盤に右手を上げた誕生仏の立像を置く。その中に安置した誕生仏に杓子で甘茶をかけて祝う。新暦になってからは桜の時期と重なるので「花祭」ともいう。仏性会は、涅槃会、成道会に並ぶ、仏教の三大法要のひとつで、四月八日あるいは五月八日に修される。釈迦の誕生は紀元前五世紀ころ。母親の摩耶夫人は白象が体内に入る夢を見て懐妊したとされる。釈迦は生まれるとすぐ七歩あゆみ、「天上天下唯我独尊」と唱えたという。すると八大竜王が歓喜して甘露の雨を降らせ、釈迦はそれを産湯にした。仏性会の誕生物に甘茶をかけるのは、この故事による。仏性会は、六百六年ころ中国から伝わって宮廷行事となり、室町中期以降、全国の寺院で営まれるようになった。

比良
歌枕。滋賀県滋賀郡志賀町と大津市堅田との境,琵琶湖の西岸にそって南北に連なる比良山地中の高峰群。主峰は武奈ヶ嶽。山容雄大で修験道の行場である。〈比良暮雪〉は近江八景の一つ。春先に吹きおろす強風を〈比良八荒〉とよんだ。《新古今集》巻二に宮内卿の〈花さそふ比良の山風ふきにけりこぎ行く舟の跡見ゆるまで〉がある。《万葉集》巻一に見える孝徳天皇の〈比良宮〉,巻三〈比良の湊〉はこのあたりである。

巳の日の祓/上巳の祓
陰暦三月最初の巳の日の宮中行事。天皇が人形(ひとがた)で体 を撫でられ、息を吹き掛けて心身の穢れをうつし、その人形とお 召し物とを川に流して禊とした。後にこれが民間にも広まり、雛 遊びの風習と結びついて、雛祭の行事に発展した。

壬生念仏/壬生狂言、壬生祭、壬生踊、壬生の鉦、壬生の面
四月二十一日から二十九日まで、京都壬生寺で行われる花鎮法会の行事。俗に、壬生狂言ともいう。鰐口、太鼓、笛に合わせくり広げられる無言の仮面劇。演目は三十あり、毎日最初の演目に「炮烙割り」がある。国の重要無形民俗文化財に指定されている。

井上流京舞

安良居祭
京の春祭に先がけ、四月第二日曜に行われる京都紫野今宮神社の祭礼。厄よけの風流花傘を先頭に、鬼に扮装した男と少年が羯鼓を持ち踊りつつ町内を巡り、最後は社前で舞い納める。花傘に入ると厄のがれができるという。祇園祭の原形となる花鎮めの祭。

吉野花会式/鬼踊
四月十一日、十二日、奈良県吉野町金峯山寺(蔵王堂)で行われる法会。蔵王権現の神木である吉野山の桜を神前に供える儀式。竹林院から大名行列や稚児行列が練り歩く。蔵王堂前では、大護摩が焚かれ、堂内では鬼踊が行われる。吉野の春の最大行事である。前日十日、桜本坊で数十人の信徒により、千本搗きの餅が搗かれる。蔵王権現に供えられるもので、法会の読経の後、餅配りと称し参詣者に配る。諸坊にも配られる。


伊勢神御衣祭
五月と十月の十四日、伊勢の皇大神宮(内宮)で、絹布の和妙と 麻布の荒妙を奉納する祭。絹布は神服織機殿神社で、麻布は神麻 続機殿神社で(松坂市)、地元の奉仕団によって織られる。いわ ば、神々の更衣にあたるもの。

宇治祭/宇治神社還幸祭/離宮祭/大幣神事/傘鉾/傘御幣
宇治神社の祭礼。五月八日より一ヵ月間、上社と下社両社の神輿が御旅所にとどまり、六月八日に還幸する。布張りの三枚笠と松の枝をつけた大幣を捧げてを巡行するが、終わると大幣を倒して、宇治橋より川に投げ込む。そのほかに傘鉾もある。


団扇撒
梵網会五月十九日奈良唐招提寺で行なわれる。鎌倉時代の中興の祖、覚盛上人の命日に行われる。上人は蚊に刺されても「血を与えるも仏の道」と追い払わなかったという。命日に団扇を献じたのが始まり。参詣人にハート形の団扇を撒く。団扇は厄除けになるという。


卯之葉神事
五月上卯日,大阪市住吉大社举办的神事。空木の小枝の簪をつけた神官、卯の葉を持った卯の葉女、稚児などに供奉さ れた神輿の渡御が名高い。卯月卯の日は神功皇后が住吉神社を創 立された日であるという。

閻魔堂狂言
京都市上京区の千本閻魔堂で五月一日から三日にかけて営まれる大念仏法要。壬生大念仏、嵯峨大念仏とともに京都三念仏といわれる。一説には恵心僧都源信の弟子、定覚上人が始めた踊躍念仏が起源とも。他の二つの大念仏との違いは科白があるところ。

大矢数
初夏、気候のよいころに行なわれた京都三十三間堂での弓の腕競べ。実際には六十五間ほどの廊下を射通し、その本数を競った。暮れ六つから一昼夜にわたる過酷な弓較べで、江戸時代盛んに行なわれた。

御柱祭
長野県下で式年に行われる神事。諏訪大社のものが有名である。諏訪大社のものは、寅年、申年の五月四日、五日に行われる。神山から切り出した樅の大木の御柱を、四宮の社殿の四隅に建てる。引き綱をなう綱打ち、御柱の伐採、山出し、御柱休め、里曳き、曳き建てで終わる。樅の木の御柱の上に人が乗り山坂をすべり下ろす、山出しは、勇壮である。

賀茂の競馬/競べ馬/きそひ馬/空走り/勝馬/負馬/足揃
京都の上賀茂神社で五月五日に行われる。もとは陰暦五月五日に、天下太平や五穀豊穣祈願のために行われた。騎手は冠をかぶり、袴の腰に菖蒲を挿し、古式ゆかしい競技である。

賀茂祭、北祭、葵祭、懸葵、加茂葵、双葉葵、葵鬘、諸鬘、御生祭
五月十五日に行われる京都の上賀茂神社、下鴨神社の大祭。平安時代の宮中では祭といえばこのまつりだった。御所から参向する勅使らの冠を、葵桂で飾ったことから葵祭ともいい、石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいう。

賀茂御蔭祭/御蔭祭/御生木/切芝神事
五月十五日の葵祭に先立ち、十二日下鴨神社において荒御魂を迎え入れる神事。比叡山西麓にある御蔭神社より、神馬の鞍に荒御魂を移し、綿蓋で被い、本社に迎える。途次糺の森の切芝において切芝神事が行われる。

神田明神祭、天下祭
東京の神田明神の祭礼で、江戸三大祭りのひとつ。大祭は二年に一度、五月の第二日曜をはさんで、約一週間行われる。昔は旧暦の九月十五日、関が原で徳川家康が勝利を収めた日にちなんで行われた。五月の第二土曜日に時代行列といわれる神幸祭、翌日曜日に約九十基の神輿の宮入がある。神輿かきが売り物の威勢のいいの祭りである。

擬階の奏
平安時代の宮廷行事。六位以下の身分の低い朝臣に、その成績を考慮して太政官が昇進を奏上する儀式。陰暦の四月七日に行われ た。

夏の駒牽
端午の節句に行われた騎射(うまゆみ)に出場する馬を天皇にご高覧いただくため引き回しすること。陰暦の四月二十八日の行事。

御霊の神事/御霊の御出
京都市の上御霊神社と下御霊神社の祭礼。両社は平安遷都の折、非業の死を遂げた早良親王らの霊を慰めるために営弁された。五月一日から十八日までそれぞれの神社では、神輿大前の儀から神輿渡御まで、神幸祭から還幸祭までが執り行われる。

さんばい降し/おさばい降し/そうとく降し
田の神を田へ招きおろすこと。田植の前の祭事である。

聖木曜日/最後の晩餐
聖週間のうちの木曜日のこと。「最後の晩餐の日」である。晩餐 の前に、イエスが弟子たちの足を洗ったので「洗足木曜」ともよ ばれる。またこの晩餐会で、イエスは、パンが自分の体であり、 ぶどう酒が自分の血であるという聖体の礼典を制定したとされる。

昇天祭
昇天は復活祭から四十日後のことで木曜日にあたる。復活後の四十日間、イエスは神の国について語り続けたあと昇天した、という言い伝えに由来する。

三位祭/聖三位祭/至聖祭
聖霊降臨祭の次の日曜日をいう。父なる神はキリスト、聖霊とともに唯一の主であるという三位一体の教儀を賛美し礼拝する祭日。


受難節
復活日の四十日前の水曜日からはじまり、復活日の前日までを受難節という。十字架にかけられた主の受難を思いつつ、自らを律する日々である。

棕櫚の日曜日/枝の聖日/パームサンデー
復活祭の一週間前の日曜日。イエスがエルサレムに入城する際、 イエスを「支配から解放するもの」と期待していたユダヤ人は、 イエスの通る道に棕櫚の枝を切ってきて敷いたという。しかし、 この日から数日後、ユダヤ人の勝手な思い込みから、イエスは 十字架にかけられることになる。これが「棕櫚の日曜日」の由 来とされる。イエスの受難を思う日である。

白き日曜日/白衣の主日/低き主日/白衣の土曜日
復活祭後の最初の日曜日のこと。復活祭で洗礼を受けた信徒が、 司祭から与えられた白衣を脱ぐ日とされる。

聖週間/大週間/受難週
棕櫚の日曜日から復活祭前日の土曜日までの一週間。棕櫚の日曜 日にイエスはエルサレム入り、木曜日が「最後の晩餐」の日。こ の夜、イエスは捕縛され、翌金曜日が十字架にかけられる受難日 となる。
聖金曜日/グッドフライデー/受難日/用意日の金曜
聖週間の金曜日。聖週間は復活祭前の一週間。聖金曜日は、最も早い場合で三月二十日、遅い場合だと四月二十三日になる。イエス・キリストが十字架にかけられた日にあたる。キリストの受難と死を記念して、欧米では祝祭日として休日となる。福音書をもとに、キリスト受難にちなんだ祭礼が催される。

復活祭/イースター、イースター・ホリデー、イースターリリー、復活節、染卵
イエスが十字架上の死後三日目に復活したことを記念する祝日。イースターともいい、肉やパン、染卵を食べる習慣がある。移動祝祭日であり、春分後の最初の満月の後の第一日曜日がそれにあたる。

聖木曜日/最後の晩餐
聖週間のうちの木曜日のこと。「最後の晩餐の日」である。晩餐 の前に、イエスが弟子たちの足を洗ったので「洗足木曜」ともよ ばれる。またこの晩餐会で、イエスは、パンが自分の体であり、 ぶどう酒が自分の血であるという聖体の礼典を制定したとされる。

昇天祭
昇天は復活祭から四十日後のことで木曜日にあたる。復活後の四十日間、イエスは神の国について語り続けたあと昇天した、という言い伝えに由来する。

三位祭/聖三位祭/至聖祭
聖霊降臨祭の次の日曜日をいう。父なる神はキリスト、聖霊とともに唯一の主であるという三位一体の教儀を賛美し礼拝する祭日。

受難節
復活日の四十日前の水曜日からはじまり、復活日の前日までを受難節という。十字架にかけられた主の受難を思いつつ、自らを律する日々である。

棕櫚の日曜日/枝の聖日/パームサンデー
復活祭の一週間前の日曜日。イエスがエルサレムに入城する際、 イエスを「支配から解放するもの」と期待していたユダヤ人は、 イエスの通る道に棕櫚の枝を切ってきて敷いたという。しかし、 この日から数日後、ユダヤ人の勝手な思い込みから、イエスは 十字架にかけられることになる。これが「棕櫚の日曜日」の由 来とされる。イエスの受難を思う日である。

白き日曜日/白衣の主日/低き主日/白衣の土曜日
復活祭後の最初の日曜日のこと。復活祭で洗礼を受けた信徒が、 司祭から与えられた白衣を脱ぐ日とされる。

聖週間/大週間/受難週
棕櫚の日曜日から復活祭前日の土曜日までの一週間。棕櫚の日曜 日にイエスはエルサレム入り、木曜日が「最後の晩餐」の日。こ の夜、イエスは捕縛され、翌金曜日が十字架にかけられる受難日 となる。
聖金曜日/グッドフライデー/受難日/用意日の金曜
聖週間の金曜日。聖週間は復活祭前の一週間。聖金曜日は、最も早い場合で三月二十日、遅い場合だと四月二十三日になる。イエス・キリストが十字架にかけられた日にあたる。キリストの受難と死を記念して、欧米では祝祭日として休日となる。福音書をもとに、キリスト受難にちなんだ祭礼が催される。

復活祭/イースター、イースター・ホリデー、イースターリリー、復活節、染卵
イエスが十字架上の死後三日目に復活したことを記念する祝日。イースターともいい、肉やパン、染卵を食べる習慣がある。移動祝祭日であり、春分後の最初の満月の後の第一日曜日がそれにあたる。

聖木曜日/最後の晩餐
聖週間のうちの木曜日のこと。「最後の晩餐の日」である。晩餐 の前に、イエスが弟子たちの足を洗ったので「洗足木曜」ともよ ばれる。またこの晩餐会で、イエスは、パンが自分の体であり、 ぶどう酒が自分の血であるという聖体の礼典を制定したとされる。

昇天祭
昇天は復活祭から四十日後のことで木曜日にあたる。復活後の四十日間、イエスは神の国について語り続けたあと昇天した、という言い伝えに由来する。

三位祭/聖三位祭/至聖祭
聖霊降臨祭の次の日曜日をいう。父なる神はキリスト、聖霊とともに唯一の主であるという三位一体の教儀を賛美し礼拝する祭日。

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